あとがき 1-2

あとがき

以前から作品に描かれた場所を訪れてみたかった。それは作品と実景との違いを確認し その場所を選んだ理由を知りたかったからだ。これがようやく2007年の4月に機会を得る事が出来た。訪問先と訪問順は氏の生涯を辿るようにしたかったので 出発点は10代の頃に描いたパリのリュクサンブール公園とし パリでは他に画家として最初に持ったロアンのアトリエ そしてあのコメルス・サン・タンドレ小路を訪れた。その後はラルシャンとシャシー そしてローマのヴィラ・メジチ館とモンテ・カルヴッェロ 最後はスイスにあるゴッテロン渓谷とロシニエールにあるグラン・シャレのアトリエの順である。

リュクサンブール公園を描いたのは今から80年ほど昔になるが 現在と当時の違いはほとんどなく 樹木以外の場所はすぐに確認できた。そしてロアンのアトリエは 門に閉ざされた敷地内にある建物の一つで 中にロアンの中庭がある。そしてすぐ近くにコメルス・サン・タンドレ小路があるが 実際の小路はやはり狭く短い T 字路であった。この場所からあの壮大で沈鬱な世界を想像したとは思えず やはり創案が優先し 後からそれに見合う場所を当て嵌めたのだろうと思われた。次は車でパリ郊外にあるラルシャンに向かった。ラルシャンは小さな村だが 例の教会はかなり大きくゴシック様式の建物であり 戦時中に被害を被っいるが ほとんどは修復され 現在では半分を教会として使い 他は遺跡になっていた。建設後に悪魔憑きを収容する施設とされていた頃の異様さを感じ取る事もできなくないし 遠くから見た時の存在感も確かにある。しかし実際にはあのように地平線上に頭を覗かせる事はなく これも氏の創造であるが いわく付きの建物をあのように描いた発想の飛躍に思いを巡らせる事になった。そして作風の変わるシャシーは パリから見ればバルビゾン派の画家達が住んだ地方の方角にある。なだらかな丘陵が広がる放牧地帯の中腹に あの舘は建っていた。現在もここに住むティゾンさんによれば 当時の面影を残すものは 少なくなっているとの事だったが 門が2つある中庭 そして舘の周囲に広がる丘陵の実景を確かめる事が出来た。舘から見た中庭は描かれた作品との差は少ないが やはり背景の丘陵や樹木と共に 構成のためにかなり手が加えられている事がよく分かる。またあのゆるい曲線で描かれた丘陵は創作ではなく 実際にあのような不定形の境界線があり これをあの様に解釈して描いたのだと了解できた。しかしあの三角の畑に描かれた眼の形をした紡錘形を見つける事は出来なかった。やはり案内人が必要であったが ティゾンさんは我々の訪問を すでに遠い昔の事ですと断っていた。やむを得なかったが 誠に残念であった。 

次に訪れたのはローマのヴィラ・メジチ館で 館内の氏に関係する所を館員の方が案内してくれた。しかしここでも肝心なトルコ風の部屋を見る事は叶わなかった。これは予定外のフランスの大臣が宿泊していたからであったが 氏が行なった改修後の舘と中庭 そしてバルテュス壁などを見る事が出来た。また氏が館長を務めていた当時の館員の方から 貴重な話も聞く事が出来た。彼女の思い出を語る時の眼差しは とても真摯で穏やかであった。そして次はローマ郊外のモンテ・カルヴッェロの古城を訪れた。ここは初めて購入した持ち家だが 気候があわず別荘として使われていた。ここでは氏の長男であるスタニスラス氏が出迎えてくれる予定であった。だがいくら扉のノッカーを鳴らしても彼は出てこず 待つ間に中庭の奥から あの「モンテ・カルヴッェロの風景 1」に描かれた場所を見つけてしまった。この風景にあるものは作品とほとんど同じであるが やはり作品の表すものとは異なる。そしてここからでは他に描けるような所がない事も知った。その後すぐにスタニスラス氏は現れ すぐに出迎えなかった事を丁重に詫びた。彼は背の高い美男子で父親似であり 長く伸ばした白髪を後ろに束ねていた。案内された古城の各室には 厳選された古い家具が置かれており そのしつらえ方に氏の作品以外の別な面を見た訳だが その趣味の良さは納得できるだけのものがあった。また舘のほとんどの壁面はバルテュス壁に仕上げられて

おり これらの壁や舘の修復は スタニスラス氏も手伝ったがかなり苦労したそうである。そして驚いたのは浴室にヴィラ・メジチ館のトルコ風の部屋と同じタイルが貼られていた事で その鮮やかな模様と白地のタイルは 窓から差し込む陽光を受けて明るさを増し 落ち着いた内装の色彩に慣れていた私は思わず見とれてしまった。そして階上のアトリエにつかっていた部屋に向かう途中で スタニスラス氏の妹とその友人に出会い紹介された。妹とは春美さんの事であり 突然であったために驚いたが それは写真で見知っていた彼女とは異なる気軽なジーンズ姿であったためだ。しかしその姿は自然な気品が漂っていた。最後に階上の隅にある画室に案内されたが 整理されていて当時の面影はなかった。しかし窓から見える風景はあの場所であり これを毎日のように眺めていたのかと思うと あの風景画に新たな興味が湧いた。一通り案内が終った後 スタニスラス氏が節子夫人に電話をかけ 私と替わった。夫人は我々の訪問を出迎える事が出来ない事を詫びたが その丁重さに私は少し恐縮した。帰りのタクシーの中から外の風景を何気なく見ていると 小高い山の上には必ず古い街があり その頂上には似たような古城が建っている事に気付いた。この地方の一つの特徴なのだろう。

この後スイスにあるゴッテロン渓谷を歩き 描かれた場所を探したが 渓谷の道は長くここだという場所を限定する事は出来なかった。しかしやはり実景よりも作品の方が 壮大で威厳があるように描かれている事は確かめる事が出来た。それにしても絵になる風景は幾らでもある国なのに 何故ここを選んだのかと考えると氏の創作の秘密を覗いたような気がした。これは他の場所でも感じた事である。そして最後はロシニエールであるが 約束の訪問時間よりも早く着いたので 村を一回りしてから氏の御墓参りをした。しかし花屋が見つからず しかたないので行く道の野辺の花を摘んで行った。同行の岡本さんは自らの髪止めをはずし それで花をくるんでお墓に添えていた。この墓碑は村の小高い岡の麓にあり 後援者の方が用意した土地であるそうだ。石板に彫られた氏の名前の書体は美しく これを見ているとこの足下に氏が眠っていると思うと胸を突くものがあり 足の裏が痛くなるのを感じた。この痛みはある意味で 聖地に対する畏怖に似た気持ちから起こった事だろう。午後遅くにグラン・シャレを訪れ 待っていてくれたスタニスラス氏と再会した。彼はさっそく玄関の向えにあるアトリエの扉の鍵を開け 緑色の扉を開いた。アトリエの中はやや暗かったが広く 生前と同じ状態に保存されている事はすぐ分った。しかしすぐに足を入れる事は出来ず 眼をつむり一呼吸おいてから 音を立てないように一歩目の足を踏み入れた。U2のボノ氏は 入口で十字を切ってから入室したそうである。アトリエの正面にある大きな窓からは ロシニエール村の高い丘陵が青空と共に広がっていた。窓の下の制作中に作品を眺めるための椅子には 部屋着が一枚かかっていたが これはここを訪れた最後の時に暑いと言って脱いだものであり そのままにしてあるそうだ。椅子の後ろの壁にはジャコメッティの横顔の写真が架けられ 脇にある机の上には ダンヒルの煙草と灰皿 眼鏡 グリューネヴァルトの画集などが雑然と置かれていた。また窓に対して斜めに置かれたイーゼルには200号ほどの描きかけの作品が乗せられたままになっていた。この未完成の作品はそれほど描き込まれていなかったが 中央の若い娘の顔だけは重ね塗られており その眼を閉じた表情は穏やかで愛らしく見えた。この眠る娘の顔を見ていると 部屋の主人が居ない間に盗み見ているような後ろめたさを感じ 落ち着かぬ気持ちは呼吸を浅くさせた。陽が傾きアトリエ内が暗くなってから退出したが やはり氏が存命中に訪れるべきであったと後悔した。ここは単なる仕事場ではなく やはり聖域であった。 

翌日 グラン・シャレの1階に作られた画廊に案内され 年に何回か財団が主催している展覧会の会場を見学した。その後にグラン・シャレの中庭に招き入れられたが 植えられた花々に水が撒かれており 柳の葉を揺らす風が気持ちよく その後ろに建つシャレの偉容をゆっくりと眺める事が出来た。この時スタニスラス氏の背後の窓が一つだけ開いていたので「あれは?」と問うと「あそこが パパの部屋だよ。」と彼は指をさした。我々が気付くように 開けておいてくれたのだった。

あとがき 3-

そしてこの時スタニスラス氏は「お前はパパの巡礼者だ。」と言った。この意味はバルテュスの画家としての生涯を辿るような旅をして来た者への慰労の言葉であり これは私にとってはとても嬉しい理解の仕方であった。しかし同じように実際に足を運んで調べようとする者は皆 巡礼者だろう。バルテュスのカリスマを引き継ぐスタニスラス氏は このような形で私達の旅を収斂してしまうのだが 彼の語る話は何一つおろそかにできなかった。「ブランシャールの子供達」の机の下に描かれた黒い塊について 「モンテ・カルヴッェロの風景 1」に描かれている男女は自分が見せた古い版画からヒントを得た事 バルテュスの描く猫は見えないものを見る目撃者である事など。そして時々案内の途中で「この足のデッサンは 誰の足か?」とか 「この脚立に見覚えがないか?」と私に質問してくる。それに答えるとにっこりと綺麗な笑顔を見せる彼は 若い頃は音楽家だったそうである。今でも世界的に有名なロック・ミュージシャンと交流を持っているそうで 後で彼とジョン・レノン等が一緒に写っているスタジオでの写真を頂いた。

またバルテュス家の華である春美さんとも2度ほど御会いする事が出来たが 陽の暮れたグラン・シャレの居間に現れた彼女は 黒いイブニングドレス姿であった。その落ち着いた気高さはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた希代の名作「モナ・リサ」に良く似ていた。それは容貌だけでなく 清明でありながら暗さを持ち 知的で高尚でありながら気さく 彼女も多様な美を持つ貴人であり 二人ともまったく年を取らない。
またバルテュス家の要である節子夫人とは電話での挨拶に留まったが グラン・シャレの室内に飾られた夫人の作品では 私はバルテュス一家の人々を動物に例えて描いた作品に強く興味を持った。またその後にメールでお墓に添えたお花のお礼も頂いた。またスタニスラス氏は この後も作品の内容を確かめための問い合わせに何度も答えていただいたりした。バルテュスの御家族の方々はとても洗練されており 氏を理解しょうとする者に対して誠意を尽くす態度は とても真摯で丁重であった。皆様には とても感謝しております。また本書を書き上げるための示唆を与えてくれたヴィラ・メジチ館の司書の方と学芸員の方々 またロシニエールのホテルの女主人 そして氏の作品を知らなかったラルシャンのパン屋の娘さんなどなど 皆様へも感謝を捧げます。

さらにこの調査旅行の準備をし 通訳として同行してくれた写真家のジャン・フランソワ・ゲーリーさんと助手として同行してくれた岡本 恵美さんにも感謝をしております。なおゲーリーさんは本書のフランス語の翻訳もしていただき その労苦に敬意を持って感謝します。

 

著者 近藤 達雄
2008 3 13

表4