*14 なぜ同じ画題を繰り返すのか。

バルテュスは同じ主題を繰り返し描いているが それは連作ではなく 頭の中にある画像をより良く具体化するためであると言っている。確かにそうだろうが 写実表現ではそのような追求は素描や下絵などを描く事で解決を計り その中の決定案をキャンバスに写して本制作に入る。しかしこれらの素描や下絵は実寸ではなく縮小され 彩色も簡略化されている場合が多い。バルテュスが写実表現であった頃は事前に素描を準備していた作品もあるが 具象表現になってからは創案を描く事はあっても 素描や下絵はあまり描かなかったようだ。それに若い頃の摸写などを見ると 素描や下絵に頼らずに直接にキャンバスに描いている事からも 事前の入念な準備は頭の中で行なわれ 本制作でも試行錯誤を繰り返しながら 自分の追う画像を具体化する制作の仕方であったようだ。この方法では本制作に入る前にいろいろな選択肢を排除していないのだから 完成後に別な例が思い浮かぶとしても当然かも知れない。つまりバルテュスのやり方は自分の考える画像を一つに絞らないで 他の案も活かそうとしているのである。それゆえに一つの画題を繰り返し描くいているのであろう。この結果 残された作品は同じ画題ながら多様な面を見せ それぞれの違いを味わえると言う事になっている。 

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*15 なぜ過去の作品を描き直すのか。

数えてみると14点の作品が一度完成した後に手直しを行なっている。「鏡猫 3」は公開された後に手直しを繰り返され 3 回も異なった完成の姿を公開している。また「街路」では購入者の意向を受け入れて部分的な直しを行なっている。この「街路」は例外として 手直しの大半は構成の変更であり それだけ構成に気を使っていた事が分かるし 先の制作方法からもその理由は明らかだ。しかし人物画の手直しは別で ほとんどが顔の描き直しである。中には青年期の作品で 描いてから 50年も経ってから修正されている例もある。この人物の顔の描き直しを見比べると不思議な共通点がある。それは手直しによって整えられた顔に変更されている事である。つまり直される前はもっと異なる顔立ちや表情で 通常の肖像画から見れば異形とも言えるように描かれていたのである。これは現実の実体は不均衡にあるとする 冷徹な本質への追求が成した結果なのだろうが それにしても皆 不機嫌な異形である。これらの手直しは作品が個人の肖像画でもある事を配慮して修正されたのだろう。

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