*幼年期 1920以前 1−12才まで 制作作品1点
油彩画を描く前の幼年期である。6才から10才までの間は第一次世界大戦があり 各地に転居している。8才から11才にかけて具象表現による「ミツ」を描いている。これは13才の時に リルケによって「ミツ−バルテュスによる40枚の絵」と題して刊行される。これが最初の公にされた作品で 才能の発露はこの頃から始まる。

1908−14年 1才−6才 第一次世界大戦が勃発するまでの時期で転居が多く パリのポワソナ−ド街 ラ・グランド・ショミエ−ル街 フロワドヴォ−街 サン=ジェルマン=アン=レイで過ごす。両親は豊かな教養と強い自尊心を持った人物であったから それは当然 息子達に引き継がれたはずである。
1914年第一次世界大戦 勃発。クウォソフスキー一家はドイツ国籍のためパリを離れドイツへ向かう。1909エ−ゴン・シ−レ「自画像」。1910アンリ・ルソ−「夢」。1910アンリ・マチス「ダンス」。1914ジォルジオ・デ・キリコ「街の神秘と憂愁」。

1915−1917年 7−9才 第一次世界大戦にアメリカなども参戦する。母と兄と共にドイツからスイスのベルンに転居し ついでジュネーブで暮らす。インターナショナル・スクールに通う。8才の頃からミツと名付けた子猫との出合いと別れまでの物語「ミツ」を描き始める。9才の時に父親が別居。多感な時期に父親との別れを経験する。
1917アメデーオ・モディリアーニ「ハイム・スーチン」。

1918年 10才 4年4ヵ月続いた第一次世界大戦が終結。

1919年 11才 母親の知人であった詩人のライナー・マリーナ・リルケと共に夏の休暇を過ごすようになる。「ミツ」を描き終える。
ライナー・マリア・リルケはオーストラリア出身の詩人であり作家 プラハ生まれ1875-1926。ヨーロッパ諸国を放浪し パリではロダンの秘書を務めていた事もある。主な作品は詩集「形象詩集」 小説「マルテの手記」 評論「ロダン」など。印象主義と審美主義の混合した独自の境地を開拓し 近代言語芸術の巨匠とされている。バルテュスは後にリルケについて「常に一人前の人として扱ってくれた人でした。」と述べている。

*初期1920-1931 12才-23才 制作作品数62点
少年期から青年前期の11年間。油彩画を描き始め 絵具の扱い方を学んでいる期間である。表現描法は具象表現。しかしリュクサンヴール公園の子供達などを描いた作品では すでに人が作り出す姿勢に関心を持ち 同じ場所に居ながら互いに関係を持たない状況(同居の無関係)を描いている。これらは生涯を通じて見られる特徴でバルテュスの初源的な特徴と言える。16才で画家になる決意をする。しかし美術学校には進学せずに バロック絵画の巨匠と初期ルネッサンスのフレスコ画を模写し 独学の基礎としている。また代表作の一つである「街路」の原形もすでに描かれている。この時期の重要な作品「プロヴァンスの風景」「リュクサンヴ−ル公園の子供達」。

1920年 12才 最初のパステル画を描く これはガリマ−ル社のカタログ・レゾネではP1とされている作品だが現存していない。

1921年 13才 「ミツ−バルテュスによる40枚の絵−」出版される。リルケの序文と尽力によって

チューリッヒのロタブフェル書店より刊行される。母と兄と共にベルンにもどる。
マン・レイ「贈り物」。

マックス・エルンスト「セレベスの象」。1922年 14才 ミュンヒェン市立劇場で行なう中国の演劇の舞台装置の模型を作るが実現はされなかった。画家で彫刻家のマルグリット・ベイの助手を務める。
イタリアでムッソリーニが首相となり1925年には独裁者となる。
エドガー・ドガ「着衣のバレリーナ」。ハイム・ス−チン「赤い頃もの女」

1923年 15才 母と共にベア−テンベルグへ移住。兄ピエールはリルケの計らいでバリに行き アンドレ・ジッドのもとに滞在する。「風景 (ムッゾ地方)」など 初めての油彩画を4点描く。
マルセル・デュシャン「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁 さえも」(大ガラス)」。

1924年 16才 ベア−テンベルグで12才のアントワネット・ド・ワトヴィルと出会う。画家になる事を決意して母と兄と共にパリにもどる。ピエール・ボナール モーリス・ドゥニに会い 古典の摸写を勧められる。他にクロード・モネ アンドレ・ジッドとも会う。アカデミー・ド・グラン・ショミエナ−ル美術学校の講習を受ける。カルヴァン高校入学。
アンドレ・ブルトン「シュールリアリズム宣言」発表。フランツ・カフカ死去41才。

1925年 17才 「プロヴンスの風景」「リュクサンヴ−ル公園」などを制作。ルーブル美術館でニコラ・プッサンの「エコーとナルキソス」を模写する。この摸写は完成後にリルケに贈られた。フランス国籍を取得。
ヴァルター・グロピウス「バウハウス」創設。佐伯 祐三「レ・ジュ・ド・ノエル」。

1926年 18才 イタリアを旅し マザッチョとピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画を模写する。他にフェレンツェ アレツッオ ヴェネツィアなどを訪ねる。12月末にリルケ死去 享年51才。イギリスで世界初のテレビの公開実験に成功する。
オスカー・シュレンマー「三組のバレエ」バウハウス。シュルツ=ノイダム「メトロポリス」映画ポスター。

1927年 19才 スイスのラローニュで行なわれたリルケの埋葬に立ち会う。「リュクサンブール公園の子供達」などとベアーテンベルグのプロテスタント教会にテンペラによる壁画三枚を制作する。
リンドバーグがニューヨークからパリの大西洋横断無着陸単独飛行に成功。
イヴ・タンギー「ママ パパが怪我してた」。

1928年 20才 スイスのベルンとチューリッヒに滞在。「リュクサンブール庭園」「河岸」「オデオン広場」などを制作。
ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し 世界恐慌と呼ばれた不景気が起こる。多くの人々は失業に追い込まれる。ロシアに革命が起こり共産主義となり 国名がソビエト社会主義共和国となる。
ルネ・マグリット「偽りの鏡」
ジョージア・オキーフ「シェルトンから見たイースト河」。

1929年 21才 チューリッヒのフォーター画廊に作品を初めて展示される。作品の署名をBalthusと