バルテュスの成したもの

氏が絵画表現に残した功績は 現代において具象表現の魅力を再認識させた事にあるが もっと重要なのは氏の表現の核である「人は非現実を写実し 不可視なものを具現化する事ができる。」または「本質を捉える事で 不可視なもの写実し 具現化する。」を実践して見せた事である。これこそ氏の最も偉大な功績である。これによって人の住む現実世界の計りしれない奥深さに潜む 希有な存在を明らかにしたのである。 これは現実と同じように手応えのある内的現実の狭間に作られた世界の構築でもある。
画家は視覚世界のみに頼る傾向があるが 氏はそのために表面的なものに捕らわれず 皮膚の下を見る。そして現実の卑俗さから距離をおき 幻視や幻想に流されず 美に溺れず 官能の虜にならず それらの魅力を活用しながら 構築した世界を個人的に独立した世界にする。
そしてこの世界の中で描いてきた内容は 娘達の挑発的な性の露呈だけでなく 裸体に秘められた生命の輝き 同居の無関係 都市の人々の陰と陽 醜の道化への転化 肖像画に見られる外見と内実 日常の純粋性風景の中の無限性と永遠性 さらに謎めく存在 また他と関係を断って成立する世界 現世を越えた世界 関係性によって成立する一つの小宇宙などであった。そして絵画表現としては人物の姿態と構成的な画面作り 見応えのある画肌と色彩 柄と模様 そして具象表現の可能性と限界などである。

これらの中で氏の代表的な画題とされる若い娘達は 実に様々に描かれた。挑発的な性 死的な裸体 生命の輝きを示す裸体 構築的な裸体 姿勢を取る娘達など。これらはありきたりな甘味な美の装飾を排し 性的な欲望の対象を越えた官能性を与えながら その希有さを丁重に扱った上で聖なる者とした。そしてその聖なる者としての居所を創り出し そこに彼女等を納めたのである。
屋外風景で描かれた自然も 当然外観に捕われた通俗的な自然美の再現ではなく その内実に迫り 不可視な無限性や永遠性を視覚化する事に成功している。
また何気ない日常の暮らしを描いた作品では 日常をありふれたつまらないものとして捉えるのではなく そこに日々の中の純粋性を見い出している。しかし現実については その実体を不均衡なものとして捉えているが だからと言って拒否するのではなく 不均衡さからくる醜さを道化に転化する事で 可笑し味や謎めく存在として生かしている。

氏の美と官能性については 鑑賞者の直接的な欲望に答えるのではなく 間接的で微妙な あくまでも知的さが優先されている。この点は現代の欲望の満たし方の直接性と安易さへの批判と受け止める事もできる。また美という曖昧な価値観に対しても 通俗的な様相を与える事はなく 形の均衡が美なのではなく 内実と不均衡の関係にその答えを見い出している。
具象表現の可能性と限界の追求については 形と色彩 そして構成による厳密な画面を構築しながら さらに平面化やゆるみのある構成まで試みており これは具象表現が抽象表現に至る限界まで突き詰められた結果であるだろう。しかしこれらは独自であるが 氏の表現すべきものは別にあると解釈されるかもしれないし 自らの方向性を絞らなかった多才さが仇となったと言われてしまうかもしれない。しかしこれも氏の幅の在り方であり これを受け入れなければ 氏の全貌は明らかにならない。
そして氏の無形の様式の拠り所について述べれば 今という現在性に捕われる事ない時間認識を持っており これによって過去と言う累積された時間を自由に行き来し その拠り所とした。これは過去を継承すべきものとして復活させ この重厚さは一つの様式になっている。またこのような過去を引き継ぐ重圧的な時間認識は 新規さばかりに気を取られる現代の狭隘さと軽さの限界を指摘する事になっている。

以上の氏が構築した世界は356点余りの本制作と数々の素描で形作られているが それらの一つ一つは様々な様相を見せながら 大きく重い岩や小さく堅い石となって積み重なっており それぞれの内容がより深ければ深いほど その積み重なる山は高さを増し 氏がより遥か彼方を見通すほどに その頂きは遠のいてそびえ立つ。