*4 なぜ挑発的な裸体を描いたのか。

青年期の幾点かの裸体を描いた作品は 挑発的な性の露呈と言えるが これは冷静な考えによって捉えられた性である。その作品には「鏡の中のアリス」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」などだが これらには冷徹さと共に性への不信感が隠れているように思える。何故ならこれらの裸体には一般的な女性美といった魅力を纏わせていないからである。そしてこれらが描かれた時期は 若い男なら誰もが避けて通れない性の問題があるはずだ。この問題は本能から生じる異性への欲求であるが 肉体がからむゆえに抗しがたい力で重く暗くのしかかってくる。氏自身もこの問題と無縁ではなかったはずである。この頃の挑発的な作品は この抗しがたく悩ましい性の問題に対する 反発心や不信感であり さらにその過激さは抗しがたい力に比例しているように思われる。だがこのような生身の問題を 作品に見られるような形で表す事は誰にでもできる技ではないだろう。これらには性の問題に振り回されて 未消化なものを残すような不様さはまったく見られない。これは冷静さと強靱な意志によって 問題と距離を取るだけの力があったからこそ成し得たはずである。これは20代の若者にしては 恐ろしいほどの力ではないだろうか。またこの時期の作品には独特な緊張感と完成度があるが それは性の問題だけではなく 社会全体が戦争に向かう不穏な時代でもあった事も無視できない。またそのような時代の中で 自らを画家として成り立たせるための極度な真剣さが反映しているのではないだろうか。しかしこのような作風は長く続く事はなく その後に描かれる女性や娘達は次第に昇華され 絵画表現の目的を追求するための 重要な一つの存在として扱われて行く事になる。
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*5 なぜ若い娘達を描くのか。

描かれた人物の中で最も多く描いたのは 少女と呼ばれる幼さを残した若い娘達である。しかしこれらは作品によってバルテュスの印象を2つに分けている。一つは青年期に描いた挑発的で性的な作品による 不謹慎で危うい異端の画家という肩書きである。もう一つは幼き娘達を穢れのない聖なる者とした 儚くかけがえのない美を描く画家という評価である。この相反する2つの世界こそバルテュスの全体像であり 挑発的な性を描いたのは青年期であり その後は聖なる者として純化していくのだが バルテュスの描いた娘達には それだけで納まらないものがあるようだ。
彼女達とは一体何者なのだろうか。彼女達は子供と大人の中間にある思春期の娘達であり この時期は大人の世界の俗と欲を知らない無垢な状態にある。そして性的に未成熟であるゆえに 性の欲求に惑わされない処女としての純粋さがあるとされている。また彼女等は思春期に見られる 特有な生命の輝きを放つ者達でもある。しかし身体的には未成熟ながら性的な自覚を持っている場合もあり このような場合は早熟な官能性を発揮し 異性を惑わす魅力を持つ。また彼女等はかよわき肉体しか持たないので 額に汗した働く肉体労働者と最も遠い存在であり 完全な非生産者でもある。
このような彼女等を青年期の氏は 禁断の果実としての魅力を利用し その後は天使のような聖なる者へと昇華させた。つまり氏は彼女等の容貌や肉体ではなく 精神的に啓示を与える存在として精神的に情愛し 性に目覚める前の少年が幼き妹達に抱く 守護すべき無垢な存在への奉仕者となる。しかし彼女等は無垢さと啓示を与える者であるゆえに 浮き世離れした存在であり ある怪しさを伴っている。これこそが彼女等の本質であり 氏の注目した点であるはずだ。彼女等は美と聖 そして怪しさを持った超越的な存在だからこそ あのように描き続けられても その役割を充分に果たせのである。また氏が亡くなった現在でも 少女達の存在は好奇な眼の対象であり 様々な物語を生み続けている。

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