344

「形の相似と娘の腹筋」

P344。「ギターと裸婦」 162×130㎝ キャンバスに油彩 1983-1986
バルテュスが裸体とギターを描くのは あの P79の「ギターのレッスン」以来であり 実に49年ぶりとなる。しかしここにはあの加虐と受虐による性的の関係を暴くような過激さはない。
鎧戸のしまった部屋の壁に寄せられた寝台は広く 黄土色に塗られ 裸で眠る幼さない娘も同じく黄土色である。彼女は両腕を上げ腋窩をみせ 乳房は小さく 引き締まったお腹の下には2本の皺があり その下の両足は開かれている。両足の下には白く大柄な格子模様の浴衣が敷かれ それ以外は広い寝台である。そして彼女のすぐ脇には 小さめの白金色のギターが添い寝のように並んでいる。そのギターのネックの下には 紫がかった布が複雑にうねった皺を作っている。
白い壁の広さ 寝台の黄土色の広さ 不思議なほど余白のある配置である。さらに右下にある寝台に掛けられた布などの茶色と黒の強さ そしてその反対側である左端の上の黄土色と茶の生塗りの強さ これらは協調し合っているようだが 娘とギターが弱く見えるほどでもある。画面下に塗られた黒っぽい所も上の窓の格子と協調しているようだが やはり裸婦とギターより強い。これらの強い色彩の配置は娘とギターから離れた周辺に配色されていて 彼女らとは無関係のようにも見える。通常は主役ほど画面の中央に配置し目立つように配色し 脇役は重要な順にその周りに配置し 色彩は弱められるのである。しかしここではそのような定形の手法は取られていない。また娘の寝顔はあどけなく 胴体から下の足は伸びやかだが 上げられた片腕は遠近感を与えられずに その長さは曖昧だ。胴体は未発達な若い裸体としてくびれがなく 乳房以外にも凸凹があり 皺まで生じている。これらは先の P343の「静物」に見られたような感覚の開放または感覚の混乱による自由性なのだろうか または新たな構成の試みなのか。
裸婦とギターは並んで置かれている。女性と楽器 それも弦楽器との組み合わせは絵になる。それはその形の近似からだろうし 形だけでなく 女性の声と楽器の音の近似もある。この関係は性的な意味合いも含まれる。音楽の持つ官能性や食欲が示す官能性のように。だがここでは詩的な抒情性を生む組み合わせであり 両者の形の近似性を描きながら 互いを共鳴させるという主題なのだろう。
しかし完成度の高いギターの形と比べると 裸体の胴体の凸凹や皺は一種の醜さであり 楽器と共鳴しているとは言いがたいのでないか。それともはやはり感覚の混乱か しかし元々バルテュスは整った形への関心よりも 異形を好む傾向があるから その一種だろうか。
要はこの幼さの残る娘の裸体に見られる凸凹と画面構成の広さが気になっている訳で これを無視すれば やはり裸体の手足は伸びやかで寝顔にはあどけなく 白金色に輝くギターとの組み合わせは やはり抒情性を感じさせている。もし眠っているこの娘が目覚めて声を発する事ができるなら いかなる音色を聞かせるのだろう。