第三章 P23-24

23-24
23-24_2

幼年期 1920以前 12才になる前 P− 1点
幼年期に描かれた「ミツ-バルテュスによる40枚の絵」は1921年にリルケによって刊行されているが 描き始めたのは8才の頃で 描き終ったのは11才 そして13才の時に出版された絵本。バルテュスの最初の公にされた作品である。P−。「ミツ−バルテュスによる40枚の絵」1919この作品の出版に関してはその頃母バラディーヌと交流があったリルケの尽力で行なわれ 本の序文もリルケは書いている。これは幼きバルテュスの絵に対する才能を認めての事である。この本の題名であるミツとは拾った子猫に付けた名であり 日本語の光という意味であり その子猫ミツとの出合いから突然の別れまでを40枚の絵に描いている。このような動物との出合いと別れは誰にでもある幼い頃の思い出であるが ここに登場する少年もバルテュス自身であり自身の体験である。バルテュスはこのミツとの別れはまさに光を失ったように悲しかったと言っている。またリルケは「ものを失うとは新たに所有する事で
それは内面的なものとして」と慰めている。このような話の展開を持った絵を描くには幾つかの決まりごとを守らねばならない。その一つは描き方を一貫させる事であるが ここでは主人公の少年は髪形も衣服も同じにされ 筆致も同じになっている。これはあまりにも当然の事と思われるがこの40枚の絵を全て描き終るのに約4年かかっている事を考慮すれば無視できるものではない。その2は状況を説明するため描き方を工夫する事。ここでは場面や背景を変え それらもしっかりと描き込まれている。その3は人物の表情や仕草 身振りを描きわける事であるが 少年とミツの表情は豊かで 場面ごとに必要な身振りなども多様に描き分けられている。さらにそれぞれの場面をどの視点から描くかという問題がある。この点ではどのコマも同じ目の高さで捉えていて 高さの変化はほとんどない。しかしこれは絵本であり 幼い同年代を読者としているならば 視点の変化は取り入れない方が読みやすいだろう。それからこの絵の描き方は筆を使った外形線描法だが 線の太さに変化と塗りの使い方に味わいがあり どのコマにも労をいとわずに描き込むあたりはすでにバルテュスの作風の特徴の一端を垣間見せていて見応えがある。また40枚の絵を同じ大きさのコマにして統一感を持たせている所も大人びた方法だろう。この少年バルテュスと猫のミツとの関係は この後に描かれるある重要な役割を持った存在になる前の猫との素直な関係が描かれているが この作品は後に伝説の始まりとされていく事になる。

第三章 P25-26

25-26
準備期 1920-1931 12才-23才 P1−P61 61点+1点+1点=63点
少年期から青年前期の11年間。最初の油彩画を描き 絵具の扱い方を学んでいる期間である。しかしリュクサンヴール公園の子供達などを描いた作品ではすでに様々な姿勢に関心を持ち さらに同居の無関係を見い出す事ができる。これらは生涯を通じてみられる特徴である。16才で画家になる決意をしているが 美術学校には進学せずに ルーブル美術館でバロック絵画の巨匠とイタリアで初期ルネッサンスのフレスコ画を模写し 独学の基礎としている。代表作の一つである「街路」の原形も描かれている。レゾネに載っていない1930年作の「空中ごまで遊ぶ若い娘」を含めると62点。

P1。「パステル」1920-1921 現存せず。

P2。「風景 (ムュゾ地方)」49.5×37.5cm F8号程度 厚紙に油彩 (1923)
現存する油彩画では最初に描かれた作品である。1923年の作であるから15才の頃に描かれている。大きさはF8号程度。ディフォルメ表現描法で木々の葉の塊を丸みを持たせて描き その塊は量感を持ちながら複雑に組み合わさっている。具象的な表現で素人っぽさが見られるが 絵を絵として成立させるための試みがなされているようだ。

P3。「風景 (ムュゾ地方)」1923 現存せず。

P8。「ブドウ栽培者」90×67 P30号程度 キャンバスに油彩 1924-1925
荷を背負う男性の肖像画である。筆跡の落着きからして油彩に慣れてきたように見える。右側の静物や右下の椅子の背もたれの曖昧な入れ方はバルテュスの特徴でもある。

第三章 P29-30

29-30
P7。「箪笥の扉に描かれた中国風の絵」1924
これは両開きの扉に描かれた中国風の山水画のようであり 山々を背景に猿や柳の木などが描かれている。幼い頃のバルテュスの東洋に対する関心を示す資料である。1922年9月リルケが幼きバルテュスに会った時 すでに東洋世界に強い関心を見せていて 中国提灯を描いていた。と言われいてる。

第三章 P31-32

31-32
P9。「プロヴァンスの風景」77×51 M25号程度 木板に油彩 1925
壮大な風景画で 近景の農家とその中庭 中景の山腹は遠景の小高い山の頂きまで続き 山頂には城のような建物が描かれている。粗密と色彩の遠近法が使われていないためか遠近感は表れていないが 丘陵地帯の量感はしっかりと描き表されていて 後の風景画にも通じるものがある。また手前の農家と見上げる先に建つ城と言うのは何やら象徴的で バルテュスの世界を形作る一端が表れているようだ。

第三章 P33-34

33-34
P12。「最初の聖体拝領」43×35.5cm F8号程度 木版に油彩 1925
この聖体拝領のための衣装を身につけた女性像は思い付くままに描かれたようだ。印象を描き止めようとしたのだろうか。

P13。「最初の聖体拝領」100×70cm P40号程度 キャンバスに油彩 1925
これは先と同じ衣装の女性だが 本格的な人物画への取り組みがなされている。衣装 表情 手などの描画力は確かなものになっている。

第三章 P35-36

35-36

「同居の無関係」

P14。「リュクサンブ−ル公園の中の聖体拝領」56×54cm S10号程度 キャンバスに油彩 1925樹木の生い茂った公園の中を散策する二人の女性と半ズボン姿の少年二人が描かれている。樹木は丹念に密度を落とさないように描き込まれ 鬱蒼とした葉の茂りの感じが出ている。ここで注目すべきは右側の少年二人で 背に腕を回している様子や前屈みで何か拾うような姿勢は 後に「ポーズの画家」と呼ばれる姿勢へ強い関心がすでに表れている。    

P15。「リュクサンブ−ル公園の子供達」55×46cm F10号程度 1925
これも公園内の様子を描いていて 樹木の形の組み合わせに特徴があり また人物の様子もよく観察されている。奥の人物は手に輪を持ち 手前の二人は幼く 後ろの一人は前の子の目を覆って驚かせている。このような公園内での子供達の姿は何枚も描かれているが ここでも子供の楽しい世界が描かれている。バルテュスは自作について「自分の幼年時代や思春期の思い出を一つの宝物としてそこから多くの主題を汲み取りました。」と言っている。ここに描かれた子達の姿は自らの思い出と重なっているのだろう。

P16。「リュクサンブ−ル公園 (小さな船乗り)」72×59cm F20号 1925
先の二点と同じく公園内の樹木と複数の人物が描かれているが 先の2点よりも木々の形や種類と人物の身ぶりや姿勢は多様になっている。右下の後ろ姿の少女 左下の歩き去る二人 中央の二人連れの一人は手に持ったものを掲げ もう一人がそれに手を伸ばしている。中央左の少年は両手を上げて何かを捕まえようとしている。ここでは子供達の楽しい世界よりも多様な人物を画面にどのように配置するかに工夫が施されているようだ。また人々は公園という同じの場にいながら互いに関係なく様々に過ごしていて ここでの4組の人達もそのように描かれている。このような状態は「同居の無関係」と呼べるだろう。この「同居の無関係」は後の「街路」などに結実するする事になる。

第三章 P37-38

37-38
P17。「立っている裸体」55×25cm M10号程度 紙に油彩 1925-1926

P18。「横たわる裸体」48×80cm M25号程度 キャンバスに油彩 1925-1926
この2点は同じ人物を描いた裸体画だが 共に顔が描かれず後ろ姿である。共に色彩の明暗によって立体感を出し 筆跡を丸みに沿って残している。また重ね塗りの効果も試されているようだ。P17の人体の形は特に不正確だから 実際にモデルを前にして描いたのではなく 想像で描かれたのだろう。それに比べP18の方はモデルを見て描いたようだ。肩や腰などに観察の後が見られる。モデルは誰なのだろうか。バルテュス自身のようにも見えるが 写真でも使ったのだろうか。

第三章 P39-40

39-40
P19。「エコーとナルキッソス」摸写 現存せず。原作ニコラ・プッサン。
この現存しない摸写の原作はニコラ・プッサンの作品である。バルテュスは晩年にプッサンに捧げる作品を描き「彼の作品は初恋の相手であり この恋はいつままでも冷めることがない。」と言っている。エコーとナルキッソスはギリシャ神話の一つで 妖精のエコーは女神ヘラについた嘘の罰を受けて 話しかけられた時のみに声が出るようにされてしまう。その後エコーは美少年のナルキッソスに恋をするが 自分から話せない事から失恋し その痛手のせいで山の奥に隠れ 呼び掛けにだけ答えるようになる。一方のナルキッソスはその美しさから多くの妖精から恋されるが 誰にも答えようとしないので失恋した妖精の願いを受けた復讐の女神によって成就しない恋をするようにされる。そうなったナルキッソスは水面に写った自分に恋をし 成就しないその恋に身を焦がして死んでしまう。そしていつでも自分の姿が見えるように水辺に咲く水仙の花になってしまう。

P20。「愛の演奏会」摸写 現存せず。原作ニコラ・プッサン。この摸写も現存していないが 原作のプッサンの小品にはローマ神話の愛の神エロースが描かれている。エロースとはアモール またはクピドであり 英語読みではキューピットと呼ばれ 背に翼を持つ幼児の姿をした小天使としてよく描かれる。彼等は弓と矢を持ち 黄金の矢で射られた者は恋の熱情に取り憑かれ 鉛の矢で射られた者は相手を嫌悪するようになる。ここでは幼子達の背に翼はなく 弓の代わりに楽器を持っている。恋のための演奏だろうが 手前の幼子は月桂樹の冠を持っているから アポローンの恋慕から逃れるために月桂樹に姿を変えたダプネーを思い出させ 恋の受苦も表している。

ニコラ・プッサン=1594−1665 17世紀バロック美術の古典主義の画家 フランス人だがローマで活躍。バロック的な激情や劇的な明暗の効果よりも 冷静で抑制された演劇的な人物達を軽快さを持って構成し 歴史画や宗教画を多く描いた。他に「アルカディアの牧人たち」「サビニの女達の略奪」などがある。

P21。「キリストの復活」摸写29×31cm S4号程度 木版に油彩 1926。この年にバルテュスはイタリアを旅行し フレスコ画を模写している。彼は画家を目指すにあたって美術学校で学ばない代わりに 古典から学ぶ事を父親やリルケなどから助言され実践している。これはピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた作品で 十字架に架けられて死んだはずのイエスが生き返った場面である。埋葬された墓石に片足をかけて 御旗を掲げたその堂々とした態度は 死を乗り越えて真に神の子である事を示しているからである。足元に眠る者はイエスの墓を見張る兵士達で これらの様々な形の捉え方と姿勢は 後のバルテュスの作品に反映しているようだ。この摸写はそれほど丹念に描き写してはいないが それは描き写す以上に学ぶものが多かったからだろう。つまり技術よりも絵画の示しうる表現世界を体験していたと思われる。

第三章 P41-42

41-42
P22。「聖十字架の伝説 (聖なる木とソロモン王とシバの女王の会見)」摸写48×55cm F10号程度 1926。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
この摸写ではシバの女王がソロモンの王を訪問している場面のみを描いている。原作では左側にシバの女王が 横たわっている木材に跪いて祈りを捧げている場面がある。

P23。「聖十字架の伝説 (ヘラクリウスの勝利)」摸写 現存せず。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
原作ではヘラクリウス皇帝とペルシャのコスロエス王との戦いが描かれ 右側にはこの戦いに破れたコスロエスが首をはねられようとしている。

ここで模写されているのは先の原作者と同じピエロ・デッラ・フランチェスカのサン・フランチェスコ聖堂にある「聖十字架の伝説」である。原作は伝説を10の場面に描いているが バルテュスはその中から4つの場面(次ページに2点)を選んでいる。ここでもそっくりに写し描くよりも この絵を理解する事の方が優先されているようだ。古典から学ぶと言っても古代ギリシャから初期キリスト教美術 ゴシック 盛期ルネッサンス バロック ロココ そして19世紀の古典主義や写実主義 ロマン主義などがある中で この初期ルネッサンスのピエロ・デッラ・フランチェスカを選んでいる所に バルテュスの審美眼の源があるようだ。

聖十字架の伝説=イタリア アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の壁に描かれたフレスコ画。これはキリストが架けられた十字架の出自を語る物語である。始祖であるアダムが死ぬ時 原罪の木の種を口に与えられて墓に納められるが その木が成長した後にソロモンの王に伐られ 橋の材料とされる。シバの女王がソロモンの王を訪れる時に この木材に近づいた女王は未来を予見し 救世主が磔にされる事を知り その木に敬意を表す。それを知ったソロモンの王は禍いをもたらすものとして その木を埋めさせる。しかし予見通り その木は掘り出され キリストを架ける十字架に使われる。その後コンスタンティヌス皇帝がローマを支配する戦いの時に 神から十字架の印を掲げて闘うよう御告げを受ける。勝利した皇帝とその母后は十字架を聖遺物として探すが行方がしれず 唯一知っていたユダを拷問にかけて白状させる。しかし見つかったのは三本の十字架であり どれが本物であるかを確かめるようとした時 1本の十字架が死んだ若者に触れ生き返らせたので それが本物とされた。その後の615年にペルシャ王のコスロエスがロ−マ帝国からこの聖木を奪い拝していたが ビザンティンの皇帝ヘラクリウスに破れ 聖木はヘラクリウスによってエルサレムに戻る事になる。そして聖木の神聖な力は 皇帝にキリストのような謙譲な態度を取らせたので 皇帝は全ての栄華を捨て十字架のみを掲げてエルサレムに入場する事になる。

第三章 P43-44

43-44
P24。「聖十字架の伝説 (十字架の発見と検証)」摸写。45×67cm M15号程度 1926。
原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
ここに描かれているのはローマ帝国を支配したコンスタンティヌス皇帝の母后によって エルサレムのウェヌス神殿に隠された三本の十字架が発見され どれが本物かを検証している場面である。画面左側に掘り出された十字架と右側には死んだ若者をよみがえらせる十字架が描かれている。摸写では右端の死んだ若者の復活までは描いていない。

P25。「聖十字架の伝説 (聖十字架への賞揚)」摸写。50×34cm 1926。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
ペルシャ王のコスロエスから聖木を取り返したヘラクリウス皇帝が エルサレムに聖遺物である十字架を持ち帰る最後の場面である。原作では十字架を掲げる皇帝は馬から降り キリストのような謙譲な態度でエルサレムの人々に迎えられているが この摸写では皇帝の後ろに立つ5人の人物が描かれている。この人々のかぶる帽子は興味深い形をしている。

当時の若いバルテュスはこれらの絵に何を見たのだろうか。ピエロの絵画の特徴は初源的な立体表現と硬直したような人々の姿勢や身振りであり 理知的で明確な構図である。これらはまさに後のP73の「街路」に代表されるバルテュスの作品の特徴と一致している。またピエロの作品では 複数の人物はどのように接近していても互いに視線を重ねる事なく 個別に存在しているように見えるが これはバルテュスの「リュクサンブール公園の子供達」に見られる同居の無関係と酷似している。つまりバルテュスはピエロの作品に自分と同じものを発見したのではないだろうか。それ故にこれらを選んだと考えられる。

またこれらの摸写の仕方は大胆で 木炭などの下描きなしに直接 油絵具で形を取り彩色されている。この方法は後の作品でも使われている。

第三章 P45-46

45-46
P26。「共有財産の分配とアナニアの死」の摸写。59.5×54cm 厚紙に油彩 1926
この絵の原作はマザッチオの描いた「聖ペテロの生涯」の一場面であり 人々がそれぞれ個別に所有していた財産を売って その代金を差し出し 聖ペテロによって共有財産として再分配してもらうのだが アナニアと言う男は代金の一部を誤魔化して差し出した。それを見抜いた聖ペテロは「神に対する虚偽の振るまいである」と言う。その言葉を聞いたアナニアはその場に倒れて息絶えてしまう。中央右の黄色い衣を身につけた人物が聖ペテロであり その左横に立つ子供を抱えた女はアナニアの妻サッピラで 足元にはアナニアが横たわっている。
この原作に描かれた人物達も互いに重なるほど近くに立っているが 視線は重ならず個々に存在しているようだ。また妻サッピアの表情は無表情だが 頑さが見られる。これは真剣な無言劇であり これらもバルテュスの作品の特徴と一致している。バルテュスはこれらの古典絵画から多くを学んだろうが 学ぶだけでなく 画家として自立するための大いなる拠り所としたのではないだろうか。つまりこれらの作品は画家として足元に埋めた基石であるように思われる。

マザッチオ=1401−1428 初期イタリア・ルネッサンス フィレンツェ派の画家だが 27才と言う若さで夭折している。ピエロよりも14年から20年ほど早く生まれているがほぼ同時代である。ジオットやドナテロからも学んだ現実的な人物表現と初源的な立体感や空間表現は それまでのゴシック絵画では見られなかった写実性があり ピエロなどと共に写実表現の発展の基礎を築いた。他に「楽園追放」や「貢の銭」などがある。
「聖ペテロの生涯」はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の右翼廊にあるブランカッチ礼拝堂の壁面に描かれたフレスコ画。

第三章 P47-48

47-48

P27「良き羊飼い (キリスト)」1927。

P28「福音書家マタイとルカ」1927。

P29「福音書家マルコとヨハネ」写真資料無し。

ベアーテンベルグにあるプロテスタント教会にテンペラによる壁画を三枚描いいる。残念ながら1934年に塗りつぶされている。

第三章 P49-50

49-50
P30「バラ色の上着の裸婦」の習作。25.4×19cm F3号程度 厚紙に油彩 1927
これはP31のための習作である。寝台の装飾曲線と布のシワの関係を確かめるために描かれたようだ。このような椅子と布は人物と共に最晩年まで描き続けられる。

P31「バラ色の上着の裸婦」98.5×77.5cm F40号程度 キャンバスに油彩 1927
初めての裸婦像である。寝台に座った憂いを持った女性の裸体と肩にかけたガウンが描かれている。ここには描くに足りる材料は揃っているが 何かもの足りない。この何かが今後描き加えられていきバルテュスの世界が構築される。サーモンピンクの衣服に乾筆(ドライブラシ)のような筆跡が見らる。

P32「裸婦」55×46cm F10号程度 キャンバスに油彩 (1927)
先と同じモデルを描いた裸婦像。頭部の赤と髪形 そして視線の方向が印象的なこの作品も完成されていない。大まかな雰囲気を確かめるために描かれた習作のようだ。母バラディーヌの描いたものにも似た作品があるので一緒に描いたのかもしれない。

第三章 P51-52

51-52
P33。「リュクサンブールの子供達」63×50.5cm F12号程度 キャンバスに油彩 1927
公園の連作にもどっている。手前の3人の1人はボールを持って女の人を引っぱっているようだが その女性はポーズを取り その横の後ろ向きに屈んでいる少年も後ろ向きで変わった姿勢を取っている。屈んだ少年の奥にはベンチに両手をかけた人が座っていて 右端のラッパを吹く制服姿の人は中途半端に画面に入れられている。公園内の様々なポーズの人々を描いているが それらの組み合わせの面白さをはっきりと意識されていると思われる。

P34。「リュクサンブ−ルの庭園 (秋)」65.6×49.8cm F15号程度 キャンバスに油彩 1928
これも庭園内の風景で後ろ姿で屈む少年がもう一度登場している。少年はその横に立つベレー帽をかぶり球技用のラケットを持った男とボール遊びをしているのだろう。その奥に片腕を上げた女性。右端の椅子はまたも中途半端に入れられている。これらの屋外の風景画では庭園の樹木も人物同様に様々な形と枝振りで描かれている。

P35。「リュクサンブ−ルの子供達 (けんかのあと)」63×50.5 F12号程度 1928
頬に手をあてて物憂げに歩く少女とベレー帽をかぶった二人連れの子供達。そして広場に立つ一本の木とその奥の林。この絵は人物のポーズを控えめにして 庭園の広さと奥行感を強調しているようだ。子供達の賑やかさが失せた後の静けさと寂しさ そして友人と喧嘩した後で独り歩く娘の心もとなさを描いている。つまり感情表現に取り組んでいる作品で バルテュスの作品では珍しいと言える。

第三章 P53-54

53-54
P36。「リュクサンブ−ルの円柱」46×38cm F8号程度 厚紙に油彩 1928
庭園の入口だろうか 階段と記念の塔を通して町並みが見えている。筆運びは荒く即興的だが 並木の枝先はしっかりと描き込まれている。そして例の子供達は一人も描かれていない。並んで立つ樹木の枝先の密度と空の広がりを描こうとしているのだろう。こういう所に関心を持つ若いバルテュスの感性は その心根を感じさせながら独自な視線を持っている事の証のようだ。

P37。「リュクサンブ−ルの泉水 (雨模様)」45.6×37.9cm F8号 キャンバスに油彩 1928
庭園の噴水池で模型の舟を浮かべる少年とその後ろの景色が描かれている。舟遊びをする少年の背景には雲行きが怪しくなった空模様が描かれていて その感じが良く出ている。帆船を走らす事に熱中する少年にとって 雲行きよりも風が出てきた喜びの方が大きいだろう。20才の頃の作品。子供の世界をよく観察して描いた作品だが 見ながら描いたのか 記憶で描いたのか。

P38。「雷雨のリュクサンブ−ル」46×55cm F10号程度 キャンバスに油彩 1928 
舟を浮かべて遊ぶ少年達にとうとう雨雲と共に雨が襲ってきた。慌てて用意した傘をさす男の子 舟に手を伸ばす子。奥の人達は傘をさして早々と公園を去って行く。右端の吹き上げられている噴水の水は俄な風に吹き飛ばされている。庭園での出来事を捉えているのだが その場で描いているなら若き画家の上にも雨が降ってきているはずだ。あとで記憶を頼りに仕上げたとしたら雨模様の色彩をよく捉えていると感心する。P37とこの絵も画面の下がぎりぎりまで下げられて少年たちの足ははみ出している。

第三章 P55-56

55-56
P39。「3人の農民」93.5×74cm F30号程度 紙にパステル 1928
前時代の地方色の強い衣装を着た人物が描かれている。パステルはP1で使っているので2度目となる。パステルは塗ったあとに擦ってボカシを作りやすい画材だがそれをここでは多用している。このような民俗衣装への関心は過去への関心の一つでもあるのだろう。

P40。「田舎を描いた箪笥の扉」1928 
両開きの扉に描かれた農民の男女と農具などである。男女の二人の農民の顔は穏やかで愛らしい。

第三章 P57-58

57-58
P41。「ムーラー・エドウィックの肖像」87×65.7cm F25号程度 1928
この頃描いた3人の肖像画の中の1点である。外形線を使わずに丹念に筆を置く塗り方がされている。色彩は明るめだが落着きがある。色彩の明度と彩度の扱い方を試しているようだ。肘を上げた左腕は彩度と明度が落とされているので奥まってに見え それに対して両足の上に置かれた右腕は明度も彩度も高いので手前にあるように見える。腕や肩や腰の部分の赤茶は影の一種として使っているのだろう。このような前後関係による立体感と空間性を描き出すための色調を確かめているようだ。

P42。「ムーラー・ゲルドルードの肖像」73×60cm F20号 キャンバスに油彩 1928(1984) 
この肖像画は1928年に描かれたが 56年後の1984年に描き直されている。テーブルの上のお茶道具は消され 人物の表情は穏やかになっている。バルテュスはこのような描き直しを10点ほど行なっているが これは特に間隔が開いていて56年後の手直しとなる。若い頃の作品に晩年になって手を入れる事自体が珍しく ほとんど別な作品になったと言って良い。他の手直しで間隔の開いているのは50年後 29年後 17年後 あとは5年後 2年後 1年後である。

第三章 P59-60

59-60
P43。「マダム・・Tの肖像」81×65cm F25号程度 キャンバスに油彩 1928
この頃の3人目の肖像画で ポーズを変えて2点描いている。この椅子に座る姿勢は肖像画として基本的な構図である。やはりこの頃はまだ筆使いや色彩に留意しながら描いており 油彩に慣れるためと人物の描き方を学んでいる時期だろう。筆跡は落着き絵具を押さえ込むようになっている。大きさはF25号程度。

P44。「マダム・Tの肖像」46.5×38.5cm F8号程度 キャンバスに油彩 1928
二枚目は顎に手の甲をあてたポーズで 伏せ目がちな表情は憂いて見える。まぶたのくぼみは貧者の印とも言われるが 実際の夫人は違うようである。人物の表情を描く時 わずかな筆の扱いで表情が変わる事がある。

第三章 P61-62

61-62
P45。「ベルンの帽子のある静物」56×71cm P20号程度 キャンバスに油彩 1928

わせれば 当然変わった構成になるが この作品は水平と垂直の構成を意図しているようだ。 バルテュスの静物画は少ない。これは初めての静物画で同じ物を構成を変えて2点描いている。2点ともかなり工夫された構成になっているが 描かれている物は変わった形の物ばかりである。四つの輪のはまった筒とその前に置かれた赤茶の椀 赤い花のついた平べったい帽子 蓋のない筒は奥に向かって遠近感がつけられ細くなっている。その奥にはP8にも描かれた椅子の背もたれ 手前には取っ手のついた木製の椀が重ねられ 右端に木辺で出来た籠と その前にシワの多い赤い布。これらの風変わりな雑貨を組み合わせれば 当然変わった構成になるが この作品は水平と垂直の構成を意図しているようだ。 
静物画は選んだ物によって印象が変わるし 物には絵になるものとそうでないものがある。豪華な物を選んで描けばその豪華さが出る。ここではありきたりな物をわざと選ばずに 風変わりな雑貨の持つ形の面白さとその組み合わせに関心を引かれたように見える。この物選びに若い自我の存在を感じ取れる。

P46。「ベルンの帽子のある静物」75×81cm F30号程度 ? 1928

先とほとんど同じモノを使った構図の違う静物画。ここでもとりとめのない雑貨を描いているが これらは3種の構成要素として配置されているように見る事ができる。背の低い物と背丈がある物 そして丸い帽子。しかしそれだけでなく左端の筒は斜めに歪められ 取っ手のついた木製の椀はそれとは見えないような角度に置かれ その特徴を表していない。また右下の蓋のない筒の中には何かが入れられ 大きな釣り針のような物が添えられている。そして中央のくびれた水差しだけそのまま分りやすい形で描かれている。ここでは先の作品よりも物の形とその組み合わせによる構成に強い関心を持ち 物がどのように使われているものなのかを無視したり 形を変形させてまで構成を優先させている。バルテュスは生涯において構成を主とする作品も描き続けたが これらはその初源的な作品と言える。

第三章 P63-64

63-64
P47。「オデオン広場」100×88cm F40号 キャンバスに油彩 1928

街とそこにいる大人達の姿を描いている。ここではオデオン座の前のカフェの給仕と頭に荷を載せた白衣の職人と階段を降りる人が描かれている。カフェの給仕は画面ぎりぎりに入れられ 白衣の職人は後ろ姿で頭に荷を乗せている。公園から街 子供達から大人達へと描く対象が移るのだが その街の捉え方が少し変わっていて 通常このような角度から街を描くだろうか。カフェの張り出たひさしの形も特異で 背景の建物と何の関係もないようだ。しかしこのような構図を良しとする構成感覚はバルテュスの独自性でもあるが このような構図は不特定の視界と言える。特定の建築物などを描こうとしているのではなく 人と建造物が織りなす街の様子自体を描こうとしているようだ。そしてこのような街の中の大人達の姿に関心を向ける事は 後の青年期の代表作の一つであるP73の「街路」に発展していく また「街路」を遡るとこの作品に至るのである。

P48。「ポン−ヌフの河岸」73×79cm F25号程度 キャンバスに油彩 1928

セ−ヌ川に掛かるポン−ヌフ橋を背景に川岸を散策する人々を描いているが そこは舞台と化したように人々は様々なポーズを取り 配置されている。真直ぐに立ったボーダーの男と前屈みの太った男は互いの飼い犬によって関係付けられているが 画面中央の舟竿を持った男と傘を持った後ろ姿の女性はたまたま居合わせたようだ。これはまさに「街路」の原形で 公園内の子供達の「同居の無関係性」をよりはっきりと打ち出し 街中の大人達を壮大な見せ物として取り扱っている。公園内の子供達を描いた作品とこの作品は同じ年に描かれているのだから 驚くべき事だ。

第三章 P65-66

65-66
P49。「河岸 (堤)」46×38cm F8号 厚紙に油彩 1928

これはセーヌ川の川岸で 樹木と塀にもたれる人々とその奥にいる人物が描かれている。ポン−ヌフ橋こそ描かれているが場所を特定し説明しようとはしていない。有名な建築物を描く気はなく あくまでも不特定の場所とそこにいる大人達を描いている。

P50。「河岸 (ポン-ヌフの河岸)」73×59.8cm キャンバスに油彩 1929

同じ川岸に猫を抱いた老婦人と塀の上から見下ろす男 その前を通り過ぎる人々を描いている。塀の上から見下ろす男と猫を抱いた老婦人は妙に気になる。このような思いがけない姿勢や後ろ姿 また人物を真横から描く手法は見る者の関心を強く引き付ける。そしてこれらの謎めく人物の捉え方はこの後に積極的に用いられていくようになる。

P51。「サン-ルイの河岸」45.5×35.5cm F8号程度 キャンバスに油彩 1928

巨木が立つ人気のない所を犬を連れた男が歩いている。日陰の中を歩き去る男の後ろ姿に憂いのようなものが感じら 画面奥の明るい建物と対比している。

第三章 P67-68

67-68
P52。「リュクサンブ−ル庭園」73×92cm F30号 キャンバスに油彩 1929

庭園の中の樹木と石塔を描いているが 画面の左端に少年が一人描かれている。庭園の深い森は秘密めいた場所で 他人のようによそよそしく子供らの侵入を拒んでいるようだ。その前を水兵帽をかぶった少年は輪を走らせながら通り過ぎて行く。

第三章 P69-70

69-70

P53。「ケ マラケ」65×43cm M15号程度 キャンバスに油彩 1929

これは街の中の建物を描いている。今回は街の中の建物に関心を向けているようだが いつもの特有のポーズをとった人物も小さく描き込まれている。この頭に荷を載せた白衣の職人はこれで2度描かれている事になる。

P54。「パンテオン広場」(1929)
P55。「パンテオン広場」48×63.5cm F12号程度 厚紙に油彩 1929

同じ場所を画いた2枚である。建物の前には馬車がおり手綱を引く人物も描かれている。P55ではそれに加えて右端に二人の人物が描かれている。大きな違いは地面の開け方で この方が画面が安定する。しかしそれよりも地面を広く取った方が様々な人を置ける事になる。

第三章 P71-72

71-72
P57。「街路」130×162cm F100号 キャンバスに油彩 1929これは最初の「街路」で原案画とされる作品である。今までに描いてきた屋外風景(庭園 川岸 建物)から発想したオリジナル色の強い作品でP48の「「ポン−ヌフの河岸」を引き継いでいる。そして今までの中で最も大きなキャンバス(F100号)を使っているから その力の入れようが分かる。しかしまだ筆致は荒く落着きがなく 画面構成は詰められていない。そうであってもこの作品は21才の画家の卵が本格的な自分の作品に取り組み始めた証となる作品である。そして4年後の1933年にもう一度描いた「街路」は青年期の代表作の一つであり バルテュスの全作品の中で欠かせない作品となるのである。「街路」のモデルになった通りは エショデ街のブルボン=ル=シャトー街と当時住んでいたフュルスタンベルグ広場に出る通りとの合成である。

第三章 P73-74

73-74
P56。「M・Hの肖像」99×79cm F40号 キャンバスに油彩 1929西欧の伝統的なポーズの付け方がされた肖像画である。モデルは描かれる事を前提にしっかりと自尊心を用意している。背景の書棚はその人物の知量を示す。面白いのは書棚の赤い本で画面の中の強調点(アクセント)だろう。東洋風の仏像もある。筆致はまだやや大まかだが落着きを見せ始めているし 色調はかなり統一されている。バルテュス21才 すでに職業的な意識を持って取り組んでいるように見える。

P58。「カイマン」1929 資料写真無し 現存せず。

P59。「静物」65×34cm M15号程度 キャンバスに油彩 1926-1930

三枚目の静物画で花と果物を描いている。制作期間が1926-30年となっている。4年間もかかたのだろうか。花はかなり丹念に描かれているが 果物皿はやや手前に傾けられている。

第三章 P75-76

75-76
P60。「座っている若い娘 (アントワネット)」91.5×72.5cm キャンバスに油彩 1930(1965)
 長椅子に座りポーズをつけている女性を描いている。女性はアントワネット・ド・ヴァットヴィルで 彼女とは大恋愛のすえに結婚した女性であり このあとも6点描かれ 間接的なモデルと思われる作品が4点ほどある。頭に腕を乗せてくつろいだポーズはバルテュスらしく これまでの人物画ではこのようなポーズは見られなかったので これが長椅子に座る若い娘を描いた最初の作品と言える。全体にはまだ大まかな筆使いが残っているが 顔のあたりの筆致には落ち着きが出てきている。

P61。「ルネーの肖像」77×58.5cm P25号程度 1930
これもさりげないがバルテュスらしいポーズである。描かれる事に対して身構えずにくつろぎ ごく自然にちょっと凝った姿勢を取る。これがバルテュスが描く肖像画のポーズであるが この時期にそれが確立し始めている。P-。「d’Adele Bayの肖像} 73.5×60.5 F25号程度 キャンバスに油彩 1930この作品はカタログ・レゾネには未掲載であったが 2008年に開催された生誕100年スイス展に公表された。

第三章 P77-78

77-78
P−。「空中ごまで遊ぶ若い娘」80×65cm F25号 キャンバスに油彩 1930

これは1999年発行のレゾネには載っていない作品である。バルテュスのこれまでも子供達の遊ぶ姿を描いているが それらは庭園内の情景の一つであった。ここでは庭園内の情景と言うよりも 見事な技を見せる若い娘の動きと姿勢に注目しているようだ。

本書では作品番号はガリマール社刊行のレゾネに沿っているが この作品はレゾネに不掲載であったため作品番号を不明のままにしてある。

第三章 P79-80

79-80
青年期1932-1939 24才-31才 P62−P123 61点+1点=62点+63点 計125点
この若い時期の7年間にすでに代表作となる作品を幾点も描いている。その多くは最初の個展に発表した作品である。この時期の作風は写実表現的な描き方がされている。「嵐が丘」の挿し絵を含めると62点主な作品「街路」「鏡の中のアリス」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」「ラルシャン」など。

P62。「乗馬服を着た若い娘の肖像」72×52㎝ P20号程度 1932(1982)
モロッコへの兵役後の作品である。P20号に立ち姿を描いているので人物は小さい。やや荒い仕上りだが雰囲気があって手に納まる人形のようである。しかしこの作品も1982年に手が入れられているので 現在見る事のできる表情は描かれた当時とは異なっている。当初はもっと表情に険しさが見られたが 現在では穏やかで明るい表情になっている。50年後に作品に手を入れるとは どう言う気持ちなのだろう。P42の「G・Mの肖像」に手を加えたのは1984年で この作品が1982年だから若い頃の作品に手を入れたのはこの作品の方が先になる。

第三章 P81-82

81-82
P63。「スイスのズゥグ州のベッテ・メイヤ−とその妹」摸写。70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P64。「カントンのシュイッ州のフランツ・ルディガー・キュシュ・マイヤーとその妹」摸写。    70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P65。「カントンのシュイッ州のアンナ・カテリーナ・バーゲンヌ・シュトッスとその妹」摸写。    70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P66。「カントンのフリヴェール州のクリスティヌ・ホイマンヌとその妹」摸写。 70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

この4点はヨーゼフ・ラインハルトによるスイス農民の民俗衣装姿の肖像画を模写したものである。初期イタリアルネッサンスの摸写に比べるとかなり描き込んでいて完成度が高い。異国情緒のある摸写で 後の作品と照らし合わせると衣装の柄や色彩の組み合わせを学んだように見える。また形のまとめ方や立体表現 そして二人の人物の組み合わせも学んでいるようだ。

第三章 P67

67
P67。「剣玉遊びをするL・ベッツィ」70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932-1933 

剣玉遊びをする夫人とパイプを吸うラインヘルツ氏が描かれている。このような二人の姿を描く所にバルテュスの遊び心が伺える。特に剣玉に熱中する夫人は造形的にも面白い。この絵も二人の全身を描くには小さいが 形のまとめ方 人物の配置 油絵具の扱い方 色調の統一性 剣玉に集中する夫人の身体の動きと表情 夫の座っている時の上半身のちょっとしたひねり 宙に浮く剣玉のヒモの現実性(リアリティ)などが 要領良くまとめられている。この作品は画家バルテュスにとって記念となる作品でなかろうか。ここには画家に必要なものが準備できた事が示されている。バルテュス25才。

第三章 P68-P70

68-70
P68。「ピエール・レリスの肖像」42×33.5㎝ F7号程度 厚紙に油彩 1932-1933

ベッツィ夫人の夫であるレスリ氏の肖像である。穏やかな表情と上着の様子に現実性がある。

P69。「ピエール・レリスの肖像」大きさ不明 キャンバスに油彩 1932-1933

先と同じ レスリ氏は横向きで煙草に火を付けている。食卓の上には様々なものが配置されているが 気軽な油彩による素描のようだが 人物と静物を同じ画面に描く事は 異なるものを組み合わせる手法の原点かも知れない。

P70。「ベッツィ夫人の肖像」80.6×65㎝ F25号 80.6×65㎝ F25号 キャンバスに油彩 1933

椅子に座った夫人は遠くを見ている。剣玉に熱中する幼い子供のような無邪気さはここには無く そのかわり普段の何気ない落ちつきが気品と共に描かれている。

第三章 嵐が丘

P−。「嵐が丘」の挿し絵。

arasi
arasi2
この挿し絵は1933-1935年にわたって描かれた。それはちょうど1934年の初個展を開催する前後の時期でもある。この時バルテュスは25才から27才であったが それまでを修行期間とするなら それまでに貯えたものを一気にというより 爆発的に開花させた時期でもある。それらの充実した時期に描かれた「嵐が丘」の挿し絵も力作である。原作はイギリスのエミリー・ブロンテ(1818-1848)の小説。エミリーが書いた唯一の小説。エミリーの姉のシャーロット・ブロンテは「ジェーン・エア」 妹のアンは「アグネス・グレイ」を書いている。1939年にはアメリカで映画化もされている。挿し絵は18点で習作や素描が29点ほどある。この挿し絵は未完成で 出版は実現しなかったが一部が1935年に雑誌「ル・ミノトール」に発表され 1936年にはロンドンで展示された。出版が実現されるのは1989年にフランス語版 そして1993年の英語版まで待たねばならなかった。原画は後にマルセル・デュシャンが夫人に購入させている。
この挿し絵を本制作とみなさず 単に小説を分りやすくする飾りの絵と見るむきもあるが 果たしてそうだろうか。ここには「ミツ」よりもはるかに重要なバルテュスの特徴を見い出す事ができる。「ミツ」もそうだがこれも全て記憶と想像力で描かれていて 登場人物の様々な身振りや姿勢は全てバルテュスが創出したものであり 後の作品の一つの源泉となる作品である。
この小説の粗筋は 「嵐が丘」と呼ばれる館に孤児であるヒースクリフが養子として引き取られ その館の娘のキャシーと次第に心通わせて行く。身分や財産を越えて二人は結ばれようとするが キャシーは年を重ねていくうちに財産や名誉と言った欲に捕われていき ついに地元の名家の息子エドガーと結婚してしまう。ヒースクリフはその裏切りに復讐するために家を出て資産家になって戻ってくる。キャシーはヒースクリフの復讐を受け入れようとするが それを理解したヒースクリフは復讐を放棄するが キャシーは病のために死んでしまう。そしてヒースクリフは「嵐が丘」の館に住み続けながら愛するものを失った地獄に耐えようとする。
バルテュスはこの小説を単なる恋愛小説としてではなく 悲劇的な宿命を背負った人物の性格とこの物語の風景に強く引かれている。それは野性的な自然の中に解き放たれた二人の情熱の渦のようなその在り方であり さらに男女の結びつきに必要な互いの根底についての理解 つまり共生という本質的な関係に男女の結びつきのみならず性を超えた人間の関係の根底を読み取っていたのである。
バルテュスは二人の関係を示す例として 次の台詞をあげている。キャシーはヒースクリフとの関係を友人に告白する「あの人は私で 私はあの人なのよ。」 またヒースクリフは死のせまったキャシーに言う「僕が君の心を壊したのではない。それを壊したのは君だ。そして君の心を壊す事によって 君は僕の心を壊したのだ。」P−。「嵐が丘」の挿し絵。原作 E・ブロンティ 紙にインク 1933-1935

第三章 P71

71

「鏡の中への挑発」

P71。「鏡の中のアリス」162×112P100号 キャンバスに油彩 1933

この作品は初個展に出品されている。「ギターのレッスン」と同じく性的な作品だが これはバルテュスがある意味で意図的に狙ったものであった。「残念な事に あの頃パリで有名になる唯一の方法は話題性でした。それもスキャンダルという話題性。」と述べている。 初個展での反応は大きかったが ほとんどが攻撃的で敵意に満ちたものであったという。あからさまな性を描く事への反発以外にも当時の前衛としてのダダやシュールリアリスムの隆盛と相反するような具象画である事も攻撃の理由になった。
ここに描かれた半裸の女性は 一見するとリアル表現描法で描かれているようだが 実はかなりディフォルメされている。 小さな手 細い上半身に大きな乳房 小さめの腰と太い腿と膝と足首 これらは先のP67の「剣玉をするベティ夫人」と同じ造形感覚である。またこの作品の特徴は人物以外に描かれているモノが非常に少なく ありふれた安価な椅子と無装飾な床壁のみだという事である。 この潔いほどの簡素さはバルテュスの青年期の特徴でもある。実際に貧しかったのであろうが それよりも装飾的なものを廃す事で 描かれたものを際立たせたかたのだろう。
そして肝心な このアリスと言う名の女性は絵を見る者の視線に その身体を無防備にさらけ出しているように見える。 しかしそうではなく この女性が鏡に向かって自分の姿を写しているだけで 絵を見る者はその鏡に映った姿を見ているという仕掛けになっているのである。 ゆえに「鏡の中のアリス」という題名なのである。鏡に自ら姿を映しているアリスは無防備で 髪を梳くだけで 他をおろそかにしている。胸ははだけ 股間があらわになっても気にしていない。 そこに映っている自分は人に見せるための自分ではなく ごく私的な個人的世界にいる自分なのである。つまりこの無防備で露骨な姿を描いている作品は 鏡を前にした女のごく私的な世界を描いているのである。 重要性なのはその露な裸体だけではなく そのごく私的な個人的な世界を暴いている所にある。このような絵を描く25才の青年は確かにかなりの早熟であったと言える。そしてかなり頭が良い。アリスのそのたわわな乳房と露になりそうな陰部は性の露呈であり 刺激的だ。しかしそれよりももっと気になるのが彼女の眼である。この眼の描き方がこの作品の最も鋭い閃きでもあるし この絵の仕組みを語る示唆だと考えられる。薄い膜がかかったような その眼はガラス玉のように空虚である。義眼は美しいが何も映さず 表面は鏡となるだけ。この靄がかかったような眼にはそれさえもできない。この眼は何も映していない。見るべき鏡の前で何も見ていない眼とアリスだが その姿の全ては見られている。鏡の前で自らを映す者はその姿を見ていないのだが その姿は鏡に見られているのである。ここではアリスは見る者ではなく 鏡こそが見るモノなのである。 デフォルメされた裸体 私的な世界と性の露呈 鏡は見ている。これがこの絵の仕組みである。とは言ってもこの絵を自室の壁に掛け 毎日のように眺めていたら きっとアリスの眼と裸体に惑わされるだろう。

第三章 P72

72
P72。「窓 (幽霊の恐怖)」162.2×114.3㎝ P100号 キャンバスに油彩 1933(1962)
この窓辺に座って何かに驚いているような女性を描いた絵は一体何を表しているのだろう。 これを描く時バルテュスはモデルを驚かせるために幽霊の真似したとか 軍服を着て刀を抜いたとも言われている。 窓はバルテュスが良く取り上げる画題で17点ほどあるが これが最初の作品である。なぜ驚いているのかを別にして窓辺にいる女性として見れば少しは糸口が見つかるかも知れない。窓は内は外をつなぐ開口部であり 内と外という二つの世界をつなぐ開閉する口である。壁は内と外を分け隔てるが 窓はそれをつなぐ。 光を受け入れ 大気を循環させる。 室内にわだかまった沈鬱な淀みは 開けられた窓から流入する外光と空気によって霧散するだろうし 壁に留まるしかない視線は窓から遥か遠くへ開放されるだろう。 内と外をつなぐ口。ここに描かれた窓は大きく開け放たれ 外の建物は明るく屋根越しに青空と白い雲が見える。 ここからこの女性を取り除けばP206の「窓 ロアンの中庭」の世界になる。 この作品の窓辺は外と内の狭間の世界として描かれているのは確かだろうが。外の陽を浴びる建物は明るいが一つ一つの建物の細部は省かれ構成的に処理されている。室内は陽光が入って来ても暗さは残っていて 外の明るさと内の暗さの中間にいる娘は逆光を浴びて複雑な陰影が出来ている。普通に窓辺に女性が座っていても充分に絵になる。驚く身振りがなくとも絵として成立する。もしかしてそのような心地良さそうな情景になる事を避けるために 過剰な身振りを入れてはぐらかしているのか。スキャンダルを恐れる事なく実行する大胆で早熟な青年画家は謎めく事を好んでも 陽光を浴びる女性像は健康的で穏やかすぎると考えたのだろうか。
前時代的な衣装と意味の判断がつかない姿勢と身振りは謎へと膨らみ そのまま動く事のない姿は石化した人間を眺めているようだと言われている* のだが ありのままを見れば驚くという反応 動作 姿勢 表情といったものが作り出す形態の瞬間性がここにはある。出来事の前後を断ち切り 絵画の静止性を強調するなどといった表現は思いがけない発想である。その意味でこの作品は新たな試みを行なっている。この作品も後に手直しが行なわれていて 29年後の1962年に悪意を込めたような表情は穏やかなになり そのかわりに上着ははだけ片方の乳房を露にされた。つまり表情は穏やかになったが性の露呈が加えられたのである。これは先の瞬間性に性の露呈を加える事で より不可解さを強調すると言った意図が含まれているのかもしれない。

* このような姿勢についてアルベール・カミュは「反抗的人間」の中でこう言っている。「一種の魔法の力で永久にではなく五分の一秒間過ぎてしまえばまた動き出すかのようなほんの束の間だけ石と化した人間を眺めているような気がする。」 
またピエロ・ディラ・フランチェスカの描いた人物についてマックス・ピカートは「彼等は沈黙を身に付け沈黙を通して語る。」と言っている。

第三章 P73

73

「街中の壮大な見せ物」

P73。「街路」 195×240㎝ F200号程度 キャンバスに油彩 1933

これも初個展に出品されていて その中で最も大きな作品でF200号程度の大きさである。初期の時代に描いていた「同居の無関係」の集大成である。登場している人物は9人で 様々な身振りと姿勢を与えられ 巧妙に組み合わされている。この場所は現実にある二つの通りを合成して作られた架空の場所であり 通りは静かで9人の人々に場を与えるためだけにあるようだ。この場にいる人々は皆 特徴的な姿勢や身振りをとりながら固定化しているように見え 顔立ちや体つきも変形されたり単純化されている。また着ている衣服も当時の風俗を再現したものではないようだ。9人を一人一人検証してみると もっとも印象的な人物は中央右の丸顔の少年のような男だろう。次はその少年のような男の前を後ろ姿で歩く女性だが 赤い十字の目立つ帽子をかぶり 右の手の平を開いている。そして彼女の右手の前には後ろ姿の前掛けをした女性が ベレー帽をかぶった三角顔の子供を抱えている。この乳母のような女の背には首巻きのようなものが垂れ 子供は黄色い紙を持っている。さらに中央に戻ると白づくめの男が細長い荷を肩に乗せて運んでいる。この人物の原形はP47とP53に描かれている。その手前には老婆のような顔の小さな女が幼子のように球遊びをしている。この異形のような女の後ろではつり目の娘が東洋人風の男に腕をつかまれ 抱き止められている。その奥は9人目の男でパン屋の職人のような格好で棒のように立っている。この奇妙に変形と強調をされた人々は 同じ場にいるだけでそれぞれの関係は持っていない。構図上の関係性はあるが ただ同じ通りに居合わせただけ。これは初期の庭園や街を描いた作品と同じであり 互いの無関係さをこの作品では本格的な作品として絵画化している。
しかしこの奇妙さはなんだろう。人々の形か 顔だちか 衣装か 身振りと姿勢か それぞれの無関係さか。または9人の後ろのガラリとした空白の広がりか。人の形や顔だちの畸形に近いほどの異形だからか。各人の衣装は控えめだが 身振りと姿勢は日常的ではなく どこか作られ意味深である。丸顔の男の胸にあてた右手 後ろ向きの女の広げた右手 子供の抱えられ方など。そしてこの情景の平穏さを破っているのが一悶着起こしている東洋風の男と女である。これは性的な強要で 強姦かもしれないが このような事が起こっていても 他の者は無関心である。またこの二人は絵に不穏さを与えているが 球遊びをする幼子も同じく不穏である。この老婆のような顔だちは年を取っても成長しない病を持った畸形者のようだ。また聖職者のような衣装を着た人物は女性に見えるため 聖職者に対して何らかの意味を与えているように思わせている。
このような人々を描く理由は 人間の持つ根本的な負を露呈させようとしているからだろう。バルテュスは現実の街に住む者達の姿を残酷なほど冷静に観察する事で 人々の負の実体を見い出しているが そこにはある種の滑稽さが含まれている事にも気付いている。彼等は負を持つ悲しみを自ら笑いものにする道化のようで まるで芝居の舞台のように見世物化されている。それもある種の残酷さを含んだ壮大な見世物として。

第三章 P74

74

「行き違う男女の葛藤」

P74。「キャシーの化粧」 165×150㎝ S100号程度 キャンバスに油彩 1933
この作品も青年期の代表作の一つで初個展に出品されている。同じ年にエミリ−・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿し絵を描いていて その挿し絵の一部に同じ図柄があるので この作品は「嵐が丘」の一場面の油彩版である。ガウンを羽織った裸体姿の女性は髪を梳いてもらいながら怒ったような表情を見せ 椅子に座る男は顔をそむけて陰鬱な表情を見せている。この物語性がある絵は興味深く 一体どういう状況なのだと見る者の関心を強く引きつける。「嵐が丘」はキャシーとヒースクリフが子供時代に育んだ共生と共に引き合う気持ちが大人になるにつれ行き違い 最後は悲劇に終る話であるが この場面は二人の悲劇の始まりを描いている。キャシーは贈られた衣装を着て夜会に出たいのだが ヒースクリフはそれをやめさせたい。キャシーはヒースクリフとの深い結びつきと彼の愛情も知っていたが 大人になるに従って豪奢な衣装や裕福な人々の世界に強く引かれるようになる。孤児で養護人のもとで暮らしているヒースクリフには そのようなキャシーの欲求を満たす資産も地位もない。純粋な愛情しか持たないヒースクリフは悩み 憂い 怒り 戸惑うがなす術を持たない。キャシーも自らの欲求と彼との愛に悩むが ささいな出来事から彼は誤解して家を出る。これが二人の悲劇の始まりであり この絵の主題でもある。この絵ではヒースクリフは贈られた衣装を着ようとするキャシーに「二人の愛でなく 己の虚栄心を満足させたいだけだ。」とキャシーの欲求を否定するが キャシーは「美しくありたいと思う気持ちも罪なの。」と自分の欲求を満たしてくれないヒースクリフに反論する場面が描かれている。キャシーの意固地な気持ちとヒースクリフへの反発はそっぽを向いた硬い表情と尖って別々な方に向く乳房によって表されている。それに対してヒースクリフは陰鬱そうな暗い色調で描かれ 成す術を持たぬ我が身を責めるように 気難しい表情でキャシーから顔と身体を背けている。怒りは胸の前の腕にこもるが動かせない。
例え「嵐が丘」の話を知らなくともこの絵は理解しあえない男と女の心理を描いたものと分かるはずだ。このような二人の心理的な状況を絵画化するのは容易な事ではない。状況の設定 互いの表情と身振り 色彩の使い方などを上手く使いこなさねばならない訳だが ここではそれらが見事に上手くいっている。キャシーの足元の絨毯は豪奢な生活への憧れを象徴しているのだろう。また二人の深刻な関係に加わっている家政婦エレンの描き方が面白い。真横に描かれたエレンは平面的でキャシーとの造形関係に不自然さがあるが これが一種の奇妙さまたは可笑し味を生んでいるように見える。このエレンの異なる描き方は一種の組み合わせの妙で 深刻な中に他の要素を入れる事で単なる状況と心理の説明に終らせない工夫だろう。このような複雑で多様な解釈を生む手法はバルテュスの作品の魅力でもある。

第三章 P75

75
P75。「兵舎」 81×100㎝ F40号程度 キャンバスに油彩 1933
バルテュスは1930-1931の15ヵ月間 モロッコのケニトラとフェスで兵役についている。この時の事を幾つか語っているが マラリアとアメーバ赤痢にかかった事以外は楽しみも多くあったようだ。魅力的な異邦の国の建物の中でお茶を御馳走になったり 羊飼いの歌を聞いたり イスラム教徒の友愛を尊ぶ一面に感心したり またバルテュスは「千夜一夜」を通してアラビア文化に親しんでいたとも語っている。しかしこのモロッコの絵はそのようなささやかで美しい思い出とは異なっている。ここには兵役についている者の日々がある。命令のもとで役目を果たさねばならない者達の集団は 緊張と弛緩の日々を送る。事あれば武器を手にして 敵となる者に立ち向かわねばならない厄介さを背負いながら 何もなければ平穏を間抜けのように享受できる。
画面には幾人もの兵士が様々なポーズで描かれているが ここでは「同居の無関係性」はなく 白い馬を中心に 様々な姿勢の兵士が配置されている。言う事を聞かない白い馬の前に立って制止しようとする者 追いかけ損ねる者 傍観する者 取り仕切る者 出かけていく者。ここには異国の地で暮らす兵士達のありがちな出来事を強い陽光と滑稽さを持って描いている。このような日々の出来事を通して兵士達の強気と不安と平穏の間に宙吊りにされている様子が伝わってくる。

第三章 P76-P77

76-77
P76。「舞台美術のための構想画 」 46×56 F10号程度 木版に油彩 1934?
1934年にシャンゼリゼ劇場でシェイクスピア原作「お気に召すまま」を翻案ジュール・シュペルヴィエル演出ヴィクト−ル・バルノフスキー 舞台美術と衣装デザインはバルテュスが担当。この構想画の緞帳をロープで止めた案はP103の「白いスカート」にも見られる。

P77。「ピエール・レーブ夫人の肖像」 72×53㎝ P20号 キャンバスに油彩 1934
この衿の立った不思議なブラウスを着た夫人が描かれている。手足が細く小さいがP67の「剣玉をするベティ夫人」と形のまとめ方が同じである。人形のような体形はこの頃の人物画に見られる傾向だが 顔に関してはやはりその人の内面を含んだ表情に仕上げられている。ブラウスの柄と色のせいか愛らしさが感じられるが 繊細な神経を持った女性のようにも見える。
初個展の後に画廊主のピエール・ロエブを通して このような肖像画の依頼があったのだが1932年の「乗馬服を着た若い娘」P62と比べると2年しか経っていないのに描画力は格段に進歩している。自分やり方を心得たようだ。この速度。この頃の特徴はここに見られるような形のまとめ方と もう一つ簡素な室内と家具を描く事が上げられる。この絵にもありふれた椅子と無装飾の机が描かれている。これを「貧しき絵画」と非難する者もいた。しかしやはり画面構成上の必要最低限で描こうとする考えがあっての事だろう。P78。「若い娘」 1934 資料写真無し 現存不明。

第三章 P80

80
P80。「レディ・アブディ」 186×140㎝ F150号程度 キャンバスに油彩 1935
これもピエール画廊の初個展に出品されているアブディ女史の肖像画である。しかし先のP72の「窓 (幽霊の恐怖)」と同じく時代違いの衣装を着た女史は窓辺に立っているが いったい彼女は何をしているのだろう。女史は薄布のカーテンを開けて窓に取り付くように外の様子をうかがっている。その姿は切迫しているようだが どこか無表情で空々しくも見える。彼女の眼はうつろで視線は外に向かっていない。
窓は外を見るばかりでなく 外から見られるものでもあるが それだけでなく窓とそこに寄る者はお話を生むのではないか。夜がお話を作り出すように。夜に口笛を吹く事は何故か禁じられているし 満月の夜には馬が死ぬと言われるように 窓辺にも何かが生じる。例えば若い娘が窓辺に立っていれば 家の中の退屈さを紛らわせようとする不満や人恋しい気持ちを思い起こさせるだろう。このような何かを思わせる窓辺。この絵の窓辺にはある種の感情がある。ヒステリックな憤り 内にこもった猜疑心 憂いと慰め 漠然とした不安などが見て取れる。彼女はきっと愛おしい人を待っているのだろうが その人がいくら待っても現れないために 行き場を失った想いはもつれた感情となって窓辺に纏わりついているのだろう。

第三章 P79

79

「可虐と受虐の官能性」

P79。「ギターのレッスン」 161×138.5㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1934
この作品もピエール画廊の初個展に出品されているが 他の作品とは別の部屋に展示され 限られた人にのみ鑑賞を許したと言われている。そしてその後も公開を限定された作品でもある。それはこの作品がバルテュスの作品の中でもっとも醜聞的で厄介な内容を描いているからである。
同じ個展に出品されていたP71の「鏡の中のアリス」にも性的な裸体が描かれていたが アリスは無意識であった。しかしここでは明らかに感情と暴力と性があからさまに描かれている。
この二人は 親子だろうか。それとも幼い娘を膝に乗せた女はギターの教師か。女は練習をさぼった娘にお仕置きをしているのか。それともそれを理由に弄んでいるのか 幼い娘は膝の上で髪をつかまれ海老ぞリになっている。下着は付けていない。女の片手は娘の太ももの内側を掴む。無毛の陰丘は露だ。女の加虐に対して幼い娘はうつろな表情で脱力し無抵抗だが 左手は女の衿をつかんで片方の乳房をむき出しにしている。その尖った乳房は怒りなのか官能なのか。しかし女の表情は眼こそ険しいが 口元にわずかに笑みが見える。これは喜びか 怒りと加虐によって相手を屈服させた勝者の余裕か。過度の躾は可虐となり その加虐性は性的な欲望に結びつく事もある。それゆえこの絵は色情加害狂(サディズム)や色情被虐症(マゾヒズム)と言った異常な性的な欲望と無関係ではないように見えるし さらに二人は同性同士である事で同性愛(レズビアン) また年の離れた大人と子供でもあることから 親子の確執や児童虐待という問題とも関わっている。つまりこの絵は加虐と受虐といった禁忌の世界と同性間の愛憎や大人と子供の確執から生じる感情世界を描いていると言える。
この作品もP71の「鏡の中のアリス」と同じように醜聞を起こす事を意図して描かれている。この絵が描かれた当時のパリはダダイズムとシュールリアリスムが 新たな表現活動として物議をかもしながら美術界とその周辺を席巻していた。そんな中で若い画家がそれらと組みする事なく自分の場を確保する事は確かに難しかったろうが この作品は単なる醜聞的な作品ではなくバルテュスが若くしてすでに独自で鋭い本質を探る観察眼を持っていた事を明らかにしている。その鋭さと着眼は禁忌の覆いを剥ぎ取り 絵画は本質を暴き出す手段でもある事を示している。またこの絵の緊張感と性への挑発的な企みこそ 若きバルテュスの精神の糸の張り具合でもあるだろう。
しかしこの醜聞的な作品はバルテュスに対する偏見を生み 誤解を招く種となって行く。そのため後には展覧会などでの公開は行なわれずに 作品自体が禁忌化されるのである。

第三章 P81

81
P81。「カッサンドル=ムーロン一家」 72×72㎝ S20号程度 キャンバスに油彩 1935
家族の肖像画である。この絵の魅力はしっかりと捉えられた右側の二人の人物の形とその組み合わせだろう。母親の座る椅子のひじ掛けに乗る娘 二人は肩と腰に腕を回し合い親密な親子関係を見せている。この二人の組み合わさった形 特に右側の娘の形は均衡を保って安定している。描き込みも充分で立体感や質量も適度な手応えがある。そしてこの二人と対照的なのが やや離れて机にちょこんと乗って新聞を読む幼い子供だ。その可愛らしい形と表情 それに子供のくせに新聞を読む大人っぽさは可笑し味がある。机の足はかなり長く背が高いから 乗っている子供の足下は心細いほど広い。2人は正確な写実表現に真剣味を持たされ 3人目は可笑し味をもって描かれる。この描き方は「キャシーの化粧」の男女と老婆と同じ手法ではないか。この一つの画面の中で異なる扱い方をする所が面白い。また親密な母と娘なのに顔だちが他人のように似ていない事も奇妙で可笑し味がある。

ちなみにこの人達はグラフィックデザイナーのアドルフ・ムーロン・カッサンドラの家族である。

第三章 P82

82
P82。「レリア・カエターニ(公園の中の若い娘)」 116×88㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 1935
この赤と緑が印象的な肖像画は 珍しく屋外を背景に描かれている。屋外の肖像画は3点しかない。人物は右向きで腕を軽く組んで頭をやや傾けている。公園の歩道に立った足下には鳩 右奥に椅子が2脚 一脚は倒れ 左奥には街灯と森 さらに奥には建物の屋根が見えている。右奥は緑の芝が広がり 曲がった歩道に帽子をかぶった少女が片手をあげて後ろ向きに立っている。その奥は公園の森 木々は葉を落とし繊細な枝先が見えている。この絵は未完成らしく腰のあたりに身体の線を描き直すため白い線が残っている。しかし不思議なのは人物と街灯 建物 椅子などの大きさの関係である。街灯は人物に比べ小さすぎるし 人物の足下と街灯の根元の高さの差はせますぎて距離感がない。椅子も同じ。それに比べ奥の少女は充分な距離を出すために高い位置に描かれている。この大きさと距離の関係の食い違いは意図的なのだろう。先の「カッサンドル=ム−ロン一家」や「キャシーの化粧」のような工夫をする画家なのだから。モノの大きさと距離はモノ同士の大きさの違いと画面の高低の位置で理解される。これは写実表現描法の原則である。しかし現実を見るように絵画世界を造ろうとしなければ そのような原則は守る必要はない。子供が描く絵では関心を強く持つモノほど画面中央に大きく描き 人と家などの大きさの比較は重要ではなく描き分けられる事は少ない。バルテュスは西洋や東洋の古典絵画から多くを学んでいるが ここでは子供の絵画表現の法則を利用するかのように人物の大きさを優先させて 物の大きさや距離を変えさらに人物を中心にした画面構成のためにそれを行なっているようだ。その結果 このような既存の法則に従っていない不思議な絵画空間を作り出したと考えられる。

P83。「レリア・カエターニの肖像」1935 資料写真無し 現存不明。

図。A-3絵画における大きさと距離の原則。有角透視図法では同じ物でも近くは大きく 奥まるほど小さくなり 高い位置になる。
図。P82「レリア・カエターニの肖像」不自然と思える箇所。人物と街灯の大きさと距離。椅子と人物の大きさと距離。

第三章  P84

84
P84。「猫達の王」 71×48㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1935
バルテュスは自画像を3点描いているが これが最初の自画像である。自画像は画家にとって厄介な画題でもあるはずだが 多くの画家は自分を描く。厄介とは自分をどう捉えるかと言う問題が生じるからで 中には鼻につく作者の自尊心や自己顕示欲がむき出しになっているものある。この猫達の王と名乗る男はその厄介な自尊心と自己顕示欲を一捻り加えた演出でモノにしている。自らを王と名乗る事で自尊心と自己顕示欲の扱い方の厄介さを吹き飛ばしている。鷹揚な態度と気難しそうな表情の割りに上半身は小さく 肩はなで肩 ネクタイは短い。ここにはダンディズムの気高さと道化者の可笑し味が見て取れる。ありふれた安価な椅子の上には調教用の笞 笞はもっと獰猛な肉食獣に使うものだろう。それに英語で描かれた碑文まで用意して事を大袈裟さにしている。ここにはダンディズムの気高さや道化者と事を大袈裟にする可笑し味がある。このように自分を扱うとは何と芸達者なのだろう。それに機知がある。タダの王ではなく猫の王とは。元来猫は人に媚びないし 隷属せず 王のように振る舞っている動物なのだから すり寄る猫は頭が大きく貫禄がある。その王様とは王の中の王と言う事か。それとも裸の王様を演じているのか。バルテュス 弱冠 27才。猫達を味方につける。

猫が本格的に描かれるのは「ミツ」以来だが 「ミツ」とこの自画像を比べると 猫との関係が新たな展開をむかえた事が分かる。そして猫はこの後にはある特別な存在者としての重要な役割を与えられて行く事になる。

第三章 P85-P89

85-89
P85。「シェイラ・ピクリングの肖像」 73×53㎝ P20号程度 キャンバスに油彩 1935
これは上半身の肖像画で特に変わった所はない。ただ手許に記された文を読むと左ページには「これは猫達の王女シエラの肖像である。」 右ページには「バルテュスがこれを描き 猫達の王は彼自身だ。」とある。つまり彼女は猫達の王の対となる猫達の王女であると言っている。

P89。「ピエール・コールの肖像」55×46㎝ F10号程度 1936
この男性像は 最初のアトリエからロアン小路に引っ越した頃に描かれている。「一部屋だったがとても広くて簡素なアトリエだった。美しさに欠けていたのでゴシック様式の寝台を置いて ちょっと華やかさを出した。」また「この部屋にはあらゆる人々が訪れた。」とも氏は述懐している。あらゆる人達とは画家 彫刻家 俳優 ボヘミアン 批評家 画商などで 描かれたコール氏は画商であり1928年からの付き合いであるが1948年に亡くなっている。7年前にはロシアが共産主義国のソビエト連邦になり 3年後には第二次世界大戦が勃発する。当時のパリは経済の発展による華やかさと活気 そして急激な社会の変化による暗い影が忍び寄っていた時代にあり 国を捨てた人や追われた人 新たな時代を感じて集まる人達 もちろん美術関係のダダイストとシュールリアリスト エコ−ル・ド・パリや抽象絵画の画家達と彫刻家 また彼等を取り囲む様々な人々が行き交い 集まっていたはずだ。このコール氏も時代の中に居て 自らの考えを通す力を持った人物のように描かれている。

第三章 P86

86
P86。「女の肖像 (マダム・イレーヌ)」 80×55㎝ M25号程度 キャンバスに油彩 1935
この肖像画も小さな画面に全身を入れ 人物以外は椅子と棚と室内の床壁が描かれている。道具立てとしては簡素なのだが 画面構成としては必要充分で 右側の広い壁の面は抜きとしてあり 壁の下の幅木は壁と床の境目を飾り 棚と椅子は人物の脇役として画面を充足させ 変化も与えている。さらに安価でない家具や夫人のロングドレスとその生地の輝きは控えめながら この絵に華やかさを加えている。
そしてこの頃の氏特有の味わいも見られる。人物の大きめの頭と小さい上半身と薄い胸は不均衡で その気難しげな表情と合わせ見ると 一種の可笑しみと悲しみが同居しているように見える。そして衣装や全体のポーズの付け方 さらに小さな手帳を持たせる工夫などは氏の肖像画に与える特性が見られる。この頃の肖像画に描かれた人物達は決して笑顔や愛想を振りまかない。それは時代の反映か それとも氏の当時の感性だろうか。

第三章 P87

87
P87。「山 (夏休み)の習作」 60×73㎝ F20号程度 キャンバスに油彩 1935
これはP102の「山 (夏)」の習作である。「山 (夏)」は1937年作だから その2年前に描かれている事になる。この風景はベアーテンベルグのスイスの風景で それを描いた水彩画をもとにして描いたと氏は述べている。大きくうねった起伏を見せる岩山とその岩肌 その間から遠くの険しく尖った青い山々が見える。そして手前の草の茂った穏やかな平地には 大きな平たい岩の横で杖を持った女性が眠っているように横になっている。習作でなくても良いようだが「山 (夏)」と比べるとこの習作の方は部分に見える。この習作を部分とし 本制作を全体として見比べると何が加味され どのように展開し 何を目指したのかが良く分かる。大海原の大波のようにうねる岩山を背景にして この娘はどんな夢を見ているのだろう。

第三章 P88

88

「悲しみと可笑しみ」

P88。「ポントワ−ズの郡長 (ムシュ・イレーヌ)」 108×125㎝ F60号程度 キャンバスに油彩 1936
この作品は屋外に描かれた肖像画の3点の内の2枚目である。郡長とはポントワ−ズ地方を県として そこに派遣された官僚である。その役職を示すかのようにズボンに飾りぶちがついている。そして先のP86「女の肖像」に描かれた婦人の夫であるイライレ氏である。この肖像画の題名は2種類あって もう一つは「Le sous prefet de Pontoise」であり 違いはsousがある事で スーと発音し 意味は ~の下に つまり「ポントワ−ズの郡長の下に」となる。そうなるとこの絵で重要なのは左下の犬で この犬が面白い。飼い主の郡長はさりげなく澄ましているのに その飼い犬はいじけたような顔をしてうなだれている。フランスでは飼い犬は必需で主人と一体である。要職についている者か その立場に似合う犬を飼う事は当然なのだが この郡長の愛犬は貧相でいじけている。しかしきっと郡長はこう言うだろう。「こいつとは腐れ縁でね。こう見えてもトリュフを探させたらここいらで一番だ。しかし意地汚く 眼を離すと自分で喰ってしまう。」
それにもう一つ。郡長の背後は林で低い石塀が建ち その奥には生け垣もある。樹木の奥には小さな家や塀も見えるから広そうだ。彼の所有地だろう。郡長自身も品があり 地方の知識人でもあるはずなのに 彼は安物に見える白ペンキの塗られた細い鉄の椅子に座っている。この椅子も彼の愛犬のようだ。なにやらどうも郡長の地位を示す華やかなものがない。塀の上の石の花瓶も小さく豪華には見えない。そういう趣味の人なのかもしれないが そのように描いたのかもしれない。この頃の氏は簡素なモノを好んでいたし ちょっと意地悪な所もあるから わざと豪華さや華やかさ 権力を示すものを省いたのかもしれない。ここにも愛犬の可笑しみと郡長の気品 そして両者に共通な憂いがあるように見える。

第三章 P90

90
P90。「ノアイユ子爵夫人の肖像」 158×135 F100号程度 キャンバスに油彩 1936
この絵は約F100号の大きさである。肖像画が徐々に大きな画面になっていく。それでも簡素な室内と家具は変わらないが 氏特有の妙味は新たな工夫とともに味わう事ができる。この肖像画でも画面構成と人物の扱い方に新たな工夫が見られ 光と影の効果も加わえられている。そして画面全体はじっくりと仕上げられ 充実度を増している。ここではもう肖像画を越えて「美しき日々」に通じるような気配が生じているようだ。しかし「美しき日々」を描くのはまだ10年も先である。この絵はP86の「女の肖像 (マダム・イライレ)」よりも簡素で 衣装の華やかさやマホガニーの戸棚はなく 安価な机と椅子 壁の凹凸と縁回し そして僅かに見える暖炉?。これらは直線的で水平線と垂直線が面と共に画面を構成している。その中で斜めに置かれた机が斜線を作り 変化を与えているが やはり直線的である。つまりこの絵は直線と面の構成で出来ていて それに合わせるように人物はの姿勢も作られているようだ。人物も斜線を作り 椅子は人物の曲線にあわせるかのように僅かに曲線が与えられている。実に構成的な画面作りだが 右上からの光は室内に微妙な陰影をもたらし 人物の顔には顔を二分するような明暗を作り出している。この光が作り出す室内の陰影は夫人の落ち着いた態度と陰鬱な表情とともに 描かれた時から過去であるかように現在から遠のいて見える。その事に唯一逆らっているのが夫人の胸元から覗いている赤色だろうか。ノアイユ子爵夫人は夫ともに活発な芸術の援助者であった。

第三章 P91

91
P91。「アンドレ・ドランの肖像」 112.7×72.4㎝ M50号程度 木版に油彩 1936
ドランは1880年生−1954年没 フォービスムの画家。これが描かれた時は56才で氏とは28才の年の差があった。ドランについて氏は「彼を好きだったのは まるでシャツを着替えるように 気分と機嫌をあっという間に変えたとしても 深い教養を持つ 知性的な男だったからです。」また「彼の特技はパリの中のアクセントの違いを聞き分けられた事です。どの界隈の生まれか どこから来たのか。」さらに「いつも私に中国の将軍を連想させました。」と言っている。
この恰幅の良い 押しの利く政治家のような画家が着ている部屋着は氏が用意した物で これが似合っていて面白い。皇帝のような態度と運命に抗い無念の怒りを示すような表情 それに対して小さめの手と細い指先は まるで少年の手のようだ。そして薬指だけシャツの中に入れている。その対比的な組み合わせと繊細な細工も氏の発案だろう。もう一つ対比的なのが後ろに居る若い娘で さりげない姿勢ながら半裸に近い。立派な部屋着と半裸に近い薄着 大袈裟な態度とさりげない姿勢 強権者とか弱き者 また押し出しの利くドランは前へ 半裸の娘は後ろ下がって見え 遠近法の遠と近のようだ。さらにドランの後ろには額付きの絵が積まれているが 半裸の娘の後ろには何もない。この巧に演出された肖像画は描かれる人物をよく知る事から始まり 機知に富み的を得た発想をもってのみ 創りだせる味わいの妙だろう。

第三章 P92

92
P92。「ロジェと息子」 125×89㎝ P50号程度 木版に油彩 1936
これも二人組の肖像画である。ロジェ氏はグラン=ゾギュスタン街にあるレストラン「かえるのロジェ」の主人で 子供は息子である。二人の顔立ちはよく似ている。ここには凝ったお膳立てはいっさいない。ごく自然に二人は立っているだけだが どこかしら親子のつながりを感じさせる。真直ぐこちらを見ながら幼い息子の肩に手をかけ 息子は少し身体を引いて父親の腰のあたりをつかんでいる。息子はわずかに緊張しているようだ。それは初めて画家の前に立つゆえの緊張と不安だろう。父親はそれを感じ取り 気持ちを寄り添わせているように見える。この微妙な親子の気持ちを描き出しているところがこの絵の見所だ。
見る者が見られる者におよぼす見えない力というものがある。見る者は見ようとすれば服の上からでも肉体や心までも見通せるが 見られる方は無防備だ。しかしここではそのような強い力は働いていない。
フランスに「猫の舌」と言う名のチョコレートがある。食べられる猫の舌 この発想がフランス風で面白い。自分をカエルと呼ぶロジェ氏も同じように気さくでユーモアに富んだ人に違いない。
そしてこの肖像画は描かれる者の微妙な心持ちを捉えている点で「アンドレ・ドランの肖像」に引けを取っていない。「ドランの肖像」が的を得た優れた演出なら こちらは優れた無演出だろう。

第三章 P93-P95

93-95
P93。「子供の肖像」39×33㎝ F6号程度 キャンバスに油彩 制作年不明
子供の肖像画とされているが 白っぽい色の重ね塗りで形や表情がはっきりしていない。それでも習作とされていない。氏の作品は全部で350点くらいだが このような作品も含まれている。それに未完成作もかなりある。このページの3点もそうだが 前ページの「ロジェと息子」も未完成である。これらは最後まで描き込まれていないが 表現として成立しているとの判断で筆を置いている。人物の場合は顔を中心として 内面が描ければそれで良しとしている場合も多い。このような作品の完成に関する見極めが変わってきたのはやはり近代からであり 印象派以後の具象表現描法からではないだろうか。それにしてもこの「子供の肖像」は印象を描きとどめただけという点で言えば印象派的とも言える。

P95。「テレ−ズの肖像」71×62㎝ F20号程度 キャンバスに油彩 1936
テレ−ズのみを描いた作品で 幼さの残る若い娘を主題として描いた最初の作品である。大きな襟が印象的で表情が目立たないようだが ここにはテレ−ズの頑さが描かれている。それは描かれる事に慣れていない緊張から生じているのだろうが 彼女の頑さは自分自身を画家の視線から守るためだろう。ここには初々しい頑さが示す拒否がある。

第三章 P94

94
P94。「姉と弟」 92×65㎝ P30号程度 厚紙に油彩 1936
幼さの残る二人の姉弟を描いている。初めて子供そのものを主題として描いた作品であるが どこか「嵐が丘」のキャサリンとヒ−スクリフを思い起こさせるが これはやはり素直に子供達を描いたものだろう。動こうとする弟とそれを抱きとめる姉。この二人が作り出す姿勢と身振りはごく自然で 絵のためのポーズでない。それに氏は石化したような静止像を描くとされているから このような動きだそうとする感じ(ムーブメント)を描く事は珍しいと言える。荒さが残ったまま完成とされた作品だが 二人には必要にして充分な内容が描き込まれている。姉はおとなしくしない弟に困って 途方に暮れたように遠くを見ている。この困惑して画家から眼をそらす表情が良し 弟の照れ隠しにも悪意がない。氏はこの姉の無垢で生真面目な態度をしっかりと捉えている。この少女はテレーズ・ブランシャールで青年期の氏にとってもっとも重要なモデルの一人である。

第三章 P96-P97

96-97
P96。「バイオリンを持つ女 (レディ・シュハスター)」  81×65.4㎝ キャンバスに油彩 1936
この頃に何人もの女性の肖像画を描いているが この「バイオリンを持つ女の肖像」とP99の「ある女優の肖像」は特に写実表現描法としての完成度の高さがある。この作品では両手にバイオリンを見せるように持ち 自らの職業を示しているようだ。女性の着ている衣服の衿はかなり印象的な形で 楽器の曲線と関係させているのだろうか。髪も丹念に細部まで描いて形を明確にしている。表情は険しく 口元は強く結ばれ 視線は左上に向けられている。表情と衿 楽器と両の手 これらが確たる構成に納まっているが 無個性的にも見える完成度の高さでないだろうか。

P97。「女の肖像 (マドマゼル・シュハスター)」 725×60㎝ F20号 厚紙に油彩 1937
こちらの方が氏らしさがあるのでないか。何の変哲もない肖像だが 形のまとめ方や筆致に氏の特徴が見出しやすい。人物は顎を引き 表情は引き締まっている。先の「バイオリンを持つ女の肖像」と比べると絵としての硬さがなく 完璧すぎない穏やかさがある。こういった何気ないポーズと構成であっても見る者を引きつけるのも氏らしい。マドマゼル・シュハスタ−は「バイオリンを持つ女の肖像 (レディ・シュハスター)」の娘でロンドンの銀行家の妻となっている。

第三章 P98-P99

98-99
P98。「ミズ・ポ−ル・ク−リーの肖像」 92×65㎝ P30号程度 キャンバスに油彩 1937
これは青年期の室内を背景にした肖像画の一枚だが ここでもよく考えられた工夫がなされている。テーブルに座り 腕を組んでいる女性はあらぬ方を見ている。所在無さから ちょっと不作法にテーブルに腰をかけたという感じだ。絵になるポーズというものがあるが そのようなポーズを自然に取れる人は少ない。ここではモデルが何気なく取ったポーズを氏は見逃していない。このちょっと不作法な行いこそ彼女らしさが出ていると考えたのだろう。そして氏のさらなる工夫はテーブルの左端に置かれたガラスの瓶 テーブルからはみ出している皿と果実 そして椅子。これらは一ケ所に集められて 彼女と左右の均衡を取っている。これの構成がこの絵のもう一つの工夫と見所である。しかしこの室内は無装飾過ぎないだろうか。いくら第二次世界大戦前の押し迫った時代とはいえ。

P99。「ある女優の肖像」 大きさ不明 キャンバスに油彩 1937
この女優を描いた肖像画も「バイオリンを持つ女の肖像」と同じく 写実表現描法としての完成度が高く無個性的に見える作品だが 氏的な特徴も見られる。チューリップなどの花を抱えた女性は左側にもたれながら 左手に持った鏡を見ている。その眼は大きく見開かれ自分を見ている。その手鏡を見ている様子は人に見られる事を仕事としている女優を説明するための物だが 自己陶酔や自己愛(ナルシズム)も思い出させる。しかしここでは自己との対峙とも受け取れる。この作品は「バイオリンを持つ女の肖像」と同じく簡素さがない。花束や衣装 モデルのポーズ 構成の充実 写実表現の完成度の高さがその理由だろう。
またこの絵の重要な点は鏡が初めて登場する事で 氏の作品では鏡は猫と同じくらい重要な画題である。晩年の代表作のP155の「美しき日々」 P252の「三姉妹」 P329の「トルコ風の部屋」 P342の「鏡を持つ裸婦」 P338の「鏡猫1」から始まる「鏡猫2、3」など。鏡はこの作品も含めると13点の作品に描かれ 手鏡が8点 壁に掛けられた板鏡や鏡台が5点ある。これらは全てここで描かれたような意味と役割以上になっている。

第三章 P100

100
P100。「子供達 (ブランシャ−ル家の子供達)」 125×130㎝ F70号程度 キャンバスに油彩 1937
ここに描かれている子供達は先のP94の「姉と弟」のテレーズ・ブランシャールとその弟である。二人の姿は「嵐が丘」の挿し絵で描かれている姿勢を構成的に整理したもので 両者をくらべるといかに構成的に整理されているかが良く分かる。弟はテーブルと椅子を組み合わせた階段に一体化するように テーブルに肘をつけている。姉は床に置かれた本を読むために手のひらと片肘を床につき 腰は背より高くし 片足は横に真直ぐ伸びている。眼を閉じた顔はこちらに少し向けられ きれいに分けられた細い髪は真直ぐに下がっている。この姉と弟の姿勢は単独でも成立するくらい構成的で均衡が取れている。姉の姿勢は実際には無理のかかるポーズだろうが 弟と家具の階段状の構成に対して 背中の斜線がより複雑さと変化をもたらしている。この姉の肘をついて腰を上げた姿勢は無防備で官能的でもあるが 実際に子供達はこのような姿勢を平気で作り出す。この厳格な構成に弱冠の官能性を与える事は 異なる要素の組み合わせでもあるだろう。この床に手をついた娘の姿勢は この作品以外にも使われる事になるが「姿勢の画家」としての氏の代表的な姿勢の一つとなる。
また形の処理としては衣服のシワや模様などは 要点をまとめて細部を巧みに省略している。この簡略化された写実表現はとても見やすい。弟は膝までくる長い上着を着ているが これは学校の制服でありかなり質素である。この身体の緩やかな曲線は直線的な椅子と机に対して対比関係にある。その手前の姉はもっと複雑な衣服を着ていて 白地に黒い線が一本入ったベスト 直線模様の肘までのブラウス 白と黒の格子柄のスカート 室内靴は親や黄色味がかっている。これらの色と柄は弟と家具の対比にさらに複雑さを加え画面の充実を得るのに役立っている。また娘の衣服の色と柄は彼女がこの絵の主役である事を示してもいる。氏は今後このような柄や模様とその色彩に強く関心を持ち より積極的に用いていくようになる。この作品は氏の青年期の特徴の一つである厳格な構成力を見せているが それは独自な姿勢の組み合わせで出来ており このような画面構成を重視する例は今後も一つの特徴として追求されていく事になる。
しかしこの二人は一体どのような気持ちでいるのだろう。弟の視線はあらぬ前方に向けられ 姉は眼を閉じている。まるでこの独特な姿勢に捉えられ身動きを封じられているようだ。この厳格な姿勢の組み合わせは古代ギリシャの彫刻のように普遍的であるが 二人はこの姿勢に閉じ込められた永遠の囚われ人のように無表情だ。それは一種の悲しみを生んでいるとも言える。
それにしても机の右側の足と壁の間にある塊は何なのだろう? 学校の鞄と言う人もいるが氏の息子であるスタニスラス氏は「それは猫である。」と言っていた。 
この作品は完成後にパプロ・ヒカソが購入しており この事で氏は随分と自信を持ったそうである。現在ではピカソ美術館の所蔵になっている。

第三章 P101

101
P101。「若い娘と猫」 87.6×77.7㎝ S30号程度 木板に油彩 1937
この作品はP71の「鏡の中のアリス」やP79の「ギターのレッスン」と同じく 青年期に描かれた性に関する作品の一つであり 幼い娘を使って描いた官能的な作品として見られてきた。
それは幼さの残る娘が立てひざで下着を見せているからである。さらに腋窩を見せるように両腕を上げ 片方の靴下はさがり 光は正面からそのポーズを照らしている。まさに身体を開いている状態にある。またその眼は光の方向と絵を見る者から視線を外し 故意に隙を作っているように見える。それは一種の誘惑だが 彼女自身の表情はそのような官能性や誘惑とはまったく無関係で とても意識しているようには思えない。ただ言われて取ったポーズのようだ。この身体を開いたポーズと無関係の表情の組み合わせは やはり「鏡の中のアリス」などと同じように氏の仕掛けであり 意図された性の露呈であろう。このように性的なものを意図的に露呈して見せるやり方は見る者への挑発であり 性の世界の持つ禁忌性を明らかにし そこに押し込められている性への欲望の在り方を露呈するためであると考えられる。
性的なものを露呈する事で そこに潜む本質を明らかにしようとするこの作品は いまでも見る者の眼を引き付け 心を惑わせる。しかし幼い者を性の対象にするようなこの作品などは性の規範をないがしろにするものとして誤解と批判の対象となり続けている。

第三章 P102

102
P102。「山 (夏)」248×365㎝ F500号程度 キャンバスに油彩 1937
この作品はかなり大きく縦248㎝ 横365㎝ある。それは号数で言えば約F500号強の大きさになり真中で両手を高く伸ばしている女性の背丈は140㎝程度あるのでほぼ等身大に描かれている事になる。一辺が3mを越える作品は他に2点あるが この作品が初めての取り組んだ大作で 全作品の中で三番目の大きさとなる。大画面に描くには小品とはまったく別な視野の広さを持ち 常に全体を把握するための天井が高くて広い仕事場が必要となる。それに肉体労働並の労働と体力を必要とする。従って大作を描くには画家も大きな意気込みを持って立ち向かう事になる。氏も今までにない大きな画面を描くにあたって大いなる意気込みを持って望んだ事は言うまでもない。
副題にある「夏」とは実際に何人かで行った夏の旅行の体験が取り入れられているからであり 左端の男性は自画像にも見えるが友人で 中央の女性は結婚相手のアントワネットである。しかしやはり単なる旅行の思い出にはなっておらず 風景の中に配置された人物は旅行者と言う共通性はあるが 一連の「同居の無関係性」が取り入れられている。中央の女性は旅の疲れを取るように両の手を持つて上に伸ばしている。しかしその表情は不敵で自我の強さを見せつけているようだ。左側の男性もパイプをくわえながら片足をつき片手に杖を持ち 身構えるようなポーズを取っているが やはり表情は厳めしく不敵である。そして疲れたから休んでいるとは思えない横たわった女性は眠っているように見える。この三人の奥にはもう三人がいて 一人は両手を後ろにして杖を持ちこちら向きで 残りの二人の男女は岸壁の先からその先を見ている。P73の「街路」では手前だけに配置されていた人物達は ここでは遠近に応じで配置されているが それはこの風景の壮大さを出すためだろう。これはP87の「山 (夏休み)」と同じスイスのベア−テンベルグを描いた水彩画から起こした風景だが 右端の奥行が描き加えられている。前景は右側から回り込むような奥まり 壮大な遠近感を生じさせ 正面奥の向う側の岩肌は大波のように盛り上がっている。それは中央の女性の上に伸ばされた姿勢と競うかのようである。これがこの絵の一つの見所だろう。
しかし気になる所もある。その一つは「同居の無関係性」の在り方だが この壮大な風景の中ではそれぞれの関係がどのようであっても風景に飲み込まれ その関係性を切り離せないのではないだろうか。もう一つは岩肌の描き方で 岩肌は粗密の遠近法にともなって近くは粗く 奥になるほど密にする事で遠近感が表せるはずだが それが乏しいために大味になって見える事である。またこれだけの大画面では かなり描き込まないと画面の広さに対して絵具の物質量が不足して 全体が軽く見えてしまうのでないか。
この「山 (夏)」はP73の「街路」と後に描かれる P220の「コメルス・サン・タンドレ小路」との間に位置する作品だが 他の二点が街を扱っている中でこれだけが屋外の自然風景を描いている。これは一つの試みで 後の「コメルス・サン・タンドレ小路」は この結果を見てまた街を描く事になったと考える事ができるかもしれない。自然の風景の扱の方に成功するのは さらに幾つかの習作と作品を経て P125の「ラルシャン」からP135の「シャンプロヴァンの風景」に至り 完璧となる。

第三章 P103

103
P103。「白いスカート」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1937
ここに描かれた女性は「山 (夏)」にも描かれているアントワネット・ド・ヴァットヴィル嬢で 氏はこの絵を描いた年に彼女とスイスのベルンで結婚している。の最初の妻になった人である。彼女の両親と氏は友人で彼女を子供時代から知っていたが その後に再会してから恋に落ちた。しかしその頃に彼女には婚約者がいたのだが氏の強く熱い思いが通じて その想いを成就させる事が出来たようである。彼女は大恋愛の相手であり そのような女性を描く事は画家として当然で 様々な想いを込める事ができたろう。しかしそれは現在の作品を見ている限りで 描かれた当時はもっと別な顔に描かれていたのである。つまりこの作品も1954年に手直しがされていて 最初の状態ではアントワネット嬢の顔は頬がこけ 視線は上の空で 口元は尖っていて不機嫌そうに描かれていた。それにちょっと意地が悪そうにも見える。これが大恋愛の相手を描いたものかといぶかしく思えるほどなのである。例え本人がそのような態度を見せたとしても 描く方は自分が望む姿に描く事ができるはずで しかしこれはやはり氏の考えで描かれた顔なのである。それなら何故このように描いたのだろう。氏はこの作品以外でも顔を描き直している。P62の「乗馬服を着た若い娘」P72の「窓 (幽霊)」など。これらも最初は皆不機嫌そうであったり険があるように描いていた。つまり氏には人の顔だちや表情に関して一般的な美と醜や快と不快と言った基準をあてはめようとしていなかったようだ。そのような目あたりの良いものよりも辛辣さや悪意的とも言える方を好んだのでないか。その方が人の本質に関わる何らかな強い手応えを感じるからだろうか。これは氏の審美眼の一端を明らかにする事になるが・・・。その示唆をボードレールの言葉から得るなら*「愛とは自己から脱出しようとする欲求である」「愛においてうんざりするのは それが共犯者なしですます事のできない罪だと言う事である」となる。氏にとって女性や愛 顔と表情などは 一般に考えるほど単純ではない事は確かだ。
描き直された現在の顔立ちと表情は元々こうあるべきだと思えるくらい違和感がない。穏やかで思案深そうにしているこの人こそ愛する人そのものだろう。力を抜いて座る姿や身に付けた白い衣装と室内履きの赤い模様 この色使いは花嫁を思わせる。また右側に緞帳をしつらえる発想は氏らしく構成的な機知があり大胆で 他の物ではこの空間は埋まらないと思えるほどだ。背後の壁と床の2色も対比的で画面をよく引き締めている。この充実した画面は見ていて頼もしく 女性像ならではの艶と潤いを薫り立たせている。

* 「ボードレール全集2 赤裸の心」より 矢内原 伊作訳

第三章 P105

105
P106。「青いベルトの女」 91.5×68.5㎝ P30号程度 木板に油彩 1937
同じくアントワネット夫人の肖像であるが ちょっと衣装に凝っている。茶色の礼装は肩が縁なし帽子のように膨らんでいて 腰のベルトも太い帯のようだ。また灰色と黒の外套を肩にかけている。これは氏が中世時代を好むからだろうが 氏がたずさわっていた舞台衣装かも知れない。アントワネット夫人の目鼻立ちのはっきりした顔と強くうねった波状の髪は このような時代がかった衣装がよく似合っている。さらに厳しい視線と硬く結んだ口元は頑な意志を表しているようだ。

第三章 P106

106
P104。「女と馬」 1937 資料写真なし 現存不明。 
P105。「モリッツ・ド・ワトヴィル男爵の肖像」 91.5×73㎝ F30号 1937?
屋外で描かれた肖像画は2点あり P88の「ポントワ−ズの郡長」とこの作品である。こちらはかなり未完成な仕上げになっている。描かれた人物は同年に結婚したアントワネットの父親であり 屋敷の庭で椅子に腰掛けている姿である。背景の山を見るとかなり傾斜がきついので山中の別荘かもしれない。左側には刈り取って整形した植木 右奥には背が高く枝のない木が2本 重なって立っている。男爵の後ろには山の頂きを越えた陽光が柔らかく描かれていて 高所の別荘の爽やかな光と空気が思い起こされるようだ。

第三章 P107

107
P107。「静物」 81×99㎝ F40号 1937
静物画は全作品の中でも数が少なく この作品が3点目で 他に5点しかない。しかし花や果物を入れるともう少し増えるし 人物が加えられているものも2点ほどある。それらの中でもっとも純然たる静物画として完成度が高いのはこの作品である。青年期の特徴である毅然とした構成力と再現性を重視した丹念な描画力 そして渋く落ち着いた色彩の調和がここにある。しかしここにはそのような絵画的な要点を満すばかりではなく 表現としてのある意図があるようだ。それは金槌と割れたガラス瓶の破片 パンにささった包丁などが示す 力とその力の行使 または暴力といった破壊につながるものを示唆していると思われる。当時の時代背景は1933年ヒトラーがドイツの首相になる。1935年イタリアのムッソリーニは国際連盟の抗議を無視して東アフリカに植民地を持つ。またスペインでは内乱が始まり 後にフランコが独裁者となる。このような独裁者による軍事国家またはファシズムが西欧諸国を席巻していた時代なのである。氏自身も1939年にはアザルス戦に送られ 地雷によって負傷までしている。しかし氏は社会状勢や政治に関する発言を作品に取り入れる事をしなかった人である。大戦中の疎開先で描かれた作品にも そのような出来事の気配さえ感じさせていない。しかしこの静物画はそうした社会状勢の強引な濁流に対して反応した唯一の作品と言える。この絵には憤りがある。それは感情的な噴出ではなく冷徹な均衡と共にあり その隠された切っ先は硬く鋭い。

第三章 P108-P110

108-110
この3点の風景画は同じ大きさの画面に描かれているが それは氏の風景画を会得するための発展の経過を示している。 P108は大まかな素描風でP109とP110は同じ場所をわずかに違う状態に仕上げた試作風。P115は作品化されているが習作風で他の3点と同じく人物の描かれていない。これらはP134の「牛のいる風景」に引き継がれ その後のP135の「シャンプロヴァンの風景」に至るのだが そのための発展の道筋が見えるようだ。しかしP135に至る前の1939年にはP123の「ラルシャン」を制作し 一つの大きな成果を得ている。しかしこの作品は直線的な構成の成功であり 曲線による自然風景とはやや異なる。やはりP135の「シャンプロヴァンの風景」がこの4点の到達点だろう。

P108。「並木道」 80×100㎝ F40号 キャンバスに油彩 1937-38
これは庭園の森への入口を描いている。初期の庭園の連作を思い起こさせるが 人物は1人も居ない。初期に描いた庭園をもっとしっかりと把握するために描いたように思うが 庭園と言うより樹木や草木の量感や遠近の関係を描く事に絞られているようだ。本格的な樹木のある野外風景へ取り組みだろう。人気のない庭園の小道の奥は暗く 何やら人を不安にさせる穴のようだ。 

P109。P110。「森の下」 80×100㎝ F40号 キャンバスに油彩 1938
この絵とP110は同じ場所を描いているが 地面の高さ 明暗の強弱 森との距離がやや異なる。地面の高さを上げているP109の方が樹木の葉の密度が増しているように見える。また木々の奥が暗いので枝の間から差し込む陽光が強調されているようだ。P109は光と影を P110は樹木の葉の密度を描こうとしているのだろう。

第三章 P111

111
P111。「ジョアン・ミロと娘ドロリス」 130.2×88.9㎝ P60号 キャンバスに油彩 1937-38
氏はこの二人の事を述懐してこう言っている。「ミロは忍耐強く約1年の間 数え切れないほどアトリエに足を運んでくれました。娘のドロリスはまるで水銀のような子で活力に溢れていた。」この話がそのまま絵に描かれている。正面を真直ぐ見るミロは実直そのもので 座りながら娘を抱え込もうとするが 彼女は身をよじらせてその腕から逃れようとする。この相対する親子の静と動の組み合わせの面白さ。それに氏の水銀のような子という表現も言い得ていて面白い。子供は動ける事こそ生命を持つ者の証であると言わんばかりだ。水滴のように丸まった銀色の塊は金属のように見えるが その形を常にコロコロと動かし続ける。このキラキラと輝きながらコロコロと動く様は見ていて飽きない。水銀のような子とは この娘にぴったりでないか。それからミロとドロレス嬢の衣服の違いも両者の違いを説明している。地味な仕立ての小さめの背広と太い縦ストライプの柄模様。背景も上下に二分割されて 対比的な色にされている。この絵はこのように異なる二つの組み合わせから成っているが 唯一同じものがある。それはこの親子の顔だちと視線で 二人とも真直ぐにこちらを見ている。この同じさにも可笑しみがある。さらにミロは純粋な子供にような顔だちに描かれいるから 娘のドロレストとの年の差がはっきりしない。まるで性格の異なる二人の子供が描かれているようだ。ホアン・ミロとはそうした人である事はその作品からも分かるが このように描かれるとまた別な親近感を感じる。しかしその真直ぐな視線は描き手を通り抜け さらにこの絵を見ている者をも通り抜けて 遥か彼方に焦点が合っているようだ。それもまたホアン・ミロという人なのだろう。

第三章 P112

112
P112。「夢見るテレーズ」 150.5×130.2㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1938
ここに描かれた人物と静物の厳格な構成と写実表現は その幼さの残る娘が見せる煽情性を上回っている。しかし見る者はその片膝を立てて両腕を上げ 眼を閉じた姿態に心惑わされるだろう。それは幼い娘の個人的な領域に無断に侵入して覗き見る戸惑いと視覚的な快楽を味わう事ができるからである。しかしそれがいかに作られているかを知る事は少ない。
この作品はP101の「若い娘と猫」と同じで性の露呈であり 性の禁忌的な領域に秘められたものを露にしているのだが ここではより絵画的な充実と様々な工夫が計られている。P101の「若い娘と猫」との大きな違いはテレーズが顔をそむけて眼を閉じ 猫が脇に座るだけでなくミルクを舐めている点であるが それはより煽情性は高めるための工夫である。眼を開けて顔を背けるよりも 眼を閉じた方がより無警戒に見えるし それと同時にただ座っている猫よりも ミルクを舐めている猫の方がより性的なものを想像させる。なぜなら性欲と食欲は近似であるからだ。しかし彼女のポーズの性的な点を別にして その姿勢がいかに均衡の取れた完璧な形態であるか を理解しなければならない。また色彩の変更も重要で P101の「若い娘と猫」では赤色は上着に使われていたが ここでは捲れたスカートと室内履に使われ その赤色は下着の白と対比していて片膝をたてた足元を強調している。これは見る者の眼をより引き付けるための工夫である。しかし同じ赤色は左端の缶にも使われていて 見る者の眼をそちらにも引き付けようとしている。つまり股間の赤と白に眼を引かれながら その眼は左の赤い缶にも引かれるから 眼は集中できない。この作品には見る者の視線を誘導しながら 同時に阻害するといった巧みな仕掛けが施されている。見せるように描きながら阻害もしている。それはその下に描かれた猫も同じである。
他の異なる点は左側の家具とその上に置かれた物であるが これらは先の視線の誘導とより複雑な画面構成を作り出すためである。またそれ以外にも性の露呈のみでない若い娘の世界を広げる役割も持っている。この作品は前作の改良であろうが 人物のいる場が一つの世界として完結している。この完結性は様々な作品に引き継がれるが 最晩年のP348の「鏡猫 3」で 一つの偉大な頂点に至る事になる。またこの若い娘達の私的な世界を描き出す画題はのちの P155の「美しき日々」や身支度をする人々に引き継がれる。

第三章 P113

113
P113。「テレーズ」 103×83㎝ F40号程度 木版に油彩 1938
この赤い上着を着て椅子に座っている若い娘もテレーズ嬢である。彼女は氏の青年期の若い娘を描くためのモデルで全部で11点の作品に描かれている。この絵は彼女の肖像画だろう。先の2点のような性的な要素を控えていても 絵としては充分に充実していて見ごたえがある。背もたれの高い椅子の肘掛けは適度な厚味で しっかりと人を包み込む空間を作り そこにテレーズ嬢はぴったりと納まっている。この椅子は大人用でテレ−ズには少し大きいから なおさら身体の納まり具合がよい。この椅子と娘の身体の形の関係が構成的で見応えがある。テレーズ嬢はごく自然体で やはり片膝を立てるように足を組み 顔はこちらに向けられているが眼は遠くを見ている。一番最初に描かれた P95の「テレーズの肖像」では表情に初々しい硬さが残っていたが ここでは自信を持ち大人びて見える。もはや見られる事から自分を守るための頑さは必要がなくなったようだ。ここに彼女の変化が見られる。
この作品のテレーズは描かれる事にも見られる事にも無関心だ。それは他の人物を描いた作品でも同じで それは氏がそう描いたのだが。この見る者に無反応 無関心な様子は見る者を楽にするが 画中の人物との交流は持てない。それは冷徹さでもあり その距離の置き方に見る者は引かれたりもする。しかしそれは全て氏の作為ではなく やはり描かれる人の気質の反映もあるはずだ。テレ−ズの魅力はその頑さであり 媚びる事のない根の強さと暗さにあるようだ。それはP112の「夢見るテレーズ」にも見られる。このように作品と描かれる者の関係は微妙であり モデルの気質は作品に反映し 深い陰影を与える。この作品も人物と椅子の造形と構成の厳格さが見所だが テレ−ズの気質と氏の制作意図が微妙に混じりあい 織りなされた若い娘の肖像画として見る事ができるだろう。
しかしこの作品には幾つか気になる点がある。高すぎる椅子の背もたれ テレーズの腰と足の付け根の関係 そして背後の白い布の掛けられたテーブル。そのテーブルの上には何も置かれていない。布だけが掛けられている。物を置かない事で見るものを無くし「奥を見ても何もないよ。人物を見て」ということか。ここには「夢見るテレーズ」とは逆に 人物以外に視線を誘導する場をもうけながら そこには何も描いていない。

第三章  P114

第三章  P114-[更新済み]
P114。「ピエール・マチスの肖像」 128.8×86.7㎝ P60号程度 キャンバスに油彩 1938
ピエール・マチスはニューヨークの画廊主で1938年に氏の個展を開催し 初めてアメリカに紹介した人物であり アンリ・マチスの息子でもある。片足を椅子に乗せその膝に腕をかけ もう一方の手はポケットに入れている。やや気取った感じもするが 欧米ではごく普通に取られる姿勢だろうか。やはりこの姿勢から彼の人柄が出ているはずだ。赤い靴下もそうで ここういう所に強い色を用いる彼の感性は彼自身を語っているのだろう。意気込みが感じられる目つきをしている。真直ぐなズボンのシワの処理も印象的だ。この頃の肖像画は皆このような的確な描画の処理がされている。また人物と椅子の足の下は狭く 画面からはみ出しそうだ。P111の「ミロと娘ドロレス」では二人は画面奥に引きこもっているかのように開けられているから まったく逆である。人物を見る者に近付けようとする工夫なのだろうか。

第三章 P115

115
P115。「断崖」  80×100㎝ F40号 厚紙に油彩 1938
この作品は未完であるが 本格的な風景画への取り組みが見られる。その後の氏の風景画の特徴がすでに表れており 右側の丘や山の形 そして山の連なり具合が氏らしい。またそれらの配置や構成にも独創的な均衡が計られているが その均衡は不均衡から生まれた均衡のように思える。つまり左右の均衡を計るには 左側の断崖に対して右側の樹木の生えた丘陵とその後ろに広がる丘陵によって均衡が保たれている。しかしここでは左側の断崖の上に遠くの山が似た形で重なっていて この重なりが不均衡に見える。しかしこのような形の重なりはこの地方ではよく見られるはずであるから この不均衡感は氏の独特な構成感覚だけでなく この地方の風景の特徴でもあるだろう。つまり氏の均衡感覚または構成感覚はこのような風景(自然)から学んだものとも言えるかもしれない。それはこの作品が本格的な風景画を描くための習作的な意味もあるからで この独創的で個人的な均衡感覚は後の作品ではより明確に表れるようなる。
近景は平らで広々としていて陽光と影で変化がつけられ 一本の樹木が立っている。この枯れたような立ち木は平らな近景と中景の断崖との距離を表す大切な役割を持っていて これがある事で中景は奥にさがって奥行が生じる。しかし断崖の岩肌の密度がやや大まかなので 距離感はそれほど感じられない。この作品ではまだ人などを描き入れていないので 役者のいない舞台のように見え少し寂しいが 本格的な風景画を生むために多くを学んでいるB氏がいる。

第三章 P116

116
P116。「ベルンの帽子」 91.7×72.7㎝ F30 キャンバスに油彩 1939
P103の「白いスカート」に次ぐアントワネット夫人の登場である。初めて見るとちょっとびっくりするくらい大胆な黄色の帽子である。黄色はやや濃いめで形は平たくて少し反っている。その上には赤と白と緑色の小さな花飾りが付いているが 小さいのであまり気にならない。しかし随分と派手な色の帽子である。若い頃の氏がこのような彩度と明度の高い色を使う事は珍しい。ベルンはスイスの古都で二人が結婚した街であり 転居先の一つでもあった。そしてベルンの伝統的なこの帽子を描いたのは この作品が初めてではなくP45の「ベルンの帽子がある静物」などがある。しかしそれにしても派手な色だ。お祭りでもあったのだろうか。それにしては派手な帽子をかぶった夫人の表情がさえない。眼は半開きで輝きがなく 口元にも表情がない。身体はやや後ろに傾き 両腕にも力なく 手や指にも表情はない。衣服は黄色を目立たせるためか正反対の黒色で 装飾もない。テーブルの上にも何も置かれていない。つまり帽子以外は全て簡素で無装飾になっている。全てがこの帽子の色を引き立てているようだ。
ひょっとしてこの絵は・・・。氏とアントワネット夫人の会話が聞こえてきそうだ。
アントワネット夫人「まったくもって迷惑よ こんな派手な帽子かぶらされちゃって」
氏は「いいじゃないか せっかく珍しいものが手に入ったんだし ちょっと動かないで。」
遊び心。遊びなのに当人達は遊んでいない。ように見える。それは当人達が楽しんでしまっては 絵を見る人が楽しめないからだろう。こんな寛いだ可笑しみを隠した作品があっても良いではないかな。
晩年になって世間に様々な形で その姿を見せた氏は威厳ある人物としての印象を定着させた。しかし 機知に富み 可笑しみを理解し 自ら道化てみせる柔軟さも持ち合わせていた人物でもあった。日本映画の「座頭市」のファンで俳優の勝 新太郎との交友もあったが 家族の前で座頭市の真似をして見せて 大いに笑わせたとの話もある。

第三章 P117

117
P117。「背にする裸婦」 105×80㎝ F40号 キャンバスに油彩 1939
この作品は寝台に背を預けて 首を極端に曲げた裸婦を描いている。首以外はしどけない姿勢である。B氏はこのような何気ないがどこか不自然な姿勢を時々描くが この作品はその最初の例である。

第三章 P118-P120

118-120
P118。「テレーズの肖像のための習作」 55×46㎝ F10号 キャンバスに油彩 1939
P113の「テレーズ」の他にもう2点ほどテレーズの肖像画を描いているが この作品はそのための習作とされている。しかし他の2点のためと言うより 単に他よりも軽く描いただけの違いである。一般的には本制作を描くにあたってその準備のために描いたものを習作とするのが B氏の場合は曖昧で軽く描いたものも本制作とする事がある。それは習作のつもりで描いても表したいものが成立すれば 本制作と同じとする考えがあるからだろう。この作品は習作とされているが そういった意味では荒い筆致ながら本制作並みだ。めずらしくこちらに向けられ眼には戸惑いと心細さがあり そのために少し困ったような表情にも見える。また彼女の特徴のひとつである頑なさは眉と口元に表れている。

P119。「テレーズの肖像」 60×54㎝ F12号程度 油彩 1939
椅子に座って両手を前にして片方の手首を掴み その指は一本だけ真直ぐに伸びている。顔はちょっと振り返った感じに横に向けられ 眼はやや上を見ている。何かに気を取られたようにも見える。ぴったりと撫で付けられた髪の毛はとても細く いつも耳にかけられている。何気ない様子にも見えるが 表情がない。彼女の心の底には 波立つものはないにしろ 穏やかなものに満たされているとも思えない。

P120。「テレ−ズの肖像」 F10号 1939
これも何気ない姿を描いている。いつものように細い髪は撫で付けられ 耳にかけている。頭をわずかにひねって 上を見ている。何かの様子を伺っているようだ。その表情には密やかな静けさが寂しさとなって留まっているようだ。

B氏はこのような何気ない姿の微妙な表情を見逃さずに描くが それは心の底を描き出す事にもなっている。またこのような何気ない姿を描く一方でP117の「背にする裸婦」のような無理を加えて変形させた姿勢も描いている。この両極こそB氏の持つ幅なのである。作意と偶然。自然と変形。純朴と悪意。美と醜。

第三章 P121-P122

121-122
P121。「長椅子の上のテレ−ズ」 71×91.5㎝ F30号 キャンバスに油彩 1939
B氏は良く「ポーズの画家」と呼ばれるが 身体の作り出す形態に関するこだわりは強く 様々な姿態を求めたが その結果幾つかの定番に落ち着く。P112 の「夢見るテレ−ズ」の姿勢は一つの完璧さを持ち 片膝を立てるポーズはB氏の一つの定番である。この「夢見るテレーズ」と同じ長椅子の上でポーズを取るテレーズにも 人体の作り出す姿勢の可能性を求めているようだ。絵画にとって人物がどのような姿勢や身振りを見せるかは重要な問題であり これまでも様々なポーズが描かれてきた。動勢感の強いポーズ 寡黙なポーズ 官能的なポーズ 歪んだポーズ 自然なポーズ 非自然なポーズなど。しかし具象表現(デフォルメ表現)の台頭に伴って人体が作り出す姿勢への追求は現実の人体から離れていく。この作品でB氏が成立させたこの姿勢は現実の人体が作りだせる姿勢であり その均衡と構成は見応えがある。片手を高く上げて糸のようなものを垂らし もう片方の腕を床につけてその上体を支えている。頭は下がりぎみで物憂げに下がっている糸を見ているが 片膝を立てているのでスカートはずれて両足の付け根まで露になっている。まるで長椅子の上で舞っているようだ。しかし言い付けられた姿勢を取りながら 退屈を紛らわしているようでもある。この姿勢は確かに構成的で均衡を持っているから 人体が作り出す美の一つだろう。しかしこれは構成のために作られた姿勢である。身体の使い方が大きいわりに衣服は日常のものだから動きに合わせて肌は露出し そこに官能性が生まれる。ここには人体による構成の追求に衣服の乱れから生じる官能性が味付けされている。描き方としては形のまとめ方が的確で 写実表現を適度に要約しているおかげで見やすく 身体のシワなどが作る抽象性の取り入れ方も上手い。
しかしこれ以後はこのような現実的で完全な均衡を持つ姿勢は描かれなくなる。そのかわりに非自然的な変形が加えられた人体を描くようになっていく。それは現実の制約内で作りえる姿勢に物足りなくなったからかも知れない。

P122。「ある室内の3人の人物」 F15号程度 1939
この作品は小さく本制作のための試し描きのようだが習作とはされていない。
室内には3人の人物が描かれていて 1人は窓辺に立つ男性 もう1人は左端の椅子に座っている描きかけの人物 そして中央下の「長椅子の上のテレーズ」と同じ姿勢の人物。つまりこの作品は「長椅子の上のテレーズ」を室内画に使うための創案である。「長椅子の上のテレーズ」のポーズを室内画に生かそうと考えたのだろう。しかし室内画はそれぞれが組み合わさる事で一つの世界を作りだすが 「長椅子の上のテレーズ」の姿勢はそれ自体で完結していて 他との関係を持ちえなかった。それゆえにこの創案は本制作に至らなかったと考えられる。

第三章  P123

123

「天と地の狭間にあるもの」

P123。「ラルシャン」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1939
これはB氏の風景画の中で最初に大きな成果を示す作品である。B氏の風景画はP102の「山 (夏)」から P115の「断崖」をへて P134の「牛のいる風景」そして P135の「シャンプロヴァンの風景」へと至るのだが その流れの中で「シャンプロヴァンの風景」より先に一つの頂点に至る作品が この「ラルシャン」である。ここには大地と空の広大さある。それは見る者に果てしない無限を思い起こさせるが それと同時にそこには有限としての世界が描かれているように思える。
この水平線は空間という壮大な広がりを真横に切って天と地に分けたように描かれている。その思いきった行為こそが力であり そこには確かにB氏の意志というものがある。しかしそれはあくまでも静かで息を潜め 天と地の間にあって全ての出来事と物音を吸い取るほどに沈黙している。きっとあの教会の塔のみが何かを告発しているにちがいない。
この作品は青年期に描かれた 7点目の風景画であるが あまりに突出している。自然界を描いて一つの頂点を示したP135の「シャンプロヴァンの風景」に至るまでの過程では 曲線の構成と自然界に何を見出せるかに苦慮した感があるが ここでは曲線ではなく今まで使い慣れた直線による構成を用いて成功したと考えられるが もっと他に何かがあったのではないだろうか。
1939年と言えば 9月1日にヒトラー率いるドイツ軍が それまでの侵略的な政策をさらに押し進めて ポーランドに進撃した年であり その 2日後にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まっている。第一次世界大戦の傷が癒えきれぬ前にまたも戦争が起こり 前回にも増して巨大な破壊力を持った兵器を使っての戦争である。もちろんポーランド出身の家系と両親を持つB氏にとって対岸の火ではありえない。その苦悩と不安こそ この絵に反映しているのでないだろうか。B氏は自らの作品に個人的なものを直接的に描く事はしない。表現を個人性から切り離して捉えて 個人を超えた本質の提示であると考えてる。そのようなB氏がこのような世界を巻き込む巨大な濁流に対して答えたのが この絵ではないか。ここでの無限と有限とは それでも時間と空間という希望は存在し 有限とは限界でもあるが 繰り返される悲惨に対する諦観であろうか。
ちなみに中央の教会はノートルダム寺院と同じ時期に建てられたセント・マーチン教会で 16世紀末まで悪魔に取り付かれた人や精神病者が奇跡的に治る巡礼地として多くの人々が訪れた。宗教戦争の時にプロテスタントの信者によって焼かれ 長い間 崩壊した状態のまま残されていた。

第三章 P124

124
第二次世界大戦中と戦後の時代。 1940-1953 32才-45才 P124−P221 97点+125点 計222点1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まる。B氏は兵役で負傷した後にパリに戻る。その後シャンプロヴァンの館へ家族とともに疎開するが 2年後にはここも離れ各地に転居。この時期は戦争からの疎開で不安定な時期であったが 何枚もの大作を描き これらも代表作となっている。街の中の情景と室内画 そして野外風景などやトランプをする人々や身支度をする若い女性などを描いている。徐々に写実表現描法から具象表現描法へと変化を見せていく。
主な作品「シャンプロヴァンの風景」「ゴッテロン渓谷」「美しき日々」「「地中海の猫」「コメルス・サン・タンドレ小路」「部屋」など。

P124。「自画像」 44×32㎝ P8号 キャンバスに油彩 1940自画像はこれが二枚目で 32才当時の姿が描かれている。前作のP84「猫達の王」が1935年の制作であるから 27才で その5年後である。ここには「猫達の王」のような機知に富んだ演出はなく 演出無しのありのままの姿を描いている。非常に落ち着いた自画像で生々しい自我やむき出しの虚栄心を見せられる事はなく 他の肖像画のように冷静に観察された人物画になっている。描く相手が他者ならその内実を汲み取るべく努力と工夫をして距離を縮めようとするが 相手が自分となると分かり過ぎて汲み取り加減が難しくなる。つまり自分との距離の取り方で ここではその距離が適度に取られているから 安心して見れる。ここには意志が描かれている。眉間の縦ジワは厳格さを表し 眼光は影になっていてその鋭さを軽減している。口元は一文字に結ばれ やはり厳格を表している。手には絵筆と絵具を拭き取る雑布が握られているから 描かれた人物が画家である事を明らかにしている。「私は画家である。」という意志。そのためのみに描かれた自画像だろう。それ以外は排除されている。それがこの作品の率直さであり 潔さである。描き方は筆跡を残しつつ 細部を省略した写実表現描法である。顔や手はかなり再現性を持って描き込まれているが 上着は塗り残しがあるほど大まかで完全には描き込まれていない。この省略された再現性はやはり新古典主義などの19世紀美術以後の印象派と共に生まれた表現方法である。また肌色の一部に緑色が用いられているが これは肌色の下地と影の色とされるもので 19世紀美術以前の技法でもある。
この自画像が描かれた当時は第二次世界大戦の始まりの頃で兵役で負傷した後 地方に疎開している。西欧諸国を巻き込む大戦と美術界の前衛的な改革運動(ダダイズム シュールリアリスムなど)とも距離を取って 伝統的な美意識と価値観を引き継ぎ 独自の道を選んで活動を始めて6、7年が立った頃である。最初の個展が開かれたのが1934年で26才 この自画像は1940年32才。この6年間で画家としての実績は残しているが 戦争による混乱や見えない社会の動向に対して 大きな不安を抱かざるをえなかったと思われる。そんな当時をこの自画像の背景とすると この率直な意志の在り方は さらに厚味を持って迫ってくる。

第三章 P125

125
P125。「食いしん坊な子供」 92×73㎝ F30号 キャンバスに油彩 1940
この作品と次のP126の「おやつ」はB氏の作品の中でも少し傾向の違う作品である。それは静物画でありながら室内画で人物が登場している。この「食いしん坊の子供」には 銀の器に盛られた果実 ワインの入ったグラスとガラス瓶 これらは背後の装飾された額または胴縁 そして暖炉とその装飾 そして暖炉の上の果物に手を伸ばした幼子が描かれている。これらの物達は静物画とするなら構成が曖昧に見えるが あくまでも果物に手を伸ばす幼子が主であるなら それ以外の物は人の集まりの後にごく自然にそこに置かれたように見える。幼子の行いはいたずらにもならない無邪気な行いで微笑ましい。こういった無邪気な行いを描くB氏の視点が面白い。
色彩も白と暖色を使っているので明るく 黒っぽい焦茶が画面を引き締め 乾筆(ドライブラシ)の重ね塗りが重厚さを与えている。無邪気な行いを描いた割に重厚な画面作りになっているが 物の構成が厳密でないから堅苦しくない。この作品の構成の曖昧さは少し気になるが それは今後このような自然とも不自然とも言えるような構成の均衡が目立ってくるからである。

第三章 P126

126
P126。「おやつ」 73×92㎝ F30号 木版に貼られた厚紙に油彩 1940
先の「食いしん坊の子供」に通じるような題名が付いているこの作品も 静物画のように見えてそうではない。右端の人物が居なくても静物画として成立しそうなのだが 人物が描き込まれている。暗めの茶色と白い布が掛けられた食卓には「食いしん坊の子供」にも描かれた銀の器で枝葉のついたリンゴが盛られている。さらにワインの入ったグラス そしてナイフの入れられたパンが置かれ 背後には「白いスカート」にも描かれたような緞帳が下がり 壁は縦線模様が描かれている。これだけでも充分に見ごたえがあると思えるが その静物の世界に介入するかのように 髪を撫でつけた腕の短い年令不詳の女性が描かれている。それも横顔である。真顔で何かを見ているようだが その焦点は静物のどれにも合っていない。つまり題名から連想するようにこの作品は食いしん坊の若い娘を描いたのか それとも静物画へ人物を介入させた新たな試みなのだろうか。絵画では静物画と人物画は分けられている。人物画に静物は描かれるが 静物画に人物を描く事は少ない。また人物は常に絵画の主役として扱われ 主役は常に画面中央に配置される。これが伝統的で基本的な方法だろう。しかしこの絵はそうした伝統的で基本的な方法を超えて 静物を画面中央に置いて主役としながら 人物も描き入れる事で 主役と脇役の関係を崩し その曖昧な関係の中で見る者の視線は彷徨い 具体的な内容を求めようとしても そこには状況だけしかなく答えはない。しかし見応えはあるからいつの間にか 主題の曖昧さは謎めいたものへと変わる。これがこの絵の面白さではないだろうか。
そして人物の形の奇妙さも気になる。額は狭く顎は大きい それに腕は短く 手は小さい。額を広く顎を小さくすればもっと若く見えるはずだが。腕が短く見えるのは遠近法を曖昧にしているからである。また構図的にこの女性は 食卓と壁の緞帳をつなぐ役目も果たしていて それが画面の構図に楕円のつながりを作り出しているように見える。またそれぞれの物は大小の塊として律動(リズム)を起こしているようだ。

第三章 P127-P129

127-129
P127。「風景」 80×100㎝ F40号 厚紙に油彩 (1940)
この風景画も少し変わっている。特別なものはないようだが たぶんそれは構成から受ける印象だろう。
手前には斜線と直線の組み合わせで出来ている建物と橋があり 橋の下には水面が広がり細長い長方形が不規則に並んでいる。ここは伐採した樹木を湖に浮かべ加工する貯木場なのだろうか。橋をはさんだ両脇の建物群 右側の建物はこじんまりとした積み木のようで 左の建物大きく梁が重なったスイスの伝統的な建物に見える。そしてその背景には右側に鬱蒼と樹木が生い茂る山 中央から左には雄大な山々がお椀を伏せたように連なっている。建物の構成と山々の重なりは直線と曲線で 人工物と自然物の特徴の対比である。建物も山々もそれぞれに均衡が計られているのだが 妙な感じを受ける。建物は構成的すぎて現実感がないし 背後の山々は遠近法としては奥に行くほど面積を小さくまたは狭くする粗密の遠近の方が自然なのだが そうではなく奥にある山ほ広い面積を与えている。ここでの遠近法とは有角透視図法の事であるが B氏の場合は平行透視図法の方を好んで使う傾向がある。しかし肝心なのは そのような絵画の基本についてではなく この山々の持つ雄大さが表現されているかどうかだとすれば。ここにある山々は充分に雄大である。それもありきたりな現実感を超えるほど雄大である。つまりこの風景画の妙さは現実感のなさと誇張された現実感が同居しているからなのだろう。

P129。「花の束」 73×92㎝ F30号 厚紙に油彩 1941
先の風景とほぼ同じ大きさのこの作品は花器に入れられた花を描いている。様々なチューリップやボタンのような大柄の花片を持つ花 それから小さな菊類などがたっぷりと左右に広がっている。B氏が描いた花は他に9点あるが この絵は2点目の作品である。一点目は1926-30年だから11年も前で かなり久しぶりの花の絵という事になる。次に花を描くのは1955年でP247とP248の「朝顔 1、2」であるから14年後である。随分と間隔があいている。
この作品の描き方は再現性を重視し 花器に入れるという伝統的な扱い方をしている。このような描き方はこの作品と前作 そしてあと3点あるが 他は花束であったり習作的で具象表現描法で描かれている。写実表現的に描かれた花の絵では この作品が一番良いようだ。

第三章 P128

128

「ささやかで豊かな収穫」

P128。「サクランボの木」 92×72.9㎝ F30号 木版に油彩 1940
これもサヴォワ地方のシャンプロヴァンに疎開していた頃に描かれた作品であり 木製の板に油彩で描く方法は時々使われている。傾斜地に果実のなる木が何本も植えられていて その中に大きなサクランボの木があるのだが その木にかけられた梯子を登って女の子が赤い実を摘んでいる。彼女は籠を持っていないから摘み取ったサクランボをその場で食べているのだろうか。沢山は食べれないから 幾つかを味わうために梯子を昇ったのだろう。梯子は重いから彼女がかけたのではなく はずし忘れていたのかも知れない。その行いは無邪気で 陽の傾く午後のささやかな恵みを享受する情景である。赤と黄色の小さな果実はつややかに輝き 甘酸っぱさが口に広がるだろう。彼女のしなやかに伸びた後姿はサクランボに良く似合い その爽やかな味わいを表しているようだ。そしてその娘の奥には濃密な傾斜地と樹木が描かれ さらにその奥には丘陵と山が他を圧するように盛り上がっている。その迫力はサクランボを摘む娘の住むこの地の自然の雄大さを表している。陽が傾く中で雄大な丘陵や山を背景に娘は果実を摘み 味わう。よく見ると果実を摘む娘よりもその背景の方が濃密に描かれているから その無邪気な収穫は 恐ろしいような迫力を持つ自然の中で行なわれている事になる。
B氏は「この頃は戦争の恐ろしさを忘れるために制作に集中しました。」と述懐している。サクランボを摘む娘の背景には迫力ある勇壮な自然があり その山の向うには破壊と混乱の第二次世界大戦がある。この事を考えるとこの娘の無邪気さはとても貴いものに感じられる。

第三章 P130

130

「現実の中の幻想」

P130。「白い馬にのる曲芸師」 80×90㎝ F30号程度 厚紙に油彩 1941(1946)
夜半に幼さの残る若い娘が白い馬に乗っている。彼女は頭に小さな冠をつけ 薄い布地を背負い 薄く短いスカートを腰に付けている。馬には横に乗り 細い手綱を軽く持っている。白い馬は雄馬で鬣と尾は短く刈られている。彼女の衣装と鞍なしの馬に乗る姿からしてサーカスの曲芸師であるが 幼さの残る娘の曲芸師は何やら儚く 甘い匂いを思い起こさせる。P128の「サクランボの木」にもあった叙情性がここにもあるが もっと夢幻的である。サーカスはその華やかさやうら寂しさによって せつないような独特な情緒感を持っている。それはお祭りのにぎわいと様々な曲芸は 日頃の生活感を忘れさせる夢幻の世界の提供者であるが その甘い夢幻性は一夜の事で 興行期間が終ると何処かへ消え去っていってしまう儚いものであり 安上がりの拙い化粧とくたびれた衣装 雑多で派手な色彩の小道具類は日中に見るものではないだろう。そして夢幻の提供者には実体はなく あの通俗的なラッパの奏でるジンタの曲とともに甘酸っぱい思い出の中にこそ生きている。そのようなサーカスを象徴するのは最も難しい曲芸をやり遂げる花形よりも やはり幼い娘達の軽業師ではないだろうか。幼さの残る娘達は華やかさと夢幻性と儚さ そのものであり そしてどこの誰とも分からない者なのである。この絵にはそのような何者か分からない夢幻の曲芸師が描かれている。しかしその姿が描かれている場所は 照明が照らす華やかな舞台上ではなく 夜半の廃虚にも見える街はずれである。このような場で目撃されたこの人は拙い化粧とくたびれた衣装をまとう曲芸師の実体なのだろうか。それとも現実世界に舞い降りた夢幻者ならぬ天の子の降臨なのだろうか。
「サクランボの木」のように当時の時代背景を考慮に入れれば この白い馬に乗って現れた曲芸師は甘くせつない夢幻性を漂わせているが それは戦争によって破壊された暗鬱な街に白く輝く遠い思い出のようだ。

第三章 P136

133-136
P133。「緑と赤いセーターの若い娘」32.5×27.9cm F4号程度 紙にパステル 1942
この女性像はパステルで描かれている。B氏が油彩以外の画材で描くことは珍しい。初期の頃のP1とP39の「三人の農民」もパステルを使っているが それ以外で現在見る事のできるのはこと一点のみである。描かれているのはアントワネット婦人で表情はなく 無愛想にも見える。またこちらを見ているようだが焦点は曖昧である。くすんだ赤と暗い緑のセーターは古風で 前襟には小さな白っぽい装身具が付いている。この古風な衣装姿の婦人はP152の「緑と赤の若い娘(燭台)」で油彩を使って もう一度描かれている。
パステルの柔なかな質感は油彩とはまったく異なる独特な風合いで眼に優しい。扱いは木炭に似て脆く繊細であるが 面塗りや画面の上での混色ができ 鉛筆のようにはいかない柔らかな線が引ける。ここではB氏は面塗りと画面の上での混色を使い 要所を線で引き締める典型的な用い方をしている。

P136。「ロード・デルワット公の肖像」41×33cm F6号 キャンバスに油彩 1942
この肖像画に描かれた人物とB氏はベルンで知り合っている。ロード氏の顔は明かりに照らされた部分以外は濃い影になっている。まるで闇に閉ざされた大理石製の彫像のように黙している。眉間の険しさは全身にまで及んでいる緊張感を連想させ 瞳の光さえ隠す影は沈黙の証だろうか。

第三章 P134

134
P134。「牛のいる風景」 72×100㎝ P100号 キャンバスに油彩 1941-42
この「牛のいる風景」は P115の「断崖」に次ぐ風景画で P136の「シャンプロヴァンの風景」に至るまでの中継ぎ的な作品である。「断崖」は初期の期間と「山 (夏)」を除けば 初めての本格的な風景がであり その後 P123「ラルシャン」と P127の「風景」を描くが「ラルシャン」は直線的な構成で出来ており 雄大な山々の連なりの曲線はなかった。P127の「風景」は山々の重なりが描かれているから もう一つの中継ぎ的な作品とも言える。つまりこれらは自然物に満ちた屋外風景を描くにあたって 自然物の持つ曲線をどう取り入れ構成するかの試みが行なわれていたと思われるのである。P115→ P134→ P135と順を追って見比べると その進展の様子がはっきりと見て取れる。「断崖」での右奥の山々の重なりから「牛のいる風景の」右側の山と崖 そして家々 この違いが進展である。「牛のいる風景」の方がより複雑に構成され 自然界が見せる造形の妙を成立させる事に成功している。さらに牛を引く人とその荷である切られた木を描く事で この地方の人々の生活まで描いているのである。雄大な自然とそこで生きる人々の生活と言えばありきたりのようだが B氏の取り入れる自然界の造形の妙は 単なる一地方の特徴を描くに終るのではなく もっと神秘的で畏怖すべきものとして その巨大な存在物を見せているのである。そしてそれはさらにP135の「シャンプロヴァンの風景」に引き継がれ より高い高みへと至る事になる。

第三章 P135

135

「黄昏の中に永遠が見える」

P135。「シャンプロヴァンの風景」 96×130㎝ F60号 キャンバスに油彩 1941-1943(1945)
この風景画は「断崖」と「牛のいる風景」から進展して至った高みであり 「ラルシャン」と双壁となる氏のもう一つの到達点を見せる作品である。
この濃密な大気に満ちた風景は午後遅くで 黄昏れ始めている。そしてこの豊穣な大地の彼方には 永遠が見える。この濃密な世界は生の輝きと黄昏れの香りに満たされ 黄金色に輝く大気の向うに累積された時間の量が見える。この量が永遠性であり これは「過ぎ去っていく永遠」*とも言えるし 「永遠の黄昏」とも呼ばれている。晴れ渡った日の午後 日が傾いていく時 陽光は大地を染め 時間を止め それまでに過ぎ去った時間を蘇らせるのだろう。 
ここに描かれた大地は様々な曲線が組み合わされていて その曲線は面になり その面は3次曲面となって地を覆い その覆われた大地には大小の塊 うねり くぼみ 盛り上がり なだらかを作り出している。中央の小高い丘陵はなめらかな練り物かビロードのようだし 幾何学形の畑には立方体の小さな家が建ち 生い茂り重なる樹木は鬱蒼としている。手前の傾斜地は「牛のいる風景」のように広がり 牛を引く人の代わりに若い女性が一人身体を横たえて この風景を眺めている。そして彼女の足元の奥には「断崖」にもあった枯れ枝を持つ樹木も立っているし 左側の大きな窪地は底無しのように深く見える。右上奥の雲のような山は不穏なほど盛り上がっているが 遠くの山々は涼やかに広がりながら 紫色に染まり始めている。この風景は複雑な構成と重厚な色彩ゆえか 現実を濃密に圧縮し または熟成したかのようだ。私たちも永遠を垣間見せる黄昏を見た経験はあるだろう。しかしこのように濃密で熟成した黄昏を見る事ができるのは やはり氏のこの作品ならではだろう。画中の女性はこの風景の唯一の目撃者であり 全てを一人占めしている。何と贅沢なのだろう。もし我々がこの絵の中に入って 彼女のようにこの風景を見る事が出来たら どのような感慨を味わえるのだろう。

* ジャン・ジュネがジャコメッティの彫像に対して言った言葉。
*「地中海の上には巨大な疑問符が浮かんでいる。」アルチュール・ランボー

第三章 P131-P132

131-132
この「客間」は習作が2点と本制作が2点が描かれている。それぞれ僅かずつ異なっていて P131の最初の習作では左端に女性が立っているが P138の「客間 2」では白猫に変わっている。また長椅子の若い娘と床の上の娘の姿勢も少しずつ違うし 静物や背景もそれに合わせて変えられている。4枚目の P138 の「客間 2」が最終案になるのだが それまでの変更点を見ていくと画面構成に苦慮した事が分かり 最終案に至るまでの過程は大変興味深い。この4点の主役ははっきりしていて長椅子の若い娘と床の上の娘 この二人を中心にした室内風景なのだが 床に肘をついて本を読む娘は P100 の「子供達」だし その原形は「嵐が丘」の挿し絵である。この点ではこの「客間」は「子供達」の発展形とも言える。そしてもう一人の長椅子の上で眠る娘は この後に何点も描かれB氏にとって重要な画題の一つとなるが この作品が最初の登場である。しかし厳密には P102の「山(夏)」に横たわる人が描かれているし 1923年に描かれた P4 の「若い人の上半身」も寝入っている姿と言える。しかし本格的な登場はやはりこの「客間」からだろう。つまりこの作品はこの二人の娘の独特な姿態を中心にした画面構成と室内風景としての情感を出す事を目的としているが やや画面構成の方に力が入っていると思われる。

P131。「客間のための習作」 65×81㎝ F25号程度 キャンバスに油彩 1941
これが最初の構想画であるが 左端の立っている女性以外の全体像は決定していて その後も変わっていない事が分かる。室内には三人の人物がいて 一人は眠り込み もう一人は床の本を読んでいる。その部屋を訪れた一人の女。

P132。「客間のための習作」 49.5×59.7㎝ F12号 木版に油彩 1941
この二枚目の習作では左端の女性は除かれて その代わりにテーブルの上に布が掛けられ 以前にも描かれた銀製の器が果物入りで描かれている。この段階で画面構成はかなり整ったように見える。眠る娘とその左手は長椅子の背もたれに完全に乗せられ 右側への流れを作りながら 赤い果実からピアノの曲線へと繋がっている。そしてピアノから床の娘の足にさらに繋がり 腰から背 腕から影を通って 眠る娘のくの字に曲げられた足と繋がり 顔へと戻る。その大きく複雑な円周の中に真横から見たテーブルがある。

第三章 P137-P138

137-138
P137。「客間 1」 114×147㎝ F80号程度 キャンバスに油彩 1941-1943
二枚目の習作をほぼそのまま本制作にしているが 床の娘の腕の位置が変えられ 顔も少し見えるようになっている。この変更は左上の眠る娘への繋がりを 一旦断って変化をつけたように見える。

P138。「客間 2」114.8×146.9㎝ F80号程度 キャンバスに油彩 1942
この最終案の本制作では眠る娘の足下に白い猫が描き加えられている。これは先の「客間 1」では空いた間を埋めるためと思われる。この猫によって左下の空きは確かに埋まっているが それだけではなく。二枚目の習作の均衡は眠る娘 銀の器と果実 ピアノ 床の娘によって保たれていたが ここでは銀の器と果実はなくなり 寝入る娘の顔が上向きに 床の娘の曖昧に後ろに引かれた腕はもう一度肘を床につけている。そして最も大きな変更は白い猫が加えられた事で これによって今までの構図上の楕円の繋がりの中に新たに強調点(アクセント)が作られた事になっている。またこの神妙な猫は それまでの構成重視の室内に生き物の持つ活気を強める役割も果たしている。しかしこの白猫は眼を閉じて下を向いているが 二人の娘よりも強い存在感を持ち まるで静かな人格者のようだ。
またこの「客間」にも同居の無関係が用いられているが 全体としてはその無関係性は弱まって見える。それは構成の巧みさによる関連性が成立しているからである。つまり娘達と猫は同居の無関係なのだが 構成としての関係性を持っている事になる。この背反する二重の仕掛けがこの絵の魅力であり そして勿論 二人の娘の姿勢と猫の様子も見飽きる事がない。

第三章 P139

139
P139。「エル・デ・セアッシュ氏と子供達」 105×108㎝ S45号程度 キャンバスに油彩 1943(1945)
久しぶりの親子の肖像画である。父親と双児のような二人の幼い娘 それと一匹の耳の垂れた小型犬。犬といえば P88 の「ポントワ−ズの郡長」を思い出す。あのいじけた表情。ここに描かれた家族の愛犬には そのような屈折は見られないが 少しおとなしく暗い。誠実そうな父親は右肘を上げてわずかに姿勢を作ってこちらをしっかりと見ている。大胆なのは娘の一人で父親の肩に手をかけ 小首を傾けてこちらに振り向いている。そして父親のもう一方の腕は机越しに彼女の腰に添えられている。親子の親密さか それともおませな恋人気取りか。もう一人の娘も面白い。すくっと立って片手は帽子のようなものを持って胸にあて もう一本の短い腕は細長い杖を持っている。まるで虚飾のない王妃のようだ。二人の娘はそれぞれに違うおしゃまさを見せている。

第三章 P140

140
P140。「一人占い」 161.3×165.1㎝ S100号程度 キャンバスにに油彩 1943(1946、1948)
この作品がトランプを扱った最初の作品である。トランプ遊びをする人はB氏の重要な主題の一つで 一人でトランプ遊びをしている作品が習作も入れて4点 二人でトランプをしている作品は習作も含めて 5点 合計9点ある。フランス語の原題は La Patience パスィヤース 英語ではペイシェンス 米語ではソリティアでトランプによる一人遊びを意味するが トランプ占いの意味もある。ここでは日本語訳に基づいて一人占いとして解釈してみる。
一人の若い女性が光のさし込む方向とは逆の方を向いてテーブルに肘をつき 覆いかぶさるように上から覗き込んでいる。また片方の膝を背もたれのない椅子に乗せ もう片足は少し後ろに真直ぐに伸ばしているその片足は斜めに敷かれた絨毯の上にあるが その影は家具の足とともに長過ぎるほど伸びている。テーブルに肘を付けた方の手にはトランプが一枚握られ 影に埋もれた顔は何やら思案深げで めくったトランプから何かを読み取ろうとしているようだ。テーブルの上にはトランプが整然と並べられ 火の付いていないロウソクと燭台 そして螺線模様の小振りな器が一個置いてある。また左側には椅子が置かれ 蓋の開いた藤製の小箱とクッションが無造作に乗せてある。その下には屑篭があり2冊の本が乗せられ口を塞いでいる。テーブルと椅子の左後ろには緞帳が掛けられているが めくられていて縦縞模様の壁が露になっている。
この作品では以前に見られたような無装飾で安価な家具や壁の室内ではなく ロココ様式的な家具と装飾された壁が描かれている。この傾向は1940年の疎開やその後の転居がもたらした一つの変化である。これらの過装飾ぎみの家具や壁等は作品に古風で時代がかった充実感を与えている。またB氏自身がデザインしたと思われる模様も幾つか見られ それも画面の充実感に役立ちながら時代性を曖昧にしている。それは独創的な柄で 色彩もかなり独特な配色になっている。それらは椅子に乗せられたクッションと藤製の小箱の蓋などで その中で最も印象的なものは椅子用のクッションの模様と配色だろう。
この作品にとって重要なのはトランプ占いをする人とその室内の様子 そして光と影だろう。トランプ遊びまたは占いをする人を描く意図は やはり何かを行なっている人に関心を持っているからで P67の「剣玉遊びをする L・ベッツィ」ではベッツィ夫人は剣玉に熱中している。初期の頃の庭園を描いた作品では子供達は皆何かに熱中していた。剣玉では動きがあり過ぎる。もっと優雅で静かで大袈裟でない遊びは?。様々な遊技の中で精神と関わるものとは。それによって何かが心に起こり 沈黙の中で蓄積されていくようなもの。トランプ そして一人占い。これはとても私的で 何かに頼る心もとなさを埋める行為ではないだろうか。遊技にしては重すぎ 好奇心から我忘に落ち入る事もあるだろう。このような秘められる個人的な世界にB氏が関心を持つのは他の画題の 性の露呈や身支度 眠りなども同じだからであり 見る者もそこに強く引きつけられる。ここでは人物の向きを光の方向と逆にして 人物を影の中に置いているが これは秘められる個人的な世界を表現する巧みな演出である。また時代がかった装飾を持つ家具や時代を特定できない模様や柄もその影の中に押し込められて その秘められた世界の複雑な豊かさを強調している。

第三章 P141

141
P141。「眠り込んだ若い女」 82×100㎝ F40号 木版に油彩 1943
寝台の上で枕を上半身に敷いて眠り込んだ女性は やや胸元が開いているが腰には毛布をかけている。「客間」にも描かれた眠る人をここでは単一で描いている。そのしどけない寝姿は無防備だ。光は胸元を照らし 顔には影を作っている。くすんだ朱色の上着の衿が少しめくれていて その下の白い肌着はゆるい。この顔よりも開けられた胸元を明るく照らす光とゆるい肌着は官能的だ。しかし影になった顔はやや寝苦しそうである。寝乱れてはだけた胸元は官能的だが 本人は夢の中で嘖まれているのかも知れない。外見の官能性と眠りの中の夢は別で ここにはそれらが共存している。

第三章 P142-P143

142-143
P142。「ゴッテロン峡谷」 70×62㎝ F20号程度 木版に油彩 1943
この作品はこの後に描かれる P143 の「ゴッテロン峡谷」の部分である。峡谷の切り立った岩肌と大きな岩がゴロゴロとある中にーを細い道が通っていて そこを独りの男が歩いている。樹木も土の少ない岩地にしがみつくようにして立っている。人物の大きさと峡谷をくらべると人はあまりに小さく 峡谷は巨大に見える。自然の作り出した巨大な峡谷は人を圧倒し 頼りない存在に思わせるが そこを通っている人物は臆しているようには見えない。いかに人を圧倒しようとも峡谷は黙してただあり続ける。寡黙で偉大な存在。またこの作品は現実に存在する抽象世界を描き出しているようにも見える。

「自然の持つ自我」

P143。「ゴッテロン峡谷」 115×99.5㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 1943 (1945)
ここには先の「ゴッテロン峡谷」の全体像が描かれている。全体に暗い色調で盛り上がつた山の側壁は削り取られたように岩肌がむき出しになっており その手前と奥に樹木が生えている。岩肌の下には大岩が転がり その間を水が流れ浅い河になっている。側壁には起伏した道が通っていて 男が一人で荷を運んでいる。道はまるで峡谷に刻まれた細い傷痕のようだ。岩肌の最上部は白っぽい土があるが そのすぐ下には硬そうな巨石の層が2枚見える。その下は川まで崩れた土と岩で急な斜面になっていて 杉類以外の樹木はすっかり葉を落とし 空は嵐の前のように暗く 峡谷の土と同じ色で同化して見える。
この暗い峡谷のむき出しの岩肌は 自然の隠し持っている頑迷な自我そのもののようだ。自然は途方もなく豊かで 様々な動植物の生命を育むが 時に気紛れでその生命の存続自体をも翻弄もする。
つまり自然は生命を育むが死ももたらす。そしてその事に他からの操作をいっさい受け付けない。これは頑迷な独歩とも言え そこに自然の持つ自我が伺える。この絵はまさに自然の持つ自我を描いたのではないだろうか。

第三章 P144-P148

144-148
P144。「マトシアン夫人の肖像」 91.5×72.4㎝ F30号 キャンバスに油彩 1943
この茶色を基調とした肖像画は人物と余白の関係に構成的な均衡が取られている。見所は女性の胸元の衿から腰にかけての衣服の描き方で 実に巧みに整理されており抽象性さえある。また人物をより印象的に見せているのが光と影の設定で 左側からの光は 右側の顔と首から胸を影にしている。常識的には右から身体の正面を照らすだろうが ここでは左右を逆にしている。姿勢は自然で両腕をテーブルに乗せているが(このテーブルの形はちょっと凝っている) 本を読むのをやめて顔を起こしたようだ。そのこちらに向けられた表情は堅く 眼差しは真直ぐである。彼女も気丈に時代を生きる一人であり その真摯な眼差しは自らの意志をしっかりと持っている人間の尊厳が感じられる。

P148。「マトシアン夫人と若いダリテの肖像」 54×43㎝ F10号程度 1944
この作品も茶色を基調としている。先の肖像画にも描かれた夫人だが ここでは幼い娘と一緒に描かれている。夫人と娘の衣服に当時の風俗が伺えるが 茶色を基調としている事も当時の暗い世相を反映しているのかも知れない。しかし二人の様子はちょっと面白い。夫人は背筋を伸ばして無表情で視線をはずし 娘は両手に器に盛られた果物を持ってこちらを見ている。何故果物を持っているのだろう。B氏が何か一工夫加えるためにダリテ嬢に持たせたのだろう。赤く実った果実は自然の恵みであり その中の実には種の保存のための命が貯えられている。ここではそのような大袈裟なものではなく もっとさりげない果実の持つ充実感と幸福感が この母と娘の関係に似合うと考えたのだろう。また視線をはずして見られるままになっている母親と見ている側を素直に直視する子供。この二人の異なる態度も面白い。

第三章 P145-P146

145-146
P145。「フリヴールの風景の習作」 27×41㎝ P6号 厚紙に油彩 1944
この小さな風景画は素描のように描かれている。実際の場所に立って描かれたのかも知れない。

P146。「フリブールの風景」 72×99㎝ P40号 厚紙に油彩 1944
先の習作を本制作にした作品で P40 号の大きさに拡大されている。中央の平地には円を描くように土盛された塀のようなフチが通っていて その外側と内側に何軒かの家屋が立っている。その丸く囲まれた平地には長方形の畑があるようだ。また同じ土盛のフチがもう2本画面右上にある。遠景は遥か彼方に広がりっている。平地に作られた土盛のフチは壮大な建造物とは言えないが 長い年月と多くの人々の尽力によって作られたという点では 古代遺跡の一部のような存在感が感じられる。

第三章 P147-P149

137-149
P147。「ラドヴィル妃の肖像」 30.5×25.5㎝ F4号程度 画材不明 1944
この小さな肖像画には穏やかな口元と大きな瞳を持った女性が描かれている。机に肘を置き もう一方の手は軽く胸にあてている。そして身体は力を抜いて 肘を付いた方に身体を寄せている。そのさりげない姿勢の柔らかさ 表情のほんのりとした明るさ この絵には彼女の控えめな優雅さが漂っている。

P149。「小さな座った裸婦」 27×22㎝ F3号 木版に油彩 1944椅子にもたれながら寝入ってしまった若い娘は 胸を隠す事を忘れていないようだ。顔は描きかけからか 無表情だが 上から照らされた光によって丸い影が出来ている。柔らかく曲げられた首は女性らしい。裸体よりも光と影による顔の造形性に関心を持っているようだ。

第三章 P150-151

150-151
P150。「美しき日々」のための習作。 37×44.5㎝ F8号 キャンバスに貼られ紙に油彩 1944
「美しき日々」はB氏の室内画の代表作の一つであるが この習作はその最初の構想を明らかにしている。この段階では中央の女性は上体をのけぞらす姿勢が取られているが それ以外の大まかな室内の様子は本制作通りであるが暖炉の前の男は描かれていない。真横から描かれる背もたれの彎曲した寝椅子 焚き付けられている暖炉 左から差し込む光など。筆致が荒々しいせいか この姿勢では少し騒がしいようだ。

P151。「美しき日々」のための習作。 80×100㎝ F40号 油彩 1944
二枚目の習作は本制作にも使われる大きさであるが ここでは習作に使っている。ここではより細部まで本制作に近くなっている。暖炉の前の男が登場し 暖炉の上には物が置かれ 左端のテーブルと窓のカーテンなどが加えられている。手鏡を持ち自分を見つめる女性の姿も本制作に近くなっている。しかしこの段階ではその右手は子猫を捕まえている。本制作と大きく異なる点はこの子猫だけで 本制作ではこの子猫は登場しない。やはり鏡と女性に集中させたいからだろう。またはこのような猫の扱い方では日常の騒がしさが入り込み 普遍性が損なわれると考えたのかも知れない。

第三章 P152

152
P152。「緑と赤の若い娘 (燭台)」 90×90.5㎝ S30号程度 キャンバスに油彩 1944 (1945)
緑と赤の衣装を着たアントワネット夫人を描いたパステル画が 1942 年に描かれているが それから 2年後に同じ衣装を着た夫人は このように本制作されている。また1937年に描いたP106の「青いベルトの女」もあるし 演劇の舞台衣装を創案していた事からも このような前時代の衣装に対する関心の深さがわかる。
この緑と赤の衣装を着た夫人の姿は まるで 500 年前のルネッサンスの頃を彷佛とさせる。夫人の肩にはマントもかけてあり その前の食卓には光沢を放つ銀の器と皿に乗った固パンとパン切りナイフ そして火の灯されていないロウソクと燭台。これらは整然と並べられていて何やら儀式めいているが それを強調しているのは人物の真正面を向いた毅然とした態度である。通常 人物を描く場合は主に7対3または6対4などの角度から描かれるが ここでは真正面から描かれている。正面から描かれた人物は見る者と対峙する関係を生み 威圧感さえ感じさせる事ができる角度である。また左右対称の構図は安定し 不動の厳格さを出すのに役立っている。
B氏は若い頃に初期イタリアルネッサンスの巨匠の作品を模写し その精神性や構成など多くを学んている。また自らを封建主義者で 19 世紀の人間とも言っている。さらにパリを離れて地方の古い館に仕事場をかまえてもいる。こうした点から見れば この作品はB氏の歴史ある過去への根強い憧憬の現れなのだろう。しかしその憧憬は単なる憧れではなく 現代的な電気やガス水道と言った公共施設などの利便性を越えて 当時の社会制度や環境 教養や審美眼の有り様まで含めた 大いなる時代への尊敬の念の現れなのだろう。

第三章 P153

153
P153。「子供の肖像」 38.5×28.5㎝ F5号程度 厚紙に油彩 1945
この作品は厚手の紙に油彩で描かれた習作のようだが きちんと署名が書き込まれている。未完成というよりも素描風な油彩画だろう。荒い筆致だが必要なものは描かれている。二重の大きな眼 小さな顎 柔らかな頬 つややかな唇。この幼い娘の大きな眼は 幼さに留まる事なく 見えるものをしっかりと見据えているようだ。
この制作途中の様子から B氏の描き方を伺う事ができる。鉛筆などの下描きは行なわずに 油彩で大まかな形をとり 彩色しながら形を整えて 立体感を出すと同時に表情も表していくというやり方のようだ。しかしこれでは重ね塗りは生塗り描法になるので 感じがでたら一旦乾燥を待ってから 再度塗り重ねていったのだろう。下描きをしないで形を取りながら彩色していく描き方は 大胆な描き方とも言えるが 初期の頃からこの描き方を行なっていて 大作になると画面に構図用の方眼を引いている。

第三章 P154

154

「立ち向かう幼き王妃」

P154。「12才のマリア・ヴォルコンスキ王妃」 82×64㎝ F25号程度 厚紙に油彩 1945
この幼き娘は他に何も描かれていない場所に一人で立っている。その姿は毅然としており 射るような眼差しは真剣で 王妃に相応しい気高さがある。しかし彼女は自らの身分を飾る装飾品や華美な衣装を一切身に付けておらず 肩の出た足元までの長いドレスには胸元を飾る細かな縁取りがあるだけ そして一枚の肩かけと一本の杖。彼女は衣装や装飾品に頼る事なく 自らを表しうる者なのである。
王家の血を継ぐ幼い人。彼女は引き継ぐべきものを持って生まれた者であり その重責を全うすべき者なのである。自らが背負う過去と未来に対して 彼女は立ち向かうように毅然とし 揺るぎない確信を表情と態度に表している。しかし彼女にはまだ幼さが残っており それゆえに健気で その気丈な真剣さは美しい。
この絵には孤高の高貴な娘が描かれているが 真に気高き者とは辺りを払う力を持っている者であり 彼女には幼くしてそれが備わっている。

第三章 P155

155

「自己陶酔と誘惑」

P155。「美しき日々」 148×200㎝ F130号程度 1944−1946

Les Beaux Jours。レ ボーテ ジュール。美しき日々をフランス語ではこう発音する。美が占める内なる領域。美しさが内部で循環しているのは一種の不健全さである。しかしだからと言ってその不健全さは美を損なう訳ではない。内部で循環する美は徐々に発酵して熱を帯びる場合もある。
この緑色の絨毯の部屋では二人の人物がいる。若そうな女性はあどけない表情で手鏡に映った自分の顔に見とれている。その姿勢はしどけなく 上着は弛んで肩と胸を露にし 片足は上げられスカートはめくれぎみである。それは周りを気にする事がない一人の時のようだが 同じ室内には男が一人いる。彼は暖炉に薪をくべ盛んに燃やしている。左側から差し込む陽光はその影から午後遅い時間帯のようだ。
この絵はその状況から見る者に様々な妄想を起こさせる。女性が自らの容姿に見とれる姿は自己陶酔であり 自己愛(ナルシズム)であろうが 暖炉の前の男の存在がそれに他の想像を加える。二人は恋人同士だろうか  または男は使用人で若い婦人の気紛れな一時の相手かもしれないし 使用人である男は無視され 高慢な若女主人は我が身を通して愛する人を想っているのかもしれない。
この官能的な室内画の前例はP112の「夢見るテレーズ」とP101の「若い娘と猫」である。これらには秘められた性を露呈する事で生じる官能性があるが この「美しき日々」は複数の人物が登場する物語的な官能の世界で 自己陶酔と他者の関係性を示しているようだ。これまで複数の人物を描いた作品では 同じ場に居ながら関係を持たない 同居の無関係が描かれていた。ここでも二人の関係は曖昧のままである。しかし二人を性的な関係と捕らえるのではなく あの「嵐が丘」のキャシーとヒースクリフの関係を思い出すべきなのかもしれない。女は美的な生活にあこがれ 男はそれを虚飾と呼び否定した。この二人の食い違いはP74の「キャシーの化粧」にも描かれた。二人は男女の性愛の以前に共生する者であったが 美に憧れる者と愛の本質を目指す者とに生き別れ 愛と挫折と絶望の共犯者となる。この食い違いこそ二人の悲劇なのだが ここでは美という虚飾に浸る者を鏡を見る女とし 愛の本質を求める者の質実さを暖炉に火をくべる男として描いているのでないか。つまりこの作品は「キャシーの化粧」の別な例で ここではキャシーを重点的に捉え キャシーの求める美はうつろいやすく儚い またそれに溺れる者もまた儚いと言う事を描いているのでないか。
さらにここには自からの美しさを愛でる気持ちが内部で循環し 徐々に発酵しながら熱を帯び始める性の濃密さも描かれているように思える。

ちなみにこの作品が描かれた時代背景は1944年に第二次世界大戦に参戦したアメリカのフランスへの上陸によってパリは開放され 1945 年にはドイツの無条件降服で西欧の第二次世界大戦は終結している。

第三章 P156

156
P156。「若い娘と猫」 46×55㎝ F10号程度 キャンバスに油彩 1945
寝台の上の裸婦は何点か描かれているが 猫が描き入れられている作品はかなり重要である。それは最晩年の代表作「鏡猫」の連作につながるからである。 P84 の「猫達の王」に初めて猫は登場し 若い娘と猫が初めて一緒に描かれたのは P101 の「若い娘と猫」などで そして P138 の「客間」にも登場している。しかし裸婦と猫はこの作品が最初である。B氏にとって猫は様々な役目を果たす重要な存在で その役割は画面を充実させる補足物であり 人物の相手をする同居者であり 共犯者で 共生者でもある。また猫は人間の私的な世界に自由に入り込む最も親密な存在だが その親密さは人間同士とはまったく異なる。つまり猫は「同居の無関係さ」の新たな展開を示す存在なのである。またB氏は画面を充実させる手法としては静物を多く配置し 模様を描き込むなどの手法をよく用いるが 生き物の存在感によって得れる充実感は猫がもっとも有効のようだ。この作品でもその役割を充分に果たしている。
はだけた布はお腹の上にまとわりついているだけで乳房も下半身も露にし 足先だけが寝具に隠されている。上体はひねられ首もかなり曲げられて傾き 右手は太ももに添えられている。この姿勢はかなり艶かしい。それは若い人の肉体の柔らかさを強調した艶かしさであるが その首は奇妙なまでに曲げられ 艶かしさから少し逸脱している。そして彼女はその艶かしい姿態をさらしながら 憂いを含んだ眼差しで物思いに沈んでいる。この憂いと艶かしい姿態 そして猫。ここでの猫は彼女の相手であり このような私的な世界に侵入しうる唯一の存在である。ここには異性が存在し得ないある時期の官能性が描かれている。また猫はその艶かしい姿態を日常の一つの姿に過ぎないようにも見せている。

第三章 P157-P158

157-158
P157。「犠牲者」 133×220 M150号程度 キャンバスに油彩 1939−1946。 
しなやかな手足は横長の画面一杯に伸びている。そしてその細長い裸体の下には白い布が敷かれている。裸体の姿勢はさりげないが充分に考えられていて 白い布の皺との関係は構成的な均衡が計られている。しかし問題は娘の表情と身体の脱力感である。顔は描き損じたような無惨に見え 力を失っている身体と共にまさに死体を連想させる。しかも画面右下には刃物まで描かれている。
「犠牲者」という題名から当時の時代背景を見れば この作品は描き始められた1939年には第二時世界大戦が勃発し 作品が完成した1946年は大戦が終結した翌年である。つまりこの作品は大戦の最中に描かれていた事になる。この大戦は西欧のみならず各国を巻き込み 国を焦土と化し ユダヤ人の大量虐殺が行なわれ 兵士のみならず多くの民間人を死に追いやっている。このような時代の中で描かれたからには戦争の犠牲者とするのは当然である。また 1937 年に描かれた P107の「静物」では 戦争前の不穏な時代が生む抗しがたい力に対する抵抗が感じられた。この「犠牲者」ではその抗しがたい力が果たした結果である死が描かれているとも言える。しかし戦争との関係を結び付けるものは題名と制作年だけであり B氏自身が題名と内容はそれほど関係ないと言っている。そういえば「静物」もこの「犠牲者」も不穏な時代や戦争という悲惨な出来事を直接には描いてはいない。関連を想像させるだけだ。その理由はB氏が絵画を社会に対する発言の方法として用いる事を避けていたからで もっと別なものを絵画に求めていたからだろう。つまりここでは戦争による死と限定するのではなく 死を抱え込んだ裸体を描く事で 死そのものを露呈させようとしているのではないだろうか。「鏡の中のアリス」などで見せた挑発的な性の露呈のように。その方がB氏が絵画に求めていたものに近くなるはずである。

P158。「眠る裸婦」 44.5×59.7 P12号 キャンバスに油彩 1945
この作品は先の「犠牲者」のような無惨な表情はないが 同じように眼を閉じ 身体は力を失っている。題名の眠りよりも やはり死を思わせる。頭より腰の位置を高くした構図は不安を感じさせるし 色彩も茶色が多く使われ暗い。そのせいだろうが死に伴う不穏が漂っているようだ。しかも描かれたのは大戦の終結した年である。しかしB氏は簡単に時代を反映させないし ここには刃物は描かれていない。刃物無しで死をどのように表せるのだろうか。死か眠りか または死と眠り そしてその近似性・・・。また絵画ははたして死と眠りを描き分けられるだろうか。
唯一はっきりしているのは この作品は不穏であり 裸体は遠のいた意識が置き去りにした抜け殻のように見える事である。しかし幼さの残る娘達の持つ生命力は輝くほどだが それと死を組み合わせたらどうなるのだろう。最も命が輝いている者と死は相反するものだ。または彼女らの眠りとはどういうものなのだろう。 無垢なる者の眠りは深くて忘我に至り 死に似て遠いのかも知れない。

この二点の死を連想させる裸体は これ以後描かれなくなり 純然たる眠る姿に変化していく。これは挑発的な性の露呈として描かれた肉体が その後には表現のための裸体に変貌していくのと同じように。

第三章 P159-P162

159
P159。「若い娘」 40.7×33㎝ F6号程度 厚紙に油彩 1946
ここには胸をはだけて椅子に座る若い娘とその後ろに立つ老婆が描かれている。これは身支度をする若い女で左端の小机が化粧台である事からそれと分かる。そして老婆は身支度の手伝いをする使用人でありP74の「キャシーの化粧」にも登場している。身支度をする娘を主題とする作品は連作で 様々な様子で描かれているが 老婆と娘だけの身支度を描いた作品はこれが最初である。この女達専用の場所には 女と美の関係が秘密にされている。

P160。「若い娘の上半身」 40.5×37㎝ F7号程度 キャンバスに油彩 1947
これは上半身を露にした若い人を描いた作品だが 先のP159の「若い娘」と同じく身支度をする女性の姿だろうが ここでは身支度をする様子ではなく 裸体そのものを描いているようだ。小さな作品だがその姿は一連の肖像画のように安定した構図になっている。クリリとした眼と微笑んだ口元は朗らかでさりげなく女性の裸体の美しさを素直に描いた作品になっている。

P161。「ルイ・ブロデールの肖像」1947。現存不明。

P162。「ジャクリーン・マティスの肖像」 100×80.6㎝ F40号 厚紙に油彩 1947
ここに描かれている若い女性はピエール・マティスの娘 ジャクリーン嬢である。ピエール・マティスはニューヨークの画廊主でバルテュスの作品を最初にアメリカで展示公開した人物であり アンリ・マチスの息子でもある。つまり彼女はアンリ・マチスの孫娘である。
作品は未完成だが 必要な事は描いたと言う感じである。人物を真横から描いているから珍しく見えるが P152の「緑と赤の若い娘 (燭台)」のような正面から描くよりも横顔の方を多く描いている。西欧人が横顔を描くのはその顔が立体的であるからで 正面からではその特徴が現れにくいからだろうが バルテュスの描く横顔の多くはそれとはまた少し違う。しかしここではもっと率直に彼女の印象的な面を描き出すために横顔を選んだと思われる。さりげない立ち姿で右腕は下げているが 左手は肩ににかけた鞄に添えている。作為がないようだが 何気なくポーズをつけていて これが変化となっている。背景の仕上げ方も眼を引くが 点描のような筆跡は通常下塗りに使われる塗り方だが ここではそのまま残している。赤毛の髪の色と茶系の肌色と小型の鞄に大して衣服や背景は青味がかっていて控えめな対比になっている。袖の白い線が爽やかさを強調している。
ちなみにこの作品は現代美術の祖であるマルセル・デュシャンの夫人が購入している。

第三章 P163-P164

163
P163。「若い娘と一枚のカード」 91.4×72.4㎝ F30号 木版に油彩 1947
これはトランプを扱った作品としては2作目であるが 後にもう一人相手方が描き加えられて P200の「トランプをする二人」となる。一作目の「一人占い」と同じように卓の上には燭台とロウソクがあるが 火は灯されていない。しかしここでは占いではなく相手と勝負をしていて 手札を一枚差し出して相手に見せている。その若い娘は大きな瞳で相手を見つめ僅かに微笑んでいる。その自信を持った態度から どうやら勝負の行方を決める一手のようだ。勝負は時に険悪な状況を起こしたり ずるさや猜疑心を露にする事もあるが 彼女にそれは見られない。この気高き勝負師は清々しいほどの振る舞いで勝負に勝とうとしている。それは勝つ事によって心の中に湧く勝利の喜びや満足感 そして優越感に溺れないからだろう。またその僅かな笑みに勝利の喜びから生じる官能性を見い出す事もできる。
背後の太い曲線は長椅子の縁だろう。

P164。「トランプをする二人の習作」 44×63㎝ M15号程度 厚紙に油彩 1947
これは先の「若い娘と一枚のカード」にもう一人加えてP200の「トランプをする二人」に発展させるための習作である。切り札を見せられた相手の様子が描き加えられている。勝つ者と負ける者の対比だが ここでは相手も女性である。最初は女同士の勝負を考えていた所が面白い。しかしそれでは敗者の悔しさや敗北感が女性特有の粘質感によって湿り気を帯びてしまうのでないだろうか。または勝者の清々しさや敗者との対比関係も弱まるのではないだろうか。

第三章 P165-P166

165
P165。「赤い髪の娘」 65×81㎝ F25号 キャンバスにに油彩 1947
これも身支度をする女性の姿のようだが 身支度と言うより身繕いのために浴室にいる姿のようだ。茶目っ気のある表情は 手に取った髪を見ている。枝毛を気にしているのか それとも髪のからまりを解こうとしているのだろうか。こんな茶目っ気のある表情もバルテュスは描く。
背後の水平線が印象的で2色の壁 洗面器の乗った棚 床 そして胸にまとった布の水平線。平面構成の中に裸婦の立体感ある身体が浮き出ている。

P166。「ロランス・バタイユの肖像」 80×60㎝ P25号 キャンバスに油彩 1947
この巻毛がかった髪の若い娘はジョルジュ・バタイユの娘の一人である。彼女は大きな鳶色の瞳を持っていて それは真珠のような白眼の中央にある。吸い込まれそうな眼である。このような瞳は瞳孔の色は濃いが その周りの色が薄いので眼と言うより色付きのガラス玉のように見え 恐さを感じる時がある。それは煌めく宝石のようだが 中を覗いてもその光の正体は見つからず 透明感が奥まで広がっている。
それにしても幼さを残す若い娘達は一体何を見るのだろう。陽に輝く草花か 透明な大気か 人生の喜怒哀楽か 身を飾る衣服や装飾品か 妊婦のお腹の中の命か 影に潜む不吉さか 未来の恋人か。いいや。その眼は見るためにあるのではなく 宝石のように煌めくためにある。そしてそれ以外の光は吸い込んでしまうのだろう。
ここに描かれた大きな瞳のロランスは ほっそりとした鼻筋と顎 軽く微笑む口元 細くて長い首 豊かでつややかな髪など これらが彼女の華やかさを表しているが その持って生まれた華やかさは彼女の利発で勝ち気な性分に勝っているようだ。

ジョルジュ・バタイユ。1897−1962 フランスの文学者。著作「眼球譚」「内的経験」「ニーチェについて」など。固定的な常識に捕らわれない無神学的な思想を展開し 汚辱と倒錯 性愛と思想を混淆させた独自な思考は第二次世界大戦後の思想 文学だけでなく風俗にまで広く影響し 現代思想の一つの源泉になっている。ロランスはバタイユと女優のシルヴィアとの間に生まれた子である。