本書はもう少しで終る。これまでに様々な作品があったが その中で思い出される懐かしき作品がある。街はずれに立つ白い馬に乗った曲芸師 幼き王女の毅然とした立ち姿など。これらは氏の代表作ではないし 絵画の特徴を語るに良く使われる作品でもないので 表立つ事は少ない。しかしこのような作品に魅了される者も多いはずだ。また当然ながら 謎めく物語性に想いを託す楽しみや情感を含む陰影の深い味わいなどが持つ 人を魅了する力こそ氏の作品の魅力であり 決して色褪せる事はないだろう。何故なら氏の作品は愛好家にとってすでに聖域化されているからである。
氏は芸術家と呼ばれる事を拒んでいたが これはその言葉の大仰な意味合いを嫌ったからで 制作者が全て創造する者ではない事からすれば バルテュスは確かに具象絵画の画家であり 時代を遥かに越えた魅力ある絵画を創り出した。そしてその創造は高く聳える山を成したに等しいのである。ゆえにバルテュスは偉大な芸術家であり 個人的な精神性の高さと深さを示し得た希有な画家であったと言える。またこの巨大な山には 創作者しか知り得ない重要な内容も納められているはずだが これらも不可視なものであるのだろう。これらに本書は少しでも届きたいと願ったが 果たして達したかどうか 少なくとも幾つかは明らかになったはずである。その事に満足して筆を置く事にしよう。

2001年の 2月 17日 これまでも繰り返していた入院であったが この日バルテュスは入院先から自宅に戻りたがった。夕方の5時に屋敷に着き 夜の8時にアトリエに行きたいと言ってシーツに包まれて運ばれる。暫くして周りの人に席をはずしてほしいと言い 本人と節子夫人と娘の春美嬢のみがそこに残った。その時に 最後の言葉が発せられた。「コンティヌエ コンティヌエ・・・(続けて 続けて・・)」 それは弱々しくもはっきりした声で 広くがらんとしたアトリエに響いた。そしてその後 母屋に戻って息を引き取る。これは節子夫人の述懐している最後のバルテュスの様子である。
この最後の言葉の意味を私はこう解釈する。制作を通して真善美を知る頂きに立った氏は 創作の真の目的と実践の差を埋める事がいかに難しいか 思い知らされていたのではないだろうか。これは一種の絵画表現の限界を知る事になるかもしれない。しかしだからと言って止める事は出来ない執着がある。なぜならバルテュスは絵画を信じているからだ。これは信仰である。この信仰を成就させるには続けるしかないのだろう。
節子夫人は先のようにバルテュスの最後の様子を語ったが こうも付け加えている。「バルテュスは まるで夕日が沈むように 亡くなりました。」バルテュスの最後を語るに これ以上の表現はないであろう。

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