第四章 

第4章 画題を整理する。

バルテュスの扱った画題を整理すると下記の図のようになる。全作品数は 357点とし 分類の大きな項目では 人物画 風景画 静物画 ついで擬人化 その他とした。人物画は 211点で肖像 着衣 裸体 その他。 風景画は 72点で街 自然 室内と屋外。静物画は 29点で人と静物 人工物 自然物など。擬人化には猫と馬がある。その他は摸写 資料写真のみが残っている作品 現存しない作品であり また初期の「ミツ」と「嵐が丘」の挿し絵もここに含めた。
この分類から分かる事は 室内のおける人物を最も多く描いており その中では着衣よりも裸体の方が多い。風景画では屋外の自然風景が多く 静物画が最も少ない。またこの中には習作や未完成作品も含まれている。

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人物画について

バルテュスは全作品の中で約270点の作品に人物を描いているが これは全作品の 76%に相当する。着衣姿が 51点で その内訳は一人または二人が25点 3人が 8点 4人は 1点のみ そして習作が 13点である。肖像画では自画像が 4点で肖像画が 53点 このうち女性が 38点を占めている。裸婦は 66点で最も多く 性の露呈が ? 3点 身支度 14点 立ち姿 13点 眠り 15点 寝台の上 9点 床の上 2点 そして構成的な姿勢が 6点ある。風景や静物に人物を描き入れている場合もあるが これらは人物画とはしていない。 描かれた人物で主なものは 公園で遊ぶ子供達 特定の人物や家族を描いた肖像画 様々な姿勢をとる娘達 身支度をする娘達 窓辺の娘 またトランプを扱う人達 本を読む人 くつろぐ人と眠る者 寝台の上にいる人 鏡を持つ人 街の中の人々などがある。

風景画について

風景を描いた作品は初期の時代に 19点あるが これには街中や公園が含まれる。青年期では6点で「街路」や「山 (夏)」などは人物画に入れている。大戦中と戦後の時代では 8点。シャシー時代は 25点で「窓辺の若い娘」などは含めていない。ローマ時代は習作が 1点のみ。ロシニエ−ル時代では 2点。合計で 61点。全作品の 17%で五分の一にも満たない。この少なさは風景画を描く事を画廊などの販売者があまり好まなかったとの事情もあったようだ。しかしこれらの風景画にはバルテュスの独自な世界観が示されていて重要であり その内容は人物画では描き得ないものばかりである。人物画と風景画は両翼に例える事ができ これによって氏の絵画世界は大いなる広がりを見せている。

静物画について。

静物を描いた作品は少なく習作を含めても 28点程度で 人工物が8点 果物や花などの自然物が 11点 人工物と自然物を一緒に描いたものが 7点 人物を含むものが 2点 他に風景と静物を一緒に描いているのが 2点 また舞台背景を描いたものが 1点ある。これらはそれぞれの物の関係を描いているが 自然物と人工物ではその形態の作り出す構成と味わいは異なる。その中で代表作とされるのは青年期に描かれた P107の「静物」で 写実表現として最も完成度が高い。しかし 20才の頃に描かれた P45と P46の「ベルンの帽子がある静物」の構成感覚と物の選び方にはバルテュスの本質に関わる独自な嗜好が読み取れて興味深い。この独自で個人的な構成感覚は青年期以後にも時々表れている。これらに比べると P291「画室の中の静物」は合理的であり その分匿名性がある。また晩年の最後の静物画である P343の「静物」では厳密な構成感覚から逸脱した 開放または混乱とも受け取れる作品もある。静物画が少ない理由は 基本的に物の関係を成立させる配置や構成は 街中の人物群や室内の人物達などで行なわれており 物よりも人物の方が興味深く より絵画を充足させる事ができると考えたからだろう。また果物や花などの自然物の方が多く描かれている理由は 人工物よりも生命感を感じたからだろう。

構成画。

作品を分類するには上記の3種類が妥当な分け方だが バルテユスの場合はそれで済む訳ではなく 独立した領域をもうけた方が良いと思える作品群がある。その一つが構成画である。ここでの構成画とは人物や物などよりも 画面全体の構成を最優先した作品を言う。バルテュスの作品の場合 主題の影に隠れがちだが画面構成はかなり重要とされている。例えば街中の複数の人物を描いた「街路」や「コメルス・サン・タンドレ小路」などもこの範疇に入ってくるし 「居間」や「夢」「三姉妹」などの室内における複数の娘達を配した作品もそうである。また風景画にもシャシーの舘の中庭を描いた作品も同様である。さらに画面構成の配置によるそれぞれの関連と均衡だけではなく 描かれたものの関係まで構成と捉えると同居の無関係や「鏡猫」なども構成に関する作品と言える。

第四章

室内風景画。

また構成画のような領域を設けるなら 室内風景画とも言える領域も設けた方が良くなる。風景とは野外に限った事ではなく 室内における情景と言った内容も風景として捉える事もできるだろう。その例は「キャシーの化粧」や「部屋」「居間」などがそれにあたり 身支度をする娘や「鏡猫」なども同じである。また屋外と室内を同時に描いた作品などもある。これらも領域にまたがっている。否またがっていると言うよりも領域を越えていると言った方が正しい。

画題を整理するの結論。

つまりバルテュスの作品は常識的な領域分けを越えて成立していると言う事である。一つの作品に複数の画題が取り入れられ それが複雑さを作り出し充分な見応えと謎めく内容を生み出している。それの作品はあたかも色も糸の太さも異なり 計算抜きで気ままに そして丹念に織られた織物のようである。 

主題と本質

以上のようにバルテュスは本質の探究と不可視なものを具現化する事を行なってきたと言えるが 全作品の主な画題と内容を整理して確認してみると 公園で遊ぶ子供達の同居の無関係 挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝き トランプや鏡猫などの個的に独立した一つの世界 風景の中の不可視な存在 日々の穏やかさ 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界 そして娘達の様々な姿勢 絵画における構成 色彩と画肌となる。そしてこれらの主題はバルテュスが転居した時期によって変化している。パリ時代とシャッシィ時代では傾向がまったく異なっており パリ時代の挑発的な性の露呈と堅固な構図 写実的な表現はシャッシィ時代には見られなくなり 具象表現で自然の陽光がもたらす色彩や館の2つの門などを構成的に捉える事に集中している。しかし「樹のある大きな風景 (三角の畑)」などで謎めいた存在に着目している。つまりここにバルテュスの本質があるように思える。さらに主題の内容を整理すると「秘められた性を露呈させる」「存在感を具現化する」「個的な世界を成立せる」となり 「秘められた性を露呈させる」では挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝きであり 「存在感を具現化する」では同居の無関係 風景画の不可視な存在 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界であり「個的な世界を成立させる」ではトランプや「鏡猫」などで また日々の穏やかさでもある。このようにして見るとバルテュスの描き出そうとした世界が見えてくる。つまりバルテュスは秘められたものや本質を追求しながら 不可視なものを具現化する事を目指し さらに独立した個的な世界を成立させる事を主題にしているのである。独立した個的な世界では「トランプをする人々」や「赤い魚」の周りに集まる子と親などの関係性が重要だが 「鏡猫」では鏡と娘と猫と言った より強く引き付け合うものの関係性を見い出す事で その成立に成功している。この関係性は初期の頃の「公園」や「街路」では「同居の無関係」であったが 「居間」や「三姉妹」では絵画表現に欠かせない画面構成における関係性が工夫されている。またそのような画面構成を越えて個的な世界を確立する事になるのは「赤い魚」以後であり 「鏡猫 3」によってその頂点に至ったと言える。つまりバルテュスの絵画の主題で重要なのは「秘められたものを明かす事で不可視な存在を具現化し 独立した個的な世界を成立させる。」事と言えるのであり そこに大きな役割を果たしたものはそれぞれの関係性であったのである。絵画の描く対象は様々にあるが その中である偏りを見せながらもバルテュスが求め 描き出す事に成功し 多くの人々に魅力あるものとして受け止められるのは この秘密めいた不可視な存在と個的な世界の成立にある。