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「秘められた園の中の関係」

P338「鏡猫 1」 180×170㎝ S120号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1977-1980
「鏡猫」は3点描かれていて 晩年の代表作であるが 若い娘を描いた作品のほとんど全ての集大成的な作品であり 身支度をする娘達の最終到達点を示す作品でもある。しかしこの作品はその始まりである。寝台の上の幼さの残る娘は裸体で手鏡を持ち 寝台の端の椅子から覗く猫に その手鏡を向けている。猫は鏡に映る自分の姿に戸惑い その反応を見ている娘は微笑んでいる。ちょっと意地悪そうでもあるその微笑みはほくそ笑みで 密かな企みが思い通りになったからだろう。しかしそのような無邪気な企みを行なう娘こそ微笑ましい。
ここでも娘は裸体であるが 猫に向けられる前の鏡は自分を写していたはずで 右手には櫛を持っているから髪を梳していたのだろう。つまり裸体のまま身支度をしていた訳で 鏡に映った自分の姿に見ていたろうし 見とれてもいたろう。ここに女性の自己愛(ナルシズム)が見られる。女性が化粧をし着飾り 美しくあろうとする主な目的は異性を前提にしているのではなく 自分のためである。自己愛は自己完結する円であり 身支度をする事はその円の中にいる事である。そしてこのような女性の自己完結する個人的な世界は秘められた園となる。ここではその秘められた園の入口の扉がわずかに開かれ その内状を伺い知る事ができるようになっている。その秘められた園の中の彼女は不自然な姿勢ながら大胆に足を開き 夜着もはだけている。しかしその裸体の肌は暖かみを感じさせない。その大胆な姿態には秘められた園の中にいるゆえの 誰に遠慮する必要もない気ままさと開放感がある。そして唯一遠慮する事なく この秘められた園へ侵入できるものは以前は老婆だったが ここでは猫になっている。彼等はそれを許されている。何故なら彼等は決して秘密を明かさない目撃者であり 愛玩すべき存在だからである。そして老婆よりも猫のほうがより抽象的で不可解な存在である。つまり猫は自己完結する園に唯一侵入できる他の者なのである。ここでは他の者を必要としない自分だけの秘められた園の様子とそこに唯一侵入できる者とその関係が描かれている。そして鏡と言う自己愛の象徴もそこに加わる。この余りに微妙な有り様と関係を描いた作品は他に得難いだろう。
また娘と猫の背景は重厚な画肌を持つ紫色で 寝台には2種類の模様と複雑な布の皺が作られている。これらも重厚な画肌を持っている。足元には足乗せの台があり 日本風の手箱が置かれ 布が巻き付けてある。そして娘の手には黄金色の手鏡が軽く握られている。この絵の見所は先の内容だけでなく絵具による質感を作り出す重厚さと丁重さ 構成の入念な均衡 配色の調和と不調和などがある。この充実感は力強く 70才前後になっても衰えを見せず よりいっそうの充実感を作品に与えている。またここでは紫色を使っているがバルテュスの作品では珍しい。