345

「非現実を展開する室内の不吉と笑い」または「解らぬもの」

P345。「カラスのいる大きな構成」200×150㎝ キャンバスに油彩 1983-1986
これはバルテュスの作品の中で 最も計り知れない内容を持つ作品である。寝台には裸婦が布を敷いて横たわっているが その顔は丸く 目を裏返したように笑っている。まるで日本の狂言回し的な女神であるお多福のようだ。その上半身は逆三角形で逞しく その厚い胸には鍛えられた筋肉のような十字の割れ目が入っている。そして乳房は小さく 豊かさや性的な魅力を持っておらず 下半身は細く手と足も長過ぎるようだ。この裸体は男性的でありながら 女の特徴をわずかに持つ両性具有者のようだ。そして笑いながら差し出されている右手の先には黒々としたカラスがおり 壁に取り付けられた棚板の上から裸婦の様子を伺っている。左下には緑色に塗られた小振りな檻を抱えた小さな男が裸で立っている。また右下には本が蓋のように乗せられた籠があり その脇には鼠のような猫が身体を丸くして眠っている。また背後の壁をよく見ると大きなピラミッド型の三角形などが描き込まれている。それはまるで古代の遺跡に残された未解読の図形のようだ。この壁は この絵の中でもっとも重要とされるほど 手が入れられた重厚な仕上げとなっている。
何故女は笑っているのか 女と鴉の関係は 小さい男は何者か 檻は鴉を入れる鳥籠なのか・・・等々。疑問は深まり謎めくばかりだが 壁に残された痕跡は大いなる時間を経た遺跡が支配する尊重されるべき世界を示しているようだ。しかしこの室内に響く娘の高笑いは奇矯であり そうした考えさえ笑い飛ばしてしまいそうだ。それに例えそうであっても他の意味は解らないままだ。この異形な者とそれらの関係は いくら様々な解釈を尽くしても 決定的な解釈は成り立たないのではないか。つまりこれは謎なのである。
謎には2種類ある。それは解かれる事を前提とする謎と決して解かれる事のない謎である。解きえる謎には示唆が含まれているが 解き得ない謎にはそれがない。ここには示唆らしきものがある。それは解読に到れるのではないかと思わせる魅力を持っている。しかもそれがこの作品の見所であるが しかしそれは解読しようとすると永遠の迷路に入り込んでしまうように 仕掛けられているのではないか。バルテュスがこの作品を描いたのは 1983年の 75才から 78才で 集大成的な作品を描いていた頃である。バルテュスはこれまで現実に想を得て描く画家で 現実性を重要視してきた。しかし決して単なる現実主義者ではなく 動物を擬人化したり 秘められた存在を描き出し また謎めく作品も描いてきた。そうしたバルテュスが謎自体を描いたとしても不思議ではない。しかし謎めくものに姿と形 色を与えるのは厄介なはずで 現実性を持ちながら飛躍させるが やり過ぎてはいけない。そうでないと単なる空想か 奇を衒うだけに終る。だがそれらが上手く行けば 解かれないまま魅力ある謎として永遠性を得るかもしれない。
ここにある謎は鴉と笑う娘 また鴉と籠を持つ男などの関係性で成り立っており この関係を様々に解釈する所に面白味がある。しかし如何なる解釈も歯切れの悪い曖昧さが残るとすれば この謎は読み解けないものであり それは謎ではなく「解らぬもの」である。つまりこの作品は人知を超えた存在とそれらの世界を指し示している事になる。そしてこの「解らぬもの」としてのこの作品を見るなら 微熱を保ちながら斜面を横滑りしていく現在を失った遠い過去とそこに住む異形の者達の世界のようだ。
この作品について節子夫人に問い合わせてみた。するとこの作品はバルテュスの愛読書の一つであった中国の冒険小説である西遊記から示唆を受けており 鴉は知恵の象徴で 檻を持った小さな男はその知恵を捉えようとする者であり 笑う娘はあるがままに万物に接する天真爛漫な存在であるとの返事を頂いた。