1955年 47才 ジャコメッティやピエール・マチスなどがシャッシィの館を訪問する。「夢1」「起床」「樹のある大きな風景 (三角の畑)」などを制作。
モーリス・ブランショ「文学空間」刊行。ジャスパー・ジョーンズ「石膏型のある標的」。

1956年 48才 パリのガセット・デ・ボザール画廊とニューヨーク近代美術館で個展を開催。「黄金の果実」「トランプ占いをする女」「夢2」などを制作。ジャコメッティのアトリエを訪問する。ソ連が東ヨーロッパに内政干渉し共産化していく。ポーランドとハンガリーで反ソ連暴動が起きるが鎮圧される。
リチャード・ハミルトン「いったい何が今日の課程をこれほどに変え魅力あるものにしているのか」。
ジャクソン・ポロック死去44才。

1957年 49才 ニューヨークのピエール・マチスの画廊で個展。「黄金の午後」「化粧」「風呂上がり」などを制作。ソ連が世界初の人工衛星スプ−トニクスを打ち上げる。マーク・ロスコ「青の中の白と緑」。

1958年 50才 イタリアで初の個展を開催。トリノのガレリア・ガラテアとローマのロベリコス画廊にて。「窓際のバラの花束」「ロートシルド男爵夫人の肖像」などを制作。フランスでド・ゴールの第5共和政が成立。アンジェイ・ワイダ 映画「灰とダイアモンド」公開。アレクサンダ−・コ−ルダ−「螺旋」。1959年 51才 ジャン=ルイ・バロ−演出のシェイクスピア「ジュリアス・シーザー」の舞台装置と衣装を担当。

「蛾」「羊小屋」「農地」などを制作。

1960年 52才 シャッシィの樹木と館を描いた「風景」や「少年と鳩」などを完成させる。
ジャコメッティのアトリエを訪問。
イヴ・クライン「人体測定」。

*ローマの時代1961-1977 53才-69才 19点60年代と70年代はイタリア ローマのアカデミー・ド・フランスの館長として赴任し16年間に渡って滞在する。この館長職はド・ゴール政権下の文化大臣であったアンドレ・マルローの要請による。しかし他の候補者に非難されるが 逆に注目を浴びる事で作品の評価が高まる。館長としてはヴィラ・メジチの館と庭園の修復と改修を行なう。この時に施した壁の仕上げ方はバルテュス壁として高い評価を受ける。また文化交流として様々な展覧会を企画し コロー ロダン アングル クールベ ジャコメッティ ボナール ブラック ドラン展などを開催する。画家としての作品は少なく 椅子に座る娘 トランプをする人達 身支度をする裸婦などを描くが その中では日本の古典絵画の様式を取り入れた作品もある。この時に描いた日本人女性と再婚する。作品に新たな展開が見られ 晩年のさらなる試みが始まっている。この時期の重要な作品「トルコ風の部屋」「トランプをする人々」「赤い卓と日本の女性」「黒い鏡を見る日本の女性」「読書するカティア」「横顔の裸婦」。
このローマ時代の60年代には商業的な表現を利用したポップアートが起こる。また70年代前後は行動や行為そのものを作品化するハプニングが起こり さらにそれはパフォーマンスに発展する。また最小限の表現要素のミニマル・アートや考えそのものを作品とするコンセプチュアル・アート 映像のヴィデオ・ア

ート 屋外に巨大な制作物を作り出すラウンド・アート 写真を再現したような写実表現のフォト・リアリズムなども興っている。

1961年 53才 ローマのヴィラ・メジチ館にあるアカデミー・ド・フランスの館長に就任。館の改修と修復を開始し 展覧会を企画する。「サクランボの籠」制作。ソ連が世界初の有人宇宙飛行に成功し 搭乗者のガガリーンは「地球は青かった」と感想を述べる。東ドイツがベルリンに東西を分断する壁を作る。モ−リス・ルイス「近づいてくる」。

1962年 54才 パリで開催予定の「日本の古美術展」の作品選定のために日本に派遣される。この時に出田 節子と出会う。ニューヨークのピエール・マチス画廊で個展「バルテュス 油彩画 1929−1961」開催。「皿の中の果物」などを制作。ローマでフェデリコ・フェリ−ニなどと親交を深める。アメリカでキューバ危機おこる。
アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」。

1963年 55才 ローマにて節子嬢をモデルにした「トルコ風の部屋」の制作を始める。アメリカのニューヨークとシカゴなどで展覧会が巡回される。アメリカ大統領 J・F・ケネディ 暗殺される。ロイ・リクテンスタイン「whaam」。

1964年 56才 1959年より描き始めていた「三姉妹」を完成させ 他の「三姉妹」を2点制作する。東京でアジア初のオリンピック大会が開催される。ヤーコブ・アガム「二重の変貌2」。

1965年 57才 制作は「トルコ風の部屋」のみを続ける。ヴェトナム戦争 ヴェトナムの共産化を阻止するためにアメリカが介入する。ル−カス・サマラス「椅子」。ヨーゼフ・ボイス「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」。

1966年 58才 パリの装飾美術館で回顧展 その後ベルギーに巡回。シカゴのホーランド・ギャラリーにて「素描展」。ニューヨークのアルバート・ロエブ&クルージャー画廊で「ジャコメッティとバルテュス展」を開催。「トルコ風の部屋」を完成させ 次いで「トランプをする人々」の制作を開始する。親友であったジャコメッティ急逝 64才。
中国で文化大革命が始まる。
ジョ−ジ・シ−ガル「簡易食堂」。河原 温「日付け絵画 当日のシリーズ」。

1967年 59才 出田 節子と結婚。節子夫人をモデルにした「黒い鏡に向かう日本の女性」と「赤い卓と日本の女性」の制作を開始する。ニューヨークのピエール・マチス画廊で「トルコ風の部屋」「三姉妹」を発表。ビィラ・メジチ館の庭園の改修を始める。デイヴィッド・ホックニ−「大きな水しぶき」。

1968年 60才 ロンドンのテート・ギャラリーにて回顧展。節子夫人との最初の子である文夫 誕生する。「読書するカティア」の制作を開始。