1941年 33才 春に妻の実家であるベルンのワトヴィル家に滞在。「シャンプロヴァンの風景」「客間」などを制作。「ブランシャ−ル家の子供達」をピカソが購入する。
ドイツ軍がソ連に侵攻。日本もハワイを奇襲し 日本とアメリカの太平洋戦争が勃発。日本と協定を結ぶドイツ イタリアもアメリカに宣戦布告する。
ヘンリ−・ム−ア「王と王妃」。

1942年 34才 ベルンに次いでフリーブールに転居。長男スタニスラス誕生。「客間2」を制作。「シャンプロヴァンの風景」を手直しする。アメリカとソ連などの連合国軍がヨーロッパ戦線に参戦する。アルベール・カミュ小説「異邦人」刊行。ジョセフ・コーネル「メジィチのスロットル・マシーン」。

1943年 35才 スイス ジュネーブのモース画廊で個展。「一人占い」「ゴッテロン渓谷」などを制作。イタリアは連合国軍との間に休戦協定結び 降伏する。ピエト・モンドリアン「ブロドウェイ・ブギブギ」。

1944年 36才 次男タデ誕生。パリでピカソを訪問。「緑と赤の若い娘 (燭台)」「美しき日々」のための習作などを制作。連合国軍がフランスのノルマンデーに上陸 ドイツ軍への反撃が本格化し パリは解放される。ア−シル・ゴ−キ−「肝臓は雄鶏のとさか」。ロバート・キャパ「1944 6月6日ノルマンティ−上陸」。

1945年 37才 9月からスイス ジュネーブ近郊コロニーのヴィラ・ディオダティに家族と共に転居。アンドレ・マルローや出版人のアルベルト・スキラと知り合う。「12才のマリア・ヴォルコンスキ王女」「猫と若い娘」などを制作。連合国軍がドイツに侵攻。ヒトラーは自殺しドイツ軍は無条件降伏をする。これによってヨーロッパ戦は終る。日本の2ケ所に原子爆弾が投下され 日本も無条件降伏する。6年にもおよぶ第二次世界大戦 終結。

1946年 38才 アントワネットと別居して単身バリにもどる。ボザール画廊で戦後初の個展を開く。
 アンリエット・ゴメスの企画。「美しき日々」「犠牲者」完成。
ジャン・コクトー映画「オルフェ」公開。フランシス・ベーコン「マグダレーナ」。

1947年 39才 南仏を旅行し ゴルフ=ジュアンに滞在。ピカソ マティス ラカンと顔を会わせ ロランス・バタイユと知り合う。「ジャクリーヌ・マティスの肖像」「地中海の猫」の習作などを制作。

1948年 40才 パリのマリニー劇場でアルベート・カミュの「戒厳令」上演。舞台装置と衣装デザインを担当する。演出ジャン=ルイ・バロー 演出・音楽アルテュール・オネゲル。「トランプをする人々」「金魚」「身支度をする若い娘」「週に四日の木曜日」などを制作。アンドリュー・ワイエス「クリスティナの世界」

1949年 41才 パリのオデオン広場のレストラン「地中海」のために「地中海の猫」と「伊勢海老」を制作。ボリノ・コフノのバレエ「画家とモデル」の舞台装置と衣装を担当。ニューヨークのピエール・マチス画廊で個展。カタログ序文はアルベール・カミュ。父エリックが南仏のサナリーで死去 71才。亡くなる前に父から引き継ぐべき家系の話などを聞く。

中国が共産化し中華人民共和国となる。
フェルナン・レジェ「ルイ・ダヴィットへのオマージュ」。

1950年 42才 エクス・アン・プロヴァンスで行なわれた音楽祭で「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台装置と衣装を担当。「猫と裸婦」「ジャコメッティの肖像」の素描などを制作。ジャクソン・ポロック「ラヴェンタ−・ミストの花」。

1951年 43才 カエターニ家の客としてイタリアに向かい セルモネータの中世の城に滞在しローマやヴェネツィアを訪れる。「イタリアの風景」「ボリス・コフノの肖像」などを制作。アルベルト・ジャコメッティ「犬」。

1952年 44才 ロンドンのルフェ−ル画廊にてイギリスで始めての個展を開催。「部屋}「コメルス・サン・タンドレ小路」の制作を始める。

*シャシー時代1953-1961 45才-53才 94点50年代のほとんどはシャシーに転居し8年間住む。この農地の広がる地方では 多くの野外風景を描き その多くは場所を限定した画面構成を追求した風景画であり また穏やかな陽光に満ちた窓辺にたたずむ娘なども描いている。三角の畑にある謎めく存在を描いた作品もある。同時にそれまでの画題であるトランプをする人々や身支度をする裸婦 寝姿などを描き 果物や花を描いた静物画もある。戦後の復興期であることと風土のもたらす気候のおかげで 色彩は明るくなり 完全に具象表現に移行する。この時期の重要な作品「シャシーの風景  (農場の中庭)」「樹木のある大きな風景(三角の畑)」「窓辺の若い娘」「夢 1、2」「羊小屋」「シャシー農場の中庭 (樹木のある大きな風景)」。1945年に終結した大戦のあと世界の状況はさらに変化する。大戦の戦勝国であるアメリカとソ連は巨大化して世界の主導権を得るが その後この2つの超大国のにら見合いによる冷戦が始まる。しかし他の先進国は復興を果たし 徐々に人々の生活は豊かさを取り戻していく。自動車の普及率は高まり テレビ 冷蔵庫 洗濯機などの電化製品やガス水道などの公共施設も普及し 大量生産と大量消費が押し進められて行く。
戦後の美術界でも1950年頃からアメリカを中心とした抽象表現が活発化し ポロックなどを代表とするアクション・ペインティングが現れる。また新たな否定を試みるネオ・ダダや写実主義を見直すヌーボー・リアリスムが出現する。

1953年 45才 パリから離れ ブルゴーニュのモルバン地方にあるシャシーの館に転居。ウーゴ・ベッティの「雌山羊の島」舞台装置と衣装を担当。「モルヴァンの小風景」などを制作。ソ連でスターリン 死去。遺伝子の二重らせんが発見される。ジョルジュ・マチュウ「絵画」。

1954年 46才 シャッシィの館に兄の義理の娘であるフレデリック・ティゾンを引き取り 共同生活を始める。本格的に風景画に取り組み フレデリック嬢の肖像画も多く制作する。「シャシーの農場の中庭」「横顔のコレット」などを制作。ピアリッツの友人宅に滞在しその家の三姉妹をモデルにする。画商のコンソ−シアムが作品の買い上げを行なうようになる。
「部屋」「コメルス・サン・タンドレ小路」完成。
フェデリコ・フェリーニ映画「道」公開。アンリ・マチス死去85才。