330

「中世の時代に溯る。絵画の存在感」

P330。「トランプをする人達」 190×225㎝ F150号程度 1966-1973
久しぶりにトランプをする人々を描いた作品である。そしてこれはトランプを扱った最後の作品でもある。この作品を描き始めたのは 1966年で 完成したのは1973年であるから 7 年も要している事になるが それはローマ滞在中の公務を優先していたからで この時代の作品は他も同じように時間がかかっている。構図は P200の「トランプの勝負」とほとんど同じだが 大きな違いは左右の人物が反対になっている事で 右側に切り札のカードを差し出す女性が配置され 左側に椅子に足をかけて机の上に身を乗り出し勝負の行方に戸惑っている男性が描かれている。男性の背に回していた腕は前に移動し 胸の前で強く握られている。そして二人の顔はこちらに向けられ より単純化されている。他の違いは机の上に敷かれた布があり それが市松模様である事と机の手前に椅子が一脚置かれている点である。それから二人の服装は より時代離れしているように見える。また P200の「トランプの勝負」では光の効果によって敗者と勝者を明らかにしていたが ここではその効果は用いられていないので 二人の勝負の行方は説明されていない。この作品の注目すべき点は人物の顔の作りである。眉と目の間隔はなく 鼻梁とあわせるとT字型になっていて かなり図的である。そこには男女の区別はなく 雌雄同体に見える。男女の違いは髪形と衣服によって描き分けられている。この独創的で中世の時代を思い起こさせる顔は P311の「水浴をする人」を思い出させ  P221の「部屋」まで遡る事もできる。この図的な顔は やはり美と醜の関係を抜きに考える事は出来ない。様々な表現は常に美と言う大儀に収束されて語られるし 醜は美によって排除される悪であると捉えられている。しかしありきたりな美は現実性を失いやすく 醜は現実を引きづり過ぎる。この加減にバルテュスは果敢にも挑んでいる。そこでは醜を滑稽なものと転換しながら その滑稽さに潜む奇妙と言う解釈不能の魅力を発見している。これは P221の「部屋」ですでに獲得されていたし 「部屋」以前にも描かれている。つまりバルテュスの審美眼の複雑さと特徴はここにある。またバルテュスの作品の幅の広さは この美と醜の間の移動でもある。 
色彩は全体に渋い色調に押さえられて古色めいている。絵具の質感による重厚さは復活し その画肌は充実している。この画肌で重要なのは 二人の人物の背後に施された塗り方である。これは作品に重みと厚みを与えているが それだけでなく まるで風雨に晒された外壁の持つ時間の蓄積をも感じさせる。そしてこれは絵画作品のみではなくヴィラ・メジチの壁面を改修する時に使われた独自な手法でもある。これはバルテュス壁と呼ばれローマ近郊のモンテ・カルヴッェロの古城の修繕にも使われているし ローマのフランス大使館とバチカンのフランス大使館もこの手法を用いて改修されている。
全体の構成は堅牢で 青年期の構成に見られた潔癖さに通じるものであり それはトランプの勝敗を超えて二人の関係にある緊張感を利用した構成というより 構築された世界としてみる事ができる。しかしこの作品は一度 完成した後で手直しをされている。手直しが入った場所は細部で 男性の上着の切り込み 机の上の器 女性の衣服が長袖になる テーブルの市松模様の入れ方などである。この細部の削除と変更によって画面全体はより明確になり 時間を超えた中世的な雰囲気の中に合理性を与えている。この修正は作品により一層の完成度をもたらした。それはまるで堂々と時間の流れの中に建ち続ける建造物のように構築されている。

*美と醜 「醜の美学」カール・ローゼンクランツ著 1853年刊行の古典的な大著であり そこには「芸術は醜を滑稽に転化させる事で 美の普遍的な法則に従わせ 醜は喜劇として転用される」とある。