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「行き違う男女の葛藤」

P74。「キャシーの化粧」 165×150㎝ S100号程度 キャンバスに油彩 1933
この作品も青年期の代表作の一つで初個展に出品されている。同じ年にエミリ−・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿し絵を描いていて その挿し絵の一部に同じ図柄があるので この作品は「嵐が丘」の一場面の油彩版である。ガウンを羽織った裸体姿の女性は髪を梳いてもらいながら怒ったような表情を見せ 椅子に座る男は顔をそむけて陰鬱な表情を見せている。この物語性がある絵は興味深く 一体どういう状況なのだと見る者の関心を強く引きつける。「嵐が丘」はキャシーとヒースクリフが子供時代に育んだ共生と共に引き合う気持ちが大人になるにつれ行き違い 最後は悲劇に終る話であるが この場面は二人の悲劇の始まりを描いている。キャシーは贈られた衣装を着て夜会に出たいのだが ヒースクリフはそれをやめさせたい。キャシーはヒースクリフとの深い結びつきと彼の愛情も知っていたが 大人になるに従って豪奢な衣装や裕福な人々の世界に強く引かれるようになる。孤児で養護人のもとで暮らしているヒースクリフには そのようなキャシーの欲求を満たす資産も地位もない。純粋な愛情しか持たないヒースクリフは悩み 憂い 怒り 戸惑うがなす術を持たない。キャシーも自らの欲求と彼との愛に悩むが ささいな出来事から彼は誤解して家を出る。これが二人の悲劇の始まりであり この絵の主題でもある。この絵ではヒースクリフは贈られた衣装を着ようとするキャシーに「二人の愛でなく 己の虚栄心を満足させたいだけだ。」とキャシーの欲求を否定するが キャシーは「美しくありたいと思う気持ちも罪なの。」と自分の欲求を満たしてくれないヒースクリフに反論する場面が描かれている。キャシーの意固地な気持ちとヒースクリフへの反発はそっぽを向いた硬い表情と尖って別々な方に向く乳房によって表されている。それに対してヒースクリフは陰鬱そうな暗い色調で描かれ 成す術を持たぬ我が身を責めるように 気難しい表情でキャシーから顔と身体を背けている。怒りは胸の前の腕にこもるが動かせない。
例え「嵐が丘」の話を知らなくともこの絵は理解しあえない男と女の心理を描いたものと分かるはずだ。このような二人の心理的な状況を絵画化するのは容易な事ではない。状況の設定 互いの表情と身振り 色彩の使い方などを上手く使いこなさねばならない訳だが ここではそれらが見事に上手くいっている。キャシーの足元の絨毯は豪奢な生活への憧れを象徴しているのだろう。また二人の深刻な関係に加わっている家政婦エレンの描き方が面白い。真横に描かれたエレンは平面的でキャシーとの造形関係に不自然さがあるが これが一種の奇妙さまたは可笑し味を生んでいるように見える。このエレンの異なる描き方は一種の組み合わせの妙で 深刻な中に他の要素を入れる事で単なる状況と心理の説明に終らせない工夫だろう。このような複雑で多様な解釈を生む手法はバルテュスの作品の魅力でもある。