表紙

バルティス

第一章 はじめに

第一章 はじめに

「バルテュスの作品を理解するとは そのしめやかな声が語る話を聞きとどめる事である。」

バルテュスの作品の特徴は 最大公約数的な人々向けではなく 一対一で対峙する事を望む強い個人性を帯びている点にある。そしてそこから聞こえるしめやかな声が語る話は 個人にこそ届くものであり それも聞く者が真摯な態度で耳を傾けねば  聞きとどめる事が出来ないほどの秘め事を語っている。またこの語りは人を引き付ける濃密な気配を伴いながら 平坦で分りやすいものもあるが そのほとんどは難解で時に謎解きに誘い込まれる場合もある。

私がバルテュス氏とその作品を知ったのは 初めて日本で公開された1984年の京都展よりも前だったと思う。その作品は青年期の代表作であったからか 緊張感のある独自な見せ方と挑発的な所が魅力であった。しかしその頃の私はまだ大人に成りきっていおらず 自らの確立に苦慮する若い男だった。このような者は自分であてになるものを探し出し これらを理解すると言うよりも 足元に基石として埋める。手応えのあるもの 信頼できるもの 可能性のあるもの 貴重なもの 不思議なものなど。様々な価値があると思われるものを探し出しては足元に埋めた。これは後に土台となって自分を支える事になるのだが 創作を目指す者にとっては自らの土壌を育む源ともなる。私にとって絵画世界に関する基盤の中で 最も根深い所に納められたのが氏の作品であった。そしてその全貌を本格的に理解したくなったのは 1993年に開催された日本で2度目の展覧会の出来事であった。会場は東京ステーションギャラリーで氏は来日しており この展覧会で披露される最新作の「猫鏡 3」を前にして 公に署名して見せた。しかしその手はやや震えているように見えた。私は「これが遺作になるのだな。」と思った。そして遺作に最も高い到達点を示す事のできる力量を畏怖した。
これが本書を書こうとする動機の始まりである。幸いにも氏は その後も作品を作り続けるが 8年後の2001年の初頭に亡くなってしまう。この訃報は多くの愛好家に大きな喪失感をもたらした。その中の一人である私は 足元に埋めた基石の揺らぎを感じた。本書はこの喪失感を埋め 基石をもう一度確かめるための作業とも言える。

私は氏の世界を本格的に理解するために様々な準備をし 全作品を検討したが ここで見えてきたのは氏が歩んできた跡には何時の間にか 高く険しい山が形作られている事である。これは私の目論みを この高く険しい山に昇る登山に変えた。この山がどのような山なのか 形状や質感 色彩などを確かめ その高度を計る。この登頂を目指す道は 大いなる先人の刻んだ道を辿る事もできるが それを苦もなく辿るのではなく氏が独学であったように 私も独自な道を探りながら登頂を目指したい。そしてもしその頂きに立つ事ができれば ここから見渡せる光景こそ 氏が成した高みを知る事になるはずだと考えている。本書は大胆にもバルテュスと言う大きな山を昇る登山記録であり 目撃談である。そしてあの濃密な気配に満たされた謎の解明に挑む冒険談でもある。

ここで言う全作品とは1999年にガリマール社から刊行されたカタログ・レゾネを基にしている。本制作とされる作品の点数 制作順 整理番号もこれに従っている。レゾネでは作品総数を349点としているが 本書では「ミツ」と「嵐が丘」の2点を加え さらにレゾネの追記にある1点と未掲載の1点 そして刊行後に描かれた3点を付け加えた。この結果 作品の総計は356点となっている。ここでの本制作とは油彩とテンペラを使った作品を

言い油彩を使った素描的な作品なども含まれる。また本書に未掲載の作品が少なくとも3点現在している。これらは3点共に未完成で 無彩色に近い裸婦像と「モンテ・カルヴッェロの風景」 そしてロシニエールのアトリエに残されている大作である。

事前の予備知識
本文に入る前に少し理解してほしい事がある。これは知っている人には勿論 無用であるが復習のため または新ためて氏を知るためとして読んでもらいたい。ここでは画家としての氏と人柄 さらに加えて芸術と美 絵画表現と具象の魅力について記した。

バルテュスと呼ばれる画家。
バルテュスは思春期の少女を描く画家として知られているが その全貌は決してそれだけにとどまるような内容ではない。10代の頃に描いた作品では公園で遊ぶ子供達の姿に同居の無関係を見い出し 青年期には秘められた性を挑発的に露呈させ 身支度をする娘達では裸体から発する生命の輝きを描き出している。また都市生活に見られる陽と陰の世界を明かにしているし 肖像画では人の外見を通して内実を表している。さらに自然という大いなる風景を描けば そこに無限性や永遠の存在を見い出し また明るい陽光に満ちた日常の純粋さも描いている。そして晩年は より昇華された完成度を目指しながら ある関係性によって成立する世界を成立させる事に成功している。この多様で厳選された内容は 常に濃密な気配を感じさせつつ その多くは謎めいている。それに内容だけでなく絵画表現の可能性も追求しており 写実表現から具象表現へ変化を見せながら 立体感を省略した平面化や構成を重視した作品も描いている。さらに独自に開発した 重厚な画肌も作り出している。これらの様々な作品は それぞれに見応えのあるかけがえのないもので そのように幅があっても 確かな審美眼と事物の本質を見極める知性によって創造された作品である事は明かだ。

バルテュスと呼ばれる人
バルテュスという人を語る時 映画監督のF・フェリーニが氏ついて書いた印象記が有名である。*「バルテュスを知るようになって すでに数年がたった時の事でした。彼はまるでふと思い付いたようにアトリエに来てみませんかと言い出しました。ところが約束した日に来てみると 彼はあたかもその時間を遅らせ 延期し 期待を高めようとするかのように振る舞ったのです。私達は館の静まり返った庭を前にして 長い間話し続けました。それは「通夜」の隠喩だったのでしょうか それとも浄めの儀式だったのでしょうか ちょうど聖地に到着した巡礼のように 急ぐ事なく旅のほこりを払い落とし 身を浄める事が必要なのだと思いました。こうして私の中に出来ていたバルテュスのイメージは完成されたのです。すなわち 秘法を伝授する 聖職者のごときイメージ 時の流れが堆積してきた芸術の象徴的な番人のイメージです。」
これはバルテュスについて かなり正確で象徴的な印象が述べられている。そして後にテレビなどの取材で一般的に見られるようになった姿も フェリーニの書いたように伝統を尊ぶ 気高く神秘的な画家として登場している。それらの発言は厳しく 笑顔を見せないかわりに真摯さと一種の頑さを見せていた。しかしこれは晩年の一面であり もっと別な面も持っていた事も確かである。大変な読書家であった氏がよく取り挙げる本は ベルギーの漫画家であるエルジュ氏の「タンタン」であり 晩年の「本を読むカティア」に描かれていた本の題名は「ローマのタンタン」であったそうだ。これは完成まで残されず 消されてしまう。このような可笑し味を理解する一面は 氏の息子達の思い出にも語られている。長男のスタニスラス氏が幼い頃 遊び道具にしていた金槌を何度も繰り返して貸してくれと言うので ある日氏は紙に

第一章 P3-P4

描いた金槌を渡し 握る事が出来ない金槌に困った顔をする幼い息子を楽しそうに見ていたそうである。また当人のスタニスラスさんもこの錯覚的な遊びに熱中したと述懐している。しかし次男のタデ氏はもっと厳しい思い出を語っている。彼が学校で絵を描き とても褒められたのでパパ(バルテュス)に見せたところ「2度と絵を描いてはいけません。もし描くようだったら この鋏で指を切りますよ。」と言ったそうである。タデ氏は「その時はとても恐かったが 後に絵を描く仕事の辛さゆえに言った事だと理解した。」と言っている。しかしこの厳しさは従軍したときにかかったマラリアの後遺症による発作的な混乱でもあったようだ。
このような悪戯好きな面と厳しい面はどちらも若い頃の事であり 子供達には自然の奥深さや現実の美しさを よく話していたそうである。
ローマのヴィラ・メジチでの館長職は運営責任者であったが かなりのやり手であったそうで 当時を知る職員は「バルテュスはとても魅力的で包容力があり 職員の面倒見もよかった。特にやる気のある職員を大事にした。しかしやる気のない者にはとても厳しかった。」さらに「館長でありながら細部にも精通していて 遠くからでも人を操る力を持っていた。」と述べている。この述懐の最後の言葉は 氏の人としての力の強さと本質に触れている。また職員の賞与が少ない時は 本国に要請するだけでなく 時分の素描を売った代金で補っていたそうである。
この館長時代に日本で節子夫人と出会っているが 当時の彼女の洋装好きを批判し 「何故 日本の伝統である着物を着ないのか。」と問い詰めたそうである。この後にバルテュスと結婚した節子夫人は常に着物で過ごすようになり 現在では日本の伝統美を継承する女性として活躍している。バルテュスの考えを理解し実行する節子夫人もかなり力のある人だと思うが ここでも氏の人を動かす力の強さが見られる。また氏が節子夫人と再婚する時に 先妻のアントワネット夫人は 彼女なら全てを任せられると再婚を認め 節子夫人が子を宿した時には 様々な手助けを惜しまなかったそうである。このように二人の女性が いかに思慮深く賢い人達であったか分かる。そしてこの二人こそ氏に相応しい女性であり 人を見る眼の確かさこそ 氏の人としての程度の高さを示している。また氏の3人の子供達 スタニスラス氏とタデ氏 そして一人娘である春美嬢 彼等は互いに理解しあっており 親に似て優雅で気品があり 知性の深さが眼に宿っている。そして突出した存在感を持っている。これは両親の良き個性の伝承だろう。氏の画家としての生活が安定し始めたのは1950年代以降で 複数の後援者が資金を出し合って彼の生活を支えたおかげである。それまでは決して豊かではなく 有名になってからも作品売買のための画廊との契約は更新されないままであったそうだ。やはり氏は自分の作品をより高く売るなどと言った事には無頓着だったようだ。また長男のスタニスラス氏が旅行に連れ出しても すぐに帰りたがり 自分の一番居たい所に居させてくれと言って 画室に戻りたがったそうである。
パリ時代の若い頃の事はあまり知られていないが* 優雅な男前で洗練された魅力を持ちつつ 短気で怒りっぽく 自己中心的に頑迷で 鼻持ちならないくらい気位が高く 本物のみを認めるような人であったとも伝えられている。この頃の特徴は行動力と社交性があり 手強い論客でもあり その鋭さと生意気さは当時の様々な時代人との交流を可能にし これらの人々の多くは現在に名を残す人達であった。
ここでの締めくくりにフェリーニが最後の発作を起こした時の事であるが 病に倒れた友人のために氏は懸命に祈ったそうである。この祈りはマラテスタ寺院にあるピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画に登場する聖シジスモンドに対してであったが 「それは自分がピエロ・デッラ・フランチェスコを熱愛しているからでなく あの時フェリーニの一番近くに居た聖人だったからです。」と言っている。この敬虔な配慮と細部へのこだわりは フェリーニが書いた印象記を通じるものがある。つまりバルテュスは大いなる強固な自我を持ちながらこれを操作できる理性を持った人でありこの知性は冗談や可笑し味も理解していた。

そして男前で誇り高き優雅さはダンディズムであり 画家でなくともやっていけるほどの人であった。しかしその内に秘めた魂は 穢れなき神秘の底から生まれており 現実と無限の世界 または美と醜の世界を思うように行き来できる力を持っていた。それゆえに孤独であるが 何かを深く知り得る者とは そうであるべき事を示している人でもあった。*フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini 1920~1993 映画監督 脚本家。映像の魔術師との異名を持ち庶民的で開放的だが人生の悲哀や幻想的で夢幻性を帯びた映像が特徴。猥雑な娼婦達やサーカスの道化師などは特異な材料であった。
*この文章は最初に1977年にニューヨークのピエール・マチス画廊で開催された展覧会の図録に掲載された。
*”Balthus Correspondance Amoureuse avec Antoinette de Watteville 1928-1937″が2001年に刊行されている。 「バルテュスがアントワネットに送った愛の手紙 1928-1937」 

 

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第一章  P5-P6

芸術と美

芸術家と言う言葉をバルテュスは嫌い 自らを職人であると言っている。これは芸術家という呼び方が勿体をつけて さも偉そうだからだろうが 彼が芸術家である事は明らかだ。しかし芸術とはどのような意味なのかをあらためて考えると *アンリ・マチスの言葉が最も明確だろう。「芸術とは精神を高揚させ 思考を明確にし 感情を軽くするものである。」 この言葉は人にとって重要なものは精神と思考と感情であるとし 心情を越えたところを高まらせ 物事を明確にし 感情に負荷を与えないものとしている。ここには感動も含まれるだろうし 感情を豊かにするでは重さが生じてしまうから 軽くとしたのだろう。つまり芸術とは人々に良い刺激 または影響を与えるものと解釈できる。
また美とは何かと言えば調和であるが 魅力と置き換える事もできる。美の種類には代表的な自然美があり山河や海 動植物 季節と気候などがある。また自然美に対して人工美があり人間が作り出した事物の美を言う。この他に人間美があり 若々しい青年期の輝きや老年のわびさびなども また男性美と女性美に分ける事もできる。そして色彩美 純粋美 理想美 普遍美などもあるし 美の捉え方としての相対美や絶対美もある。さらに美は善であるが 悪でもあり 愛(エロス)でもあるとする考えもある。悪でもあるとは その魅力によって人を惑わすからで 愛であるとは男女の恋愛や性愛も美として捉える事ができるからである。
このような芸術と美の核には真善美がある。真は真実であり 善は良き事物 美は調和とも言え 表現が元来含むべきものである。そしてこの3つはそれぞれに関連していて真は善であり 善は美であり 美は真であり 善は真でもある。また美学者の今道氏はこうも言っている。**真とは存在の意味であり 善を存在の機能とすれば 美は存在の恵みないし愛である。

*アンリ・マチス Henri Matisse 画家 1869~1954。 野獣派の主導者として色彩を自由に扱い 明解で平坦な作風を確立した20 世紀の具象絵画の代表的な画家。
代表作「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905。「ダンス」1909。「金魚」1912。「ジャズ・サーカス」1947。 

**今道 友信 美学者 哲学者 1922~ 。日本の哲学者で美学者などで「エコエティカ」「類縁学}などを提唱している。主な著作「美の位相と芸術」「東西の哲学」など。

絵画表現と具象の魅力

現在の絵画表現には 現実を正確に再現するような写実表現と現実にあるような具体的なものを 変形や単純化などをする具象表現 そして具体的なものを描かない抽象表現がある。バルテュスの絵画表現の様式は固定化されず 時期ごとに異なるが あくまでも具象表現にこだわり続けた画家であった。写実表現と具象表現は共に現実を基にしているが 写実表現は現実性を成立させるために視覚に忠実すぎて 表現の幅を狭めかねない。それに技法上の約束事が多く 絵画自体の表現の可能性を制約しかねないとも言え絵画は形 質感 立体感 空間性 光と影 色彩 そして構成という要素で成り立っているが 写実表現では現実性を得るためにこれら全てが必要で しかも正確な再現力が求められる。しかし具象表現ではその必要がなく 形は変形や単純化 または誇張してもよく 質感も省略でき その代わりに絵具によって作られた質感を画肌として重要になる。立体感と空間性も必要なだけでよく 光と影も光源の位置などを正確にする必要はない。また色彩も物の持つ個有色に限定されずに扱える。つまり具象表現はこのような制約の少なさが表現の幅を広げ 現実の読み取り方と表し方に自由性がある。それゆえに表現者の感性や思考による展開が広がりやすく また鑑賞者も現実の再現性と言う堅苦しさから逃れ その多様性を楽しむ事ができるのである。しかし写実表現や具象表現で欠かせないのが 現実から得る本当さや実体感 ま

たは実在感である。これを得なければ いかに技法を駆使したとしても ただのありえぬ絵空事になってしまう。そしてこの現実感はバルテュスの作品の場合は2種類あり 計りしれない現実の探究と具象表現としての絵画表現の追求である。また現在の表現の多くは 社会の行き詰まり感や人々の精神的な不安などの負を表現の対象とする事で 時代の本質に迫ろうとする傾向が強い。また絵画はキャンバスに油彩を用いた平面表現で 立体表現は大理石を用いた彫刻などと言った表現形式や手法を過去のものとし 平面表現と立体表現の両立や既存の領域を排して混在化する手法も確立している。また表現から快楽性を取り除き 冷静な純粋化も試みられている。このような表現の追求や創造は確かに必要だが もっと人々に近くあり 絵画に期待や楽しみ 高揚感と明確さ そして感情を軽くまたは豊かにしてくれるもの それでいて見る者を甘やかしたり 媚びないものがあっても良いのではないだろうか。これが具象表現の魅力でもあるのだから。

以上が事前の予備知識であった。これらを踏まえながら 今一度バルテュスの作品をじっくりと鑑賞し それぞれの世界を堪能していただきたい。