123

「天と地の狭間にあるもの」

P123。「ラルシャン」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1939
これはB氏の風景画の中で最初に大きな成果を示す作品である。B氏の風景画はP102の「山 (夏)」から P115の「断崖」をへて P134の「牛のいる風景」そして P135の「シャンプロヴァンの風景」へと至るのだが その流れの中で「シャンプロヴァンの風景」より先に一つの頂点に至る作品が この「ラルシャン」である。ここには大地と空の広大さある。それは見る者に果てしない無限を思い起こさせるが それと同時にそこには有限としての世界が描かれているように思える。
この水平線は空間という壮大な広がりを真横に切って天と地に分けたように描かれている。その思いきった行為こそが力であり そこには確かにB氏の意志というものがある。しかしそれはあくまでも静かで息を潜め 天と地の間にあって全ての出来事と物音を吸い取るほどに沈黙している。きっとあの教会の塔のみが何かを告発しているにちがいない。
この作品は青年期に描かれた 7点目の風景画であるが あまりに突出している。自然界を描いて一つの頂点を示したP135の「シャンプロヴァンの風景」に至るまでの過程では 曲線の構成と自然界に何を見出せるかに苦慮した感があるが ここでは曲線ではなく今まで使い慣れた直線による構成を用いて成功したと考えられるが もっと他に何かがあったのではないだろうか。
1939年と言えば 9月1日にヒトラー率いるドイツ軍が それまでの侵略的な政策をさらに押し進めて ポーランドに進撃した年であり その 2日後にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まっている。第一次世界大戦の傷が癒えきれぬ前にまたも戦争が起こり 前回にも増して巨大な破壊力を持った兵器を使っての戦争である。もちろんポーランド出身の家系と両親を持つB氏にとって対岸の火ではありえない。その苦悩と不安こそ この絵に反映しているのでないだろうか。B氏は自らの作品に個人的なものを直接的に描く事はしない。表現を個人性から切り離して捉えて 個人を超えた本質の提示であると考えてる。そのようなB氏がこのような世界を巻き込む巨大な濁流に対して答えたのが この絵ではないか。ここでの無限と有限とは それでも時間と空間という希望は存在し 有限とは限界でもあるが 繰り返される悲惨に対する諦観であろうか。
ちなみに中央の教会はノートルダム寺院と同じ時期に建てられたセント・マーチン教会で 16世紀末まで悪魔に取り付かれた人や精神病者が奇跡的に治る巡礼地として多くの人々が訪れた。宗教戦争の時にプロテスタントの信者によって焼かれ 長い間 崩壊した状態のまま残されていた。