343

「不吉な果実と構成感覚の混乱」

P343。「静物」 100×80.7㎝ 木板に油彩 1983
これは年令にして 75 才の時に描かれた静物画である。そして最後の静物画でもある。籠の中は布が敷かれ 濃い紫色の果実で一杯になっている。布も紫がかっていて白と黒の模様があり 籠の取っ手の所で結ばれている。この籠の周りにはワインの入ったグラスと一切れのパン そして柘榴の実が一つ置かれ 画面の周囲は額縁のように塗られている。
これと同じ籠と果実を描いた水彩画が1970年に描かれているが それと見比べると この油彩画のこなれていない生硬さはまるで不器用な初心者のようだ。それでも画面は充分に描き込まれているから 充実感はある。それに比べ水彩画の方は均衡の取れた構成は安定感があり 形態も明確で何一つ不足はない。両作品を見比べていると確かに水彩画の方が出来がよいのだが・・・。東洋の水墨画には技の上手さや達者さ 洗練させる事などを拒否し 破天荒な造形感覚や描き方を尊ぶ表現方法がある。そう見ると水彩画は構成と形態の秩序を守る優等生のようだ。それに対し油彩画の方は型に納まらない稚拙さの自由性を感じさせる。
しかし1980年代のバルテュスの体調は万全ではなく 肉体的にも老いが始まっていただろうから このような不器用さはそのせいとも言える。またこの作品以外にも見られる このような不器用さは感覚の開放を経て到達した感覚の混乱とも言えるのでないか。それよってこのような絵画的な秩序からの離脱や無頓着さを示すような作品を描く事になったと考えられる。この点ではバルテュスの表現技法は 巧みな面と不器用な面を持っていて興味深い。
それにしても籠を一杯にしている果実はなんだろう。無花果だろうか。この果実とそれを包む布の色彩と模様は収穫の豊さと言うより 何か不吉なものを感じさせる。またぶどう酒とパン そして柘榴と言えばイエス・キリストの受難を思い起こさせる。この不吉さと稚拙さはバルテュスの感覚の開放による自由性か または感覚の混乱による自由性なのだろうか。