以上が大まかだがバルテュスの略歴と時代である。これらからバルテュスと時代との関係の幾つかが明らかになる。まず大きな戦争を2度も体験していながら *戦争を描く事をしなかった。特に第二次世界大戦では30代の出来事であり 自らも出兵し負傷している。それにバルテュスの知性からして 社会への発言や行動をとる事もできたろうに。しかしそれは戦争の愚かさを見抜き 一切を無視していたと言われている事を裏付けている。しかしこの頃の作品には ある種の暗さと緊張感が漂っているように思われるが これらはやはり避けがたい戦争などの社会状況が 反映しているからだろう。それに幼い頃に起きた父親の祖国の消滅と度重なる転居を体験しているし また父親との別居 その後の母と息子の関係 さらに自身の恋愛と苦しみ 結婚生活などもある。これらも具体的に描かれる事はなかった。これは明かにその時々の時代と自らの事を作品に持ち込まないようにしていたからだろう。これは多くの画家の持つ一つの特徴でもあるが バルテュスにおいてもそれは強固な作品制作における意図であり 基本的な立脚点である。しかし先のような私事とされた事柄も もしかしたら分かりにくい形で作品に反映されているかも知れない。バルテュスの作品は香り高く甘味な面も持つが 時に暗く厳しく 反発心や不信を底に秘めていると思われる作品もあるのだから。
1900年中頃までに起きた絵画表現の変革は それまでの写実表現に具象表現と抽象表現を加えた。そしてその後の1950年代以後にはさらに新たな表現方法が生まれている。これらの展開は大きな進展であり 表現方法の創出でもあった。しかしその主な傾向は絵画の描く対象を 人々の居る現実から離脱させ 形や色彩などによる表現の可能性を追求する事のみに 労を費やしたとも言える。またそれらはそれまでに行なわれた表現様式を否定する事で成立するといった面もあった。このような表現方法の創造の世紀にあって バルテュスも写実表現から具象表現へと移行しているが あくまでも描く対象は現実を基とした人や自然であった。これが絵画表現の変革の流れと異なるバルテュスのもう一つの重要な立脚点である。しかもそこに描かれた現実は現在という時間だけが示す世界だけではなく 過去を引き継いだ時の累積としての現実であり 描かれた人や風景もこの累積の中にある。もちろん他にも現実や人間と自然について描いた画家や主義もあるが 人の内面の奥に張りめぐらされた神経の微妙な襞を感じさせる点において バルテュスは他と一線を画しいる。そしてもう一方で自らの審美世界に耽溺する事なく美と醜を扱いながら 絵画の基本要素である形や色彩による構成を独自に試み 具象表現の可能性と限界も追求していた事も確かである。さらにバルテュスの表現は主題は厳選されていたが 表現様式は固定化されておらず 写実表現から具象表現への移行のみならず 重厚な乾筆の重ね塗りや色彩の鮮やかな薄塗りまで様々である。これもバルテュスの立脚点とも言えるだろう。 
つまりこの略歴と時代によって明かになるのは1900年代は様々な大きな出来事が起こり 表現方法の変革と創造の世紀であった。バルテュスはそのような時代の中にあって 自らの審美眼と独学によって絵画の魅力を追求したのである。そしてそのための重要な立脚点があり 一つは移り行く時代の変化を取り入れず 自らの事も私事として遠ざける態度である。もう一つは様々な表現が人の居る現実を描かなくなる中で あくまでも描く対象を現実とし その現実を時の累積した世界とし そこに在る人と自然を描こうとした事である。また表現様式の非固定化は 自らの様式を模倣する事を避けるためと思われる。これらはバルテュスが物事の本質と普遍性を得るために定めた重要な始点であるはずだ。
晩年のバルテュスは自らを伝統主義者であると言っているが *これは過去の絵画表現を否定する事によって起こる断絶ではなく むしろ過去の様々な絵画表現についての考察を継承し それを生かして より高い次元に至る道をさぐるべきだと考えていたからだろう。

*モロッコで兵役についていた頃を描いた作品があるが これは戦争そのものではなく 青春の思い出に近い。また第二次世界大戦中に描いた「犠牲者」と題する作品もあるが これも戦争と言うよりも死を主題にしていると思われる。
*カール・マルクス「意識の改革とは過去と未来との断絶と言った問題ではなく むしろ過去の諸思想を完成させると言う問題である。」この言葉の引用は0?0氏によって行なわれている。

第3章 作品解説

作品を解説する事は それらの理解を深め 制作者の考えを推し量ってみる事である。しかし気を付けねばならない事は見当違いや深読みのし過ぎである。これが解説の難しい所だが バルテュスの作品には見当はつくが核心が曖昧であるとか 深読みを誘いがちな特徴がある。作品は作者の考えや表現技術以上に 何かを成立させてしまう事もあるし 特に氏の作品は作者の意図がどこまで及んでいるのか 計り知れない所がある。しかしそれも表現者と作品の力量であり 容易な事でそのような広がりを持てるものではないだろう。また氏の作品の傾向は時期によって描法や作風が変化しており ここで重要なのは幼年期は最初の才能の発芽が見られ 初期はその芽の成長と本格的な制作の準備段階として重要であり 青年期はすでにそれまでに貯えた糧で花を咲かせている。そして大戦中とその後ではそれらを引き継き シャシーの時代では新たな展開を見せている。さらに壮年期のローマ時代では要職を兼任しながら作品内容を充実させ 晩年のロシニエールの時代では最終的な高みへ至り 大きな結実を見せている。

この章では一点づつの魅力を充分に味わいながら 各時期の特徴と全体の進展の様子も読み取り バルテュスの世界の全体像を理解していただきたいと思う。