第2章 略歴と時代

この章ではバルテュスの略歴に並記して その時々の時代に起こった主な出来事と他の作家の作品を記している。これはバルテュスと時代の関係を確かめるためである。例えば彼の幼年時代には第一次世界大戦が起こっているし 31才の年には第二次世界大戦が勃発し37才まで続いている。また戦争以外の社会の出来事も戦後の復興や経済を中心とする資本主義の邁進 共産主義の誕生と崩壊 または宇宙開発などと様々な出来事が起こっている。また表現の世界でも1800年後半から それまでの写実表現に対して印象主義などによる具象表現が出現し さらにキュビズムなどを通して1950年頃までに抽象表現が確立される。さらにその後は伝統的な表現を越えた新たな表現様式が 数々と誕生した。そのような時代の変革の中で バルテュスはいかにあったのかを検討する事も彼を理解する上で欠かせないはずである。

1908年2月29日 クウォソフスキ−家の次男としてパリに生まれる。父はエリック・クウォソフスキー(1875-1946)。母はエリーザベト・ドロテア・スピロ 通称バラディーヌ(1886-1969)。二人兄弟の兄はピエ−ル・クウォソフスキ−(1905-2001)。バルテュスという名は愛称で 本名はバルタザ−ル・ミシェル・クウォソフスキ−・ド・ローラである。バルテュスは自らの誕生日が4年に一度の閏年なので 人の四分の一しか年を取らないと面白がっていた。またクロソフスキーではなくクウォソフスキーが正しく クウォスとはスラブ語で麦の穂という意味であると本人が指摘している。父エリックはポーランド貴族の流れをくむ旧家の出で 美術史家であり画家でもあった。著作に「オノレ・ドーミエ」がある。母バラディ−ヌも絵を描き多才で社交的な人であった。兄のピエ−ルも作家であり画家でもある。主な著作には「ロベルトは今夜」などがある。
バルテュス氏が生まれた1908年は20世紀の始まりの頃だが それ以前の1800年代に起こった大きな社会変化であった産業革命を引き継いでいた時代だった。産業革命は1800年初頭にイギリスに興り ベルギー フランス アメリカ 日本の順に成し遂げられたのだが それは科学と技術による様々な発明によって成されたものである。1800年代の主な発明には写真機 ミシン 電話 タイプライター ガソリン自動車 動力付き織り機などがあり コれ以前にはすでに蒸気機関車もあった。こうした技術革新に対して国や民間の資本が投資され 次々と新たな事業と興り それまでになかった巨大な産業形態が作られた。また人と物資を運ぶために自動道や鉄道が整備されていき 海上では船舶の建造技術の向上によって より安定した海路が得れるようになる。これらと共に医療の充実などによって人口は増大し 大量の労働力を得る事ができるようになる。人々を養うための農業も革新され生産量は増大されていく。こうした産業革命に成功した国は近代化を果たし 先進国と呼ばれる。
また先進各国は工業生産に必要な原料を手に入れるために アフリカやアジアなどの他国に次々と植民地を作っていく。こうしてさらに国力を得て強国となった国々は 他の先進国との勢力争いを展開するようになる。これが後の2つの大戦の原因となる。
第一次世界大戦は1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺され これを契機にヨーロッパ各国を巻き込む大戦が起こる。そして1918年まで続く。この戦争はドイツ オーストリア オスマントルコの同盟軍対イギリス フランス ロシアの連合軍との間で行なわれ 人類史これまでにない規模の戦争であった。この時バルテュスは6才から10才までの時期にあたる。この戦争は近代化を果たした国の工業力と開発力の戦争でもあり 様々な新しい兵器が開発され使用された。機関銃 火炎放射器 毒ガス そして1886年に内燃機関を持った自動車が発明されたが これは軍用車や戦車などに応用された。また1903年にライト兄弟が始めて飛行に成功した飛行機も攻撃機や爆撃機として実用化される。さらに造船技術は鋼鉄製の軍艦や魚雷を発射する潜水艦を作り出す。これらの殺戮兵器の発明は産業革命による新たな時代の構築を夢見る人々を 絶望の底に陥れる結果となった。この大戦による死亡者は約1000万人で 負傷者は約

2000万人であった。そして戦場となった国々の国土は荒廃し国力は衰え 勝戦国であったロシアは その後革命によって共産主義となりソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)となり 敗戦国のオスマン帝国はトルコ共和国に変わっている。また主犯国であったドイツは莫大な賠償金を負う事になり これが第二次世界大戦を起こす遠因ともなる。
バルテュスの父親エリックの祖国はポーランドだが この国は第一次世界大戦前の1914年にはドイツとロシアなどの領土になり滅亡し その後に復活するが それは1945年に終結した第二次世界大戦の後である。つまりクウォソフスキ−一家はこの間 自らの家系の地である祖国を失うのである。また両親はドイツ国籍であったために家族と共にスイスなどに転居している。
さらに21年経った1939年には前回よりも大きな世界的な大戦が勃発する。この第二次世界大戦はヒトラー率いるドイツ軍によって引き起こされ イタリアなどの参戦によって その周辺国との大戦になり ヨーロッパ諸国は占領され ソ連への侵攻が行なわれる。そして戦火はイギリスの統治下にあったエジプトや北アフリカでもおよび さらに日本軍のアメリカへの宣戦布告によって 太平洋戦争も勃発する。ドイツとイタリアなどの国もアメリカに宣戦布告し 戦争の規模はより拡大する。しかし戦争が長引くにつれ 占領国のドイツ イタリア 日本などの戦力は弱まり アメリカ軍とソ連軍を主とする連合国軍がヨーロッパ戦に参戦する事で終息に向かう。イタリア軍の降伏 ついでヒトラーの自殺によってドイツ軍は無条件降伏 その後日本も無条件降伏して第二次世界大戦は1945年に終結する。この大戦はバルテュスの31才から37才の時期にあたる。この戦争による犠牲者は約5000万人 ロシアが約2000万人 またナチスによる強制収容所では約1000万以上 その内約600万人のユダヤ人が大量虐殺された。また日本に落とされた2つの原子爆弾によって約40万人の民間人が犠牲者となる。バルテュスも1939年のアザルス戦で負傷している。つまりこれらの戦争は産業革命に成功して先進国となった国々の主導権と利権の争いであり さらに民族主義がからんだ過去に類を見ない大きな戦争であった。

バルテュスの画家としての期間は非常に長い。長寿であった事がその理由であるが そのわりに作品点数は多くない。制作期間を時期的に分けると7期に分けられる。幼年期1920以前 1-12才。初期1920-1931 12-23才。青年期1932-1938 24-30才。第二次世界大戦とその後の時代 1939-1953 31-45才。シャシーの時代1953-1961 45-53才。ローマの時代1961-1977 53-69才。ロシニエールの時代1977-2001 69-93才。この分類はガリマ−ル社刊行で監修ジャン・クレールのカタログ・レゾネに準じているが 主に住んだ場所によって分けられている。屋外風景などは転居先の環境を描く事が多いので この分け方を採用している。しかしここでは第二次世界大戦とその後の時代を1939年からにしている。これらの7つの時期にはそれぞれ特徴があり 同じ画題を繰り返す事も多いが 表現描法や画面構成と色彩などは年代によって変化している。そしてこの頃の西欧絵画は印象派を経て 後期印象主義のゴッホ ゴーギャン セザンヌが活躍した後で アールヌーヴォーとフォーヴィズムの全盛期であり マティスもピカソもすでに活躍していた。またピカソはバルテュスが生まれる前年の1907年にキュビズムの始まりを示す「アヴィニヨンの娘達」を描き セザンヌは1906年に死去している。印象派が現れる以前の1800年代は アングルを代表とする古典主義やドラクロアを筆頭とするロマン主義 そしてクールベの写実主義が隆盛を誇っておりこれらは皆 写実表現であった。
1908年前後の主な作品。1842ジャン=オギュ−スト=ドミニク・アングル「奴隷のいるオダリスク」。1849ギュスタ−ブ・ク−ルベ「オルナンの埋葬」。1861ウジェ−ヌ・ドラクロワ「獅子狩り」。1863エドゥワ−ル・マネ「オランピア」。1860-62オノレ・ド−ミエ「3等車」。1872クロード・モネ「日の出−印象−」。1889フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」。1894ポール・ゴーガン「神の祝日」。1894エドヴァルト・ムンク「思春期」。1904-1906ポール・セザンヌ「サント・ヴィクトワ−ル山」。1900エクトール・ギマール「パリの地下鉄入口」(アール・ヌーボー)。1905-1907アントニォ・ガウディ「カサ・ミラ」(建築)。