室内風景画。

また構成画のような領域を設けるなら 室内風景画とも言える領域も設けた方が良くなる。風景とは野外に限った事ではなく 室内における情景と言った内容も風景として捉える事もできるだろう。その例は「キャシーの化粧」や「部屋」「居間」などがそれにあたり 身支度をする娘や「鏡猫」なども同じである。また屋外と室内を同時に描いた作品などもある。これらも領域にまたがっている。否またがっていると言うよりも領域を越えていると言った方が正しい。

画題を整理するの結論。

つまりバルテュスの作品は常識的な領域分けを越えて成立していると言う事である。一つの作品に複数の画題が取り入れられ それが複雑さを作り出し充分な見応えと謎めく内容を生み出している。それの作品はあたかも色も糸の太さも異なり 計算抜きで気ままに そして丹念に織られた織物のようである。 

主題と本質

以上のようにバルテュスは本質の探究と不可視なものを具現化する事を行なってきたと言えるが 全作品の主な画題と内容を整理して確認してみると 公園で遊ぶ子供達の同居の無関係 挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝き トランプや鏡猫などの個的に独立した一つの世界 風景の中の不可視な存在 日々の穏やかさ 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界 そして娘達の様々な姿勢 絵画における構成 色彩と画肌となる。そしてこれらの主題はバルテュスが転居した時期によって変化している。パリ時代とシャッシィ時代では傾向がまったく異なっており パリ時代の挑発的な性の露呈と堅固な構図 写実的な表現はシャッシィ時代には見られなくなり 具象表現で自然の陽光がもたらす色彩や館の2つの門などを構成的に捉える事に集中している。しかし「樹のある大きな風景 (三角の畑)」などで謎めいた存在に着目している。つまりここにバルテュスの本質があるように思える。さらに主題の内容を整理すると「秘められた性を露呈させる」「存在感を具現化する」「個的な世界を成立せる」となり 「秘められた性を露呈させる」では挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝きであり 「存在感を具現化する」では同居の無関係 風景画の不可視な存在 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界であり「個的な世界を成立させる」ではトランプや「鏡猫」などで また日々の穏やかさでもある。このようにして見るとバルテュスの描き出そうとした世界が見えてくる。つまりバルテュスは秘められたものや本質を追求しながら 不可視なものを具現化する事を目指し さらに独立した個的な世界を成立させる事を主題にしているのである。独立した個的な世界では「トランプをする人々」や「赤い魚」の周りに集まる子と親などの関係性が重要だが 「鏡猫」では鏡と娘と猫と言った より強く引き付け合うものの関係性を見い出す事で その成立に成功している。この関係性は初期の頃の「公園」や「街路」では「同居の無関係」であったが 「居間」や「三姉妹」では絵画表現に欠かせない画面構成における関係性が工夫されている。またそのような画面構成を越えて個的な世界を確立する事になるのは「赤い魚」以後であり 「鏡猫 3」によってその頂点に至ったと言える。つまりバルテュスの絵画の主題で重要なのは「秘められたものを明かす事で不可視な存在を具現化し 独立した個的な世界を成立させる。」事と言えるのであり そこに大きな役割を果たしたものはそれぞれの関係性であったのである。絵画の描く対象は様々にあるが その中である偏りを見せながらもバルテュスが求め 描き出す事に成功し 多くの人々に魅力あるものとして受け止められるのは この秘密めいた不可視な存在と個的な世界の成立にある。