339

「あどけなさを包囲する過剰性」

P339。「まどろむ裸婦」 200×150 F130号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1980
何とあどけなく無邪気な寝顔だろう。この眠りには疑いも警戒も悪夢もないし 余計な不安や心配事などとも無関係な 温もりのある穏やかな眠りの中にいる。またそのほど良く力の抜けた裸体は陽の光に暖められている。
幼い娘は窓辺に布を掛け 白いターバンを巻いた頭を乗せている。長くしなやかな両手はお腹の上で軽く組み合わせ 細く長い足は 片方は椅子の上に乗せもう片方は床に投げ出している。そしてその足には白い靴下と黄色い室内履きを履いている。この裸の姿態は寝顔と同じようにごく自然である。それに対して背もたれの立体的な菱形模様や腰掛け台の縁に塗られた赤と黒い線模様 さらに床の市松模様 これらはみな幾何学模様で極端なほど強く 眠る娘の姿態を取り囲むように描き込まれている。それに右側の竹細工のような卓とその上の活けられた花の束も妙に強く細かく描かれている。さらに花の後ろの壁や左側の窓の緑色をした鎧戸 皺の向きが不自然な遮光布 腰にあてたクッションの乱暴なほどの塗り跡。これらは妙にバラバラに力を込めて描かれていて 全体の強弱の均衡を度外視しているように見える。また同じように右の花の束の密度と窓のあたりの密度の違いも気になる。しかし全体の充実感はやはり濃い。それに模様の過剰さや密度の違いに埋もれるように 幼い娘は穏やかに眠っている。つまり穏やかで心和むのはうたた寝をする娘だけで その周辺にあるものは過剰で不均衡な粗密の状態にしている。これは果して意図したものなのか それとも感性の開放なのか または感覚の混乱なのだろうか。感覚の混乱のように見える作品は他にもあるとも思えるが 判別は難しい。年を重ねる事で自らの感性を解き放った一種の自在さであろうか。または穏やかで心和む絵に終る事を阻む バルテュスの感性があったのでないか。
しかしこのまどろむ幼さの残る娘の寝顔は 愛おしいほどあどけなく無邪気だ。それは「美は悪である」と言う言葉を思い出すほど 見る者の心を惑わす魅力を持っている。