349

「陰惨なほどの暗さ」

P349。「モンテ・カルヴッェロの風景 2」 162×130㎝ キャンバスに油彩 1994-1998
何と恐ろしい絵だろう。「鏡猫 3」が完成した1994年から描き始めいているが 完成は 1998年で4年後である。モンテ・カルヴッェロの風景は以前にも一枚描いていて 構成はほとんど同じだが それとは比較にならないぐらい様相が違っている。左側の岩肌の露出した山とその下に広がる遠近感の失われた農地は同じだが その奥には地平線が現れ 遠くに青い山脈が描かれている。手前の丘にも石塀に囲まれた建物が描き加えられている。手前の建物は小振りで童話に現れてくるようだが 左側の山はまるで灼熱を帯びた溶岩の固まりのようだ。血腥ささえ感じる。遠近感を省いた広大な農地はまるで壁のように立ちはだかり 遠景の青い山との関係を失っている。農地に流れる河は白く青いが強すぎて色彩による遠近法から逸脱している。ここには通常の前後関係を示す遠近感はなく面の量感が塊となって画面を占有している。そして色彩は濃く 塊となった面の量感に恐ろしいまでの力と暗さを与えている。それはまるで恐怖や脅迫観念さえ感じさせる。この恐ろしさはどこから来るのだろう。手前の建物の尋常さからすれば感覚の混乱に身を任せて描いたとは思えない。尋常でないのはその向うの塊となった面の量感と色彩 そしてその筆致なのだから。「モンテ・カルヴッェロの風景 1」では 手前は現世でその向う側は黄泉の地であると考える事ができたが この絵ではもはやそのような客観性はない。作品と描き手の感情と想いが混然としたまま一体化したように見える。 これは老いて衰えていく自分への怖れか 制作が出来なくなる事への焦りか 死への恐怖か。バルテュスはこの時 86才から 90才であり 2001年の 93才になる誕生日の前に亡くなっているから 確かに余命は限られている。しかし果たしてバルテュスはそのような個人的な事情を描くだろうか。これまでは自らの私事や感情を直接的に描く人ではなかったし 氏自身も晩年の問いかけに「死を恐れてはいません。私は敬虔なカトリック信者ですから。」と答えている。しかし描き続ける事を最も望んでいたはずである。死は恐れないが 描けなくなる事への恐怖はあったのではないか。それも他の人には計り知れないほどの重さを持って。少なくともそのような強い感情を絵におよぶのにまかせたとしても 誰もその事をとやかく言えるだろうかはしないし 逆にそのような強い感情の籠った作品として受け入れられるだろう。この絵には死に対抗するための力強い呪詛の暗さが込められているように思える。