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P174。「赤い魚 (蝋燭を持つ幼女と赤い魚)」 82×84㎝ S25号程度 キャンバスに油彩 (1948)
幼い赤子のよう子供が 好奇な眼で丸いガラスの器に入っている赤い魚を見つめている。幼子の片方の手に握られているのはロウソクのようで もう一方の手も親指を出しているが握られている。赤い魚は一匹でテーブルの上に乗せらた丸いガラスの器に入っていて テーブルには重厚な緞帳のような布が敷かれている。手前の少し引かれた椅子には猫が一匹おり こちらを向いて笑っている。日々の暮らしの中でこのような生き物がささやかな喜びをもたらし 人の心を和ませる事はよく行なわれるが この幼子にとって この生き物は単なる小さな魚ではなく 新鮮で驚くべきものに見えているだろう。それは大人にとっても同じで 当時はこのような赤い魚は珍しい異国の生き物であったはずだ。しかし猫にとっては美味しい食べ物 または格好の遊び相手である。だから彼は笑っている。
しかしこのように説明とは別に この絵はどこかしら奇妙で全体に妙な暗さと重さ そして可笑しみがある。丸い顔と丸いガラスの器 重々しい緞帳の質感と背景の暗さ テーブルの面が水平に見えるほど下げられた視点 人のように笑う猫 そしてテーブルの向う側にいる幼子の足がない・・・描かれていない。それはこの作品を小さな生き物がもたらすささやかな喜びと幼子の無垢な好奇心で終らせないための工夫だろう。その工夫のためにこの赤い魚は 無限にも思える時間の中で育まれた 生命の起源を思い起こさせたり 魚の入っているガラスの器が まるで小宇宙のようにも見えてくる。つまり幼子と赤い魚の素直でささやかな世界は 実は巨大な暗黒の宇宙に包まれているとでも言いたそうである。
そもそも東洋ほど魚になれ親しんでいない文化圏では その血液より鮮やかな赤い色は好奇心を越えて 生き物の人知を越えた存在の不可思議と小さいながら一種のおぞましい怪奇なものに見えたかも知れない。
つまりここにもバルテュスの本質をつく独特な感性が現れている。

赤い魚は中国原産の金魚の一種で16世紀頃から作られ 他国へも輸出された。西欧では中国趣味(シノワズリー)として17、18世紀に流行している。