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「3つの関係によって成立する宇宙」

P348「鏡猫 3」 220×195㎝ F150号程度 キャンバスに油彩 1989-1994
「鏡猫 1」は身支度をする若い娘達の集大成を示した作品であり 「鏡猫 2」は身支度をする場から抜け出させる事で「鏡猫 3」への飛躍を得た作品である。そして「鏡猫 3」では若い娘と鏡と猫による三位一体の関係によって一つの完全な世界を確立するに至る。
これは「居間 1,2 」「三姉妹 1,2 」「夢 1,2,3 (黄金の果実)」などでは果たせなかった到達地点である。これは大いなる最晩年に達した得た最も重要な成果である。そのためには「鏡猫 1」で使われた身支度をする娘という秘められた美の園をやめて「鏡猫 2」を描き そこでは日本風をより強調しながら 3つの関係を際立たせようとしていたが「鏡猫 3」では異国情緒もやめている。この秘められた園や日本風の様式はバルテュスが独自に作り出した貴重な表現世界であったにもかかわらず あっさりとやめている。どれも違うと思えたのだろう。そして「鏡猫 3」ではトランプをする人達で描いていた中世風の時代性を取り入れている。しかし中世風なのは娘が着ている衣装だけで 他は幾種類もの布の模様や柄 そしてそれらが作り出す皺などであり 特に時代を表すものはない。つまりここで重要なのは時代離れした中世風そのものではなく 特定の時代から切り離す事によって普遍性を得る事である。娘はいつものように片膝を立て 片手には手鏡を持ち 長椅子の端に座る猫に向けている。しかし猫はそれに反応していない。否 鏡がどちらに向けられているかも 猫の反応も もはやここでは重要ではない。3者の関係はそのような些細で具体的な事に左右されないほど 確かな関係にあるからである。この3者の関係は 娘は美であり 鏡は化身と実体を表すものであり切り離す事は出来ない。猫は娘の世界に介在する異性を超えた他者で 娘と同じく美と化身の存在である。この三者はそれぞれに必然的な結びつきを持ち バルテュスが独自に成立させた三位一体である。それはキリスト教の三位一体である父と子と精霊の関係を求めているかのようだ。
しかしこの「鏡猫 1」が「鏡猫 2」を基にした変更ですぐに成立した訳ではない。A図は最初の完成状態であり この段階で一度公開されている。そして B 図はそれに手を加えて完成させ 東京展の公開記念に公の前で署名している。しかしその後にさらに手を加えて署名もし直し 現在の状態に至っている。それぞれの変更は足乗せ台が省かれ 寝椅子に背もたれが加えられ 腰に巻いた布が写実的になり 細部の模様や色彩の強弱の調整が行なわれた。この中で最も重要な変更は足乗せ台が省かれ 全体がより完全に背景に取り囲まれた事だろう。これによって長椅子は暗黒に浮ぶ舟となり それに乗る三者の関係は漆黒の空間に瞬く星々が星座によって結びつくように 一つの宇宙となったのである。  
挑発的な性や秘められた美の世界など強い魅力もさる事ながら ここには関係によって成立する一つの世界があるが それは表現を目指す者にとって究極の到達点である事を この作品は示している。
この作品に無惨さを見る者もいる。確かに筆致は力強いがおぼつかなさが見られ 造形と構成の不安定さや配色の無秩序感などが見られる。確かにこれらは晩年の一つの特徴でもあるが それは老いによる衰えや自己の開放による感覚の自由と混乱によるものであるかもしれないが それは具体的な技術面のみを取り上げているのであり 作品の表現内容が成し遂げた成果とは別である。またそのような負性があったからこそ このような表現に至る事が出来たとも言えるのでないか。つまり巧みさや理にかなう事では このような世界を描き得ただろうか。そしてこのような高齢(81才−86才)にありながら 作品をより一層の高みへと押し上げる力の強さは老いに勝っていると言えるのでないだろうか。