P−。「嵐が丘」の挿し絵。

arasi
arasi2
この挿し絵は1933-1935年にわたって描かれた。それはちょうど1934年の初個展を開催する前後の時期でもある。この時バルテュスは25才から27才であったが それまでを修行期間とするなら それまでに貯えたものを一気にというより 爆発的に開花させた時期でもある。それらの充実した時期に描かれた「嵐が丘」の挿し絵も力作である。原作はイギリスのエミリー・ブロンテ(1818-1848)の小説。エミリーが書いた唯一の小説。エミリーの姉のシャーロット・ブロンテは「ジェーン・エア」 妹のアンは「アグネス・グレイ」を書いている。1939年にはアメリカで映画化もされている。挿し絵は18点で習作や素描が29点ほどある。この挿し絵は未完成で 出版は実現しなかったが一部が1935年に雑誌「ル・ミノトール」に発表され 1936年にはロンドンで展示された。出版が実現されるのは1989年にフランス語版 そして1993年の英語版まで待たねばならなかった。原画は後にマルセル・デュシャンが夫人に購入させている。
この挿し絵を本制作とみなさず 単に小説を分りやすくする飾りの絵と見るむきもあるが 果たしてそうだろうか。ここには「ミツ」よりもはるかに重要なバルテュスの特徴を見い出す事ができる。「ミツ」もそうだがこれも全て記憶と想像力で描かれていて 登場人物の様々な身振りや姿勢は全てバルテュスが創出したものであり 後の作品の一つの源泉となる作品である。
この小説の粗筋は 「嵐が丘」と呼ばれる館に孤児であるヒースクリフが養子として引き取られ その館の娘のキャシーと次第に心通わせて行く。身分や財産を越えて二人は結ばれようとするが キャシーは年を重ねていくうちに財産や名誉と言った欲に捕われていき ついに地元の名家の息子エドガーと結婚してしまう。ヒースクリフはその裏切りに復讐するために家を出て資産家になって戻ってくる。キャシーはヒースクリフの復讐を受け入れようとするが それを理解したヒースクリフは復讐を放棄するが キャシーは病のために死んでしまう。そしてヒースクリフは「嵐が丘」の館に住み続けながら愛するものを失った地獄に耐えようとする。
バルテュスはこの小説を単なる恋愛小説としてではなく 悲劇的な宿命を背負った人物の性格とこの物語の風景に強く引かれている。それは野性的な自然の中に解き放たれた二人の情熱の渦のようなその在り方であり さらに男女の結びつきに必要な互いの根底についての理解 つまり共生という本質的な関係に男女の結びつきのみならず性を超えた人間の関係の根底を読み取っていたのである。
バルテュスは二人の関係を示す例として 次の台詞をあげている。キャシーはヒースクリフとの関係を友人に告白する「あの人は私で 私はあの人なのよ。」 またヒースクリフは死のせまったキャシーに言う「僕が君の心を壊したのではない。それを壊したのは君だ。そして君の心を壊す事によって 君は僕の心を壊したのだ。」P−。「嵐が丘」の挿し絵。原作 E・ブロンティ 紙にインク 1933-1935