とする。ジョ−ジア・オキ−フ「黄色いサボテンの花」。

1930年 22才 ワトヴィル家で夏を過ごし 幼なじみのアントワネットと再会し 恋に落ちる。モロッコのケニトラおよびフェズで15ヵ月間の兵役につく。「座っている若い娘 (アントワネット)」を制作。
当時モロッコはスペインとフランスの植民地であり 先住民と争いが絶えなかった。ル・コルビュジェ「サヴォワ邸」。エドワ−ド・ホッパ−「日曜日の早朝」。

1931年 23才 モロッコの兵士や馬などを素描し「兵舎」の下描きを描く。12月に兵役を退役。サルバドーレ・ダリ「記憶の固執」。

*青年期1932-1938 24才-30才 制作作品数54点24才から31才の7年間。生涯を通した代表作となる作品を描いた時期で そのほとんどは最初の個展に発表した作品であった。これらは写実表現を基にしているが 具象表現による「嵐が丘」の挿し絵も描いている。裸婦などの人物像は挑発的な性の露呈を示し 風景画の「ラルシャン」では宇宙感にも通じる広大な空間を描き その早熟さは過激でもあった。29才の時に幼なじみのアントワネットと結婚している。この時期の重要な作品「嵐が丘」の挿し絵。「鏡の中のアリス」「街路」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」「ラルシャン」。

1932年 24才 ベルンで夏を過ごし ベルン歴史美術館でヨーゼフ・ラインハルトの作品「スイス農民の民俗衣装」を模写する。パリに戻った後は友人のレリス夫妻と共同生活をする。アンドレ・ドランと知り合う。「乗馬服を着た少女」を制作。ベン・シャーン「サットとヴァンゼッティの受難」。

1933年 25才 パリに最初のアトリエを持つ サン=ジェルマン=デ=プレ フュルスタンベルグ街四番地。アンドレ・ブルトン ポール・エリュアール アルベルト・ジャコメッティ アントナン・アルトー ピエール画廊のオーナーのピエール・ロエブと知り合う。エミール・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿し絵を描く。モデルはレリス夫妻だがバルテュスとアントワネットの姿でもあった。「鏡の中のアリス」などを制作。ヒトラーがドイツの首相になり ナチズムが台頭し ユダヤ人への迫害が開始される。
ピエ−ル・ボナ−ル「庭に面した中庭」。

1934年 26才 4月にパリのピエール画廊で初めての個展を開く。「街路」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「鏡の中のアリス」「窓 (幽霊の恐怖)」「兵舎」などを発表。アントナン・アルトーが作品についての評論を「新フランス評論」に発表する。当時は新たな表現としてシュールリアリズムが注目されていたが その中にあってこれらの作品は挑発的な内容と共に大きな反響を得る。しかし生涯を通じてこれらの作品の印象がついて回る事になる。婚約者のいたアントワネットとの恋愛がうまくいかず 自殺未遂と思われる行動を取る。ピカソがアトリエを訪れる。シャンゼリゼ劇場のシェイクスピア「お気にに召すまま」(翻訳ジュール・シュベルヴィエル 演出ヴィクトール・バルノフスキー)のために舞台装置と衣装を担当する。

1935年 27才 パリのワグラム劇場でアントナン・アルトーの「チェンチ一族」上演。舞台装置と衣装を担当する。「レディ・アブディの肖像」「猫達の王」「シェイラ・ビッカリングの肖像(猫達の女王)」「ムーロン・カサンドル一家」「レリア・カエターニ」などを制作。「嵐が丘」の挿し絵シリーズの一部が雑誌「ミノトール」に掲載される。同じ地区のロアン小路にアトリエを移す。毛沢東 中国共産党の指導者になる。カッサンドル「ノルマンディ号」ポスター。

1936年 28才 「山 (夏)」「アンドレ・ドランの肖像」「ノアイユ子爵婦人の肖像」「テレーズの肖像」「ロジェと息子」などを制作。この頃ピエール・ロエブの紹介で肖像画の依頼を受ける。「街路」がジェ−ムス・スロ−ル・ソビーに購入される。ロンドンのランド・ハンフリーズ書店にて「嵐が丘」の挿し絵を展示。幾たびかロンドンを訪問。ドイツ軍がフランス・ベルギー間の非武装地帯に侵攻。アメリカでライフ誌 創刊。ヴァシリィ・カンディンスキ−「コンポジションIX」。

1937年 29才 幼なじみのアントワネット・ド・ワトヴィルと結婚。「ブランシャ−ル家の子供達」「白いスカート」「山 (夏)」などを完成させる。ジョアン・ミロの50才の誕生日のための肖像画を依頼される。
パブロ・ピカソ「ゲルニカ」。1916-37ジョルジュ・ルオー「老いたる王」。

1938年 30才 初のニューヨークでの個展 ピエール・マチスの企画による。以後ニューヨークでは1977年までに6回開催。ピエール・マチスはアンリ・マチスの息子である。「ホアン・ミロと娘ドロレスの肖像」「夢見るテレーズ」などを制作。ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合。ジャン・ポール・サルトル小説「嘔吐」刊行。

*第二次世界大戦中と戦後の時代。1939-1953 31才-45才 制作作品数106点1939年に始まった第二次世界大戦とその後の13年間。戦争に動員されるが負傷し その翌年にシャンプロヴァンへ家族と共に疎開するが 2年後にはここも離れ各地に転居する。この時期は戦争からの疎開で不安定な時期であったが 何枚もの大作を描き これらも代表作となっている。写実表現を会得しながら 徐々に具象表現への移行を見せていく。この時期の重要な作品「「シャンプロヴァンの風景」「ゴッテロン渓谷」「美しき日々」「身支度をする裸婦」「赤い魚」「部屋」「コメルス・サン・タンドレ小路」。

1939年 31才 アルザス戦に動員されるが ラ・サールにて地雷の爆発により負傷し 12月にパリにもどる。「犠牲者」の制作を開始し 「長椅子の上のテレ−ズ」「ラルシャン」などを制作。第二次世界大戦が勃発。ドイツ軍の侵略はポーランドにもおよび これに対してイギリスとフランスがドイツに宣戦する。
パウル・クレー「美しき女庭師」。

1940年 32才 フランスのサボォワ地方のシャンプロヴァンへ妻と共に転居。「自画像」「サクランボの木」などを制作。
ドイツ軍がデンマーク ノルウェー ベルギー オランダ ルクセンブルグを占領し フランスも降伏する。ポ−ル・デルヴォ−「街の入口」。