表紙

バルティス

第一章 はじめに

第一章 はじめに

「バルテュスの作品を理解するとは そのしめやかな声が語る話を聞きとどめる事である。」

バルテュスの作品の特徴は 最大公約数的な人々向けではなく 一対一で対峙する事を望む強い個人性を帯びている点にある。そしてそこから聞こえるしめやかな声が語る話は 個人にこそ届くものであり それも聞く者が真摯な態度で耳を傾けねば  聞きとどめる事が出来ないほどの秘め事を語っている。またこの語りは人を引き付ける濃密な気配を伴いながら 平坦で分りやすいものもあるが そのほとんどは難解で時に謎解きに誘い込まれる場合もある。

私がバルテュス氏とその作品を知ったのは 初めて日本で公開された1984年の京都展よりも前だったと思う。その作品は青年期の代表作であったからか 緊張感のある独自な見せ方と挑発的な所が魅力であった。しかしその頃の私はまだ大人に成りきっていおらず 自らの確立に苦慮する若い男だった。このような者は自分であてになるものを探し出し これらを理解すると言うよりも 足元に基石として埋める。手応えのあるもの 信頼できるもの 可能性のあるもの 貴重なもの 不思議なものなど。様々な価値があると思われるものを探し出しては足元に埋めた。これは後に土台となって自分を支える事になるのだが 創作を目指す者にとっては自らの土壌を育む源ともなる。私にとって絵画世界に関する基盤の中で 最も根深い所に納められたのが氏の作品であった。そしてその全貌を本格的に理解したくなったのは 1993年に開催された日本で2度目の展覧会の出来事であった。会場は東京ステーションギャラリーで氏は来日しており この展覧会で披露される最新作の「猫鏡 3」を前にして 公に署名して見せた。しかしその手はやや震えているように見えた。私は「これが遺作になるのだな。」と思った。そして遺作に最も高い到達点を示す事のできる力量を畏怖した。
これが本書を書こうとする動機の始まりである。幸いにも氏は その後も作品を作り続けるが 8年後の2001年の初頭に亡くなってしまう。この訃報は多くの愛好家に大きな喪失感をもたらした。その中の一人である私は 足元に埋めた基石の揺らぎを感じた。本書はこの喪失感を埋め 基石をもう一度確かめるための作業とも言える。

私は氏の世界を本格的に理解するために様々な準備をし 全作品を検討したが ここで見えてきたのは氏が歩んできた跡には何時の間にか 高く険しい山が形作られている事である。これは私の目論みを この高く険しい山に昇る登山に変えた。この山がどのような山なのか 形状や質感 色彩などを確かめ その高度を計る。この登頂を目指す道は 大いなる先人の刻んだ道を辿る事もできるが それを苦もなく辿るのではなく氏が独学であったように 私も独自な道を探りながら登頂を目指したい。そしてもしその頂きに立つ事ができれば ここから見渡せる光景こそ 氏が成した高みを知る事になるはずだと考えている。本書は大胆にもバルテュスと言う大きな山を昇る登山記録であり 目撃談である。そしてあの濃密な気配に満たされた謎の解明に挑む冒険談でもある。

ここで言う全作品とは1999年にガリマール社から刊行されたカタログ・レゾネを基にしている。本制作とされる作品の点数 制作順 整理番号もこれに従っている。レゾネでは作品総数を349点としているが 本書では「ミツ」と「嵐が丘」の2点を加え さらにレゾネの追記にある1点と未掲載の1点 そして刊行後に描かれた3点を付け加えた。この結果 作品の総計は356点となっている。ここでの本制作とは油彩とテンペラを使った作品を

言い油彩を使った素描的な作品なども含まれる。また本書に未掲載の作品が少なくとも3点現在している。これらは3点共に未完成で 無彩色に近い裸婦像と「モンテ・カルヴッェロの風景」 そしてロシニエールのアトリエに残されている大作である。

事前の予備知識
本文に入る前に少し理解してほしい事がある。これは知っている人には勿論 無用であるが復習のため または新ためて氏を知るためとして読んでもらいたい。ここでは画家としての氏と人柄 さらに加えて芸術と美 絵画表現と具象の魅力について記した。

バルテュスと呼ばれる画家。
バルテュスは思春期の少女を描く画家として知られているが その全貌は決してそれだけにとどまるような内容ではない。10代の頃に描いた作品では公園で遊ぶ子供達の姿に同居の無関係を見い出し 青年期には秘められた性を挑発的に露呈させ 身支度をする娘達では裸体から発する生命の輝きを描き出している。また都市生活に見られる陽と陰の世界を明かにしているし 肖像画では人の外見を通して内実を表している。さらに自然という大いなる風景を描けば そこに無限性や永遠の存在を見い出し また明るい陽光に満ちた日常の純粋さも描いている。そして晩年は より昇華された完成度を目指しながら ある関係性によって成立する世界を成立させる事に成功している。この多様で厳選された内容は 常に濃密な気配を感じさせつつ その多くは謎めいている。それに内容だけでなく絵画表現の可能性も追求しており 写実表現から具象表現へ変化を見せながら 立体感を省略した平面化や構成を重視した作品も描いている。さらに独自に開発した 重厚な画肌も作り出している。これらの様々な作品は それぞれに見応えのあるかけがえのないもので そのように幅があっても 確かな審美眼と事物の本質を見極める知性によって創造された作品である事は明かだ。

バルテュスと呼ばれる人
バルテュスという人を語る時 映画監督のF・フェリーニが氏ついて書いた印象記が有名である。*「バルテュスを知るようになって すでに数年がたった時の事でした。彼はまるでふと思い付いたようにアトリエに来てみませんかと言い出しました。ところが約束した日に来てみると 彼はあたかもその時間を遅らせ 延期し 期待を高めようとするかのように振る舞ったのです。私達は館の静まり返った庭を前にして 長い間話し続けました。それは「通夜」の隠喩だったのでしょうか それとも浄めの儀式だったのでしょうか ちょうど聖地に到着した巡礼のように 急ぐ事なく旅のほこりを払い落とし 身を浄める事が必要なのだと思いました。こうして私の中に出来ていたバルテュスのイメージは完成されたのです。すなわち 秘法を伝授する 聖職者のごときイメージ 時の流れが堆積してきた芸術の象徴的な番人のイメージです。」
これはバルテュスについて かなり正確で象徴的な印象が述べられている。そして後にテレビなどの取材で一般的に見られるようになった姿も フェリーニの書いたように伝統を尊ぶ 気高く神秘的な画家として登場している。それらの発言は厳しく 笑顔を見せないかわりに真摯さと一種の頑さを見せていた。しかしこれは晩年の一面であり もっと別な面も持っていた事も確かである。大変な読書家であった氏がよく取り挙げる本は ベルギーの漫画家であるエルジュ氏の「タンタン」であり 晩年の「本を読むカティア」に描かれていた本の題名は「ローマのタンタン」であったそうだ。これは完成まで残されず 消されてしまう。このような可笑し味を理解する一面は 氏の息子達の思い出にも語られている。長男のスタニスラス氏が幼い頃 遊び道具にしていた金槌を何度も繰り返して貸してくれと言うので ある日氏は紙に

第一章 P3-P4

描いた金槌を渡し 握る事が出来ない金槌に困った顔をする幼い息子を楽しそうに見ていたそうである。また当人のスタニスラスさんもこの錯覚的な遊びに熱中したと述懐している。しかし次男のタデ氏はもっと厳しい思い出を語っている。彼が学校で絵を描き とても褒められたのでパパ(バルテュス)に見せたところ「2度と絵を描いてはいけません。もし描くようだったら この鋏で指を切りますよ。」と言ったそうである。タデ氏は「その時はとても恐かったが 後に絵を描く仕事の辛さゆえに言った事だと理解した。」と言っている。しかしこの厳しさは従軍したときにかかったマラリアの後遺症による発作的な混乱でもあったようだ。
このような悪戯好きな面と厳しい面はどちらも若い頃の事であり 子供達には自然の奥深さや現実の美しさを よく話していたそうである。
ローマのヴィラ・メジチでの館長職は運営責任者であったが かなりのやり手であったそうで 当時を知る職員は「バルテュスはとても魅力的で包容力があり 職員の面倒見もよかった。特にやる気のある職員を大事にした。しかしやる気のない者にはとても厳しかった。」さらに「館長でありながら細部にも精通していて 遠くからでも人を操る力を持っていた。」と述べている。この述懐の最後の言葉は 氏の人としての力の強さと本質に触れている。また職員の賞与が少ない時は 本国に要請するだけでなく 時分の素描を売った代金で補っていたそうである。
この館長時代に日本で節子夫人と出会っているが 当時の彼女の洋装好きを批判し 「何故 日本の伝統である着物を着ないのか。」と問い詰めたそうである。この後にバルテュスと結婚した節子夫人は常に着物で過ごすようになり 現在では日本の伝統美を継承する女性として活躍している。バルテュスの考えを理解し実行する節子夫人もかなり力のある人だと思うが ここでも氏の人を動かす力の強さが見られる。また氏が節子夫人と再婚する時に 先妻のアントワネット夫人は 彼女なら全てを任せられると再婚を認め 節子夫人が子を宿した時には 様々な手助けを惜しまなかったそうである。このように二人の女性が いかに思慮深く賢い人達であったか分かる。そしてこの二人こそ氏に相応しい女性であり 人を見る眼の確かさこそ 氏の人としての程度の高さを示している。また氏の3人の子供達 スタニスラス氏とタデ氏 そして一人娘である春美嬢 彼等は互いに理解しあっており 親に似て優雅で気品があり 知性の深さが眼に宿っている。そして突出した存在感を持っている。これは両親の良き個性の伝承だろう。氏の画家としての生活が安定し始めたのは1950年代以降で 複数の後援者が資金を出し合って彼の生活を支えたおかげである。それまでは決して豊かではなく 有名になってからも作品売買のための画廊との契約は更新されないままであったそうだ。やはり氏は自分の作品をより高く売るなどと言った事には無頓着だったようだ。また長男のスタニスラス氏が旅行に連れ出しても すぐに帰りたがり 自分の一番居たい所に居させてくれと言って 画室に戻りたがったそうである。
パリ時代の若い頃の事はあまり知られていないが* 優雅な男前で洗練された魅力を持ちつつ 短気で怒りっぽく 自己中心的に頑迷で 鼻持ちならないくらい気位が高く 本物のみを認めるような人であったとも伝えられている。この頃の特徴は行動力と社交性があり 手強い論客でもあり その鋭さと生意気さは当時の様々な時代人との交流を可能にし これらの人々の多くは現在に名を残す人達であった。
ここでの締めくくりにフェリーニが最後の発作を起こした時の事であるが 病に倒れた友人のために氏は懸命に祈ったそうである。この祈りはマラテスタ寺院にあるピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画に登場する聖シジスモンドに対してであったが 「それは自分がピエロ・デッラ・フランチェスコを熱愛しているからでなく あの時フェリーニの一番近くに居た聖人だったからです。」と言っている。この敬虔な配慮と細部へのこだわりは フェリーニが書いた印象記を通じるものがある。つまりバルテュスは大いなる強固な自我を持ちながらこれを操作できる理性を持った人でありこの知性は冗談や可笑し味も理解していた。

そして男前で誇り高き優雅さはダンディズムであり 画家でなくともやっていけるほどの人であった。しかしその内に秘めた魂は 穢れなき神秘の底から生まれており 現実と無限の世界 または美と醜の世界を思うように行き来できる力を持っていた。それゆえに孤独であるが 何かを深く知り得る者とは そうであるべき事を示している人でもあった。*フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini 1920~1993 映画監督 脚本家。映像の魔術師との異名を持ち庶民的で開放的だが人生の悲哀や幻想的で夢幻性を帯びた映像が特徴。猥雑な娼婦達やサーカスの道化師などは特異な材料であった。
*この文章は最初に1977年にニューヨークのピエール・マチス画廊で開催された展覧会の図録に掲載された。
*”Balthus Correspondance Amoureuse avec Antoinette de Watteville 1928-1937″が2001年に刊行されている。 「バルテュスがアントワネットに送った愛の手紙 1928-1937」 

 

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第一章  P5-P6

芸術と美

芸術家と言う言葉をバルテュスは嫌い 自らを職人であると言っている。これは芸術家という呼び方が勿体をつけて さも偉そうだからだろうが 彼が芸術家である事は明らかだ。しかし芸術とはどのような意味なのかをあらためて考えると *アンリ・マチスの言葉が最も明確だろう。「芸術とは精神を高揚させ 思考を明確にし 感情を軽くするものである。」 この言葉は人にとって重要なものは精神と思考と感情であるとし 心情を越えたところを高まらせ 物事を明確にし 感情に負荷を与えないものとしている。ここには感動も含まれるだろうし 感情を豊かにするでは重さが生じてしまうから 軽くとしたのだろう。つまり芸術とは人々に良い刺激 または影響を与えるものと解釈できる。
また美とは何かと言えば調和であるが 魅力と置き換える事もできる。美の種類には代表的な自然美があり山河や海 動植物 季節と気候などがある。また自然美に対して人工美があり人間が作り出した事物の美を言う。この他に人間美があり 若々しい青年期の輝きや老年のわびさびなども また男性美と女性美に分ける事もできる。そして色彩美 純粋美 理想美 普遍美などもあるし 美の捉え方としての相対美や絶対美もある。さらに美は善であるが 悪でもあり 愛(エロス)でもあるとする考えもある。悪でもあるとは その魅力によって人を惑わすからで 愛であるとは男女の恋愛や性愛も美として捉える事ができるからである。
このような芸術と美の核には真善美がある。真は真実であり 善は良き事物 美は調和とも言え 表現が元来含むべきものである。そしてこの3つはそれぞれに関連していて真は善であり 善は美であり 美は真であり 善は真でもある。また美学者の今道氏はこうも言っている。**真とは存在の意味であり 善を存在の機能とすれば 美は存在の恵みないし愛である。

*アンリ・マチス Henri Matisse 画家 1869~1954。 野獣派の主導者として色彩を自由に扱い 明解で平坦な作風を確立した20 世紀の具象絵画の代表的な画家。
代表作「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」1905。「ダンス」1909。「金魚」1912。「ジャズ・サーカス」1947。 

**今道 友信 美学者 哲学者 1922~ 。日本の哲学者で美学者などで「エコエティカ」「類縁学}などを提唱している。主な著作「美の位相と芸術」「東西の哲学」など。

絵画表現と具象の魅力

現在の絵画表現には 現実を正確に再現するような写実表現と現実にあるような具体的なものを 変形や単純化などをする具象表現 そして具体的なものを描かない抽象表現がある。バルテュスの絵画表現の様式は固定化されず 時期ごとに異なるが あくまでも具象表現にこだわり続けた画家であった。写実表現と具象表現は共に現実を基にしているが 写実表現は現実性を成立させるために視覚に忠実すぎて 表現の幅を狭めかねない。それに技法上の約束事が多く 絵画自体の表現の可能性を制約しかねないとも言え絵画は形 質感 立体感 空間性 光と影 色彩 そして構成という要素で成り立っているが 写実表現では現実性を得るためにこれら全てが必要で しかも正確な再現力が求められる。しかし具象表現ではその必要がなく 形は変形や単純化 または誇張してもよく 質感も省略でき その代わりに絵具によって作られた質感を画肌として重要になる。立体感と空間性も必要なだけでよく 光と影も光源の位置などを正確にする必要はない。また色彩も物の持つ個有色に限定されずに扱える。つまり具象表現はこのような制約の少なさが表現の幅を広げ 現実の読み取り方と表し方に自由性がある。それゆえに表現者の感性や思考による展開が広がりやすく また鑑賞者も現実の再現性と言う堅苦しさから逃れ その多様性を楽しむ事ができるのである。しかし写実表現や具象表現で欠かせないのが 現実から得る本当さや実体感 ま

たは実在感である。これを得なければ いかに技法を駆使したとしても ただのありえぬ絵空事になってしまう。そしてこの現実感はバルテュスの作品の場合は2種類あり 計りしれない現実の探究と具象表現としての絵画表現の追求である。また現在の表現の多くは 社会の行き詰まり感や人々の精神的な不安などの負を表現の対象とする事で 時代の本質に迫ろうとする傾向が強い。また絵画はキャンバスに油彩を用いた平面表現で 立体表現は大理石を用いた彫刻などと言った表現形式や手法を過去のものとし 平面表現と立体表現の両立や既存の領域を排して混在化する手法も確立している。また表現から快楽性を取り除き 冷静な純粋化も試みられている。このような表現の追求や創造は確かに必要だが もっと人々に近くあり 絵画に期待や楽しみ 高揚感と明確さ そして感情を軽くまたは豊かにしてくれるもの それでいて見る者を甘やかしたり 媚びないものがあっても良いのではないだろうか。これが具象表現の魅力でもあるのだから。

以上が事前の予備知識であった。これらを踏まえながら 今一度バルテュスの作品をじっくりと鑑賞し それぞれの世界を堪能していただきたい。

第二章 P7-P8

第2章 略歴と時代

この章ではバルテュスの略歴に並記して その時々の時代に起こった主な出来事と他の作家の作品を記している。これはバルテュスと時代の関係を確かめるためである。例えば彼の幼年時代には第一次世界大戦が起こっているし 31才の年には第二次世界大戦が勃発し37才まで続いている。また戦争以外の社会の出来事も戦後の復興や経済を中心とする資本主義の邁進 共産主義の誕生と崩壊 または宇宙開発などと様々な出来事が起こっている。また表現の世界でも1800年後半から それまでの写実表現に対して印象主義などによる具象表現が出現し さらにキュビズムなどを通して1950年頃までに抽象表現が確立される。さらにその後は伝統的な表現を越えた新たな表現様式が 数々と誕生した。そのような時代の変革の中で バルテュスはいかにあったのかを検討する事も彼を理解する上で欠かせないはずである。

1908年2月29日 クウォソフスキ−家の次男としてパリに生まれる。父はエリック・クウォソフスキー(1875-1946)。母はエリーザベト・ドロテア・スピロ 通称バラディーヌ(1886-1969)。二人兄弟の兄はピエ−ル・クウォソフスキ−(1905-2001)。バルテュスという名は愛称で 本名はバルタザ−ル・ミシェル・クウォソフスキ−・ド・ローラである。バルテュスは自らの誕生日が4年に一度の閏年なので 人の四分の一しか年を取らないと面白がっていた。またクロソフスキーではなくクウォソフスキーが正しく クウォスとはスラブ語で麦の穂という意味であると本人が指摘している。父エリックはポーランド貴族の流れをくむ旧家の出で 美術史家であり画家でもあった。著作に「オノレ・ドーミエ」がある。母バラディ−ヌも絵を描き多才で社交的な人であった。兄のピエ−ルも作家であり画家でもある。主な著作には「ロベルトは今夜」などがある。
バルテュス氏が生まれた1908年は20世紀の始まりの頃だが それ以前の1800年代に起こった大きな社会変化であった産業革命を引き継いでいた時代だった。産業革命は1800年初頭にイギリスに興り ベルギー フランス アメリカ 日本の順に成し遂げられたのだが それは科学と技術による様々な発明によって成されたものである。1800年代の主な発明には写真機 ミシン 電話 タイプライター ガソリン自動車 動力付き織り機などがあり コれ以前にはすでに蒸気機関車もあった。こうした技術革新に対して国や民間の資本が投資され 次々と新たな事業と興り それまでになかった巨大な産業形態が作られた。また人と物資を運ぶために自動道や鉄道が整備されていき 海上では船舶の建造技術の向上によって より安定した海路が得れるようになる。これらと共に医療の充実などによって人口は増大し 大量の労働力を得る事ができるようになる。人々を養うための農業も革新され生産量は増大されていく。こうした産業革命に成功した国は近代化を果たし 先進国と呼ばれる。
また先進各国は工業生産に必要な原料を手に入れるために アフリカやアジアなどの他国に次々と植民地を作っていく。こうしてさらに国力を得て強国となった国々は 他の先進国との勢力争いを展開するようになる。これが後の2つの大戦の原因となる。
第一次世界大戦は1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺され これを契機にヨーロッパ各国を巻き込む大戦が起こる。そして1918年まで続く。この戦争はドイツ オーストリア オスマントルコの同盟軍対イギリス フランス ロシアの連合軍との間で行なわれ 人類史これまでにない規模の戦争であった。この時バルテュスは6才から10才までの時期にあたる。この戦争は近代化を果たした国の工業力と開発力の戦争でもあり 様々な新しい兵器が開発され使用された。機関銃 火炎放射器 毒ガス そして1886年に内燃機関を持った自動車が発明されたが これは軍用車や戦車などに応用された。また1903年にライト兄弟が始めて飛行に成功した飛行機も攻撃機や爆撃機として実用化される。さらに造船技術は鋼鉄製の軍艦や魚雷を発射する潜水艦を作り出す。これらの殺戮兵器の発明は産業革命による新たな時代の構築を夢見る人々を 絶望の底に陥れる結果となった。この大戦による死亡者は約1000万人で 負傷者は約

2000万人であった。そして戦場となった国々の国土は荒廃し国力は衰え 勝戦国であったロシアは その後革命によって共産主義となりソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)となり 敗戦国のオスマン帝国はトルコ共和国に変わっている。また主犯国であったドイツは莫大な賠償金を負う事になり これが第二次世界大戦を起こす遠因ともなる。
バルテュスの父親エリックの祖国はポーランドだが この国は第一次世界大戦前の1914年にはドイツとロシアなどの領土になり滅亡し その後に復活するが それは1945年に終結した第二次世界大戦の後である。つまりクウォソフスキ−一家はこの間 自らの家系の地である祖国を失うのである。また両親はドイツ国籍であったために家族と共にスイスなどに転居している。
さらに21年経った1939年には前回よりも大きな世界的な大戦が勃発する。この第二次世界大戦はヒトラー率いるドイツ軍によって引き起こされ イタリアなどの参戦によって その周辺国との大戦になり ヨーロッパ諸国は占領され ソ連への侵攻が行なわれる。そして戦火はイギリスの統治下にあったエジプトや北アフリカでもおよび さらに日本軍のアメリカへの宣戦布告によって 太平洋戦争も勃発する。ドイツとイタリアなどの国もアメリカに宣戦布告し 戦争の規模はより拡大する。しかし戦争が長引くにつれ 占領国のドイツ イタリア 日本などの戦力は弱まり アメリカ軍とソ連軍を主とする連合国軍がヨーロッパ戦に参戦する事で終息に向かう。イタリア軍の降伏 ついでヒトラーの自殺によってドイツ軍は無条件降伏 その後日本も無条件降伏して第二次世界大戦は1945年に終結する。この大戦はバルテュスの31才から37才の時期にあたる。この戦争による犠牲者は約5000万人 ロシアが約2000万人 またナチスによる強制収容所では約1000万以上 その内約600万人のユダヤ人が大量虐殺された。また日本に落とされた2つの原子爆弾によって約40万人の民間人が犠牲者となる。バルテュスも1939年のアザルス戦で負傷している。つまりこれらの戦争は産業革命に成功して先進国となった国々の主導権と利権の争いであり さらに民族主義がからんだ過去に類を見ない大きな戦争であった。

バルテュスの画家としての期間は非常に長い。長寿であった事がその理由であるが そのわりに作品点数は多くない。制作期間を時期的に分けると7期に分けられる。幼年期1920以前 1-12才。初期1920-1931 12-23才。青年期1932-1938 24-30才。第二次世界大戦とその後の時代 1939-1953 31-45才。シャシーの時代1953-1961 45-53才。ローマの時代1961-1977 53-69才。ロシニエールの時代1977-2001 69-93才。この分類はガリマ−ル社刊行で監修ジャン・クレールのカタログ・レゾネに準じているが 主に住んだ場所によって分けられている。屋外風景などは転居先の環境を描く事が多いので この分け方を採用している。しかしここでは第二次世界大戦とその後の時代を1939年からにしている。これらの7つの時期にはそれぞれ特徴があり 同じ画題を繰り返す事も多いが 表現描法や画面構成と色彩などは年代によって変化している。そしてこの頃の西欧絵画は印象派を経て 後期印象主義のゴッホ ゴーギャン セザンヌが活躍した後で アールヌーヴォーとフォーヴィズムの全盛期であり マティスもピカソもすでに活躍していた。またピカソはバルテュスが生まれる前年の1907年にキュビズムの始まりを示す「アヴィニヨンの娘達」を描き セザンヌは1906年に死去している。印象派が現れる以前の1800年代は アングルを代表とする古典主義やドラクロアを筆頭とするロマン主義 そしてクールベの写実主義が隆盛を誇っておりこれらは皆 写実表現であった。
1908年前後の主な作品。1842ジャン=オギュ−スト=ドミニク・アングル「奴隷のいるオダリスク」。1849ギュスタ−ブ・ク−ルベ「オルナンの埋葬」。1861ウジェ−ヌ・ドラクロワ「獅子狩り」。1863エドゥワ−ル・マネ「オランピア」。1860-62オノレ・ド−ミエ「3等車」。1872クロード・モネ「日の出−印象−」。1889フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」。1894ポール・ゴーガン「神の祝日」。1894エドヴァルト・ムンク「思春期」。1904-1906ポール・セザンヌ「サント・ヴィクトワ−ル山」。1900エクトール・ギマール「パリの地下鉄入口」(アール・ヌーボー)。1905-1907アントニォ・ガウディ「カサ・ミラ」(建築)。

第二章 P9-p10

*幼年期 1920以前 1−12才まで 制作作品1点
油彩画を描く前の幼年期である。6才から10才までの間は第一次世界大戦があり 各地に転居している。8才から11才にかけて具象表現による「ミツ」を描いている。これは13才の時に リルケによって「ミツ−バルテュスによる40枚の絵」と題して刊行される。これが最初の公にされた作品で 才能の発露はこの頃から始まる。

1908−14年 1才−6才 第一次世界大戦が勃発するまでの時期で転居が多く パリのポワソナ−ド街 ラ・グランド・ショミエ−ル街 フロワドヴォ−街 サン=ジェルマン=アン=レイで過ごす。両親は豊かな教養と強い自尊心を持った人物であったから それは当然 息子達に引き継がれたはずである。
1914年第一次世界大戦 勃発。クウォソフスキー一家はドイツ国籍のためパリを離れドイツへ向かう。1909エ−ゴン・シ−レ「自画像」。1910アンリ・ルソ−「夢」。1910アンリ・マチス「ダンス」。1914ジォルジオ・デ・キリコ「街の神秘と憂愁」。

1915−1917年 7−9才 第一次世界大戦にアメリカなども参戦する。母と兄と共にドイツからスイスのベルンに転居し ついでジュネーブで暮らす。インターナショナル・スクールに通う。8才の頃からミツと名付けた子猫との出合いと別れまでの物語「ミツ」を描き始める。9才の時に父親が別居。多感な時期に父親との別れを経験する。
1917アメデーオ・モディリアーニ「ハイム・スーチン」。

1918年 10才 4年4ヵ月続いた第一次世界大戦が終結。

1919年 11才 母親の知人であった詩人のライナー・マリーナ・リルケと共に夏の休暇を過ごすようになる。「ミツ」を描き終える。
ライナー・マリア・リルケはオーストラリア出身の詩人であり作家 プラハ生まれ1875-1926。ヨーロッパ諸国を放浪し パリではロダンの秘書を務めていた事もある。主な作品は詩集「形象詩集」 小説「マルテの手記」 評論「ロダン」など。印象主義と審美主義の混合した独自の境地を開拓し 近代言語芸術の巨匠とされている。バルテュスは後にリルケについて「常に一人前の人として扱ってくれた人でした。」と述べている。

*初期1920-1931 12才-23才 制作作品数62点
少年期から青年前期の11年間。油彩画を描き始め 絵具の扱い方を学んでいる期間である。表現描法は具象表現。しかしリュクサンヴール公園の子供達などを描いた作品では すでに人が作り出す姿勢に関心を持ち 同じ場所に居ながら互いに関係を持たない状況(同居の無関係)を描いている。これらは生涯を通じて見られる特徴でバルテュスの初源的な特徴と言える。16才で画家になる決意をする。しかし美術学校には進学せずに バロック絵画の巨匠と初期ルネッサンスのフレスコ画を模写し 独学の基礎としている。また代表作の一つである「街路」の原形もすでに描かれている。この時期の重要な作品「プロヴァンスの風景」「リュクサンヴ−ル公園の子供達」。

1920年 12才 最初のパステル画を描く これはガリマ−ル社のカタログ・レゾネではP1とされている作品だが現存していない。

1921年 13才 「ミツ−バルテュスによる40枚の絵−」出版される。リルケの序文と尽力によって

チューリッヒのロタブフェル書店より刊行される。母と兄と共にベルンにもどる。
マン・レイ「贈り物」。

マックス・エルンスト「セレベスの象」。1922年 14才 ミュンヒェン市立劇場で行なう中国の演劇の舞台装置の模型を作るが実現はされなかった。画家で彫刻家のマルグリット・ベイの助手を務める。
イタリアでムッソリーニが首相となり1925年には独裁者となる。
エドガー・ドガ「着衣のバレリーナ」。ハイム・ス−チン「赤い頃もの女」

1923年 15才 母と共にベア−テンベルグへ移住。兄ピエールはリルケの計らいでバリに行き アンドレ・ジッドのもとに滞在する。「風景 (ムッゾ地方)」など 初めての油彩画を4点描く。
マルセル・デュシャン「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁 さえも」(大ガラス)」。

1924年 16才 ベア−テンベルグで12才のアントワネット・ド・ワトヴィルと出会う。画家になる事を決意して母と兄と共にパリにもどる。ピエール・ボナール モーリス・ドゥニに会い 古典の摸写を勧められる。他にクロード・モネ アンドレ・ジッドとも会う。アカデミー・ド・グラン・ショミエナ−ル美術学校の講習を受ける。カルヴァン高校入学。
アンドレ・ブルトン「シュールリアリズム宣言」発表。フランツ・カフカ死去41才。

1925年 17才 「プロヴンスの風景」「リュクサンヴ−ル公園」などを制作。ルーブル美術館でニコラ・プッサンの「エコーとナルキソス」を模写する。この摸写は完成後にリルケに贈られた。フランス国籍を取得。
ヴァルター・グロピウス「バウハウス」創設。佐伯 祐三「レ・ジュ・ド・ノエル」。

1926年 18才 イタリアを旅し マザッチョとピエロ・デッラ・フランチェスコのフレスコ画を模写する。他にフェレンツェ アレツッオ ヴェネツィアなどを訪ねる。12月末にリルケ死去 享年51才。イギリスで世界初のテレビの公開実験に成功する。
オスカー・シュレンマー「三組のバレエ」バウハウス。シュルツ=ノイダム「メトロポリス」映画ポスター。

1927年 19才 スイスのラローニュで行なわれたリルケの埋葬に立ち会う。「リュクサンブール公園の子供達」などとベアーテンベルグのプロテスタント教会にテンペラによる壁画三枚を制作する。
リンドバーグがニューヨークからパリの大西洋横断無着陸単独飛行に成功。
イヴ・タンギー「ママ パパが怪我してた」。

1928年 20才 スイスのベルンとチューリッヒに滞在。「リュクサンブール庭園」「河岸」「オデオン広場」などを制作。
ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し 世界恐慌と呼ばれた不景気が起こる。多くの人々は失業に追い込まれる。ロシアに革命が起こり共産主義となり 国名がソビエト社会主義共和国となる。
ルネ・マグリット「偽りの鏡」
ジョージア・オキーフ「シェルトンから見たイースト河」。

1929年 21才 チューリッヒのフォーター画廊に作品を初めて展示される。作品の署名をBalthusと

第二章  P11-P12

とする。ジョ−ジア・オキ−フ「黄色いサボテンの花」。

1930年 22才 ワトヴィル家で夏を過ごし 幼なじみのアントワネットと再会し 恋に落ちる。モロッコのケニトラおよびフェズで15ヵ月間の兵役につく。「座っている若い娘 (アントワネット)」を制作。
当時モロッコはスペインとフランスの植民地であり 先住民と争いが絶えなかった。ル・コルビュジェ「サヴォワ邸」。エドワ−ド・ホッパ−「日曜日の早朝」。

1931年 23才 モロッコの兵士や馬などを素描し「兵舎」の下描きを描く。12月に兵役を退役。サルバドーレ・ダリ「記憶の固執」。

*青年期1932-1938 24才-30才 制作作品数54点24才から31才の7年間。生涯を通した代表作となる作品を描いた時期で そのほとんどは最初の個展に発表した作品であった。これらは写実表現を基にしているが 具象表現による「嵐が丘」の挿し絵も描いている。裸婦などの人物像は挑発的な性の露呈を示し 風景画の「ラルシャン」では宇宙感にも通じる広大な空間を描き その早熟さは過激でもあった。29才の時に幼なじみのアントワネットと結婚している。この時期の重要な作品「嵐が丘」の挿し絵。「鏡の中のアリス」「街路」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」「ラルシャン」。

1932年 24才 ベルンで夏を過ごし ベルン歴史美術館でヨーゼフ・ラインハルトの作品「スイス農民の民俗衣装」を模写する。パリに戻った後は友人のレリス夫妻と共同生活をする。アンドレ・ドランと知り合う。「乗馬服を着た少女」を制作。ベン・シャーン「サットとヴァンゼッティの受難」。

1933年 25才 パリに最初のアトリエを持つ サン=ジェルマン=デ=プレ フュルスタンベルグ街四番地。アンドレ・ブルトン ポール・エリュアール アルベルト・ジャコメッティ アントナン・アルトー ピエール画廊のオーナーのピエール・ロエブと知り合う。エミール・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿し絵を描く。モデルはレリス夫妻だがバルテュスとアントワネットの姿でもあった。「鏡の中のアリス」などを制作。ヒトラーがドイツの首相になり ナチズムが台頭し ユダヤ人への迫害が開始される。
ピエ−ル・ボナ−ル「庭に面した中庭」。

1934年 26才 4月にパリのピエール画廊で初めての個展を開く。「街路」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「鏡の中のアリス」「窓 (幽霊の恐怖)」「兵舎」などを発表。アントナン・アルトーが作品についての評論を「新フランス評論」に発表する。当時は新たな表現としてシュールリアリズムが注目されていたが その中にあってこれらの作品は挑発的な内容と共に大きな反響を得る。しかし生涯を通じてこれらの作品の印象がついて回る事になる。婚約者のいたアントワネットとの恋愛がうまくいかず 自殺未遂と思われる行動を取る。ピカソがアトリエを訪れる。シャンゼリゼ劇場のシェイクスピア「お気にに召すまま」(翻訳ジュール・シュベルヴィエル 演出ヴィクトール・バルノフスキー)のために舞台装置と衣装を担当する。

1935年 27才 パリのワグラム劇場でアントナン・アルトーの「チェンチ一族」上演。舞台装置と衣装を担当する。「レディ・アブディの肖像」「猫達の王」「シェイラ・ビッカリングの肖像(猫達の女王)」「ムーロン・カサンドル一家」「レリア・カエターニ」などを制作。「嵐が丘」の挿し絵シリーズの一部が雑誌「ミノトール」に掲載される。同じ地区のロアン小路にアトリエを移す。毛沢東 中国共産党の指導者になる。カッサンドル「ノルマンディ号」ポスター。

1936年 28才 「山 (夏)」「アンドレ・ドランの肖像」「ノアイユ子爵婦人の肖像」「テレーズの肖像」「ロジェと息子」などを制作。この頃ピエール・ロエブの紹介で肖像画の依頼を受ける。「街路」がジェ−ムス・スロ−ル・ソビーに購入される。ロンドンのランド・ハンフリーズ書店にて「嵐が丘」の挿し絵を展示。幾たびかロンドンを訪問。ドイツ軍がフランス・ベルギー間の非武装地帯に侵攻。アメリカでライフ誌 創刊。ヴァシリィ・カンディンスキ−「コンポジションIX」。

1937年 29才 幼なじみのアントワネット・ド・ワトヴィルと結婚。「ブランシャ−ル家の子供達」「白いスカート」「山 (夏)」などを完成させる。ジョアン・ミロの50才の誕生日のための肖像画を依頼される。
パブロ・ピカソ「ゲルニカ」。1916-37ジョルジュ・ルオー「老いたる王」。

1938年 30才 初のニューヨークでの個展 ピエール・マチスの企画による。以後ニューヨークでは1977年までに6回開催。ピエール・マチスはアンリ・マチスの息子である。「ホアン・ミロと娘ドロレスの肖像」「夢見るテレーズ」などを制作。ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合。ジャン・ポール・サルトル小説「嘔吐」刊行。

*第二次世界大戦中と戦後の時代。1939-1953 31才-45才 制作作品数106点1939年に始まった第二次世界大戦とその後の13年間。戦争に動員されるが負傷し その翌年にシャンプロヴァンへ家族と共に疎開するが 2年後にはここも離れ各地に転居する。この時期は戦争からの疎開で不安定な時期であったが 何枚もの大作を描き これらも代表作となっている。写実表現を会得しながら 徐々に具象表現への移行を見せていく。この時期の重要な作品「「シャンプロヴァンの風景」「ゴッテロン渓谷」「美しき日々」「身支度をする裸婦」「赤い魚」「部屋」「コメルス・サン・タンドレ小路」。

1939年 31才 アルザス戦に動員されるが ラ・サールにて地雷の爆発により負傷し 12月にパリにもどる。「犠牲者」の制作を開始し 「長椅子の上のテレ−ズ」「ラルシャン」などを制作。第二次世界大戦が勃発。ドイツ軍の侵略はポーランドにもおよび これに対してイギリスとフランスがドイツに宣戦する。
パウル・クレー「美しき女庭師」。

1940年 32才 フランスのサボォワ地方のシャンプロヴァンへ妻と共に転居。「自画像」「サクランボの木」などを制作。
ドイツ軍がデンマーク ノルウェー ベルギー オランダ ルクセンブルグを占領し フランスも降伏する。ポ−ル・デルヴォ−「街の入口」。

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1941年 33才 春に妻の実家であるベルンのワトヴィル家に滞在。「シャンプロヴァンの風景」「客間」などを制作。「ブランシャ−ル家の子供達」をピカソが購入する。
ドイツ軍がソ連に侵攻。日本もハワイを奇襲し 日本とアメリカの太平洋戦争が勃発。日本と協定を結ぶドイツ イタリアもアメリカに宣戦布告する。
ヘンリ−・ム−ア「王と王妃」。

1942年 34才 ベルンに次いでフリーブールに転居。長男スタニスラス誕生。「客間2」を制作。「シャンプロヴァンの風景」を手直しする。アメリカとソ連などの連合国軍がヨーロッパ戦線に参戦する。アルベール・カミュ小説「異邦人」刊行。ジョセフ・コーネル「メジィチのスロットル・マシーン」。

1943年 35才 スイス ジュネーブのモース画廊で個展。「一人占い」「ゴッテロン渓谷」などを制作。イタリアは連合国軍との間に休戦協定結び 降伏する。ピエト・モンドリアン「ブロドウェイ・ブギブギ」。

1944年 36才 次男タデ誕生。パリでピカソを訪問。「緑と赤の若い娘 (燭台)」「美しき日々」のための習作などを制作。連合国軍がフランスのノルマンデーに上陸 ドイツ軍への反撃が本格化し パリは解放される。ア−シル・ゴ−キ−「肝臓は雄鶏のとさか」。ロバート・キャパ「1944 6月6日ノルマンティ−上陸」。

1945年 37才 9月からスイス ジュネーブ近郊コロニーのヴィラ・ディオダティに家族と共に転居。アンドレ・マルローや出版人のアルベルト・スキラと知り合う。「12才のマリア・ヴォルコンスキ王女」「猫と若い娘」などを制作。連合国軍がドイツに侵攻。ヒトラーは自殺しドイツ軍は無条件降伏をする。これによってヨーロッパ戦は終る。日本の2ケ所に原子爆弾が投下され 日本も無条件降伏する。6年にもおよぶ第二次世界大戦 終結。

1946年 38才 アントワネットと別居して単身バリにもどる。ボザール画廊で戦後初の個展を開く。
 アンリエット・ゴメスの企画。「美しき日々」「犠牲者」完成。
ジャン・コクトー映画「オルフェ」公開。フランシス・ベーコン「マグダレーナ」。

1947年 39才 南仏を旅行し ゴルフ=ジュアンに滞在。ピカソ マティス ラカンと顔を会わせ ロランス・バタイユと知り合う。「ジャクリーヌ・マティスの肖像」「地中海の猫」の習作などを制作。

1948年 40才 パリのマリニー劇場でアルベート・カミュの「戒厳令」上演。舞台装置と衣装デザインを担当する。演出ジャン=ルイ・バロー 演出・音楽アルテュール・オネゲル。「トランプをする人々」「金魚」「身支度をする若い娘」「週に四日の木曜日」などを制作。アンドリュー・ワイエス「クリスティナの世界」

1949年 41才 パリのオデオン広場のレストラン「地中海」のために「地中海の猫」と「伊勢海老」を制作。ボリノ・コフノのバレエ「画家とモデル」の舞台装置と衣装を担当。ニューヨークのピエール・マチス画廊で個展。カタログ序文はアルベール・カミュ。父エリックが南仏のサナリーで死去 71才。亡くなる前に父から引き継ぐべき家系の話などを聞く。

中国が共産化し中華人民共和国となる。
フェルナン・レジェ「ルイ・ダヴィットへのオマージュ」。

1950年 42才 エクス・アン・プロヴァンスで行なわれた音楽祭で「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台装置と衣装を担当。「猫と裸婦」「ジャコメッティの肖像」の素描などを制作。ジャクソン・ポロック「ラヴェンタ−・ミストの花」。

1951年 43才 カエターニ家の客としてイタリアに向かい セルモネータの中世の城に滞在しローマやヴェネツィアを訪れる。「イタリアの風景」「ボリス・コフノの肖像」などを制作。アルベルト・ジャコメッティ「犬」。

1952年 44才 ロンドンのルフェ−ル画廊にてイギリスで始めての個展を開催。「部屋}「コメルス・サン・タンドレ小路」の制作を始める。

*シャシー時代1953-1961 45才-53才 94点50年代のほとんどはシャシーに転居し8年間住む。この農地の広がる地方では 多くの野外風景を描き その多くは場所を限定した画面構成を追求した風景画であり また穏やかな陽光に満ちた窓辺にたたずむ娘なども描いている。三角の畑にある謎めく存在を描いた作品もある。同時にそれまでの画題であるトランプをする人々や身支度をする裸婦 寝姿などを描き 果物や花を描いた静物画もある。戦後の復興期であることと風土のもたらす気候のおかげで 色彩は明るくなり 完全に具象表現に移行する。この時期の重要な作品「シャシーの風景  (農場の中庭)」「樹木のある大きな風景(三角の畑)」「窓辺の若い娘」「夢 1、2」「羊小屋」「シャシー農場の中庭 (樹木のある大きな風景)」。1945年に終結した大戦のあと世界の状況はさらに変化する。大戦の戦勝国であるアメリカとソ連は巨大化して世界の主導権を得るが その後この2つの超大国のにら見合いによる冷戦が始まる。しかし他の先進国は復興を果たし 徐々に人々の生活は豊かさを取り戻していく。自動車の普及率は高まり テレビ 冷蔵庫 洗濯機などの電化製品やガス水道などの公共施設も普及し 大量生産と大量消費が押し進められて行く。
戦後の美術界でも1950年頃からアメリカを中心とした抽象表現が活発化し ポロックなどを代表とするアクション・ペインティングが現れる。また新たな否定を試みるネオ・ダダや写実主義を見直すヌーボー・リアリスムが出現する。

1953年 45才 パリから離れ ブルゴーニュのモルバン地方にあるシャシーの館に転居。ウーゴ・ベッティの「雌山羊の島」舞台装置と衣装を担当。「モルヴァンの小風景」などを制作。ソ連でスターリン 死去。遺伝子の二重らせんが発見される。ジョルジュ・マチュウ「絵画」。

1954年 46才 シャッシィの館に兄の義理の娘であるフレデリック・ティゾンを引き取り 共同生活を始める。本格的に風景画に取り組み フレデリック嬢の肖像画も多く制作する。「シャシーの農場の中庭」「横顔のコレット」などを制作。ピアリッツの友人宅に滞在しその家の三姉妹をモデルにする。画商のコンソ−シアムが作品の買い上げを行なうようになる。
「部屋」「コメルス・サン・タンドレ小路」完成。
フェデリコ・フェリーニ映画「道」公開。アンリ・マチス死去85才。

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1955年 47才 ジャコメッティやピエール・マチスなどがシャッシィの館を訪問する。「夢1」「起床」「樹のある大きな風景 (三角の畑)」などを制作。
モーリス・ブランショ「文学空間」刊行。ジャスパー・ジョーンズ「石膏型のある標的」。

1956年 48才 パリのガセット・デ・ボザール画廊とニューヨーク近代美術館で個展を開催。「黄金の果実」「トランプ占いをする女」「夢2」などを制作。ジャコメッティのアトリエを訪問する。ソ連が東ヨーロッパに内政干渉し共産化していく。ポーランドとハンガリーで反ソ連暴動が起きるが鎮圧される。
リチャード・ハミルトン「いったい何が今日の課程をこれほどに変え魅力あるものにしているのか」。
ジャクソン・ポロック死去44才。

1957年 49才 ニューヨークのピエール・マチスの画廊で個展。「黄金の午後」「化粧」「風呂上がり」などを制作。ソ連が世界初の人工衛星スプ−トニクスを打ち上げる。マーク・ロスコ「青の中の白と緑」。

1958年 50才 イタリアで初の個展を開催。トリノのガレリア・ガラテアとローマのロベリコス画廊にて。「窓際のバラの花束」「ロートシルド男爵夫人の肖像」などを制作。フランスでド・ゴールの第5共和政が成立。アンジェイ・ワイダ 映画「灰とダイアモンド」公開。アレクサンダ−・コ−ルダ−「螺旋」。1959年 51才 ジャン=ルイ・バロ−演出のシェイクスピア「ジュリアス・シーザー」の舞台装置と衣装を担当。

「蛾」「羊小屋」「農地」などを制作。

1960年 52才 シャッシィの樹木と館を描いた「風景」や「少年と鳩」などを完成させる。
ジャコメッティのアトリエを訪問。
イヴ・クライン「人体測定」。

*ローマの時代1961-1977 53才-69才 19点60年代と70年代はイタリア ローマのアカデミー・ド・フランスの館長として赴任し16年間に渡って滞在する。この館長職はド・ゴール政権下の文化大臣であったアンドレ・マルローの要請による。しかし他の候補者に非難されるが 逆に注目を浴びる事で作品の評価が高まる。館長としてはヴィラ・メジチの館と庭園の修復と改修を行なう。この時に施した壁の仕上げ方はバルテュス壁として高い評価を受ける。また文化交流として様々な展覧会を企画し コロー ロダン アングル クールベ ジャコメッティ ボナール ブラック ドラン展などを開催する。画家としての作品は少なく 椅子に座る娘 トランプをする人達 身支度をする裸婦などを描くが その中では日本の古典絵画の様式を取り入れた作品もある。この時に描いた日本人女性と再婚する。作品に新たな展開が見られ 晩年のさらなる試みが始まっている。この時期の重要な作品「トルコ風の部屋」「トランプをする人々」「赤い卓と日本の女性」「黒い鏡を見る日本の女性」「読書するカティア」「横顔の裸婦」。
このローマ時代の60年代には商業的な表現を利用したポップアートが起こる。また70年代前後は行動や行為そのものを作品化するハプニングが起こり さらにそれはパフォーマンスに発展する。また最小限の表現要素のミニマル・アートや考えそのものを作品とするコンセプチュアル・アート 映像のヴィデオ・ア

ート 屋外に巨大な制作物を作り出すラウンド・アート 写真を再現したような写実表現のフォト・リアリズムなども興っている。

1961年 53才 ローマのヴィラ・メジチ館にあるアカデミー・ド・フランスの館長に就任。館の改修と修復を開始し 展覧会を企画する。「サクランボの籠」制作。ソ連が世界初の有人宇宙飛行に成功し 搭乗者のガガリーンは「地球は青かった」と感想を述べる。東ドイツがベルリンに東西を分断する壁を作る。モ−リス・ルイス「近づいてくる」。

1962年 54才 パリで開催予定の「日本の古美術展」の作品選定のために日本に派遣される。この時に出田 節子と出会う。ニューヨークのピエール・マチス画廊で個展「バルテュス 油彩画 1929−1961」開催。「皿の中の果物」などを制作。ローマでフェデリコ・フェリ−ニなどと親交を深める。アメリカでキューバ危機おこる。
アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」。

1963年 55才 ローマにて節子嬢をモデルにした「トルコ風の部屋」の制作を始める。アメリカのニューヨークとシカゴなどで展覧会が巡回される。アメリカ大統領 J・F・ケネディ 暗殺される。ロイ・リクテンスタイン「whaam」。

1964年 56才 1959年より描き始めていた「三姉妹」を完成させ 他の「三姉妹」を2点制作する。東京でアジア初のオリンピック大会が開催される。ヤーコブ・アガム「二重の変貌2」。

1965年 57才 制作は「トルコ風の部屋」のみを続ける。ヴェトナム戦争 ヴェトナムの共産化を阻止するためにアメリカが介入する。ル−カス・サマラス「椅子」。ヨーゼフ・ボイス「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」。

1966年 58才 パリの装飾美術館で回顧展 その後ベルギーに巡回。シカゴのホーランド・ギャラリーにて「素描展」。ニューヨークのアルバート・ロエブ&クルージャー画廊で「ジャコメッティとバルテュス展」を開催。「トルコ風の部屋」を完成させ 次いで「トランプをする人々」の制作を開始する。親友であったジャコメッティ急逝 64才。
中国で文化大革命が始まる。
ジョ−ジ・シ−ガル「簡易食堂」。河原 温「日付け絵画 当日のシリーズ」。

1967年 59才 出田 節子と結婚。節子夫人をモデルにした「黒い鏡に向かう日本の女性」と「赤い卓と日本の女性」の制作を開始する。ニューヨークのピエール・マチス画廊で「トルコ風の部屋」「三姉妹」を発表。ビィラ・メジチ館の庭園の改修を始める。デイヴィッド・ホックニ−「大きな水しぶき」。

1968年 60才 ロンドンのテート・ギャラリーにて回顧展。節子夫人との最初の子である文夫 誕生する。「読書するカティア」の制作を開始。

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社会主義国家であったチェコスロバキアで民主化が実現しようとするが ソ連の介入で阻止される。プラハの春。パリで学生達が高過ぎる防衛費に対する抗議行動を起こす。
マルセル・デュシャン死去81才。

1969年 61才 ヴィラ・メジチ館の職員の娘であるカティアとミカリ−ナ姉妹を撮影し 写真を制作に利用する。ディトロイトのドナルド・モリス画廊にて個展。「トランプをする人々」「黒い鏡に向かう日本の女性」「朱いテーブルの脇の日本の女性」「読書するカティア」の制作を続ける。母パラディーヌ パリにて死去 83才。
アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功し 人類が始めて月に立つ。
ヴィクトル・ヴァザルリ「ヴェガ・ペル」。

1970年 62才 ローマ近郊のモンテ・カルヴッェロに中世の古城を購入し修復をする。4月に息子の文夫 夭折。ジャコメッティ展をヴィラ・メジチ館で開催。
ロバ−ト・スミッソン「螺旋状の突堤」。パプロ・ピカソ「男 ギター 鳥女」。

1971年 63才 ローマのクロード・ベルナール画廊にて「素描と水彩展」を開催。ギルバート&ジョージ「歌う彫刻」。

1972年 64才 「トランプをする人達」「黒い鏡に向かう日本の女性」「朱いテーブルと日本の女性」「読書するカティア」の制作を続ける。ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手がパレスチナ・ゲリラに襲撃される。ジャン・デュビュッフェ「4本の樹の群れ」。リチャード・エステス「バス・リフレクションズ」。

1973年 65才 長女である春美 誕生する。マルセイユのカンティに美術館にて個展。「トランプをする人々」完成。「横向きの裸婦」の制作を開始。
第4次中東戦争始まる。
パブロ・ピカソ死去91才。サム・フランシス「無題」。

1974年 66才 「トランプをする人達」「黒い鏡に向かう日本の女性」「朱いテーブルと日本の女性」「読書するカティア」の制作を続ける。
アンドレ・マルロー死去 77才。アメリカのニクソン大統領ウォーターゲート事件の責任をとって辞任。

1975年 67才 ヴィラ・メディチ館長の任を離れる。「起床」の制作を開始。 トム・ウェッセルマン「愛煙家」。

1976年 68才 「黒い鏡に向かう日本の女性」と「朱いテーブルと日本の女性」「読書するカティア」完成。
中国で毛沢東 死去。

*ロシニエールの時代1977-2001 69才-93才 制作作品数21点70年代後半からスイスのロシニエ−ルに転居する。晩年の時期で2001年の永眠まで24年間あるが作品は少ない。しかし晩年の代表作で それまでの集大成である「鏡猫」や立ち姿の裸婦などを制作し また珍し

い非現実的で難解な「鴉のいる大きな構成」も描いている。これらはバルテュスの画家としての到達点を示す重要な作品である。この時期の重要な作品「モンテ・カルヴッェロの風景 1」「画家とモデル」「スカーフを持つ裸婦」「鏡猫1」「鴉のいる大きな構成」「鏡猫3」。80年代の新たな表現としては 立体物を仮設的に扱うインスタレーションやコンピュータに画材として可能性を求めたコンピュータ・グラフィックスがあり 80年代後半では絵画の具象表現を復活させたニューペインティングが注目される。これ以後はインスタレ−ション コンピュ−タ・グラフィックス パフォーマンスなどが引き継がれ さらに平面や立体などの領域を越えて同時に扱う表現方法が行なわれ始め 共同制作によって互いに刺激しあうコラボレ−ションなども注目されていく。

1977年 69才 スイスのヴォ−州 ロシニエールにあるグラン・シャレを購入し 家族と共に転居。この館は18世紀に建てられたスイス最大の木造建築。ニューヨークのピエール・マチス画廊にて「油彩と素描展 1934−1977」カタログ序文はフェデリコ・フェリーニ。「横向きの裸婦」完成。「休息する裸婦」制作。「鏡猫1」の制作を開始。パリ国立近代美術館(ポンビドゥー・センター)が「キャシーの化粧」を購入。
アンドリュー・ワイエス「秋(春)分」。

1978年 70才 初めての本格的な画集が出版される。ジャン・レイマリー著 ジュネーブのスキラ書店より。「起床」完成。
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャーズ「ジョルジュ・ポンピドゥ国立芸術文化センター」設計。

1979年 71才 「モンテ・カルヴッェロの風景」を制作。
スウェーデンで携帯電話が発明される。

1980年 72才 シカゴ現代美術館にて展覧会。ニューヨークのガートルード・スタイン画廊にて「素描展」。ヴェネツィア・ビエンナーレに油彩26点を出品。「鏡猫1」完成。「まどろむ裸婦」制作。「画家とモデル」の制作を開始。
社会主義国家のポーランドで連帯が 民主化のシンボルとなる。東ヨーロッパの国々でソ連からの自由化を求めて国民の不満が高まる。
クリスト「包囲された島々」。フランチェスコ・クレメンテ「2人の画家」。

1981年 73才 ロンドン ロイヤル・アカデミーの会員になる。「画家とモデル」完成後にポンピトゥ・センタ−が購入。「鏡を持つ裸婦」の制作を開始。ゲォ−ク・バゼリッツ「オレンジを食べる人」。

1982年 74才 イタリアのスポレート芸術祭にて「素描と水彩展」。チューリッヒ トーマス・アマナン・ファイン・アートにて「バルテュスとトゥオンブリー展」開催。「スカーフを持つ裸婦」完成。ニュ−ヨ−ク メトロポリタン美術館に「山 (夏)」が収蔵される。アルマン「長期駐車」。1983年 75才 パリのポンピドー・センターにて回顧展が開催される。「鏡を見る裸婦」完成。「静物」制作。「ギターと裸婦」「鴉のいる大きな構成」「眠る裸婦」の制作を開始。キ−ス・ヘリング「ニュ−ヨ−ク市の地下鉄のドロ−イング」。

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1984年 76才 パリの回顧展はニューヨークのメトロポリタン美術館を巡回し その後 日本の京都市立美術館で開催される。日本では初めての展覧会でバルテュス人気高まる。スイス ローザンヌのアリス・バウリ画廊にて「バルテュス・ジャコメッティ・ボナール」展を開催。
ロバ−ト・メイプルソ−プ「背中」。ジャン=ミッシェル・バスキア「グリロ」。

1985年 77才 「ギターと裸婦」「鴉のいる大きな構成」「眠る裸婦」の制作を続ける。ゴルバチョフがソ連共産党書記長となり 改革(ペレストロイカ)に着手する。ヘルム−ト・ミッデンドルフ「火を持つ男」。

1986年 78才 「ギターと裸婦」「鴉のいる大きな構成」「眠る裸婦」完成。「鏡猫 2」の制作を開始。
ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起こる。
ヨーゼフ・ボイス逝去 65才。

1987年 79才 「鏡猫 2」の制作を続ける。

1988年 80才 「鏡猫 2」の制作を続ける。

1989年 81才 ローマのフランス文化センターにて展覧会。「鏡猫 2」完成。「鏡猫3」の制作を開始する。節子夫人が画家として東京で個展を開催 夫人と共に来日。初めての本格的な画集が出版される。ジャン・レイマリー著 ジュネーブのスキラ社刊行。
ドイツでベルリンの壁が崩壊 東ドイツはソ連の社会主義からの離脱する。

1990年 82才 アンドロス バージル&グランドリス財団付属近代美術館にて「素描・水彩・油彩展」を開催。ローマのヴィラ・メディチにて「ヴィラ・メディチのバルテュス展」開催。アメリカでコンピュータ・シュミレーションによる仮想現実(バーチュアル・リアリティ)が開発される。湾岸戦争始まる。パリにグラン・アルシェ(新凱旋門)建設される。

1991年 83才 第三回高松宮殿下世界文化賞を受賞 授賞式のため来日。当時パリ市長であったシラク氏(後のフランス大統領)も出席。ソ連の11にもおよぶ共和国が独立宣言し ソ連邦は消滅。アメリカに対抗できた超大国はここに滅び アメリカとソ連の冷戦状態も終る。

1992年 84才 フランス オルナンのギュスターブ・クールベ生家付属美術館にて作品展。尊敬するクールベの生家での開催について「獅子の背に止まる蠅のようなもの」と述べる。フェデリコ・フェリーニとジュリエッタ・マシ−ナ夫妻がグラン・シャレを訪問。フランシス・ベーコン逝去83才 1907年生まれ。

1993年 85才 ロ−ザンヌ州立美術館と東京ステーションギャラリーにて展覧会。「鏡猫 3」発表。
日本で2度目の展覧会。会場の赤れんがの壁面を気に入る。
ルーブル美術館の中庭にガラスのピラミッドが建造される。

1994年 86才 ベルン美術館にて展覧会。「鏡猫 3」手直しをして完成。「モンテ・カルヴッェロの風景2」の制作を開始。

1995年 87才 中国初の「バルテュス展」が巡回する。香港美術館 北京美術宮殿 台北美術館にて。

1996年 88才 マドリードのソフィア王妃記念アートセンターにて展覧会。

1997年 89才 ローマのアッカデーミア・ヴァレンティノにて展覧会。三枚の「鏡猫」を並べて展示。
日本のメルシャン軽井沢美術館で「バルテュスとジャコメッティ展」開催。

1998年 90才 ポーランドのブロツワフ美術アカデミーより名誉博士号授与される。初めてポーランドを訪問 父エリックが博士課程の研究をした同じ大学のアウラ・レポルディーナにて授賞式。バルテュス財団を設立 節子夫人が名誉会長となる。「モンテ・カルヴッェロの風景2」完成。「真夏の夜の夢」の制作を開始。

1999年 91才 ディジョン美術館にて展覧会。カタログ・レゾネがパリのガリマール社より刊行。監修ジャン・クレール。「モロッコの思い出−馬上の自画像」制作。

2000年 92才 ヴェネツィアのコッレール美術館にて「バルテュス アルベルトとディエゴ・ジャコメッティ アンリ・カルティエ=ブレッソン マルティ−ヌ・フランク展」開催。ロンドンのナショナル・ギャラリーの展覧会「邂逅−過去の芸術からうまれる新しい芸術−」にプッサンへの敬意を込めて「真夏の夜の夢」を出品。「マンドリンと若い娘 (期待)」の制作を開始。

2001年 93才の誕生日を迎える11日前の2月18日にスイス ロシニエールにて死去 92才。
「マンドリンと若い娘 (期待)」が未完成のまま遺作となる。節子夫人はこの死去について「夕日が沈むように息を引き取りました。」とのべる。9月にヴェネツィアのパラッツォ・グラッシにて大回顧展が開催される。同年8月 兄のピエール・クウォソフスキ− 死去 96才。
同年9月11日 アメリカで同時多発テロ発生。乗っ取られた旅客機の激突によってニユーヨークの世界貿易センタービル2棟が完全崩壊 死者約4000名にのぼり 他に国防省なども被害を受ける。その後アメリカはイラクに報復進撃し 独裁政権を壊滅させる。

2002年以降 
2003年 グラン・シャレに画廊が開設され バルテュス財団の企画によって「若き日のバルテュス展」開催。
2004年 グラン・シャレの画廊で「アンリ・カルティエ=ブレッソンとマルティ−ヌ・フランクによる写真展−バルテュスの家で」開催。グラン・シャレ建造250周年記念としてバルテュスにちなんだ「猫の王国コンク−ル」開催。
2005年 グラン・シャレの画廊にて「バルテュスの素描展」開催。節子夫人の「節子の暮らし・和の心」展が日本で開催される。
2008年 生誕100年を記念してスイスで大回顧展を開催し この後各地を巡回する予定。  

第三章 P21-22

以上が大まかだがバルテュスの略歴と時代である。これらからバルテュスと時代との関係の幾つかが明らかになる。まず大きな戦争を2度も体験していながら *戦争を描く事をしなかった。特に第二次世界大戦では30代の出来事であり 自らも出兵し負傷している。それにバルテュスの知性からして 社会への発言や行動をとる事もできたろうに。しかしそれは戦争の愚かさを見抜き 一切を無視していたと言われている事を裏付けている。しかしこの頃の作品には ある種の暗さと緊張感が漂っているように思われるが これらはやはり避けがたい戦争などの社会状況が 反映しているからだろう。それに幼い頃に起きた父親の祖国の消滅と度重なる転居を体験しているし また父親との別居 その後の母と息子の関係 さらに自身の恋愛と苦しみ 結婚生活などもある。これらも具体的に描かれる事はなかった。これは明かにその時々の時代と自らの事を作品に持ち込まないようにしていたからだろう。これは多くの画家の持つ一つの特徴でもあるが バルテュスにおいてもそれは強固な作品制作における意図であり 基本的な立脚点である。しかし先のような私事とされた事柄も もしかしたら分かりにくい形で作品に反映されているかも知れない。バルテュスの作品は香り高く甘味な面も持つが 時に暗く厳しく 反発心や不信を底に秘めていると思われる作品もあるのだから。
1900年中頃までに起きた絵画表現の変革は それまでの写実表現に具象表現と抽象表現を加えた。そしてその後の1950年代以後にはさらに新たな表現方法が生まれている。これらの展開は大きな進展であり 表現方法の創出でもあった。しかしその主な傾向は絵画の描く対象を 人々の居る現実から離脱させ 形や色彩などによる表現の可能性を追求する事のみに 労を費やしたとも言える。またそれらはそれまでに行なわれた表現様式を否定する事で成立するといった面もあった。このような表現方法の創造の世紀にあって バルテュスも写実表現から具象表現へと移行しているが あくまでも描く対象は現実を基とした人や自然であった。これが絵画表現の変革の流れと異なるバルテュスのもう一つの重要な立脚点である。しかもそこに描かれた現実は現在という時間だけが示す世界だけではなく 過去を引き継いだ時の累積としての現実であり 描かれた人や風景もこの累積の中にある。もちろん他にも現実や人間と自然について描いた画家や主義もあるが 人の内面の奥に張りめぐらされた神経の微妙な襞を感じさせる点において バルテュスは他と一線を画しいる。そしてもう一方で自らの審美世界に耽溺する事なく美と醜を扱いながら 絵画の基本要素である形や色彩による構成を独自に試み 具象表現の可能性と限界も追求していた事も確かである。さらにバルテュスの表現は主題は厳選されていたが 表現様式は固定化されておらず 写実表現から具象表現への移行のみならず 重厚な乾筆の重ね塗りや色彩の鮮やかな薄塗りまで様々である。これもバルテュスの立脚点とも言えるだろう。 
つまりこの略歴と時代によって明かになるのは1900年代は様々な大きな出来事が起こり 表現方法の変革と創造の世紀であった。バルテュスはそのような時代の中にあって 自らの審美眼と独学によって絵画の魅力を追求したのである。そしてそのための重要な立脚点があり 一つは移り行く時代の変化を取り入れず 自らの事も私事として遠ざける態度である。もう一つは様々な表現が人の居る現実を描かなくなる中で あくまでも描く対象を現実とし その現実を時の累積した世界とし そこに在る人と自然を描こうとした事である。また表現様式の非固定化は 自らの様式を模倣する事を避けるためと思われる。これらはバルテュスが物事の本質と普遍性を得るために定めた重要な始点であるはずだ。
晩年のバルテュスは自らを伝統主義者であると言っているが *これは過去の絵画表現を否定する事によって起こる断絶ではなく むしろ過去の様々な絵画表現についての考察を継承し それを生かして より高い次元に至る道をさぐるべきだと考えていたからだろう。

*モロッコで兵役についていた頃を描いた作品があるが これは戦争そのものではなく 青春の思い出に近い。また第二次世界大戦中に描いた「犠牲者」と題する作品もあるが これも戦争と言うよりも死を主題にしていると思われる。
*カール・マルクス「意識の改革とは過去と未来との断絶と言った問題ではなく むしろ過去の諸思想を完成させると言う問題である。」この言葉の引用は0?0氏によって行なわれている。

第3章 作品解説

作品を解説する事は それらの理解を深め 制作者の考えを推し量ってみる事である。しかし気を付けねばならない事は見当違いや深読みのし過ぎである。これが解説の難しい所だが バルテュスの作品には見当はつくが核心が曖昧であるとか 深読みを誘いがちな特徴がある。作品は作者の考えや表現技術以上に 何かを成立させてしまう事もあるし 特に氏の作品は作者の意図がどこまで及んでいるのか 計り知れない所がある。しかしそれも表現者と作品の力量であり 容易な事でそのような広がりを持てるものではないだろう。また氏の作品の傾向は時期によって描法や作風が変化しており ここで重要なのは幼年期は最初の才能の発芽が見られ 初期はその芽の成長と本格的な制作の準備段階として重要であり 青年期はすでにそれまでに貯えた糧で花を咲かせている。そして大戦中とその後ではそれらを引き継き シャシーの時代では新たな展開を見せている。さらに壮年期のローマ時代では要職を兼任しながら作品内容を充実させ 晩年のロシニエールの時代では最終的な高みへ至り 大きな結実を見せている。

この章では一点づつの魅力を充分に味わいながら 各時期の特徴と全体の進展の様子も読み取り バルテュスの世界の全体像を理解していただきたいと思う。

第三章 P23-24

23-24
23-24_2

幼年期 1920以前 12才になる前 P− 1点
幼年期に描かれた「ミツ-バルテュスによる40枚の絵」は1921年にリルケによって刊行されているが 描き始めたのは8才の頃で 描き終ったのは11才 そして13才の時に出版された絵本。バルテュスの最初の公にされた作品である。P−。「ミツ−バルテュスによる40枚の絵」1919この作品の出版に関してはその頃母バラディーヌと交流があったリルケの尽力で行なわれ 本の序文もリルケは書いている。これは幼きバルテュスの絵に対する才能を認めての事である。この本の題名であるミツとは拾った子猫に付けた名であり 日本語の光という意味であり その子猫ミツとの出合いから突然の別れまでを40枚の絵に描いている。このような動物との出合いと別れは誰にでもある幼い頃の思い出であるが ここに登場する少年もバルテュス自身であり自身の体験である。バルテュスはこのミツとの別れはまさに光を失ったように悲しかったと言っている。またリルケは「ものを失うとは新たに所有する事で
それは内面的なものとして」と慰めている。このような話の展開を持った絵を描くには幾つかの決まりごとを守らねばならない。その一つは描き方を一貫させる事であるが ここでは主人公の少年は髪形も衣服も同じにされ 筆致も同じになっている。これはあまりにも当然の事と思われるがこの40枚の絵を全て描き終るのに約4年かかっている事を考慮すれば無視できるものではない。その2は状況を説明するため描き方を工夫する事。ここでは場面や背景を変え それらもしっかりと描き込まれている。その3は人物の表情や仕草 身振りを描きわける事であるが 少年とミツの表情は豊かで 場面ごとに必要な身振りなども多様に描き分けられている。さらにそれぞれの場面をどの視点から描くかという問題がある。この点ではどのコマも同じ目の高さで捉えていて 高さの変化はほとんどない。しかしこれは絵本であり 幼い同年代を読者としているならば 視点の変化は取り入れない方が読みやすいだろう。それからこの絵の描き方は筆を使った外形線描法だが 線の太さに変化と塗りの使い方に味わいがあり どのコマにも労をいとわずに描き込むあたりはすでにバルテュスの作風の特徴の一端を垣間見せていて見応えがある。また40枚の絵を同じ大きさのコマにして統一感を持たせている所も大人びた方法だろう。この少年バルテュスと猫のミツとの関係は この後に描かれるある重要な役割を持った存在になる前の猫との素直な関係が描かれているが この作品は後に伝説の始まりとされていく事になる。

第三章 P25-26

25-26
準備期 1920-1931 12才-23才 P1−P61 61点+1点+1点=63点
少年期から青年前期の11年間。最初の油彩画を描き 絵具の扱い方を学んでいる期間である。しかしリュクサンヴール公園の子供達などを描いた作品ではすでに様々な姿勢に関心を持ち さらに同居の無関係を見い出す事ができる。これらは生涯を通じてみられる特徴である。16才で画家になる決意をしているが 美術学校には進学せずに ルーブル美術館でバロック絵画の巨匠とイタリアで初期ルネッサンスのフレスコ画を模写し 独学の基礎としている。代表作の一つである「街路」の原形も描かれている。レゾネに載っていない1930年作の「空中ごまで遊ぶ若い娘」を含めると62点。

P1。「パステル」1920-1921 現存せず。

P2。「風景 (ムュゾ地方)」49.5×37.5cm F8号程度 厚紙に油彩 (1923)
現存する油彩画では最初に描かれた作品である。1923年の作であるから15才の頃に描かれている。大きさはF8号程度。ディフォルメ表現描法で木々の葉の塊を丸みを持たせて描き その塊は量感を持ちながら複雑に組み合わさっている。具象的な表現で素人っぽさが見られるが 絵を絵として成立させるための試みがなされているようだ。

P3。「風景 (ムュゾ地方)」1923 現存せず。

P8。「ブドウ栽培者」90×67 P30号程度 キャンバスに油彩 1924-1925
荷を背負う男性の肖像画である。筆跡の落着きからして油彩に慣れてきたように見える。右側の静物や右下の椅子の背もたれの曖昧な入れ方はバルテュスの特徴でもある。

第三章 P27-28

27-28
P4。「若い人の上半身」F4号程度 厚紙に油彩 1923
人物画の習作である。軽い下書きの上に荒い筆跡を残しながら形を描き 立体感を色彩の明暗の違いで描こうとしているようだ。バルテュスの作品には眠る人が良く描かれるが すでにこの時点で描かれている。

P5。「若い男の肖像」41×32.5cm F6号程度 キャンバスに油彩 1923
15才で描いた肖像画である。輪郭線で形を描き 斜めに揃えた筆後で面を塗っている。写実表現描法でなければ外形線も用いても筆後を残しても良いのだが まだ絵具の置き方や重ね塗りの仕上りを模索している段階のようだ。しかしすでに立体感を出すために顔の左側に照り返しが描かれている。少なくともバルテュスがこの頃に会得したいと思っていた描き方は写実表現描法でないようだ。

P6。「祭壇画」キャンバスに油彩 1923
この作品は展示された様子の写真しか残っていない。聖母子像と他に人物が二人描かれているように見える。

第三章 P29-30

29-30
P7。「箪笥の扉に描かれた中国風の絵」1924
これは両開きの扉に描かれた中国風の山水画のようであり 山々を背景に猿や柳の木などが描かれている。幼い頃のバルテュスの東洋に対する関心を示す資料である。1922年9月リルケが幼きバルテュスに会った時 すでに東洋世界に強い関心を見せていて 中国提灯を描いていた。と言われいてる。

第三章 P31-32

31-32
P9。「プロヴァンスの風景」77×51 M25号程度 木板に油彩 1925
壮大な風景画で 近景の農家とその中庭 中景の山腹は遠景の小高い山の頂きまで続き 山頂には城のような建物が描かれている。粗密と色彩の遠近法が使われていないためか遠近感は表れていないが 丘陵地帯の量感はしっかりと描き表されていて 後の風景画にも通じるものがある。また手前の農家と見上げる先に建つ城と言うのは何やら象徴的で バルテュスの世界を形作る一端が表れているようだ。

第三章 P33-34

33-34
P12。「最初の聖体拝領」43×35.5cm F8号程度 木版に油彩 1925
この聖体拝領のための衣装を身につけた女性像は思い付くままに描かれたようだ。印象を描き止めようとしたのだろうか。

P13。「最初の聖体拝領」100×70cm P40号程度 キャンバスに油彩 1925
これは先と同じ衣装の女性だが 本格的な人物画への取り組みがなされている。衣装 表情 手などの描画力は確かなものになっている。

第三章 P35-36

35-36

「同居の無関係」

P14。「リュクサンブ−ル公園の中の聖体拝領」56×54cm S10号程度 キャンバスに油彩 1925樹木の生い茂った公園の中を散策する二人の女性と半ズボン姿の少年二人が描かれている。樹木は丹念に密度を落とさないように描き込まれ 鬱蒼とした葉の茂りの感じが出ている。ここで注目すべきは右側の少年二人で 背に腕を回している様子や前屈みで何か拾うような姿勢は 後に「ポーズの画家」と呼ばれる姿勢へ強い関心がすでに表れている。    

P15。「リュクサンブ−ル公園の子供達」55×46cm F10号程度 1925
これも公園内の様子を描いていて 樹木の形の組み合わせに特徴があり また人物の様子もよく観察されている。奥の人物は手に輪を持ち 手前の二人は幼く 後ろの一人は前の子の目を覆って驚かせている。このような公園内での子供達の姿は何枚も描かれているが ここでも子供の楽しい世界が描かれている。バルテュスは自作について「自分の幼年時代や思春期の思い出を一つの宝物としてそこから多くの主題を汲み取りました。」と言っている。ここに描かれた子達の姿は自らの思い出と重なっているのだろう。

P16。「リュクサンブ−ル公園 (小さな船乗り)」72×59cm F20号 1925
先の二点と同じく公園内の樹木と複数の人物が描かれているが 先の2点よりも木々の形や種類と人物の身ぶりや姿勢は多様になっている。右下の後ろ姿の少女 左下の歩き去る二人 中央の二人連れの一人は手に持ったものを掲げ もう一人がそれに手を伸ばしている。中央左の少年は両手を上げて何かを捕まえようとしている。ここでは子供達の楽しい世界よりも多様な人物を画面にどのように配置するかに工夫が施されているようだ。また人々は公園という同じの場にいながら互いに関係なく様々に過ごしていて ここでの4組の人達もそのように描かれている。このような状態は「同居の無関係」と呼べるだろう。この「同居の無関係」は後の「街路」などに結実するする事になる。

第三章 P37-38

37-38
P17。「立っている裸体」55×25cm M10号程度 紙に油彩 1925-1926

P18。「横たわる裸体」48×80cm M25号程度 キャンバスに油彩 1925-1926
この2点は同じ人物を描いた裸体画だが 共に顔が描かれず後ろ姿である。共に色彩の明暗によって立体感を出し 筆跡を丸みに沿って残している。また重ね塗りの効果も試されているようだ。P17の人体の形は特に不正確だから 実際にモデルを前にして描いたのではなく 想像で描かれたのだろう。それに比べP18の方はモデルを見て描いたようだ。肩や腰などに観察の後が見られる。モデルは誰なのだろうか。バルテュス自身のようにも見えるが 写真でも使ったのだろうか。

第三章 P39-40

39-40
P19。「エコーとナルキッソス」摸写 現存せず。原作ニコラ・プッサン。
この現存しない摸写の原作はニコラ・プッサンの作品である。バルテュスは晩年にプッサンに捧げる作品を描き「彼の作品は初恋の相手であり この恋はいつままでも冷めることがない。」と言っている。エコーとナルキッソスはギリシャ神話の一つで 妖精のエコーは女神ヘラについた嘘の罰を受けて 話しかけられた時のみに声が出るようにされてしまう。その後エコーは美少年のナルキッソスに恋をするが 自分から話せない事から失恋し その痛手のせいで山の奥に隠れ 呼び掛けにだけ答えるようになる。一方のナルキッソスはその美しさから多くの妖精から恋されるが 誰にも答えようとしないので失恋した妖精の願いを受けた復讐の女神によって成就しない恋をするようにされる。そうなったナルキッソスは水面に写った自分に恋をし 成就しないその恋に身を焦がして死んでしまう。そしていつでも自分の姿が見えるように水辺に咲く水仙の花になってしまう。

P20。「愛の演奏会」摸写 現存せず。原作ニコラ・プッサン。この摸写も現存していないが 原作のプッサンの小品にはローマ神話の愛の神エロースが描かれている。エロースとはアモール またはクピドであり 英語読みではキューピットと呼ばれ 背に翼を持つ幼児の姿をした小天使としてよく描かれる。彼等は弓と矢を持ち 黄金の矢で射られた者は恋の熱情に取り憑かれ 鉛の矢で射られた者は相手を嫌悪するようになる。ここでは幼子達の背に翼はなく 弓の代わりに楽器を持っている。恋のための演奏だろうが 手前の幼子は月桂樹の冠を持っているから アポローンの恋慕から逃れるために月桂樹に姿を変えたダプネーを思い出させ 恋の受苦も表している。

ニコラ・プッサン=1594−1665 17世紀バロック美術の古典主義の画家 フランス人だがローマで活躍。バロック的な激情や劇的な明暗の効果よりも 冷静で抑制された演劇的な人物達を軽快さを持って構成し 歴史画や宗教画を多く描いた。他に「アルカディアの牧人たち」「サビニの女達の略奪」などがある。

P21。「キリストの復活」摸写29×31cm S4号程度 木版に油彩 1926。この年にバルテュスはイタリアを旅行し フレスコ画を模写している。彼は画家を目指すにあたって美術学校で学ばない代わりに 古典から学ぶ事を父親やリルケなどから助言され実践している。これはピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた作品で 十字架に架けられて死んだはずのイエスが生き返った場面である。埋葬された墓石に片足をかけて 御旗を掲げたその堂々とした態度は 死を乗り越えて真に神の子である事を示しているからである。足元に眠る者はイエスの墓を見張る兵士達で これらの様々な形の捉え方と姿勢は 後のバルテュスの作品に反映しているようだ。この摸写はそれほど丹念に描き写してはいないが それは描き写す以上に学ぶものが多かったからだろう。つまり技術よりも絵画の示しうる表現世界を体験していたと思われる。

第三章 P41-42

41-42
P22。「聖十字架の伝説 (聖なる木とソロモン王とシバの女王の会見)」摸写48×55cm F10号程度 1926。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
この摸写ではシバの女王がソロモンの王を訪問している場面のみを描いている。原作では左側にシバの女王が 横たわっている木材に跪いて祈りを捧げている場面がある。

P23。「聖十字架の伝説 (ヘラクリウスの勝利)」摸写 現存せず。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
原作ではヘラクリウス皇帝とペルシャのコスロエス王との戦いが描かれ 右側にはこの戦いに破れたコスロエスが首をはねられようとしている。

ここで模写されているのは先の原作者と同じピエロ・デッラ・フランチェスカのサン・フランチェスコ聖堂にある「聖十字架の伝説」である。原作は伝説を10の場面に描いているが バルテュスはその中から4つの場面(次ページに2点)を選んでいる。ここでもそっくりに写し描くよりも この絵を理解する事の方が優先されているようだ。古典から学ぶと言っても古代ギリシャから初期キリスト教美術 ゴシック 盛期ルネッサンス バロック ロココ そして19世紀の古典主義や写実主義 ロマン主義などがある中で この初期ルネッサンスのピエロ・デッラ・フランチェスカを選んでいる所に バルテュスの審美眼の源があるようだ。

聖十字架の伝説=イタリア アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の壁に描かれたフレスコ画。これはキリストが架けられた十字架の出自を語る物語である。始祖であるアダムが死ぬ時 原罪の木の種を口に与えられて墓に納められるが その木が成長した後にソロモンの王に伐られ 橋の材料とされる。シバの女王がソロモンの王を訪れる時に この木材に近づいた女王は未来を予見し 救世主が磔にされる事を知り その木に敬意を表す。それを知ったソロモンの王は禍いをもたらすものとして その木を埋めさせる。しかし予見通り その木は掘り出され キリストを架ける十字架に使われる。その後コンスタンティヌス皇帝がローマを支配する戦いの時に 神から十字架の印を掲げて闘うよう御告げを受ける。勝利した皇帝とその母后は十字架を聖遺物として探すが行方がしれず 唯一知っていたユダを拷問にかけて白状させる。しかし見つかったのは三本の十字架であり どれが本物であるかを確かめるようとした時 1本の十字架が死んだ若者に触れ生き返らせたので それが本物とされた。その後の615年にペルシャ王のコスロエスがロ−マ帝国からこの聖木を奪い拝していたが ビザンティンの皇帝ヘラクリウスに破れ 聖木はヘラクリウスによってエルサレムに戻る事になる。そして聖木の神聖な力は 皇帝にキリストのような謙譲な態度を取らせたので 皇帝は全ての栄華を捨て十字架のみを掲げてエルサレムに入場する事になる。

第三章 P43-44

43-44
P24。「聖十字架の伝説 (十字架の発見と検証)」摸写。45×67cm M15号程度 1926。
原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
ここに描かれているのはローマ帝国を支配したコンスタンティヌス皇帝の母后によって エルサレムのウェヌス神殿に隠された三本の十字架が発見され どれが本物かを検証している場面である。画面左側に掘り出された十字架と右側には死んだ若者をよみがえらせる十字架が描かれている。摸写では右端の死んだ若者の復活までは描いていない。

P25。「聖十字架の伝説 (聖十字架への賞揚)」摸写。50×34cm 1926。原作ピエロ・デッラ・フランチェスカ。
ペルシャ王のコスロエスから聖木を取り返したヘラクリウス皇帝が エルサレムに聖遺物である十字架を持ち帰る最後の場面である。原作では十字架を掲げる皇帝は馬から降り キリストのような謙譲な態度でエルサレムの人々に迎えられているが この摸写では皇帝の後ろに立つ5人の人物が描かれている。この人々のかぶる帽子は興味深い形をしている。

当時の若いバルテュスはこれらの絵に何を見たのだろうか。ピエロの絵画の特徴は初源的な立体表現と硬直したような人々の姿勢や身振りであり 理知的で明確な構図である。これらはまさに後のP73の「街路」に代表されるバルテュスの作品の特徴と一致している。またピエロの作品では 複数の人物はどのように接近していても互いに視線を重ねる事なく 個別に存在しているように見えるが これはバルテュスの「リュクサンブール公園の子供達」に見られる同居の無関係と酷似している。つまりバルテュスはピエロの作品に自分と同じものを発見したのではないだろうか。それ故にこれらを選んだと考えられる。

またこれらの摸写の仕方は大胆で 木炭などの下描きなしに直接 油絵具で形を取り彩色されている。この方法は後の作品でも使われている。

第三章 P45-46

45-46
P26。「共有財産の分配とアナニアの死」の摸写。59.5×54cm 厚紙に油彩 1926
この絵の原作はマザッチオの描いた「聖ペテロの生涯」の一場面であり 人々がそれぞれ個別に所有していた財産を売って その代金を差し出し 聖ペテロによって共有財産として再分配してもらうのだが アナニアと言う男は代金の一部を誤魔化して差し出した。それを見抜いた聖ペテロは「神に対する虚偽の振るまいである」と言う。その言葉を聞いたアナニアはその場に倒れて息絶えてしまう。中央右の黄色い衣を身につけた人物が聖ペテロであり その左横に立つ子供を抱えた女はアナニアの妻サッピラで 足元にはアナニアが横たわっている。
この原作に描かれた人物達も互いに重なるほど近くに立っているが 視線は重ならず個々に存在しているようだ。また妻サッピアの表情は無表情だが 頑さが見られる。これは真剣な無言劇であり これらもバルテュスの作品の特徴と一致している。バルテュスはこれらの古典絵画から多くを学んだろうが 学ぶだけでなく 画家として自立するための大いなる拠り所としたのではないだろうか。つまりこれらの作品は画家として足元に埋めた基石であるように思われる。

マザッチオ=1401−1428 初期イタリア・ルネッサンス フィレンツェ派の画家だが 27才と言う若さで夭折している。ピエロよりも14年から20年ほど早く生まれているがほぼ同時代である。ジオットやドナテロからも学んだ現実的な人物表現と初源的な立体感や空間表現は それまでのゴシック絵画では見られなかった写実性があり ピエロなどと共に写実表現の発展の基礎を築いた。他に「楽園追放」や「貢の銭」などがある。
「聖ペテロの生涯」はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の右翼廊にあるブランカッチ礼拝堂の壁面に描かれたフレスコ画。

第三章 P47-48

47-48

P27「良き羊飼い (キリスト)」1927。

P28「福音書家マタイとルカ」1927。

P29「福音書家マルコとヨハネ」写真資料無し。

ベアーテンベルグにあるプロテスタント教会にテンペラによる壁画を三枚描いいる。残念ながら1934年に塗りつぶされている。

第三章 P49-50

49-50
P30「バラ色の上着の裸婦」の習作。25.4×19cm F3号程度 厚紙に油彩 1927
これはP31のための習作である。寝台の装飾曲線と布のシワの関係を確かめるために描かれたようだ。このような椅子と布は人物と共に最晩年まで描き続けられる。

P31「バラ色の上着の裸婦」98.5×77.5cm F40号程度 キャンバスに油彩 1927
初めての裸婦像である。寝台に座った憂いを持った女性の裸体と肩にかけたガウンが描かれている。ここには描くに足りる材料は揃っているが 何かもの足りない。この何かが今後描き加えられていきバルテュスの世界が構築される。サーモンピンクの衣服に乾筆(ドライブラシ)のような筆跡が見らる。

P32「裸婦」55×46cm F10号程度 キャンバスに油彩 (1927)
先と同じモデルを描いた裸婦像。頭部の赤と髪形 そして視線の方向が印象的なこの作品も完成されていない。大まかな雰囲気を確かめるために描かれた習作のようだ。母バラディーヌの描いたものにも似た作品があるので一緒に描いたのかもしれない。

第三章 P51-52

51-52
P33。「リュクサンブールの子供達」63×50.5cm F12号程度 キャンバスに油彩 1927
公園の連作にもどっている。手前の3人の1人はボールを持って女の人を引っぱっているようだが その女性はポーズを取り その横の後ろ向きに屈んでいる少年も後ろ向きで変わった姿勢を取っている。屈んだ少年の奥にはベンチに両手をかけた人が座っていて 右端のラッパを吹く制服姿の人は中途半端に画面に入れられている。公園内の様々なポーズの人々を描いているが それらの組み合わせの面白さをはっきりと意識されていると思われる。

P34。「リュクサンブ−ルの庭園 (秋)」65.6×49.8cm F15号程度 キャンバスに油彩 1928
これも庭園内の風景で後ろ姿で屈む少年がもう一度登場している。少年はその横に立つベレー帽をかぶり球技用のラケットを持った男とボール遊びをしているのだろう。その奥に片腕を上げた女性。右端の椅子はまたも中途半端に入れられている。これらの屋外の風景画では庭園の樹木も人物同様に様々な形と枝振りで描かれている。

P35。「リュクサンブ−ルの子供達 (けんかのあと)」63×50.5 F12号程度 1928
頬に手をあてて物憂げに歩く少女とベレー帽をかぶった二人連れの子供達。そして広場に立つ一本の木とその奥の林。この絵は人物のポーズを控えめにして 庭園の広さと奥行感を強調しているようだ。子供達の賑やかさが失せた後の静けさと寂しさ そして友人と喧嘩した後で独り歩く娘の心もとなさを描いている。つまり感情表現に取り組んでいる作品で バルテュスの作品では珍しいと言える。

第三章 P53-54

53-54
P36。「リュクサンブ−ルの円柱」46×38cm F8号程度 厚紙に油彩 1928
庭園の入口だろうか 階段と記念の塔を通して町並みが見えている。筆運びは荒く即興的だが 並木の枝先はしっかりと描き込まれている。そして例の子供達は一人も描かれていない。並んで立つ樹木の枝先の密度と空の広がりを描こうとしているのだろう。こういう所に関心を持つ若いバルテュスの感性は その心根を感じさせながら独自な視線を持っている事の証のようだ。

P37。「リュクサンブ−ルの泉水 (雨模様)」45.6×37.9cm F8号 キャンバスに油彩 1928
庭園の噴水池で模型の舟を浮かべる少年とその後ろの景色が描かれている。舟遊びをする少年の背景には雲行きが怪しくなった空模様が描かれていて その感じが良く出ている。帆船を走らす事に熱中する少年にとって 雲行きよりも風が出てきた喜びの方が大きいだろう。20才の頃の作品。子供の世界をよく観察して描いた作品だが 見ながら描いたのか 記憶で描いたのか。

P38。「雷雨のリュクサンブ−ル」46×55cm F10号程度 キャンバスに油彩 1928 
舟を浮かべて遊ぶ少年達にとうとう雨雲と共に雨が襲ってきた。慌てて用意した傘をさす男の子 舟に手を伸ばす子。奥の人達は傘をさして早々と公園を去って行く。右端の吹き上げられている噴水の水は俄な風に吹き飛ばされている。庭園での出来事を捉えているのだが その場で描いているなら若き画家の上にも雨が降ってきているはずだ。あとで記憶を頼りに仕上げたとしたら雨模様の色彩をよく捉えていると感心する。P37とこの絵も画面の下がぎりぎりまで下げられて少年たちの足ははみ出している。

第三章 P55-56

55-56
P39。「3人の農民」93.5×74cm F30号程度 紙にパステル 1928
前時代の地方色の強い衣装を着た人物が描かれている。パステルはP1で使っているので2度目となる。パステルは塗ったあとに擦ってボカシを作りやすい画材だがそれをここでは多用している。このような民俗衣装への関心は過去への関心の一つでもあるのだろう。

P40。「田舎を描いた箪笥の扉」1928 
両開きの扉に描かれた農民の男女と農具などである。男女の二人の農民の顔は穏やかで愛らしい。

第三章 P57-58

57-58
P41。「ムーラー・エドウィックの肖像」87×65.7cm F25号程度 1928
この頃描いた3人の肖像画の中の1点である。外形線を使わずに丹念に筆を置く塗り方がされている。色彩は明るめだが落着きがある。色彩の明度と彩度の扱い方を試しているようだ。肘を上げた左腕は彩度と明度が落とされているので奥まってに見え それに対して両足の上に置かれた右腕は明度も彩度も高いので手前にあるように見える。腕や肩や腰の部分の赤茶は影の一種として使っているのだろう。このような前後関係による立体感と空間性を描き出すための色調を確かめているようだ。

P42。「ムーラー・ゲルドルードの肖像」73×60cm F20号 キャンバスに油彩 1928(1984) 
この肖像画は1928年に描かれたが 56年後の1984年に描き直されている。テーブルの上のお茶道具は消され 人物の表情は穏やかになっている。バルテュスはこのような描き直しを10点ほど行なっているが これは特に間隔が開いていて56年後の手直しとなる。若い頃の作品に晩年になって手を入れる事自体が珍しく ほとんど別な作品になったと言って良い。他の手直しで間隔の開いているのは50年後 29年後 17年後 あとは5年後 2年後 1年後である。

第三章 P59-60

59-60
P43。「マダム・・Tの肖像」81×65cm F25号程度 キャンバスに油彩 1928
この頃の3人目の肖像画で ポーズを変えて2点描いている。この椅子に座る姿勢は肖像画として基本的な構図である。やはりこの頃はまだ筆使いや色彩に留意しながら描いており 油彩に慣れるためと人物の描き方を学んでいる時期だろう。筆跡は落着き絵具を押さえ込むようになっている。大きさはF25号程度。

P44。「マダム・Tの肖像」46.5×38.5cm F8号程度 キャンバスに油彩 1928
二枚目は顎に手の甲をあてたポーズで 伏せ目がちな表情は憂いて見える。まぶたのくぼみは貧者の印とも言われるが 実際の夫人は違うようである。人物の表情を描く時 わずかな筆の扱いで表情が変わる事がある。

第三章 P61-62

61-62
P45。「ベルンの帽子のある静物」56×71cm P20号程度 キャンバスに油彩 1928

わせれば 当然変わった構成になるが この作品は水平と垂直の構成を意図しているようだ。 バルテュスの静物画は少ない。これは初めての静物画で同じ物を構成を変えて2点描いている。2点ともかなり工夫された構成になっているが 描かれている物は変わった形の物ばかりである。四つの輪のはまった筒とその前に置かれた赤茶の椀 赤い花のついた平べったい帽子 蓋のない筒は奥に向かって遠近感がつけられ細くなっている。その奥にはP8にも描かれた椅子の背もたれ 手前には取っ手のついた木製の椀が重ねられ 右端に木辺で出来た籠と その前にシワの多い赤い布。これらの風変わりな雑貨を組み合わせれば 当然変わった構成になるが この作品は水平と垂直の構成を意図しているようだ。 
静物画は選んだ物によって印象が変わるし 物には絵になるものとそうでないものがある。豪華な物を選んで描けばその豪華さが出る。ここではありきたりな物をわざと選ばずに 風変わりな雑貨の持つ形の面白さとその組み合わせに関心を引かれたように見える。この物選びに若い自我の存在を感じ取れる。

P46。「ベルンの帽子のある静物」75×81cm F30号程度 ? 1928

先とほとんど同じモノを使った構図の違う静物画。ここでもとりとめのない雑貨を描いているが これらは3種の構成要素として配置されているように見る事ができる。背の低い物と背丈がある物 そして丸い帽子。しかしそれだけでなく左端の筒は斜めに歪められ 取っ手のついた木製の椀はそれとは見えないような角度に置かれ その特徴を表していない。また右下の蓋のない筒の中には何かが入れられ 大きな釣り針のような物が添えられている。そして中央のくびれた水差しだけそのまま分りやすい形で描かれている。ここでは先の作品よりも物の形とその組み合わせによる構成に強い関心を持ち 物がどのように使われているものなのかを無視したり 形を変形させてまで構成を優先させている。バルテュスは生涯において構成を主とする作品も描き続けたが これらはその初源的な作品と言える。

第三章 P63-64

63-64
P47。「オデオン広場」100×88cm F40号 キャンバスに油彩 1928

街とそこにいる大人達の姿を描いている。ここではオデオン座の前のカフェの給仕と頭に荷を載せた白衣の職人と階段を降りる人が描かれている。カフェの給仕は画面ぎりぎりに入れられ 白衣の職人は後ろ姿で頭に荷を乗せている。公園から街 子供達から大人達へと描く対象が移るのだが その街の捉え方が少し変わっていて 通常このような角度から街を描くだろうか。カフェの張り出たひさしの形も特異で 背景の建物と何の関係もないようだ。しかしこのような構図を良しとする構成感覚はバルテュスの独自性でもあるが このような構図は不特定の視界と言える。特定の建築物などを描こうとしているのではなく 人と建造物が織りなす街の様子自体を描こうとしているようだ。そしてこのような街の中の大人達の姿に関心を向ける事は 後の青年期の代表作の一つであるP73の「街路」に発展していく また「街路」を遡るとこの作品に至るのである。

P48。「ポン−ヌフの河岸」73×79cm F25号程度 キャンバスに油彩 1928

セ−ヌ川に掛かるポン−ヌフ橋を背景に川岸を散策する人々を描いているが そこは舞台と化したように人々は様々なポーズを取り 配置されている。真直ぐに立ったボーダーの男と前屈みの太った男は互いの飼い犬によって関係付けられているが 画面中央の舟竿を持った男と傘を持った後ろ姿の女性はたまたま居合わせたようだ。これはまさに「街路」の原形で 公園内の子供達の「同居の無関係性」をよりはっきりと打ち出し 街中の大人達を壮大な見せ物として取り扱っている。公園内の子供達を描いた作品とこの作品は同じ年に描かれているのだから 驚くべき事だ。

第三章 P65-66

65-66
P49。「河岸 (堤)」46×38cm F8号 厚紙に油彩 1928

これはセーヌ川の川岸で 樹木と塀にもたれる人々とその奥にいる人物が描かれている。ポン−ヌフ橋こそ描かれているが場所を特定し説明しようとはしていない。有名な建築物を描く気はなく あくまでも不特定の場所とそこにいる大人達を描いている。

P50。「河岸 (ポン-ヌフの河岸)」73×59.8cm キャンバスに油彩 1929

同じ川岸に猫を抱いた老婦人と塀の上から見下ろす男 その前を通り過ぎる人々を描いている。塀の上から見下ろす男と猫を抱いた老婦人は妙に気になる。このような思いがけない姿勢や後ろ姿 また人物を真横から描く手法は見る者の関心を強く引き付ける。そしてこれらの謎めく人物の捉え方はこの後に積極的に用いられていくようになる。

P51。「サン-ルイの河岸」45.5×35.5cm F8号程度 キャンバスに油彩 1928

巨木が立つ人気のない所を犬を連れた男が歩いている。日陰の中を歩き去る男の後ろ姿に憂いのようなものが感じら 画面奥の明るい建物と対比している。

第三章 P67-68

67-68
P52。「リュクサンブ−ル庭園」73×92cm F30号 キャンバスに油彩 1929

庭園の中の樹木と石塔を描いているが 画面の左端に少年が一人描かれている。庭園の深い森は秘密めいた場所で 他人のようによそよそしく子供らの侵入を拒んでいるようだ。その前を水兵帽をかぶった少年は輪を走らせながら通り過ぎて行く。

第三章 P69-70

69-70

P53。「ケ マラケ」65×43cm M15号程度 キャンバスに油彩 1929

これは街の中の建物を描いている。今回は街の中の建物に関心を向けているようだが いつもの特有のポーズをとった人物も小さく描き込まれている。この頭に荷を載せた白衣の職人はこれで2度描かれている事になる。

P54。「パンテオン広場」(1929)
P55。「パンテオン広場」48×63.5cm F12号程度 厚紙に油彩 1929

同じ場所を画いた2枚である。建物の前には馬車がおり手綱を引く人物も描かれている。P55ではそれに加えて右端に二人の人物が描かれている。大きな違いは地面の開け方で この方が画面が安定する。しかしそれよりも地面を広く取った方が様々な人を置ける事になる。

第三章 P71-72

71-72
P57。「街路」130×162cm F100号 キャンバスに油彩 1929これは最初の「街路」で原案画とされる作品である。今までに描いてきた屋外風景(庭園 川岸 建物)から発想したオリジナル色の強い作品でP48の「「ポン−ヌフの河岸」を引き継いでいる。そして今までの中で最も大きなキャンバス(F100号)を使っているから その力の入れようが分かる。しかしまだ筆致は荒く落着きがなく 画面構成は詰められていない。そうであってもこの作品は21才の画家の卵が本格的な自分の作品に取り組み始めた証となる作品である。そして4年後の1933年にもう一度描いた「街路」は青年期の代表作の一つであり バルテュスの全作品の中で欠かせない作品となるのである。「街路」のモデルになった通りは エショデ街のブルボン=ル=シャトー街と当時住んでいたフュルスタンベルグ広場に出る通りとの合成である。

第三章 P73-74

73-74
P56。「M・Hの肖像」99×79cm F40号 キャンバスに油彩 1929西欧の伝統的なポーズの付け方がされた肖像画である。モデルは描かれる事を前提にしっかりと自尊心を用意している。背景の書棚はその人物の知量を示す。面白いのは書棚の赤い本で画面の中の強調点(アクセント)だろう。東洋風の仏像もある。筆致はまだやや大まかだが落着きを見せ始めているし 色調はかなり統一されている。バルテュス21才 すでに職業的な意識を持って取り組んでいるように見える。

P58。「カイマン」1929 資料写真無し 現存せず。

P59。「静物」65×34cm M15号程度 キャンバスに油彩 1926-1930

三枚目の静物画で花と果物を描いている。制作期間が1926-30年となっている。4年間もかかたのだろうか。花はかなり丹念に描かれているが 果物皿はやや手前に傾けられている。

第三章 P75-76

75-76
P60。「座っている若い娘 (アントワネット)」91.5×72.5cm キャンバスに油彩 1930(1965)
 長椅子に座りポーズをつけている女性を描いている。女性はアントワネット・ド・ヴァットヴィルで 彼女とは大恋愛のすえに結婚した女性であり このあとも6点描かれ 間接的なモデルと思われる作品が4点ほどある。頭に腕を乗せてくつろいだポーズはバルテュスらしく これまでの人物画ではこのようなポーズは見られなかったので これが長椅子に座る若い娘を描いた最初の作品と言える。全体にはまだ大まかな筆使いが残っているが 顔のあたりの筆致には落ち着きが出てきている。

P61。「ルネーの肖像」77×58.5cm P25号程度 1930
これもさりげないがバルテュスらしいポーズである。描かれる事に対して身構えずにくつろぎ ごく自然にちょっと凝った姿勢を取る。これがバルテュスが描く肖像画のポーズであるが この時期にそれが確立し始めている。P-。「d’Adele Bayの肖像} 73.5×60.5 F25号程度 キャンバスに油彩 1930この作品はカタログ・レゾネには未掲載であったが 2008年に開催された生誕100年スイス展に公表された。

第三章 P77-78

77-78
P−。「空中ごまで遊ぶ若い娘」80×65cm F25号 キャンバスに油彩 1930

これは1999年発行のレゾネには載っていない作品である。バルテュスのこれまでも子供達の遊ぶ姿を描いているが それらは庭園内の情景の一つであった。ここでは庭園内の情景と言うよりも 見事な技を見せる若い娘の動きと姿勢に注目しているようだ。

本書では作品番号はガリマール社刊行のレゾネに沿っているが この作品はレゾネに不掲載であったため作品番号を不明のままにしてある。

第三章 P79-80

79-80
青年期1932-1939 24才-31才 P62−P123 61点+1点=62点+63点 計125点
この若い時期の7年間にすでに代表作となる作品を幾点も描いている。その多くは最初の個展に発表した作品である。この時期の作風は写実表現的な描き方がされている。「嵐が丘」の挿し絵を含めると62点主な作品「街路」「鏡の中のアリス」「キャシーの化粧」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」「ラルシャン」など。

P62。「乗馬服を着た若い娘の肖像」72×52㎝ P20号程度 1932(1982)
モロッコへの兵役後の作品である。P20号に立ち姿を描いているので人物は小さい。やや荒い仕上りだが雰囲気があって手に納まる人形のようである。しかしこの作品も1982年に手が入れられているので 現在見る事のできる表情は描かれた当時とは異なっている。当初はもっと表情に険しさが見られたが 現在では穏やかで明るい表情になっている。50年後に作品に手を入れるとは どう言う気持ちなのだろう。P42の「G・Mの肖像」に手を加えたのは1984年で この作品が1982年だから若い頃の作品に手を入れたのはこの作品の方が先になる。

第三章 P81-82

81-82
P63。「スイスのズゥグ州のベッテ・メイヤ−とその妹」摸写。70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P64。「カントンのシュイッ州のフランツ・ルディガー・キュシュ・マイヤーとその妹」摸写。    70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P65。「カントンのシュイッ州のアンナ・カテリーナ・バーゲンヌ・シュトッスとその妹」摸写。    70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

P66。「カントンのフリヴェール州のクリスティヌ・ホイマンヌとその妹」摸写。 70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932

この4点はヨーゼフ・ラインハルトによるスイス農民の民俗衣装姿の肖像画を模写したものである。初期イタリアルネッサンスの摸写に比べるとかなり描き込んでいて完成度が高い。異国情緒のある摸写で 後の作品と照らし合わせると衣装の柄や色彩の組み合わせを学んだように見える。また形のまとめ方や立体表現 そして二人の人物の組み合わせも学んでいるようだ。

第三章 P67

67
P67。「剣玉遊びをするL・ベッツィ」70×50㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1932-1933 

剣玉遊びをする夫人とパイプを吸うラインヘルツ氏が描かれている。このような二人の姿を描く所にバルテュスの遊び心が伺える。特に剣玉に熱中する夫人は造形的にも面白い。この絵も二人の全身を描くには小さいが 形のまとめ方 人物の配置 油絵具の扱い方 色調の統一性 剣玉に集中する夫人の身体の動きと表情 夫の座っている時の上半身のちょっとしたひねり 宙に浮く剣玉のヒモの現実性(リアリティ)などが 要領良くまとめられている。この作品は画家バルテュスにとって記念となる作品でなかろうか。ここには画家に必要なものが準備できた事が示されている。バルテュス25才。

第三章 P68-P70

68-70
P68。「ピエール・レリスの肖像」42×33.5㎝ F7号程度 厚紙に油彩 1932-1933

ベッツィ夫人の夫であるレスリ氏の肖像である。穏やかな表情と上着の様子に現実性がある。

P69。「ピエール・レリスの肖像」大きさ不明 キャンバスに油彩 1932-1933

先と同じ レスリ氏は横向きで煙草に火を付けている。食卓の上には様々なものが配置されているが 気軽な油彩による素描のようだが 人物と静物を同じ画面に描く事は 異なるものを組み合わせる手法の原点かも知れない。

P70。「ベッツィ夫人の肖像」80.6×65㎝ F25号 80.6×65㎝ F25号 キャンバスに油彩 1933

椅子に座った夫人は遠くを見ている。剣玉に熱中する幼い子供のような無邪気さはここには無く そのかわり普段の何気ない落ちつきが気品と共に描かれている。

第三章 嵐が丘

P−。「嵐が丘」の挿し絵。

arasi
arasi2
この挿し絵は1933-1935年にわたって描かれた。それはちょうど1934年の初個展を開催する前後の時期でもある。この時バルテュスは25才から27才であったが それまでを修行期間とするなら それまでに貯えたものを一気にというより 爆発的に開花させた時期でもある。それらの充実した時期に描かれた「嵐が丘」の挿し絵も力作である。原作はイギリスのエミリー・ブロンテ(1818-1848)の小説。エミリーが書いた唯一の小説。エミリーの姉のシャーロット・ブロンテは「ジェーン・エア」 妹のアンは「アグネス・グレイ」を書いている。1939年にはアメリカで映画化もされている。挿し絵は18点で習作や素描が29点ほどある。この挿し絵は未完成で 出版は実現しなかったが一部が1935年に雑誌「ル・ミノトール」に発表され 1936年にはロンドンで展示された。出版が実現されるのは1989年にフランス語版 そして1993年の英語版まで待たねばならなかった。原画は後にマルセル・デュシャンが夫人に購入させている。
この挿し絵を本制作とみなさず 単に小説を分りやすくする飾りの絵と見るむきもあるが 果たしてそうだろうか。ここには「ミツ」よりもはるかに重要なバルテュスの特徴を見い出す事ができる。「ミツ」もそうだがこれも全て記憶と想像力で描かれていて 登場人物の様々な身振りや姿勢は全てバルテュスが創出したものであり 後の作品の一つの源泉となる作品である。
この小説の粗筋は 「嵐が丘」と呼ばれる館に孤児であるヒースクリフが養子として引き取られ その館の娘のキャシーと次第に心通わせて行く。身分や財産を越えて二人は結ばれようとするが キャシーは年を重ねていくうちに財産や名誉と言った欲に捕われていき ついに地元の名家の息子エドガーと結婚してしまう。ヒースクリフはその裏切りに復讐するために家を出て資産家になって戻ってくる。キャシーはヒースクリフの復讐を受け入れようとするが それを理解したヒースクリフは復讐を放棄するが キャシーは病のために死んでしまう。そしてヒースクリフは「嵐が丘」の館に住み続けながら愛するものを失った地獄に耐えようとする。
バルテュスはこの小説を単なる恋愛小説としてではなく 悲劇的な宿命を背負った人物の性格とこの物語の風景に強く引かれている。それは野性的な自然の中に解き放たれた二人の情熱の渦のようなその在り方であり さらに男女の結びつきに必要な互いの根底についての理解 つまり共生という本質的な関係に男女の結びつきのみならず性を超えた人間の関係の根底を読み取っていたのである。
バルテュスは二人の関係を示す例として 次の台詞をあげている。キャシーはヒースクリフとの関係を友人に告白する「あの人は私で 私はあの人なのよ。」 またヒースクリフは死のせまったキャシーに言う「僕が君の心を壊したのではない。それを壊したのは君だ。そして君の心を壊す事によって 君は僕の心を壊したのだ。」P−。「嵐が丘」の挿し絵。原作 E・ブロンティ 紙にインク 1933-1935

第三章 P71

71

「鏡の中への挑発」

P71。「鏡の中のアリス」162×112P100号 キャンバスに油彩 1933

この作品は初個展に出品されている。「ギターのレッスン」と同じく性的な作品だが これはバルテュスがある意味で意図的に狙ったものであった。「残念な事に あの頃パリで有名になる唯一の方法は話題性でした。それもスキャンダルという話題性。」と述べている。 初個展での反応は大きかったが ほとんどが攻撃的で敵意に満ちたものであったという。あからさまな性を描く事への反発以外にも当時の前衛としてのダダやシュールリアリスムの隆盛と相反するような具象画である事も攻撃の理由になった。
ここに描かれた半裸の女性は 一見するとリアル表現描法で描かれているようだが 実はかなりディフォルメされている。 小さな手 細い上半身に大きな乳房 小さめの腰と太い腿と膝と足首 これらは先のP67の「剣玉をするベティ夫人」と同じ造形感覚である。またこの作品の特徴は人物以外に描かれているモノが非常に少なく ありふれた安価な椅子と無装飾な床壁のみだという事である。 この潔いほどの簡素さはバルテュスの青年期の特徴でもある。実際に貧しかったのであろうが それよりも装飾的なものを廃す事で 描かれたものを際立たせたかたのだろう。
そして肝心な このアリスと言う名の女性は絵を見る者の視線に その身体を無防備にさらけ出しているように見える。 しかしそうではなく この女性が鏡に向かって自分の姿を写しているだけで 絵を見る者はその鏡に映った姿を見ているという仕掛けになっているのである。 ゆえに「鏡の中のアリス」という題名なのである。鏡に自ら姿を映しているアリスは無防備で 髪を梳くだけで 他をおろそかにしている。胸ははだけ 股間があらわになっても気にしていない。 そこに映っている自分は人に見せるための自分ではなく ごく私的な個人的世界にいる自分なのである。つまりこの無防備で露骨な姿を描いている作品は 鏡を前にした女のごく私的な世界を描いているのである。 重要性なのはその露な裸体だけではなく そのごく私的な個人的な世界を暴いている所にある。このような絵を描く25才の青年は確かにかなりの早熟であったと言える。そしてかなり頭が良い。アリスのそのたわわな乳房と露になりそうな陰部は性の露呈であり 刺激的だ。しかしそれよりももっと気になるのが彼女の眼である。この眼の描き方がこの作品の最も鋭い閃きでもあるし この絵の仕組みを語る示唆だと考えられる。薄い膜がかかったような その眼はガラス玉のように空虚である。義眼は美しいが何も映さず 表面は鏡となるだけ。この靄がかかったような眼にはそれさえもできない。この眼は何も映していない。見るべき鏡の前で何も見ていない眼とアリスだが その姿の全ては見られている。鏡の前で自らを映す者はその姿を見ていないのだが その姿は鏡に見られているのである。ここではアリスは見る者ではなく 鏡こそが見るモノなのである。 デフォルメされた裸体 私的な世界と性の露呈 鏡は見ている。これがこの絵の仕組みである。とは言ってもこの絵を自室の壁に掛け 毎日のように眺めていたら きっとアリスの眼と裸体に惑わされるだろう。

第三章 P72

72
P72。「窓 (幽霊の恐怖)」162.2×114.3㎝ P100号 キャンバスに油彩 1933(1962)
この窓辺に座って何かに驚いているような女性を描いた絵は一体何を表しているのだろう。 これを描く時バルテュスはモデルを驚かせるために幽霊の真似したとか 軍服を着て刀を抜いたとも言われている。 窓はバルテュスが良く取り上げる画題で17点ほどあるが これが最初の作品である。なぜ驚いているのかを別にして窓辺にいる女性として見れば少しは糸口が見つかるかも知れない。窓は内は外をつなぐ開口部であり 内と外という二つの世界をつなぐ開閉する口である。壁は内と外を分け隔てるが 窓はそれをつなぐ。 光を受け入れ 大気を循環させる。 室内にわだかまった沈鬱な淀みは 開けられた窓から流入する外光と空気によって霧散するだろうし 壁に留まるしかない視線は窓から遥か遠くへ開放されるだろう。 内と外をつなぐ口。ここに描かれた窓は大きく開け放たれ 外の建物は明るく屋根越しに青空と白い雲が見える。 ここからこの女性を取り除けばP206の「窓 ロアンの中庭」の世界になる。 この作品の窓辺は外と内の狭間の世界として描かれているのは確かだろうが。外の陽を浴びる建物は明るいが一つ一つの建物の細部は省かれ構成的に処理されている。室内は陽光が入って来ても暗さは残っていて 外の明るさと内の暗さの中間にいる娘は逆光を浴びて複雑な陰影が出来ている。普通に窓辺に女性が座っていても充分に絵になる。驚く身振りがなくとも絵として成立する。もしかしてそのような心地良さそうな情景になる事を避けるために 過剰な身振りを入れてはぐらかしているのか。スキャンダルを恐れる事なく実行する大胆で早熟な青年画家は謎めく事を好んでも 陽光を浴びる女性像は健康的で穏やかすぎると考えたのだろうか。
前時代的な衣装と意味の判断がつかない姿勢と身振りは謎へと膨らみ そのまま動く事のない姿は石化した人間を眺めているようだと言われている* のだが ありのままを見れば驚くという反応 動作 姿勢 表情といったものが作り出す形態の瞬間性がここにはある。出来事の前後を断ち切り 絵画の静止性を強調するなどといった表現は思いがけない発想である。その意味でこの作品は新たな試みを行なっている。この作品も後に手直しが行なわれていて 29年後の1962年に悪意を込めたような表情は穏やかなになり そのかわりに上着ははだけ片方の乳房を露にされた。つまり表情は穏やかになったが性の露呈が加えられたのである。これは先の瞬間性に性の露呈を加える事で より不可解さを強調すると言った意図が含まれているのかもしれない。

* このような姿勢についてアルベール・カミュは「反抗的人間」の中でこう言っている。「一種の魔法の力で永久にではなく五分の一秒間過ぎてしまえばまた動き出すかのようなほんの束の間だけ石と化した人間を眺めているような気がする。」 
またピエロ・ディラ・フランチェスカの描いた人物についてマックス・ピカートは「彼等は沈黙を身に付け沈黙を通して語る。」と言っている。

第三章 P73

73

「街中の壮大な見せ物」

P73。「街路」 195×240㎝ F200号程度 キャンバスに油彩 1933

これも初個展に出品されていて その中で最も大きな作品でF200号程度の大きさである。初期の時代に描いていた「同居の無関係」の集大成である。登場している人物は9人で 様々な身振りと姿勢を与えられ 巧妙に組み合わされている。この場所は現実にある二つの通りを合成して作られた架空の場所であり 通りは静かで9人の人々に場を与えるためだけにあるようだ。この場にいる人々は皆 特徴的な姿勢や身振りをとりながら固定化しているように見え 顔立ちや体つきも変形されたり単純化されている。また着ている衣服も当時の風俗を再現したものではないようだ。9人を一人一人検証してみると もっとも印象的な人物は中央右の丸顔の少年のような男だろう。次はその少年のような男の前を後ろ姿で歩く女性だが 赤い十字の目立つ帽子をかぶり 右の手の平を開いている。そして彼女の右手の前には後ろ姿の前掛けをした女性が ベレー帽をかぶった三角顔の子供を抱えている。この乳母のような女の背には首巻きのようなものが垂れ 子供は黄色い紙を持っている。さらに中央に戻ると白づくめの男が細長い荷を肩に乗せて運んでいる。この人物の原形はP47とP53に描かれている。その手前には老婆のような顔の小さな女が幼子のように球遊びをしている。この異形のような女の後ろではつり目の娘が東洋人風の男に腕をつかまれ 抱き止められている。その奥は9人目の男でパン屋の職人のような格好で棒のように立っている。この奇妙に変形と強調をされた人々は 同じ場にいるだけでそれぞれの関係は持っていない。構図上の関係性はあるが ただ同じ通りに居合わせただけ。これは初期の庭園や街を描いた作品と同じであり 互いの無関係さをこの作品では本格的な作品として絵画化している。
しかしこの奇妙さはなんだろう。人々の形か 顔だちか 衣装か 身振りと姿勢か それぞれの無関係さか。または9人の後ろのガラリとした空白の広がりか。人の形や顔だちの畸形に近いほどの異形だからか。各人の衣装は控えめだが 身振りと姿勢は日常的ではなく どこか作られ意味深である。丸顔の男の胸にあてた右手 後ろ向きの女の広げた右手 子供の抱えられ方など。そしてこの情景の平穏さを破っているのが一悶着起こしている東洋風の男と女である。これは性的な強要で 強姦かもしれないが このような事が起こっていても 他の者は無関心である。またこの二人は絵に不穏さを与えているが 球遊びをする幼子も同じく不穏である。この老婆のような顔だちは年を取っても成長しない病を持った畸形者のようだ。また聖職者のような衣装を着た人物は女性に見えるため 聖職者に対して何らかの意味を与えているように思わせている。
このような人々を描く理由は 人間の持つ根本的な負を露呈させようとしているからだろう。バルテュスは現実の街に住む者達の姿を残酷なほど冷静に観察する事で 人々の負の実体を見い出しているが そこにはある種の滑稽さが含まれている事にも気付いている。彼等は負を持つ悲しみを自ら笑いものにする道化のようで まるで芝居の舞台のように見世物化されている。それもある種の残酷さを含んだ壮大な見世物として。

第三章 P74

74

「行き違う男女の葛藤」

P74。「キャシーの化粧」 165×150㎝ S100号程度 キャンバスに油彩 1933
この作品も青年期の代表作の一つで初個展に出品されている。同じ年にエミリ−・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿し絵を描いていて その挿し絵の一部に同じ図柄があるので この作品は「嵐が丘」の一場面の油彩版である。ガウンを羽織った裸体姿の女性は髪を梳いてもらいながら怒ったような表情を見せ 椅子に座る男は顔をそむけて陰鬱な表情を見せている。この物語性がある絵は興味深く 一体どういう状況なのだと見る者の関心を強く引きつける。「嵐が丘」はキャシーとヒースクリフが子供時代に育んだ共生と共に引き合う気持ちが大人になるにつれ行き違い 最後は悲劇に終る話であるが この場面は二人の悲劇の始まりを描いている。キャシーは贈られた衣装を着て夜会に出たいのだが ヒースクリフはそれをやめさせたい。キャシーはヒースクリフとの深い結びつきと彼の愛情も知っていたが 大人になるに従って豪奢な衣装や裕福な人々の世界に強く引かれるようになる。孤児で養護人のもとで暮らしているヒースクリフには そのようなキャシーの欲求を満たす資産も地位もない。純粋な愛情しか持たないヒースクリフは悩み 憂い 怒り 戸惑うがなす術を持たない。キャシーも自らの欲求と彼との愛に悩むが ささいな出来事から彼は誤解して家を出る。これが二人の悲劇の始まりであり この絵の主題でもある。この絵ではヒースクリフは贈られた衣装を着ようとするキャシーに「二人の愛でなく 己の虚栄心を満足させたいだけだ。」とキャシーの欲求を否定するが キャシーは「美しくありたいと思う気持ちも罪なの。」と自分の欲求を満たしてくれないヒースクリフに反論する場面が描かれている。キャシーの意固地な気持ちとヒースクリフへの反発はそっぽを向いた硬い表情と尖って別々な方に向く乳房によって表されている。それに対してヒースクリフは陰鬱そうな暗い色調で描かれ 成す術を持たぬ我が身を責めるように 気難しい表情でキャシーから顔と身体を背けている。怒りは胸の前の腕にこもるが動かせない。
例え「嵐が丘」の話を知らなくともこの絵は理解しあえない男と女の心理を描いたものと分かるはずだ。このような二人の心理的な状況を絵画化するのは容易な事ではない。状況の設定 互いの表情と身振り 色彩の使い方などを上手く使いこなさねばならない訳だが ここではそれらが見事に上手くいっている。キャシーの足元の絨毯は豪奢な生活への憧れを象徴しているのだろう。また二人の深刻な関係に加わっている家政婦エレンの描き方が面白い。真横に描かれたエレンは平面的でキャシーとの造形関係に不自然さがあるが これが一種の奇妙さまたは可笑し味を生んでいるように見える。このエレンの異なる描き方は一種の組み合わせの妙で 深刻な中に他の要素を入れる事で単なる状況と心理の説明に終らせない工夫だろう。このような複雑で多様な解釈を生む手法はバルテュスの作品の魅力でもある。

第三章 P75

75
P75。「兵舎」 81×100㎝ F40号程度 キャンバスに油彩 1933
バルテュスは1930-1931の15ヵ月間 モロッコのケニトラとフェスで兵役についている。この時の事を幾つか語っているが マラリアとアメーバ赤痢にかかった事以外は楽しみも多くあったようだ。魅力的な異邦の国の建物の中でお茶を御馳走になったり 羊飼いの歌を聞いたり イスラム教徒の友愛を尊ぶ一面に感心したり またバルテュスは「千夜一夜」を通してアラビア文化に親しんでいたとも語っている。しかしこのモロッコの絵はそのようなささやかで美しい思い出とは異なっている。ここには兵役についている者の日々がある。命令のもとで役目を果たさねばならない者達の集団は 緊張と弛緩の日々を送る。事あれば武器を手にして 敵となる者に立ち向かわねばならない厄介さを背負いながら 何もなければ平穏を間抜けのように享受できる。
画面には幾人もの兵士が様々なポーズで描かれているが ここでは「同居の無関係性」はなく 白い馬を中心に 様々な姿勢の兵士が配置されている。言う事を聞かない白い馬の前に立って制止しようとする者 追いかけ損ねる者 傍観する者 取り仕切る者 出かけていく者。ここには異国の地で暮らす兵士達のありがちな出来事を強い陽光と滑稽さを持って描いている。このような日々の出来事を通して兵士達の強気と不安と平穏の間に宙吊りにされている様子が伝わってくる。

第三章 P76-P77

76-77
P76。「舞台美術のための構想画 」 46×56 F10号程度 木版に油彩 1934?
1934年にシャンゼリゼ劇場でシェイクスピア原作「お気に召すまま」を翻案ジュール・シュペルヴィエル演出ヴィクト−ル・バルノフスキー 舞台美術と衣装デザインはバルテュスが担当。この構想画の緞帳をロープで止めた案はP103の「白いスカート」にも見られる。

P77。「ピエール・レーブ夫人の肖像」 72×53㎝ P20号 キャンバスに油彩 1934
この衿の立った不思議なブラウスを着た夫人が描かれている。手足が細く小さいがP67の「剣玉をするベティ夫人」と形のまとめ方が同じである。人形のような体形はこの頃の人物画に見られる傾向だが 顔に関してはやはりその人の内面を含んだ表情に仕上げられている。ブラウスの柄と色のせいか愛らしさが感じられるが 繊細な神経を持った女性のようにも見える。
初個展の後に画廊主のピエール・ロエブを通して このような肖像画の依頼があったのだが1932年の「乗馬服を着た若い娘」P62と比べると2年しか経っていないのに描画力は格段に進歩している。自分やり方を心得たようだ。この速度。この頃の特徴はここに見られるような形のまとめ方と もう一つ簡素な室内と家具を描く事が上げられる。この絵にもありふれた椅子と無装飾の机が描かれている。これを「貧しき絵画」と非難する者もいた。しかしやはり画面構成上の必要最低限で描こうとする考えがあっての事だろう。P78。「若い娘」 1934 資料写真無し 現存不明。

第三章 P80

80
P80。「レディ・アブディ」 186×140㎝ F150号程度 キャンバスに油彩 1935
これもピエール画廊の初個展に出品されているアブディ女史の肖像画である。しかし先のP72の「窓 (幽霊の恐怖)」と同じく時代違いの衣装を着た女史は窓辺に立っているが いったい彼女は何をしているのだろう。女史は薄布のカーテンを開けて窓に取り付くように外の様子をうかがっている。その姿は切迫しているようだが どこか無表情で空々しくも見える。彼女の眼はうつろで視線は外に向かっていない。
窓は外を見るばかりでなく 外から見られるものでもあるが それだけでなく窓とそこに寄る者はお話を生むのではないか。夜がお話を作り出すように。夜に口笛を吹く事は何故か禁じられているし 満月の夜には馬が死ぬと言われるように 窓辺にも何かが生じる。例えば若い娘が窓辺に立っていれば 家の中の退屈さを紛らわせようとする不満や人恋しい気持ちを思い起こさせるだろう。このような何かを思わせる窓辺。この絵の窓辺にはある種の感情がある。ヒステリックな憤り 内にこもった猜疑心 憂いと慰め 漠然とした不安などが見て取れる。彼女はきっと愛おしい人を待っているのだろうが その人がいくら待っても現れないために 行き場を失った想いはもつれた感情となって窓辺に纏わりついているのだろう。

第三章 P79

79

「可虐と受虐の官能性」

P79。「ギターのレッスン」 161×138.5㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1934
この作品もピエール画廊の初個展に出品されているが 他の作品とは別の部屋に展示され 限られた人にのみ鑑賞を許したと言われている。そしてその後も公開を限定された作品でもある。それはこの作品がバルテュスの作品の中でもっとも醜聞的で厄介な内容を描いているからである。
同じ個展に出品されていたP71の「鏡の中のアリス」にも性的な裸体が描かれていたが アリスは無意識であった。しかしここでは明らかに感情と暴力と性があからさまに描かれている。
この二人は 親子だろうか。それとも幼い娘を膝に乗せた女はギターの教師か。女は練習をさぼった娘にお仕置きをしているのか。それともそれを理由に弄んでいるのか 幼い娘は膝の上で髪をつかまれ海老ぞリになっている。下着は付けていない。女の片手は娘の太ももの内側を掴む。無毛の陰丘は露だ。女の加虐に対して幼い娘はうつろな表情で脱力し無抵抗だが 左手は女の衿をつかんで片方の乳房をむき出しにしている。その尖った乳房は怒りなのか官能なのか。しかし女の表情は眼こそ険しいが 口元にわずかに笑みが見える。これは喜びか 怒りと加虐によって相手を屈服させた勝者の余裕か。過度の躾は可虐となり その加虐性は性的な欲望に結びつく事もある。それゆえこの絵は色情加害狂(サディズム)や色情被虐症(マゾヒズム)と言った異常な性的な欲望と無関係ではないように見えるし さらに二人は同性同士である事で同性愛(レズビアン) また年の離れた大人と子供でもあることから 親子の確執や児童虐待という問題とも関わっている。つまりこの絵は加虐と受虐といった禁忌の世界と同性間の愛憎や大人と子供の確執から生じる感情世界を描いていると言える。
この作品もP71の「鏡の中のアリス」と同じように醜聞を起こす事を意図して描かれている。この絵が描かれた当時のパリはダダイズムとシュールリアリスムが 新たな表現活動として物議をかもしながら美術界とその周辺を席巻していた。そんな中で若い画家がそれらと組みする事なく自分の場を確保する事は確かに難しかったろうが この作品は単なる醜聞的な作品ではなくバルテュスが若くしてすでに独自で鋭い本質を探る観察眼を持っていた事を明らかにしている。その鋭さと着眼は禁忌の覆いを剥ぎ取り 絵画は本質を暴き出す手段でもある事を示している。またこの絵の緊張感と性への挑発的な企みこそ 若きバルテュスの精神の糸の張り具合でもあるだろう。
しかしこの醜聞的な作品はバルテュスに対する偏見を生み 誤解を招く種となって行く。そのため後には展覧会などでの公開は行なわれずに 作品自体が禁忌化されるのである。

第三章 P81

81
P81。「カッサンドル=ムーロン一家」 72×72㎝ S20号程度 キャンバスに油彩 1935
家族の肖像画である。この絵の魅力はしっかりと捉えられた右側の二人の人物の形とその組み合わせだろう。母親の座る椅子のひじ掛けに乗る娘 二人は肩と腰に腕を回し合い親密な親子関係を見せている。この二人の組み合わさった形 特に右側の娘の形は均衡を保って安定している。描き込みも充分で立体感や質量も適度な手応えがある。そしてこの二人と対照的なのが やや離れて机にちょこんと乗って新聞を読む幼い子供だ。その可愛らしい形と表情 それに子供のくせに新聞を読む大人っぽさは可笑し味がある。机の足はかなり長く背が高いから 乗っている子供の足下は心細いほど広い。2人は正確な写実表現に真剣味を持たされ 3人目は可笑し味をもって描かれる。この描き方は「キャシーの化粧」の男女と老婆と同じ手法ではないか。この一つの画面の中で異なる扱い方をする所が面白い。また親密な母と娘なのに顔だちが他人のように似ていない事も奇妙で可笑し味がある。

ちなみにこの人達はグラフィックデザイナーのアドルフ・ムーロン・カッサンドラの家族である。

第三章 P82

82
P82。「レリア・カエターニ(公園の中の若い娘)」 116×88㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 1935
この赤と緑が印象的な肖像画は 珍しく屋外を背景に描かれている。屋外の肖像画は3点しかない。人物は右向きで腕を軽く組んで頭をやや傾けている。公園の歩道に立った足下には鳩 右奥に椅子が2脚 一脚は倒れ 左奥には街灯と森 さらに奥には建物の屋根が見えている。右奥は緑の芝が広がり 曲がった歩道に帽子をかぶった少女が片手をあげて後ろ向きに立っている。その奥は公園の森 木々は葉を落とし繊細な枝先が見えている。この絵は未完成らしく腰のあたりに身体の線を描き直すため白い線が残っている。しかし不思議なのは人物と街灯 建物 椅子などの大きさの関係である。街灯は人物に比べ小さすぎるし 人物の足下と街灯の根元の高さの差はせますぎて距離感がない。椅子も同じ。それに比べ奥の少女は充分な距離を出すために高い位置に描かれている。この大きさと距離の関係の食い違いは意図的なのだろう。先の「カッサンドル=ム−ロン一家」や「キャシーの化粧」のような工夫をする画家なのだから。モノの大きさと距離はモノ同士の大きさの違いと画面の高低の位置で理解される。これは写実表現描法の原則である。しかし現実を見るように絵画世界を造ろうとしなければ そのような原則は守る必要はない。子供が描く絵では関心を強く持つモノほど画面中央に大きく描き 人と家などの大きさの比較は重要ではなく描き分けられる事は少ない。バルテュスは西洋や東洋の古典絵画から多くを学んでいるが ここでは子供の絵画表現の法則を利用するかのように人物の大きさを優先させて 物の大きさや距離を変えさらに人物を中心にした画面構成のためにそれを行なっているようだ。その結果 このような既存の法則に従っていない不思議な絵画空間を作り出したと考えられる。

P83。「レリア・カエターニの肖像」1935 資料写真無し 現存不明。

図。A-3絵画における大きさと距離の原則。有角透視図法では同じ物でも近くは大きく 奥まるほど小さくなり 高い位置になる。
図。P82「レリア・カエターニの肖像」不自然と思える箇所。人物と街灯の大きさと距離。椅子と人物の大きさと距離。

第三章  P84

84
P84。「猫達の王」 71×48㎝ M20号程度 キャンバスに油彩 1935
バルテュスは自画像を3点描いているが これが最初の自画像である。自画像は画家にとって厄介な画題でもあるはずだが 多くの画家は自分を描く。厄介とは自分をどう捉えるかと言う問題が生じるからで 中には鼻につく作者の自尊心や自己顕示欲がむき出しになっているものある。この猫達の王と名乗る男はその厄介な自尊心と自己顕示欲を一捻り加えた演出でモノにしている。自らを王と名乗る事で自尊心と自己顕示欲の扱い方の厄介さを吹き飛ばしている。鷹揚な態度と気難しそうな表情の割りに上半身は小さく 肩はなで肩 ネクタイは短い。ここにはダンディズムの気高さと道化者の可笑し味が見て取れる。ありふれた安価な椅子の上には調教用の笞 笞はもっと獰猛な肉食獣に使うものだろう。それに英語で描かれた碑文まで用意して事を大袈裟さにしている。ここにはダンディズムの気高さや道化者と事を大袈裟にする可笑し味がある。このように自分を扱うとは何と芸達者なのだろう。それに機知がある。タダの王ではなく猫の王とは。元来猫は人に媚びないし 隷属せず 王のように振る舞っている動物なのだから すり寄る猫は頭が大きく貫禄がある。その王様とは王の中の王と言う事か。それとも裸の王様を演じているのか。バルテュス 弱冠 27才。猫達を味方につける。

猫が本格的に描かれるのは「ミツ」以来だが 「ミツ」とこの自画像を比べると 猫との関係が新たな展開をむかえた事が分かる。そして猫はこの後にはある特別な存在者としての重要な役割を与えられて行く事になる。

第三章 P85-P89

85-89
P85。「シェイラ・ピクリングの肖像」 73×53㎝ P20号程度 キャンバスに油彩 1935
これは上半身の肖像画で特に変わった所はない。ただ手許に記された文を読むと左ページには「これは猫達の王女シエラの肖像である。」 右ページには「バルテュスがこれを描き 猫達の王は彼自身だ。」とある。つまり彼女は猫達の王の対となる猫達の王女であると言っている。

P89。「ピエール・コールの肖像」55×46㎝ F10号程度 1936
この男性像は 最初のアトリエからロアン小路に引っ越した頃に描かれている。「一部屋だったがとても広くて簡素なアトリエだった。美しさに欠けていたのでゴシック様式の寝台を置いて ちょっと華やかさを出した。」また「この部屋にはあらゆる人々が訪れた。」とも氏は述懐している。あらゆる人達とは画家 彫刻家 俳優 ボヘミアン 批評家 画商などで 描かれたコール氏は画商であり1928年からの付き合いであるが1948年に亡くなっている。7年前にはロシアが共産主義国のソビエト連邦になり 3年後には第二次世界大戦が勃発する。当時のパリは経済の発展による華やかさと活気 そして急激な社会の変化による暗い影が忍び寄っていた時代にあり 国を捨てた人や追われた人 新たな時代を感じて集まる人達 もちろん美術関係のダダイストとシュールリアリスト エコ−ル・ド・パリや抽象絵画の画家達と彫刻家 また彼等を取り囲む様々な人々が行き交い 集まっていたはずだ。このコール氏も時代の中に居て 自らの考えを通す力を持った人物のように描かれている。

第三章 P86

86
P86。「女の肖像 (マダム・イレーヌ)」 80×55㎝ M25号程度 キャンバスに油彩 1935
この肖像画も小さな画面に全身を入れ 人物以外は椅子と棚と室内の床壁が描かれている。道具立てとしては簡素なのだが 画面構成としては必要充分で 右側の広い壁の面は抜きとしてあり 壁の下の幅木は壁と床の境目を飾り 棚と椅子は人物の脇役として画面を充足させ 変化も与えている。さらに安価でない家具や夫人のロングドレスとその生地の輝きは控えめながら この絵に華やかさを加えている。
そしてこの頃の氏特有の味わいも見られる。人物の大きめの頭と小さい上半身と薄い胸は不均衡で その気難しげな表情と合わせ見ると 一種の可笑しみと悲しみが同居しているように見える。そして衣装や全体のポーズの付け方 さらに小さな手帳を持たせる工夫などは氏の肖像画に与える特性が見られる。この頃の肖像画に描かれた人物達は決して笑顔や愛想を振りまかない。それは時代の反映か それとも氏の当時の感性だろうか。

第三章 P87

87
P87。「山 (夏休み)の習作」 60×73㎝ F20号程度 キャンバスに油彩 1935
これはP102の「山 (夏)」の習作である。「山 (夏)」は1937年作だから その2年前に描かれている事になる。この風景はベアーテンベルグのスイスの風景で それを描いた水彩画をもとにして描いたと氏は述べている。大きくうねった起伏を見せる岩山とその岩肌 その間から遠くの険しく尖った青い山々が見える。そして手前の草の茂った穏やかな平地には 大きな平たい岩の横で杖を持った女性が眠っているように横になっている。習作でなくても良いようだが「山 (夏)」と比べるとこの習作の方は部分に見える。この習作を部分とし 本制作を全体として見比べると何が加味され どのように展開し 何を目指したのかが良く分かる。大海原の大波のようにうねる岩山を背景にして この娘はどんな夢を見ているのだろう。

第三章 P88

88

「悲しみと可笑しみ」

P88。「ポントワ−ズの郡長 (ムシュ・イレーヌ)」 108×125㎝ F60号程度 キャンバスに油彩 1936
この作品は屋外に描かれた肖像画の3点の内の2枚目である。郡長とはポントワ−ズ地方を県として そこに派遣された官僚である。その役職を示すかのようにズボンに飾りぶちがついている。そして先のP86「女の肖像」に描かれた婦人の夫であるイライレ氏である。この肖像画の題名は2種類あって もう一つは「Le sous prefet de Pontoise」であり 違いはsousがある事で スーと発音し 意味は ~の下に つまり「ポントワ−ズの郡長の下に」となる。そうなるとこの絵で重要なのは左下の犬で この犬が面白い。飼い主の郡長はさりげなく澄ましているのに その飼い犬はいじけたような顔をしてうなだれている。フランスでは飼い犬は必需で主人と一体である。要職についている者か その立場に似合う犬を飼う事は当然なのだが この郡長の愛犬は貧相でいじけている。しかしきっと郡長はこう言うだろう。「こいつとは腐れ縁でね。こう見えてもトリュフを探させたらここいらで一番だ。しかし意地汚く 眼を離すと自分で喰ってしまう。」
それにもう一つ。郡長の背後は林で低い石塀が建ち その奥には生け垣もある。樹木の奥には小さな家や塀も見えるから広そうだ。彼の所有地だろう。郡長自身も品があり 地方の知識人でもあるはずなのに 彼は安物に見える白ペンキの塗られた細い鉄の椅子に座っている。この椅子も彼の愛犬のようだ。なにやらどうも郡長の地位を示す華やかなものがない。塀の上の石の花瓶も小さく豪華には見えない。そういう趣味の人なのかもしれないが そのように描いたのかもしれない。この頃の氏は簡素なモノを好んでいたし ちょっと意地悪な所もあるから わざと豪華さや華やかさ 権力を示すものを省いたのかもしれない。ここにも愛犬の可笑しみと郡長の気品 そして両者に共通な憂いがあるように見える。

第三章 P90

90
P90。「ノアイユ子爵夫人の肖像」 158×135 F100号程度 キャンバスに油彩 1936
この絵は約F100号の大きさである。肖像画が徐々に大きな画面になっていく。それでも簡素な室内と家具は変わらないが 氏特有の妙味は新たな工夫とともに味わう事ができる。この肖像画でも画面構成と人物の扱い方に新たな工夫が見られ 光と影の効果も加わえられている。そして画面全体はじっくりと仕上げられ 充実度を増している。ここではもう肖像画を越えて「美しき日々」に通じるような気配が生じているようだ。しかし「美しき日々」を描くのはまだ10年も先である。この絵はP86の「女の肖像 (マダム・イライレ)」よりも簡素で 衣装の華やかさやマホガニーの戸棚はなく 安価な机と椅子 壁の凹凸と縁回し そして僅かに見える暖炉?。これらは直線的で水平線と垂直線が面と共に画面を構成している。その中で斜めに置かれた机が斜線を作り 変化を与えているが やはり直線的である。つまりこの絵は直線と面の構成で出来ていて それに合わせるように人物はの姿勢も作られているようだ。人物も斜線を作り 椅子は人物の曲線にあわせるかのように僅かに曲線が与えられている。実に構成的な画面作りだが 右上からの光は室内に微妙な陰影をもたらし 人物の顔には顔を二分するような明暗を作り出している。この光が作り出す室内の陰影は夫人の落ち着いた態度と陰鬱な表情とともに 描かれた時から過去であるかように現在から遠のいて見える。その事に唯一逆らっているのが夫人の胸元から覗いている赤色だろうか。ノアイユ子爵夫人は夫ともに活発な芸術の援助者であった。

第三章 P91

91
P91。「アンドレ・ドランの肖像」 112.7×72.4㎝ M50号程度 木版に油彩 1936
ドランは1880年生−1954年没 フォービスムの画家。これが描かれた時は56才で氏とは28才の年の差があった。ドランについて氏は「彼を好きだったのは まるでシャツを着替えるように 気分と機嫌をあっという間に変えたとしても 深い教養を持つ 知性的な男だったからです。」また「彼の特技はパリの中のアクセントの違いを聞き分けられた事です。どの界隈の生まれか どこから来たのか。」さらに「いつも私に中国の将軍を連想させました。」と言っている。
この恰幅の良い 押しの利く政治家のような画家が着ている部屋着は氏が用意した物で これが似合っていて面白い。皇帝のような態度と運命に抗い無念の怒りを示すような表情 それに対して小さめの手と細い指先は まるで少年の手のようだ。そして薬指だけシャツの中に入れている。その対比的な組み合わせと繊細な細工も氏の発案だろう。もう一つ対比的なのが後ろに居る若い娘で さりげない姿勢ながら半裸に近い。立派な部屋着と半裸に近い薄着 大袈裟な態度とさりげない姿勢 強権者とか弱き者 また押し出しの利くドランは前へ 半裸の娘は後ろ下がって見え 遠近法の遠と近のようだ。さらにドランの後ろには額付きの絵が積まれているが 半裸の娘の後ろには何もない。この巧に演出された肖像画は描かれる人物をよく知る事から始まり 機知に富み的を得た発想をもってのみ 創りだせる味わいの妙だろう。

第三章 P92

92
P92。「ロジェと息子」 125×89㎝ P50号程度 木版に油彩 1936
これも二人組の肖像画である。ロジェ氏はグラン=ゾギュスタン街にあるレストラン「かえるのロジェ」の主人で 子供は息子である。二人の顔立ちはよく似ている。ここには凝ったお膳立てはいっさいない。ごく自然に二人は立っているだけだが どこかしら親子のつながりを感じさせる。真直ぐこちらを見ながら幼い息子の肩に手をかけ 息子は少し身体を引いて父親の腰のあたりをつかんでいる。息子はわずかに緊張しているようだ。それは初めて画家の前に立つゆえの緊張と不安だろう。父親はそれを感じ取り 気持ちを寄り添わせているように見える。この微妙な親子の気持ちを描き出しているところがこの絵の見所だ。
見る者が見られる者におよぼす見えない力というものがある。見る者は見ようとすれば服の上からでも肉体や心までも見通せるが 見られる方は無防備だ。しかしここではそのような強い力は働いていない。
フランスに「猫の舌」と言う名のチョコレートがある。食べられる猫の舌 この発想がフランス風で面白い。自分をカエルと呼ぶロジェ氏も同じように気さくでユーモアに富んだ人に違いない。
そしてこの肖像画は描かれる者の微妙な心持ちを捉えている点で「アンドレ・ドランの肖像」に引けを取っていない。「ドランの肖像」が的を得た優れた演出なら こちらは優れた無演出だろう。

第三章 P93-P95

93-95
P93。「子供の肖像」39×33㎝ F6号程度 キャンバスに油彩 制作年不明
子供の肖像画とされているが 白っぽい色の重ね塗りで形や表情がはっきりしていない。それでも習作とされていない。氏の作品は全部で350点くらいだが このような作品も含まれている。それに未完成作もかなりある。このページの3点もそうだが 前ページの「ロジェと息子」も未完成である。これらは最後まで描き込まれていないが 表現として成立しているとの判断で筆を置いている。人物の場合は顔を中心として 内面が描ければそれで良しとしている場合も多い。このような作品の完成に関する見極めが変わってきたのはやはり近代からであり 印象派以後の具象表現描法からではないだろうか。それにしてもこの「子供の肖像」は印象を描きとどめただけという点で言えば印象派的とも言える。

P95。「テレ−ズの肖像」71×62㎝ F20号程度 キャンバスに油彩 1936
テレ−ズのみを描いた作品で 幼さの残る若い娘を主題として描いた最初の作品である。大きな襟が印象的で表情が目立たないようだが ここにはテレ−ズの頑さが描かれている。それは描かれる事に慣れていない緊張から生じているのだろうが 彼女の頑さは自分自身を画家の視線から守るためだろう。ここには初々しい頑さが示す拒否がある。

第三章 P94

94
P94。「姉と弟」 92×65㎝ P30号程度 厚紙に油彩 1936
幼さの残る二人の姉弟を描いている。初めて子供そのものを主題として描いた作品であるが どこか「嵐が丘」のキャサリンとヒ−スクリフを思い起こさせるが これはやはり素直に子供達を描いたものだろう。動こうとする弟とそれを抱きとめる姉。この二人が作り出す姿勢と身振りはごく自然で 絵のためのポーズでない。それに氏は石化したような静止像を描くとされているから このような動きだそうとする感じ(ムーブメント)を描く事は珍しいと言える。荒さが残ったまま完成とされた作品だが 二人には必要にして充分な内容が描き込まれている。姉はおとなしくしない弟に困って 途方に暮れたように遠くを見ている。この困惑して画家から眼をそらす表情が良し 弟の照れ隠しにも悪意がない。氏はこの姉の無垢で生真面目な態度をしっかりと捉えている。この少女はテレーズ・ブランシャールで青年期の氏にとってもっとも重要なモデルの一人である。

第三章 P96-P97

96-97
P96。「バイオリンを持つ女 (レディ・シュハスター)」  81×65.4㎝ キャンバスに油彩 1936
この頃に何人もの女性の肖像画を描いているが この「バイオリンを持つ女の肖像」とP99の「ある女優の肖像」は特に写実表現描法としての完成度の高さがある。この作品では両手にバイオリンを見せるように持ち 自らの職業を示しているようだ。女性の着ている衣服の衿はかなり印象的な形で 楽器の曲線と関係させているのだろうか。髪も丹念に細部まで描いて形を明確にしている。表情は険しく 口元は強く結ばれ 視線は左上に向けられている。表情と衿 楽器と両の手 これらが確たる構成に納まっているが 無個性的にも見える完成度の高さでないだろうか。

P97。「女の肖像 (マドマゼル・シュハスター)」 725×60㎝ F20号 厚紙に油彩 1937
こちらの方が氏らしさがあるのでないか。何の変哲もない肖像だが 形のまとめ方や筆致に氏の特徴が見出しやすい。人物は顎を引き 表情は引き締まっている。先の「バイオリンを持つ女の肖像」と比べると絵としての硬さがなく 完璧すぎない穏やかさがある。こういった何気ないポーズと構成であっても見る者を引きつけるのも氏らしい。マドマゼル・シュハスタ−は「バイオリンを持つ女の肖像 (レディ・シュハスター)」の娘でロンドンの銀行家の妻となっている。

第三章 P98-P99

98-99
P98。「ミズ・ポ−ル・ク−リーの肖像」 92×65㎝ P30号程度 キャンバスに油彩 1937
これは青年期の室内を背景にした肖像画の一枚だが ここでもよく考えられた工夫がなされている。テーブルに座り 腕を組んでいる女性はあらぬ方を見ている。所在無さから ちょっと不作法にテーブルに腰をかけたという感じだ。絵になるポーズというものがあるが そのようなポーズを自然に取れる人は少ない。ここではモデルが何気なく取ったポーズを氏は見逃していない。このちょっと不作法な行いこそ彼女らしさが出ていると考えたのだろう。そして氏のさらなる工夫はテーブルの左端に置かれたガラスの瓶 テーブルからはみ出している皿と果実 そして椅子。これらは一ケ所に集められて 彼女と左右の均衡を取っている。これの構成がこの絵のもう一つの工夫と見所である。しかしこの室内は無装飾過ぎないだろうか。いくら第二次世界大戦前の押し迫った時代とはいえ。

P99。「ある女優の肖像」 大きさ不明 キャンバスに油彩 1937
この女優を描いた肖像画も「バイオリンを持つ女の肖像」と同じく 写実表現描法としての完成度が高く無個性的に見える作品だが 氏的な特徴も見られる。チューリップなどの花を抱えた女性は左側にもたれながら 左手に持った鏡を見ている。その眼は大きく見開かれ自分を見ている。その手鏡を見ている様子は人に見られる事を仕事としている女優を説明するための物だが 自己陶酔や自己愛(ナルシズム)も思い出させる。しかしここでは自己との対峙とも受け取れる。この作品は「バイオリンを持つ女の肖像」と同じく簡素さがない。花束や衣装 モデルのポーズ 構成の充実 写実表現の完成度の高さがその理由だろう。
またこの絵の重要な点は鏡が初めて登場する事で 氏の作品では鏡は猫と同じくらい重要な画題である。晩年の代表作のP155の「美しき日々」 P252の「三姉妹」 P329の「トルコ風の部屋」 P342の「鏡を持つ裸婦」 P338の「鏡猫1」から始まる「鏡猫2、3」など。鏡はこの作品も含めると13点の作品に描かれ 手鏡が8点 壁に掛けられた板鏡や鏡台が5点ある。これらは全てここで描かれたような意味と役割以上になっている。

第三章 P100

100
P100。「子供達 (ブランシャ−ル家の子供達)」 125×130㎝ F70号程度 キャンバスに油彩 1937
ここに描かれている子供達は先のP94の「姉と弟」のテレーズ・ブランシャールとその弟である。二人の姿は「嵐が丘」の挿し絵で描かれている姿勢を構成的に整理したもので 両者をくらべるといかに構成的に整理されているかが良く分かる。弟はテーブルと椅子を組み合わせた階段に一体化するように テーブルに肘をつけている。姉は床に置かれた本を読むために手のひらと片肘を床につき 腰は背より高くし 片足は横に真直ぐ伸びている。眼を閉じた顔はこちらに少し向けられ きれいに分けられた細い髪は真直ぐに下がっている。この姉と弟の姿勢は単独でも成立するくらい構成的で均衡が取れている。姉の姿勢は実際には無理のかかるポーズだろうが 弟と家具の階段状の構成に対して 背中の斜線がより複雑さと変化をもたらしている。この姉の肘をついて腰を上げた姿勢は無防備で官能的でもあるが 実際に子供達はこのような姿勢を平気で作り出す。この厳格な構成に弱冠の官能性を与える事は 異なる要素の組み合わせでもあるだろう。この床に手をついた娘の姿勢は この作品以外にも使われる事になるが「姿勢の画家」としての氏の代表的な姿勢の一つとなる。
また形の処理としては衣服のシワや模様などは 要点をまとめて細部を巧みに省略している。この簡略化された写実表現はとても見やすい。弟は膝までくる長い上着を着ているが これは学校の制服でありかなり質素である。この身体の緩やかな曲線は直線的な椅子と机に対して対比関係にある。その手前の姉はもっと複雑な衣服を着ていて 白地に黒い線が一本入ったベスト 直線模様の肘までのブラウス 白と黒の格子柄のスカート 室内靴は親や黄色味がかっている。これらの色と柄は弟と家具の対比にさらに複雑さを加え画面の充実を得るのに役立っている。また娘の衣服の色と柄は彼女がこの絵の主役である事を示してもいる。氏は今後このような柄や模様とその色彩に強く関心を持ち より積極的に用いていくようになる。この作品は氏の青年期の特徴の一つである厳格な構成力を見せているが それは独自な姿勢の組み合わせで出来ており このような画面構成を重視する例は今後も一つの特徴として追求されていく事になる。
しかしこの二人は一体どのような気持ちでいるのだろう。弟の視線はあらぬ前方に向けられ 姉は眼を閉じている。まるでこの独特な姿勢に捉えられ身動きを封じられているようだ。この厳格な姿勢の組み合わせは古代ギリシャの彫刻のように普遍的であるが 二人はこの姿勢に閉じ込められた永遠の囚われ人のように無表情だ。それは一種の悲しみを生んでいるとも言える。
それにしても机の右側の足と壁の間にある塊は何なのだろう? 学校の鞄と言う人もいるが氏の息子であるスタニスラス氏は「それは猫である。」と言っていた。 
この作品は完成後にパプロ・ヒカソが購入しており この事で氏は随分と自信を持ったそうである。現在ではピカソ美術館の所蔵になっている。

第三章 P101

101
P101。「若い娘と猫」 87.6×77.7㎝ S30号程度 木板に油彩 1937
この作品はP71の「鏡の中のアリス」やP79の「ギターのレッスン」と同じく 青年期に描かれた性に関する作品の一つであり 幼い娘を使って描いた官能的な作品として見られてきた。
それは幼さの残る娘が立てひざで下着を見せているからである。さらに腋窩を見せるように両腕を上げ 片方の靴下はさがり 光は正面からそのポーズを照らしている。まさに身体を開いている状態にある。またその眼は光の方向と絵を見る者から視線を外し 故意に隙を作っているように見える。それは一種の誘惑だが 彼女自身の表情はそのような官能性や誘惑とはまったく無関係で とても意識しているようには思えない。ただ言われて取ったポーズのようだ。この身体を開いたポーズと無関係の表情の組み合わせは やはり「鏡の中のアリス」などと同じように氏の仕掛けであり 意図された性の露呈であろう。このように性的なものを意図的に露呈して見せるやり方は見る者への挑発であり 性の世界の持つ禁忌性を明らかにし そこに押し込められている性への欲望の在り方を露呈するためであると考えられる。
性的なものを露呈する事で そこに潜む本質を明らかにしようとするこの作品は いまでも見る者の眼を引き付け 心を惑わせる。しかし幼い者を性の対象にするようなこの作品などは性の規範をないがしろにするものとして誤解と批判の対象となり続けている。

第三章 P102

102
P102。「山 (夏)」248×365㎝ F500号程度 キャンバスに油彩 1937
この作品はかなり大きく縦248㎝ 横365㎝ある。それは号数で言えば約F500号強の大きさになり真中で両手を高く伸ばしている女性の背丈は140㎝程度あるのでほぼ等身大に描かれている事になる。一辺が3mを越える作品は他に2点あるが この作品が初めての取り組んだ大作で 全作品の中で三番目の大きさとなる。大画面に描くには小品とはまったく別な視野の広さを持ち 常に全体を把握するための天井が高くて広い仕事場が必要となる。それに肉体労働並の労働と体力を必要とする。従って大作を描くには画家も大きな意気込みを持って立ち向かう事になる。氏も今までにない大きな画面を描くにあたって大いなる意気込みを持って望んだ事は言うまでもない。
副題にある「夏」とは実際に何人かで行った夏の旅行の体験が取り入れられているからであり 左端の男性は自画像にも見えるが友人で 中央の女性は結婚相手のアントワネットである。しかしやはり単なる旅行の思い出にはなっておらず 風景の中に配置された人物は旅行者と言う共通性はあるが 一連の「同居の無関係性」が取り入れられている。中央の女性は旅の疲れを取るように両の手を持つて上に伸ばしている。しかしその表情は不敵で自我の強さを見せつけているようだ。左側の男性もパイプをくわえながら片足をつき片手に杖を持ち 身構えるようなポーズを取っているが やはり表情は厳めしく不敵である。そして疲れたから休んでいるとは思えない横たわった女性は眠っているように見える。この三人の奥にはもう三人がいて 一人は両手を後ろにして杖を持ちこちら向きで 残りの二人の男女は岸壁の先からその先を見ている。P73の「街路」では手前だけに配置されていた人物達は ここでは遠近に応じで配置されているが それはこの風景の壮大さを出すためだろう。これはP87の「山 (夏休み)」と同じスイスのベア−テンベルグを描いた水彩画から起こした風景だが 右端の奥行が描き加えられている。前景は右側から回り込むような奥まり 壮大な遠近感を生じさせ 正面奥の向う側の岩肌は大波のように盛り上がっている。それは中央の女性の上に伸ばされた姿勢と競うかのようである。これがこの絵の一つの見所だろう。
しかし気になる所もある。その一つは「同居の無関係性」の在り方だが この壮大な風景の中ではそれぞれの関係がどのようであっても風景に飲み込まれ その関係性を切り離せないのではないだろうか。もう一つは岩肌の描き方で 岩肌は粗密の遠近法にともなって近くは粗く 奥になるほど密にする事で遠近感が表せるはずだが それが乏しいために大味になって見える事である。またこれだけの大画面では かなり描き込まないと画面の広さに対して絵具の物質量が不足して 全体が軽く見えてしまうのでないか。
この「山 (夏)」はP73の「街路」と後に描かれる P220の「コメルス・サン・タンドレ小路」との間に位置する作品だが 他の二点が街を扱っている中でこれだけが屋外の自然風景を描いている。これは一つの試みで 後の「コメルス・サン・タンドレ小路」は この結果を見てまた街を描く事になったと考える事ができるかもしれない。自然の風景の扱の方に成功するのは さらに幾つかの習作と作品を経て P125の「ラルシャン」からP135の「シャンプロヴァンの風景」に至り 完璧となる。

第三章 P103

103
P103。「白いスカート」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1937
ここに描かれた女性は「山 (夏)」にも描かれているアントワネット・ド・ヴァットヴィル嬢で 氏はこの絵を描いた年に彼女とスイスのベルンで結婚している。の最初の妻になった人である。彼女の両親と氏は友人で彼女を子供時代から知っていたが その後に再会してから恋に落ちた。しかしその頃に彼女には婚約者がいたのだが氏の強く熱い思いが通じて その想いを成就させる事が出来たようである。彼女は大恋愛の相手であり そのような女性を描く事は画家として当然で 様々な想いを込める事ができたろう。しかしそれは現在の作品を見ている限りで 描かれた当時はもっと別な顔に描かれていたのである。つまりこの作品も1954年に手直しがされていて 最初の状態ではアントワネット嬢の顔は頬がこけ 視線は上の空で 口元は尖っていて不機嫌そうに描かれていた。それにちょっと意地が悪そうにも見える。これが大恋愛の相手を描いたものかといぶかしく思えるほどなのである。例え本人がそのような態度を見せたとしても 描く方は自分が望む姿に描く事ができるはずで しかしこれはやはり氏の考えで描かれた顔なのである。それなら何故このように描いたのだろう。氏はこの作品以外でも顔を描き直している。P62の「乗馬服を着た若い娘」P72の「窓 (幽霊)」など。これらも最初は皆不機嫌そうであったり険があるように描いていた。つまり氏には人の顔だちや表情に関して一般的な美と醜や快と不快と言った基準をあてはめようとしていなかったようだ。そのような目あたりの良いものよりも辛辣さや悪意的とも言える方を好んだのでないか。その方が人の本質に関わる何らかな強い手応えを感じるからだろうか。これは氏の審美眼の一端を明らかにする事になるが・・・。その示唆をボードレールの言葉から得るなら*「愛とは自己から脱出しようとする欲求である」「愛においてうんざりするのは それが共犯者なしですます事のできない罪だと言う事である」となる。氏にとって女性や愛 顔と表情などは 一般に考えるほど単純ではない事は確かだ。
描き直された現在の顔立ちと表情は元々こうあるべきだと思えるくらい違和感がない。穏やかで思案深そうにしているこの人こそ愛する人そのものだろう。力を抜いて座る姿や身に付けた白い衣装と室内履きの赤い模様 この色使いは花嫁を思わせる。また右側に緞帳をしつらえる発想は氏らしく構成的な機知があり大胆で 他の物ではこの空間は埋まらないと思えるほどだ。背後の壁と床の2色も対比的で画面をよく引き締めている。この充実した画面は見ていて頼もしく 女性像ならではの艶と潤いを薫り立たせている。

* 「ボードレール全集2 赤裸の心」より 矢内原 伊作訳

第三章 P105

105
P106。「青いベルトの女」 91.5×68.5㎝ P30号程度 木板に油彩 1937
同じくアントワネット夫人の肖像であるが ちょっと衣装に凝っている。茶色の礼装は肩が縁なし帽子のように膨らんでいて 腰のベルトも太い帯のようだ。また灰色と黒の外套を肩にかけている。これは氏が中世時代を好むからだろうが 氏がたずさわっていた舞台衣装かも知れない。アントワネット夫人の目鼻立ちのはっきりした顔と強くうねった波状の髪は このような時代がかった衣装がよく似合っている。さらに厳しい視線と硬く結んだ口元は頑な意志を表しているようだ。

第三章 P106

106
P104。「女と馬」 1937 資料写真なし 現存不明。 
P105。「モリッツ・ド・ワトヴィル男爵の肖像」 91.5×73㎝ F30号 1937?
屋外で描かれた肖像画は2点あり P88の「ポントワ−ズの郡長」とこの作品である。こちらはかなり未完成な仕上げになっている。描かれた人物は同年に結婚したアントワネットの父親であり 屋敷の庭で椅子に腰掛けている姿である。背景の山を見るとかなり傾斜がきついので山中の別荘かもしれない。左側には刈り取って整形した植木 右奥には背が高く枝のない木が2本 重なって立っている。男爵の後ろには山の頂きを越えた陽光が柔らかく描かれていて 高所の別荘の爽やかな光と空気が思い起こされるようだ。

第三章 P107

107
P107。「静物」 81×99㎝ F40号 1937
静物画は全作品の中でも数が少なく この作品が3点目で 他に5点しかない。しかし花や果物を入れるともう少し増えるし 人物が加えられているものも2点ほどある。それらの中でもっとも純然たる静物画として完成度が高いのはこの作品である。青年期の特徴である毅然とした構成力と再現性を重視した丹念な描画力 そして渋く落ち着いた色彩の調和がここにある。しかしここにはそのような絵画的な要点を満すばかりではなく 表現としてのある意図があるようだ。それは金槌と割れたガラス瓶の破片 パンにささった包丁などが示す 力とその力の行使 または暴力といった破壊につながるものを示唆していると思われる。当時の時代背景は1933年ヒトラーがドイツの首相になる。1935年イタリアのムッソリーニは国際連盟の抗議を無視して東アフリカに植民地を持つ。またスペインでは内乱が始まり 後にフランコが独裁者となる。このような独裁者による軍事国家またはファシズムが西欧諸国を席巻していた時代なのである。氏自身も1939年にはアザルス戦に送られ 地雷によって負傷までしている。しかし氏は社会状勢や政治に関する発言を作品に取り入れる事をしなかった人である。大戦中の疎開先で描かれた作品にも そのような出来事の気配さえ感じさせていない。しかしこの静物画はそうした社会状勢の強引な濁流に対して反応した唯一の作品と言える。この絵には憤りがある。それは感情的な噴出ではなく冷徹な均衡と共にあり その隠された切っ先は硬く鋭い。

第三章 P108-P110

108-110
この3点の風景画は同じ大きさの画面に描かれているが それは氏の風景画を会得するための発展の経過を示している。 P108は大まかな素描風でP109とP110は同じ場所をわずかに違う状態に仕上げた試作風。P115は作品化されているが習作風で他の3点と同じく人物の描かれていない。これらはP134の「牛のいる風景」に引き継がれ その後のP135の「シャンプロヴァンの風景」に至るのだが そのための発展の道筋が見えるようだ。しかしP135に至る前の1939年にはP123の「ラルシャン」を制作し 一つの大きな成果を得ている。しかしこの作品は直線的な構成の成功であり 曲線による自然風景とはやや異なる。やはりP135の「シャンプロヴァンの風景」がこの4点の到達点だろう。

P108。「並木道」 80×100㎝ F40号 キャンバスに油彩 1937-38
これは庭園の森への入口を描いている。初期の庭園の連作を思い起こさせるが 人物は1人も居ない。初期に描いた庭園をもっとしっかりと把握するために描いたように思うが 庭園と言うより樹木や草木の量感や遠近の関係を描く事に絞られているようだ。本格的な樹木のある野外風景へ取り組みだろう。人気のない庭園の小道の奥は暗く 何やら人を不安にさせる穴のようだ。 

P109。P110。「森の下」 80×100㎝ F40号 キャンバスに油彩 1938
この絵とP110は同じ場所を描いているが 地面の高さ 明暗の強弱 森との距離がやや異なる。地面の高さを上げているP109の方が樹木の葉の密度が増しているように見える。また木々の奥が暗いので枝の間から差し込む陽光が強調されているようだ。P109は光と影を P110は樹木の葉の密度を描こうとしているのだろう。

第三章 P111

111
P111。「ジョアン・ミロと娘ドロリス」 130.2×88.9㎝ P60号 キャンバスに油彩 1937-38
氏はこの二人の事を述懐してこう言っている。「ミロは忍耐強く約1年の間 数え切れないほどアトリエに足を運んでくれました。娘のドロリスはまるで水銀のような子で活力に溢れていた。」この話がそのまま絵に描かれている。正面を真直ぐ見るミロは実直そのもので 座りながら娘を抱え込もうとするが 彼女は身をよじらせてその腕から逃れようとする。この相対する親子の静と動の組み合わせの面白さ。それに氏の水銀のような子という表現も言い得ていて面白い。子供は動ける事こそ生命を持つ者の証であると言わんばかりだ。水滴のように丸まった銀色の塊は金属のように見えるが その形を常にコロコロと動かし続ける。このキラキラと輝きながらコロコロと動く様は見ていて飽きない。水銀のような子とは この娘にぴったりでないか。それからミロとドロレス嬢の衣服の違いも両者の違いを説明している。地味な仕立ての小さめの背広と太い縦ストライプの柄模様。背景も上下に二分割されて 対比的な色にされている。この絵はこのように異なる二つの組み合わせから成っているが 唯一同じものがある。それはこの親子の顔だちと視線で 二人とも真直ぐにこちらを見ている。この同じさにも可笑しみがある。さらにミロは純粋な子供にような顔だちに描かれいるから 娘のドロレストとの年の差がはっきりしない。まるで性格の異なる二人の子供が描かれているようだ。ホアン・ミロとはそうした人である事はその作品からも分かるが このように描かれるとまた別な親近感を感じる。しかしその真直ぐな視線は描き手を通り抜け さらにこの絵を見ている者をも通り抜けて 遥か彼方に焦点が合っているようだ。それもまたホアン・ミロという人なのだろう。

第三章 P112

112
P112。「夢見るテレーズ」 150.5×130.2㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1938
ここに描かれた人物と静物の厳格な構成と写実表現は その幼さの残る娘が見せる煽情性を上回っている。しかし見る者はその片膝を立てて両腕を上げ 眼を閉じた姿態に心惑わされるだろう。それは幼い娘の個人的な領域に無断に侵入して覗き見る戸惑いと視覚的な快楽を味わう事ができるからである。しかしそれがいかに作られているかを知る事は少ない。
この作品はP101の「若い娘と猫」と同じで性の露呈であり 性の禁忌的な領域に秘められたものを露にしているのだが ここではより絵画的な充実と様々な工夫が計られている。P101の「若い娘と猫」との大きな違いはテレーズが顔をそむけて眼を閉じ 猫が脇に座るだけでなくミルクを舐めている点であるが それはより煽情性は高めるための工夫である。眼を開けて顔を背けるよりも 眼を閉じた方がより無警戒に見えるし それと同時にただ座っている猫よりも ミルクを舐めている猫の方がより性的なものを想像させる。なぜなら性欲と食欲は近似であるからだ。しかし彼女のポーズの性的な点を別にして その姿勢がいかに均衡の取れた完璧な形態であるか を理解しなければならない。また色彩の変更も重要で P101の「若い娘と猫」では赤色は上着に使われていたが ここでは捲れたスカートと室内履に使われ その赤色は下着の白と対比していて片膝をたてた足元を強調している。これは見る者の眼をより引き付けるための工夫である。しかし同じ赤色は左端の缶にも使われていて 見る者の眼をそちらにも引き付けようとしている。つまり股間の赤と白に眼を引かれながら その眼は左の赤い缶にも引かれるから 眼は集中できない。この作品には見る者の視線を誘導しながら 同時に阻害するといった巧みな仕掛けが施されている。見せるように描きながら阻害もしている。それはその下に描かれた猫も同じである。
他の異なる点は左側の家具とその上に置かれた物であるが これらは先の視線の誘導とより複雑な画面構成を作り出すためである。またそれ以外にも性の露呈のみでない若い娘の世界を広げる役割も持っている。この作品は前作の改良であろうが 人物のいる場が一つの世界として完結している。この完結性は様々な作品に引き継がれるが 最晩年のP348の「鏡猫 3」で 一つの偉大な頂点に至る事になる。またこの若い娘達の私的な世界を描き出す画題はのちの P155の「美しき日々」や身支度をする人々に引き継がれる。

第三章 P113

113
P113。「テレーズ」 103×83㎝ F40号程度 木版に油彩 1938
この赤い上着を着て椅子に座っている若い娘もテレーズ嬢である。彼女は氏の青年期の若い娘を描くためのモデルで全部で11点の作品に描かれている。この絵は彼女の肖像画だろう。先の2点のような性的な要素を控えていても 絵としては充分に充実していて見ごたえがある。背もたれの高い椅子の肘掛けは適度な厚味で しっかりと人を包み込む空間を作り そこにテレーズ嬢はぴったりと納まっている。この椅子は大人用でテレ−ズには少し大きいから なおさら身体の納まり具合がよい。この椅子と娘の身体の形の関係が構成的で見応えがある。テレーズ嬢はごく自然体で やはり片膝を立てるように足を組み 顔はこちらに向けられているが眼は遠くを見ている。一番最初に描かれた P95の「テレーズの肖像」では表情に初々しい硬さが残っていたが ここでは自信を持ち大人びて見える。もはや見られる事から自分を守るための頑さは必要がなくなったようだ。ここに彼女の変化が見られる。
この作品のテレーズは描かれる事にも見られる事にも無関心だ。それは他の人物を描いた作品でも同じで それは氏がそう描いたのだが。この見る者に無反応 無関心な様子は見る者を楽にするが 画中の人物との交流は持てない。それは冷徹さでもあり その距離の置き方に見る者は引かれたりもする。しかしそれは全て氏の作為ではなく やはり描かれる人の気質の反映もあるはずだ。テレ−ズの魅力はその頑さであり 媚びる事のない根の強さと暗さにあるようだ。それはP112の「夢見るテレーズ」にも見られる。このように作品と描かれる者の関係は微妙であり モデルの気質は作品に反映し 深い陰影を与える。この作品も人物と椅子の造形と構成の厳格さが見所だが テレ−ズの気質と氏の制作意図が微妙に混じりあい 織りなされた若い娘の肖像画として見る事ができるだろう。
しかしこの作品には幾つか気になる点がある。高すぎる椅子の背もたれ テレーズの腰と足の付け根の関係 そして背後の白い布の掛けられたテーブル。そのテーブルの上には何も置かれていない。布だけが掛けられている。物を置かない事で見るものを無くし「奥を見ても何もないよ。人物を見て」ということか。ここには「夢見るテレーズ」とは逆に 人物以外に視線を誘導する場をもうけながら そこには何も描いていない。

第三章  P114

第三章  P114-[更新済み]
P114。「ピエール・マチスの肖像」 128.8×86.7㎝ P60号程度 キャンバスに油彩 1938
ピエール・マチスはニューヨークの画廊主で1938年に氏の個展を開催し 初めてアメリカに紹介した人物であり アンリ・マチスの息子でもある。片足を椅子に乗せその膝に腕をかけ もう一方の手はポケットに入れている。やや気取った感じもするが 欧米ではごく普通に取られる姿勢だろうか。やはりこの姿勢から彼の人柄が出ているはずだ。赤い靴下もそうで ここういう所に強い色を用いる彼の感性は彼自身を語っているのだろう。意気込みが感じられる目つきをしている。真直ぐなズボンのシワの処理も印象的だ。この頃の肖像画は皆このような的確な描画の処理がされている。また人物と椅子の足の下は狭く 画面からはみ出しそうだ。P111の「ミロと娘ドロレス」では二人は画面奥に引きこもっているかのように開けられているから まったく逆である。人物を見る者に近付けようとする工夫なのだろうか。

第三章 P115

115
P115。「断崖」  80×100㎝ F40号 厚紙に油彩 1938
この作品は未完であるが 本格的な風景画への取り組みが見られる。その後の氏の風景画の特徴がすでに表れており 右側の丘や山の形 そして山の連なり具合が氏らしい。またそれらの配置や構成にも独創的な均衡が計られているが その均衡は不均衡から生まれた均衡のように思える。つまり左右の均衡を計るには 左側の断崖に対して右側の樹木の生えた丘陵とその後ろに広がる丘陵によって均衡が保たれている。しかしここでは左側の断崖の上に遠くの山が似た形で重なっていて この重なりが不均衡に見える。しかしこのような形の重なりはこの地方ではよく見られるはずであるから この不均衡感は氏の独特な構成感覚だけでなく この地方の風景の特徴でもあるだろう。つまり氏の均衡感覚または構成感覚はこのような風景(自然)から学んだものとも言えるかもしれない。それはこの作品が本格的な風景画を描くための習作的な意味もあるからで この独創的で個人的な均衡感覚は後の作品ではより明確に表れるようなる。
近景は平らで広々としていて陽光と影で変化がつけられ 一本の樹木が立っている。この枯れたような立ち木は平らな近景と中景の断崖との距離を表す大切な役割を持っていて これがある事で中景は奥にさがって奥行が生じる。しかし断崖の岩肌の密度がやや大まかなので 距離感はそれほど感じられない。この作品ではまだ人などを描き入れていないので 役者のいない舞台のように見え少し寂しいが 本格的な風景画を生むために多くを学んでいるB氏がいる。

第三章 P116

116
P116。「ベルンの帽子」 91.7×72.7㎝ F30 キャンバスに油彩 1939
P103の「白いスカート」に次ぐアントワネット夫人の登場である。初めて見るとちょっとびっくりするくらい大胆な黄色の帽子である。黄色はやや濃いめで形は平たくて少し反っている。その上には赤と白と緑色の小さな花飾りが付いているが 小さいのであまり気にならない。しかし随分と派手な色の帽子である。若い頃の氏がこのような彩度と明度の高い色を使う事は珍しい。ベルンはスイスの古都で二人が結婚した街であり 転居先の一つでもあった。そしてベルンの伝統的なこの帽子を描いたのは この作品が初めてではなくP45の「ベルンの帽子がある静物」などがある。しかしそれにしても派手な色だ。お祭りでもあったのだろうか。それにしては派手な帽子をかぶった夫人の表情がさえない。眼は半開きで輝きがなく 口元にも表情がない。身体はやや後ろに傾き 両腕にも力なく 手や指にも表情はない。衣服は黄色を目立たせるためか正反対の黒色で 装飾もない。テーブルの上にも何も置かれていない。つまり帽子以外は全て簡素で無装飾になっている。全てがこの帽子の色を引き立てているようだ。
ひょっとしてこの絵は・・・。氏とアントワネット夫人の会話が聞こえてきそうだ。
アントワネット夫人「まったくもって迷惑よ こんな派手な帽子かぶらされちゃって」
氏は「いいじゃないか せっかく珍しいものが手に入ったんだし ちょっと動かないで。」
遊び心。遊びなのに当人達は遊んでいない。ように見える。それは当人達が楽しんでしまっては 絵を見る人が楽しめないからだろう。こんな寛いだ可笑しみを隠した作品があっても良いではないかな。
晩年になって世間に様々な形で その姿を見せた氏は威厳ある人物としての印象を定着させた。しかし 機知に富み 可笑しみを理解し 自ら道化てみせる柔軟さも持ち合わせていた人物でもあった。日本映画の「座頭市」のファンで俳優の勝 新太郎との交友もあったが 家族の前で座頭市の真似をして見せて 大いに笑わせたとの話もある。

第三章 P117

117
P117。「背にする裸婦」 105×80㎝ F40号 キャンバスに油彩 1939
この作品は寝台に背を預けて 首を極端に曲げた裸婦を描いている。首以外はしどけない姿勢である。B氏はこのような何気ないがどこか不自然な姿勢を時々描くが この作品はその最初の例である。

第三章 P118-P120

118-120
P118。「テレーズの肖像のための習作」 55×46㎝ F10号 キャンバスに油彩 1939
P113の「テレーズ」の他にもう2点ほどテレーズの肖像画を描いているが この作品はそのための習作とされている。しかし他の2点のためと言うより 単に他よりも軽く描いただけの違いである。一般的には本制作を描くにあたってその準備のために描いたものを習作とするのが B氏の場合は曖昧で軽く描いたものも本制作とする事がある。それは習作のつもりで描いても表したいものが成立すれば 本制作と同じとする考えがあるからだろう。この作品は習作とされているが そういった意味では荒い筆致ながら本制作並みだ。めずらしくこちらに向けられ眼には戸惑いと心細さがあり そのために少し困ったような表情にも見える。また彼女の特徴のひとつである頑なさは眉と口元に表れている。

P119。「テレーズの肖像」 60×54㎝ F12号程度 油彩 1939
椅子に座って両手を前にして片方の手首を掴み その指は一本だけ真直ぐに伸びている。顔はちょっと振り返った感じに横に向けられ 眼はやや上を見ている。何かに気を取られたようにも見える。ぴったりと撫で付けられた髪の毛はとても細く いつも耳にかけられている。何気ない様子にも見えるが 表情がない。彼女の心の底には 波立つものはないにしろ 穏やかなものに満たされているとも思えない。

P120。「テレ−ズの肖像」 F10号 1939
これも何気ない姿を描いている。いつものように細い髪は撫で付けられ 耳にかけている。頭をわずかにひねって 上を見ている。何かの様子を伺っているようだ。その表情には密やかな静けさが寂しさとなって留まっているようだ。

B氏はこのような何気ない姿の微妙な表情を見逃さずに描くが それは心の底を描き出す事にもなっている。またこのような何気ない姿を描く一方でP117の「背にする裸婦」のような無理を加えて変形させた姿勢も描いている。この両極こそB氏の持つ幅なのである。作意と偶然。自然と変形。純朴と悪意。美と醜。

第三章 P121-P122

121-122
P121。「長椅子の上のテレ−ズ」 71×91.5㎝ F30号 キャンバスに油彩 1939
B氏は良く「ポーズの画家」と呼ばれるが 身体の作り出す形態に関するこだわりは強く 様々な姿態を求めたが その結果幾つかの定番に落ち着く。P112 の「夢見るテレ−ズ」の姿勢は一つの完璧さを持ち 片膝を立てるポーズはB氏の一つの定番である。この「夢見るテレーズ」と同じ長椅子の上でポーズを取るテレーズにも 人体の作り出す姿勢の可能性を求めているようだ。絵画にとって人物がどのような姿勢や身振りを見せるかは重要な問題であり これまでも様々なポーズが描かれてきた。動勢感の強いポーズ 寡黙なポーズ 官能的なポーズ 歪んだポーズ 自然なポーズ 非自然なポーズなど。しかし具象表現(デフォルメ表現)の台頭に伴って人体が作り出す姿勢への追求は現実の人体から離れていく。この作品でB氏が成立させたこの姿勢は現実の人体が作りだせる姿勢であり その均衡と構成は見応えがある。片手を高く上げて糸のようなものを垂らし もう片方の腕を床につけてその上体を支えている。頭は下がりぎみで物憂げに下がっている糸を見ているが 片膝を立てているのでスカートはずれて両足の付け根まで露になっている。まるで長椅子の上で舞っているようだ。しかし言い付けられた姿勢を取りながら 退屈を紛らわしているようでもある。この姿勢は確かに構成的で均衡を持っているから 人体が作り出す美の一つだろう。しかしこれは構成のために作られた姿勢である。身体の使い方が大きいわりに衣服は日常のものだから動きに合わせて肌は露出し そこに官能性が生まれる。ここには人体による構成の追求に衣服の乱れから生じる官能性が味付けされている。描き方としては形のまとめ方が的確で 写実表現を適度に要約しているおかげで見やすく 身体のシワなどが作る抽象性の取り入れ方も上手い。
しかしこれ以後はこのような現実的で完全な均衡を持つ姿勢は描かれなくなる。そのかわりに非自然的な変形が加えられた人体を描くようになっていく。それは現実の制約内で作りえる姿勢に物足りなくなったからかも知れない。

P122。「ある室内の3人の人物」 F15号程度 1939
この作品は小さく本制作のための試し描きのようだが習作とはされていない。
室内には3人の人物が描かれていて 1人は窓辺に立つ男性 もう1人は左端の椅子に座っている描きかけの人物 そして中央下の「長椅子の上のテレーズ」と同じ姿勢の人物。つまりこの作品は「長椅子の上のテレーズ」を室内画に使うための創案である。「長椅子の上のテレーズ」のポーズを室内画に生かそうと考えたのだろう。しかし室内画はそれぞれが組み合わさる事で一つの世界を作りだすが 「長椅子の上のテレーズ」の姿勢はそれ自体で完結していて 他との関係を持ちえなかった。それゆえにこの創案は本制作に至らなかったと考えられる。

第三章  P123

123

「天と地の狭間にあるもの」

P123。「ラルシャン」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1939
これはB氏の風景画の中で最初に大きな成果を示す作品である。B氏の風景画はP102の「山 (夏)」から P115の「断崖」をへて P134の「牛のいる風景」そして P135の「シャンプロヴァンの風景」へと至るのだが その流れの中で「シャンプロヴァンの風景」より先に一つの頂点に至る作品が この「ラルシャン」である。ここには大地と空の広大さある。それは見る者に果てしない無限を思い起こさせるが それと同時にそこには有限としての世界が描かれているように思える。
この水平線は空間という壮大な広がりを真横に切って天と地に分けたように描かれている。その思いきった行為こそが力であり そこには確かにB氏の意志というものがある。しかしそれはあくまでも静かで息を潜め 天と地の間にあって全ての出来事と物音を吸い取るほどに沈黙している。きっとあの教会の塔のみが何かを告発しているにちがいない。
この作品は青年期に描かれた 7点目の風景画であるが あまりに突出している。自然界を描いて一つの頂点を示したP135の「シャンプロヴァンの風景」に至るまでの過程では 曲線の構成と自然界に何を見出せるかに苦慮した感があるが ここでは曲線ではなく今まで使い慣れた直線による構成を用いて成功したと考えられるが もっと他に何かがあったのではないだろうか。
1939年と言えば 9月1日にヒトラー率いるドイツ軍が それまでの侵略的な政策をさらに押し進めて ポーランドに進撃した年であり その 2日後にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まっている。第一次世界大戦の傷が癒えきれぬ前にまたも戦争が起こり 前回にも増して巨大な破壊力を持った兵器を使っての戦争である。もちろんポーランド出身の家系と両親を持つB氏にとって対岸の火ではありえない。その苦悩と不安こそ この絵に反映しているのでないだろうか。B氏は自らの作品に個人的なものを直接的に描く事はしない。表現を個人性から切り離して捉えて 個人を超えた本質の提示であると考えてる。そのようなB氏がこのような世界を巻き込む巨大な濁流に対して答えたのが この絵ではないか。ここでの無限と有限とは それでも時間と空間という希望は存在し 有限とは限界でもあるが 繰り返される悲惨に対する諦観であろうか。
ちなみに中央の教会はノートルダム寺院と同じ時期に建てられたセント・マーチン教会で 16世紀末まで悪魔に取り付かれた人や精神病者が奇跡的に治る巡礼地として多くの人々が訪れた。宗教戦争の時にプロテスタントの信者によって焼かれ 長い間 崩壊した状態のまま残されていた。

第三章 P124

124
第二次世界大戦中と戦後の時代。 1940-1953 32才-45才 P124−P221 97点+125点 計222点1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まる。B氏は兵役で負傷した後にパリに戻る。その後シャンプロヴァンの館へ家族とともに疎開するが 2年後にはここも離れ各地に転居。この時期は戦争からの疎開で不安定な時期であったが 何枚もの大作を描き これらも代表作となっている。街の中の情景と室内画 そして野外風景などやトランプをする人々や身支度をする若い女性などを描いている。徐々に写実表現描法から具象表現描法へと変化を見せていく。
主な作品「シャンプロヴァンの風景」「ゴッテロン渓谷」「美しき日々」「「地中海の猫」「コメルス・サン・タンドレ小路」「部屋」など。

P124。「自画像」 44×32㎝ P8号 キャンバスに油彩 1940自画像はこれが二枚目で 32才当時の姿が描かれている。前作のP84「猫達の王」が1935年の制作であるから 27才で その5年後である。ここには「猫達の王」のような機知に富んだ演出はなく 演出無しのありのままの姿を描いている。非常に落ち着いた自画像で生々しい自我やむき出しの虚栄心を見せられる事はなく 他の肖像画のように冷静に観察された人物画になっている。描く相手が他者ならその内実を汲み取るべく努力と工夫をして距離を縮めようとするが 相手が自分となると分かり過ぎて汲み取り加減が難しくなる。つまり自分との距離の取り方で ここではその距離が適度に取られているから 安心して見れる。ここには意志が描かれている。眉間の縦ジワは厳格さを表し 眼光は影になっていてその鋭さを軽減している。口元は一文字に結ばれ やはり厳格を表している。手には絵筆と絵具を拭き取る雑布が握られているから 描かれた人物が画家である事を明らかにしている。「私は画家である。」という意志。そのためのみに描かれた自画像だろう。それ以外は排除されている。それがこの作品の率直さであり 潔さである。描き方は筆跡を残しつつ 細部を省略した写実表現描法である。顔や手はかなり再現性を持って描き込まれているが 上着は塗り残しがあるほど大まかで完全には描き込まれていない。この省略された再現性はやはり新古典主義などの19世紀美術以後の印象派と共に生まれた表現方法である。また肌色の一部に緑色が用いられているが これは肌色の下地と影の色とされるもので 19世紀美術以前の技法でもある。
この自画像が描かれた当時は第二次世界大戦の始まりの頃で兵役で負傷した後 地方に疎開している。西欧諸国を巻き込む大戦と美術界の前衛的な改革運動(ダダイズム シュールリアリスムなど)とも距離を取って 伝統的な美意識と価値観を引き継ぎ 独自の道を選んで活動を始めて6、7年が立った頃である。最初の個展が開かれたのが1934年で26才 この自画像は1940年32才。この6年間で画家としての実績は残しているが 戦争による混乱や見えない社会の動向に対して 大きな不安を抱かざるをえなかったと思われる。そんな当時をこの自画像の背景とすると この率直な意志の在り方は さらに厚味を持って迫ってくる。

第三章 P125

125
P125。「食いしん坊な子供」 92×73㎝ F30号 キャンバスに油彩 1940
この作品と次のP126の「おやつ」はB氏の作品の中でも少し傾向の違う作品である。それは静物画でありながら室内画で人物が登場している。この「食いしん坊の子供」には 銀の器に盛られた果実 ワインの入ったグラスとガラス瓶 これらは背後の装飾された額または胴縁 そして暖炉とその装飾 そして暖炉の上の果物に手を伸ばした幼子が描かれている。これらの物達は静物画とするなら構成が曖昧に見えるが あくまでも果物に手を伸ばす幼子が主であるなら それ以外の物は人の集まりの後にごく自然にそこに置かれたように見える。幼子の行いはいたずらにもならない無邪気な行いで微笑ましい。こういった無邪気な行いを描くB氏の視点が面白い。
色彩も白と暖色を使っているので明るく 黒っぽい焦茶が画面を引き締め 乾筆(ドライブラシ)の重ね塗りが重厚さを与えている。無邪気な行いを描いた割に重厚な画面作りになっているが 物の構成が厳密でないから堅苦しくない。この作品の構成の曖昧さは少し気になるが それは今後このような自然とも不自然とも言えるような構成の均衡が目立ってくるからである。

第三章 P126

126
P126。「おやつ」 73×92㎝ F30号 木版に貼られた厚紙に油彩 1940
先の「食いしん坊の子供」に通じるような題名が付いているこの作品も 静物画のように見えてそうではない。右端の人物が居なくても静物画として成立しそうなのだが 人物が描き込まれている。暗めの茶色と白い布が掛けられた食卓には「食いしん坊の子供」にも描かれた銀の器で枝葉のついたリンゴが盛られている。さらにワインの入ったグラス そしてナイフの入れられたパンが置かれ 背後には「白いスカート」にも描かれたような緞帳が下がり 壁は縦線模様が描かれている。これだけでも充分に見ごたえがあると思えるが その静物の世界に介入するかのように 髪を撫でつけた腕の短い年令不詳の女性が描かれている。それも横顔である。真顔で何かを見ているようだが その焦点は静物のどれにも合っていない。つまり題名から連想するようにこの作品は食いしん坊の若い娘を描いたのか それとも静物画へ人物を介入させた新たな試みなのだろうか。絵画では静物画と人物画は分けられている。人物画に静物は描かれるが 静物画に人物を描く事は少ない。また人物は常に絵画の主役として扱われ 主役は常に画面中央に配置される。これが伝統的で基本的な方法だろう。しかしこの絵はそうした伝統的で基本的な方法を超えて 静物を画面中央に置いて主役としながら 人物も描き入れる事で 主役と脇役の関係を崩し その曖昧な関係の中で見る者の視線は彷徨い 具体的な内容を求めようとしても そこには状況だけしかなく答えはない。しかし見応えはあるからいつの間にか 主題の曖昧さは謎めいたものへと変わる。これがこの絵の面白さではないだろうか。
そして人物の形の奇妙さも気になる。額は狭く顎は大きい それに腕は短く 手は小さい。額を広く顎を小さくすればもっと若く見えるはずだが。腕が短く見えるのは遠近法を曖昧にしているからである。また構図的にこの女性は 食卓と壁の緞帳をつなぐ役目も果たしていて それが画面の構図に楕円のつながりを作り出しているように見える。またそれぞれの物は大小の塊として律動(リズム)を起こしているようだ。

第三章 P127-P129

127-129
P127。「風景」 80×100㎝ F40号 厚紙に油彩 (1940)
この風景画も少し変わっている。特別なものはないようだが たぶんそれは構成から受ける印象だろう。
手前には斜線と直線の組み合わせで出来ている建物と橋があり 橋の下には水面が広がり細長い長方形が不規則に並んでいる。ここは伐採した樹木を湖に浮かべ加工する貯木場なのだろうか。橋をはさんだ両脇の建物群 右側の建物はこじんまりとした積み木のようで 左の建物大きく梁が重なったスイスの伝統的な建物に見える。そしてその背景には右側に鬱蒼と樹木が生い茂る山 中央から左には雄大な山々がお椀を伏せたように連なっている。建物の構成と山々の重なりは直線と曲線で 人工物と自然物の特徴の対比である。建物も山々もそれぞれに均衡が計られているのだが 妙な感じを受ける。建物は構成的すぎて現実感がないし 背後の山々は遠近法としては奥に行くほど面積を小さくまたは狭くする粗密の遠近の方が自然なのだが そうではなく奥にある山ほ広い面積を与えている。ここでの遠近法とは有角透視図法の事であるが B氏の場合は平行透視図法の方を好んで使う傾向がある。しかし肝心なのは そのような絵画の基本についてではなく この山々の持つ雄大さが表現されているかどうかだとすれば。ここにある山々は充分に雄大である。それもありきたりな現実感を超えるほど雄大である。つまりこの風景画の妙さは現実感のなさと誇張された現実感が同居しているからなのだろう。

P129。「花の束」 73×92㎝ F30号 厚紙に油彩 1941
先の風景とほぼ同じ大きさのこの作品は花器に入れられた花を描いている。様々なチューリップやボタンのような大柄の花片を持つ花 それから小さな菊類などがたっぷりと左右に広がっている。B氏が描いた花は他に9点あるが この絵は2点目の作品である。一点目は1926-30年だから11年も前で かなり久しぶりの花の絵という事になる。次に花を描くのは1955年でP247とP248の「朝顔 1、2」であるから14年後である。随分と間隔があいている。
この作品の描き方は再現性を重視し 花器に入れるという伝統的な扱い方をしている。このような描き方はこの作品と前作 そしてあと3点あるが 他は花束であったり習作的で具象表現描法で描かれている。写実表現的に描かれた花の絵では この作品が一番良いようだ。

第三章 P128

128

「ささやかで豊かな収穫」

P128。「サクランボの木」 92×72.9㎝ F30号 木版に油彩 1940
これもサヴォワ地方のシャンプロヴァンに疎開していた頃に描かれた作品であり 木製の板に油彩で描く方法は時々使われている。傾斜地に果実のなる木が何本も植えられていて その中に大きなサクランボの木があるのだが その木にかけられた梯子を登って女の子が赤い実を摘んでいる。彼女は籠を持っていないから摘み取ったサクランボをその場で食べているのだろうか。沢山は食べれないから 幾つかを味わうために梯子を昇ったのだろう。梯子は重いから彼女がかけたのではなく はずし忘れていたのかも知れない。その行いは無邪気で 陽の傾く午後のささやかな恵みを享受する情景である。赤と黄色の小さな果実はつややかに輝き 甘酸っぱさが口に広がるだろう。彼女のしなやかに伸びた後姿はサクランボに良く似合い その爽やかな味わいを表しているようだ。そしてその娘の奥には濃密な傾斜地と樹木が描かれ さらにその奥には丘陵と山が他を圧するように盛り上がっている。その迫力はサクランボを摘む娘の住むこの地の自然の雄大さを表している。陽が傾く中で雄大な丘陵や山を背景に娘は果実を摘み 味わう。よく見ると果実を摘む娘よりもその背景の方が濃密に描かれているから その無邪気な収穫は 恐ろしいような迫力を持つ自然の中で行なわれている事になる。
B氏は「この頃は戦争の恐ろしさを忘れるために制作に集中しました。」と述懐している。サクランボを摘む娘の背景には迫力ある勇壮な自然があり その山の向うには破壊と混乱の第二次世界大戦がある。この事を考えるとこの娘の無邪気さはとても貴いものに感じられる。

第三章 P130

130

「現実の中の幻想」

P130。「白い馬にのる曲芸師」 80×90㎝ F30号程度 厚紙に油彩 1941(1946)
夜半に幼さの残る若い娘が白い馬に乗っている。彼女は頭に小さな冠をつけ 薄い布地を背負い 薄く短いスカートを腰に付けている。馬には横に乗り 細い手綱を軽く持っている。白い馬は雄馬で鬣と尾は短く刈られている。彼女の衣装と鞍なしの馬に乗る姿からしてサーカスの曲芸師であるが 幼さの残る娘の曲芸師は何やら儚く 甘い匂いを思い起こさせる。P128の「サクランボの木」にもあった叙情性がここにもあるが もっと夢幻的である。サーカスはその華やかさやうら寂しさによって せつないような独特な情緒感を持っている。それはお祭りのにぎわいと様々な曲芸は 日頃の生活感を忘れさせる夢幻の世界の提供者であるが その甘い夢幻性は一夜の事で 興行期間が終ると何処かへ消え去っていってしまう儚いものであり 安上がりの拙い化粧とくたびれた衣装 雑多で派手な色彩の小道具類は日中に見るものではないだろう。そして夢幻の提供者には実体はなく あの通俗的なラッパの奏でるジンタの曲とともに甘酸っぱい思い出の中にこそ生きている。そのようなサーカスを象徴するのは最も難しい曲芸をやり遂げる花形よりも やはり幼い娘達の軽業師ではないだろうか。幼さの残る娘達は華やかさと夢幻性と儚さ そのものであり そしてどこの誰とも分からない者なのである。この絵にはそのような何者か分からない夢幻の曲芸師が描かれている。しかしその姿が描かれている場所は 照明が照らす華やかな舞台上ではなく 夜半の廃虚にも見える街はずれである。このような場で目撃されたこの人は拙い化粧とくたびれた衣装をまとう曲芸師の実体なのだろうか。それとも現実世界に舞い降りた夢幻者ならぬ天の子の降臨なのだろうか。
「サクランボの木」のように当時の時代背景を考慮に入れれば この白い馬に乗って現れた曲芸師は甘くせつない夢幻性を漂わせているが それは戦争によって破壊された暗鬱な街に白く輝く遠い思い出のようだ。

第三章 P136

133-136
P133。「緑と赤いセーターの若い娘」32.5×27.9cm F4号程度 紙にパステル 1942
この女性像はパステルで描かれている。B氏が油彩以外の画材で描くことは珍しい。初期の頃のP1とP39の「三人の農民」もパステルを使っているが それ以外で現在見る事のできるのはこと一点のみである。描かれているのはアントワネット婦人で表情はなく 無愛想にも見える。またこちらを見ているようだが焦点は曖昧である。くすんだ赤と暗い緑のセーターは古風で 前襟には小さな白っぽい装身具が付いている。この古風な衣装姿の婦人はP152の「緑と赤の若い娘(燭台)」で油彩を使って もう一度描かれている。
パステルの柔なかな質感は油彩とはまったく異なる独特な風合いで眼に優しい。扱いは木炭に似て脆く繊細であるが 面塗りや画面の上での混色ができ 鉛筆のようにはいかない柔らかな線が引ける。ここではB氏は面塗りと画面の上での混色を使い 要所を線で引き締める典型的な用い方をしている。

P136。「ロード・デルワット公の肖像」41×33cm F6号 キャンバスに油彩 1942
この肖像画に描かれた人物とB氏はベルンで知り合っている。ロード氏の顔は明かりに照らされた部分以外は濃い影になっている。まるで闇に閉ざされた大理石製の彫像のように黙している。眉間の険しさは全身にまで及んでいる緊張感を連想させ 瞳の光さえ隠す影は沈黙の証だろうか。

第三章 P134

134
P134。「牛のいる風景」 72×100㎝ P100号 キャンバスに油彩 1941-42
この「牛のいる風景」は P115の「断崖」に次ぐ風景画で P136の「シャンプロヴァンの風景」に至るまでの中継ぎ的な作品である。「断崖」は初期の期間と「山 (夏)」を除けば 初めての本格的な風景がであり その後 P123「ラルシャン」と P127の「風景」を描くが「ラルシャン」は直線的な構成で出来ており 雄大な山々の連なりの曲線はなかった。P127の「風景」は山々の重なりが描かれているから もう一つの中継ぎ的な作品とも言える。つまりこれらは自然物に満ちた屋外風景を描くにあたって 自然物の持つ曲線をどう取り入れ構成するかの試みが行なわれていたと思われるのである。P115→ P134→ P135と順を追って見比べると その進展の様子がはっきりと見て取れる。「断崖」での右奥の山々の重なりから「牛のいる風景の」右側の山と崖 そして家々 この違いが進展である。「牛のいる風景」の方がより複雑に構成され 自然界が見せる造形の妙を成立させる事に成功している。さらに牛を引く人とその荷である切られた木を描く事で この地方の人々の生活まで描いているのである。雄大な自然とそこで生きる人々の生活と言えばありきたりのようだが B氏の取り入れる自然界の造形の妙は 単なる一地方の特徴を描くに終るのではなく もっと神秘的で畏怖すべきものとして その巨大な存在物を見せているのである。そしてそれはさらにP135の「シャンプロヴァンの風景」に引き継がれ より高い高みへと至る事になる。

第三章 P135

135

「黄昏の中に永遠が見える」

P135。「シャンプロヴァンの風景」 96×130㎝ F60号 キャンバスに油彩 1941-1943(1945)
この風景画は「断崖」と「牛のいる風景」から進展して至った高みであり 「ラルシャン」と双壁となる氏のもう一つの到達点を見せる作品である。
この濃密な大気に満ちた風景は午後遅くで 黄昏れ始めている。そしてこの豊穣な大地の彼方には 永遠が見える。この濃密な世界は生の輝きと黄昏れの香りに満たされ 黄金色に輝く大気の向うに累積された時間の量が見える。この量が永遠性であり これは「過ぎ去っていく永遠」*とも言えるし 「永遠の黄昏」とも呼ばれている。晴れ渡った日の午後 日が傾いていく時 陽光は大地を染め 時間を止め それまでに過ぎ去った時間を蘇らせるのだろう。 
ここに描かれた大地は様々な曲線が組み合わされていて その曲線は面になり その面は3次曲面となって地を覆い その覆われた大地には大小の塊 うねり くぼみ 盛り上がり なだらかを作り出している。中央の小高い丘陵はなめらかな練り物かビロードのようだし 幾何学形の畑には立方体の小さな家が建ち 生い茂り重なる樹木は鬱蒼としている。手前の傾斜地は「牛のいる風景」のように広がり 牛を引く人の代わりに若い女性が一人身体を横たえて この風景を眺めている。そして彼女の足元の奥には「断崖」にもあった枯れ枝を持つ樹木も立っているし 左側の大きな窪地は底無しのように深く見える。右上奥の雲のような山は不穏なほど盛り上がっているが 遠くの山々は涼やかに広がりながら 紫色に染まり始めている。この風景は複雑な構成と重厚な色彩ゆえか 現実を濃密に圧縮し または熟成したかのようだ。私たちも永遠を垣間見せる黄昏を見た経験はあるだろう。しかしこのように濃密で熟成した黄昏を見る事ができるのは やはり氏のこの作品ならではだろう。画中の女性はこの風景の唯一の目撃者であり 全てを一人占めしている。何と贅沢なのだろう。もし我々がこの絵の中に入って 彼女のようにこの風景を見る事が出来たら どのような感慨を味わえるのだろう。

* ジャン・ジュネがジャコメッティの彫像に対して言った言葉。
*「地中海の上には巨大な疑問符が浮かんでいる。」アルチュール・ランボー

第三章 P131-P132

131-132
この「客間」は習作が2点と本制作が2点が描かれている。それぞれ僅かずつ異なっていて P131の最初の習作では左端に女性が立っているが P138の「客間 2」では白猫に変わっている。また長椅子の若い娘と床の上の娘の姿勢も少しずつ違うし 静物や背景もそれに合わせて変えられている。4枚目の P138 の「客間 2」が最終案になるのだが それまでの変更点を見ていくと画面構成に苦慮した事が分かり 最終案に至るまでの過程は大変興味深い。この4点の主役ははっきりしていて長椅子の若い娘と床の上の娘 この二人を中心にした室内風景なのだが 床に肘をついて本を読む娘は P100 の「子供達」だし その原形は「嵐が丘」の挿し絵である。この点ではこの「客間」は「子供達」の発展形とも言える。そしてもう一人の長椅子の上で眠る娘は この後に何点も描かれB氏にとって重要な画題の一つとなるが この作品が最初の登場である。しかし厳密には P102の「山(夏)」に横たわる人が描かれているし 1923年に描かれた P4 の「若い人の上半身」も寝入っている姿と言える。しかし本格的な登場はやはりこの「客間」からだろう。つまりこの作品はこの二人の娘の独特な姿態を中心にした画面構成と室内風景としての情感を出す事を目的としているが やや画面構成の方に力が入っていると思われる。

P131。「客間のための習作」 65×81㎝ F25号程度 キャンバスに油彩 1941
これが最初の構想画であるが 左端の立っている女性以外の全体像は決定していて その後も変わっていない事が分かる。室内には三人の人物がいて 一人は眠り込み もう一人は床の本を読んでいる。その部屋を訪れた一人の女。

P132。「客間のための習作」 49.5×59.7㎝ F12号 木版に油彩 1941
この二枚目の習作では左端の女性は除かれて その代わりにテーブルの上に布が掛けられ 以前にも描かれた銀製の器が果物入りで描かれている。この段階で画面構成はかなり整ったように見える。眠る娘とその左手は長椅子の背もたれに完全に乗せられ 右側への流れを作りながら 赤い果実からピアノの曲線へと繋がっている。そしてピアノから床の娘の足にさらに繋がり 腰から背 腕から影を通って 眠る娘のくの字に曲げられた足と繋がり 顔へと戻る。その大きく複雑な円周の中に真横から見たテーブルがある。

第三章 P137-P138

137-138
P137。「客間 1」 114×147㎝ F80号程度 キャンバスに油彩 1941-1943
二枚目の習作をほぼそのまま本制作にしているが 床の娘の腕の位置が変えられ 顔も少し見えるようになっている。この変更は左上の眠る娘への繋がりを 一旦断って変化をつけたように見える。

P138。「客間 2」114.8×146.9㎝ F80号程度 キャンバスに油彩 1942
この最終案の本制作では眠る娘の足下に白い猫が描き加えられている。これは先の「客間 1」では空いた間を埋めるためと思われる。この猫によって左下の空きは確かに埋まっているが それだけではなく。二枚目の習作の均衡は眠る娘 銀の器と果実 ピアノ 床の娘によって保たれていたが ここでは銀の器と果実はなくなり 寝入る娘の顔が上向きに 床の娘の曖昧に後ろに引かれた腕はもう一度肘を床につけている。そして最も大きな変更は白い猫が加えられた事で これによって今までの構図上の楕円の繋がりの中に新たに強調点(アクセント)が作られた事になっている。またこの神妙な猫は それまでの構成重視の室内に生き物の持つ活気を強める役割も果たしている。しかしこの白猫は眼を閉じて下を向いているが 二人の娘よりも強い存在感を持ち まるで静かな人格者のようだ。
またこの「客間」にも同居の無関係が用いられているが 全体としてはその無関係性は弱まって見える。それは構成の巧みさによる関連性が成立しているからである。つまり娘達と猫は同居の無関係なのだが 構成としての関係性を持っている事になる。この背反する二重の仕掛けがこの絵の魅力であり そして勿論 二人の娘の姿勢と猫の様子も見飽きる事がない。

第三章 P139

139
P139。「エル・デ・セアッシュ氏と子供達」 105×108㎝ S45号程度 キャンバスに油彩 1943(1945)
久しぶりの親子の肖像画である。父親と双児のような二人の幼い娘 それと一匹の耳の垂れた小型犬。犬といえば P88 の「ポントワ−ズの郡長」を思い出す。あのいじけた表情。ここに描かれた家族の愛犬には そのような屈折は見られないが 少しおとなしく暗い。誠実そうな父親は右肘を上げてわずかに姿勢を作ってこちらをしっかりと見ている。大胆なのは娘の一人で父親の肩に手をかけ 小首を傾けてこちらに振り向いている。そして父親のもう一方の腕は机越しに彼女の腰に添えられている。親子の親密さか それともおませな恋人気取りか。もう一人の娘も面白い。すくっと立って片手は帽子のようなものを持って胸にあて もう一本の短い腕は細長い杖を持っている。まるで虚飾のない王妃のようだ。二人の娘はそれぞれに違うおしゃまさを見せている。

第三章 P140

140
P140。「一人占い」 161.3×165.1㎝ S100号程度 キャンバスにに油彩 1943(1946、1948)
この作品がトランプを扱った最初の作品である。トランプ遊びをする人はB氏の重要な主題の一つで 一人でトランプ遊びをしている作品が習作も入れて4点 二人でトランプをしている作品は習作も含めて 5点 合計9点ある。フランス語の原題は La Patience パスィヤース 英語ではペイシェンス 米語ではソリティアでトランプによる一人遊びを意味するが トランプ占いの意味もある。ここでは日本語訳に基づいて一人占いとして解釈してみる。
一人の若い女性が光のさし込む方向とは逆の方を向いてテーブルに肘をつき 覆いかぶさるように上から覗き込んでいる。また片方の膝を背もたれのない椅子に乗せ もう片足は少し後ろに真直ぐに伸ばしているその片足は斜めに敷かれた絨毯の上にあるが その影は家具の足とともに長過ぎるほど伸びている。テーブルに肘を付けた方の手にはトランプが一枚握られ 影に埋もれた顔は何やら思案深げで めくったトランプから何かを読み取ろうとしているようだ。テーブルの上にはトランプが整然と並べられ 火の付いていないロウソクと燭台 そして螺線模様の小振りな器が一個置いてある。また左側には椅子が置かれ 蓋の開いた藤製の小箱とクッションが無造作に乗せてある。その下には屑篭があり2冊の本が乗せられ口を塞いでいる。テーブルと椅子の左後ろには緞帳が掛けられているが めくられていて縦縞模様の壁が露になっている。
この作品では以前に見られたような無装飾で安価な家具や壁の室内ではなく ロココ様式的な家具と装飾された壁が描かれている。この傾向は1940年の疎開やその後の転居がもたらした一つの変化である。これらの過装飾ぎみの家具や壁等は作品に古風で時代がかった充実感を与えている。またB氏自身がデザインしたと思われる模様も幾つか見られ それも画面の充実感に役立ちながら時代性を曖昧にしている。それは独創的な柄で 色彩もかなり独特な配色になっている。それらは椅子に乗せられたクッションと藤製の小箱の蓋などで その中で最も印象的なものは椅子用のクッションの模様と配色だろう。
この作品にとって重要なのはトランプ占いをする人とその室内の様子 そして光と影だろう。トランプ遊びまたは占いをする人を描く意図は やはり何かを行なっている人に関心を持っているからで P67の「剣玉遊びをする L・ベッツィ」ではベッツィ夫人は剣玉に熱中している。初期の頃の庭園を描いた作品では子供達は皆何かに熱中していた。剣玉では動きがあり過ぎる。もっと優雅で静かで大袈裟でない遊びは?。様々な遊技の中で精神と関わるものとは。それによって何かが心に起こり 沈黙の中で蓄積されていくようなもの。トランプ そして一人占い。これはとても私的で 何かに頼る心もとなさを埋める行為ではないだろうか。遊技にしては重すぎ 好奇心から我忘に落ち入る事もあるだろう。このような秘められる個人的な世界にB氏が関心を持つのは他の画題の 性の露呈や身支度 眠りなども同じだからであり 見る者もそこに強く引きつけられる。ここでは人物の向きを光の方向と逆にして 人物を影の中に置いているが これは秘められる個人的な世界を表現する巧みな演出である。また時代がかった装飾を持つ家具や時代を特定できない模様や柄もその影の中に押し込められて その秘められた世界の複雑な豊かさを強調している。

第三章 P141

141
P141。「眠り込んだ若い女」 82×100㎝ F40号 木版に油彩 1943
寝台の上で枕を上半身に敷いて眠り込んだ女性は やや胸元が開いているが腰には毛布をかけている。「客間」にも描かれた眠る人をここでは単一で描いている。そのしどけない寝姿は無防備だ。光は胸元を照らし 顔には影を作っている。くすんだ朱色の上着の衿が少しめくれていて その下の白い肌着はゆるい。この顔よりも開けられた胸元を明るく照らす光とゆるい肌着は官能的だ。しかし影になった顔はやや寝苦しそうである。寝乱れてはだけた胸元は官能的だが 本人は夢の中で嘖まれているのかも知れない。外見の官能性と眠りの中の夢は別で ここにはそれらが共存している。

第三章 P142-P143

142-143
P142。「ゴッテロン峡谷」 70×62㎝ F20号程度 木版に油彩 1943
この作品はこの後に描かれる P143 の「ゴッテロン峡谷」の部分である。峡谷の切り立った岩肌と大きな岩がゴロゴロとある中にーを細い道が通っていて そこを独りの男が歩いている。樹木も土の少ない岩地にしがみつくようにして立っている。人物の大きさと峡谷をくらべると人はあまりに小さく 峡谷は巨大に見える。自然の作り出した巨大な峡谷は人を圧倒し 頼りない存在に思わせるが そこを通っている人物は臆しているようには見えない。いかに人を圧倒しようとも峡谷は黙してただあり続ける。寡黙で偉大な存在。またこの作品は現実に存在する抽象世界を描き出しているようにも見える。

「自然の持つ自我」

P143。「ゴッテロン峡谷」 115×99.5㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 1943 (1945)
ここには先の「ゴッテロン峡谷」の全体像が描かれている。全体に暗い色調で盛り上がつた山の側壁は削り取られたように岩肌がむき出しになっており その手前と奥に樹木が生えている。岩肌の下には大岩が転がり その間を水が流れ浅い河になっている。側壁には起伏した道が通っていて 男が一人で荷を運んでいる。道はまるで峡谷に刻まれた細い傷痕のようだ。岩肌の最上部は白っぽい土があるが そのすぐ下には硬そうな巨石の層が2枚見える。その下は川まで崩れた土と岩で急な斜面になっていて 杉類以外の樹木はすっかり葉を落とし 空は嵐の前のように暗く 峡谷の土と同じ色で同化して見える。
この暗い峡谷のむき出しの岩肌は 自然の隠し持っている頑迷な自我そのもののようだ。自然は途方もなく豊かで 様々な動植物の生命を育むが 時に気紛れでその生命の存続自体をも翻弄もする。
つまり自然は生命を育むが死ももたらす。そしてその事に他からの操作をいっさい受け付けない。これは頑迷な独歩とも言え そこに自然の持つ自我が伺える。この絵はまさに自然の持つ自我を描いたのではないだろうか。

第三章 P144-P148

144-148
P144。「マトシアン夫人の肖像」 91.5×72.4㎝ F30号 キャンバスに油彩 1943
この茶色を基調とした肖像画は人物と余白の関係に構成的な均衡が取られている。見所は女性の胸元の衿から腰にかけての衣服の描き方で 実に巧みに整理されており抽象性さえある。また人物をより印象的に見せているのが光と影の設定で 左側からの光は 右側の顔と首から胸を影にしている。常識的には右から身体の正面を照らすだろうが ここでは左右を逆にしている。姿勢は自然で両腕をテーブルに乗せているが(このテーブルの形はちょっと凝っている) 本を読むのをやめて顔を起こしたようだ。そのこちらに向けられた表情は堅く 眼差しは真直ぐである。彼女も気丈に時代を生きる一人であり その真摯な眼差しは自らの意志をしっかりと持っている人間の尊厳が感じられる。

P148。「マトシアン夫人と若いダリテの肖像」 54×43㎝ F10号程度 1944
この作品も茶色を基調としている。先の肖像画にも描かれた夫人だが ここでは幼い娘と一緒に描かれている。夫人と娘の衣服に当時の風俗が伺えるが 茶色を基調としている事も当時の暗い世相を反映しているのかも知れない。しかし二人の様子はちょっと面白い。夫人は背筋を伸ばして無表情で視線をはずし 娘は両手に器に盛られた果物を持ってこちらを見ている。何故果物を持っているのだろう。B氏が何か一工夫加えるためにダリテ嬢に持たせたのだろう。赤く実った果実は自然の恵みであり その中の実には種の保存のための命が貯えられている。ここではそのような大袈裟なものではなく もっとさりげない果実の持つ充実感と幸福感が この母と娘の関係に似合うと考えたのだろう。また視線をはずして見られるままになっている母親と見ている側を素直に直視する子供。この二人の異なる態度も面白い。

第三章 P145-P146

145-146
P145。「フリヴールの風景の習作」 27×41㎝ P6号 厚紙に油彩 1944
この小さな風景画は素描のように描かれている。実際の場所に立って描かれたのかも知れない。

P146。「フリブールの風景」 72×99㎝ P40号 厚紙に油彩 1944
先の習作を本制作にした作品で P40 号の大きさに拡大されている。中央の平地には円を描くように土盛された塀のようなフチが通っていて その外側と内側に何軒かの家屋が立っている。その丸く囲まれた平地には長方形の畑があるようだ。また同じ土盛のフチがもう2本画面右上にある。遠景は遥か彼方に広がりっている。平地に作られた土盛のフチは壮大な建造物とは言えないが 長い年月と多くの人々の尽力によって作られたという点では 古代遺跡の一部のような存在感が感じられる。

第三章 P147-P149

137-149
P147。「ラドヴィル妃の肖像」 30.5×25.5㎝ F4号程度 画材不明 1944
この小さな肖像画には穏やかな口元と大きな瞳を持った女性が描かれている。机に肘を置き もう一方の手は軽く胸にあてている。そして身体は力を抜いて 肘を付いた方に身体を寄せている。そのさりげない姿勢の柔らかさ 表情のほんのりとした明るさ この絵には彼女の控えめな優雅さが漂っている。

P149。「小さな座った裸婦」 27×22㎝ F3号 木版に油彩 1944椅子にもたれながら寝入ってしまった若い娘は 胸を隠す事を忘れていないようだ。顔は描きかけからか 無表情だが 上から照らされた光によって丸い影が出来ている。柔らかく曲げられた首は女性らしい。裸体よりも光と影による顔の造形性に関心を持っているようだ。

第三章 P150-151

150-151
P150。「美しき日々」のための習作。 37×44.5㎝ F8号 キャンバスに貼られ紙に油彩 1944
「美しき日々」はB氏の室内画の代表作の一つであるが この習作はその最初の構想を明らかにしている。この段階では中央の女性は上体をのけぞらす姿勢が取られているが それ以外の大まかな室内の様子は本制作通りであるが暖炉の前の男は描かれていない。真横から描かれる背もたれの彎曲した寝椅子 焚き付けられている暖炉 左から差し込む光など。筆致が荒々しいせいか この姿勢では少し騒がしいようだ。

P151。「美しき日々」のための習作。 80×100㎝ F40号 油彩 1944
二枚目の習作は本制作にも使われる大きさであるが ここでは習作に使っている。ここではより細部まで本制作に近くなっている。暖炉の前の男が登場し 暖炉の上には物が置かれ 左端のテーブルと窓のカーテンなどが加えられている。手鏡を持ち自分を見つめる女性の姿も本制作に近くなっている。しかしこの段階ではその右手は子猫を捕まえている。本制作と大きく異なる点はこの子猫だけで 本制作ではこの子猫は登場しない。やはり鏡と女性に集中させたいからだろう。またはこのような猫の扱い方では日常の騒がしさが入り込み 普遍性が損なわれると考えたのかも知れない。

第三章 P152

152
P152。「緑と赤の若い娘 (燭台)」 90×90.5㎝ S30号程度 キャンバスに油彩 1944 (1945)
緑と赤の衣装を着たアントワネット夫人を描いたパステル画が 1942 年に描かれているが それから 2年後に同じ衣装を着た夫人は このように本制作されている。また1937年に描いたP106の「青いベルトの女」もあるし 演劇の舞台衣装を創案していた事からも このような前時代の衣装に対する関心の深さがわかる。
この緑と赤の衣装を着た夫人の姿は まるで 500 年前のルネッサンスの頃を彷佛とさせる。夫人の肩にはマントもかけてあり その前の食卓には光沢を放つ銀の器と皿に乗った固パンとパン切りナイフ そして火の灯されていないロウソクと燭台。これらは整然と並べられていて何やら儀式めいているが それを強調しているのは人物の真正面を向いた毅然とした態度である。通常 人物を描く場合は主に7対3または6対4などの角度から描かれるが ここでは真正面から描かれている。正面から描かれた人物は見る者と対峙する関係を生み 威圧感さえ感じさせる事ができる角度である。また左右対称の構図は安定し 不動の厳格さを出すのに役立っている。
B氏は若い頃に初期イタリアルネッサンスの巨匠の作品を模写し その精神性や構成など多くを学んている。また自らを封建主義者で 19 世紀の人間とも言っている。さらにパリを離れて地方の古い館に仕事場をかまえてもいる。こうした点から見れば この作品はB氏の歴史ある過去への根強い憧憬の現れなのだろう。しかしその憧憬は単なる憧れではなく 現代的な電気やガス水道と言った公共施設などの利便性を越えて 当時の社会制度や環境 教養や審美眼の有り様まで含めた 大いなる時代への尊敬の念の現れなのだろう。

第三章 P153

153
P153。「子供の肖像」 38.5×28.5㎝ F5号程度 厚紙に油彩 1945
この作品は厚手の紙に油彩で描かれた習作のようだが きちんと署名が書き込まれている。未完成というよりも素描風な油彩画だろう。荒い筆致だが必要なものは描かれている。二重の大きな眼 小さな顎 柔らかな頬 つややかな唇。この幼い娘の大きな眼は 幼さに留まる事なく 見えるものをしっかりと見据えているようだ。
この制作途中の様子から B氏の描き方を伺う事ができる。鉛筆などの下描きは行なわずに 油彩で大まかな形をとり 彩色しながら形を整えて 立体感を出すと同時に表情も表していくというやり方のようだ。しかしこれでは重ね塗りは生塗り描法になるので 感じがでたら一旦乾燥を待ってから 再度塗り重ねていったのだろう。下描きをしないで形を取りながら彩色していく描き方は 大胆な描き方とも言えるが 初期の頃からこの描き方を行なっていて 大作になると画面に構図用の方眼を引いている。

第三章 P154

154

「立ち向かう幼き王妃」

P154。「12才のマリア・ヴォルコンスキ王妃」 82×64㎝ F25号程度 厚紙に油彩 1945
この幼き娘は他に何も描かれていない場所に一人で立っている。その姿は毅然としており 射るような眼差しは真剣で 王妃に相応しい気高さがある。しかし彼女は自らの身分を飾る装飾品や華美な衣装を一切身に付けておらず 肩の出た足元までの長いドレスには胸元を飾る細かな縁取りがあるだけ そして一枚の肩かけと一本の杖。彼女は衣装や装飾品に頼る事なく 自らを表しうる者なのである。
王家の血を継ぐ幼い人。彼女は引き継ぐべきものを持って生まれた者であり その重責を全うすべき者なのである。自らが背負う過去と未来に対して 彼女は立ち向かうように毅然とし 揺るぎない確信を表情と態度に表している。しかし彼女にはまだ幼さが残っており それゆえに健気で その気丈な真剣さは美しい。
この絵には孤高の高貴な娘が描かれているが 真に気高き者とは辺りを払う力を持っている者であり 彼女には幼くしてそれが備わっている。

第三章 P155

155

「自己陶酔と誘惑」

P155。「美しき日々」 148×200㎝ F130号程度 1944−1946

Les Beaux Jours。レ ボーテ ジュール。美しき日々をフランス語ではこう発音する。美が占める内なる領域。美しさが内部で循環しているのは一種の不健全さである。しかしだからと言ってその不健全さは美を損なう訳ではない。内部で循環する美は徐々に発酵して熱を帯びる場合もある。
この緑色の絨毯の部屋では二人の人物がいる。若そうな女性はあどけない表情で手鏡に映った自分の顔に見とれている。その姿勢はしどけなく 上着は弛んで肩と胸を露にし 片足は上げられスカートはめくれぎみである。それは周りを気にする事がない一人の時のようだが 同じ室内には男が一人いる。彼は暖炉に薪をくべ盛んに燃やしている。左側から差し込む陽光はその影から午後遅い時間帯のようだ。
この絵はその状況から見る者に様々な妄想を起こさせる。女性が自らの容姿に見とれる姿は自己陶酔であり 自己愛(ナルシズム)であろうが 暖炉の前の男の存在がそれに他の想像を加える。二人は恋人同士だろうか  または男は使用人で若い婦人の気紛れな一時の相手かもしれないし 使用人である男は無視され 高慢な若女主人は我が身を通して愛する人を想っているのかもしれない。
この官能的な室内画の前例はP112の「夢見るテレーズ」とP101の「若い娘と猫」である。これらには秘められた性を露呈する事で生じる官能性があるが この「美しき日々」は複数の人物が登場する物語的な官能の世界で 自己陶酔と他者の関係性を示しているようだ。これまで複数の人物を描いた作品では 同じ場に居ながら関係を持たない 同居の無関係が描かれていた。ここでも二人の関係は曖昧のままである。しかし二人を性的な関係と捕らえるのではなく あの「嵐が丘」のキャシーとヒースクリフの関係を思い出すべきなのかもしれない。女は美的な生活にあこがれ 男はそれを虚飾と呼び否定した。この二人の食い違いはP74の「キャシーの化粧」にも描かれた。二人は男女の性愛の以前に共生する者であったが 美に憧れる者と愛の本質を目指す者とに生き別れ 愛と挫折と絶望の共犯者となる。この食い違いこそ二人の悲劇なのだが ここでは美という虚飾に浸る者を鏡を見る女とし 愛の本質を求める者の質実さを暖炉に火をくべる男として描いているのでないか。つまりこの作品は「キャシーの化粧」の別な例で ここではキャシーを重点的に捉え キャシーの求める美はうつろいやすく儚い またそれに溺れる者もまた儚いと言う事を描いているのでないか。
さらにここには自からの美しさを愛でる気持ちが内部で循環し 徐々に発酵しながら熱を帯び始める性の濃密さも描かれているように思える。

ちなみにこの作品が描かれた時代背景は1944年に第二次世界大戦に参戦したアメリカのフランスへの上陸によってパリは開放され 1945 年にはドイツの無条件降服で西欧の第二次世界大戦は終結している。

第三章 P156

156
P156。「若い娘と猫」 46×55㎝ F10号程度 キャンバスに油彩 1945
寝台の上の裸婦は何点か描かれているが 猫が描き入れられている作品はかなり重要である。それは最晩年の代表作「鏡猫」の連作につながるからである。 P84 の「猫達の王」に初めて猫は登場し 若い娘と猫が初めて一緒に描かれたのは P101 の「若い娘と猫」などで そして P138 の「客間」にも登場している。しかし裸婦と猫はこの作品が最初である。B氏にとって猫は様々な役目を果たす重要な存在で その役割は画面を充実させる補足物であり 人物の相手をする同居者であり 共犯者で 共生者でもある。また猫は人間の私的な世界に自由に入り込む最も親密な存在だが その親密さは人間同士とはまったく異なる。つまり猫は「同居の無関係さ」の新たな展開を示す存在なのである。またB氏は画面を充実させる手法としては静物を多く配置し 模様を描き込むなどの手法をよく用いるが 生き物の存在感によって得れる充実感は猫がもっとも有効のようだ。この作品でもその役割を充分に果たしている。
はだけた布はお腹の上にまとわりついているだけで乳房も下半身も露にし 足先だけが寝具に隠されている。上体はひねられ首もかなり曲げられて傾き 右手は太ももに添えられている。この姿勢はかなり艶かしい。それは若い人の肉体の柔らかさを強調した艶かしさであるが その首は奇妙なまでに曲げられ 艶かしさから少し逸脱している。そして彼女はその艶かしい姿態をさらしながら 憂いを含んだ眼差しで物思いに沈んでいる。この憂いと艶かしい姿態 そして猫。ここでの猫は彼女の相手であり このような私的な世界に侵入しうる唯一の存在である。ここには異性が存在し得ないある時期の官能性が描かれている。また猫はその艶かしい姿態を日常の一つの姿に過ぎないようにも見せている。

第三章 P157-P158

157-158
P157。「犠牲者」 133×220 M150号程度 キャンバスに油彩 1939−1946。 
しなやかな手足は横長の画面一杯に伸びている。そしてその細長い裸体の下には白い布が敷かれている。裸体の姿勢はさりげないが充分に考えられていて 白い布の皺との関係は構成的な均衡が計られている。しかし問題は娘の表情と身体の脱力感である。顔は描き損じたような無惨に見え 力を失っている身体と共にまさに死体を連想させる。しかも画面右下には刃物まで描かれている。
「犠牲者」という題名から当時の時代背景を見れば この作品は描き始められた1939年には第二時世界大戦が勃発し 作品が完成した1946年は大戦が終結した翌年である。つまりこの作品は大戦の最中に描かれていた事になる。この大戦は西欧のみならず各国を巻き込み 国を焦土と化し ユダヤ人の大量虐殺が行なわれ 兵士のみならず多くの民間人を死に追いやっている。このような時代の中で描かれたからには戦争の犠牲者とするのは当然である。また 1937 年に描かれた P107の「静物」では 戦争前の不穏な時代が生む抗しがたい力に対する抵抗が感じられた。この「犠牲者」ではその抗しがたい力が果たした結果である死が描かれているとも言える。しかし戦争との関係を結び付けるものは題名と制作年だけであり B氏自身が題名と内容はそれほど関係ないと言っている。そういえば「静物」もこの「犠牲者」も不穏な時代や戦争という悲惨な出来事を直接には描いてはいない。関連を想像させるだけだ。その理由はB氏が絵画を社会に対する発言の方法として用いる事を避けていたからで もっと別なものを絵画に求めていたからだろう。つまりここでは戦争による死と限定するのではなく 死を抱え込んだ裸体を描く事で 死そのものを露呈させようとしているのではないだろうか。「鏡の中のアリス」などで見せた挑発的な性の露呈のように。その方がB氏が絵画に求めていたものに近くなるはずである。

P158。「眠る裸婦」 44.5×59.7 P12号 キャンバスに油彩 1945
この作品は先の「犠牲者」のような無惨な表情はないが 同じように眼を閉じ 身体は力を失っている。題名の眠りよりも やはり死を思わせる。頭より腰の位置を高くした構図は不安を感じさせるし 色彩も茶色が多く使われ暗い。そのせいだろうが死に伴う不穏が漂っているようだ。しかも描かれたのは大戦の終結した年である。しかしB氏は簡単に時代を反映させないし ここには刃物は描かれていない。刃物無しで死をどのように表せるのだろうか。死か眠りか または死と眠り そしてその近似性・・・。また絵画ははたして死と眠りを描き分けられるだろうか。
唯一はっきりしているのは この作品は不穏であり 裸体は遠のいた意識が置き去りにした抜け殻のように見える事である。しかし幼さの残る娘達の持つ生命力は輝くほどだが それと死を組み合わせたらどうなるのだろう。最も命が輝いている者と死は相反するものだ。または彼女らの眠りとはどういうものなのだろう。 無垢なる者の眠りは深くて忘我に至り 死に似て遠いのかも知れない。

この二点の死を連想させる裸体は これ以後描かれなくなり 純然たる眠る姿に変化していく。これは挑発的な性の露呈として描かれた肉体が その後には表現のための裸体に変貌していくのと同じように。

第三章 P159-P162

159
P159。「若い娘」 40.7×33㎝ F6号程度 厚紙に油彩 1946
ここには胸をはだけて椅子に座る若い娘とその後ろに立つ老婆が描かれている。これは身支度をする若い女で左端の小机が化粧台である事からそれと分かる。そして老婆は身支度の手伝いをする使用人でありP74の「キャシーの化粧」にも登場している。身支度をする娘を主題とする作品は連作で 様々な様子で描かれているが 老婆と娘だけの身支度を描いた作品はこれが最初である。この女達専用の場所には 女と美の関係が秘密にされている。

P160。「若い娘の上半身」 40.5×37㎝ F7号程度 キャンバスに油彩 1947
これは上半身を露にした若い人を描いた作品だが 先のP159の「若い娘」と同じく身支度をする女性の姿だろうが ここでは身支度をする様子ではなく 裸体そのものを描いているようだ。小さな作品だがその姿は一連の肖像画のように安定した構図になっている。クリリとした眼と微笑んだ口元は朗らかでさりげなく女性の裸体の美しさを素直に描いた作品になっている。

P161。「ルイ・ブロデールの肖像」1947。現存不明。

P162。「ジャクリーン・マティスの肖像」 100×80.6㎝ F40号 厚紙に油彩 1947
ここに描かれている若い女性はピエール・マティスの娘 ジャクリーン嬢である。ピエール・マティスはニューヨークの画廊主でバルテュスの作品を最初にアメリカで展示公開した人物であり アンリ・マチスの息子でもある。つまり彼女はアンリ・マチスの孫娘である。
作品は未完成だが 必要な事は描いたと言う感じである。人物を真横から描いているから珍しく見えるが P152の「緑と赤の若い娘 (燭台)」のような正面から描くよりも横顔の方を多く描いている。西欧人が横顔を描くのはその顔が立体的であるからで 正面からではその特徴が現れにくいからだろうが バルテュスの描く横顔の多くはそれとはまた少し違う。しかしここではもっと率直に彼女の印象的な面を描き出すために横顔を選んだと思われる。さりげない立ち姿で右腕は下げているが 左手は肩ににかけた鞄に添えている。作為がないようだが 何気なくポーズをつけていて これが変化となっている。背景の仕上げ方も眼を引くが 点描のような筆跡は通常下塗りに使われる塗り方だが ここではそのまま残している。赤毛の髪の色と茶系の肌色と小型の鞄に大して衣服や背景は青味がかっていて控えめな対比になっている。袖の白い線が爽やかさを強調している。
ちなみにこの作品は現代美術の祖であるマルセル・デュシャンの夫人が購入している。

第三章 P163-P164

163
P163。「若い娘と一枚のカード」 91.4×72.4㎝ F30号 木版に油彩 1947
これはトランプを扱った作品としては2作目であるが 後にもう一人相手方が描き加えられて P200の「トランプをする二人」となる。一作目の「一人占い」と同じように卓の上には燭台とロウソクがあるが 火は灯されていない。しかしここでは占いではなく相手と勝負をしていて 手札を一枚差し出して相手に見せている。その若い娘は大きな瞳で相手を見つめ僅かに微笑んでいる。その自信を持った態度から どうやら勝負の行方を決める一手のようだ。勝負は時に険悪な状況を起こしたり ずるさや猜疑心を露にする事もあるが 彼女にそれは見られない。この気高き勝負師は清々しいほどの振る舞いで勝負に勝とうとしている。それは勝つ事によって心の中に湧く勝利の喜びや満足感 そして優越感に溺れないからだろう。またその僅かな笑みに勝利の喜びから生じる官能性を見い出す事もできる。
背後の太い曲線は長椅子の縁だろう。

P164。「トランプをする二人の習作」 44×63㎝ M15号程度 厚紙に油彩 1947
これは先の「若い娘と一枚のカード」にもう一人加えてP200の「トランプをする二人」に発展させるための習作である。切り札を見せられた相手の様子が描き加えられている。勝つ者と負ける者の対比だが ここでは相手も女性である。最初は女同士の勝負を考えていた所が面白い。しかしそれでは敗者の悔しさや敗北感が女性特有の粘質感によって湿り気を帯びてしまうのでないだろうか。または勝者の清々しさや敗者との対比関係も弱まるのではないだろうか。

第三章 P165-P166

165
P165。「赤い髪の娘」 65×81㎝ F25号 キャンバスにに油彩 1947
これも身支度をする女性の姿のようだが 身支度と言うより身繕いのために浴室にいる姿のようだ。茶目っ気のある表情は 手に取った髪を見ている。枝毛を気にしているのか それとも髪のからまりを解こうとしているのだろうか。こんな茶目っ気のある表情もバルテュスは描く。
背後の水平線が印象的で2色の壁 洗面器の乗った棚 床 そして胸にまとった布の水平線。平面構成の中に裸婦の立体感ある身体が浮き出ている。

P166。「ロランス・バタイユの肖像」 80×60㎝ P25号 キャンバスに油彩 1947
この巻毛がかった髪の若い娘はジョルジュ・バタイユの娘の一人である。彼女は大きな鳶色の瞳を持っていて それは真珠のような白眼の中央にある。吸い込まれそうな眼である。このような瞳は瞳孔の色は濃いが その周りの色が薄いので眼と言うより色付きのガラス玉のように見え 恐さを感じる時がある。それは煌めく宝石のようだが 中を覗いてもその光の正体は見つからず 透明感が奥まで広がっている。
それにしても幼さを残す若い娘達は一体何を見るのだろう。陽に輝く草花か 透明な大気か 人生の喜怒哀楽か 身を飾る衣服や装飾品か 妊婦のお腹の中の命か 影に潜む不吉さか 未来の恋人か。いいや。その眼は見るためにあるのではなく 宝石のように煌めくためにある。そしてそれ以外の光は吸い込んでしまうのだろう。
ここに描かれた大きな瞳のロランスは ほっそりとした鼻筋と顎 軽く微笑む口元 細くて長い首 豊かでつややかな髪など これらが彼女の華やかさを表しているが その持って生まれた華やかさは彼女の利発で勝ち気な性分に勝っているようだ。

ジョルジュ・バタイユ。1897−1962 フランスの文学者。著作「眼球譚」「内的経験」「ニーチェについて」など。固定的な常識に捕らわれない無神学的な思想を展開し 汚辱と倒錯 性愛と思想を混淆させた独自な思考は第二次世界大戦後の思想 文学だけでなく風俗にまで広く影響し 現代思想の一つの源泉になっている。ロランスはバタイユと女優のシルヴィアとの間に生まれた子である。

第三章 P167-P168

167
P167。「地中海の猫」のための習作。 32.5×31㎝ S4号程度 キャンバスに油彩 1947
1949年に本制作された「地中海の猫」の部分を描いた習作である。この小舟にのる若い娘は本制作では左側に位置し 地中海の豊かな幸を紹介する現実的な女神である。この習作は形を模索しながら描いているのでモデルを使わずに描いたと思われる。習作では舟の角度が少し平坦だが 本制作ではもっと角度がつけられ 波に乗る緊張感が出ている。

P168。「地中海の猫」のための習作。 33.5×24㎝ F4号程度 キャンバスに油彩 1947
「地中海の猫」はパリのオデオン広場にあった「地中海」という名のレストランのために描かれた。この猫はこの作品の主役で 地中海で取れた新鮮な魚を食べる食通の擬人化された姿である。素描では小舟に乗った若い娘の海から魚は宙を飛び 猫の待ち構える食卓に届いている。

第三章 P169

169
P169。「部屋」 189.9×160㎝ F130号程度 キャンバスに油彩 1947−1948
「部屋」という題名はもう一点あり それはあの有名な仄暗い部屋の中に浮ぶ裸体を描いた代表作である。P221 の「部屋」も大きな画面に描かれているが この作品も F120 号以上あるから小さくはない。この正方形に近い画面には白い布を肩にかけて 赤い靴下を履いた裸の女性が片手を開いて立っている。その姿は陽光に照らされて白金色に輝き 誇らしげに真正面を向いている。その健康そうな裸体は陽を浴びる喜びを全身で表しているようだ。その傍らには床に座って本を開く若い娘が彼女を見上げている。この絵も身支度をする女性を描いたものだが 当時の一般家庭では簡単な入浴などは部屋で済ましていたので 身体を洗った後 そのまま暖かな陽を浴びているのだろう。その姿は格式を持っており 裸体を隠すどころか正面きって開放し その輝きを披露している。ここでは身支度をする娘性達が秘めている美の一つが明かされている。
もう一人の見上げている娘は いつもの「同居の無関係」でなく 親しい姉妹か。彼女は姉の大胆な行動に驚きながら 羨望の眼差しを向けているようだ。ただしよく見ると見上げる娘の視線は裸の人の後方に向けられているようにも見えるから 直接的な関係を避けているようにも見える。
またこの部屋には様々な眼を引く物品がさりげなく描かれている。裸体の人の右側の妙な形の水差し テーブルの横に掛けられた白布と上に乗っている石板 見上げる人の脇の椅子の上に置かれたカップ 暖炉の上の円錐形の置物 奥の壁にある緑色の線など。これらは画面の充実と複雑化に役立っているが 写実表現は弱まり 具象表現の単純化や変形が加えられている。この現実をモデルにしない傾向は 今後より強まっていく事になる。

第三章 P170-P171

170
P170。「身支度をする若い娘」 55.9×46.4 F10号程度 1948
この作品の題名でようやく身支度という言葉が使われる。仏語での題名は「 Jeune Fille a sa Toilette 」ジュンヌ フイーユは若い娘。トワレットとは 身支度 身づくろい 洗面 化粧 装い トイレなどの意味があるので「キャシーの化粧」も「身支度をするキャシ−」にもなる。これらの一連の身支度をする女性を描いた作品は「嵐が丘」から生まれた「キャシーの化粧」を源泉としている。
この丸顔の裸婦はその裸体を惜し気もなく堂々とした態度で真正面に向けているが その身体は幼く未発達である。この作品も先きと同じく秘めると言うより明かしている。ここには羞恥心も気後れもなく のびのびと自らを誇っていて 丸まるとした顔は果実のように円満で 裸体には健やかな輝きがある。その後ろの身支度を手伝う老婆も頑健そうだ。

P171。「若い娘と鏡」 100×80㎝ F40号 厚紙に油彩 1948
これも身支度をする若い娘を描いているが 他との違いは鏡が描かれている点で 若い女性や老婆は他と同じである。肩に白い浴衣をかけている若い娘は手を伸ばして鏡に触れている。そしてその裸体のお腹から上は陽光によって明るく照らし出されている。その光はまるで鏡の中から発しているようだ。陽に照らされた彼女の肌は暖かそうな淡い珊瑚色に輝いているが その毅然とした顔だちと立ち姿は 鏡を通して自分と対峙しているようにも見える。彼女は鏡の中の自分の姿を見ているはずだが その強く輝く瞳はあくまでも無関心のようだ。それは自らの輝きに気付くと同時にいやらしい媚びが生じるからだろうか。まるで無自覚な美こそ純粋であると言っているかのよう。果して彼女は自らの輝きに本当に無関心なのだろうか。
また陽の中にいて輝く娘の傍らに佇む老婆は影の中にいるが この二人は輝く女の若さと年老いて輝きを失った女の姿の対比に見え 陰と陽の比較のようだ。輝く若さは一時の事で その後は老いていくばかりだと言った人生論を導く事もできるが それはつまらぬ解釈で ここではやはり陽を強調するための陰だろう。相対美 美は比較によっても成り立つ。

第三章 P172-P173

172
P172。「横になった女」 54×65㎝ F15号程度 キャンバスに油彩 1948
どうやら背景は海のようだ。帆船の帆のようなものが見える。岩に横たわった女性は眠っているかのように脱力している。髪は岩の上に広がり 片方の乳房が露になっている。その丸い顔の中の眼は焦点を結ぶ事なく曖昧だが 唇はしっかりと結ばれている。露な姿なのだが頑なさがある。彼女は岩場で休む人魚なのか それとも打ち上げられた人魚なのだろうか。「地中海の猫」との関連性があるようだが・・・。

P173。「男の子の肖像」 41×33㎝ F6号程度 キャンバスに油彩 (1948)
果実のように丸々とした幼い男の子の顔である。幼いようだが片手を頬にあてる姿勢とやや見下ろすような視線は大人びている。この顔はまるで聖なる果実のように円満で 穏やかに微笑んでいるが その眼の光は邪気を射抜くほど強い。

第三章 P174

174
P174。「赤い魚 (蝋燭を持つ幼女と赤い魚)」 82×84㎝ S25号程度 キャンバスに油彩 (1948)
幼い赤子のよう子供が 好奇な眼で丸いガラスの器に入っている赤い魚を見つめている。幼子の片方の手に握られているのはロウソクのようで もう一方の手も親指を出しているが握られている。赤い魚は一匹でテーブルの上に乗せらた丸いガラスの器に入っていて テーブルには重厚な緞帳のような布が敷かれている。手前の少し引かれた椅子には猫が一匹おり こちらを向いて笑っている。日々の暮らしの中でこのような生き物がささやかな喜びをもたらし 人の心を和ませる事はよく行なわれるが この幼子にとって この生き物は単なる小さな魚ではなく 新鮮で驚くべきものに見えているだろう。それは大人にとっても同じで 当時はこのような赤い魚は珍しい異国の生き物であったはずだ。しかし猫にとっては美味しい食べ物 または格好の遊び相手である。だから彼は笑っている。
しかしこのように説明とは別に この絵はどこかしら奇妙で全体に妙な暗さと重さ そして可笑しみがある。丸い顔と丸いガラスの器 重々しい緞帳の質感と背景の暗さ テーブルの面が水平に見えるほど下げられた視点 人のように笑う猫 そしてテーブルの向う側にいる幼子の足がない・・・描かれていない。それはこの作品を小さな生き物がもたらすささやかな喜びと幼子の無垢な好奇心で終らせないための工夫だろう。その工夫のためにこの赤い魚は 無限にも思える時間の中で育まれた 生命の起源を思い起こさせたり 魚の入っているガラスの器が まるで小宇宙のようにも見えてくる。つまり幼子と赤い魚の素直でささやかな世界は 実は巨大な暗黒の宇宙に包まれているとでも言いたそうである。
そもそも東洋ほど魚になれ親しんでいない文化圏では その血液より鮮やかな赤い色は好奇心を越えて 生き物の人知を越えた存在の不可思議と小さいながら一種のおぞましい怪奇なものに見えたかも知れない。
つまりここにもバルテュスの本質をつく独特な感性が現れている。

赤い魚は中国原産の金魚の一種で16世紀頃から作られ 他国へも輸出された。西欧では中国趣味(シノワズリー)として17、18世紀に流行している。

第三章 P175-P176

175
P175。「赤い魚」 62.2×55.9㎝ F15号程度 キャンバスに油彩 (1948)
この作品は先のP174の「赤い魚」と同じだが 右側に女性が一人描き加えられている。幼子の母親らしき女性は真横向きで立ち ガラスの器の中の赤い魚は2尾に増えている。幼子と女性は金魚の入っているガラスの器を見ているが 猫は金魚を見ずにこちらを向いて微笑んでいる。この三者はガラスの器に入った魚を中心にして繋がっていて 幼児の顔 ガラスの器 猫の頭は皆丸く 立っている女性の顔は半丸である。また先のささやかな世界を包む暗黒の宇宙と言った飛躍を生んではいないと思うが 同じような言い方をするなら一つを中心にして回る惑星か。

P176。「赤い魚」 60.5×63㎝ S15号程度 キャンバスに油彩 (1948)
これも前作のP175とほとんど同じで 構図を変更し より均衡の取れた状態にするために描かれたようだ。バルテュスの場合は自らの創案の追求と構成へのこだわりから このような同じ内容を変えて何枚も描く事を幾度か行なっている。確かにP175よりも均衡はとれ 全体はすっきりと見やすくなっているとも言える。しかし最初のP174のような奇妙な感じは弱まり 日々の暮らしの中の一コマに落ち着き その分安心して見れるようになったと言えるかもしれない。

第三章 P177-P178

177
P177。「クロード・エルサンの肖像」のための習作。 (大きさ不明) 油彩 1948
即興的に描かれた肖像画の習作で 背後の塗りや絵を囲む線は一気に引かれ 筆の早さが分かるくらいだ。バルテュスがこのように筆を早く使う事は珍しい。しかし表情は的確に捉えられ その口からは厳しい言葉が発せられているようだ。

P178。「クロード・エルサンの肖像」 92×73㎝ F30号 厚紙に油彩 (1948)
先と同じ人物だがこちらに激しさは無い。修道士であろう人物は横向きに描かれ 光と影と闇に二分化されている。背後からの光で顔は影になり 後頭部と顎にそえた手と椅子の一部 そして耳だけが光に照らし出されている。椅子と人物と修道着は形態として一体化し 確たるものとして落ち着いている。それは描かれた人物の人柄と彼のいる精神世界をも表している。神に仕える者の姿はこのように描くべきなのだろう。その思いは沈鬱ながら常に大きく深く 慎みがある。またその姿から隠された重責に耐えねばならない強靱な力の有り様を感じさせる。
左端に描き加えられた机の形は透視図法的には不自然で これがなければ人物と椅子だけとなり すっきりとするように思えるが 机を描く事で画面に奥行をもたらし 複雑にしている。机の上の果実もその役目に加担している。このような複雑化はバルテュスの作品の特徴で魅力の一つである。ここには写実的な描き方と変形単純化する具象表現描法が構成のために混在している。

第三章 P179-P181

179
P179。「週に四日ある木曜日」のための習作。 大きさ不明 厚紙に油彩 1948
La Semaine des quatre jeudis ラ スメ−ヌ デ カトル ジュディ。この題名を直訳すると「週に四日ある木曜日」となる。つまりありえない日またはありえない事と言う意味である。また以前のフランスの学校は木曜日の午後は授業がなかったので早帰りが多い週とも考えられる つまり永遠の午後とも解釈できる。和訳では「決してこない時」である。
この最初の習作では着衣のままで姿勢を作っている。椅子の上で仰け反る上体と高く上げられた片腕 片足は伸ばされ 上体から続く斜線を作っている。このような構成的な姿勢はP121の「長椅子の上のテレーズ」にも見られたが より構成的になっている。

P180。「週に四日ある木曜日」のための習作。 70×75㎝ S25程度 厚紙に油彩 1948
先きの構成的な姿勢は ここでは裸体になり 足を曲げたせいで身体はうねるような曲線を作り出している。室内もより具体的になり 背後の棚 大きな窓 もう一人の人物 椅子の背にかけた上着などが描かれている。この段階では着衣の人物と陽光を浴びる裸体からP169の「部屋」を連想させるが ここではもはや身支度をすると言う裸体の理由は失われている。陽光を浴びる裸体はその喜びを姿勢で表し 着衣の娘との対比でそれを強調し さらに同居の無関係性を利用して謎めかしている。 

P181。「週に四日ある木曜日」のための習作。 57×58㎝ S12号程度 油彩 1948さらに変更が加えら 窓辺の若い娘は少年になり 椅子に掛けられた上着は猫になっている。また椅子や裸体の姿勢も変えられている。このような習作の変化は一枚の絵が決定案に至るまでの過程を見る事ができるので実に興味深い。一つの姿勢から始まり 室内の設定がされ さらにもう一人の人物と他の要素が加わり一つの世界が創出されていく。他の要素とは猫や光と影である。少年の後ろ姿はP155の「美しき日々」の暖炉の前の男を思い出させる。これらはバルテュスにとって欠かせない素材として確定し始めている。

第三章  P182

第三章  P182-[更新済み]
P182。「週に四日ある木曜日」 97.8×83.8㎝ F40号程度 キャンバスに油彩 1949。
これが決定案となる。最初の習作の着衣の姿勢が復活し 2作目の習作の窓辺に立つ女生と3作目に登場する猫が使われている。つまり3枚の習作からそれぞれ特徴的なものを選んでいる。裸体 猫 第三者 光と影といった素材の決定で 後の「部屋」や「鏡猫」への道筋が整った事になる。作品自体は写実表現は弱まり 平面的に処理された構成が目立つ それがもっともよく現れているのが 窓の外の風景で 主に三つの面に処理された平面構成になっている。このような画面構成への関心は写実表現よりも具象表現の描き方をより進めていく事になる。これは写実表現描法から具象表現への移行であるが 現実性を残しながら具象表現を取り入れるという両者を融合した描き方も行なわれて行く事にもなる。

第三章  P183-P185

183
P183。「猫と裸婦 (裸婦と盥)」 65×80㎝ F25号 キャンバスに油彩 (1948−1950)
これは題名こそ異なるがP182の「週に四日ある木曜日」の着衣姿の娘を裸体にした作品である。高かった天井と窓は省かれ 猫と戯れる娘の姿を大きく捉えている。足元に盥が描き加えられているから身支度をする若い娘の連作のようだ。P182の「週に四日ある木曜日」に行なわれた構成を優先し平面的な表現を取り入れる手法は弱まり 現実性を持った立体表現と空間表現に戻っている。しかしやはり画面構成は充実しており 室内の家具などの直線と裸体の曲線は複雑に組み合わされている。盥で身体を洗う娘は猫と戯れ 服を着た娘の立つ窓からは陽の光が差し込んでいる。その陽光は裸体に複雑な影を作りながら 肌を輝かせている。窓辺の服を着た娘と陽光に照らされる裸体 そして猫。これらは2年後に描かれる P221の「部屋」を思い起こさせる点で あの謎めいた作品の源泉かも知れない。

P184。「裸婦」 55×66㎝ F15号程度 厚紙に油彩 (1949)
姿勢を検討するために描いた作品のようだ。上げられた2本の腕とその付け根 胸と腕で隠された顔。光に照らされた裸体は微妙な陰影を作っている。上げられた腕に隠された顔が印象的。

P185。「裸婦」のための習作。 53×64㎝ F15号程度 厚紙に油彩 1949。
これも姿勢を検討するために描かれたようだが 描きながら形や立体感や明暗を作り出している。モデルを見ながら描いたのではなく 記憶で描いているのでないだろうか。このような描き方は現実性を保ちながら具象表現を用いる手法の一例のようだ。

第三章  P186

186
P186。「身支度をするジョルジェット」 96.5×92㎝ S30号程度 キャンバスに油彩 1948−1949
身支度をする若い娘という画題は この前後にも描いているが 最も数多く描いたのは1948年である。
この作品も陽光に照らされた裸体はその生命の初々しさゆえに輝き暖かそうだ。その片足を上げた姿勢は最初の身支度をする女性を描いたP71「鏡の中のアリス」のように大胆だが 性的な暗さや匂いは感じられない。あくまでも健康な裸体の持つ内から発する輝きと暖かさを描いている。しかも他人には見せない個人的な秘められた世界の中での大胆な姿勢とその輝きと暖かさは開放されているからであり 自分に対する期待感も含まれている。また面白く思うのは その裸体の形であり 顔も身体も丈を詰めて横幅を広く取っていて 丸くて太い。この顔と裸体の形にも円満で微笑ましい豊かさがある。それは穏やかに微笑む表情と共に裸体自身も微笑んでいるようだ。それに合わせるかのように丸いガラスビンや果実のようなものが鏡台の上にあり 後ろの老婆の横顔も単純化されて可笑しみがある。さらに脇に挟んだ絨毯たたきのクルクルした曲線もその可笑しみを強調しているようだ。しかし絨毯たたきは子供の躾に使われたり サディズムの道具を連想させたりもする。そうした見方をするとこの裸体画は 別な官能性をおび始める。

第三章  P187-P190

187
P187。「裸婦 (入浴する裸婦)」 61×49.5㎝ F12号 キャンバスに油彩 1949
この立ち姿の裸婦は続けて4点描かれているが どれも今までの作風とはやや異なるような感じがする。何故だろう。この作品がその最初の一点目。未発達な幼さを残している身体は全体の均衡は取れており 写実的に描かれている。身体に較べやや大きめの顔には表情がない。表情がなく男女の性別がはっきりしないその顔立ちに違和感を感じるのだろうか。

P188。「身支度をする若い娘」 73×59.5㎝ F20号 キャンバスに油彩 (1949)
ここでは裸体は完全に変形されている。くびれのない胴は四角く 両腕は細く 両足も縦に縮められ短い。両腕で左右に引っ張られている布は水平で左右対称で 両腕と共に三角形を作り出している。構図としては面白いが 傾けられた顔にはやはり表情がない。身支度をする裸体の輝く幸福感はここにはなく 形の変形に関心があるようだ。

P189。「裸婦」 152×82㎝ M80号程度 キャンバスに油彩 1949−1950(1960)
この裸婦も入浴をするのか 布を手にしている。縦150㎝の画面だから小柄な娘なら等身大に描ける大きさだが 頭の上と足先が画面から出ている。この裸婦は大柄のように見えるが乳房は小さく腰のくびれがないので やはり幼さの残る若い娘なのだろう。立ち木のようなこの裸婦もやはり無表情で素っ気無いほどである。

P190。「立っている裸婦」 52.1×26.7㎝ M10号程度 キャンバスに油彩 (1949)
この立ち姿の裸婦は少し現実的に描かれている。姿勢らしい姿勢は取っていず 無為の立ち姿に見えるが 表情がある事から何かしらの雰囲気を生んでいる。しかしいつものようなバルテュスの特徴はあまり見られない。

第三章  P191-P192

191
P191。「伊勢海老 (地中海の猫の習作)」 64.5×81㎝ F25号 合版に油彩 1949
この大きな伊勢海老の絵は「地中海の猫」の部分を描いた習作だが 本制作と共にレストラン「地中海」の店内に飾られている。この海老は写実的な描き方で物自体を描いており 本制作のような物語性は持ってはいない。

P192。「地中海の猫の習作」 46×61㎝ F12号程度 厚紙に油彩 年代不明
1947年に描かれた素描や部分の習作と比べると この習作では全体の構成がかなり本制作に近づいている事が分かる。娘の乗る小舟は角度がつき 擬人化された猫も左右対称になり正面性を生かしいる。そして地中海にかかった虹から魚が生まれている。

第三章  P193

193

「機知に富んだ面白味」

P193。「地中海の猫」 127×185㎝ F120号程度 キャンバスに油彩 1949 
この作品はP90に描かれたノアイユ子爵夫人の依頼で描かれ作家や画家などが集まるパリのオデオン広場にあった海鮮レストラン「地中海」を飾ったもう一枚の作品である。常連客にはコクトーやヘミングウェイ スコット・フィッツジェラルドなどがいた。2枚の絵は店内と入口の左奥の壁にかけらていたそうである。
この絵は店の店内看板であり 豊かな海産物を持つ地中海地方の南フランスや南イタリアへの憧れを表している。しかし地中海沿岸は有名な保養地であり観光地であるから 画題としてはありふれた観光案内ともなりかねないが バルテュスは独特な明るさと暗さ そして機知にとんだ発想で巧みに料理している。明るさとは虹や小舟の若い娘であり 虹から湧く魚は地中海の豊かさを示し 小舟に乗った若い娘は地中海へと見る者を誘う招聘者である。暗さとは今にも雨が降ってきそうな空模様と荒れ始める海で 嵐が来そうだ。そして機知にとんだ発想は擬人化された猫であり この恐いくらいニヤついた猫は食通の客だが 横柄な大食漢のようだ。これらは大人を楽しませるためのひねった面白みだが分りやすい。
構成にも大胆な工夫がされていて 虹から魚への流れはそのまま食卓の白い皿へと円弧を描き 食卓から赤い伊勢海老へとつながり 海老の触覚は小舟に乗った娘へとつながり また虹に帰ってくる。この大きな楕円は画面の中を循環している。中央に立つ細い柱は画面を左右に二分し 虹の世界とそこから生まれる魚の世界を分けている。さらにその垂直線に対して海と灯台の水平線が交わり画面に十字が入っている。大きな楕円と十字。また右側の猫のいる食卓は水平線や斜線が入り交じり それに対して娘と小舟 虹は曲線的に見える。この直線と曲線の対比。
この絵の描き方には単純化された具象表現と現実を正確に再現する写実表現の2種類が使われている。手を振って歓迎する若い娘と小舟 細い柱や食卓などは単純化されているが 猫の顔や荒れ始めて波の立つ海は空気の湿り気さえ感じさせるほど現実的に描かれている。この雲行きが怪しい空と荒れはじめる海は豊かで明るい地中海の幸を提供するこの絵に不穏な予感を与えている。豊かな食の幸と嵐の前触れ 虹と笑顔の娘 擬人化された猫と食欲 直線と曲線 これらの対比がこの作品を味わい深くしている。この大人を楽しませるひねった面白みと分りやすさは店の顔となり 評判を呼んだろう。それにバルテュスもきっと楽しみながら描いたに違いない。

第三章  P194-P195

194
P194。「スパヒと雄馬」の習作。 72×60㎝ F20号 キャンバスに油彩 (1949)
ここでのスパヒとは間諜や密偵ではなく トルコ語で土民騎兵を意味する。この習作では大きな馬の横顔を人物が見上げるように描かれ この小さ過ぎる人物も横顔で馬に微笑みかけている。この習作は珍しい事に本制作よりも大きな画面に描かれている。

P195。「スパヒと雄馬」 58.9×64.2㎝ S15号程度 キャンバスに油彩 1949
習作では曖昧だった人物がはっきりと描かれている。この人物は P75 の「兵舎」にも描かれた騎馬兵達と同じ帽子をかぶっているから モロッコで兵役についていた頃の思い出から描かれたと思われる。兵役は 1930 年から 15ヵ月間で 22 才の頃であり その3年後にP75の「兵舎」を描いている。しかしこの作品は 1949 年の制作であるから 兵役についてから 19 年も経っている。思い出としてはかなり古い。この年は「地中海の猫」も描いているから 類似点はあるが まったく別な主題を突然描いたようにも見える。このような前後のつながりがはっきりしない制作の流れは バルテュスの特徴の一つとして挙げる事ができるが それにしても唐突である。これを描く何らかの理由があったのだろう。
ここに描かれた馬は衣を身に纏い 尊厳を持った偉人のように立派である。そして奇妙にも見える微笑を浮かべている。これは実際の馬の持つ気高さを強調しつつ 半分だけ擬人化しているようだ。そしてその姿をにこやかに見入る騎兵は 馬の世話人というよりも擬人化の魔法をかけた術師のように思える。
擬人化といえば「地中海の猫」がある。また「金魚」の猫も擬人化とまで行かなくても人間化していたから この馬も同じである。この手法は彼等を特別扱いし ある種の幻想性と奇妙さを与えている。これは「街路」などに見られた異形の人物達と同じ手法だが 人を異形にし 動物を人のように扱うという点では まったく逆な方法である。そして共通しているのは 幻想と奇妙な可笑しみを生じさせている事だろう。
この天井から光が差し込んでいる厩の中では 現実と擬人化が混じりあった夢幻が生じているが これを作り出しているのは馬との思い出かもしれない。モロッコ時代のバルテュスには一頭の愛馬がいた。その名をラルビアと言い 黒い馬であったそうだ。しかし彼が帰国して居なくなると 愛馬は寂しさからか餌を食べなくなり 死んでしまったそうである。つまりこの半ば擬人化された馬は モロッコ時代の愛馬に対する追悼と敬愛の念を込めているのではないだろうか。

第三章  P196-P199

196
P196。「ローランス・バタイユの肖像」 55×46㎝ F10号程度 厚紙に油彩 1949
小さな画面に素描的に描いた作品でバタイユの娘ロ−ランスを描いている。厚紙に荒い下地塗りをして その上に油彩をごく薄く塗っている。使っている色は茶と赤茶色のみで 人物はバーントシェンナ 肌はバーントシェンナに白を加えて 背後はローシェンナのようだ。バルテュスは茶系統の色をよく使い 丹念な重ね塗りで落着きと深みを持たせるのが常であるが ここに見られるような軽快で大胆な筆致も実はよく使っている。首を傾けてこちらを見ている眼差しと表情には親密感がある。バルテュスは彼女から信頼されていたのだろう。

P197。「ローザビアンカ・スキラの肖像」 60×48.5㎝ F12号 キャンバスに油彩 1949
ローザビアンカは出版者のスキラ氏の親族だろう。若く見えるので娘かもしれない。すらりとした顔だちの彼女は真直ぐに前を見据え 外套の衿を手で押さえている。その眼は涼やかで前を見据えながらやや視線は下に向けられている。この視線と外套の襟を押さえるしぐさは 彼女に淑やかな謙虚さを含んだ気品を与えている。この作品も色数は限られ 荒い下塗りをそのまま残し 顔だけが描き込まれている。しかしその荒さは大まかな立体感と髪などの質感を忘れていない。

P199。「ローランス・バタイユの肖像」 63×44.5㎝ M15号程度 厚紙に油彩 (1949)
この三枚目のローランス嬢は前作のように微笑んではいない。何やら冷たくよそよそしい。そのためかその大きな薄い色の瞳は より一層に透明度を増して冷ややかに見える。
最初に描かれた時は左向きであったが 先の薄塗りの2作目は正面向きで この3作目は右向きである。つまり彼女の顔は全ての角度から描かれた事になる。

第三章   P198

198
P198。「自画像」 116.8×81.2㎝ P50号 キャンバスに油彩 (1949)
久しぶりの自画像である。この自画像が3点目であるが その前は P124 の「自画像」で9年前の1940年に描かれ その 5 年前の 1935 年に最初の自画像である P84 の「猫達の王」を描いている。その時々のバルテュスの年令は27才 32才 41才である。自画像は画家自身に何かあった時に描かれる場合が多いが それは自分と向き合う必要がある時で 最初の自画像は初個展の翌年で一種の自己紹介だろう。2作目は第二次世界大戦に動員されて負傷した翌年で疎開先のサボォワで描かれている。つまり当時の先進国を巻き込んだ大きな戦争と言う濁流の中にあっても 自分は画家である事を明らかにした立場表明だろう。そしてこの未完成の3作目が描かれた1949年には父親のエリック・クウォソフスキーが亡くなっている。バルテュスは父親と顔だちがそっくりだったし 父との絆は深かったとバルテュスは言っている。両親が別居した時 父親が出て行き息子達は母親と暮らしたが 父親はバルテュスの精神を支え続けた存在だったようだ。そこには信頼と愛情ばかりではなく 恨みつらみと言った負の感情もあるかもしれない。しかしバルテュスは臨終の席で父親と長く話し合い その全てを一言も漏らさず記憶に刻み付けていると言っている。そして父親はポーランドの騎士である事を忘れないようにと言い残したそうである。この伝統的な尊厳とそれを受け継ぐ真摯な態度こそバルテュスが父親から引き継いだ最大な遺産ではないだろうか。

第三章   P200

200
P200。「トランプをする二人」 139.7×193.7㎝ F120号程度 キャンバスに油彩 1948−1950
P164 の「トランプをする二人」のための習作ではトランプをする人は二人とも女性であったが この本制作では男女になっている。若い女性は P163と同じように切り札を一枚出して見せている。わずかに顔をそらしてはいるが眼は相手を真直ぐに見て反応を伺っている。その微笑みは不敵で勝者の自信に満ちている。相手の年令不詳の男性は自分の札を背に隠しながら戸惑い 勝負の行方に不安がよぎっている。切り札を突き付ける娘は威を正すかのように背筋を伸ばして座り落ち着いているが 戸惑い顔の男は椅子から身を起こし前のめりになっている。このような勝負の勝敗を決する一枚の札がもたらす互いの反応と様子の違いが面白い。この勝敗の行方は二人の表情と姿勢の違いで明らかだが 椅子の種類や光の方向 そして色彩にも工夫が凝らされている。娘の椅子は背もたれが高く優雅な曲線を持つが 男の椅子は座面のみで無装飾な簡素なものである。光の方向も追い詰められた男の顔は影の中にあり 娘は正面から光を浴びている。しかしその顔は半分が影になっており 相手の様子を伺うずるさが見られる。P163の「若い娘と一枚のカード」では若い娘は清々しい勝者に見えたが ここではもっと複雑な心理表現が行なわれている。色彩も勝ちを掴んだ娘の衣装は青白く 靴も白い。しかし動揺している男の衣服は赤い。青白さや白は勝とうとする娘の冷静さを赤は負けようとする男の興奮を表している。また年令不詳の男の形も面白い。頭は不定形なハート形で 首を隠す肩と背中は偏平で広い。この形態は奇妙だが現実的な形の強調でもある。相手の切り札に思わず首を縮め それと同時に卓に置いた手に力が入って怒り肩になる。しかしこの男の頭の形は・・。このような一種の醜さと滑稽さを持つ形はバルテュスの特徴であり これ以前の作品では P73の「街路」が有名だが 今後も時々描かれる事になる。
形や立体感 細部などの省略の仕方は徐々に顕著になり 具象表現と言っていい。塗り方は主に乾筆(ドライブラシ)の重ね塗りで 背後の壁はざらつきを残し 床などは平滑に仕上げられている。その他はそれらの中間的な塗り方である。色彩はかなり明るくなっていて ここでは白と赤の対比以外は青緑と黄土色を使い 青緑色は明暗の幅を使って用いている。
この作品は一種の心理劇だが 時代離れした衣装や奇妙にも見える形態から 現実から離脱した独特の隔世感がある。しかもその世界は閉鎖的で独立していながら 緊迫した状況が作り出す充足した ある種の完璧な世界になっている。

第三章 P201

201
P201。「長椅子の上の裸婦」 大きさ不明 キャンバスに油彩 1950
これは P182の「週に四日の木曜日」の姿勢を引き継いでいる。「週に四日の木曜日」では椅子に腰を置きながらのけぞった姿勢を取り 様々な手足の位置を試みていた。またその姿勢によって椅子の形も変えていた。ここでも椅子の形を変え 手足の姿勢も変えている。しかし基本的には変わっていないから どうしてもこの姿勢をなんとか作品に生かしたかったのだろう。それでも新たな試みはあって それは光源の種類と位置で「週に四日の木曜日」では正面の窓からの陽光が裸体を照らし出していたが ここでは右のやや低い位置からの明かりが裸体を照らしている。光源は室内灯だろう。乳房の影と顔に出来た影がそれを示している。室内灯に照らされた両手を広げる裸体は 官能的なはずだが ここにはそのような濃密な情感よりも構成と光と影が重要視されている。
この姿勢やこの作品も P221の「部屋」へと発展し成就するが まだ「部屋」に至る道は遠いようだ。しかし「部屋」の原案となる素描は 1949年に描かれている。だがまだそこに至るまでには時間よりも大切なある飛躍を必要としていたようだ。真直ぐに進む事が目的ではない。蛇行しながら進み そしてある時 それまで考えていたものがいきなり結実する。そのように大きな仕事は成就するのだろう。

第三章   P202-P203

202
P202。「靴を履く若い娘」 66×54.5㎝ F15号程度 油彩 1950
この作品には窓辺に佇む娘と室内の中にいる娘が描かれている。窓辺の娘は P181の「週に四日の木曜日」のための習作に描かれた少年の姿勢に似ている。この幼さの残る若い娘の膝をついて低過ぎる窓枠にもたれるその後ろ姿はスカートの短さゆえに煽情的だ。それは椅子に座って片足を挙げて靴を履く姿勢も同じだが その姿は正面から捉えられ ほとんどが影の中にあり性の露呈ははっきりしていない。それは光と影による造形性の方が優先しているからで 造形と官能性は必ずしも一致しない事が分かる。

P203。「タマラ・Lの肖像」 65×54㎝ F15号 厚紙に油彩 1950
1950 年は 6点しか描いていない。それも習作や以前から描いていた作品も含めてである。その理由はエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台装置と衣装を担当し 準備や制作に 6ヵ月もかかったからだが それにしても少ない。
この肖像画も荒い筆後が残り 未完成のままの状態で署名が入れられている。左手の位置を変えた後も残っているし 胴や両腕も描き込まれていない。この様子から見ると画布に直接描いたようである。素描は一枚あり 別な角度だが顔を鉛筆で描いている。見比べると素描の方が大人っぽく 油彩画の方は印象的に特徴のみを描いているせいか 幼さなく見える。

第三章 P204-P205

204
P204。「コメルス・サン・タンドレ小路のための習作」 71×90㎝ F30号 厚紙に油彩 1950
これはあの P220の「コメルス・サン・タイドレ小路」のための習作で背景の街並が描かれている。この習作の 2年後に本制作は描かれ始められる。これは実際にある場所でパリの 2番目の仕事場であるロアンはこの通りに通じている。この場所を選んだ事に特別な意味はないとバルテュスは述べている。しかしそう言われてもあの作品を知る者にとって ここは特別な場所だろう。実際にも正面の8番地には1793年に起こったフランス革命の革命家マーラーが発行していた新聞「国民の敵」の印刷所があった場所だった。また鍵印の看板があるこの建物では 後に断頭台に使われたギロチンが発明された場所でもあった。

P205。「コメルス・サン・タンドレ小路のための習作」 92×72.5㎝ F30号 厚紙に油彩 1951
これは「コメルス・サン・タンドレ小路」の登場する人物を描いた習作である。この姿勢と身振りは素描にも多く描かれているが 違いは細部の衣服や髪形 顔の向きなどである。この思案深げな態度がいかに重要で謎めいているかは 本制作が完成するまで待たねばならない。

第三章   P206

206
P206。「窓 ロアンの中庭」 150×82㎝ M80号程度 キャンバスに油彩 1951
この窓のある部屋は 1936年に設けた広くて簡素な仕事場である。この窓からは中庭が望めるが その中庭はロアン小路に立つ建物からロアンの中庭と呼ばれていた。この中庭はコメルス・サン・タンドレ小路に通じているし 当時の著名人達が通ったレストランの通用口にも通じていた。ロアンの仕事場では多くの作品を制作しているが この作品では仕事場にある窓とそこから見える向かいの建物を描いている。しかし特に描く対象に乏しいこの風景画は何を描いているのだろう。向いの建物が浴びている陽光と室内の微妙な陰影なのか それとも部屋の窓から見える向いの建物の窓なのだろうか。中庭を挟んで立つ向いの建物の壁には窓が四つあり 四つとも暗く塗られ中の様子はまったく分からない。あの窓の中にはどんな人が住み 何をしているのだろう。分からない。生活のために行なう繰り返し 食事をして 身体を洗って 睡眠をとって 会話して 本を読んで・・・。どの部屋でも同じ事が繰り返されているのだろうか。違う事も行なわれているはずだ。もし生活のためだけなら それでは世の中を動かす考えや行為はどこで起こっているのだろう。少なくともバルテュスはこの部屋で考え 悩み 描き 制作の喜びと落胆と迷いが起こり それを体験している。これに似ていなくとも 向うに見える窓の中でも何かが起こっているはずだと 考えても不思議ではないはずだ。窓は内と外をつなぎ 一つの窓から多くの窓を見る事ができる。またその向うの窓からも同じようにこちらを見ることもできる。しかしその窓の中までは分からない。4つの見えない世界。

第三章   P207

207
P207。「身支度する若い娘」 139×80.5㎝ M70号程度 キャンバスに油彩 1949−1951
真横からの描かれた身支度をする立ち姿の裸婦である。光源は真上にあり 髪と腕を除く裸体全体は影の中にある。光に輝く長い髪は豊かにうねり 横顔の曲線は身体へと続き 微妙な変化を見せる曲線は影の中の裸体を際立たせている。まるで影絵のように裸体の持つ曲線を印象的に際立たせている。また影の中の裸体は生な肌色を失い 赤銅色に沈んで幻想的だ。テーブルや洗面道具も同じ色で 裸体に対応している。しかし背景の壁の模様はくさび型の連続模様で実に大胆である。くさび型の一つ一つが大きく色彩も赤と黄金色なのでかなり豪奢で大胆な装飾になっている。しかもその装飾は時代性とは無縁のようだが 東洋趣味も感じられる。赤銅色に沈む影の中の裸体と渋く輝く黄金色と朱色はとても相性がよい。しかしこのくさび型の装飾は影の中の裸体の醸し出す幻想性を上回る強さがあるのではないか。バルテュスは一つの画題に対して他の要素を加えて複雑または曖昧にする手法をよく使うが これもその例だろう。ある収まりのよい状態に別な要素を加えて 調和に混乱を混淆させる事で新たな領域へと押し上げる。
つまり影の中の裸体の曲線が生み出す幻想性はおとなしく微妙な味わいを醸し出しているから それに合う背景を選ぶ事もできるが そうはしない。逆に相反する背景を組み合わせ その対比の効果によって収まりのよい状態を避けてより強い印象を作り出す。これがバルテュスの表現手段であり ここでも使われている。

第三章   P208

208
P208。「両腕を上げた裸婦」 150.5×82㎝ M80号程度 キャンバスに油彩 1951
この作品は身支度をする娘の流れをくんだ 寝台の上の裸婦である。寝台の上で両腕を挙げて伸びをしている娘の表情はいかにも寝起きのようで微笑ましく 伸びの気持ちのよさが肩から背にかけて感じが出ている。また黄色い室内履きも可愛い。
これは何気ない仕草であるが やはり個人的で本来は人に見せない姿である。またその姿が裸体である事から 見る者は覗見的であるとされるが それよりも何気ない仕草をふっとした時に見たといった方がよい。そこにはいかがわしさや官能性よりも 裸体であるからこそ伸びやかで開放感が生じているのでないだろうか。このような何気ない仕草に眼を止める感性は見る者として重要だ。
しかしこの絵には幾つか気になる点がある。それは形の変形の仕方と不安定な構図で 具象表現なのは分かるが 肩と首の関係 乳房の位置 下半身と足の細さ 手前の椅子と赤い毛布 背景などの質感 これらが気になる。また姿勢の画面への入れ方もやや不安定で気になる。もう少し右に寄せた方が安定するのでないだろうか。このような造形力や構成力は以前の厳格さに比べるとやや曖昧さを感じる。それは細部の現実性を省き 見て描くのではなく想像または記憶で描いているからで 現実を写実的に描く時に共なう守らねばならない制約にこだわらず描こうとする 一種の独創へ向かう態度から生じていると考えられる。写実表現から徐々に独自な簡略化や単純化を行なう作風への変化の中で 時に全体の均衡を厳密に取らない傾向が見られたりするが この作品ではその一種の喪失が描法からの開放性を伴っている事も確かだ。

第三章 P209

209
P209。「イタリアの風景」 59×87㎝ M30号程度 キャンバスに油彩 1951
この年にカエタ−ニ家の客としてイタリアを訪れ セルモネータの古城に迎えられ 滞在中にこの風景画を描いている。バルテュスはこの滞在地を幻惑的な場所と言っているが それはどのような意味なのか。この風景画はまるで天高く飛ぶ鳥から眺めたように描かれ 伝統的な遠近法つまり有角透視図法とは異なる広大な大地と空間を描き出している。有角透視図法は遠くの物ほど小さく見えるとする原理に基づいているが ここでは奥まっても大きさを変えない平行透視図法が使われている。広大な風景は時に距離感を失わせるが この距離感を狂わせる感覚こそ この広大な大地と空間の現実性を呼び起こしている。これがバルテュスの言う所の幻惑性の一つだろう。そしてその大地には曲線とも直線ともつかない黄土色の細い路が刻まれ 濃い緑色の小さめの樹木の茂りがある規則性を持って並んでいる。
この風景はいわゆる野離しの自然ではなく 人が開墾し植林した人工的な自然の風景である。それは全体計画に基づかずに作られているが 全体から見ると一つの秩序を持っている。人は自然を人工的に整えるが それは広大な面積にまで及び その労力とそれを成すまでの時間も遠大なものとなる。つまりこのような風景は遠大な労力と時間を経た存在であり そこにはある種の秩序を見い出す事ができるが その秩序は人が作り出した人為を越えている。これも幻惑の一つだろう。

第三章   P210-P211

210
P210。「ボリス・コフノの肖像」 48.5×44㎝ S8号程度 木版に油彩 1951
ボリス・コノフ氏はシャン=ゼリゼ・バレエ団の美術監督であり ロシア・バレエ団の興行師であったディアギレフの秘書も勤めた事がある人物でピカソとも親交があった。バルテュスとはバレエ「画家とモデル」の舞台美術を依頼した縁で肖像画を描く事になる。バルテュスはコフノ氏の顔をボードレール的な意味でとても魅力的でまた徒刑囚のようにも見えたとも言っている。これはバルテュスの親しみを持った冗談でもあるが 描かれた肖像はそれほどに個性的ではなく とても素直に描かれている。先の逆説的な発言はあまりに素直な態度を隠すための惑わしに思えるほどである。この肖像画は最低限の色数で描かれていて バートシェンナに白と黒を加えて明暗を作り立体感を描き出している。

P211。「白い鳩の卵のための習作」 53×64㎝ F15号 画材不明 1952−1953
この素描のような習作はP185の「裸婦の習作」の裏側に描かれている。題名に「白い鳩の卵」とあるが このような本制作はないので発想のみに終ったのだろう。しかし鳩の白い卵を画題にしてどんな作品を描こうとしたのだろうか。またこのように発想のみで終った例は他にもありD681の「鏡と女」は鉛筆による素描で 完成度も高く4枚も描かれているが本制作される事はなかった。

第三章 P212-P213

212
P212。「トランプをする人達」 64×81㎝ F25号 キャンバスに油彩 1952
この荒々しい筆致を残す作品は P200の「トランプをする二人」と左右が逆になっているが 同じ構成で男女がトランプをしている。帽子をかぶった女は一枚の札を差し出し その札を見せられた男は背をひねって後ろ腕にし 困惑の表情を見せている。二人の間には小さく描かれた人物が一人いる。全体に暗い色調で二人の間のテーブルは水平で表の面を見る事は出来ない。これは P175の「赤い魚」と同じであり この点では「赤い魚」風に仕立てたトランプをする人達と言える。確かに「金魚」で成立したあの暗さは神秘的だったし その闇の中で囁くように輝く小さな赤い魚こそは あの深い闇の主人だった。このトランプをする人達もあの神秘的な闇の中にいる。すると差し出された一枚の白い札はあの金魚なのだろうか。金魚も一枚の札も人々の目を奪う そこに何かが集まる。関心や意識が集まる。それは一つの中心であろう。その場を取り仕切るもの。闇の中心は密かに光を放つという事だろうか。

P213。「トランプをする人達」 58.5×72㎝ F20号 キャンバスに油彩 1952
先の「トランプをする人達」と同じ構成だが 細部が異なっていて 荒々しい筆致は丹念な筆跡に整えられている。テーブルの表面は見えるようになり 男は捻った背中を戻し両肘をテーブルにつけている。3人目の人物は省かれている。 P200の「トランプをする二人」は二人の全身が描かれ 室内は広がりを持っていたが ここでは二人の対峙する様子のみに集中させようとしている。二人の対峙する様子を見ていると何やら艶かしさがあるように感じられる。相手が困ると分っている札を出す者の優越感とその微笑み。出された札に困惑する表情を隠さない男。二人の間には温度が感じられる。その温度が艶かしい。それは一枚の札や金魚のように具体的なものではなく また恋愛の温度でもない。二人の間に流れる温度はわずかに発光しその照りが艶かしさを生む。ある事に向かって集中する者同士が持つ共存 または共生の温度かも知れない。

第三章 P214-P215

214
P214。「ヘレナ・アナヴィの肖像」 108×90㎝ F50程度 キャンバスに油彩 1952
重厚な黒い外套の下にも黒い衣装を着込んだこのアナヴィ夫人はかぶる帽子も黒い。片手を椅子にかけ もう一方の手には小さな赤い花をつまんでいる。この指先は繊細で小指以外の4本とも花に添えられている。自らの気高さを示すように背筋から首まで真直ぐに伸び 顔はその気高さを頑固に守るかのように顎を上げている。頬骨も高く鼻梁は細く小鼻は薄く小さい。眼は何かに気付いたように斜め上に向けている。人物と背景の構成は充分に整っていて 椅子に置かれた右手から両肩にかけてゆったりとした曲線が横切り左腕で折れ曲がりながら下に降りている。その両腕と肩にのびる曲線の真中から首と顔が上に伸ぴ 丸い帽子が造形的なアクセントになっている。背後の明暗のある黄金色の壁は衣装に勝るかのように重厚である。ここには P208の「両腕をあげる裸婦」に見られた不安を感じさせる造形と構成の曖昧さは見られない。

P215。「白い襟の若い娘」 27×22㎝ F3号 キャンバスに油彩 1952
この作品は珍しく生塗り描法(アラプリマ)の厚塗りで描かれている。豚毛筆に絵具をたっぷりとつけて 画面に盛り付けるように塗っている。この描法は先に塗った絵具の乾燥を待たずに次の色を塗り重ねるので 絵具の生々しさが残る描法である。油絵具はこのような生塗りも乾筆(ドライブラシ)も可能で もちろん厚塗りから薄塗りまで行え 乾燥させて重ね塗る事もできる。また油絵具特有の艶をたっぷりと出す事も得意だが20世紀絵画はこの艶を嫌い 用いている画家はほとんどいない。この生塗り描法で有名なのはルノワールやゴッホで キュビズム以後のピカソは様々な絵具の扱い方を実践しているからピカソの作品でも見る事ができる。バルテュスは基本的に乾筆で 乾燥後の重ね塗りを丹念に行ないながら微妙な色彩を作り出していく描法である。故にこの生塗り描法だけで描いた作品は珍しい。

第三章 P216-P218

216
P216。「管理人」 27×19㎝ P3号 キャンバスに油彩 1952
この小さな人物画も厚塗りだが生塗り描法のように筆を走らせずに 適度に押さえられた筆致で描かれている。この絵は本人を見ながら描いたのだろうか それとも記憶で描いたのか。
このような初老の女性を見るとバルテュスの絵に時々現れる老婆を思い出す。それは身支度をする若い娘の背後にいる老婆である。身支度をする女といえば「キャシーの化粧」が最初だが その原案は「嵐が丘」の挿し絵であった。「嵐が丘」と言えばキャシーとヒースクリフ そしてネリー。かのネリーは気丈なイギリス女だったが この初老の女性は穏やかな気品を持っている。今は管理人だろうが きっと古きパリを知っていた女性なのだろう。

P217。「小さな鏡台の前の裸婦」 65×54㎝ F15号 キャンバスに油彩 1952
これも身支度をする女性で8点目にあたるが この数は鏡の前の裸婦だけで 入浴に関する作品も入れるともっと増える。身支度や入浴は他者の目の及ばない個人的な世界であるから同じ主題とも言えるが。
この作品では椅子に座って髪を整えていて 洗ったあとの髪の手入れだろう。鏡の前で自らの健康と美しさを確かめ それを維持しようとする習慣は女性だけが持つ私的な世界だが 入浴後の裸体のままで行なうのは開放感を楽しむためか。
椅子には厚手の布がかかっているが それは大まかで大胆な絵具による質感が与えられ 他と不釣り合いなほどでまるで柔らかい岩のようだ。しかしそれは豊かな色彩で補われている。

P218。「鳩とガラス鉢」 50×50㎝ S10号程度 厚紙に油彩 1953
この鳩の絵も大胆な絵具による質感があたえられ おおらかな筆致で描かれている。窓辺に置かれた鉢に入れられた餌によってきた鳩なのだろう。その姿は自然で邪気がない。即興的で平面的な描き方もやっかいな仕事の合間に描いたようで微笑ましい。バルテュスの視線の先にはこのような自然界の無垢なものも映っている。そして後にも鳩はもう2度描かれる事になる。

第三章   P219

219
P219。「壁面装飾」 大きさと画材は不明 1953
8本のコリント式円柱と壁に作り付けられた棚の上を縁取る貝殻模様とバラの花。これら意匠の創案と制作を行なっている。バルテュスは演劇やバレエの舞台美術と衣装の創案を請け負っていたので このような室内装飾も依頼されたのだろう。家具や調度品に似合った意匠になっていて 伝統的な意匠を継承している。

第三章   P220

220

「沈鬱の街に仄めく白痴美」

P220。「コメルス・サン・タンドレ小路」 294×330 F500号以上 キャンバスに油彩 1952−1954
制作に2年をかけたこの大作は同じくらい大きい P221の「部屋」と同時に描かれている。そしてこの2点ともバルテュスの代表作となる。 1952年から 1954年はバルテュスの年令では44才から46才であり まさに壮年期にあたり機が熟すのを待つかのようである。「コメルス・サン・タンドレ小路」と「部屋」では「コメルス・サン・タンドレ小路」の方が大きく 生涯を通じても最大の大きさとなる。右手前に描かれた若い娘の背丈が実際に約 130cmあるから 小柄な人物なら等身大に描ける大きさである。また作品は大きいほど手間がかかり膨大な労力を必要とし それはほとんど過酷な肉体労働でもあるが そのような制作の労苦は別としても その大きさはまるで見る者を包み込み圧倒しようとするかのようだ。しかしここでは見る者との関係と言うよりも もう一つの現実を主張するための大きさのように思える。現実は何でも起こり得て 全てが在るほど大きく広く深い。このような現実を表すには大きさは重要である。つまりこの作品は現実そのものと対峙するもう一つの現実とも考えられる。
右端の歩道に座り込む小柄な中年の男は何もする事がない無能者のようだ。左側の建物から顔を除かせている丸顔の双児は病む者のように立ちすくんでいる。その窓枠につかまっている腕の短い若い女は陽気だが白痴かもしれない。小さな椅子に人形を乗せて遊ぶ幼女は親に見捨てられたように一人遊びをしていて その様子は右端の座り込む男に見られている。小路の向うの道を歩む老婆の曲がった背は老いの証しで 生きるための労苦の印かもしれない。老婆の歩む路へ向かう 背筋を伸ばした後ろ姿の男は よく言われるようにバルテュス自身であるかもしれない。彼は画家で裸のパンを持っている事からこの街に住んでいて 彼等とは同じ街に暮らす同居人なのだろう。老婆と後ろ姿の男の間には白い子犬が一匹いてうろついている。もっとも手前にいる若い娘は その年令には不釣り合いな思案深そうな顔をして頬に手をあてている。彼女はこの絵画世界へ見る者を誘う招聘者か それともこの絵画世界の有り様を哲学者のように認識する者か。それから彼等を取り囲む建物は 堅牢で普遍的だが廃虚のように人気がなく 墓のように聳え立ち 空虚感さえ漂わせている。この普遍的な人工物の中で 静かにおとなしく沈鬱の淀みに浸っている彼等の共通点は 誰もが社会的な生産力を持っていない事だ。無能者 病む者 白痴 幼い者 年寄り 画家 若い娘 さまよう犬。
パリは 1800年代に再建された人工の街であり人口密度は高く 華やかな表の顔とうらぶれた裏の顔を持っていた。そしてこの絵が描かれたのは第二次世界大戦の終結から8年後である。当時このような負を持つ人々はどこにでも居たはずだし その数は決して少なくなかったはずだ。
この絵の沈鬱と空虚感は憂いとも言えるし絶望 停滞 非合理という言葉も思い浮かばせるが もっと違う何か。それは画面の中を不穏な光を放ちながら仄めき 危うく漂っている白痴美ではないだろうか。負である者たちの仄めきが放つ美。そして人々の背後にある建物はそのような美を守護する者の墓のようだ。沈鬱の街に仄めく白痴美。
初期の「同居の無関係」は P73の「街路」に集約され 滑稽感を伴う壮大な見せ物として街の中の人々を描いたが この作品ではその本質の一端を負性の中に見い出し その負のあり方を深みと重厚さを持って提示している。

第三章   P221

221

「無垢なる者と裏切り」

P221。「部屋」270.5×335㎝ F500号以上 キャンバスに油彩 1952−1954
この「部屋」と題された作品は先の「コメルス・サン・タンドレ小路」と同時に描かれたバルテュスの代表作である。この代表作はバルテュスの作品の中でもP102の「山 (夏)」に次ぐ 3番目の大きさである。
「部屋」はある点で「コメルス・サン・タンドレ小路」と似ている。それは重厚で充実した描画力とある本質を語っている点で 同じようにあからさまにされない秘密めいたものを描いているからである。先の「コメルス・サン・タンドレ小路」が街の中であったのに対して ここでは場所を室内に移している。外と内。その暗く閉ざされた室内には二人の人物と一匹の猫がいる。一人は幼さの残る娘で全裸のまま長椅子に横たわっている。もう一人はおかっぱ頭のスカートを履いた年令不詳の女である。室内の天井は高く 長椅子の他は小さな棚と細長いテーブルしかなく 棚には身支度に使われる水入れと洗面器が置かれ 窓際のテーブルには本が一冊あり その上に猫が座っている。奥まった壁の左側には白っぽい布が下がっている。この拾い室内は貧しいほど簡素である。
この室内ではある事が起こる。それはおかっぱ頭で三角顔の女が遮光幕を上げて外光を導き入れ 幼い娘の裸体を外光にさらしたのである。娘は長椅子の上で全身の力が抜けたようにぐったりとしている。その裸体は丸々としていて肌は赤味が射し黄金色に輝いている。闇の中に秘められていた無垢なる者は悪意を持った行為によって その姿を露にされたのである。テーブルの上の猫は振り向き 釣り上がった眼で遮光幕を開けた女を見ている。しかし光に照らされた娘の股間は窓に向けられているから 陽光によって露にされただけでなく まるで陽光と交わったようにも見える。または光に犯されたのか。行為と無力 悪意と無垢 闇と光 光と性。この対比関係。
この部屋の中の出来事も他者の知る事のない私的な世界であり それは秘めやかな領域に有るものとして隠蔽されて然るべき世界なのだが それをバルテュスは露にする。この露呈は劇的で官能的だが ここには肉体による性愛の匂いはなく あくまでも外光との精神的な交わりであるようだが この光は神の仮の姿かもしれない。古代ローマの神話はギリシャ神話を引き継いでいるが 主神ユピテル(ギリシャ神話のゼウス)は「天なる父」と呼ばれ 正妻がありながら様々な女神や人間の女性と関係を持ち 数多くの子をもうけた。ユピテルは始源的な多産の神だが その行いを果たすために様々なものに変身する。それはダナエと黄金の雨 イオと雲 レダと白鳥などである。この「部屋」の外光はその一種かもしれない。秘められた処女は光によって性を知る。性の露呈は性への目覚めを誘う。 また三角顔の女は長椅子に横たわる幼い娘自身の中に潜むもう一人の自分とも考えられる。無垢な幼い娘は自覚の乏しい未熟な存在として善だが その中には性の喜びを求めるもう一面があり それは悪魔の囁きのように自らを性の世界へと導く。人の心に住むもう一人の欲望を持った自分。そして猫はこの思春期に起こった事件の目撃者であるが 沈黙の証人でもある。  
しかしこのような解釈はこの絵画世界から離脱し 理に落ちてしまうようだ。バルテュスはこの作品の題名を最初は「イタリアの肥沃な平野を発見するナポレオン」と考えたと言っている。これは題名と言うよりこの作品の内容への一つの示唆だが 陽光に照らされた幼さの残る裸体は人肌の暖かさがあり それこそ肥沃な丘陵(平野ではなく)のように美しく魅力的で 闇の深さと部屋を照らす明るい陽光も美しい。そして猫も当然そこに立ち会うべきものとして他は考えられないほど最適である。そしてこれらを露にした三角顔の女は悪意を持っているとされているが 実は彼女のおかげでこの部屋に光がもたらされ それまで闇に秘められていたものが眼に見えるようになった。つまり彼女こそ見るための光を誘う醜く可愛い道化であり 見る者への奉仕者でもある。ここにある性の露呈または性への目覚めは深い闇の中から 陽光に照らされて浮き上がり 今までの露呈の中で 最も私的な世界に漂う謎めいた神秘性を描き出している。 

第三章 P222-P223

222
シャシー時代 1953-1961 45才-53才 P221−P315 94点 計316点
パリを離れてモルヴァン地方のシャシーの館へ転居する。最も多く野外風景を描いた8年間であり それらは画面構成に様々な工夫が見られる。また長椅子と少女達やトランプ 身支度をする裸婦 寝姿なども以前と同じように取り上げられている。また静物画も描いている。色彩は明るくなり 完全に具象表現描法に移行している。主な作品「シャシーの中庭」「樹木のある大きな風景(三角の畑)」「窓辺の若い娘」など。

P222。「モルヴァンの小さな風景」 24×27㎝ F3程度 木板に油彩 1953
この小作品は 1953年にパリからシャシーへ転居してから描かれた最初の風景画である。シャシーでの住まいは17世紀当時の領主の城館で この城を見つけた当時は廃屋だったので修繕と電気水道を引く必要があったそうだ。この自然豊かな地方での生活はバルテュスに多くの風景画を描かせる事になるが その前兆をこの作品に見る事ができるだろう。

P223。「コロンブスの卵」 50.7×74㎝ P20号程度 キャンバスに油彩 1953
これは1752年にウイリアム・ホーガスが描いた作品の摸写である。大まかな筆致で描き 人物の顔は変形し細部は省略されている。顔の歪みをもち やや醜く変形されている。複数の人物の組み合わせとその個性豊かな顔だちに絵画的な興味をもちながら アメリカ大陸を発見した航海士コロンブスが残した逸話にも考える所があったのだろう。コロンブスはイタリア生まれの航海者で 当時の大航海時代の中で世界各地ヘ航海し1502年に中部アメリカ大陸を発見する。この時誰でも発見しえたとの評に対して それなら卵を立てて見よといい 衆人が試みても出来なかった後で卵の尻を潰して立て見せたという。この逸話は最初に敢えて行なう事の至難さまたは発想の逆転を意味している。バルテュス自身も「最初に敢えて行なう事の至難さ」を実感していたと述べている。

第三章  P224-P225

224
P224。「横顔のコレット」 92.5×73.5㎝ F30号 キャンバスに油彩 1954
コレットはバルテュスの住むシャシーの城館を修繕した石工の娘である。このコレット嬢を描いた作品は人物画と言うよりも絵具による質感の作品と言えるほど その質感は印象的だ。その上着の描き込みの具合は 顔等と比べてはっきりと異なり 硬い豚毛筆で絵具を練り付けるようにして塗り重ね 仕上げに薄く溶いた絵具をお汁がけ(グラッシ)をしている。それによって絵具による重厚さと透明感を出している。
そして左肩のシワの描き方はもはや抽象画のようである。
絵画の質感には2種類あって 1つは描かれた物の持つ質感を再現したもの もう一つは画面に塗られた絵具そのものが作り出す質感である。この絵は後者であり その印象的な上着は翡翠のような透明感を持った厚手の布地のように重厚だ。バルテュスの技法は基本的に乾筆(ドライブラシ)の重ね塗りで 微妙な色彩や重厚な画面作りに使われてきたが この重厚な画面作りは絵具による質感によって作られている。この「横顔のコレット」ではそのような画面の充実と重厚さを出すためよりも 絵具による質感自体を見せている。バルテュスには珍しい表現であるが常に技法に対しても工夫を怠っていない証だろう。またこの作品ではコレット嬢はテーブルに手を重ねて置き 神妙ながら毅然とした表情で陽光に照らされている。その光によって放たれる若い娘の発する生命の輝きは上着の発光を一体化している。光は全てを色彩と輝きに還元して この若い娘に至福を与えている。

P225。「座っているコレット」 81×65㎝ F25号 キャンバスに油彩 1954
この作品には「横顔のコレット」と同じ技法が画面全体に使われている。それは絵具を練り付けるように塗った上に薄く溶いた絵具をお汁がけ(グラッシ)の技法である。薄く溶いた油絵具は透明感を増し 下塗りの凸凹の微妙な濃淡の変化とともに輝やいて見える。油絵具は水性絵具とは異なり 油性の希釈液で薄めるので いくら薄めても接着力は落ちない利点がある。しかしこの技法は特有の濡れたような艶を与える事にもなるので これらの作品以外に使われていない所を見ると やはりバルテュスは乾筆(ドライブラシ)の乾燥した画肌(マチエール)を好んだのだろう。

第三章 P225

225
P225。「座っているコレット」81×65cm F25号 キャンバスに油彩 1954
この作品には「横顔のコレット」と同じ技法が画面全体に使われている。それは絵具を練りつけるように塗った上に薄く溶いた絵具をお汁がけ(グラッシ)の技法である。薄く溶いた油絵具は透明感を増し 下塗りの凹凸の微妙な濃淡の変化とともに輝いて見える。油絵具は水性絵具とは異なり 油性の希釈液で薄めるのでいくら薄めても接着力は落ちない利点がある。しかしこの技法は特有の濡れたような艶を与える事にもなるので これらの作品以外に使われていない所を見ると やはりバルティスは乾筆(ドライブラシ)の乾燥した画肌(マチエール)を好んだのだろう。

P230。「朝の身支度」75×72cm S20号程度 キャンバスに油彩 1954
四角い画面を丸く縁っている。円形や楕円の画面もあるが ここでは丸い穴を覗くような仕掛けなのだろうか。朝の身支度の様子を覗くのか。これは秘められたものに対する好奇心だが 付き人の女性はこちらを見ているようだ。もう一人の幼い娘は着衣姿で髪を整えている。二人の真ん中にはカーテンがあり ゆるく止められたカーテンは妙な皺を作っている。通常画面の真ん中にあるものはその絵の主役であるが ここではカーテンが主役のように真ん中に位置している。また描かれた人物とカーテンの関係とともに妙な感じを生んでいる。

第三章  P226-P228

226-228
P226。「リナの横顔」 60×48.5㎝ F12号程度 キャンバスに油彩 (1954)
シャシー時代の最初に描かれた人物である。額は高く目は鋭い 小鼻の小さな顎の尖った若い女性である。顔だちや髪のまとめ方 衣服の様子から地方の質素さの中で育った生真面目で控えめな女性のようだ。その表情には描くために見られる者が示す 僅かに身体をこわばらせる緊張が見られ 初々しい。ヨ−ロッパの地方に住む若い人の素朴さは貴重だ。

P227。「腕を組むリナ」 98×64㎝ M40号 キャンバスに油彩 1954
先のリナ嬢の立ち姿を描いているが 顔だちは変えられている。かなり浅い塗りで未完成である。手前の食卓には果実や皿などが描かれる予定であったらしいが描かれていない。全体に下塗り程度だが いつものように顔は他より手が入れられているから 見れるものとして成立している。これをもっと重厚な感じが出るまで描き込んだとしたらと想像してみるが この絵にはそのような重さは似合わないとも思える。しかしバルテュスはアンリ・マチスは絵画を単純にし過ぎると評した意見に賛成していたが バルテュス自身もその問題に取り組んでいた事は確かだろう。

P228。「立っている裸婦」 100×81㎝ F40号 キャンバスに油彩 1954
この正面を向いた立ち姿の裸婦も未完成である。しかしこの未完成は意図的で全体の均衡を計りながら行なわれているようだ。これは先の「腕を組むリナ」にも見られる事で 全体を描かなくても絵として成立する塩梅を探るかのようだ。その証拠はテーブルや椅子などの描き方で程よい加減で描く事を止めている。椅子の右側半分は白く残されているし 裸体の周囲も程よく必要な分だけ塗られている。またこの作品では裸体の方を描き込んで顔を描いていない。他の未完成の人物画なら顔のみに力を入れて他は軽く処理して終る事が多いのに ここでは逆だ。ここで重要なのは裸体の豊かな曲線であり 丸まるとしたふくらみである。顔も乳房も腰も太腿も膝下も 全てが豊かなふくらみを持っていて 光と影はそれを立体的にして魅せている。
この裸体画は先の P187などの立ち姿の裸婦達を引き継ぎ さらに P282の「身支度」などへ そして P341の「スカ−フを持つ裸婦」らへと展開されて行く。

第三章   P229-P230

229
P229。「若い娘の横顔の肖像」 24×19㎝ サム号程度 厚紙に油彩 (1954)
随分と荒々しい筆使いで描かれた横顔で ゆるく溶いた絵具を太い豚毛筆で擦り付けるように塗っている。考えを振りほどくかのような描き方だ。この作品にも署名はされている。

P230。「朝の身支度」 75×72㎝ S20号程度 キャンバスに油彩 1954
四角い画面を丸く縁取っている。円形や楕円の画面もあるが ここでは丸い穴を覗くような仕掛けなのだろうか。朝の身支度の様子を覗くのか。これは秘められたものに対する好奇心だが 付き人の女性はこちらを見ているようだ。もう一人の幼ない娘は着衣姿で髪を整えている。二人の真中にはカーテンがあり ゆるく止められたカーテンは妙な皺を作っている。通常画面の真中にあるものはその絵の主役であるが ここではカーテンが主役のように真ん中に位置している。また描かれた人物などの形や立体感などは簡略化され 具象表現になっているが その簡略化は人物とカーテンの関係とともに妙な感じを生んでいる。これはバルテュスの特徴の一つであり このような造形感覚と構成感覚の妙さはバルテュスの創作世界の底にうねりながら沈んでいる 私的な感性の創出なのではないかと思う。この傾向はシャシー時代により強まっていく。

第三章  P231-P233

231-233
P231「三姉妹 (シルヴィア・コル)」のための習作  101.5×83.2cm キャンバスに油彩 1954
「三姉妹」は 1954年から 1965年までの間に本制作は 5点 習作が 3点描かれている。同じ画題の作品としては点数が多い。そうとうこだわった画題であったのだろう。ここに描かれた娘達は P89の P・コルの娘達である。「三姉妹」の始まりはこの作品からで 本を読むシルヴィア・コルを真横から描き 構成的な充実を見せながら 色彩は自由に扱われ緑色と黄土色を基調とし それに対比的な青紫と赤を配色している。落ち着いた色調だが印象としては明るい。この作品には露呈や謎めいたものはなく 本を読む時の姿勢を均衡の取れた形態として描いている。自然な姿勢に配色の自由さが彩りを加えているが 配色の自由とは実際に描かれた人の衣服なとの色を再現するのではなく 画面上において自由に配色されるという意味である。

P232「三姉妹 (シルヴィアとマリー・コル)」のための習作 98.4×80cm キャンバスに油彩 1954
本を読むシルヴィアにもうマリーが加わっている。シルヴィアは細部や色彩が変更され 頬杖をついていた左手は省かれ 髪や室内履きの色も変えられている。この変更は新たに加わった長椅子に座るマリーとの調整だろう。マリーは左手に花を持ち真直ぐに前を見ている。

P233「三姉妹 (マリーとペアトリス・コル)」のための習作 90×117cm キャンバスに油彩 1954
ここではシルヴィアの全身と三人目のベアトリスが描かれている。長椅子に座るシルヴィアと床に座るベアトリスとの関係がうまく構成されている。片膝を立てた足の先にはベアトリスの左手があり 二人はつながりを持つように構成されている。また長椅子の3つの丸い背もたれがその二人のつながりに変化をつけている。

第三章  P234

234
P234。「三姉妹」 60×120㎝ M40号程度 キャンバスに油彩 1954−1955
先の三枚の習作を横につなぐとこの本制作になるのだが 全体の均衡を計るために細部は変更されている。長椅子に座るマリ−と右の床に座るベアトリスの間には籠に盛られた果物が置かれ 二人の間の不足を埋めている。また左端の本を読むシルヴィアの椅子は背もたれの端まで画面に入れられ 右端にも花を活けた花器とテーブルが描かれている。三人は画面の中に余裕を持って配置されているが表情などの細部は省かれている。この横に長い画面は絵巻物のように左右に順を追って見る事ができるが P193の「地中海の猫」のように 循環する視線の流れが作られているから 絵の中を順に見ていく事もできる。

第三章   P235

235
P235。「シャシー農場の中庭」 75×92cm F30号程度 キャンバスに油彩 1954
シャシーの城館は農場も兼ねていて中庭や納屋があり 門も幾つかある。この作品は館の2階から中庭に立つ 2つの門とその向うに広がる丘陵を描いている。この 2つの門はお気に入りだったのか 7点も描いている。その理由はやはり 2つの門の重なりが作る構成の充実感だろう。 2つの門は形が異なり その重なりが見せる様々な形と面 または線は構成的に充分な見応えを持っている。またその2つ門の向うに広がる丘陵の畑も興味を引く形を作り出している。特に真ん中の上にある横から見た舟の先端を逆さにしたような台形は印象的で その周りの形はその台形に合わせてあるように見える。それは実際の風景を整理 調整して得た形の組み合わせだろう。2つの門の重なりと背景の丘陵は同じように現実を再現したのではなく 2つの門は現実の風景の再現だが 背景の丘陵は現実にはそのように見えないほど整理 調整された創作の風景である。つまりこの絵では現実の構成と創造上の構成とが同居している。その違いは明白だが 構成の調和よって融和され一体化が計られている。

第三章   P236

236
P236。「シャシーの風景  (農場の中庭)」 100×81cm F40号 キャンバスに油彩 1954
この作品も構成の絵である。先の P235の「シャシー農場の中庭」を視点を移動して描いているから 手前の門柱の一本は奥の門の中に入っている。僅かな視点の移動が見せる形と構成の変化は面白い。ここでも2つの門の周辺は現実の風景の再現で 門の向うに広がる丘陵は整理 調整された創作の風景であり その融合も面白い。この融合では手前の樹木が重要で 門と丘陵の2つの世界を繋ぐ役目を果たしている。この作品は構成の絵だが そこでは形だけでなく現実と創作の融合が計られ また視点の移動による変化もり入れている。そして重厚な乾筆の重ね塗りと茶系統に統一された落ち着いた色調はいつもながら見ごたえがあるが この絵画世界は現実を利用はしているが完全に抽象的な造形性に至っている。

第三章  P237

237
P237。「冬景色」 59×92cm M30号程度 厚紙に油彩 1954
この作品も構成の絵だが 丸い縁取りがされている。 P230の「朝の身支度」は覗き穴のようだったが ここでは望遠鏡を覗いたように見える。この視界の限定は 絵画は主に四角形の画面に描かれるが その画面の中に限定されている訳ではない。その絵の周辺にまで絵の世界は広がっているから その見えない広がりを故意に限定しようとする試みかもしれない。または構成上の工夫だろうか。水平線と中央のやや上を起点にして半円の丸みから左右に水平線が伸び その中に建物の三角形や台形が配置されているが 楕円の縁取りをなくすと水平線が左右に長くなり過ぎる。この水平線の長さを調整するための縁取りかもしれない。丸みと直線の丘陵は重なりあい 所々に配置された斜線と建物の三角や台形の組み合わせは要所を引き締めながら変化を与えている。この構成感覚も独自で現実を創造上の構成に転化している。

第三章   P238-P244

238
P238。「眠っている人」 46×55cm F10号程度 キャンバスに油彩 1954
バルテュスは目をつむり脱力している姿を以前から描いているが はっきりと眠っていると言える姿はこの作品からだ。この「眠っている人」は「夢」の連作へと発展する最初の部分である。若い娘の眠った顔は丸顔で額が狭く鼻や口は小さい。眉や口元のどこにも力は入っていず あどけなく穏やかであり 眼が線になっている所が愛くるしい。

P239。「夢 1」の習作。 45.5×56cm F10号程度 キャンバスに油彩 1954
「夢 1」の構想を示す習作である。長椅子によりかかって眠る人のもとへ何者かが訪れている。何者とは夢を司る女神 または擬人化された夢自体だろう。この段階ではモデルを使ったりせずに想像で描いている。

P240。「夢 1」の習作。 80×92cm S30号程度 キャンバスに油彩 1954
これも「夢 1」の習作で 実際にモデルに姿勢を取らせて描いている。真正面から捉えた長椅子に横たわる娘は胸をはだけ 両足は長椅子に乗っていない。その姿態は長椅子の左右対称な曲線よりも変化に富んだ曲線で出来ている。その曲線に対抗するように長椅子の幅のある縞模様が描かれている。

P244。「夢 1」の習作。 46×55cm F10号程度 キャンバスに油彩 1955
「夢 1」の3枚目の習作だが モデルの上半身だけを描いている。顔は影の中にあり 髪は寝乱れている。首から胸 お腹まで露で 緑色がかった衣服の曲線がそれを区切って肌色の形を浮き上がらせている。 

第三章   P241

241
P241。「美容師」 130.2×96.5cm F60号 キャンバスに油彩 1955
これも身支度をする娘の連作の一つで 湯上がりの後か 髪を整えてもらっている娘とやや年輩の女性が描かれている。二人の表情には笑みが浮んでいて仲睦まじい親子のようだ。若い娘は両腕で衣を持ちうなじと背を見せながら首を少し捻って髪を整えやすくしている。このうなじと背を見せる姿勢は女性の後ろ姿を魅力的に見せる代表的な姿勢である。年輩の女性は若い人を愛おしそうに微笑みながら両手で髪を整えている。この絵は若い娘のうなじも魅力的だが 二人の仲睦まじさから感じられる思いやりや愛情が主題だろう。先の「夢 1」と同じく心地よい暖かみを感じさせ このような画題を描くバルテュスの素直さや優しさも微笑ましい。この絵の印象的な点は 二人の浴衣がそれぞれに1色で描かれている事である。椅子の画面への入れ方と背もたれが二人の間に立っている。椅子に乗せた年輩の女性の片足の入れ方。これらは二人の浴衣の作るしわを構成的に見せながら しわに対比するもの また変化をつけるものとして配置されたのだろう。

第三章  P242

242
P242。「ペイシェンス(一人占い)」 90×88cm S30号程度 キャンバスに油彩 1954-1955
このフランス語の原題では La Patience( ラ パスィヤース)で 忍耐とか我慢 根気の意味だがトランプを使った一人遊びまたは一人占いを意味する。同じ題名の P140の「ペイシェンス」では日本語訳の「一人占い」として扱ったが ここでは「一人遊び」として解釈する。
この作品は P140と同じ画題を描いているが 異なるのは大きさと装飾性で P140の「一人占い」は 161.3×165.1cm 約 S100号であったが ここでは 90×88cm 約 S30号だから約4分の一になっている。また P140で描かれた装飾的な 重々しい緞帳 壁紙 椅子とそこに乗せられた籠や背当て 籠と本 トランプを広げるテーブル 足置き台 床の絨毯 衣服のしわなどの一切は省かれている。残っているのは火の灯っていないローソクの立つ燭台と同じ姿勢の娘 そして光の方向と影だけである。しかし新たに加わっているものもある。それは猫でころがっている球と遊んでいる。
トランプによる一人遊びは他者を必要としない私的な行ないであり 孤独な遊びである。一人遊びの心の内はどのようなものなのだろう。寂しいのか 時間潰しなのか他者には分かりかねる。しかしそこには他者を必要としない寂しくない孤立または独立がある。また孤独にも寂しくない孤独と寂しい孤独があるだろう。ここではそのような微妙な心持ちを内に秘めた娘の様子が描かれている。
彼女は陽光を避けるように光の入ってくる方向とは逆に机に向かい その顔や胸が闇の中にある。この光と影の設定が彼女のその微妙な心持ちを表している。これはP140と同じくだが P140ほど闇は濃くない。
そしてこの簡素化。P140の過装飾にも思える重厚さは心の内の豊かな複雑さを表していたが ここではそのような装飾性を排し 全体を明るくする事で過去とも繋がっているような豊かな複雑さは失せ そのかわりに明るさの中に仄めくささやかで私的な心の内を表しているようだ。また三毛猫を登場させる事で親しみと気軽さ そして人と猫が互いに無関心であることから 無邪気な同居の無関係性も取り入れている。また人物の姿勢は P140と同じだが 形は角が取れ より丸みを帯びて滑らかな曲線と曲面でまとめられている。つまり P140にあった写実性は失われ より具象化されている。特にテーブルに肘をつけた右腕と脇の下で作る半円は それを作るために変形されているようだ。この半円の形は画題とは無関係だが 画題とは異なる要素を入れる事で この絵画に多面性を与えている。その異なる要素の導入はバルテュスの手法であり それは作品に読み解ききれない妙さと曖昧さを持たせる。

第三章   P243-P246

243
P243。「若い娘の上半身」 80×65cm F25号 キャンバスに油彩 1955
シャシー時代に数多く描かれたモデルにフレデリック嬢がいる。 P255の「腕を組む若い娘」がその肖像画だが この作品は同じフレデリック嬢を描いた P258の「白い肌着の若い娘」を描いた時の一枚だろう。その横顔は無表情で先の作品のような明るさはなく 小さめの顔と厚みのある上半身は堂々として彫刻のような存在感がある。バルテュスはこのようにモデルを見つめながら 深い思考の世界に沈潜していくのだろうか。

P246。「シャシーのアトリエの暖炉」 73×92cm F30号 キャンバスに油彩 1955
この素描のような描き方の作品は小さく見えるがそうではなく ある程度の大きさに描かれている。場所はシャシーの館の一室の画室として使っていた部屋で 大きな無装飾な暖炉に置き火が赤く灯っている。その前に座り込んで本らしきものを見ているのはフレデリック嬢だろう。モデルをしている時の休憩の一コマを描いたと思われるが バルテュスが何気なく目にしたこの情景は彼女を幼い子に見せている。飾り気のまったくない大きな暖炉の前の彼女は今 他者を必要としない寂しくない孤独の中にいる。たぶんバルテュスも同じだろうがそれを見ているバルテュスは何かを考えている。二人の寂しくない孤独。

第三章   P245

245
P245。「夢 1」 130×163cm F100号 キャンバスに油彩 1955 
久しぶりに幻想性のある作品で 長椅子の上で眠る娘の足元につま先歩きで訪れる者は左手を上げ 右手に紅い花を一輪持って 眠る娘を見ている。彼女は眠る者のもとにやって来た訪問者だが 人ではなく 眠る人が見る夢そのものであり 夢の擬人化であろう。または夢を司る女神とも言える。足音を忍ばせるつま先立ち 掲げられた手のひら 紅い花を持つ指先 しなやかな身のこなし 穏やかな横顔 これらはこの訪問者の神聖を示し ささやかな幸福を届ける者である事を表している。若き娘達が見る幸福な夢とは・・・懐かしい幼い頃の思い出か 約束された未来か 生きている日々の歓びか 淡い恋 甘き思いか。この絵にも邪気や悪意はなく 素直に夢見る人達への賛歌として描かれている。
この作品も配色は自由に扱われ 形態も単純化されている。すでにバルテュスの描法は完全に具象表現に移行していて 最初の「眠っている人」と3枚の習作のうちモデルを使っているのが2点あるが 本制作ではモデルを使った写実性は具象表現に消化されている。また左端の白い花瓶などは完全に具象化され 形態の単純化に伴うように背後の市松模様や床の菱形模様が取り入れられている。「夢 1」は「夢 2」へと連作され 「黄金の果実」と題された同じ内容の作品も描かれる事になる。
これらに見られる素直さや優しい心の在り方はバルテュス自身の気持ちの穏やかさを反映しているはずで シャシー時代の一つの特徴でもある。

第三章 P247-P249

247-249
P247。「朝顔 1」 27×35cm F5号程度 厚紙に油彩 1955
描かれている花はマルバアサガオだろう。そしてリンゴ。これらは机の上に置かれているが花器には入っておらず その茎と花は伸びやかに宙に浮き 野外に見られるままに描いているように見える。やはり地方に住む事が影響しているのだろうか。人工の街を離れ 人間関係の複雑さや厳しさの中にいては得れない穏やかな心持ちが このような野の花や果実を描かせたのだろう。宙にのびる朝顔の蔓は切り花に見られない伸びやかさがある。バルテュスはこのような花や果実は ここに載せた3点以外に11点あり これ以前にも花を描いた作品が2点ある。

P248。「朝顔 2」 27×35cm F5号程度 厚紙に油彩 1955
2点目の朝顔である。先の朝顔と同じF5号程度の大きさだから かなり小さい作品である。朝顔の花以外の花も描かれていて 葉の形からヒルガオに近い種のかもしれない。細い茎を伸ばし宙にのびる花は軽やかで 様々な方向に向いている。その作為のない構成に関心を持ったのだろうか。 

P249。「2つのリンゴ」 46×55cm F10号程度 厚紙に油彩 1955
このリンゴは実物よりもかなり大きく描かれていて 直径18cmはある。一般的には実物大かそれより小さく描こうとするが このように大きく描く感覚は面白い。先の花の美の捉え方と同じように 果実について考えてみるとそれは自然美の一種で花のように美しい物でもあるが その美は華やかさではなく充実した物が持つ美しさだろう。熟す事でその充実度は増し 自然の豊かな実りとして人の身も心も豊かにする。また果実は次世代を作るための種を宿しつつ その果肉は他の生き物の命を養う。この実りの美または充実の美はやはり貴く その丸い形は幸福の形でもある。しかしここに描かれたリンゴにそのような理屈とは別で 丸い形と枝につく葉の関係に関心を持ちながら描いた素直で素朴なリンゴの絵なのだろう。

第三章   P250

250

「謎めく存在」

P250。「樹木のある大きな風景 (三角形の畑)」 114×162cm P100号程度 キャンバスに油彩 1955
ここにはシャシーの館の周囲に広がる農地が描かれている。画面の上には三角の畑があり 農地の境界線は幾本も斜めに横切っている。陽は傾きかけ影は長く伸び 手前は広い影になっている。その中から男が一人片手を上げて放牧されている馬達に声をかけている。陽が沈む前に放牧している馬達を呼び寄せ 納屋に帰すのだろう。 
この絵の構成は厳密で 直線を基調として鋭角な三角形や台形の組み合わせで出来ている。手前の広い台形の農地に植えられた木々の配置も粗と密 変化と繰り返し 複雑と簡素など考慮され尽くしている。しかもその構成はバルテュス特有の均衡感覚で成り立っていて 時に破綻を見せる事もある特有な均衡感覚は一種の不安定さを内包しながら 念入りな組み上がりを見せている。この偉大なる均衡には現代的な造形感覚とは異なる未分化な古代に見られる個人的な合理性を引き継いでいる。またこの作品は非常に緻密な画肌を持つ絵で 乾筆を幾重にも塗り重ねて作られていて この画肌はバルテュスの乾筆による重ね塗りの一つの頂点だろう。
この絵は黄昏色に染まった農場の風景だが 気になるのは画面の中央上の三角形の畑の中にある紡錘形である。まるで眼の形のようだ。だがその眼の中に瞳はない。バルテュスはこれまでも妙に印象に残るものを描いているが これも謎めいている。この眼のような形をした紡錘形は謎めくものとして作られたのではなく 作為の無いある偶然によって出来たはずだ。ただの凹みに過ぎないのかもしれないがどうしてこのような形なのか どうしてここにあるのか。しかしそのような詮索よりも大切なのは この存在を認め 絵に描いた事が重要である。この謎めく存在は人が意図を持って作り出す造形物とは異なる。また作為なく作りだされた自然の造形物でもない。つまり人為と自然を越えた存在に思える所が重要である。
そして画面下に描かれた後ろ姿の男は斜めに横切る広い影の中に居て 手を上げて馬に声をかけている。これは何気ない日々の暮らしに見られる光景だが それはあの謎めいた眼の形と共にある。つまり日々の暮らしと謎めいた存在は同居している。または同居しながら無関係である。ここでは日常と非日常の境界線はなく 日々の暮らしの中に非日常として入り込みながら共生しているのである。
大地の上に刻まれた紡錘形は 大地の眼のように君臨しながらうつろで 過ぎ去って行く時間を司っているようだ。

第三章P251

251
P251。「ヨンヌの谷」 90×162cm M100号程度 キャンバスに油彩 1955
P237の「冬景色」と同じ風景を一回り大きくして描いているが 楕円の縁取りはなくなっている。画面を幾重にも横切る水平の直線の中に三角屋根の建物が所々に並んでいる。そしてその平地の奥にはゆったりとした曲線を持つ丘陵が果てしない重なりを見せている。ゆったりとした曲線の丘陵の重なりは遥か彼方に見る者を誘うが 建物がその誘いを引き止めるかのように点在していて 人々の住む村がここにある事を示している。穏やかな村と遥か彼方へと続く丘陵。ここでも P135 の「シャンプロヴァンの風景」に見られた豊かで複雑な曲線が 遠景の丘陵の重なりに用いられている。また手前の平地は水平線と斜線の織りなす直線が用いられ 曲線と直線の対比になっている。遠景の丘陵の豊かな曲線は P250 の「樹木のある大きな風景 (三角形の畑)」にも述べた独得な個人的な均衡感覚が見られるが 平地の直線的な構成はもう少し現代的な合理性を取り入れているようだ。
画面下の赤い屋根の納屋に開けられた窓は暗く濃く P206 の「ロアンの中庭 (窓)」の4つの窓を思い出させる。また中景の建物は小振りで 程よい均衡が取られた家並みは暖かみのある色と共に愛らしい。

第三章   P252

252
P252。「3姉妹」 130×196cm F120号程度 キャンバスに油彩 1955
2作目の「3姉妹」だが P234の前作が 60×120cmの M40号程度だったのに比べ こちらは 130×196cm F120号と 3.5倍も大きくなっている。大きさだけで言えばこちらが本制作で 前作は習作とも言える。前作との大きな違いは色彩で全体により明るくなり 3人の衣服の配色も青色 朱色 白と黄色から青と紫 黄色 紫と緑色に変えられているが 衣服ごとに配色し そのものの持つ色彩にこだわらない色彩の自由化は同じである。細部では左端の椅子の背もたれ 壁に掛けられた布の幅と模様 真ん中の娘は手鏡を見ながら髪に触っているし 右端の娘は前のめりになって果物籠のかわりの小箱の蓋に触っている。さらに左端にあった花と卓はなくなり その代わりに長椅子の上に別な籠が置かれている。そして最も大きな姿勢の変更が行なわれた右の娘の顔は真ん中の娘の足と重なり 背の丸さはなくなり 両足の向きもより右側に向けられたせいで 左から来た流れをくるりと左に返す役目は薄らいでいる。しかし小箱をあける身振りはその表情と共に可愛らしく抒情性がある。その点は真ん中の娘が手鏡を持ち 自らを見ている姿も絵になり抒情的である。手鏡を見る娘はP155の「美しき日々」にも描かれ 後の「鏡猫」の連作にも引き継がれるので見逃せない。
細部の変更は3人の人物の組み合わせの再考であり 同じ画題を繰り返し描く事は自らの想像する画像を追求する態度から行なわれている。この飽くなき追求は構成へのこだわりであるが これらのような人物を使った構成には 風景画に見られるような個人的で特有な構成感覚ほど個性的ではない。それは人体と言う限定された形を扱っているからだろう。またそれゆえに幾度も挑戦しているとも言える。 
「3姉妹」は 4年後の 1959年から3作目が描き始められ 更に 1964年にもう2点描かれ 計5点となる。

第三章   P253

253
P253。「窓辺の若い娘」 196×126cm P120号程度 キャンバスに油彩 1955
久しぶりの窓を扱った作品であるが P221の「部屋」の完成から1年しか経っていない。そして窓辺の人は P181の「週に四日の木曜日」やP202の「靴を履く若い娘」などにも描かれてきたが 元々の原点は 1933年に描かれたP72の「窓 (幽霊の恐怖)」まで遡る事ができる。しかしこのシャシー時代の「窓辺の若い娘」はそれまでとは違って もっとも素直な描かれ方がされている。特に P72の「窓 (幽霊の恐怖)」のように見る者に挑むような傾向はまったくない。とても素直に窓から見られる風景と娘を描いている。その屋外の木々の緑と陽光は明るく歓びに満ちていて その歓びに若い娘はのんびりと浸っている。その後ろ姿はまるで何ごとでもないようにまどろんでいる。この自然のもたらす歓びに浸る贅沢さは素直な者にこそ与えられる恩恵だろう。バルテュスの中にある頑なさも徐々にほぐれてきたのかもしれない。さりげない美しきものが人の心を暖める。それはバルテュスにとってはこのような光景であったのだろう。

第三章  P254-P256

254
P254。「赤いセーターのフレデリック」 49×44cm F10号程度 キャンバスに油彩 (1955)     
ここに描かれた若い女性はフレデリック・ティゾン嬢である。彼女はシャシー時代に描かれた3人目の女性で P245の「夢 1」P253の「窓辺の若い娘」などにも描かれている。彼女はバルテュスの兄ピエ−ル・クウォソフスキーの妻の連れ子であり 1954年にシャシーの館に預けられバルテュスと同居する事になる。
当時15才であった。「夢 1」にも描かれた長椅子に座るフレデリック嬢は暖かみのある眼差しと豊かな髪を持っており その腰掛ける姿はごく自然で作為はない。臥せ目がちに視線をはずしているのは描くために見つめる画家の目を避けているようだ。見つめられる者はその視線を意識した時 どう受け取ったらよいか分からないまま その視線の虜となり動きは封じられてしまう事がある。ここには見られる者であるフレデリック嬢の受け身な初々しさを見ることができる。この絵にもシャシー時代のバルテュスの特徴の一つである作為のない素直なものの見方が表れている。

P255。「腕を組む若い娘」 81×65cm F25号 キャンバスに油彩 1955
フレデリック嬢はシャシー時代に多く描かれているが その顔だちや姿を正確に残すような作品は少なく この作品と先の2点だけである。他の作品は彼女である事は分っても眠っていたり 素描のような習作のように描かれている。このフレデリック嬢はこちらを見ている。つまり自分を描いているバルテュスを見ているのだが その眼は無表情である。先の作品のような内面の微妙な表情をうかがわせるものはない。ここには味付け無しのありのままの一人の若い人が描かれている。その眼差しもそれを見ているバルテュスの視線もありのままである。

P256。「フレデリックの肖像」 49.5×41 F8号程度 キャンバスに油彩 1955
これもフレデリック嬢を描いているが それはふとした時の表情が描かれているように見える。それはふとよぎった暗さだろうか。しかしそれは描きかけだからそう見えるのか それともそれを描こうとしたのかはよく分からない。筆が走って思わぬ表情を作る時もあるだろう。
彼女の実父は大戦中に対ドイツ抵抗運動の一員として戦死している。また母親は再婚し別居しているという背景を考えれば・・・

ピエ−ル・クウォソフスキー。1905年生 バルテュスの兄。 1936年にはジョルジョ・バタイユ R・カイヨワ M・レリスらと社会学研究会を設立し 聖性の研究と討議を行なう。「わが隣人サド」1947。「バフォメット」1965を刊行し 永遠回帰を小説として発表する。性に関する色鉛筆による素描も発表している。

第三章  P257-P258

257
P257。「白い肌着の若い娘」の習作。  92×73cm F30号 キャンバスに油彩 1955。
肌着を胸の下まで降ろし 背筋を伸ばして座っている姿は本制作と同じだが 下地は荒く画面よりも一回り小さく描いている。このような習作をバルテュスはたびたび描き 時にはこのようにほとんど変更する亊なく本制作を描くのだが なぜこのような2度手間とも思える制作方法を取るのだろうか。考えを具体化する事でその発案を確認しているのだろうが すでにバルテュスは画家として経験豊富なはずで 習作を描かなくてもある程度予測がつくはずだ。それに予測がつかない点があっても 描きながら解決する事もできるはずで 実際に下絵無しで描いている作品も少なくない。それはバルテュスの慎重さゆえであろうが バルテュスは考えているのだろう。描きながら考えている。確かなものを得るまで考える。それぞれの作品に何が必要かを考える。  

P258。「白い肌着の若い娘」 116×89.9cm F50号 キャンバスに油彩 1955。
肌着を胸の下まで降ろし 背筋を伸ばしたその姿はとても安定した形であり 建造物のように確たる落着きを見せている。顔と裸体は明と暗に分かれ 髪は顔をはさんで下に降ろされ 丸い肩と2つの乳房の下には白い肌着が T字型を作り さらにその下には両腕が交差している。この左右対称の形は安定し 肌着の丁字型が印象的だ。またそのはっきりとした明暗は肩から腕 乳房の一部 顔半分に光を受け 他のは影の中にある。顔の影より上半身の影は濃く この光と影は劇的とも言える。特に右の肩から腕と乳房の明暗は P242の「一人遊び (一人占い)」の腕と上半身が作る半円と同じく 完全に抽象的な造形になっている。
影は3種類あって 本体にできる影 床や地面に映る影 そしてその間にある闇である。彼女の顎から下の暗部は影と言うより闇の中にある。その暗部の闇を見ていると彼女の身体を忘れてしまう。影はうつろいやすく実体を持たないが この身体の大部分を覆う闇は建造物のような普遍性があり その形と共に実体であるようだ。
この作品が影の実体化なら P224の「コレットの肖像」は光の実体化かもしれない。絵画は描く事で描かれたものを普遍化する事ができるが その事を充分に理解しているからこそ このような作品が創出されるのだろう。バルテュスは画家であり 考える人なのである。

第三章  P259-P260

259
P259。「起床」のための習作。 33×24cm F4号 キャンバスに油彩 1955
ここでも先と同じような習作が描かれているが この習作は本制作と異なっていて 本制作に至る道の途中にあるようだ。本制作と見比べるとこの2点の作品が目指している方向が異なっている事が分かる。
この習作では寝台から起き出る時の姿勢の不自然さを現実的に捉えているが 本制作ではその動きを消し 抽象性を帯びた形態として描いている。具象表現ながら写実的な動きを伴う裸体は 抽象性を帯びた具象表現へと進展する。 

P260。「起床」 161×130.4cm F100号 キャンバスに油彩 1955
習作に描かれていた椅子や遮光布などの小道具はなくなり ここでは裸体と布だけに整理されている。そして寝床から起きる動作は消され 寝起きのけだるさに変えられている。姿勢は習作よりも均衡が計られているが それは裸体の理想的な整い方ではなく変形による均衡である。2つの乳房は上半身の大きさに比べて小さく左右に離れ 上半身は腰より幅が広い。首は短く 上向きの顔は鼻の立体感さえないほど省略的で 削られたように平たい。この顔は短縮遠近法で描くつもりだったが これでかまわないと考えてこれ以上手を加えなかったのだろう。左側の手足は上下に広げられ 右側の手足は交差している。寝台にこのように足を上げれば 身体はもっと曲がるはずだろう。これは均衡こそ取れているが 決して自然な姿勢ではないはずだ。また身体の丸みを表す立体感は半立体的で 乳房の下の2本のしわも造形的な理由で描き入れのであり 他はのっぺりとした肌になっている。この不自然な姿勢と半立体的な裸体は 完全に抽象性を帯びて 現実的な姿勢から 造形優先の具象表現に至っている。背景の布のしわもそれに合わせるように構成的で P157の「犠牲者」の裸体と布の構成を思い浮かばせる。
裸体の明部は白っぽい色を塗り重ねて描き込まれているが 暗部は背後と同じくすんだ色が使われている。また裸体には太い輪郭線が引かれているが それは布のしわと同調している。姿勢の不自然さと顔 そして全体の色調によってかなり不穏で危うく 一種の意地の悪ささえ感じさせているこの作品は 習作とは異なる方向に発展し そこで新たな結果を得たと言う事でないか。この作品はこの時期の他の作品の明るい素直さと比べて 対極にある作品の一つであり このような造形優先と不穏な裸体はP157の「犠牲者」に抽象性を与え より特異化したように思える。

第三章  P261

261
P261。「暖炉の前の裸婦」 190×164cm S120号程度 キャンバスに油彩 1955
この作品は先のような不穏さなどまったくなく 形や色彩にも暗さや歪みはない。それに身支度をする裸婦の中で最も明るい色彩が使われている作品である。 P252の「3姉妹」もそうだが それまでの茶系色を主とする色使いからはっきりとした変化が見られる。
装飾が施された暖炉の上の鏡の前で たっぷりとした長い髪をかきあげている若い裸体はふくよかで肌は白い。その肌の白さに暖かみを感じるのは 暖炉や壁がより白く灰色がかった白色に塗られているからである。またその白さに清潔感を加えるように壁に塗られた青 壁の模様も大柄だが円形と角の目立たない台形になっている。この明るさと模様は穢れなきものにふさわしい。
背後の壁に見られる方眼線は下絵を描くための目安にする区割りの線であるが この線がこのようにはっきりと残っているのは 絵具をまだ薄くしか塗っていないからではなく 引き直したからだろう。それは下絵を訂正するためだが何を修正するつもりだったのかは良く分からない。本制作の途中でもこのような変更を行なっているのは 習作を描かないで本制作を行なっているからだろうが 様々に考えをおよぼしながら描き進めていた証だろう。

第三章   P262-P263

262
P262。「まどろむ若い娘」 116×89cm F50号程度 キャンバスに油彩 1955
ここでも彼女は先の作品と同じ赤いセーターを着ている。モデルになっている間の休憩中に眠ってしまったのだろうか。バルテュスは「眠っている姿をよく描くのは 観察シャシーからだです。」と言っているが その言葉はそのまま受け取れない。絵の事を良く知っているバルテュスは分っているはずだ。 眠る姿は身支度をする人 一人遊びをする人 鏡を見ている人などと同じく 彼女らは他者の眼の届かない個人的な世界にいる人なのであり そこには微妙で貴重なものがあるのだから。そしてその世界の紹介したのは 他ならぬバルテュスであったはずだ。しかしここでもその姿はあまりにもありのままで 手に乗せられた顔はふくよかで その寝息はあまりに静かで健やかであろうと想像される。

P263。「まどろむ若い娘」 43×33.5cm F6号程度 木板に油彩 1956
この絵は即興的な生塗り描法と乾筆の重ね塗り そして大胆で単純化された形の捉え方がなされている。肘をついて眼を閉じる人は眠っているのだろうか。絵は描き方によっても その味わい方を変える。

第三章  P264-P265

264
P264。「トランプ占い師」の習作。 99×64cm M40号程度 キャンバスに油彩 1956
トランプで占いをする若い娘の習作だが 本制作よりも幅が狭い。有角透視図法を使って奥行のある室内にしている事と娘の正面を向く姿勢からすれば やはり本制作のように幅のある画面で手前を広く開けた方がよりよい構成となる。それは人物の目先を開ける事になるからであり その違いが良く分かる例になっている。

P265。「トランプ占い師」 208×220cm F200号程度 キャンバスに油彩 1956
広い円卓を前に正面と対峙するような態度とトランプを並べるために広げられた左手は 大仰で勿体ぶった占い師の仕草であり 髪は長く左右に広がり 長いスカートを履いて肌を隠している衣装も占い師らしい。また円卓やその上に掛けられた布もそれらしい重厚な時代がかった装飾が施されている。他の家具や絨毯もそれに合わせ装飾の多い時代物が描かれている。この若い娘はそのようにして占い師の真似をしているのだろう。彼女は「本当の事を知りたければ 本物でなければならないのよ」と言いたげである。しかしその本気の奥には悪戯心が隠されているはずだ。望んでいる結果が得れればやっぱり本物の占い師のなったつもりが大事だったわと言い 違う結果ならやっぱりつもりじゃダメねと悪戯っぽく微笑んで済ますつもりだろうか。ここらあたりが面白い。
若い占い師とその円卓の周りにある椅子や絨毯は占い師の雰囲気を出すためだけでなく 画面の構成上の役割も与えられ様々な工夫が施されている。中央の円卓に掛けられた布と円卓の足は上下の均衡が計られているし スカートの襞もその関係に変化を与えている。右側の背を向けた椅子も暖炉の中の火除けの曲線と連動しつつ 暖炉の直線が円卓との間に入り込んで 曲線と直線の対比の効果になっている。左側の長椅子は肘掛けと座面の部分のみで形としては円卓や左側の椅子の曲線と連動しているが 長椅子としての説明は省かれている。また床に敷かれた絨毯の模様もそれらの曲線に協調している。暖炉の上に置かれた花瓶は そこに何かなければ場が埋まらないために置かれたようだが これはバルテュスの画面配置の特徴の一つであり 印象的な形をしている。良く見ると画面の両端には余白が残されているが 窓枠だろうか。窓の外から覗いた室内のように見せようとしたのだろうか。
この作品も未完成だが必要な充実感は与えられているようだが 人物の手前は複雑な曲線の連動によって構成的な充足が計られているが それは若い占い師とは無関係の構成であるようにも見える。また各部にはまだ埋まらない空間が残っているようで 特に人物の背後には何もなく空きの間に見える。しかしそれなら何を置けば良いのだろうか。これは難しい・・・きっと背後の空きは占いの結果で埋まるのだろう。役立たずの占いの結果は彼女の後ろに紙屑のように捨てられるのかも知れない。

第三章  P266-P267

266
P266。「点描法の習作」 49×36cm F8号程度 厚紙に油彩 1954-1956
これは P277の「窓辺の若い娘」などに使われる点描の試作だろう。樹木の葉の茂り具合を描くために試されたと思われる。バルテュスが10代の頃の樹木の描き方を見ると丹念な筆跡でその密度を描き出している。これが基本だがこのような描き方ではその密度は重さを伴ってしまう。そこで点描によって密度を保ちながら軽快さを得ようとしたのでないか。

P267。「花の束」 55×58cm S10号程度 木板に油彩 1956
花器が描かれていない花の束で 幾種類もの花と葉が描かれている。形にキレがないせいか 柔らかだが締まりがなく 花々の前後関係や全体の立体感も曖昧である。しかしそれは写実的な描き方を基準にした捉え方であって 最初からそのような写実表現を目指していないようだ。ここに描かれているのは花と葉の束が作り出す密度への関心か それとも人為的な秩序とは異なる無秩序的な関係への興味かもしれない。

第三章  P268-P269

268
P268。「塔のある風景」 65×81cm F25号 キャンバスに油彩 1956
あの P250の「樹木のある大きな風景(三角の畑)」に描かれていた眼の形が塔と共に描かれている。この紡錘形への関心の深さが分かる。左端の塔はシャシーの館の一部だが 実際にはこのような位置関係にはなく 塔と三角の畑を合成して描いている。塔の画面への入れ方は基本からすれば中途半端でやってはいけない例で バルテュスは時にこのような基本を逸脱するような構成を行なう事がある。この絵は塔と手前の地面をL字型とし そのL字の上にある三角の畑と空を描いた作品として見る事もできる。

P269。「池のある風景」 33×97cm F4×4号程度 キャンバスに油彩 (1956)
これも三角の畑と眼の形であるが 右下に池が描かれている。 P250の「樹木のある大きな風景(三角の畑)」の中央の白い馬が2頭放牧されている右下にこの貯水池がある事になる。前作が館の塔と三角の畑で今回は三角の畑と池であるから 組み合わせを替えながら三角の畑を描いているが どちらも三角の畑の特異性を引き立てるためではなく その周辺にあるものを描いている。それは三角の畑と眼の形の特異性を確認したかったからではないか。 P250の作品でいきなり風景の中の特異なものを描いた訳だから その特異性を別な形で確認したくなるのは当然だと思われる。

第三章  P270

270
P270。「窓辺の果物」 66.5×86.5cm F25号程度 キャンバスに油彩 1956
窓辺に置かれた4つの果物とその背景を描いている。3つの果物と葉は大きさと形が僅かずつ異なるだけだが もう1つはかなり小さい。4つの果実は微妙に配置され その円を作る曲線は 互いに呼応している。またその曲線が作り出す丸みは さらなる豊かさを生み出している。ここには果実による祝福がある。そしてその果実の丸みの呼応に連動するように背景の丘陵と池と樹木も曲線を描いている。その曲線は果実の丸みに沿うような曲線だが 一種のゆるみを持っていて この独特のゆるい曲線はバルテュス特有のもので この4つの果実の絵に自然の豊かさのみではなく 造形の複雑さと奥深さを与えている。

第三章   P271

271
P271「夢 2」 198×198㎝ S120号程度 キャンバスに油彩 1956-1957
「夢」の連作は3点描かれたが これは2番目の作品である。1作品目と比べると家具と調度品などが増え 長椅子などの柄も複雑になっていて かなり重厚な感じを受ける。長椅子で眠る人の姿勢もうずくまり加減で 訪れる夢の精も急いでいるようだ。持っている花も黄色に変わっている。「眠る者に訪れる夢の精はどんな夢を運んでくるのか」という抒情的な主題は変わらないが ここではその事よりも画面上の充実を計るための様々な物の導入とその配置に力が注がれているようだ。「夢 1」と大きく異なるのは長椅子の手前にテーブルが置かれ 茶器が配置されている事と長椅子の後ろにもテーブルが並べられ 白っぽい器と重厚な柄を持った布が描かれている事だ。それらは画面を充実させる調度品としての役割を持つのだろうが 現実的でない形の器や3列に並べられた右手前の四角いテーブルと長椅子と横長の机などは主題の「夢」そのものとは無関係であり 構成としてもその意図は曖昧に見える。また配色も気になる点が多く 眠る人の衣服の緑と赤と茶 夢の精の衣服の灰色と青 奥の机の目立つ赤と青なども その効果は曖昧だ。
このようにこの絵には気になる点が多いが その理由は幾つかあり その一つは写実表現から具象表現への移行中の模索で 具象絵画をいかに成立させるかという問題が実践されているからでないか。この具象絵画の成立は印象派やキュビスム フォーヴスムなどでも取り組まれた問題で これらは写実表現の束縛から解き放つための改革でもあった。バルテュスはこのような表現の変化とは無縁のように思われるがそうではない。絵画の表現方法の問題を抱えながら 独自な世界を創り出すための努力がここには見られる。この独自性を求める努力が先の奥行のない3列の家具の並びや変わった形の器などではないだろうか。その独自性の追求と共にバルテュスらしい眠る人と夢の精という抒情的で個人性を持つ主題が使われているのがこの作品なのだろう。そしてその新たな独自性を構築するために巨大な力が働いている事を見逃してはならない。それは一種の過剰性でもあるが その有り余るゆえの充実は濃密な空間を作り出すが その過多なこだわりは均衡の破綻にも通じている。しかしそのぎりぎりにまでねばる態度は 今までの表現を繰り返さず 新たな独自性に至ろうとする者の挑戦でもある。

第三章   P272

272
P272。「黄金の果実」 159×160.5 S100号程度 キャンバスに油彩 1956
この「黄金の果実」も題名が異なるだけで「夢」の連作の一つで3作目にあたる。ここでは夢の精は花ではなく黄金色の果実を持って現れているが この果実は普遍的な良きものの象徴であり 花よりも印象深い。
ここでも前作の「夢 2」を踏まえて さらなる変更が加えられている。眠る人の表情 夢の精の顔と位置 長椅子と絨毯の柄 手前のテーブルと茶器 左端の後ろ向きの椅子 各部の配色など また右手前のテーブルの斜線は奥のテーブルと平行にされている。これらの変更によってこの作品が前作の改良版とは言えない。幾つかは確かに改良されているが新たな展開も加えられていて それが新たな独自性にもなっている。それは左右の均衡を計るために描き加えた左端の椅子とその背もたれの大胆で個性的な模様は独自性の極みとも言える。
つまりこの「夢」3作は構成を追求した作品であるが このような構成の答えは一つではない。幾通りもの答えがあるはずだがバルテュスはそれに挑む。ここには「姿勢の画家」ではなく「構成の画家」がいる。バルテュスの構成感覚は独特で均衡と不均衡 秩序と無秩序 直線と曲線 対比と変化が混然となっている。この独特な構成感覚は1940年以降に見られ始めるが 10 代の初期に描かれた作品にもこの傾向が見られるので 元々持っていた感覚を開放していったのだろう。この構成感覚に妙な造形感覚が加わるからさらにややこしくなる。ここでは左端の椅子の背もたれの模様や眠る人の顔の上に置かれた白い器がそれにあたる。また夢の精の顔も歪みを持っている。この独自な構成感覚と造形感覚は合理化や洗練性を避けているようである。

第三章 P273-P274

273
P273。「閉じられた鎧戸」 60×59cm S12号 キャンバスに油彩 1956
赤い長椅子の上でうたた寝をしている女性は緑色の衣服を身に付けている。赤と緑 そして眠る人。桟の入った窓は閉められているが室内は暗くない。丸々とした顔や身体は健康そうで福々としている。福なる形の人の見る夢はいかなる幸に恵まれるのか。 P155の「美しき日々」や P221の「部屋」とは対照的で ここでは何事も起こりえない平穏さと素直さがある。 

P274。「黄金の午後」 198.5×198.5cm S120号 キャンバスにに油彩 1957
先の「閉じられた鎧戸」とほとんど同じ姿勢だが後ろの大きな窓は開かれ 屋外の晴れ渡った空が見え 室内は爽やかな風が通って心地良さそうである。赤いリボンがついた帽子を持っている所を見ると散歩の帰りだろうか ちょっと一休みと言った感じで頬杖をついて横になっている。その気持ち良さそうな笑顔の脇には猫も丸くなって眠っている。この穏やかさは日々の暮らしの中にある至福である。爽やかな自然 平穏なひととき まどろむ午後 永遠の日常。
「閉じられた鎧戸」と同じ平穏と素直さがここにあるが描き方はまるで違う。全ての形は簡略化され平面的で やや立体感も残されているが 長椅子などは凸凹な面も省略され平行透視図法のようになっている。それにあの重厚で丁重な乾筆の重ね塗りも見られない。つまりこの作品は今までとはまったく異なる描き方を行なっている訳で このような大胆な変化を行なうにあたって緊張感や怖れはなかったのだろうか。また発表当時この平面化された作品の反応はどのようなものだったのだろう。ここに至る道筋はあった。「夢」の連作の辿り着いた所はP272の「黄金の果実」であり そこから先はこのような平面化も確かにありうる。つまりこの作品はそれまでの構成を主眼とする取り組みの結果辿り着いた一つの到達点なのだろう。初期の作品と比べると同一の作者とは思えないほどの変化である。絵画表現の改革と進展は目まぐるしいほどに行なわれていたが バルテュスは一人でここまで来たのである。

第三章  P275-P276

275
P275。「シャシーの池」 78×95cm F35号程度 木板に油彩 1957
このシャシーの館の塔の入れ方は P268の「塔のある風景」と同じであるが その向うに広がる風景は異なっている。やはりこれも合成で「塔のある風景」よりやや引いて遠景を入れている。そしてここに描かれているのは三角の畑とその周辺である。写真資料と比べると実景に近いがやはり手が加えられ構成し直している。同じ塔の構図を持つ「塔のある風景」と比べると色彩の明るさも違うが筆致も異なり P274の「黄金の午後」と同じ軽い筆致で描かれている。それまでの丁重な乾筆の重ね塗りの画肌から 軽快な筆さばきに変わり 重ね塗りによる微妙な色彩ではなく絵具の色をそのまま生かす方法を使っている。

P276。「ヨンヌの谷」 58×90cm M30号程度 キャンバスに油彩 1957
同じ場所を他に2枚描いている。それは P237の「冬景色」と P251の「ヨンヌの風景」で ほとんど同じ構図であるが前作の P251より遠景を少し拡大して画面に入れているために遠景の空や丘陵がなくなり 手前の納屋の屋根も描かれていない。それから色彩も変えられてやや暗くなっている。 P237が冬だったので季節感の違いを描こうとしたのかもしれない。
ここでは遠景の丘陵が作っていた曲線は少なくなり わずかに傾いた水平線が画面を幾本も横切りその中に立方体の建物が置かれている。曲線と水平線そして立体物 この現実の風景を構成的に整理し再構成する方法はシャシー時代の一つの特徴である。

第三章  P277

277
P277。「窓辺の若い娘」 160×162cm S100号 キャンバスに油彩 1957
2作目の「窓辺の若い娘」だが より窓は大きくなり シャシーの中庭にある樹木の先に2本の門柱とその奥の丘陵が描かれている。外を眺める若い女性は窓辺に両手を乗せ背筋を伸ばして立っており この明るい陽光に満ちた風景を真直ぐに見ている。黄緑色の草 青い影 白っぽいバラ色の屋根 点描で描かれた樹木の葉 描きかけの椅子の背もたれ。開け放たれた大きな窓はこの明るい屋外の風景をなるべく多く取り入れるためのようだ。ここには歓びがある。その歓びは自然による季節と陽光によって作り出される希有で貴重な恵みである。その歓びをバルテュスは両手を広げて受け入れているようだ。またこの絵は見る者もこの世界に招かれるが 招かれる者はこの歓びを知っている者達だろう。陽光が肌を暖める温度 葉や樹木の匂い 頬を撫でて行く風 耳元を飛びさる昆虫の羽音 屋根の上の鳩の鳴き声 閉じた瞳の中で踊る光彩。
ここでは杞憂する未来も暗い過去も浄化し その美しさは時間さえ惑わし間延びさせ 恐ろしい幻想もその明るさの元では滅ぶだろう。美しさは善であり 歓びは幸福である。しかしこの開放感はこれまでの個人性の持つ秘めやかさを弱くしている。 

第三章   P278-P279

278
P278。「本を読む若い娘」 162×130cm F100号 キャンバスに油彩 1957
この本を読むフレデリック嬢はいつもの赤い服を着ている。長い髪は後ろで束ねられ表情は穏やかで視線は本から離れて真直ぐ前に向けられている。言い付けられた姿勢を素直に取っているかのようだ。
P258の「白い肌着の若い娘」と似た姿勢であり 光と影も同じであるが ここには目に見えるもの以外は成立していないようだ。描かれる娘とそれを描く画家 娘は描き手の視線に晒されても控えめで素直だから 余計な刺激も示唆も生まない。つまりここにあるのは等身大のあるがままの姿である。それは彼女の存在感と画家の表現力において過不足のない分 純粋と言える。 

P279。「フレデリック」 約48×50cm F10号程度 (1957)
この絵はシャシーの館の壁に描かれている。このフレデリック嬢の肖像は一種のいたずら書きだが その思い付きは率直で好感が持てる。そしてこれを作品として正式に扱う態度も重要だ。画家が描いたもの全ては仕事として捉えられ 成し得た事の軌跡として扱われる。隠し事はない。
この前髪を短く切ったような髪形のフレデリック嬢はあどけない。彼女の実の父親は第二次世界大戦でドイツ軍に殺された対ドイツ抵抗運動の闘志だったが これまで描かれた彼女を見ると自己を他者に押し付けるような人ではないようだ。

第三章   P280-P282

280
P280。「裸婦の習作」75.7×48cm M20 号程度 キャンバスに貼られた紙に油彩(1957)
立ち姿の裸婦を描いた作品は1949年から1950年にかけて5枚ほど描いているが そのほとんどは正面を向いた姿である。この習作も正面向きで乳房は小さく描かれているが その身体はふくよかで肉付きが良く健康的で生命力に満ちている。すこやかさは美しさの一つであり 善なる存在でもある。

P281。「裸婦と椅子」162×130cm F100号 キャンバスに油彩(1957)
立ち姿の裸婦に椅子と寝台が加えられているが随分と簡素であり 以前の過多な装飾性による画面の充実を計る傾向とはかなり異なっている。壁や布にも模様や柄はなく 面白い形の器類もない。椅子と裸体と寝台この3つの形のみを並べている。椅子の直線と陰 裸体の太い丸みと組んだ両手 そして白い靴下と赤い宝内書き 寝台の四角い背もたれと白い枕 そしてその下の寝台の斜めの線。椅子と寝台は日々の生活の中にある見慣れた物だが その人工的な直線による形は裸婦の曲線と対比する関係になっている。この3つの形の並んだ関係は興味深いが この作品で試みられた簡素化の終着点は後の1973年から描かれるP334の「横向きの裸婦」などだろう。つまりこれらの立ち姿の裸婦像は16年後にようやく大いなる完成の城に至るのであるが ここでも太い丸みを持つ裸体は豊かですこやかである。

P282。「身支度」162×130.8cm F100号程度 キャンバスに油彩 1957
この裸体もフレデリック嬢をモデルにしているのだろうが 顔も肩も胸も腰も腿も太く丸い。そのふくよかな曲線を持つ裸体を組んだ両腕が引き締めている。裸体を描く時の腕の使い方は意外に難しいが バルディスは常にごく自然な扱い方をしていて上手い。顔はやや下向きで眼を伏せているのか 閉じているのか。頬は赤く恥じらっているようだが その赤色は背後の寝台の掛け布の花柄の赤と室内履きの赤と共に画面全体に散らされ 要所に彩りを添えている。先のP281の「裸婦と椅子」では装飾性はは完全に取り払われていたがここでは花柄の模様やカーテンなどの布のしわが作る装飾性が控えてながら復活いている。また寝室という場の雰囲気も描かれている。しかしそれでも簡素化はされていて その加減を調整しているようだ。ここにも邪気や悪意 悪戯新はなく あるのはすこやかで豊かな裸体と少し恥じらう娘の素直な心である。

第三章   P283-P284

283
P283。「風呂上がり」 200×200㎝ S120号程度 キャンバスに油彩 1957
浴槽の縁に片足をかけて髪をかきあげる逞しい女性。この裸体には幼さはない。意志の強そうな顔だち 豊かで長い髪 厚味のある上半身 太い腰 ふくよかな曲線を作っているお腹。その姿には農耕馬のような逞しさがあるが 野生馬の果敢さもある。
この入浴する裸婦は身支度する娘達の一種だろうが 描かれた女性は若い娘でなくなっている。入浴も個人的で秘められた世界だが 浴槽に浸っている姿では身体が隠れてしまい その姿を描く事に向かないだろうから 浴槽から立ち上がった姿を描いていると思われる。逞しい裸体と共に描かれているのは浴槽と椅子 固まりとなった浴衣 洗面台などであるが いつものように裸体の曲線と同調する曲線と対比する直線で構成されていて それらは裸体の持つ量感とその動勢と共にある。色彩は床の赤い色が効果的で 裸体の肌色と浴槽や布などの白色と良く溶け合っている。また壁に施された暗めの青緑も浴室の閉鎖感や陰影を感じさせている。僅かに下準備の方眼線が透けて見えるのは絵具が薄塗りだからで 重厚な重ね塗りよりも軽快さを出せるからだろうか。 
身支度と同じく他者の視線を遮った個人的な場である浴室内を描いているが ここでは秘められるものを 明らかにするのではなく もっと開放的で力強さを感じさせている。

P284。「身支度 (裸婦と足掛け台)」 73×60㎝ F20号 キャンバスに油彩 1958
先の「風呂上がり」と同じく逞しい裸体だ。開け放たれた窓の前で両腕を挙げて腋窩を見せながら 片足を一歩出して足台に乗せている。官能的な姿勢だがここには官能に伴うの隠微性はなく 開放的で逞しい裸体が描かれている。しかし裸体の女性が自らの姿を見ながら姿態を作っている点では これまでの身支度をする娘達と同じ秘めやかさも感じられる。自分の姿に見入る事で見られる事を失念する。見られる事に無防備になると個人的な世界の扉が僅かに開く その中を覗くと・・・。しかしこの絵はそのような隠微性とは距離を置くような荒々しい筆致で描かれている。

第三章   P285-P286

285
P285。「青い布」 162×97㎝ M100号 キャンバスに油彩 1958
これから入浴するのか それとも風呂上がりなのか。青い浴衣の下の肌は珊瑚色に染まっているから充分に温まった後かもしれない。丸い顔と豊満な裸体はたおやかな微笑みのようだ。笑う裸体。窓は開け放たれ外も爽やかな日中で 浴室も影を無くすほどの明るさに満ちている。遠近法を控えめにして平面的に並べられているがそれぞれの物には立体性が残っている。全体は白っぽい暖色系で統一されているようにみえるが 青や緑色なども使っていて 穏やかな中にも対比の効果が与えられている。唯一床の入浴用の絨毯の色が濃く強く見えるが 画面を引き締める効果と安定性を与えるためだろうか。
ここには先の2点と同じく身支度をする娘達の持つ個人的な世界の秘め事という内的な世界よりも 珊瑚色に染まった裸体と明るい浴室は豊かな笑顔のように開放的で 秘めやかさなど忘れてしまったかのようだ。それは具象表現としての形と画面構成や色彩の調和を計るにつれ得た結果の一つだろう。ここにはそれらが高い完成度で成り立っている。

P286。「小さな起床」 80×61㎝ P25号  (1958)
身支度や入浴と同じく起きがけの姿も他の人の視線の届かない個人的な世界である。寝台に手をかけて片方の素足を床に置いている。寝台にはめくられた掛け布と市松模様があり 脇に椅子が置かれているが 背もたれの曲線と寝台の市松模様が独特な装飾性を作り出している。人物の目鼻はT字型に省略され 頭部の頂きは平坦でこれも特異な印象を与えるが これはこの作品に限らず 幾つかの人物に用いられている独自な形態の一例である。また前時代的な印象を持ち 時代感をずらす事にも役立っている。平素の暮らしの一コマなのにそれらの特異な点があるので この頃のバルテュスらしさを示す作品になっている。

第三章  P287

287
P287。「昼寝」 80×65㎝ F25号 厚紙に油彩 1958
開けられた大きな窓の下で昼寝をしている人が描かれている。乳白色と青や橙色などの色彩から光の爽やかさが感じられ 昼寝する人はその陽光に溶け込んでいるようだ。陽光に包まれる歓びがここにあり 橙色と赤紫色の花と青い花瓶はその歓びの化身のようだ。窓の外にはシャスイの館の外の風景が描かれているが 造形的な特異性があり それは左下のテーブル ? や右下の水差しの画面への入れ方 カーテンの模様や描き方にも見られる。これらの造形と平面的な処理や画面構成は気軽に行なわれているからだろうか。余計な力を抜いた具象表現のようだ。絵具は以前よりゆるく溶かれるようになったのか透明度を増していて 筆使いも以前より軽く扱われているように見える。

第三章   P288-P289

288
P288。「コーヒーポットと花の束」の習作 41×38㎝ S6号程度 キャンバスに油彩 (1958)
P289の習作で 描かれた花はダリアだろうか。2つの花はこちらに正面を向けている。この正面性は花の形をもっともよく表すが 通常はこのような角度で見る事はない。その意味でこの花は模様化または図的な捉え方が試みられているようだ。バルテュスは図的な模様を作品によく用いるから その関係かもしれない。

P289「コーヒーポットと花の束」 72.5×68㎝ S20号程度 キャンバスに油彩 (1958)
華やかな色彩の組み合わせの花が描かれている。黄色と橙色の花 紫と黄色の花 薄紫と赤い花は花弁が細かい。これらの花は背景や花瓶の乳白色によって引き立てられ この乳白色は甘い花の香りを感じさせるようだ。またここでも2つの花は正面から描かれていて 模様化または図的な捉え方がされている。そしてその脇にある茶色のコーヒーポットと2つの果実は画面全体の均衡からすると曖昧な関係にあり 花の均衡もそうだがここでは厳密な均衡の追求から離れて もっと気軽に捉えようとしているようだ。この気軽さが表す開放感は自己開放かもしれない。それは写実表現から具象表現に移行してから徐々に強まっていく傾向である。

第三章P290-P291

290
P290。「画室の中の静物」の習作。 51.5×48㎝ S10号程度 キャンバスに油彩 1958
久しぶりの静物画である。フランス語では静物を Nature Morte と言う。ナチュールは自然または人や事物の性質や本質を意味し モルトは死んだ または枯れたという意味である。つまり死んだ自然 生きていない物である。かなり直接的な言い方で面白い。生きていないものだからバルテュスが描かなかった訳ではないだろうが 自然の陽光や娘達の溌溂としたすこやかな裸体 または性の露呈による官能性を描くバルテュスにとって やはり生きているものこそを重要視していた事は確かだろう。 
ここでは画室の中の様子を描いているが このように配置したと言うより 仕事部屋のありのままの様子に構成的な成立を見つけだして描いたのだろう。

P291。「画室の中の静物」 73×60㎝ F20号 キャンバスに油彩 1958
構成的な成立とは物の形 配置や重なり 線の交差 面の大小などが ある均衡を保っている事であるが これは作り出さずともいつの間にか そうなっている場合がある。つまり見つけたのである。あの三角の畑にあった紡錘形のように見い出したのであるが ここでは謎めいたものではなく物が作り出す構成の均衡だったのだろう。バルテュスは元々構成への強い関心を持っているが その構成は人物の居る室内画や街中の様子に用いられていた。しかしここでは珍しく物だけの構成になっていて それは物の重なりと水平線と垂直線 そして幾つかの斜線の交差による構成である。バルテュスの構成感覚には独特のものがあり よく三角形を基調とした構成が見られるがここにはそのような独自性はあまり見られない。キュビスムや未来派 抽象表現主義などを経た現在では このような構成は実直過ぎるくらいで一種の近代的な古典に見えかもしれない。

第三章   P292

292
P292。「静物」 43.5×50㎝ F10号程度 木製の合板に油彩 (1958)
これは果実と水差しを組み合わせた静物画だが バルテュスらしい独特な造形感覚が見られる。果実は3つあり 大きさはそれぞれ大中小となっているが 真ん中の果実は2つの果実が繋がっているようで面白い。3つの果実が4つにも見える効果があるし 大きさの異なる球体が並ぶ時に生じる律動感(リズム)も生じている。きっと実際にこのような果実があったのだろう。大きさも変化があるが 色彩も小さい果実は赤く濃く 大きい果実は黄色と橙色でやや弱められている。枝や葉も変化があるし収まりもいい。そして水差しだが 正面から描いている所がバルテュスらしい。物を描く時にはその物の特徴を表しやすい角度があるのだが それを無視している。この水差しの場合は真横か斜めから見た角度が水差しの特徴を表す角度だろうが ここでは真正面から捉えられている。それゆえに水差しはただの道具ではなく なにか表情を持った生き物のように見える。まるで一つ目小僧のようだ。先の2つが繋がったような果実とこの水差しには あの三角の畑の紡錘形に見られた 存在に秘められた謎に近いものが含まれているように思われる。

第三章   P293

293
P293。「ランプのある静物」 162×130㎝ F100号 キャンバスに油彩 1958
この作品はバルテュスの画面構成と具象表現へ新たな試みが一つの頂点に達した作品ではないだろうか。ここにはこれまでに与えられてきた情感よりも画面構成がはっきりと優先されている。バルテュスはこれまでも画面構成について様々な工夫をこらしてきたが その中での試みの到達点がこれらの平面化であったのだろう。テーブルの奥行は重要視されずに 物はその用途や立体性と質感から離脱して テーブルクロスと連動しながら純粋化され画面構成の一部となり始めている。ここでは形は純化され構成へと集約されていく様が見られる。
20世紀の絵画表現の変革には具象表現を生じさせた印象派などがあり さらにその後の抽象表現にはピカソとブラックが始めた立体派(キュビズム)は欠かせない。このような大きな歴史上に残る改革とは別に 具象絵画の可能性を探る者は少なくなかったはずである。つまり 歴史的な絵画表現の変革の中でバルテュスも無関係ではなかったと言えるが バルテュスの展開はそのような変革とは別で もっと個人的で独自な展開であったと思われる。自らの絵画表現の可能性を探りながら独自な具象表現を確立していく中で このような絵画表現の変革と重なるような作品の生まれたのであり この展開の類似はバルテュスが時代と交差した結果だろう。またこれらの平面化の作品はセザンヌへの接近として見るべきではないだろうか。 

*パブロ・ピカソ 1881-1973 立体派(キュビズム) 赤と青の時代を経て 形を分解し再構成する手法を開拓し 抽象表現の扉を開く。
*ポール・セザンヌ 1839-1906。後期印象派 感覚的な具象表現を排し 理知的に画面構成を優先させる。 後のキュビズムなどの基となり 近代絵画の父と言われる。

第三章  P294

294

「美しき不遜」

P294。「窓辺の薔薇の花束」 134×131㎝ S60号程度 キャンバスに油彩 1958
P250の「樹木のある大きな風景 (三角の畑)」をもう一度描いた作品である。前作との違いは窓から見た風景に変えられている点で 窓辺には薔薇などの花を活けた水差しが描き加えられている。左上からの影は3本に分かれ 畑の凹凸や生け垣はより描き込まれて複雑になっている。恐ろしいまでの描き込みと丹念さであり この濃密な存在感と美しさはP250の「樹木のある大きな風景 (三角の畑)」を上回っている。
そして馬や後ろ姿の人物は居なくなり あの眼の形のような紡錘形は複雑で重厚な画面の一部になっている。まるで謎めいているのは眼の形の紡錘形だけでなく この大地こそ秘められた大いなる謎が満ちていると言っているようだ。窓辺の薔薇の花束はその大いなる謎という名の生命を具現化したものだろうか。生命は大地が秘めた大いなる謎の一つだろうから この花束はそのような大いなるものへの献花のように見える。またここに描かれた農地は爽やかな風と暖かな日射しに満ちているが 時に気紛れな天候の変化に翻弄され そしてまた途方もない暗黒の闇をも含んた自然界の一部である。その自然界は生物の生と死も内包し 過去と現在という時間の経過も蓄積し 未来と言う時間の存在も忘れさせない。ここにはその豊かさと偉大さが象徴的に描かれていている。しかしその偉大さは途方もないものを内に秘める存在である自然である。バルテュスは自然を親しみ その存在を重要視していたが それは単なる自然主義者としての捉え方ではなく 大いなる謎を示す偉大なるものと考えていたのでないか。その自然の持つ存在感をここでは実に重厚で豊かに描いているが それは他を顧みないほど強大ゆえに不遜であるが ここでは美しき不遜として描かれている。

第三章   P295-P296

295
P295。「鳩」の習作。 73×80㎝ S25号程度 キャンバスに油彩 1958
この作品は P296の「鳩」の習作だが ここでは先の平面化とは異なる具象表現が試みられている。それはシャシーの館の屋根越しに見える丘陵の畑の形の表し方で とてもゆるやかな曲線が用いられ 館の屋根の直線と対比的になっている。このとりとめもないほどのゆるやかさが新鮮であり 豊かさと軽味を感じさせている。実際のシャシーの丘陵に見られる畑も緩やかな曲線を見せているがこれほどではなく このように描くバルテュスの眼と造形力に驚かされる。

P296。「鳩」 88.5×100.5㎝ F40号程度 キャンバスに油彩 1958
蔦の葉の取り巻く窓辺で餌をついばむ鳩で 穏やかな日中に見られる光景である。習作の丘陵の畑のとりとめのないゆるやかさにより変化を与えるために 蔦の茎と葉の細やかな曲線が加わっている。そして屋根と煙突に用いられた直線は畑と蔦の曲線と対比の関係にあって画面を引き締めている。その関係で言えば鳩はガラス鉢と共に描かれているが その形はちょうど緩やかな曲線と確かな直線の中間によって出来ているように見える。単純化と変形に富んだ畑と蔦は抽象的で その中で鳩とガラス鉢は具体性を保っている。ここには先のP293の「ランプのある静物」と同じような具象表現への独自な試みと展開が見られるが その造形性と構成感覚の新鮮さはP293を越えているように思える。また丘陵のとりとめないゆるやかな曲線は小動物に親しみを感じる温和な気持ちを生むシャスイの生活と重なって見えて微笑ましい。

第三章   P297

297
P297。「雌牛のいる風景」 80×65㎝ F25号 キャンバスに油彩 (1958)
鬱屈しているような樹木の立つ斜面を牛が歩いている。その後に牛追いが一人描かれている。この頃に描かれていた明るい色彩は見られない。濃く暗い茶色と地味な緑色が使われ 画面のどこにも空は見えていない。どこか重苦しい。しかし牛の描き方を見るとその描写力の正確さと軽快さが目を引く。茶色に塗った上から一気に描いたのだろうか 牛の微妙な動きの正確さと即興的な筆使いは 今までとは異なる軽妙で達者な技術を見せている。 

第三章  P298-P299

298
P298。「シャシーの農場 (春)」 116×89㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 (1958)
シャスイの中庭に立つ門を右側の棟から見た風景である。杉の巨木が立ち 生い茂る樹木の間から2本柱の門が見え その奥に納屋とアーチ型の門が枝の間から見える。ちょうど P235の「シャシー農場の中庭」と同じ2つの門を右側のやや上から見ている事になる。この作品も 1954年に描かれた中庭と同じく 構成的な風景画で2本柱の門を中心に その奥の納屋やもう一つの門を描きながら その手前の樹木の生い茂った枝葉も充分に入れている。しかし所々にバルテュス特有の見慣れない線や形を見つける事ができる。これは実際の風景が変えられ 創意によって加えられた所に見られる特徴である。ここでも現実と創造の組み合わせが行なわれている。そこには時に見慣れないゆえか 不安定が生じたり妙な形が見られたりするが ここにバルテュス特有の造形と構成感覚が伺われて面白い。
実際のシャスイの館の2つの門の前は遠くに広々とした丘陵が広がっていて 納屋越しに描かれた丘陵と建物をこのように見る事は出来ない。

P299。「農場」 81×100㎝ F40号 キャンバスに油彩 (1958)
この作品もシャシーの2本柱の門とその向うにある納屋を描いている。先の P298の「シャシーの農場(春)」とは反対側の館の左側から描いている。中庭の樹木と納屋が画面を大きく占め 屋根の向うに丘陵が遠く広がっている。樹木と丘陵の緑色と納屋の白っぽい茶色が対比関係にあり 濃密な樹木と薄塗りの納屋と門の塗りの厚みの違いも対比的である。この明るさと塗りの軽さも晴れやかで気持ちがよいし 濃密に描き込まれた樹木も手応えがある。手前の樹木の位置は実際とは異なるだろうし 遠景の丘陵の畑の形もかえられているだろう。これも現実と創造の組み合わせで 丘陵の畑の形は特に不定形の持つ妙さが見られる。門や納屋の直線と丘陵の曲線を比べるとその違いは明白でその対比的な所も面白いが やはりこの一連の門と中庭と遠景の見せる実際の風景と創造の風景の組み合わせの妙が味わい所だろう。
左下の4枚の葉は手が届きそうなくらい大きく描かれている。このように窓の近くにある葉はつい触ってみたくなるが バルテュスもきっと同じだろう。

第三章   P300

300
P300。「アラン・ド・ロチルド男爵夫人の肖像」 190×152㎝ F120号程度 キャンバスに油彩 1958
久しぶりの肖像画である。シャスイに転居してから初めて描く肖像画であるが この後には肖像画を描く機会がなかったのでこれが最後の肖像画である。
この肖像画はシャシー時代では大きい方の画面であるが 人物はわりと小さく描かれていて 他は室内の様子を描く事に当てられている。椅子に座った男爵夫人は頬杖をつき こちらを見ている。ハート形の髪形が特徴的で 傾いた頭部から背にかけて円の一部のような曲線になっている。裾の長い厚手のガウンを着た夫人は穏やかで気品を持っているが それはこの室内の様子に似合っている。椅子の形 布が掛けられたテーブルとその上の器 小さな円卓と燭台(この白いロウソクは2本とも斜めに傾いている) 暖炉と衝立て その上の彫像と金色の調度品 その下の壁にある金色の紋様など。これらは特に豪華ではないが 屋敷の品格を感じさせている。パリ時代に描かれた肖像画の人物達は貧しいと言ってもよいくらいの室内の中に置かれていたが この人物の扱いは異なる。由緒があり 富裕層であろうこの夫人を描くにはこの部屋の様子も描く必要があると判断したのだろう。パリ時代の肖像画は人物そのものを描こうとして装飾性を故意に排除していたように思われるが ここでは人物と室内の様子を描く事で その人物自体の表現になると考えたのだろう。この由緒があり一つの品格を持った屋敷の中で 彼女は女主人として居る。このような人と屋敷の関係は互いに一体化し 切り離せないものになっていくのではないだろうか。人は屋敷に宿り 屋敷は人に宿る。由緒ある屋敷とはそのようなものを生じさせる力を持つのだろう。この絵はそのような両者の関係を思い起こさせる所がある。
またバルテュスが具象表現を取り入れてからの本格的な肖像画としてみると パリ時代とは異なる工夫も見られる。それは具象表現としての簡略化された立体感 質感 光と影などであるが やはり具象表現としての形の作り方の工夫が見所となる。ここでも人物の有機的な形と室内の人工物の形の関係を構成しているが 形の面白さとしては家具などの形も見逃せないだろう。

第三章   P301

301
P301。「蛾」 162×130㎝ F100号 キャンバスにテンペラ 1959
夜半の寝室にはランプが灯され 柔らかな光がその周りを照らしている。入浴後なのか裸体のままの女性がタオルを片手にして入ってくる。そこには大きな蛾が金色に輝きながらランプの周りを羽ばたいていた。ランプの光は部屋の中に闇を残しながら 羽ばたく蛾を金色に輝かせている。夜の闇に浸る私室を訪れたものはささやかな命を持って頼りなく飛ぶ蛾であった。ランプの光が照らし出す裸体と蛾は神秘的である。この絵が描かれた当時の暮らしでは このような事は珍しい事ではなかったはずだが 見逃されやすい日常の中の些細な出来事に向ける眼の確かさと そこに神秘を見るバルテュスの審美眼がここにはある。そしてこのような叙情的で物語性を持った作品は P128の「サクランボの木」などに通じている。しかしその底には 穏やかならざるものがあるように思われる。つまりここには夜半のささやかな出合いを神秘として受け取り ながら それに対する畏怖と畏敬が含まれているように思われる。それは蛾との出合いから伺われる大いなる世界の存在を感じるからだろう。
またこの作品はいつもの油彩ではなく カゼインを使ったテンペラで描かれている。そのためか色彩は不透明で いつもよりもさらに彩度の低い微妙な色合いを見せている。その画肌は粗い厚塗りだが 角の取れた滑らかな凹凸を作り出している。この充実した画肌は具象表現としての造形性 つまり真横から見たこの裸体や寝台の上の枕や毛布 そしてランプの形や市松模様などの形の面白さと相まって このささやかな出合いの神秘に技法としての彩りを添えている。

第三章   P302-P304

302
P302。「風景」のための習作  29.7×45㎝ P8号程度 キャンバスに油彩 (1959)
斜線の道と建物 そして緩やかな曲線の畑と丘陵が描かれている。俯瞰的な視点で描かれている所が P209の「イタリア風景」を思い起こさせる。しかしこのような直線と曲線の組み合わせの風景画は他にも描かれているが この次の作品ではまったく異なる 新たな展開を見せる事になる。

「ゆるみと不定」

P303。「羊小屋」 50×101.5㎝ F10×2号程度 キャンバスに油彩 1957-1960
先と同じくゆったりとした起伏のある畑に立つ納屋を描いている。しかしここには直線がない。全てはゆるい曲線で不定の形になっている。建物さえも直角を失い ゆるさの中に吸い込まれるように不定形化している。ここにはいままでの直線と曲線の対比はなく 完全にゆるい曲線のみとなっていて 同じ形は一つとしてない。色彩も白の多く入った緑色と茶色は穏やかな印象を与え 不定の形のとりとめのないゆるさと相まっている。そしてそれは黄昏が闇に変わる前の残照がもたらす 全ての形を曖昧に溶け入らせるような穏やかさである。しかしここにも不穏さは見え隠れしていて その不穏さと秩序の喪失から生じているのではないか 曲線と直線などの組み合わせによる対比の効果によって支えられていた秩序はここにはない。あれほど同じ主題を何度も描き直すほど こだわった構成はここには見られない。この作品は P293の「ランプのある静物」で行なわれた平面化と同じように これまでの構成とは異なり さらに平面化とも異なる別な展開を見せている。これもバルテュスが試みた具象絵画の可能性の追求の一つの結果だろう。

P304。「農地」 82.5×100㎝ F40号程度 木板に油彩 1959-1960
この作品ではとりとめのないゆるく不定な形はより広がっている。まるで定規を持たなかった太古の時代にまで遡り 直線の合理性とそれによる秩序を知らないかのようだ。この風景の中では作者も迷子となってしまうのでないか。ここには構成上の緊張感は取り払われ 弛緩と不定の形によって出来ているが 手前の樹木の立つ道の線などは禍々しいとも感じられる。この不定の形と不吉にも感じられる道の線と形は造形に対する挑戦のようだ。
このゆるみを持った曲線を多用した作品を見ていると 絵画を成り立たせている最善なるものは 調和や緊張感だけでない事を知らされる。また現代的な合理的で洗練された秩序とは異なる領域がある事も理解できる。この風景は眼の前に広がるシャスイの農地を超えて 遥か彼方の人為が及ばない異境の地に変質しているようだ。 

第三章  P305-P306

305
P305。「風景」 156×140㎝ 変形100号程度 キャンバスに油彩 1959-1960 
この風景はシャシーの館の正面から斜面を降りた所から見ているようで P299の「農場」にも描かれた納屋が樹木の向こうに描かれている。手前の樹木の枝が織りなす不定の線が構成されている。この樹木の枝による構成は P304の「農地」のゆるさと不定の形とは異なり もう一度 秩序と均衡を成立させようとしているようだ。背景の建物の直線との対比も復活している。

P306。「牛のいる大きな風景」 162×130㎝ F100号 キャンバスに油彩 1959-1960
この作品は先の P305の「風景」が習作に見えるほど似ている。そしてより描き込まれている。樹木の曲線は複雑だが 大まかに4本の樹ごとに特徴的な枝振りになっていて 互いに関連性を持ち 有機的な線の構成を見せている。そしてその奥にあるシャシーの納屋は青空の下で 日射しを受けて明るく輝き 樹木の有機的な構成に対して直線的で 対比の効果を見せている。
また樹木の向こうにいる牛と青い服を着た男が描かれているが 真横から描かれた牛は鼻先から背までが真直ぐで面白味があり 牛の後ろに立つ男は手を上げて この絵を見ている我々に答えているようで親しみがある。まるでバルテュスが絵の中からこちらに向かって挨拶を送っているようだ。青々とした空の下で樹木の中を歩く 牛と男を見ているとシャシーでの生活の穏やかさが感じられて微笑ましくなる。しかし樹木の枝は決して穏やかではない。

第三章   P307

307
P307。「風景」 140×156㎝ S80号程度 厚紙に貼られたキャンバスに油彩 1960
これも同じ場所を描いているがシャシーの納屋や青空は目立たなくされ 4本の樹木の枝による構成が主となっている。画面の縦横の比率は変えられ横長になっているから 左側の樹の枝葉はのびのびと広がっている。この4本の樹の枝が織りなす有機的な構成を見ていると まるで大きな抽象画の前に立っているように思えてくる。この枝の形は1本1本全てバルテュスの独得な造形感覚によって作り出されているから面白く 見ていて飽きることがない。
この独特で個人的な造形力と均衡感覚は 枝と枝の間に見られる空間にも見る事ができる。( 図と地の関係を反転するとそれが良く分かる ) この曲線の組み合わせとそこに加えられた直線は拮抗と均衡の関係にあり これは大いなる秩序の復活である。先のP303の「羊小屋」のような秩序の開放から戻ってきたと言える。この大いなる個人的な秩序は 構成から抽象への接近を思わせる。
それからこの作品は制作中の様子が残されていて 褐色に見える所は下塗りの色であり それがちょうど葉のようにも見える。この下塗りの残し方は非常に巧みで創造性がある。制作途中で気がついたであろう。この塗り残しは樹木の構成と共に抽象性も生み出しているので 背景の納屋の現実性と一緒に見ると現実性は置き去りにされているようだ。樹木の抽象性と建物の現実性 その差に当惑を感じるがそこが面白い。

先のページとこの作品の3点は樹木と枝だの構成に始まり 構成と現実性 更に構成の抽象性と現実性へと進展して行った一つの道筋を見い出す事ができる。バルテュスは「同じ主題を繰り返し描く事は 連作ではなく 自分の考えている画像により近づくためだ。」と言っている。その通りだろう。そしてその飽くなき探究の中で辛抱強く繰り返し 時に思いがけない成果も得ながら 次の展開を生んでいく。この創造の道を歩む人は地に足をつけて確かな手応えだけを頼りに一歩一歩進もうとしている。時に脇道や思わぬ袋小路に分け入っても それがバルテュスの創造の道である。 

*図と地。絵画などの視覚伝達方法をとるものは そこにあるものとその背景にあるものとの関係が生じて いる。ここでは樹木の枝とその背景で言えば樹木と枝は図であり その背景は地である。主に見る者は図 だけを見がちであるが 地も見るに値し 図と地は常に切り離せない関係を持っている。

第三章   P308

308
P308。「少年と鳩」 162×130㎝ F100号 キャンバスに油彩 1959-1960
この作品は朗らかさに満ちている。しかしそこには不思議な造形感覚も同居している。卓の上の観葉植物に水を与えている少年は 窓に映った鳩の影を見て微笑んでいる。植物を愛おしみ 鳥達の姿に微笑みかける少年の眼差しと微笑み そのふっくらとした頬は純朴な朗らかさに満ちている。しかし少年の着ている衣服は変わった模様で時代離れをしているし その身体は東洋の釣り鐘の形のように裾が僅かに広がっている。またテーブルの上は布が掛かっているのに市松模様になっている。右端のカーテンの止め帯びには他の作品にも描かれている中国の模様が描かれている。そして窓枠やテーブルの上の器などは 立体感を省かれて平面的に描かれている。さらに少年が左手に持っている棒は何に使うものだろう。天窓を開閉するためのものだろうか。つまりここには穏やかな陽光に包まれた少年の純朴な朗らかさと共に 印象的な模様や形が使われ それらは平面的な描き方がされている。すでにこの頃ではバルテュスの描き方は完全な具象表現になっているが 作品の内容はあくまでも現実を基にしており そこに含まれている本質や実質を的確に捉えながら それらを現実の形ではなく 自らの考え出した形を与えている。バルテュスの具象表現では その個人的で特異な造形感覚によって作られた形を味わい 楽しむべきだろう。この作品では朗らかで微笑ましい日々の暮らしの一コマが 個人的な造形感覚で描かれているが その何ごともない光景は一種の夢幻性をも生じさせているように思える。日常の夢幻性。

第三章   P309

309
P309。「コーヒーカップ」 163×130㎝ F100号 キャンバスに油彩 1959-1960
これはP274の「黄金の午後」を思い起こさせる作品で 長椅子に肘をついてくつろいでいる若い娘の姿が描かれている。お昼の休憩時だろうか それとも午後の休息か 一杯のコーヒーで一時をくつろいで過ごす姿は何気ないがささやかな幸福感を感じさせる。
描き方もよく似ていて平面的で あっさりと着色されているように見えるが 乾筆の質感も使われていて思いのほか重厚な画肌を持っている。また画面の大半は様々な紋様で埋め尽くされており 長椅子の渋く落ち着いた大柄な模様 花と花瓶が置かれたテーブルの赤と青と白の幾何学模様 床の細かな織り模様 またコーヒーカップのある卓には黄色と茶の柄は気軽で 壁には左右非対称の創作したと思われる飾り縁など。これらは画面の充実に充分な役割を果たしているが それぞれの組み合わせに秩序や調和が計られているようには見えない。この混在感はバルテュスの感性によるものなのか それともわざと混在させているのだろうか。完全な調和は一種の完結であり ある種の非調和は完結へと向かわないゆえに 生き生きとし続けるのかもしれない。

第三章   P310-P311

310

第三章   P312-P313

312
P312。「シャシー農場の中庭」の習作  89×96㎝ S40号程度 キャンバスに油彩 (1960)
以前にも描かれたシャシー館の中庭の習作である。樹木の葉は落ち 中庭や背景の丘陵も彩度の低い茶色に塗られ 落ち着いた色調にまとめられている。季節は秋で その深まりを増しているようだ。 1954年に描かれた場所と同じだが 2つの門を描きながら少しずつ見る角度が異なっている。丘陵にある あの台形の畑もやはり描かれていて 2つの門と両側の納屋に対応するように際立っている。

P313。「シャシー農場の中庭」の習作  97.5×104㎝ S40号程度 キャンバスに油彩 (1960)
これも同じ場所の習作で 右側の樹木は葉が生い茂り 中庭も背景も緑色に描かれている。その青々とした葉は新緑のようだから季節は春だろうか。例の2本の門柱は画面に入っているが その奥のアーチ型の門は半分だけになっている。台形の畑はこの角度では見えなくなるはずだが描かれている。この台形の畑は門の上にあって 丘陵と門の均衡を取る一つの構成として必要なものだが あの三角の畑にあった眼の形を思い起こさせる。新緑の生い茂った樹が主役で 2本柱の門と台形の畑は脇役のように構成されているようだ。

第三章   P314

314
P314「シャシー農場の中庭 (樹木のある大きな風景)」 130×162㎝ F100号 キャンバスに油彩 1960。
この作品が「シャシーの中庭」と題された5作品の集大成だろう。ここには構成と光がある。そして日々の暮らしとその延長線上にある永遠性もある。
シャシーの中庭は建物と共に複雑な光と影の世界の中に埋もれているが 丘陵は隅々まで明るく照らされている。右下方から中庭にのびる館の影は長く 陽光は建物の間から中庭を照らし そこに三角形と台形を基調にした光と影の形を作り出している。そして手前の中庭に立つ樹木は有機的な曲線を画面に広げ 中庭と丘陵の直線に対して変化を与えながら 対比の効果を生んでいる。色彩は黄味がかった茶色と緑っぽい影の色がほとんどだが その中で赤味がかった屋根の色が暖かみを添えている。左下に後姿の男が門に向かって歩いているが この人物がいなければ この構成と光と影の世界は日々の暮らしを捨てて永遠性の彼方へと飛び去ってしまうように見える。この人物と中庭の門柱は この絵画世界を現実に留める錨のようなものだろう。それ以外の光に満ちて輝くものは 永遠へと誘われている。しかし P135の「シャンプロバンの風景」のような永遠への憧憬はここにはない。その憧憬は回帰的であり 過去をも含めた永遠性だった。しかしここには現在という永遠があるように思える。それは確たる構成を築き上げる事に成功し 光と影と色彩を味方につけたからこそ 成し遂げる事が出来たのではないか。この作品はシャシー時代を締めくくるに相応しい 大きな成果である。

この「シャシー農場の中庭 (樹木のある大きな風景)」を描いた翌年の 1961年にはローマに赴任する。シャシーに転居して最初に描いた風景もこの中庭であった。

第三章   P315

315
P315。「サクランボの籠」 65×93㎝ P30号程度 キャンバスに油彩 1956-1961
これは籠に盛られたサクランボの実を描いている。籠の編み目と山に盛られたサクランボはやや大まかだが一つ一つ描かれ サクランボの頂上には一枝の葉があって 山の上の旗のようである。またその手前には菖蒲の花が左右に一輪づつ描かれている。この山盛りの果実と花の左右対称の構図は印象的だし 狭い台の上に置かれた山盛りの果実の堂々とした正面性も妙に気を引かれる。形を明確にしない描き方は曖昧でとらえ所のなさを感じさせるが 素朴さがあり これも一つの意図された表現技法なのかも知れない。または摸写の一種だったのだろうか。

第三章   P316-P317

316
ローマ時代 1961-1977 53才-69才 P316−P335 19点+316点 計335点
ヴィラ・メジチ館の館長という要職につき イタリア ローマに赴任。この16年間のローマ時代の作品は少ないが ヴィラ・メジチ館の修復などを行なっており これらも一種の作品と言える。描かれた作品は長椅子と娘達 トランプ 椅子に座る娘 日本女性 そして身支度をする裸婦。これらには新たな展開が見られ 晩年の集大成化が始まっている。また個人的には日本人の出田 節子嬢と出会い 後に再婚する。主な作品「トルコ風の部屋」「読書するカティア」「黒い鏡を見る2本の女」など。

P316。「皿の中の果物」 50×50㎝ S10号程度 キャンバスに油彩 1962
色彩豊かな果実が白い皿に盛られ 木箱の上に白い布と共に描かれている。果実は黄色と赤の組み合わせで 丸みのある大小の形が重なって 豊かさと変化を見せている。また白い布は果物の丸みとは異なるゆったりとした曲線と曲面を見せ 木箱の直線と平らな面と直角はそれらとは対比の関係にある。つまりここには3つの形がある。果実の丸みと木箱の直線と平らな面と直角 そしてその中間の白い布のゆったりとした曲線と面。更に白い皿の大きな楕円も加えれば4つの形の組み合わせである。果物の置方は大胆で大きなリンゴなどは逆さにしている。この一見 乱暴なような置き方も形の多様さを求め そこから生じる律動感を得るためだろう。ローマに赴任して新たな仕事を様々にこなしている中で描かれた絵であるから 絵具の匂いと手応えを確かめるために描かれたようだ。

P317。「皿の中の果物」 39.5×50㎝ P10号程度 キャンバスに油彩 1962-1963
先と同じ構成でもう一枚描いている。木箱の下を狭くしていから 木箱の占める面積が広すぎたと考えたのだろう。バルテュスはこのような変更をよく行なうが 描いてから変更する場合が多い。描く前に考え 描いている時は楽しみ そして描いた後で もう一度考えているようだ。

第三章   P318-P321

318
P318。「若い娘の肖像」 37.5×27.2㎝ P6号程度 紙に油彩 1962
幼い娘の横顔を素描風に描いている。凛々しい眉と突き出た上唇が特徴的だが どこか一途なものを持っている子のようだ。この子はローマ時代のモデルの一人で ヴィラの料理人の二人の娘のミケリーナ嬢だろう。

P319。「若い娘の肖像と風景」の習作  38×26.5㎝ P5号程度 厚紙に油彩 1963
先の娘の顔と風景が一つの画面に描かれている。油彩を使った素描で風景は逆さまに描かれているから 別々に描いたのだろう。

P320。「イタリアの風景」の習作  32.5×25.5㎝ F4号程度 キャンバスに油彩 (1963)
これも素描風に描かれた風景で 大まかに印象を描きとどめようとしているようだ。この作品を描くために絵具の準備をしたと言うより 他の作品の制作の合間に描いたのだろう。
ローマに赴任して 仕事場もヴィラ・メジチの1室に設ける事は出来たが まだまだ本格的な作品に取り組むには準備期間が必要なようだ。

P321。「若い娘の肖像」 現存不明 資料写真無し。27×22㎝ (1963)
新たな地に転居したての頃は 新鮮な気分で新たな作品への意欲に駆られるだろうが 本格的な制作に入るには それなりの準備期間を必要とするのではないだろうか。まず新らたな土地の空気を身体の隅々にまで届かせねばならない。そして周辺もよく見て歩かねばならないだろう。シャスイ時代もそうだが バルテュスは新たな地に転居しても その地方の名所的な風景を描く事はなかった。名所があれだけあるローマでも 単に物珍しいものを描く事は決してない。バルテュスはじっくりと準備期間を過ごし 熟成するまで待っているのだろう。

第三章   P322-P324

322
P322。「花々」 35×45㎝ F8号程度 キャンバスに油彩 1963
久しぶりに花の束を描いているようだが P315の「サクランボの籠」には菖蒲の花を また P294の「窓辺の薔薇の花束」でも描いている。しかし菖蒲の花は2年前で 三角の畑が見える窓辺の花は5年前になる。真ん中に黄と赤の花は正面を向いていて 他は細かな花と大きめの花弁を持った花が描かれている。葉も密生して 全体にたっぷりとした感じである。バルテュスのこのような花は どこか不均衡で不器用さが見られるのだが これも素朴な描法を使っているからか。それとも模様や柄として図的に捉えようとしているからだろうか。

P323。「青い壺」 89×70㎝ F30号程度 キャンバスに油彩 (1963-1964)
この青い花瓶に活けられた花も先と同じ不器用さと不自然さが見られる。花々の均衡や床の市松模様の面の傾き 壁のH型など。しかしそれは気ままに描いた無頓着さから生じているとも思える。随分前から時々このような作品が見られる。それは晩年になるほど目立つようになるのだが 一種の自己開放なのかも知れない。均衡を保った厳格な構成から独特な個人的構成感覚へ そしてそれらからの開放か。 

P324。「ねぎと静物」 77×54㎝ M25号程度 キャンバスに油彩 1964
ねぎなどの身近な野菜を描いている。このような題材を描く事は珍しいが ここにも不自然さと不器用さが見られる。そして無頓着な開放感にともなう荒々しさ。

第三章   P325-P326

325
P325。「三姉妹」 131×175㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1964
ローマに赴任して最初に描かれた本格的な作品は 何と「三姉妹」であった。これ以前の「三姉妹」は P234と P252があり この2点はシャスイ時代の 1954年から 1955年にかけて描かれている。約10年前に2度描いた主題に さらにもう一度挑戦するのである。この執拗な試み。しかし同じ主題とは言え その構成はかなり改められ 新たな展開を見せている。以前との違いは三人の女性が幼さの残った若い娘達ではなくなり 人物の形が全体に柔らかくなっている点で 以前のような三人の構成的な関連性の追求は弱まり 立体感や奥行などもほとんど省略されている。そのためか現実性は失われ その代わりに一種の淡白な優雅さが漂っている。しかしその三人は構成上の関連性が弱まったおかげで「同居の無関係性」が強まっているように見える。また絵具の扱い方にも変化があり 重厚で丹念な乾筆の重ね塗りだけでなく 薄めに溶いた絵具を素早く塗る方法も加わっているようだ。そのために軽快さが増している。また様々な模様を描き込む手法も行なわれていない。それらのためか この作品では女性特有の曲線の穏やかさが 水の流れのように漂い まさに淡白な優雅さを醸し出している。

P326。「三姉妹」 127×170㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1964
先とほとんど同じ構成で 4点目となる「三姉妹」である。人物の姿勢に弱冠の変更が見られ 右側の帽子をかぶる娘の顎にあてた右手が省かれ 左側の本に覆いかぶさっている娘の顔の向きがやや下向きになっている。また床の絨毯の模様が描き加えられ その代わりに手足が小さい首の長い猫も省かれている。また前作同様に全体の平面化は引き継がれながら 左右の人物の立体感はやや与えられている。しかし色彩の変化は大きく 青色が多く使われ中央の膝を立てている娘の赤い衣装との対比を強くしている。また人物の女性特有の曲線に対して 壁と机や絨毯の模様は直線で これも対比的である。この作品では色彩の変化によって 前作の淡白な優雅さは姿を消し 夏の午後に憩うけだるさのようなものが強調されている。

第三章   P327

327
P327。「三姉妹」 130×192㎝ F120号程度 キャンバスに油彩 1959-1964(1965)
P327。「三姉妹」
この5点目の「三姉妹」は最初の「三姉妹」にもどっているように見えるが 実はそうではなく 先の P325と P326の「三姉妹」よりも早く描き始められている。この作品は1959年に描き始められ 途中で先の2点の人物の配置を変更した「三姉妹」を同時に描き 3点とも1964年に完成させている。またこの作品は 1965年にもう一度手が入れられているので 制作順としては5点目となっているだけなのである。つまりローマ時代の「三姉妹」はシャスイ時代の「三姉妹」を最初は引き継いでいたのであり 大まかに言えば右側の娘の姿勢を三番目の姿勢として描き直した作品と言える。左側の椅子に座って本を読む人物と中央の長椅子に膝を立てて座る人はほぼ同じで 違いは両手を降ろして正面を向いているくらいである。しかし人物以外の長椅子は形も変えられ模様が描き込まれている。また最も異なる点は天井から陽が射している事であり 左側の本を読む娘は薄い影の中におり 右側の娘の上には影が大きく斜めに入っている。この陽光の取り入れ方は他の「三姉妹」には見られないので この作品の特徴と言える。
このローマ時代に描かれた「三姉妹」はシャスイ時代の「三姉妹」と同じく バルテュス特有な奇妙さや謎めくものもないし シャスイ時代の特徴の一つであった穏やかで開放的な率直さや純朴な朗らかさもない。かと言って画面の構成にこだわっているようにも見えない。また夏の午後に憩うという季節感から生じる独特な雰囲気も描き出そうとしていないようだ。これらはまるで模様や柄のように様式化されているように見える。 

第三章   P328

328
P328。「読書 (構成のための習作)」 150×170㎝ F120号程度 1963-1966
なんとも大胆な姿勢を取る裸婦と幼い娘が描かれている。裸の女性は寝椅子に横たわり 腕枕をしてながら もう片方の腕も頭に乗せ腋窩を見せている。片足を立てて椅子に乗せ もう一方の足は投げ出しているから股間は無造作に開かれている。側にいる幼い娘も頭を椅子に載せ 全身の力を抜いてもたれ掛かりながら手を添えた本を見ている。何故母親とも思える女性は裸で 幼い娘は衣服を着てこのように脱力しているのか。見る者にはそれらの理由が分からない。
この二人の姿は副題にあるように構成のために組み合わせた姿勢の試みとする事もできるが あまりに無造作で脱力した その姿勢は構成の試みと言うより 不穏で醜聞的と言える。そしてそのようにしている理由が分からない分 奇妙で謎的である。しかし今までの身支度をする娘などを描いた作品を思い返せば この作品も個人的な一時を過ごす 何の遠慮もいらない秘められた個室内の様相を描いていると言える。しかしそれ以上に大胆だが。裸体の足は いつものように片膝を立てているが 官能性よりも無造作な性の露呈であるように見え むしろ着衣のまま脱力した娘の背から腰 そして後ろにのびる足の線の流れの方が官能的だろう。または裸体と着衣の組み合わせ さらに大人は裸体で幼い娘が着衣姿である事が官能的である。大人の女性と幼い娘の組み合わせと言えば あのP79の「ギターのレッスン」を思い起こすが そこでは大人の女性は着衣姿であり 幼い娘は半裸であった。まさにこの作品とは逆であり 官能性で言えばこちらの組み合わせの方が微妙である。さらに問題は幼い娘の脱力感で これは見る者の関心を揺さぶる何かがある。それは官能性というものよりも 死に近く 官能性と死の間にあるもののように思える。

第三章   P329

329

「もう一つのエデンの園」

P329。「トルコ風の部屋」 180×210㎝ F150号程度 キャンバスに油彩 1963-1966
青と黄色の艶やかな室内装飾の部屋の中で 手鏡を見る裸婦は日本人であり 右側の椅子さえ東洋風にされている。裸婦の身体は穏やかで柔らかな曲線で描かれている。そのお腹はポッタリとしたふくらみを持っていて優雅であり 西欧人の体形とは異なっている。顔も凹凸が少なく平面的で 目鼻も小さく温和な感じがする。羽織っているのは寝巻きは着物だろうが 頭に巻いた白い帯も日本風である。( この白い帯は本来 身分の高い武家や貴族が病にふした時に用いるものである。)
この作品には多様な模様や柄が使われており 左端の渋い色の模様も日本的だが 寝台の布と床の模様は西欧的である。最も華やかで印象的な装飾はタイル張りの壁で トルコ風と題されたイスラム圏の模様である。( この部屋は前館長が作らせた特別室でヴィラ・メジチの中でも異彩を放つ異国情緒に満ちている)また右端の2つの円卓は曲線が多く使われている所から中国風に見え 窓枠にも特徴のある装飾的な曲線が使われている。このような多国籍の模様に埋め尽くされた画面は充実し 独特の華やかさに満ちているが それぞれの模様と色彩の組み合わせは調和が取れているとは思えない。それは様々な模様を同居させる事で生じる不調和の混然たる調和を描き出そうとしているようだ。しかし最も艶やかな色彩を持つトルコ風のタイル模様が やはり最も印象的な事は明らかで その壁の前で手鏡を持つ裸婦はその鮮やかさに負けていない。裸体は単純化されているが丸みを持って描かれ その柔らかでゆるい曲線はたおやかで見る者を和ませる。
この作品の重要な点は このたおやかな裸体を見せる日本女性がバルテュスの2番目の妻になる出田 節子嬢である事である。二人はバルテュスがヴィラ・メジチの館長として日本に訪れた時に出会っている。そしてその運命的な出合いの後で節子夫人を描く事になるが これが夫人を描いた最初の作品である。(この時 節子夫人はバルテュスの求めに応じて単身ローマまで出向いている。) このような私的な面がバルテュスの場合 作品にどのくらい影響しているかは定かではないが (前妻であるアントワネット夫人も多くの作品に描かれているし バルテュスの場合は個人的な感情を直接 作品に反映させる事はほとんどない) この作品の明るさはやはり 得難い伴侶を得た喜びが間接的にせよ 反映していると思われる。以前から東洋や日本文化に造詣の深いバルテュスが このヴィラ・メジチの特別室に強い関心を持っていた事は明らかで 一度はこの部屋を描きたいと考えていただろう。しかしこの部屋に似合う人物は誰でも良い訳ではない。やはり東洋の最東端の国の人である節子夫人以外はありえないだろう。
そしてこの作品のもう一つの重要な点のは 晩年の集大成とも言える「鏡猫」に見られる寝台の上で手鏡を持つ若い娘が描かれている事である。鏡と若い娘は身支度をする裸婦で描かれ 手鏡を持つ娘は P155の「美しき日々」まで遡る事ができるが 「鏡猫」に至までにはもう一段階が必要だったのでないか。バルテュスの創作の道は蓄積の道であり より高みに至るための道である。そのためには自らの力以外の力を必要とする時がある。そのような考えからすると この作品は「美しき日々」から「鏡猫」へ至るために欠かす事が出来ない もっとも重要な役割を果たした作品でないだろうか。
またこの作品は西欧の人々から見れば随分と東洋的な異国趣味に染まっていると見られるだろうし また日本人から見れば日本 中国 中近東などの広いアジア圏の文化が混在している異国趣味と受け取られるだろう。この作品の持つ異国情緒は決して一つの国ではなく 多国籍の文化を混淆した実在しない異国であり それはバルテュスの求める 古くからの伝統が生きている世界とは また別なエデンの園の一つかも知れない。   

第三章   P330

330

「中世の時代に溯る。絵画の存在感」

P330。「トランプをする人達」 190×225㎝ F150号程度 1966-1973
久しぶりにトランプをする人々を描いた作品である。そしてこれはトランプを扱った最後の作品でもある。この作品を描き始めたのは 1966年で 完成したのは1973年であるから 7 年も要している事になるが それはローマ滞在中の公務を優先していたからで この時代の作品は他も同じように時間がかかっている。構図は P200の「トランプの勝負」とほとんど同じだが 大きな違いは左右の人物が反対になっている事で 右側に切り札のカードを差し出す女性が配置され 左側に椅子に足をかけて机の上に身を乗り出し勝負の行方に戸惑っている男性が描かれている。男性の背に回していた腕は前に移動し 胸の前で強く握られている。そして二人の顔はこちらに向けられ より単純化されている。他の違いは机の上に敷かれた布があり それが市松模様である事と机の手前に椅子が一脚置かれている点である。それから二人の服装は より時代離れしているように見える。また P200の「トランプの勝負」では光の効果によって敗者と勝者を明らかにしていたが ここではその効果は用いられていないので 二人の勝負の行方は説明されていない。この作品の注目すべき点は人物の顔の作りである。眉と目の間隔はなく 鼻梁とあわせるとT字型になっていて かなり図的である。そこには男女の区別はなく 雌雄同体に見える。男女の違いは髪形と衣服によって描き分けられている。この独創的で中世の時代を思い起こさせる顔は P311の「水浴をする人」を思い出させ  P221の「部屋」まで遡る事もできる。この図的な顔は やはり美と醜の関係を抜きに考える事は出来ない。様々な表現は常に美と言う大儀に収束されて語られるし 醜は美によって排除される悪であると捉えられている。しかしありきたりな美は現実性を失いやすく 醜は現実を引きづり過ぎる。この加減にバルテュスは果敢にも挑んでいる。そこでは醜を滑稽なものと転換しながら その滑稽さに潜む奇妙と言う解釈不能の魅力を発見している。これは P221の「部屋」ですでに獲得されていたし 「部屋」以前にも描かれている。つまりバルテュスの審美眼の複雑さと特徴はここにある。またバルテュスの作品の幅の広さは この美と醜の間の移動でもある。 
色彩は全体に渋い色調に押さえられて古色めいている。絵具の質感による重厚さは復活し その画肌は充実している。この画肌で重要なのは 二人の人物の背後に施された塗り方である。これは作品に重みと厚みを与えているが それだけでなく まるで風雨に晒された外壁の持つ時間の蓄積をも感じさせる。そしてこれは絵画作品のみではなくヴィラ・メジチの壁面を改修する時に使われた独自な手法でもある。これはバルテュス壁と呼ばれローマ近郊のモンテ・カルヴッェロの古城の修繕にも使われているし ローマのフランス大使館とバチカンのフランス大使館もこの手法を用いて改修されている。
全体の構成は堅牢で 青年期の構成に見られた潔癖さに通じるものであり それはトランプの勝敗を超えて二人の関係にある緊張感を利用した構成というより 構築された世界としてみる事ができる。しかしこの作品は一度 完成した後で手直しをされている。手直しが入った場所は細部で 男性の上着の切り込み 机の上の器 女性の衣服が長袖になる テーブルの市松模様の入れ方などである。この細部の削除と変更によって画面全体はより明確になり 時間を超えた中世的な雰囲気の中に合理性を与えている。この修正は作品により一層の完成度をもたらした。それはまるで堂々と時間の流れの中に建ち続ける建造物のように構築されている。

*美と醜 「醜の美学」カール・ローゼンクランツ著 1853年刊行の古典的な大著であり そこには「芸術は醜を滑稽に転化させる事で 美の普遍的な法則に従わせ 醜は喜劇として転用される」とある。

第三章   P331

331

「異国の様式に則る」

P331。「黒い鏡に向かう日本の女性」 157×195.5㎝ キャンバスにカゼインテンペラ 1967-1976
この作品は P329の「トルコ風の部屋」と同じく節子夫人を描きながら 日本の古典絵画の様式に見立てられている。その様式の主なものは遠近法で 日本の絵画では平安時代を代表する源氏物語絵巻から江戸時代の浮世絵まで平行透視図法が用いられていたので この2点の作品もその様式を使っている。また室内や家具も日本風になっている。黒い長持ち 漆塗りの黒い鏡 床の敷物の模様 帯の付け方と着物 髪形 女性の体つきまで日本風で その姿勢は床に腰をついて生活する国の人ならはである。半裸の女性は真横から描かれ 手と膝を床について黒い鏡に手を伸ばしている。自らの姿を映すために鏡の蓋を取ろうとしているのだろう。日本では鏡には蓋がされていて 使う時だけ蓋を取る。これは鏡が金属の表面を磨いた表面鏡だったからで 湿気で表面が錆びる事を防ぐ目的があったからである。しかしそうではなく鏡が黒いのは暗闇を映しているからかも知れない。その黒い鏡に手を伸ばした姿態は腕から腰にかけての流れるような曲線を作り その曲線はたおやかで優しい美しさを持っている。またその横顔は思慮深く 控えめな気品を見せている。
平行透視図法の平行な斜めの線と床の敷物の模様も裸体のたおやかな曲線と相まって 古式に則ったゆったりとした時間を感じさせる。ここでは流れる時間もたおやかなのである。バルテュスは幼い頃から中国や日本などの東洋美術に強い関心を持ち 造詣も深かった。中国の古典的な画家の言葉に宇宙感を学び 西欧絵画の技法に固執する事なく その表現方法から多くを得ている。そして新しき得難い伴侶である節子夫人の育った国が日本であれば 自分の作品をその異国の世界で展開させてみようと考える事は大胆だが自然だろう。しかも日本の古典絵画の様式に則って描く事は単に異文化を取り入れるではなく 自らがその世界に出向いている訳で これはバルテュスの謙虚な文化に対する礼儀の示し方と考えられる。この作品はテンペラを使っているが それも日本の絵画の様式に習っての事で テンペラ絵具は絵具の粉末(顔料)を水または乾性油を加えて練り 更に生卵の黄身を接着剤として用いる彩色用画材であるから 仕上りは油彩のような艶はない。しかし日本の伝統絵画は顔料に膠を用いる。また彩度の低い色は日本の風土に合わせるためだろう。絵具とは元来 その土地の風土を反映しているものだからである。
この作品は P329の「トルコ風の部屋」で描いた西と東の文化の混在から一歩踏み出して 日本と言う国に出向き その様式と風土を理解しようとした作品である。また日本風に置き変えられた身支度をする娘である。

第三章   P332

332
P332。「赤い卓と日本の女性」 145×192㎝ キャンバスにカゼインテンペラ 1967-1976
この作品も日本風として朱色の卓や衝立てなどの調度品をしつらえ 床の上の姿勢を描いている。先の作品と同じく平行透視図法を使い 立体感の表現も最小限にされ光と影の効果も使われていない。またこの半裸の女性も腰に細い帯を結び 着物は腰だけを被っている。そして P329の「トル古風の部屋」と同じく頭に白い帯を巻いている。室内には衝立てと敷物 そして鮮やかな*朱色の小さな卓には花をいけた花瓶と茶器が置かれている。奥の襖は開いているようだ。
この作品で印象的なのは女性の姿勢と正面性を持った顔で その首の突き出し方と肩と腕のひねり具合は不自然で 衝立てに近付けられた顔の位置も意図がよく分からない。バルテュスの作品では このよく分からない点が味わい深いのだが 例えばこの衝立てに近づいている顔は 衝立てに張られた絵や歌を読んでいるのかも知れない。日本の衝立てにこのような事はよく行なわれ 一種の知的な装飾としている。恋人を待つ娘は待つ間に耐えられず ふと衝立てに張られた手紙を読み 心慰めているののではないだろうか。
この作品も先の作品と同じく日本を描こうとし 日本絵画の様式に則っているが 先の作品よりも本作は空間性の表現に苦慮しているように見える。それは完全な平面化が行なわれていないからであり 人物の背後の空間と襖の奥を暗くして奥行を与えているが これは完全に平面化された日本絵画に見慣れた人からすれば 中途半端に見えるだろう。しかし完全な平面化では表現しきれないものを感じたからこそ この背後の奥行は描かれていると考えられる。つまりこの暗さは彼女の心の様子を表しているのであり 絵画的な説明だとすれば納得もできるだろう。完全な平面化を特徴とする日本絵画は ある種の抽象性を獲得しているが ここではその抽象性では表現できない必要性を感じたのだろう。つまり完全な平面化では表現できない心の機微を この暗くされた奥行は表していると考えられる。  
愛する伴侶の国であり それ以前から敬愛する日本の文化 その敬愛の念は日本の絵画世界を自らの作品に取り入れるのではなく その様式に則って描かせるほど強いものであるが この作品では計らずも東西の絵画表現の違いを露呈する事になっている。

* この朱色の卓は本来は個人用の食卓であるお膳だろう。

第三章   P333

333

「絵画へと昇華された性の露呈。」

P333。「本を読むカティア」 179×211㎝ F150号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1968-1976
片膝を立てて椅子に座る若い娘の姿は P112の「夢見るテレーズ」を思い起こさせる。しかしここにはあのような顔をそむけて眼をつぶり 性を露呈させ その横で猫のミルクを飲む音が聞こえるというようなあからさまはない。姿勢は同じでも横向きにされ 本を読む姿に変更されている。また人物と椅子以外は壁と床だけで 猫もいない。しかし片膝を立て陽光に晒されている事にはかわりがない。また本を読んでいるようだが 光の方向からすれば文字面は影になり 影の中にある顔と横目使いは意味ありげである。
だが全体には落着きと熟成が見られる。これは姿勢を横向きに変えた事と画肌と色彩のもたらす充実感によるものだろう。そしてこの作品は 挑発的な性の露呈や日常の純粋性を描いた作品の集大成であり 融合だろうか。また先に描かれた日本の古典絵画の様式の特徴である奥行を与えずに 人物を横向きに描く手法はから見て 異国の様式の昇華でもあるはずだ。つまり日常の純粋性の中に 微かな官能性を残しつつ 新たな様式を取り入れる事で 性の露呈よりも一回り大きな世界を展開して得たと言える。
人物の後に広がる壁面はあのバルテュス壁で この重厚な渋い輝きはやはり見応えがある。また出入り口を塗りつぶした跡のような左側の壁と そこから突き出た壁の一部は どこか謎めいているように見る事もできる。それによって壁全体に変化を持たせながら 右側のカティアと釣り合っている。そして人物と椅子は 適度な具象化がなされており 人物の簡略された立体感による丸みや平面化 椅子の背もたれの切れのある曲線と裾の襞のまとめ方の巧みさ そしてスカートと白い布の皺は粗と密の関係にある。床も壁のように簡素だが潔く 床の上にあるもの全てを充分に支えられるように 茶系統の色彩に赤色が加えられている。これらは充分な重ね塗りで描かれており 背景のバルテュス壁と相性がよく 画面全体を充実した画肌の統一感で満たされている。重厚にして簡潔 画肌と色彩の輝き 日常の純粋性と存在感 そして官能性 また具象表現としての形 これらがもたらす充実感こそが 氏の熟成である。
この熟成には 娘の姿勢と光の方向による微かな官能の芳醇さが放つ香りが残っているが そこにはカティアの横目使いの堅い表情が香辛料として混濁している。これによって放香はより複雑な芳醇になっている。そしてこの香りは陽光と供に 画肌と色彩による画面全体に染み渡っているようだ。

第三章   P334

334

「善なる光に包まれる」

P334「横顔の裸婦」 225×200㎝ S150号程度 キャンバスに油彩 1973-1977
立ち姿の裸婦はこれまでに約15点ほど描かれている。1933年に描かれた P71の「鏡の中のアリス」に始まりP169の「部屋」1947-1948年の身支度をする娘を描いた P169の「部屋」 そして 1949から 1950年の P187から P190の「裸婦」の 5点 さらにシャスイ時代の P281の「椅子と裸婦」や P282の「身支度」など。これらの立ち姿の裸婦は このローマ時代にまた描かれる。しかも先の作品と同じバルテュス壁を使って描かれる。またこの作品も潔いほど余計なものを排して 立ち姿の裸体と壁 そして僅かに画面端に描かれた洗面用の器と布のかかった細いテーブルだけである。立ち姿の娘は幼さの残った身体を横向きにして布を両手で持って立っている。後ろの壁はわずかに曲面を描いていて その壁は重厚で黄茶色だが ごく落ち着いており 裸体の娘のためにある。陽光は右側の画面外にある窓から差し込んでいるが 室内と裸体もその陽光以上にしなやかに輝いている。まるで自ら光を放っているかのようだ。光は満たされている。彼女は窓辺に置かれた器の水で身体を洗っているのか。両手に黄色がかった布を持ち 裸の足を半歩前に出して陽光に向かっている。その姿には気品があり まるで光の中で生まれたようだ。この姿勢には特別な形はいっさい与えられておらず 更に謎めいたものさえない。必要なものも最小限で あれだけ描き加えてきた模様や柄もまったくなく 家具や器が複雑に配置される事もない。あるのは陽光とそれに包まれながら 自ら光を放つ幼さの残った娘の裸体だけである。若い娘達は実際に身体から光を放つ時期がある。そのような光は P224の「横顔のコレット」に描かれた。そしてここではその光は黄金色に昇華され もはやその光は陽光でさえなくなり 発光体としてして部屋全体に及んでいる。これは寡黙な讃美である。身支度をする娘達や立ち姿の裸体の全てがここに集約し 賛美されている。ここには一つの事象が描かれていると言うよりも それを含む世界が獲得されている。
ここには祝福されるべき美がある。この裸体は初々しく また神々しい。ここには善なる光が満ちている。これはバルテュスが過去の様々な試みと苦労の末に到達した境地によって描かれていると思う。今までにもこれと同じ境地を得て描いた作品もある。しかしこれほどであったろうか。バルテュスの場合 考えや技法は経験として集約され より高みある次元へと至る。この立ち姿の裸婦も偉大な一つの到達地点を示しているが それはこの一点だけでなく 他にもう2点描かれている。P334

第三章   P335

335

「造形の魅力は均衡と不均衡の狭間に置かれる」

P335「休息する裸婦」 200×150㎝ F130号程度 キャンバスに油彩 1977
この作品が描かれた 1977年はローマ滞在の最後の年であり 1961年から約16年間も続いたローマ滞在期の最後の作品でもある。先の「横顔の裸婦」と比べると姿勢への関心が戻っており 絵の見せ場はこの形にある。椅子に座る若い娘の裸体はゆったりとしたS字を作り 両手は左右に広げられ 顔は極端に横に向けられている。そして片足は力を抜いて伸ばされ もう片足は折り曲げられている。この両腕の左右対称と身体が作る S 字型の曲線 そして左右非対称の両足。これらは造形的な魅力に溢れていて見飽きる事がない。裸体は光と影によって立体感を与えているが その明と暗の均衡も変化に富んでいる。またその明と暗によって描き出された裸体の丸みも魅力的であ。背もたれの丸い椅子は P333の「本を読むカティア」で描かれたものと同じであるが 右端の肘掛けはやや右に広げられて右側の手と上手く関連づけられている。全体の配置は裸婦と椅子がやや左上にあるので 伸ばされた足の下は空いている。左下には足乗せ台のようなものが描きかけのまま残され 右側の壁には扉のようなものが描かれているが やはり椅子と裸婦の配置が上にあり過ぎるようだ。それはもっと描き足すためであったのだろうが 裸婦と椅子のみの完成に終ってしまったのだろう。それでも裸婦と椅子の造形的な魅力は充分で 特に裸体の明暗による非対称な立体感とその造形は抽象的でもある。この裸体には造形的な魅力と同時に 若い肉体の持つ柔らかで張りのある肌と その暖かみも感じられる。つまり造形的な魅力と生身の肉体が醸し出す官能性が共存している。しかしこの造形の写実性には手が加えられており 僅かに不均衡である。それは横向きの顔 乳房の位置 両手の長さなどであるが それらは一種の味付けになっている。バルテュスの場合 この作品でもそうだが 造形の完全な均衡を崩す事で生じる不均衡は美と醜の狭間にあるようで 一種の危うさが感じられるが それはここでも魅力となっている。

第三章   P336

336
ロシニエール時代 1977-2001 69才-93才 P336−P353 17点+4点=21点 計356点

スイスのロシニエ−ルに転居。晩年の時期で2001年の永眠まで24年間あるが作品は少ない。しかし晩年の代表作で それまでの集大成である「鏡猫1,2,3 」や立ち姿の裸婦などを描いている。他に風景画 眠る人 室内画 また珍しい非現実的で難解な作品も描いている。これらはバルテュスの画家としての到達点を示す最も重要な作品である。他に「モンテ・カルヴェッロの風景」「画家とモデル」「スカーフを持つ裸婦」など。さらにレゾネに掲載されていない「眠るオダリクス」「モロッコの思い出−馬上の自画像」「真夏の夜の夢」 そして遺作となった「マンドリンと若い娘 (期待)」の4点を加えると計 21点。

「ささやかな共感」

P336「起床」 169×159.5㎝ S100号程度 キャンバスに油彩 1975-1978
ローマ滞在中から描かれていた作品でロシニエ−ルで完成される。寝台の上の裸婦は幼く 手に鳥のおもちゃを持ち 籠から出た猫がそれを見ている。色彩は灰色がかったくすんだ土色系が使われ 線描はわずかな細部に使われているのみで 娘の黒い眼と猫の瞳と耳 そして青い鳥に入れられた赤い線である。その赤い線は鳥が細かく震え または羽ばたきようにも見える。この赤い線は青い鳥を主役として際立たせ 娘と猫の視線を集めている。娘は鳥を猫に見せ 猫は小さく鳴いてそれに答え 見上げている。娘はその猫の反応を見て微笑んでいる。お気に入りのおもちゃに反応する猫は そのおもちゃを娘と供に楽しむ事であり ささやかな共感が生まれている。それは猫をからかう娘の悪戯心であっても同じだ。このような娘と猫のやりとりは微笑ましい。しかしこのやりとりの中で娘が裸体である事は この微笑ましさに肌の暖かさとその肌の微かな匂いを秘めながら 漂わせているようだ。
寝台の上の裸婦と猫という画題は P156の「若い娘と猫」にあるが これは30年前の1945年に描かれている。また同じ頃に描かれた P155の「美しき日々」は長椅子の上の娘が手鏡を持っている。そして寝台の上の裸婦が手鏡を持っている作品は1963年から 1966年に描かれた P329の「トルコ風の部屋」である。この間に寝台の上の裸婦と猫を描いた作品はない。このように長い期間が開いているにも関わらず これらは晩年の傑作である「鏡猫」に深く関係している。

第三章   P337

337

「黄泉の地のような幽玄な世界」

P337「モンテ・カルヴェッロの風景」 130×162㎝ F100号 キャンバスにカゼインテンペラ 1979
モンテ・カルヴェッロにはバルテュス夫妻がイタリア滞在中の 1970年に購入した中世の城がある。夫妻の終の住処とするつもりであったが 気候がバルテュスの身体に合わず長く住む事はなかった。しかしここには節子夫人との間に出来た最初の子で 幼くして亡くなった文男(1968-1970)が眠っている。
この鳥瞰によって眺められた風景は雄大で幽玄である。まさに現実から遊離しようとしているようだ。手前の近景以外は白い靄が薄くかかっている。左側の小高い山の下にある白い岩肌は 造形的に複雑で妙味がある。また右側の遥か向うに広がる大地は遠近感を失うほど広大だ。そして左上の山頂にある忘れられた遺跡のような建物は この地と関わって来た人間が成してきた行いを痕跡として思い忍ばせる。手前の近景には靄はかかっておらず 白茶けて樹木も痩せ細った荒涼とした斜面が広がっている。そして石積みの高台に男女の二人がこの景色を眺めている。
このような幽玄な風景を描くバルテュスの心境とはいかなるものなのだろう。現実の中の不可思議な領域にも関心を持つバルテュスはこの風景に何を見ているのだろう。この風景は実際にアトリエから見える風景であるが 別方向を向くテラスからも広々とした景色が眺められるし日当たりもよい。それにもかかわらず この場所を選んでいる。確かにこの場所はありきたりの風景ではない。実際の風景と比べるとこの作品が見せる世界との差を強く感じる。その差こそ現実と創造の違いであり バルテュスが現実から創造へと飛躍した距離である。ここに見られる幽玄な風景は 風景ではなく一つの世界となっているが 山頂に残された廃虚 骨のように白い岩肌とその特異な形 そして荒涼とした前景 さらにその風景を眺める二人の人物。この絵には絵画としての表現とは 別な何かへの思いが込められているように思える。
そう思えるのは この地が節子夫人との間にできた最初の子が永眠している場所である事と関係しているのではないだろうか。幼くして亡くなった息子の死を悼む鎮魂の念 白く幽玄な風景は彼方に広がる黄泉の地 荒涼とした手前の斜面は現世 右下の二人の男女はバルテュス夫妻。しかしこれはやや文学的でつじつまが合い過ぎるし またバルテュス夫妻の個人的な領域に入り過ぎているかもしれない。
別な解釈を行なえば バルテュスは現実に立脚する人であり この幽玄な世界は実際に靄が作り出した幻想的風を元に東洋絵画の手法を実践したのかも知れない。それはこのような幽玄な風景観は東洋的であり ここに見られる造形も水墨画などの古典に見られる現実の姿や形に捕らわれず 自在に作り出しながら その真髄に迫り 表現としての妙味を与えるというやり方に一致するからである。
しかしともかくこの作品では実際の風景と表現の差こそ バルテュスの創造という飛躍の力を示す作品である事は間違いない。

第三章   P338

338

「秘められた園の中の関係」

P338「鏡猫 1」 180×170㎝ S120号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1977-1980
「鏡猫」は3点描かれていて 晩年の代表作であるが 若い娘を描いた作品のほとんど全ての集大成的な作品であり 身支度をする娘達の最終到達点を示す作品でもある。しかしこの作品はその始まりである。寝台の上の幼さの残る娘は裸体で手鏡を持ち 寝台の端の椅子から覗く猫に その手鏡を向けている。猫は鏡に映る自分の姿に戸惑い その反応を見ている娘は微笑んでいる。ちょっと意地悪そうでもあるその微笑みはほくそ笑みで 密かな企みが思い通りになったからだろう。しかしそのような無邪気な企みを行なう娘こそ微笑ましい。
ここでも娘は裸体であるが 猫に向けられる前の鏡は自分を写していたはずで 右手には櫛を持っているから髪を梳していたのだろう。つまり裸体のまま身支度をしていた訳で 鏡に映った自分の姿に見ていたろうし 見とれてもいたろう。ここに女性の自己愛(ナルシズム)が見られる。女性が化粧をし着飾り 美しくあろうとする主な目的は異性を前提にしているのではなく 自分のためである。自己愛は自己完結する円であり 身支度をする事はその円の中にいる事である。そしてこのような女性の自己完結する個人的な世界は秘められた園となる。ここではその秘められた園の入口の扉がわずかに開かれ その内状を伺い知る事ができるようになっている。その秘められた園の中の彼女は不自然な姿勢ながら大胆に足を開き 夜着もはだけている。しかしその裸体の肌は暖かみを感じさせない。その大胆な姿態には秘められた園の中にいるゆえの 誰に遠慮する必要もない気ままさと開放感がある。そして唯一遠慮する事なく この秘められた園へ侵入できるものは以前は老婆だったが ここでは猫になっている。彼等はそれを許されている。何故なら彼等は決して秘密を明かさない目撃者であり 愛玩すべき存在だからである。そして老婆よりも猫のほうがより抽象的で不可解な存在である。つまり猫は自己完結する園に唯一侵入できる他の者なのである。ここでは他の者を必要としない自分だけの秘められた園の様子とそこに唯一侵入できる者とその関係が描かれている。そして鏡と言う自己愛の象徴もそこに加わる。この余りに微妙な有り様と関係を描いた作品は他に得難いだろう。
また娘と猫の背景は重厚な画肌を持つ紫色で 寝台には2種類の模様と複雑な布の皺が作られている。これらも重厚な画肌を持っている。足元には足乗せの台があり 日本風の手箱が置かれ 布が巻き付けてある。そして娘の手には黄金色の手鏡が軽く握られている。この絵の見所は先の内容だけでなく絵具による質感を作り出す重厚さと丁重さ 構成の入念な均衡 配色の調和と不調和などがある。この充実感は力強く 70才前後になっても衰えを見せず よりいっそうの充実感を作品に与えている。またここでは紫色を使っているがバルテュスの作品では珍しい。 

第三章   P339

339

「あどけなさを包囲する過剰性」

P339。「まどろむ裸婦」 200×150 F130号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1980
何とあどけなく無邪気な寝顔だろう。この眠りには疑いも警戒も悪夢もないし 余計な不安や心配事などとも無関係な 温もりのある穏やかな眠りの中にいる。またそのほど良く力の抜けた裸体は陽の光に暖められている。
幼い娘は窓辺に布を掛け 白いターバンを巻いた頭を乗せている。長くしなやかな両手はお腹の上で軽く組み合わせ 細く長い足は 片方は椅子の上に乗せもう片方は床に投げ出している。そしてその足には白い靴下と黄色い室内履きを履いている。この裸の姿態は寝顔と同じようにごく自然である。それに対して背もたれの立体的な菱形模様や腰掛け台の縁に塗られた赤と黒い線模様 さらに床の市松模様 これらはみな幾何学模様で極端なほど強く 眠る娘の姿態を取り囲むように描き込まれている。それに右側の竹細工のような卓とその上の活けられた花の束も妙に強く細かく描かれている。さらに花の後ろの壁や左側の窓の緑色をした鎧戸 皺の向きが不自然な遮光布 腰にあてたクッションの乱暴なほどの塗り跡。これらは妙にバラバラに力を込めて描かれていて 全体の強弱の均衡を度外視しているように見える。また同じように右の花の束の密度と窓のあたりの密度の違いも気になる。しかし全体の充実感はやはり濃い。それに模様の過剰さや密度の違いに埋もれるように 幼い娘は穏やかに眠っている。つまり穏やかで心和むのはうたた寝をする娘だけで その周辺にあるものは過剰で不均衡な粗密の状態にしている。これは果して意図したものなのか それとも感性の開放なのか または感覚の混乱なのだろうか。感覚の混乱のように見える作品は他にもあるとも思えるが 判別は難しい。年を重ねる事で自らの感性を解き放った一種の自在さであろうか。または穏やかで心和む絵に終る事を阻む バルテュスの感性があったのでないか。
しかしこのまどろむ幼さの残る娘の寝顔は 愛おしいほどあどけなく無邪気だ。それは「美は悪である」と言う言葉を思い出すほど 見る者の心を惑わす魅力を持っている。

第三章   P340

340

「時間に宿る美」

P340。「画家とモデル」 226.5×230.5㎝ S150号程度 キャンバスにカゼインテンペラ 1980-1981
窓辺に立つ画家は窓のカーテンに手を添えて 外光を取り入れるようにして外を見ている。窓の外の様子は描かれていないが暖かそうだ。室内は外より明るく ほのかに暖かみをもった光に満ちている。初夏の頃だろうか 湿度のない軽やかで冴え渡った空気が感じられる。
中央のあどけない娘は椅子の上に掛けられた布を下にして両肘をつき 水色の表紙の本を見ている。顔をややこちらに向けているが 視線は本に向いているので流し目のようになっている。腕は曲げられ しなやかそうな手首の先にある指先で頁をめくっている。その腕の間から覗いている左手もしなやかだが 力を抜いてた指の中で 小指だけを真直ぐに伸ばしている。このしとやかな繊細さは彼女の気品を表している。そして彼女の着ている衣服はウエストを絞っていないワンピースで 色は黄緑がかった白銀のよう あどけない娘によく似合っている。頭から背 そして腰から両足へとゆったりとした曲線で無理がまったくない。スカートから伸びた両足はやや沈んだ色で室内履きは赤味がかった渋い色である。
その奥にある机は紫がかっていて 上には果物が籠に盛られ その横に市松模様の箱が一つ置いてある。この箱は妙に目立つ配色で とても眼を引く まるで画家とモデルに加わる3番目の存在のようだ。これまでの作品では このような場合は猫が描かれていたのだから これはきっと猫の変身した姿だろう。そして机の前の椅子には白と赤色の布が掛けられ 左端には脚立と取っ手のついた容器が置いてある。これらはこの簡素な室内に適度な充足感と変化をもたらしている。
画室での休憩時間であろうか。画家とモデルの緊張感は解かれ 緩やかな時間が流れている。さりげない一時である。このような時に かけがえのないものが全てを穏やかにし 豊かでよい香りをあたりを漂わせる。その穏やかさと香りは色彩に表れている。視覚化された香りは ささやかな憩いという名であろうか。このような何気ない一時には 安らかな美の女神も立ち寄るだろう。この絵はものの美しさを超えた 空気と時間に宿る美を描いている。
しかしこの画室での様子は 27、8年前に描かれた あの P221の「部屋」も思い起こさせる。あの作品にはこのような穏やかで何気ない一時は描かれていない。もっと陰微で濃密な闇が占める室内で起こった 性に関する不穏な出来事を 光と影を使って描いていた。その「部屋」を描いていた画家とモデルが休息するとしたら 画家はカーテンをあけるだろうし モデルは何ごともなかったように振る舞うだろう。こうして見ると この作品は「部屋」のあとさきを描いたものとも思えてくる。しかしそこまで結び付けないにしても この画家とモデルの関係は 美という事件を起こす共犯者である事にかわりはない。

第三章 P341

341

「幼き娘の意志」

P341。「スカーフを持つ裸婦」 163×130㎝ キャンバスに油彩 1981-1982何と言う立像だろう。背筋を伸ばして真直ぐに立つその姿は まるでエッフェル塔のように立ちはだかり その場に君臨しているようだ。
片腕を頭まで上げ腋窩を見せ 眼はクリリとして真直ぐに前を見ている。その頬は赤く染まり 乳房は幼ない者の小ささで かなり高い位置に描かれており その下の胴は丸く くびれはない。ふくよかなお腹は内臓の艶やかさまで表しているようだ。太くて長い足の片方は一歩踏み出され 両足はしっかりと床を踏み強いている。右手は軽く曲げられ青い布を持っており それはまるで戦士の楯のようでもある。この幼き娘は何かに立ち向かっているのかもしれない。美そのものとしての溌溂たる充実感に満ちながら・・また彼女は立ち向かう戦士のようだが 大海を前にして青い旗を掲げる大いなる帆船かもしれない。この椅子と扉しかない室内の中で彼女は帆船と化し 風を受け 陽光を浴び 雲を切って進む者なのだ。それは彼女が意志を感じせさせるからだ。ここには美たる者の意志がある。
そして過去にバルテュスが描いた通りを歩く人物達は 動きを失ったように静止し 石化している言われていたが この裸婦はすでに石化する事から逃れ 羽ばたくための羽を育み終えて 遠くに飛びたとうとしているようだ。しかし色彩は全体に沈みがちで 構築的な姿勢は娘の意志に反して その羽ばたきを押しとどめているようにも見える。バルテュスは彼女の意志を賛美しながら このままでいることを願っているのようだ。

第三章   P342

342

「天使の休息」

P342。「鏡を持つ裸婦」 163×130㎝ キャンバスに油彩 1981-1983
天使の休息。この作品は3作目の立ち姿の裸婦になる。あの P334の「横顔の裸婦」で到達した高みで描いた最終的な作品である。先の作品と同じく簡素化され 具体的な物は少ないが もはや描き込まれてもいない。渋く暗めの室内に幼さない娘は立っていて その髪は黄金色に輝き 額は丸く 顔つきはあどけないが利発そうだ。片手を腰の後ろに回し もう一方の手に手鏡を持って自らの顔を映している。足はそろえて裸足だ。小さな乳房はやはり高い位置にあり 胴にくびれはなく 下腹はふっくらと膨らんでいる。この裸体は性の区別さえない未分化の肉体のように 男女の性の特徴は曖昧にされている。未発達な両性具有者か まるで細長い木の枝のようだが やはり未発達の幼女の特徴を見せている。それは小さな乳房が高い位置にある事と下腹の膨らみである。
このごく自然な立ち姿は 何気なく手鏡を見ていると言う感じだ。この何気ない仕草や立ち姿 そしてその表情は自らの姿に見とれているようには見えない。それはまるで羽をたたんだ天使が休息中に鏡を見つけ その使い方を探しているようだ。彼女らは自らの美しさを確かめる必要などない。美そのものである彼女等は自らの美しさを確認したり 作り出したり 守ったりする必要はなく また驕る事も見せびらかす事もない。つまりこのあどけなく無邪気な幼い娘達は 美そのものであるが その事を知らない。このような幼い美を持つ者とは つまり天使に他ならないだろう。

第三章   P343

343

「不吉な果実と構成感覚の混乱」

P343。「静物」 100×80.7㎝ 木板に油彩 1983
これは年令にして 75 才の時に描かれた静物画である。そして最後の静物画でもある。籠の中は布が敷かれ 濃い紫色の果実で一杯になっている。布も紫がかっていて白と黒の模様があり 籠の取っ手の所で結ばれている。この籠の周りにはワインの入ったグラスと一切れのパン そして柘榴の実が一つ置かれ 画面の周囲は額縁のように塗られている。
これと同じ籠と果実を描いた水彩画が1970年に描かれているが それと見比べると この油彩画のこなれていない生硬さはまるで不器用な初心者のようだ。それでも画面は充分に描き込まれているから 充実感はある。それに比べ水彩画の方は均衡の取れた構成は安定感があり 形態も明確で何一つ不足はない。両作品を見比べていると確かに水彩画の方が出来がよいのだが・・・。東洋の水墨画には技の上手さや達者さ 洗練させる事などを拒否し 破天荒な造形感覚や描き方を尊ぶ表現方法がある。そう見ると水彩画は構成と形態の秩序を守る優等生のようだ。それに対し油彩画の方は型に納まらない稚拙さの自由性を感じさせる。
しかし1980年代のバルテュスの体調は万全ではなく 肉体的にも老いが始まっていただろうから このような不器用さはそのせいとも言える。またこの作品以外にも見られる このような不器用さは感覚の開放を経て到達した感覚の混乱とも言えるのでないか。それよってこのような絵画的な秩序からの離脱や無頓着さを示すような作品を描く事になったと考えられる。この点ではバルテュスの表現技法は 巧みな面と不器用な面を持っていて興味深い。
それにしても籠を一杯にしている果実はなんだろう。無花果だろうか。この果実とそれを包む布の色彩と模様は収穫の豊さと言うより 何か不吉なものを感じさせる。またぶどう酒とパン そして柘榴と言えばイエス・キリストの受難を思い起こさせる。この不吉さと稚拙さはバルテュスの感覚の開放による自由性か または感覚の混乱による自由性なのだろうか。

第三章   P344

344

「形の相似と娘の腹筋」

P344。「ギターと裸婦」 162×130㎝ キャンバスに油彩 1983-1986
バルテュスが裸体とギターを描くのは あの P79の「ギターのレッスン」以来であり 実に49年ぶりとなる。しかしここにはあの加虐と受虐による性的の関係を暴くような過激さはない。
鎧戸のしまった部屋の壁に寄せられた寝台は広く 黄土色に塗られ 裸で眠る幼さない娘も同じく黄土色である。彼女は両腕を上げ腋窩をみせ 乳房は小さく 引き締まったお腹の下には2本の皺があり その下の両足は開かれている。両足の下には白く大柄な格子模様の浴衣が敷かれ それ以外は広い寝台である。そして彼女のすぐ脇には 小さめの白金色のギターが添い寝のように並んでいる。そのギターのネックの下には 紫がかった布が複雑にうねった皺を作っている。
白い壁の広さ 寝台の黄土色の広さ 不思議なほど余白のある配置である。さらに右下にある寝台に掛けられた布などの茶色と黒の強さ そしてその反対側である左端の上の黄土色と茶の生塗りの強さ これらは協調し合っているようだが 娘とギターが弱く見えるほどでもある。画面下に塗られた黒っぽい所も上の窓の格子と協調しているようだが やはり裸婦とギターより強い。これらの強い色彩の配置は娘とギターから離れた周辺に配色されていて 彼女らとは無関係のようにも見える。通常は主役ほど画面の中央に配置し目立つように配色し 脇役は重要な順にその周りに配置し 色彩は弱められるのである。しかしここではそのような定形の手法は取られていない。また娘の寝顔はあどけなく 胴体から下の足は伸びやかだが 上げられた片腕は遠近感を与えられずに その長さは曖昧だ。胴体は未発達な若い裸体としてくびれがなく 乳房以外にも凸凹があり 皺まで生じている。これらは先の P343の「静物」に見られたような感覚の開放または感覚の混乱による自由性なのだろうか または新たな構成の試みなのか。
裸婦とギターは並んで置かれている。女性と楽器 それも弦楽器との組み合わせは絵になる。それはその形の近似からだろうし 形だけでなく 女性の声と楽器の音の近似もある。この関係は性的な意味合いも含まれる。音楽の持つ官能性や食欲が示す官能性のように。だがここでは詩的な抒情性を生む組み合わせであり 両者の形の近似性を描きながら 互いを共鳴させるという主題なのだろう。
しかし完成度の高いギターの形と比べると 裸体の胴体の凸凹や皺は一種の醜さであり 楽器と共鳴しているとは言いがたいのでないか。それともはやはり感覚の混乱か しかし元々バルテュスは整った形への関心よりも 異形を好む傾向があるから その一種だろうか。
要はこの幼さの残る娘の裸体に見られる凸凹と画面構成の広さが気になっている訳で これを無視すれば やはり裸体の手足は伸びやかで寝顔にはあどけなく 白金色に輝くギターとの組み合わせは やはり抒情性を感じさせている。もし眠っているこの娘が目覚めて声を発する事ができるなら いかなる音色を聞かせるのだろう。 

第三章   P345

345

「非現実を展開する室内の不吉と笑い」または「解らぬもの」

P345。「カラスのいる大きな構成」200×150㎝ キャンバスに油彩 1983-1986
これはバルテュスの作品の中で 最も計り知れない内容を持つ作品である。寝台には裸婦が布を敷いて横たわっているが その顔は丸く 目を裏返したように笑っている。まるで日本の狂言回し的な女神であるお多福のようだ。その上半身は逆三角形で逞しく その厚い胸には鍛えられた筋肉のような十字の割れ目が入っている。そして乳房は小さく 豊かさや性的な魅力を持っておらず 下半身は細く手と足も長過ぎるようだ。この裸体は男性的でありながら 女の特徴をわずかに持つ両性具有者のようだ。そして笑いながら差し出されている右手の先には黒々としたカラスがおり 壁に取り付けられた棚板の上から裸婦の様子を伺っている。左下には緑色に塗られた小振りな檻を抱えた小さな男が裸で立っている。また右下には本が蓋のように乗せられた籠があり その脇には鼠のような猫が身体を丸くして眠っている。また背後の壁をよく見ると大きなピラミッド型の三角形などが描き込まれている。それはまるで古代の遺跡に残された未解読の図形のようだ。この壁は この絵の中でもっとも重要とされるほど 手が入れられた重厚な仕上げとなっている。
何故女は笑っているのか 女と鴉の関係は 小さい男は何者か 檻は鴉を入れる鳥籠なのか・・・等々。疑問は深まり謎めくばかりだが 壁に残された痕跡は大いなる時間を経た遺跡が支配する尊重されるべき世界を示しているようだ。しかしこの室内に響く娘の高笑いは奇矯であり そうした考えさえ笑い飛ばしてしまいそうだ。それに例えそうであっても他の意味は解らないままだ。この異形な者とそれらの関係は いくら様々な解釈を尽くしても 決定的な解釈は成り立たないのではないか。つまりこれは謎なのである。
謎には2種類ある。それは解かれる事を前提とする謎と決して解かれる事のない謎である。解きえる謎には示唆が含まれているが 解き得ない謎にはそれがない。ここには示唆らしきものがある。それは解読に到れるのではないかと思わせる魅力を持っている。しかもそれがこの作品の見所であるが しかしそれは解読しようとすると永遠の迷路に入り込んでしまうように 仕掛けられているのではないか。バルテュスがこの作品を描いたのは 1983年の 75才から 78才で 集大成的な作品を描いていた頃である。バルテュスはこれまで現実に想を得て描く画家で 現実性を重要視してきた。しかし決して単なる現実主義者ではなく 動物を擬人化したり 秘められた存在を描き出し また謎めく作品も描いてきた。そうしたバルテュスが謎自体を描いたとしても不思議ではない。しかし謎めくものに姿と形 色を与えるのは厄介なはずで 現実性を持ちながら飛躍させるが やり過ぎてはいけない。そうでないと単なる空想か 奇を衒うだけに終る。だがそれらが上手く行けば 解かれないまま魅力ある謎として永遠性を得るかもしれない。
ここにある謎は鴉と笑う娘 また鴉と籠を持つ男などの関係性で成り立っており この関係を様々に解釈する所に面白味がある。しかし如何なる解釈も歯切れの悪い曖昧さが残るとすれば この謎は読み解けないものであり それは謎ではなく「解らぬもの」である。つまりこの作品は人知を超えた存在とそれらの世界を指し示している事になる。そしてこの「解らぬもの」としてのこの作品を見るなら 微熱を保ちながら斜面を横滑りしていく現在を失った遠い過去とそこに住む異形の者達の世界のようだ。
この作品について節子夫人に問い合わせてみた。するとこの作品はバルテュスの愛読書の一つであった中国の冒険小説である西遊記から示唆を受けており 鴉は知恵の象徴で 檻を持った小さな男はその知恵を捉えようとする者であり 笑う娘はあるがままに万物に接する天真爛漫な存在であるとの返事を頂いた。

第三章   P346

346

「重く暗い感情の痕跡」

P346。「眠る裸婦」 93×118㎝ F50号程度 キャンバスに油彩 1983-1986
この荒々しいほど力強い描画力は何なのだろう。布の敷かれた寝台に若い娘は裸体のまま 横たわり 寝入っており 傍らには鉢に植えられた花が置かれている。しかしここにはあどけない寝顔も 初々しい裸体の輝きもない。下腹が膨らんでいる裸体は立体感を持ってまるまると描かれているが その色彩は緑色がかり 重く暗い。背景も同じで重く暗い。しかも全体は荒々しいほどの力強い筆致が施されている。その力強さは怒りを込めたようにも見える。何故 眠る者の姿を これほどまでに重く暗く描くのか。5年前に描かれたD1393の素描と比べるとその違いは明らかで そこには均衡の取れた形態と丹念に仕上げられた明暗が描かれている。しかし油彩画の方では寝台に横たわる裸婦は力強いが 敷いてある布や枕元の花等の描写までには その力は及んでいない。そしてこの力強さの中には 怒りを込めるようなぞんざいさが感じられる。この作品は75才から78才の間に描かれているから 他の似た作品のように老いによる肉体的な衰えか 感覚の混乱かと考えられるが・・・。
ここにはかつての身支度をする娘達で描かれた生命の輝きはない。もはや若い娘の裸体は表現の素材に過ぎなくなり そこに込める言葉にならない抽象的な感情こそ重要なのでないか。怒りを伴った強い願いのようなもの 思い通りにしようとするがままならない自分への憤りだろうか。この絵には絵画の構築よりも画家個人の押さえきれない感情の爪痕が刻まれているように思える。

第三章   P347

347

「秘められた美の園からの脱出」

P347。「鏡猫 2」 200×170㎝ F140号程度 キャンバスに油彩 1986-1989
「鏡猫 2」は「鏡猫 1」と同じく 若い娘と手鏡と猫を描いているが 各所に変更が見られる。娘は裸体から着衣姿になり 寝台は寝椅子に 猫は三毛猫に さらに布等の模様や皺も変えられている。また娘の姿勢も変更され 左足を手前に曲げた分 自然で楽な姿勢になり 片手に手鏡を持ち もう1方の手には櫛のかわりに本を持っている。この小さめの本を持つ指は真直ぐに伸ばされ 人さし指を本の間にはさんでおり 繊細な扱い方をしている。娘は首周りのやや開いた長袖を着ており この黒と珊瑚色の組み合わせは印象的だ。腰には青緑の布を巻き 下半身は青黒っぽく裾の短いズボンを穿き 足先は素足である。「鏡猫 1」に描かれていた足置き台と日本風の手箱は省かれているが 女性の顔だちと猫の種類や歌舞伎に使われている柄と色彩から 日本風な感じが強まっている。このために節子夫人を描いた他の作品のように 西欧から見れば異国情緒を持った作品に見えるだろう。猫の仕草も変更され 手鏡に映っている自分の姿に片手を出してじゃれようとしている。この猫の反応は実に感じが出ている。
「鏡猫 1」は身支度をする半裸の娘であったが この「鏡猫 2」では着衣姿で本を持っているので 身支度する娘ではないと言う事である。身支度をする娘は 秘められた美の園に住む者であり その園の中で自らの美しさを映す大切な鏡を使って猫と戯れていた。しかしここでは秘められた美の園ではなく 本を読む束の間の戯れとなっている。この変更は大きい。
変更後の人物の姿勢は自然で安定し 娘と手鏡と猫の配置は三角の構成に巧みに納まり 色彩の強さや配色の独自性もある。そしてこの三者のいる長椅子の背後や周辺は暗く 何も描かれていないから 長椅子は闇に浮ぶ舟のように独立して見える。まるで彼女らはあの香しき美の園から船出して 星も見えない闇夜の大海に浮んでいるようだ。しかし孤独には見えない。それは娘と鏡と猫の3つが作り出す関係が充足しているからだろう。身支度の秘められた美の園から抜け出させた理由は この三者の関係を際立たせる事にあり あのような魅力ある場にあっては 三者の関係が半ば埋没してしまうと考えたのだろう。
それでは娘と猫と鏡とはどのような関係なのだろうか。娘と鏡は切り離せないもので 鏡は望ましい自分に化身するための魔法の道具であり その一方で本当の自分を映し出す真実の道具でもある。そして猫は人間とは異なる世界に住みながら 最も人の生活に自由に出入りできる他者でありながら親近者である。そして動物の美しさを愛玩できる限られた存在でありながら 人間からは見えない動物世界にも住んでいる謎の動物でもある。それ故に魔術的な世界に通じている者とされたりする。そしてその眼は目撃者であり その口は沈黙の証言者でもあり 時には共犯者にもなりえる。そのような猫に鏡を見せるとは正体の露呈を求める事であり または化身を誘う事でもあるだろう。また猫と娘は化身やその不可解さが似ており 互いに実体に捕らわれない魅力を持つもの同士である。このように三者はそれぞれに深いつながりを持っている。
このような三者の関係を一つの世界にまで至らせるために 身支度の美の園から抜け出させたのである。しかしまだその世界の確立は充分とは言えず やはり「鏡猫 3」まで待たねばならない。しかしこの「鏡猫 2」によって「鏡猫 3」に至る足掛かりが出来たと言えるはずだ。

第三章   P348

348

「3つの関係によって成立する宇宙」

P348「鏡猫 3」 220×195㎝ F150号程度 キャンバスに油彩 1989-1994
「鏡猫 1」は身支度をする若い娘達の集大成を示した作品であり 「鏡猫 2」は身支度をする場から抜け出させる事で「鏡猫 3」への飛躍を得た作品である。そして「鏡猫 3」では若い娘と鏡と猫による三位一体の関係によって一つの完全な世界を確立するに至る。
これは「居間 1,2 」「三姉妹 1,2 」「夢 1,2,3 (黄金の果実)」などでは果たせなかった到達地点である。これは大いなる最晩年に達した得た最も重要な成果である。そのためには「鏡猫 1」で使われた身支度をする娘という秘められた美の園をやめて「鏡猫 2」を描き そこでは日本風をより強調しながら 3つの関係を際立たせようとしていたが「鏡猫 3」では異国情緒もやめている。この秘められた園や日本風の様式はバルテュスが独自に作り出した貴重な表現世界であったにもかかわらず あっさりとやめている。どれも違うと思えたのだろう。そして「鏡猫 3」ではトランプをする人達で描いていた中世風の時代性を取り入れている。しかし中世風なのは娘が着ている衣装だけで 他は幾種類もの布の模様や柄 そしてそれらが作り出す皺などであり 特に時代を表すものはない。つまりここで重要なのは時代離れした中世風そのものではなく 特定の時代から切り離す事によって普遍性を得る事である。娘はいつものように片膝を立て 片手には手鏡を持ち 長椅子の端に座る猫に向けている。しかし猫はそれに反応していない。否 鏡がどちらに向けられているかも 猫の反応も もはやここでは重要ではない。3者の関係はそのような些細で具体的な事に左右されないほど 確かな関係にあるからである。この3者の関係は 娘は美であり 鏡は化身と実体を表すものであり切り離す事は出来ない。猫は娘の世界に介在する異性を超えた他者で 娘と同じく美と化身の存在である。この三者はそれぞれに必然的な結びつきを持ち バルテュスが独自に成立させた三位一体である。それはキリスト教の三位一体である父と子と精霊の関係を求めているかのようだ。
しかしこの「鏡猫 1」が「鏡猫 2」を基にした変更ですぐに成立した訳ではない。A図は最初の完成状態であり この段階で一度公開されている。そして B 図はそれに手を加えて完成させ 東京展の公開記念に公の前で署名している。しかしその後にさらに手を加えて署名もし直し 現在の状態に至っている。それぞれの変更は足乗せ台が省かれ 寝椅子に背もたれが加えられ 腰に巻いた布が写実的になり 細部の模様や色彩の強弱の調整が行なわれた。この中で最も重要な変更は足乗せ台が省かれ 全体がより完全に背景に取り囲まれた事だろう。これによって長椅子は暗黒に浮ぶ舟となり それに乗る三者の関係は漆黒の空間に瞬く星々が星座によって結びつくように 一つの宇宙となったのである。  
挑発的な性や秘められた美の世界など強い魅力もさる事ながら ここには関係によって成立する一つの世界があるが それは表現を目指す者にとって究極の到達点である事を この作品は示している。
この作品に無惨さを見る者もいる。確かに筆致は力強いがおぼつかなさが見られ 造形と構成の不安定さや配色の無秩序感などが見られる。確かにこれらは晩年の一つの特徴でもあるが それは老いによる衰えや自己の開放による感覚の自由と混乱によるものであるかもしれないが それは具体的な技術面のみを取り上げているのであり 作品の表現内容が成し遂げた成果とは別である。またそのような負性があったからこそ このような表現に至る事が出来たとも言えるのでないか。つまり巧みさや理にかなう事では このような世界を描き得ただろうか。そしてこのような高齢(81才−86才)にありながら 作品をより一層の高みへと押し上げる力の強さは老いに勝っていると言えるのでないだろうか。

第三章   P349

349

「陰惨なほどの暗さ」

P349。「モンテ・カルヴッェロの風景 2」 162×130㎝ キャンバスに油彩 1994-1998
何と恐ろしい絵だろう。「鏡猫 3」が完成した1994年から描き始めいているが 完成は 1998年で4年後である。モンテ・カルヴッェロの風景は以前にも一枚描いていて 構成はほとんど同じだが それとは比較にならないぐらい様相が違っている。左側の岩肌の露出した山とその下に広がる遠近感の失われた農地は同じだが その奥には地平線が現れ 遠くに青い山脈が描かれている。手前の丘にも石塀に囲まれた建物が描き加えられている。手前の建物は小振りで童話に現れてくるようだが 左側の山はまるで灼熱を帯びた溶岩の固まりのようだ。血腥ささえ感じる。遠近感を省いた広大な農地はまるで壁のように立ちはだかり 遠景の青い山との関係を失っている。農地に流れる河は白く青いが強すぎて色彩による遠近法から逸脱している。ここには通常の前後関係を示す遠近感はなく面の量感が塊となって画面を占有している。そして色彩は濃く 塊となった面の量感に恐ろしいまでの力と暗さを与えている。それはまるで恐怖や脅迫観念さえ感じさせる。この恐ろしさはどこから来るのだろう。手前の建物の尋常さからすれば感覚の混乱に身を任せて描いたとは思えない。尋常でないのはその向うの塊となった面の量感と色彩 そしてその筆致なのだから。「モンテ・カルヴッェロの風景 1」では 手前は現世でその向う側は黄泉の地であると考える事ができたが この絵ではもはやそのような客観性はない。作品と描き手の感情と想いが混然としたまま一体化したように見える。 これは老いて衰えていく自分への怖れか 制作が出来なくなる事への焦りか 死への恐怖か。バルテュスはこの時 86才から 90才であり 2001年の 93才になる誕生日の前に亡くなっているから 確かに余命は限られている。しかし果たしてバルテュスはそのような個人的な事情を描くだろうか。これまでは自らの私事や感情を直接的に描く人ではなかったし 氏自身も晩年の問いかけに「死を恐れてはいません。私は敬虔なカトリック信者ですから。」と答えている。しかし描き続ける事を最も望んでいたはずである。死は恐れないが 描けなくなる事への恐怖はあったのではないか。それも他の人には計り知れないほどの重さを持って。少なくともそのような強い感情を絵におよぶのにまかせたとしても 誰もその事をとやかく言えるだろうかはしないし 逆にそのような強い感情の籠った作品として受け入れられるだろう。この絵には死に対抗するための力強い呪詛の暗さが込められているように思える。

第三章 P350-P351

350
P350(P349bis)「横たわるオダリスク」 225×232㎝ S150号程度 キャンバスに油彩 1998-1999
天蓋付きの寝台にマンドリンを手にした裸婦は横たわっている。オダリスクとはハーレムなどの宮廷の女官の事である。寝台は壁にそって置かれておらず 寝台の大きさとそこに横たわる娘の大きさを比べると身体が小さくて心細いようだ。娘は片腕を枕にして顔をそむけ もう一方の手でマンドリンの頭を持っている。片足は寝台の上にあるが もう一方の足は寝台からずれて指先を床につけている。楽器と裸体の組み合わせは 互いに感応する所があり 絵にもなる。楽器と裸体の曲線 奏でられた響きと表情 音と肌の色などの関係は官能的とも言える。娘の裸体とマンドリンは90才になったバルテュスが「鏡猫」以後の新たな展開を計る画題であり 手鏡の代わりに楽器を持たせている。娘はマンドリンをつま弾きながら寝入ってしまったのだろう。裸のままで。つま弾かれた弦の音は娘の寝息の中に溶け込んでいったようだ。それとも彼女の肌の上で消えていったのだろうか。

P351「真夏の夜の夢」 162×130㎝ F100号程度 キャンバスに油彩 1998-2000
先の 2点とこの作品は「モンテ・カルヴッェロの風景 2」の後に描かれ ほぼ同時期に描かれている。本作はニコラ・プッサンを讃える展覧会のために描かれた作品である。ニコラ・プッサンはフランス出身で 1600年代のバロック時代にローマで活躍した代表的な画家であり 演劇的で人物の心理を巧みに描き出す作風を得意とした。バルテュスはプッサンの作品を敬愛していて「決してさめる事のない初恋」とまで言っている。
赤黒い岩場のような場所に裸体は横たわり マンドリンを持っている。娘の顔は上向きで表情は分からないが 頭に花の冠をつけ 腕には白い布を巻き 足を大きく組んでいる。裸体の形は不安定だが 肌色は温かく輝いている。その大胆でおおらかな姿勢と「真夏の夜の夢」という題名は 情熱的で幻想性をおびた濃密な官能性を思い起こさせる。シェークスピアの作品にも同じ題名の作品があり 妖精の魔法によって恋の行き違いが起こる物語である。プッサンの演劇性とシェークスピアの恋の駆け引きの巧みさを結び付けて描いたと思われる。

*「横たわるオダリクス」はガリマール社のレゾネでは P349 bisとされているが 本書では P350とし「真夏の夜の夢」は P351とている。

第三章   P352

352
P352「モロッコの思い出−馬上の自画像」 69×66㎝ S20号程度 キャンバスに油彩 1999
91才になって描いた 4枚目の自画像である。バルテュスは 1930年から 1931年の 15ヵ月の間 モロッコで兵役についていたが その頃の愛馬に乗った自画像で兵士の姿をしている。馬の名はラルピアと言い 青い空を背景にして黄土色の砂漠の上にバルテュスを乗せて立っている。この兵役期間はバルテュスにとって異国で過ごした青春の日々で それらを懐かしく思い出しながら描いたのだろう。またそれは国家のための兵役であるから 若かかりし頃の勇姿でもあるだろう。
この異国での思い出には「散歩中にお茶に誘われ 中庭の泉の涼しさとアラビアのお菓子を頂き 甘美な一時を過ごした。」また「馬に乗って散歩していた時 羊飼いが歌うのを聞いたが それはその場所を讃える歌で あまりに正確な描写であったので 強い感動を覚えた。」とも語っている。またこの黒馬はバルテュスが帰国した後 餌を食べなくなり 自分を死なせてしまったそうだ。この別離の悲しみもこの作品には込められているのだろう。青春の様々な出来事はその無垢な感受性によって捉えられ しだいに心の底に貯えられ やがてそこから芽吹いてくるものを人々は青春の思い出と呼ぶのだろう。バルテュスにとってモロッコ時代は青春の思い出と共に表現者としての土壌の形成にも深くかかわった時期なのだろう。

第三章   P353

353

「作品との一体化」

P353「マンドリンと若い娘 (期待)」 190×249.5㎝ F200号程度 2000-2001
遺作。この作品でバルテュスの絵画作品は最後となる。バルテュスは 2001年2月12日午前 2時過ぎに亡くなり その長く濃密な人生に幕を降ろす。
この作品にも最後の画題となる若い娘の裸体とマンドリンが描かれているが 高齢にもかかわらず F200号に及ぶ大作であり 衰える事のない制作意欲を示している。しかし残念ながら未完成である。
画面中央には寝椅子のような寝台が置かれ その上にはしどけない姿の若い娘がマンドリンを無造作に持って横たわっている。この姿態は無防備で大胆である。正面の壁には窓が2つあり 外の風景が見えており 右側の窓は開けられ 白く耳の黒い犬が前足を窓枠にかけて外に首を出している。窓の左側には紫色の遮光幕がニ本の帯で止められているが その大きくうねる皺は不安定でうごめいているようだ。画面左下には木製の椅子が後ろ向きに置いてあり 猫が一匹座っている。室内は茶色と焦茶色で塗られ 床壁の区別は曖昧で暗い。犬と裸婦とマンドリン そして猫。これらはバルテュスの特性の一つである「同居の無関係」を思い出させる。ここでの4者の無関係さは構成の不安定さによって より強調されており 不吉ささえ感じられる。しかし題名にある「期待」という言葉から考えれば 娘の期待は待人であり 外の様子を伺う犬は娘の気持ちを察して 外の様子を伺っているのだろう。それに比べて猫は冷静で無関心であるが それは待つ事の空しさを示しているようだ。この両者の違いは明らかで 犬の正直さと猫の冷徹さは対比的である。また「鏡猫 3」に見られた強く引き合う要素の関係よって成立する世界は解体され またも同居の無関係さに戻されているようだ。しかし「期待」と言う何かを待つ気持ちは このバラバラな関係の中心にあり それぞれを結び付けている。
この作品も制作途中で大きな変更がなされている。大きく変わっていないのは 犬の様子だけで他は初めから描いたほど変えられている。裸婦とマンドリンと寝椅子は姿勢や色 形までも変更され 椅子の上の猫はまったく異なる場所に移動している。この結果 犬と猫は娘を挟んで対極の位置となり 娘の期待に対する正反対の態度を示すようになる。つまりこの未完成の遺作は題名の通り 期待に対する2つの態度が描かれている事になる。しかしそれだけでなく 不吉さなども見て取る事ができるので 期待とは待人ではなく もっと異なるものも意味するかもしれない。余命と終焉 天に召される時。今現在という時間に全てを託して描き続けるバルテュスは90才を超えてなお このような大作に大きな変更を行ないながら描く事は 大変な労苦を強いる作業であったはずだ。しかし相変わらず描きながら自らの画像を追い求めていく その気力は恐ろしいほどだが それは画家自身と絵画が一体化することを望んでいるからではないだろうか。私にはバルテュスは制作を続ける事で 自らを自らの絵画世界に殉教させようとしているように思われる。期待とはそのような意味もあるのではないだろうか。
バルテュスは息を引き取る前に訪れた画室で 家族だけになった時 こう言ったそうである。「続けなければ 続けなければ・・・」と。それは弱くもはっきりした声で画室に響いたそうである。

第四章 

第4章 画題を整理する。

バルテュスの扱った画題を整理すると下記の図のようになる。全作品数は 357点とし 分類の大きな項目では 人物画 風景画 静物画 ついで擬人化 その他とした。人物画は 211点で肖像 着衣 裸体 その他。 風景画は 72点で街 自然 室内と屋外。静物画は 29点で人と静物 人工物 自然物など。擬人化には猫と馬がある。その他は摸写 資料写真のみが残っている作品 現存しない作品であり また初期の「ミツ」と「嵐が丘」の挿し絵もここに含めた。
この分類から分かる事は 室内のおける人物を最も多く描いており その中では着衣よりも裸体の方が多い。風景画では屋外の自然風景が多く 静物画が最も少ない。またこの中には習作や未完成作品も含まれている。

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人物画について

バルテュスは全作品の中で約270点の作品に人物を描いているが これは全作品の 76%に相当する。着衣姿が 51点で その内訳は一人または二人が25点 3人が 8点 4人は 1点のみ そして習作が 13点である。肖像画では自画像が 4点で肖像画が 53点 このうち女性が 38点を占めている。裸婦は 66点で最も多く 性の露呈が ? 3点 身支度 14点 立ち姿 13点 眠り 15点 寝台の上 9点 床の上 2点 そして構成的な姿勢が 6点ある。風景や静物に人物を描き入れている場合もあるが これらは人物画とはしていない。 描かれた人物で主なものは 公園で遊ぶ子供達 特定の人物や家族を描いた肖像画 様々な姿勢をとる娘達 身支度をする娘達 窓辺の娘 またトランプを扱う人達 本を読む人 くつろぐ人と眠る者 寝台の上にいる人 鏡を持つ人 街の中の人々などがある。

風景画について

風景を描いた作品は初期の時代に 19点あるが これには街中や公園が含まれる。青年期では6点で「街路」や「山 (夏)」などは人物画に入れている。大戦中と戦後の時代では 8点。シャシー時代は 25点で「窓辺の若い娘」などは含めていない。ローマ時代は習作が 1点のみ。ロシニエ−ル時代では 2点。合計で 61点。全作品の 17%で五分の一にも満たない。この少なさは風景画を描く事を画廊などの販売者があまり好まなかったとの事情もあったようだ。しかしこれらの風景画にはバルテュスの独自な世界観が示されていて重要であり その内容は人物画では描き得ないものばかりである。人物画と風景画は両翼に例える事ができ これによって氏の絵画世界は大いなる広がりを見せている。

静物画について。

静物を描いた作品は少なく習作を含めても 28点程度で 人工物が8点 果物や花などの自然物が 11点 人工物と自然物を一緒に描いたものが 7点 人物を含むものが 2点 他に風景と静物を一緒に描いているのが 2点 また舞台背景を描いたものが 1点ある。これらはそれぞれの物の関係を描いているが 自然物と人工物ではその形態の作り出す構成と味わいは異なる。その中で代表作とされるのは青年期に描かれた P107の「静物」で 写実表現として最も完成度が高い。しかし 20才の頃に描かれた P45と P46の「ベルンの帽子がある静物」の構成感覚と物の選び方にはバルテュスの本質に関わる独自な嗜好が読み取れて興味深い。この独自で個人的な構成感覚は青年期以後にも時々表れている。これらに比べると P291「画室の中の静物」は合理的であり その分匿名性がある。また晩年の最後の静物画である P343の「静物」では厳密な構成感覚から逸脱した 開放または混乱とも受け取れる作品もある。静物画が少ない理由は 基本的に物の関係を成立させる配置や構成は 街中の人物群や室内の人物達などで行なわれており 物よりも人物の方が興味深く より絵画を充足させる事ができると考えたからだろう。また果物や花などの自然物の方が多く描かれている理由は 人工物よりも生命感を感じたからだろう。

構成画。

作品を分類するには上記の3種類が妥当な分け方だが バルテユスの場合はそれで済む訳ではなく 独立した領域をもうけた方が良いと思える作品群がある。その一つが構成画である。ここでの構成画とは人物や物などよりも 画面全体の構成を最優先した作品を言う。バルテュスの作品の場合 主題の影に隠れがちだが画面構成はかなり重要とされている。例えば街中の複数の人物を描いた「街路」や「コメルス・サン・タンドレ小路」などもこの範疇に入ってくるし 「居間」や「夢」「三姉妹」などの室内における複数の娘達を配した作品もそうである。また風景画にもシャシーの舘の中庭を描いた作品も同様である。さらに画面構成の配置によるそれぞれの関連と均衡だけではなく 描かれたものの関係まで構成と捉えると同居の無関係や「鏡猫」なども構成に関する作品と言える。

第四章

室内風景画。

また構成画のような領域を設けるなら 室内風景画とも言える領域も設けた方が良くなる。風景とは野外に限った事ではなく 室内における情景と言った内容も風景として捉える事もできるだろう。その例は「キャシーの化粧」や「部屋」「居間」などがそれにあたり 身支度をする娘や「鏡猫」なども同じである。また屋外と室内を同時に描いた作品などもある。これらも領域にまたがっている。否またがっていると言うよりも領域を越えていると言った方が正しい。

画題を整理するの結論。

つまりバルテュスの作品は常識的な領域分けを越えて成立していると言う事である。一つの作品に複数の画題が取り入れられ それが複雑さを作り出し充分な見応えと謎めく内容を生み出している。それの作品はあたかも色も糸の太さも異なり 計算抜きで気ままに そして丹念に織られた織物のようである。 

主題と本質

以上のようにバルテュスは本質の探究と不可視なものを具現化する事を行なってきたと言えるが 全作品の主な画題と内容を整理して確認してみると 公園で遊ぶ子供達の同居の無関係 挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝き トランプや鏡猫などの個的に独立した一つの世界 風景の中の不可視な存在 日々の穏やかさ 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界 そして娘達の様々な姿勢 絵画における構成 色彩と画肌となる。そしてこれらの主題はバルテュスが転居した時期によって変化している。パリ時代とシャッシィ時代では傾向がまったく異なっており パリ時代の挑発的な性の露呈と堅固な構図 写実的な表現はシャッシィ時代には見られなくなり 具象表現で自然の陽光がもたらす色彩や館の2つの門などを構成的に捉える事に集中している。しかし「樹のある大きな風景 (三角の畑)」などで謎めいた存在に着目している。つまりここにバルテュスの本質があるように思える。さらに主題の内容を整理すると「秘められた性を露呈させる」「存在感を具現化する」「個的な世界を成立せる」となり 「秘められた性を露呈させる」では挑発的な性の露呈 身支度をする娘達の健康な輝きであり 「存在感を具現化する」では同居の無関係 風景画の不可視な存在 肖像画の人の外見と内実 擬人化の可笑し味と幻想性 街の見せ物的な情景と沈鬱な負の世界であり「個的な世界を成立させる」ではトランプや「鏡猫」などで また日々の穏やかさでもある。このようにして見るとバルテュスの描き出そうとした世界が見えてくる。つまりバルテュスは秘められたものや本質を追求しながら 不可視なものを具現化する事を目指し さらに独立した個的な世界を成立させる事を主題にしているのである。独立した個的な世界では「トランプをする人々」や「赤い魚」の周りに集まる子と親などの関係性が重要だが 「鏡猫」では鏡と娘と猫と言った より強く引き付け合うものの関係性を見い出す事で その成立に成功している。この関係性は初期の頃の「公園」や「街路」では「同居の無関係」であったが 「居間」や「三姉妹」では絵画表現に欠かせない画面構成における関係性が工夫されている。またそのような画面構成を越えて個的な世界を確立する事になるのは「赤い魚」以後であり 「鏡猫 3」によってその頂点に至ったと言える。つまりバルテュスの絵画の主題で重要なのは「秘められたものを明かす事で不可視な存在を具現化し 独立した個的な世界を成立させる。」事と言えるのであり そこに大きな役割を果たしたものはそれぞれの関係性であったのである。絵画の描く対象は様々にあるが その中である偏りを見せながらもバルテュスが求め 描き出す事に成功し 多くの人々に魅力あるものとして受け止められるのは この秘密めいた不可視な存在と個的な世界の成立にある。

第五章

第5章 まとめ

この章はバルテュスの作品についてのまとめである。第3章で紹介した作品の主な特徴は 厳選された画題と多様に解釈できる内容 そして表現様式の独自性と変化である。画題は人物画を中心に風景画 静物画などがあるが そのような領域分けを越えた自由性がある。内容は主に複雑で謎めいているが その精神性の高さは常に気高い。表現様式は独学による写実表現から具象表現へ変化し 自らの作り出した様式を模倣する事なく 一作ごとに全てを費やすような作風は見応えがある。また作風が変わっても作品から立ち昇る感性の放香は変わる事がない。

以上が主な特徴だが もう少し詳しく具体的な点を 疑問として挙げると以下のようになる。これらの疑問点はつまりバルテュスの作品の特徴でもあり 謎でもある。

・ 1 なぜ同じ場に居ながら無関係なのか。
・ 2 なぜ身振りと姿勢にこだわるのか。
・ 3 なぜ人物達は石像化したように動きがないのか。
・ 4 なぜ挑発的な裸体を描いたのか。
・ 5 なぜ若い娘達を描くのか。
・ 6 よく言われる官能性とは。
・ 7 なぜ顔や身体を変形させるのか。
・ 8 なぜ猫を描くのか。
・ 9 なぜ鏡を描くのか。
・ 10 なぜトランプを描くのか。
・ 11 なぜ作風や技法が変わるのか。
・ 12 なぜ時に簡素に 時に複雑に描くのか。
・ 13 なぜ何時の時代か分からないように描いてあるのか。
・ 14 なぜ同じ画題を繰り返すのか。
・ 15 なぜ過去の作品を描き直すのか。
・ 16 なぜ現代の絵画を否定するのか。
・ など

これらの疑問は一点づつの作品解説とは 別に考えてみる必要がある。その答えは一つではないだろうが氏の核心に近づくために欠かせない登竜門である。しかし深読みのし過ぎは禁物である。作品は作者の考えや表現技術以上に 何かを成立させてしまう事があるし 特に氏の作品は作者の意図がどこまでおよんでいるのか計り知れない所があるからなおさらである。しかし深読みし過ぎたところで氏は否定するどころか その的外れと拡大解釈を楽しむに違いない。

第五章    P2-P3

*1 なぜ同じ場に居ながら無関係なのか。

描かれた人物が複数の場合 必ずと言って良いほど同じ場所に居ながら 互いに何らの関係も持っていないように描かれている。これは同居の無関係であり すでに10代の初期に描かれた作品に見られる。そしてその後の作品でも使われており 全作品を通した一つの特徴である。しかしこの関係の無さは人間の関係としてであり 構成上では充分に関連性を持っている。つまり具体的な人間関係はないが 構成的には関連性があるのである。この無関係さは様々に読み取る事ができ 例えば現代に照らし合わせて 個人主義や自分主義(ミーイズム)による関係の希薄化を象徴しているとも解釈できる。しかしそのような社会的な現象として捉えるのではなく もっと根源的であるように思える。例えば人は元々個々の存在として 独立した固体であり それゆえに単独で行動できる。しかし他との関係を求める場合には その間には距離が生じており この距離は縮める事は出来ても 無くして一つに合体する事は出来ない。いかなる愛を持ってしても皮膚と言う壁が残る。つまりこの個としての自由性と他との距離を同居の無関係の根源的な理由としたらどうだろう。固の喜びと悲しみ。
しかしこの同居の無関係は10代の頃から描かれていた事を考えると そのような後付けの理屈よりも もっと自然に見受けられた状況や光景なのかもしれない。我々も他人と一つの部屋にいる時は それぞれに距離を保ちながら 自分の居場所を確保しているのではないだろうか。もちろん他と会話したり談笑する場合もあるが。だがやはり固体の喜びと悲しみとした方が バルテュス自身の孤高とつながりより神秘的に見える。

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*2 なぜ身振りと姿勢にこだわるのか。

バルテュスは「姿勢の画家」と呼ばれるほど 身振りや姿勢に強い関心を見せている。これは人体の形から生じる表現力を最大限に引き出そうとしたからだろう。代表的な作品を例に挙げれば「街路」と「コメルス・サン・タンドレ小路」で この2点は陽と陰の関係にあるが それぞれに身振りや姿勢を強調する事で巧みに描き分けている。また「夢見るテレーズ」の姿勢は 人体の取れる姿勢として 一つの完璧な均衡が計られた形であり さらに性的な意味を加える事にも成功している。また「長椅子の上のテレーズ」では性的な点は置き去りにして 完璧な均衡を追求している。これらから いかにバルテュスが人体による姿勢が生み出す表現力を求めたかが分かる。そしてこの原点が10代の頃に描いたリュクサンブ−ル公園の子供達にある事は明らかだ。

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第五章  P4-P5

姿勢の再現。

描かれた姿勢を実際の人体を使って再現して見ると これらの姿勢がいかに熟考されているかが良く分る。その姿勢はごく自然に見えるが 実はかなり微妙で凝っている。これは高度な均衡の上に成り立っいるからで その造形感覚と構築力は見事と言える。そして写実表現であった時期の作品でも 実際のに対して 必ず微妙な調整が行なわれている。また当然だが具象表現に移行した後では もっと大胆な形が行なわれている。

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*3 なぜ人物達は石像化したように動きがないのか

身振りと姿勢については先に述べたが それは演劇的であると同時に動きを止め*石像化しているようだとも言われている。ここで言う動きとは 主に写実表現が獲得していた動勢感の事であるだろうが これらと見比べれば 確かに動勢感はない。しかし技法上で形の明確さを優先すれば 動勢感を生み出す事は難しくなる事も事実である。つまりバルテュスにとっては動勢感よりも 身振りや姿勢の特異性の方が重要であり 動きよりも演劇的な効果を重要視していたからだろう。こう考えるとバルテュス自身は動勢感の無さを 新鮮で独自性があると評価された事を思いがけない解釈と受け取ったかも知れない。 

* アルベール・カミュ著「反抗的人間」の中の「忍耐強い泳ぎ手」より。
「・・・・・一種の魔法の力で 永遠にではなく五分の一秒間 過ぎてしまえばまた動き出すようなほんの束の間だけ石と化した人物を眺めているような気がするほどである。」
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第五章  P6-P7

*4 なぜ挑発的な裸体を描いたのか。

青年期の幾点かの裸体を描いた作品は 挑発的な性の露呈と言えるが これは冷静な考えによって捉えられた性である。その作品には「鏡の中のアリス」「ギターのレッスン」「夢見るテレーズ」などだが これらには冷徹さと共に性への不信感が隠れているように思える。何故ならこれらの裸体には一般的な女性美といった魅力を纏わせていないからである。そしてこれらが描かれた時期は 若い男なら誰もが避けて通れない性の問題があるはずだ。この問題は本能から生じる異性への欲求であるが 肉体がからむゆえに抗しがたい力で重く暗くのしかかってくる。氏自身もこの問題と無縁ではなかったはずである。この頃の挑発的な作品は この抗しがたく悩ましい性の問題に対する 反発心や不信感であり さらにその過激さは抗しがたい力に比例しているように思われる。だがこのような生身の問題を 作品に見られるような形で表す事は誰にでもできる技ではないだろう。これらには性の問題に振り回されて 未消化なものを残すような不様さはまったく見られない。これは冷静さと強靱な意志によって 問題と距離を取るだけの力があったからこそ成し得たはずである。これは20代の若者にしては 恐ろしいほどの力ではないだろうか。またこの時期の作品には独特な緊張感と完成度があるが それは性の問題だけではなく 社会全体が戦争に向かう不穏な時代でもあった事も無視できない。またそのような時代の中で 自らを画家として成り立たせるための極度な真剣さが反映しているのではないだろうか。しかしこのような作風は長く続く事はなく その後に描かれる女性や娘達は次第に昇華され 絵画表現の目的を追求するための 重要な一つの存在として扱われて行く事になる。
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*5 なぜ若い娘達を描くのか。

描かれた人物の中で最も多く描いたのは 少女と呼ばれる幼さを残した若い娘達である。しかしこれらは作品によってバルテュスの印象を2つに分けている。一つは青年期に描いた挑発的で性的な作品による 不謹慎で危うい異端の画家という肩書きである。もう一つは幼き娘達を穢れのない聖なる者とした 儚くかけがえのない美を描く画家という評価である。この相反する2つの世界こそバルテュスの全体像であり 挑発的な性を描いたのは青年期であり その後は聖なる者として純化していくのだが バルテュスの描いた娘達には それだけで納まらないものがあるようだ。
彼女達とは一体何者なのだろうか。彼女達は子供と大人の中間にある思春期の娘達であり この時期は大人の世界の俗と欲を知らない無垢な状態にある。そして性的に未成熟であるゆえに 性の欲求に惑わされない処女としての純粋さがあるとされている。また彼女等は思春期に見られる 特有な生命の輝きを放つ者達でもある。しかし身体的には未成熟ながら性的な自覚を持っている場合もあり このような場合は早熟な官能性を発揮し 異性を惑わす魅力を持つ。また彼女等はかよわき肉体しか持たないので 額に汗した働く肉体労働者と最も遠い存在であり 完全な非生産者でもある。
このような彼女等を青年期の氏は 禁断の果実としての魅力を利用し その後は天使のような聖なる者へと昇華させた。つまり氏は彼女等の容貌や肉体ではなく 精神的に啓示を与える存在として精神的に情愛し 性に目覚める前の少年が幼き妹達に抱く 守護すべき無垢な存在への奉仕者となる。しかし彼女等は無垢さと啓示を与える者であるゆえに 浮き世離れした存在であり ある怪しさを伴っている。これこそが彼女等の本質であり 氏の注目した点であるはずだ。彼女等は美と聖 そして怪しさを持った超越的な存在だからこそ あのように描き続けられても その役割を充分に果たせのである。また氏が亡くなった現在でも 少女達の存在は好奇な眼の対象であり 様々な物語を生み続けている。

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第五章  P8-P9

* 6 よく言われる官能性とは。

娘達の裸体は多く描かれているが よく言われる官能とは一体何を指して言われているのだろう。バルテュスは官能性についてクールベの「眠り」を例に挙げ「私には二人の裸体よりも 左下の青いガラス瓶を官能的に見える。」と述べている。これは正しい見解である。「眠り」の二人のからみ合う裸体はもちろん官能的であるが 私達はもっと別な官能にも眼を向けねばならない。バルテュスの作品で官能的と言われている例をあげると 青年期の「若い娘と猫」などを挙げる事ができる。これは幼き者でありながら さりげない性の露呈で見る者を惑わしているが 官能そのものを描いているとは思えない。「美しき日々」はどうだろう。この自らの美しさに見入る娘からは 自己愛とその美の儚さを見て取る事ができる。しかしここではクールベの「眠り」のような肉体的で直接的な官能ではなく もっと心理的な官能性が扱われていると言える。だが「美しき日々」の着衣の乱れと そこから伸び出た手足は 肉体的な官能性と見る事ができるし 直接的な要素を加える事で具体的な魅力を与えている。この間接的で精神的だが 直接的な要素も忘れない所が巧妙さであり 理想に流されないバルテュスの現実性であろう。また別な官能性もある。シャシー時代に描かれた「夢 2」は眠りの中に訪れる甘味な幸福感を描いているが これは完全に肉体的な官能性を排して心情的な官能性を描いていると言えるのではないだろうか。このようにバルテュスの官能性は 直接的であるよりも間接的であり 心理や心情に関する官能性にこそ強い関心を持って描かれていたのである。
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*7 なぜ顔や身体を変形させるのか。

描かれた人物達はその顔立ちや身体に大きな特徴がある。それは「街路」に見られるような異形を描く事である。ここには丸顔や三角顔が見られ 老婆のような幼女や頭頂部が平らで額が狭く 目鼻が T 字型の顔などが描かれている。これらはバルテュスが整っている形よりも変形した形への関心を持っていた事を示している。これらの手法は強調や単純化による異形化であるが 現実に見られる様々な人の顔や形は整っているよりも不均衡の方が多い。この事は冷静な観察眼を持ってすれば明らかであり バルテュスも現実の実体を不均衡であると見なしていただろう。そしてこの不均衡さとは一種の醜さでもあるが バルテュスの行なった異形化は不均衡さ つまり*醜さを喜劇性を帯びた道化に転化する事で 可笑し味と奇妙な魅力を生じさせている。この着眼と技巧は鋭い観察と高度な技によって 成し得ている事は言うまでもないだろう。
しかしバルテュスはこのような異形ばかりを描いているのではなく 素直にあどけない娘達も描いいるが これらは純化したシャシー時代のみならず 時々描かれる。しかしやはり全体的には異形を描き続け 顔のみならず身体に変形や歪み ずれなどを取り入れた作品もある。つまりバルテュスの美醜の扱い方は安易に整った理想的な美を求めるのではなく 不均衡を実体とし そこに可笑し味を持った奇妙さを見い出し 実体の本質と造形的な魅力としたのではないだろうか。

* 「醜の美学」カール・ローゼンクランツ著 鈴木 芳子訳 未知谷。「芸術は醜を浄化して滑稽に転生させ 美の普遍的な法則に服従させる。その結果 醜は喜劇として市民権を取得する。」野口 武彦氏の解説より。5_8_2

第五章   P10-P11

*何故猫を描くのか。

猫はバルテュスの作品に欠かせない登場者であるが 描かれた猫は習作も含めて 28点である。幼年期の「ミツ」が 1点 青年期に 1点 大戦中と大戦後の時代に 12点 シャシーの時代に 2点 ローマの時代も 1点 ロシニエール時代では 8点である。猫の果たした役割はかなり重要で 他の動物ではこのような微妙な役割を果たせなかったろう。
猫は淑やかで気高く 利発で悪戯っぽく 人に良くなつくがその気高さを失う事がない。その大きな眼は曇りのない透明な輝きを放ち しなやかな身体と毛並みは魅惑的である。そしてどこか謎めいている。これは彼等が人間世界に密着して生きていながら 時に人間に対して無関心とも思える不遜さを見せるからだろう。また人間世界と動物世界を行き来でき 夜の闇にも詳しい。それゆえに人にとって未知の異界にも通じていると思われるからでもある。
バルテュスの描いた猫は様々な役割を持たされている。幼年期の「ミツ」に登場する猫は 愛するものを失った哀惜の気持ちの対象として描かれ 青年期の自画像である「猫の王」では王として猫を味方につけ その後の「夢見るテレーズ」では性的なものを強調する役目を負わせている。また P174の「金魚」では人のように笑ってはいるが 野生的な捕食者の一面も見せている。これらの中で やはり特筆すべきは P221の「部屋」の猫で ここでは娘の身に起こった出来事の目撃者であった。さらに晩年の「鴉のいる大きな構成」では猫と言うよりも謎めいた不可解な存在であり 「鏡猫 3」では娘と鏡と共に3つの関係によって成立する世界の一つを担うまでになる。また遺作である「マンドリンと若い娘」では同居の無関係でありながら さらに同居の無関心をも意味しているようだ。また猫は女性が異性の侵入を拒む 秘められた私室へも自由に出入りできるが この時に猫は同性となりながら 異性の役割も持ちうる。つまり彼等は人の性を越えた第三者でもある。そしてそのような場で行なわれる事を見る者であり しかも密告しない沈黙の目撃者なのである。また冷静な眼差しと淑やかな不遜さは文学的であり 絵に描かれてさまになる存在でもある。つまり猫は少女に次ぐ 二番目の美と怪しさの両面を持った者である。このような役割を果たす者は他には考えられず 猫を用いる事はバルテュスにとって大いなる発見であったはずだ。

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第五章 P 12-P13

*9 なぜ鏡を描くのか。

鏡も重要な画題であり これも大いなる発見であったはずだ。鏡は猫と同様に人々の身近にあり 現実を写し出す不思議な物の一つである。古くは神器の一つとされ 計り知れない現実の中で実体を持ったものしか写し出さないために 虚実を見極める道具として尊重された。またギリシャ神話では ナルキッソスが自らの姿を映しす水面も鏡であり 自己愛の象徴とされもいる。しかし鏡の写し出す世界は 左右反転したかりそめの現実でしかないが その写し出す力は正直過ぎるほど正確であり これは写実表現を追求する絵画表現からすれば現実を捉える上での師であり 目指す一つの頂点でもある。このように鏡も猫同様に多様で 不可思議な要素を持つ物である。バルテュスの鏡は常に若い娘と共にあり 彼女達に欠かせない付帯物として描かれている。これらの鏡は彼女達の姿を映す美の証人である。そしてそれゆえに美の共犯者であり 美の象徴ある。しかし彼女等を虚飾へと誘う道具でもある。このように鏡は少女と猫に次ぐ 第3番目の美に関係した物でありながら 不可思議な面を持つ怪しい物である。

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* 10 なぜトランプを描くのか。

トランプを題材にした作品には 一人占いと二人の勝負がある。このように何かをしている人物を描いた作品は 他に剣玉をする人 空中ゴマを操る娘 読書をする娘などがある。これらは一つの世界が成立している点で共通している。この中でトランプを扱う人達は やはり最も独自な画題ではないだろうか。一人占いは知り得ない事を超越的に知ろうとし 集中し没頭する。これによって他と隔離された一つの世界が成立する。またトランプの勝負では 駆け引きと勝負の行方による独特の緊張感を伴いながら 同じように没頭する事で一つの世界に入り 世界を成立させる。この世界は独自な空間であり 小宇宙とも言えるだろう。そしてこの世界は他と関係を持たずに成立している点で 同居の無関係に属しており この関係を持たない者達と同じように 関係性から独立した世界であると考えられる。つまり同居の無関係では 個々の人が他と関係を持たずにいるが このトランプを扱う人や人達は一つの世界を作り出す事で他と関係を持たないのである。しかしなぜ無関係性を画題に取り上げるのか。それは人々の実体を不均衡と捉えたように関係性よりも無関係性に実体を見たからかもしれない。そして関係性よりも独立した世界の成立に関心を持っていたからだろう。とするならこれらの作品は晩年の「鏡猫 3」の関係性によって成立する世界に通じる画題と言える。

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第五章   P14-P15

*11 なぜ作風や技法が変わるのか。

1900年前後から 1950年代までの絵画表現の変革は それまでの写実表現に具象表現と抽象表現を加え 絵画は 3つの表現描法を得た事になる。このような表現の創造の時代にあって バルテュスの表現描法も変化している。青年期の写実表現から それ以後は徐々に具象表現に移行している。(もっと正確に言えば青年期でも写実表現ばかりではなく具象表現も平行して用いられていたのだが。)

この具象表現への移行は他の流派の影響を受けたのではなく 絵画表現の可能性を追求していった必然性から生じたと考えられる。つまり写実表現では現実性を優先するために 様々な条件に制約される。形 質感 立体感 空間性 光と影 これらは正確な再現性を求められるし 色彩も物の持つ表面色などに限られる。具象表現ならばこのような限定から開放され 表現内容を優先させる事ができるのである。これは印象派が誕生する理由でもあるし その後のフォービズムなども同じ考え方である。
変化の過程を説明すると 最初に物の持つ質感が省略され 次に形が単純化していく。立体感や空間性は描き続けられるが シャシー時代の中頃では それらを省略した平面化する作品も試みている。またゆるい線と不定形による構成も試みており これらは具象表現の可能性と限界を探っているようだ。空間性を描き出す遠近法も具象表現になるほど簡略化されているが 基本的には有角透視図法を用い続け 中には平行透視図法による空間表現を取り入れた作品もある。また光と影は立体感を描き出すためだけでなく 演劇的な効果や陽光自体の輝きを描くために用いられているが 最終的には明確な光源を必要としなくなる。

もし青年期の写実的な様式を続けていったとしても 充分に優れた画家として名を残したであろうが それにこだわらず 新たな展開を押し進めていった事で成し得た成果は それ以後の作品を見れば明らかである。
また表現者を2種類に大別すると 一方はある独自な表現様式を獲得する事を目指し これが成立するとその様式で制作し続ける。もう一方は表現様式にこだわらず 様式を固定化しない。この違いは様式を重視するか それとも内容を重視するかの違いでもあるが えてして様式を重視する方は 自分の作り出した様式を模倣し続ける事になりかねない。バルテュスは後者であり ゆえにかなりの幅がある作風であった。
つまりこの変化は自らの絵画様式を固定し模倣するのではなく 様々な表現を試みる事で具象表現の可能性と限界を追求して行ったのであり これは絵画の可能性の創設であったと言える。

1990年代初頭に行なわれたセミール・ゼキ氏との*対談。
ゼキ氏「モンドリアンは数学や哲学の思考に完全にのめり込んでいますが 貴方自身は絵画の限界を意識的に探究なさっていますか?」
バルテュス「いいえ 私は意識的には何もしていません。無意識的なのです。私は自分が何者かに導かれているような感じがするのです。それが何か分からないのですが。」

ここではバルテュスは表現の変化は意図して行なったのではなく 自然体として絵画に向き合っていくうちに展開されたと言っている。また何者かに導かれていると言う発言は興味深く 絵画世界の可能性とそれに答えようとする者の間に生じる希有な感覚で 宗教的な体験に近い事を述べようとしているようだ。
* 「芸術と脳科学の対話」バルテュスとセミール・ゼキ著 青土社。

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第五章  P16-P17

* 12 なぜ時に簡素で 時に複雑に描くのか。

これは先の様式を固定しない作風によるが 青年期に描いた室内にいる人物などは 常に簡素化された室内や家具にされている。そしてシャシーの時代からは 複雑で入り組んだ構成と色彩を与える作品が目立つようになり その後はこれらを交互に用いるようになる。青年期のバルテュスは決して裕福ではなく パリの画室には余計な物などなかっただろう。しかしこの頃の簡素さは装飾に使える物を用意する事よりも 限られた条件の中で出来る事を工夫するといった制作姿勢から生じているように思える。これらの作品は 人物の姿勢と僅かな家具による巧みな構成が見られ その厳格さと工夫は一つの見所でもあり この簡素さは必要最低限で工夫をするという潔さから生まれているのではないか。だがその後には相反する複雑で重厚な作風を見せるが これはやはり新たな構成に挑もうとする制作意欲の現れだろう。さらにその後に簡素さと複雑さを交互に取り扱うのは構成の幅を極めた結果で 表現する内容によって使い分けていたからだと思われる。これらの簡素さの潔さは見る者の精神を高揚させ 複雑さによる重厚さは感情の重さと思考の奥深さを表している。

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* 13 なぜ何時の時代か分からないように描いてあるのか。

写実表現や具象表現などは具体的なものを描いているので 描きようによってはその背景に流行や時代を読み取る事ができる。絵画には一過性の流行や一時期の時代を表す事を目的として描かれているものもあるし またそれらを遠ざけようとする傾向もある。バルテュスは後者で限定された流行や時代を遠ざけようとするが それは普遍的なものを求めるからであり ここにこそ表現するべき本質が含まれ これを知の集積として積み重ねられていくべきであると考えているからである。
ゆえに描かれた人物の衣装や髪形など 流行や時代を表しやすいものは扱われていない。しかも中には描かれた当時を表すと言うよりも 過去の時代を示そうとする作品がある。また現在と言う時間よりも 永遠性や彼岸と言った超越的な時間や世界を求め表している作品もある。またバルテュスは「私は中世の時代の人間です。」と言っているが これは懐古趣味ではなく 遠い過去とのつながりを強調しようとする意図である。これらには一つの時間に対する考えが根底にある。それは現在とは 今と言う短い時間で捉えるべきではなく 時の累積の表面に過ぎず 実感すべきは累積した時間の質量であると考えているのではないだろうか。つまりそう考えれば 過去にも自由に行き来でき 知の集積を顧みる事ができるのである。それゆえに過去の衣装を着た人物や永遠性を表す作品が描かれているのではないか。そしてその考えからすれば「歴史を知り 過去の優れた創造物と向き合い 引き継ぐべきものを受け取る事は重要であり そのためには何よりも時間の累積の質量を実感せねばならない。」となる。これこそバルテュスの作品を見る事で感じられるはずである。

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第五章  P18-P19

*14 なぜ同じ画題を繰り返すのか。

バルテュスは同じ主題を繰り返し描いているが それは連作ではなく 頭の中にある画像をより良く具体化するためであると言っている。確かにそうだろうが 写実表現ではそのような追求は素描や下絵などを描く事で解決を計り その中の決定案をキャンバスに写して本制作に入る。しかしこれらの素描や下絵は実寸ではなく縮小され 彩色も簡略化されている場合が多い。バルテュスが写実表現であった頃は事前に素描を準備していた作品もあるが 具象表現になってからは創案を描く事はあっても 素描や下絵はあまり描かなかったようだ。それに若い頃の摸写などを見ると 素描や下絵に頼らずに直接にキャンバスに描いている事からも 事前の入念な準備は頭の中で行なわれ 本制作でも試行錯誤を繰り返しながら 自分の追う画像を具体化する制作の仕方であったようだ。この方法では本制作に入る前にいろいろな選択肢を排除していないのだから 完成後に別な例が思い浮かぶとしても当然かも知れない。つまりバルテュスのやり方は自分の考える画像を一つに絞らないで 他の案も活かそうとしているのである。それゆえに一つの画題を繰り返し描くいているのであろう。この結果 残された作品は同じ画題ながら多様な面を見せ それぞれの違いを味わえると言う事になっている。 

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*15 なぜ過去の作品を描き直すのか。

数えてみると14点の作品が一度完成した後に手直しを行なっている。「鏡猫 3」は公開された後に手直しを繰り返され 3 回も異なった完成の姿を公開している。また「街路」では購入者の意向を受け入れて部分的な直しを行なっている。この「街路」は例外として 手直しの大半は構成の変更であり それだけ構成に気を使っていた事が分かるし 先の制作方法からもその理由は明らかだ。しかし人物画の手直しは別で ほとんどが顔の描き直しである。中には青年期の作品で 描いてから 50年も経ってから修正されている例もある。この人物の顔の描き直しを見比べると不思議な共通点がある。それは手直しによって整えられた顔に変更されている事である。つまり直される前はもっと異なる顔立ちや表情で 通常の肖像画から見れば異形とも言えるように描かれていたのである。これは現実の実体は不均衡にあるとする 冷徹な本質への追求が成した結果なのだろうが それにしても皆 不機嫌な異形である。これらの手直しは作品が個人の肖像画でもある事を配慮して修正されたのだろう。

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第五章 P20-P21

* 16 なぜ現代の絵画を否定するのか。

20世紀の絵画は 1950年代を境に前半と後半に分けて捉える事ができるが 前半の1950年代以前は主に印象主義以後の具象絵画とその後の抽象表現を生み出すまでで 1950年代以降の後半はポップアートなどの新たな表現が発明されている。これらの中でバルテュスが否定した一つはキュビスムや抽象表現などで 理由は描く対象を人々の居る現実から離脱させ 形や色彩などによる表現の可能性を追求する事のみに 労を費やすようなに見えたからである。またそれまでに行なわれた表現様式を否定する事で 成立させようとするやり方にも批判的で これは過去の絵画の遺産を引き継ぐ事を拒否しているように思えたからである。またポップアートなども一過性の流行のような様式の創造として捉えて否定的であった。つまりバルテュスは人々の住む現実世界を基にして描く画家であり そこに表現すべき本質があり 鑑賞者である人々とのつながりがあると考えていたのであり 具象表現から抽象表現を開拓する表現の創造は 現実をなおざりにする事であり 表現のための表現のように思えたのだろう。バルテュスは自らを伝統主義者であると言っているが *これは過去の絵画表現を否定する事によって起こる断絶ではなく むしろ過去の様々な絵画表現についての考察を継承し それを生かして より高い次元に至る道をさぐるべきだと考えていたからである。

第五章------P20-P21-[更新済み]

第五章   P22-P23

以上がバルテュスの謎についてだったが 他にも注目すべき特徴がある。
それをここで追記として述べる。

*手の表現について。

人物を描くにあたって 手は顔の次に表情を持つものである。バルテュスはこれをどのように扱っているか確かめてみると いろいろな作品にその工夫を見る事ができる。「アンドレ・ドランの肖像」では 胸にあてられた左手の薬指だけがシャツの中に入っている。この細い指はドランの押しの強い態度とは別な 彼の繊細さを表している。また「ギターのレッスン」の太ももに置かれた手もわし掴みのようだが それだけでない豊かで微妙な表情を持っており 「トランプをする二人」では二人のトランプを持つ手は いかにも薄い紙片を持っている感じが巧で目にとまる。登場人物が多い「街路」では12本の手が描かれているが それぞれの表情に変化が与えられている。しかし同じく登場人物の多い「コメルス・サン・タンドレ小路」では手の表情はまったくと言ってよいほど与えられていない。これは手の表情で街の活気と沈鬱を描き分けているからである。さらに「画家とモデル」では娘の右腕の間から覗く 左手は小さく愛らしく 小指だけが真直ぐに伸びている。この小指にまで気を行き届かせる娘の感性は 細やかで早熟さをも感じさせる。
以上のような手と指などの細部への気遣いは 画家自身の神経の在り方を示しているが その全てを画家が指示したのではなく 描かれた人物の作り出した表情もあるだろう。つまり描かれた人物の神経の在り方も重要で 画家の感性に感応できる者でなければ このような細やかな豊かさは成立しないだろう。

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第五章  P24-P25

*柄と模様について。

先に簡素と複雑について述べたが その複雑さに重要な役割を果たしているものの一つに柄と模様がある。この柄が最初に印象的な登場を果たすのは「街路」の後ろ姿の女性の帽子であり 次に「キャシーの化粧」の足元の絨毯の模様などである。帽子の十字は時代を超えた柄であり その形と赤い色によって街の活気を生み出す役目も果たしている。キャシーの足元の絨毯は虚飾への憧れを演出している。また柄と模様はその装飾性と複雑さで画面の充実度を上げる役割も果たし 「夢 2」では画面は模様に占有され 「黄金の果実」では椅子の背もたれも模様の一部になっている。またかなり大胆に個性的な柄や模様を用いている例もある。「身支度をする若い娘」の壁の矢がすりのような模様 「夢 1」の奥の壁の市松模様 「暖炉の前の裸婦」の壁の丸みがかった模様 「トルコ風の部屋」の壁も個性的だ。これらは模様の方が主役ではないかと思えるほどであり 柄と模様に対する強い関心とその効果の追求が試みられている事が分かる。「トルコ風の部屋」の壁の模様はヴラ・メジチ館の 1室にあるが モンテ・カルヴッェロの浴室も この模様のタイルで設えてある。また日本的な柄と模様を使い 異国情緒を与えている作品もある。「黒い鏡と日本人」の敷物など。また「鏡猫 1」のように柄と模様と皺を構成的にまとめあげた作品や「鏡猫 3」のように柄も模様も皺も溶け込んで 一体化しているような例もある。このように多様な柄や模様が描かれているが それぞれに印象的であるが 中には調和的とは思えない場合もある。「まどろむ若い娘」では様々な柄と模様を配して充実し過ぎではないかとも思えるほどだ。しかしこのような過飾性はヨーロッパ文化の装飾の持つ重厚緻密を引き継いでいるからだが この考えの基は装飾は汲んでも尽きぬ豊かさの象徴であるからだ。つまり氏の柄と模様も その複雑な形や色彩によって埋め尽くす際限のなさよりも 圧倒する密度がもたらす充実感を求めているからである。

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第五章  P26-P27

*技法について

バルテュスの技法で最も代表的なものは 乾筆(ドライブラシ)による重ね塗りとバルテュス壁と呼ばれる画肌である。画肌とは画面に塗られた絵具の状態を言い 塗られた絵具の状態を表現方法の一つと見るのは 写実表現よりも具象表現になってからで多様な技法が考案されている。乾筆(ドライブラシ)による重ね塗りは 溶き油を少なめに溶いた絵具をかさつかせながら塗り その凸凹を利用しながら重ね塗りして作り出す。代表的な作品は「窓辺の薔薇の花束」などである。またバルテュス壁は バルテュスが考案してヴェラ・メジチ館の壁に施された技法なので このように呼ばれている。これは乾筆の重ね塗りと良く似ているが 塗られた絵具をガラス瓶などを擦り付けて作り出す。「読書をするカティア」などに用いられている。このような画肌はバルテュスの作品に欠かせない密度による重厚さを与えている。また他の技法では仕上げに薄く溶いた絵具を塗り重ねる お汁がけ(グラッシ)も使われている。これは「横顔のコレット」に見られる。これらの技法は全ての作品に使われている訳ではないので これらも絵画表現の可能性を追求した結果の一つで 表現技法の創造である。 
また描画の技巧として印象的な例を挙げると「カッサンドル=ムーロン一家」では 少年の持つ新聞を戸惑う事なく一気引いて描いている。これは丹念に仕上げる乾筆の重ね塗りとは正反対の即興性が必要だが 軽々とこなしている。また「鏡を持つ裸婦」の頭髪は 偶然の造形を巧みに利用している。これも丹念に塗り重ねる仕事ぶりとはひと味違い 抽象的な形態も充分に理解していた証と言える。

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*素描について

本制作以外の作品に素描があるが これらは本制作の創案や下絵となるものがあり また本制作とは直接結びつかない単独のものなどがある。これらは主に外形線描法で描かれ そこに光と影の明暗を与えて立体感を出す方法が取られている。線描法では他に線を揃えて引くハッチング描法なども使われている。これらの素描のほとんどは鉛筆が使われているが その扱い方は実に繊細で丁重であり 穏やかな筆致と控えめな筆圧は濃く塗られる事は稀である。またペンによる速筆も残しているが これらの線は勢いよく引かれ 戸惑いがない。鉛筆の素描の丁重さと比べると別人のように達者に見える。
やはり素描に描かれているのは若い娘達が多く 様々な姿勢や部分を描いており それらは乱暴に扱うとその無垢さが失われてしまうかのように丁重に描かれている。それは根底に彼女等への愛おしさと慈しみがあるからだろう。これらは素描と呼ぶよりも創作を生むための培養液であり 感性の襞を潤す恵みでもあったであろう。
しかし中には数少ないが 性のそのものに一歩踏み込んだ素描もある。ここでは無垢な存在に潜む性の有り様を見つめているようだ。それは未成熟な肉体ゆえに放香は薄いが 性の原点への素直な関心を告白している。

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第五章  P28-P29

*色彩について 

バルテュスの色彩は茶系を主にしながら落ち着いた色調を用いていると思われがちだが 実はかなりいろいろな色彩を用いている。特に戦後に移り住んだシャシー時代は風景や陽光を描いているので色数も増え 彩度も明度も高くなっている。そして代表的な技法の乾筆の重ね塗りでは 視覚混合による色彩の微妙さも作り出している。また全体的には微妙な色彩の調和を得意としながら 対比的な色彩の配色も多く見られる。
これらの中で印象的な色彩を使っている例を挙げてみると「街路」の赤色は不思議な使い方をしている。これは女性の帽子の赤とその奥の建物の入口は同じ赤色であり また左手前の娘の上着と左の建物の奥にある看板も同じ彩度の赤色である。色彩の遠近法では奥にあるほど 色彩の鮮やかさを下げて目立たなくして遠近感や空間性を生じさせるのだが ここではそれが行なわれていない。つまり赤色は画面の奥行に関係なく使われおり 遠近法は無視されているのである。これはこの絵が街と群像を再現的に描きながら 遠近感を無視した配色を行なう事で 写実表現の法則に捕らわれずに より複雑な状況を作り出すための技巧のようだ。これも汲めど尽きぬ源泉たるべき表現への工夫の一つだろう。 
また「鏡の中のアリス」も興味深い色の扱い方をしている。この画面は描き終った後に薄く溶いた茶系色をお汁がけ(グラッシ)をしているように見え この薄い膜自体がアリスを写す鏡のように見る。しかし実際にはお汁がけは行なっていないようだ。「夢見るテレーズ」では赤と白による視線の誘導という高度な技が使われていた。またP252の「三姉妹」では三人の娘達の衣服や長椅子 壁などを面ごとに塗り分けている。これは形と色彩による構成の例であり この面ごとの配色は色彩のもたらす効果を最大限に引き出している。これと「夢 2」を見比べると後者の色彩は重厚で微妙だから まるで正反対である。同じ作者とは思えないほど色彩の扱い方が異なっている。さらに傾向の違う作品は「青い布」で ここでは全体に白色を混ぜたような明度の高い色を多用して 穏やかでまろやかな明るさを与えている。これらの様々な色彩の扱い方は氏の幅の在り方であり 色彩の効果を追求した結果だろうし その創作世界が一概に捉えきれない証の一つでもある。
最後に最も印象深い配色の例を取り上げよう。それは晩年のロシニエ−ル時代に描かれた「画家とモデル」である。この机上の印象的な小箱には対比的な三色が使われているが この配色から受ける印象を言語化すると 未成熟 奇妙などとなる。そしてこの奇妙にも見える小箱は画家と若い娘に次ぐ存在であり 色彩化した猫のようである。
以上のような特徴的な色彩の扱い方は他にも見い出す事ができるが それは鑑賞者自身の発見にゆだねる事にして 色彩における感性の独特さと工夫は バルテュスの見逃してはならない特徴であり ここでも絵画表現の創造を追求していた事が明かになっている。

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第五章  P30-P31

* 日本の絵画との関連について

バルテュスは幼い頃 すでに東洋美術に関心を持っており その知識でリルケを驚かしたりもしている。東洋と言っても広く この頃は中国絵画に関心を持っていたようだ。しかしアカデミー・フランスの館長時代では 日本の古典美術展のために作品選定を行なってもいる。この事からも氏が絵画を西洋中心で捉えていない事は明かである。そして実際に自らの作品にも 日本の古典絵画の様式を取り入れている。それは「黒い鏡に向かう日本の女性」と「赤い卓と日本の女性」の二点であるが 東洋的である点で「トルコ風の部屋」を加える事もできる。しかしやはり先の2点の方が様式を より明確に取り入れていて 氏の異国の絵画様式への理解の深さを表している。しかしこれらは様式の具体的な応用であり 肝心なのは 中国または日本絵画の考え方の理解の仕方ではないだろうか。
夏目漱石は西欧と日本の絵画の違いについて「西洋絵画は即物過ぎ 神往の気韻に欠ける点がある。」と述べている。これはものを描く事よりも 心引かれるものに対して その気高さを表さねばならないという事である。つまり神往の気韻とは 心引かれるものを神聖なるものとして捉え その気高さを不可視なもの または神妙なる気配として捉えねばならないのである。これは眼に捉えられるものよりも 抽象的な雰囲気を感じ取る事が重要で これが中国または日本の表現の目指す所であると漱石は言っている。これをバルテュスの作品に照らし合わせると「シャンプロヴァンの風景」や「ラルシャン」などに類似点が見られる。これらには無限性や永遠性を感じ取る事ができ 即物性を越えた神往の気韻があると言える。氏の日本の古典絵画とのつながりは その完成度の高い独自な様式を取り入れた事よりも 視覚的に見えないものを感じ取り 描き表す事において共通点がある。
また日本絵画には関係性を持ったものを 組み合わせて描くと言う伝統的な手法がある。例えば月に雁 梅に鶯 鶴と竹林などの組み合わせである。これは互いの存在を引き立て合う組み合わせであり この関係によって絵画を成立させ 雰囲気を創り出す典型的な手法である。これも氏の作品に照らし合わせると「鏡猫 3」の三位一体を目指す関係性は この手法に符合する。
しかしこのような類似点は 氏は中国と日本の絵画から受けた影響と言うよりも 西欧の文化のみならず絵画の本質を学ぼうとする姿勢から生じた結果だろう。これは初期ルネッサンスから学んだと同じである。そしてその結果 世界における絵画表現の多様性の一部を明らかにしたのである。

* 夏目漱石 1867-1916 小説家 評論家 英文学者 日本を代表する小説家。1906年刊行の小説「草枕」に「神往の気韻」は書かれている。代表作「我輩は猫である」「こころ」「明暗」など。

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第五章  P32-P34

*自己開放と混乱について 

バルテュスの作品の全てを肯定すると 氏は創造者として「黄金を実らせる樹」になってしまう。これは「私の吐き出すものは全て芸術だ。何故なら私は芸術家であるからだ。」*と言った主張に通じてしまう。これほど傲慢ではないにしても 全てを肯定するとはこういうものだろう。
氏の作品の中にも気になる作品はある。例えば「両腕を上げた裸婦」や「夢 1,2」などで これらはそれまでの形態や構成の厳格な秩序が見られず 秩序は構築されきっていない。シャシーの時代以前は厳格な構成と形態による秩序の構築にこだわっていたのだが シャシーに移り住んでから作風は大きく変化している。 これはそれまでの写実表現を基にした作風から 本格的な具象表現への移行を見せる転機であった。この移行後に先の作品は描かれている。
この変化には理由があったはずで それまでの写実表現では描法上の約束事が多く これは一種の制約とも言えるが これに比べると具象表現はより自由度が高い。この自由性を求めて具象表現を実践するとしたなら 一種の自己開放を行なわねばならない。写実表現を基にした造形感覚や構成感覚を解き放ち 自らの個性や癖などを許容するのである。例えば形態を具象表現化するには崩し 単純化 強調などの技巧があるが このような技巧よりも個人的な癖や均衡感覚が大きな働きをする。そして写実表現とは異なる新たな秩序が必要となる。この秩序をどのように成立させるかは 当時の氏の大きな課題であったろう。この問題に対して氏は真摯に取り組んだであろうが この移行は今までの秩序感の喪失であり 新たな秩序の構築に挑む事である。ここに秩序の混乱とも言える状態が生じたのではなかろうか。このように考えると「両腕を上げた裸婦」は今までの秩序の喪失であり 「夢 1,2」は新たな秩序の構築を目指していると言える。つまりこれらの秩序の混乱は 自己開放と新たな秩序を作り出す過程で生じたものである。さらに平面化された作品やゆるみのある線の構成も 具象表現の新たな秩序の構築の一環であると解釈できる。このような苦慮の結果に到達した新たな秩序の構築は「樹木のある大きな風景 (三角形の畑)」や「シャシー農場の中庭 (樹木のある大きな風景)」などに見る事ができる。
だが秩序の混乱は晩年の作品にも見られる。この例は P343の「静物」や「モンテ・カルヴッェロの風景 2」などである。これらは高齢による肉体的な衰えが原因と思われているが それだけではないはずで もっと根が深いものがあると思われる。つまり開放された氏の造形感覚と構成感覚の根底には 不安定な秩序感が潜んでおり これが晩年やシャシーの時代などに 時々むき出しになっているのではないだろうか。しかし晩年にはこれさえも許容し 一種の秩序の構築への無関心 または厳格さの放棄を起こしているが これは開放のし過ぎとも言えるが 一種の超越的な境地に至ったとも言える。
このように創作の過程さえも露にし 隠さないのは何故だろう。創造に対する正直さだろうか。

*この言葉はクルト・シュヴィッタースの発言。

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第6章 1-2

第6章 バルテュスが成したも

本質の追求

バルテュスは青年期に書いた手紙の中で「嵐が丘」の挿し絵について次のように書いている。「この作品にはたくさんの事を盛り込みたい。優しさ 子供時代への懐かしさ 夢 愛情 死 怒り そして涙などを これら全ては僕らの心の中に秘められている。卑怯な偽善に固められた人間の皮膚の下にある真実を形にしたい。」この「人間の皮膚の下にある真実を形にしたい。」とは物事の表面下に潜む本質を明かにしたいと言う考えであり これがバルテュスの表現の根底にある。これが具体的に表れている青年期の作品では「ギターのレッスン」や「鏡の中のアリス」「夢見るテレーズ」 そして都市の屋外風景である。これらの裸体などが描かれた作品は挑発的で 人々の皮膚の下にある性への関心をあぶり出している。そこには性的な可逆性と自虐性 露な裸体が示す美の伴わない官能性 構築的な姿勢と性の露呈 そから性の禁忌性への挑戦などを描き出している。これらには若きバルテュス自身にのしかかる青年期の性の重さや暗さに対する反発心や疑念が込められている事は 先に述べた。また都市風景の「街路」と「コメルス・サン・タンドレ小路」では 都市風景の中の人々を陽と陰で描き 陽は奇妙で滑稽にも見える見世物とし 陰は沈鬱な負の美としている。これらは都市に見られる人々の実体を2つの面によって露にしている。これは本質の追求と言うよりも本質の露呈であり 現実の実体を暴くだけでなく 独自な演出が加えられている。この演出は可笑し味と暗さ 挑発と疑念 そして完全に構築的な姿勢と構図 また色彩の効果と視線の誘導などであるが この独自な演出こそ 本質の露呈に加えられている抒情性であり 作品を重層化し複雑化している原因でもある。そしてこの演出という皮膚の下にこそ 氏が込めた本質がある。しかも追求して得た本質を露呈させつつ実は この演出によって秘めてしまう事が氏のやり方であり 氏の本質である。

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不可視なものの具現化

また氏はこうも述べている。「人は非現実を写実し 不可視なものを具現化する事ができる。」 これは一読すると 現実にはありえない世界を具体的に描き出せるとも受け取れるが そうではなく 視覚だけで捉えられる現実に限定しないで その本質に具体性を与える事ができると言う意味である。また非現実とは現実を無視した架空の世界ではなく 計りしれない現実の奥深さと広大さは人知を越えていると言う点で非現実なのである。この考えは先の本質の露呈のさらなる進展であり これによって人間の皮膚の下だけでなく 自然界や普段の生活に潜む本質を捉えていく事になる。この好例は陽光に晒された裸体を描いた「部屋」で ここでは現実にある事を越えた 不可視な世界を巧みに写実し 具現化している。また風景を描いた作品では「ラルシャン」や「ゴッテロン渓谷」「シャンプロヴァンの風景」「樹木のある大きな風景 (三角形の畑)」なども同じく 天と地の向こうに広がる無限性 自然の持つ頑な自我 黄昏れ始める午後の永遠性 謎めく存在などを具現化している。これらは単なる美しき自然の再現ではなく 人知を超えた大いなる存在に対する畏敬の念による認識であり 計りがたい現実の謎めく本質の一端を明らかにする事に成功している。

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第6章 3-4

また青年期から大戦中とその後の時代に多く描かれた肖像画では 人物の外見を通して内実を見つめている。この内実は不可視なもので 皮膚の下に隠されている実体である。これらの肖像画では描かれた人物に敬意を払って その精神性を大切に扱っているが これはバルテュス自身の精神性の反映でもある。
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それから擬人化や可笑し味を持った作品も同じである。食通を猫に例えて擬人化した「地中海の猫」。王のように尊大で威厳のある馬を描いた「スパヒと兵士」。いじけた表情を見せる犬と飼い主を描いた「ポントワ−ズの郡長 (ムシュ・イライレ)」。そして最初の自画像である「猫の王」では自らを道化のように扱っている。これらも非現実を写実した不可視な世界の具現化である。

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より高い次元へ

氏は若くして生涯を代表するの作品を描いてしまっているが その後の変化とさらなる進展によって至った到達点こそ重要である。若い頃の作風だけでも充分に通用するのだが それに満足して同じ地点に留まろうとはしていない。また皮膚の下の真実や不可視なものを次々に見つけていくのではなく 画題を限定しながら それまで行なってきた表現を集積させ より高い次元に到達させようとしている。これこそ氏の創作態度であり これ抜きに氏の作品を語る事は出来ない。
この例は晩年の「モンテ・カルヴッェロの風景」や「青いスカーフを持つ裸婦」などの立ち姿の作品 さらに「鏡猫 1,2」と「鏡猫 3」である。「モンテ・カルヴッェロの風景 」では それまでの風景画で明らかにした不可視な存在を 生の彼方にある黄泉の国のように描き出している。ここには一種の昇華が感じられる。風景画にこのような精神性の高さと深さを与える事は 自らの悟性を表していると言えるだろう。さらに「青いスカーフを持つ裸婦」では それまで様々に工夫された姿勢が この立姿に集約されているように思える。ここには虚飾のない厳然たる構築物のように確固であり 幼さの残る裸体は純然な抽象性を獲得している。そしてこの若い娘の意志は人間性の可能性さえ指し示しているようだ。つまりその立姿と意志は裸体の魅力を越えて 確たる存在として純化しているのである。さらに「鏡猫 3」では それまでのトランプを扱う人々などのような他と関係を持たない独立した一つの世界から 3つの要素(若い娘 鏡 猫 )の関係によって成立する世界を実現している。つまり「トランプをする人々」の世界は二人の関係よりも 他と関連を持たない故に成立する世界であった。しかし「鏡猫 3」は内部に必然的な関係を持たせる事で成立する世界である。これは「赤い魚」でも試みられているが それは一つの中心から生じる周りとの関係であった。「鏡猫 3」は異なるものでありながら 必然的な関係を持っている。この事の方が存在の原理として自然であり 豊かな広がりが生じる。そして必然性を持つ関係とは まさに三位一体の関係であり 宇宙における惑星間の関係を見い出す事もでき。これ故に「ここには宇宙がある。」と言われるのである。バルテュスは関係に必然性を見い出す事で 一つの世界の構築に成功したのである。完全な一つの世界を絵画に表し得る事は 大いなる成功であり 具象絵画の表し得る頂点である。

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第6章  5-6

バルテュスの成したもの

氏が絵画表現に残した功績は 現代において具象表現の魅力を再認識させた事にあるが もっと重要なのは氏の表現の核である「人は非現実を写実し 不可視なものを具現化する事ができる。」または「本質を捉える事で 不可視なもの写実し 具現化する。」を実践して見せた事である。これこそ氏の最も偉大な功績である。これによって人の住む現実世界の計りしれない奥深さに潜む 希有な存在を明らかにしたのである。 これは現実と同じように手応えのある内的現実の狭間に作られた世界の構築でもある。
画家は視覚世界のみに頼る傾向があるが 氏はそのために表面的なものに捕らわれず 皮膚の下を見る。そして現実の卑俗さから距離をおき 幻視や幻想に流されず 美に溺れず 官能の虜にならず それらの魅力を活用しながら 構築した世界を個人的に独立した世界にする。
そしてこの世界の中で描いてきた内容は 娘達の挑発的な性の露呈だけでなく 裸体に秘められた生命の輝き 同居の無関係 都市の人々の陰と陽 醜の道化への転化 肖像画に見られる外見と内実 日常の純粋性風景の中の無限性と永遠性 さらに謎めく存在 また他と関係を断って成立する世界 現世を越えた世界 関係性によって成立する一つの小宇宙などであった。そして絵画表現としては人物の姿態と構成的な画面作り 見応えのある画肌と色彩 柄と模様 そして具象表現の可能性と限界などである。

これらの中で氏の代表的な画題とされる若い娘達は 実に様々に描かれた。挑発的な性 死的な裸体 生命の輝きを示す裸体 構築的な裸体 姿勢を取る娘達など。これらはありきたりな甘味な美の装飾を排し 性的な欲望の対象を越えた官能性を与えながら その希有さを丁重に扱った上で聖なる者とした。そしてその聖なる者としての居所を創り出し そこに彼女等を納めたのである。
屋外風景で描かれた自然も 当然外観に捕われた通俗的な自然美の再現ではなく その内実に迫り 不可視な無限性や永遠性を視覚化する事に成功している。
また何気ない日常の暮らしを描いた作品では 日常をありふれたつまらないものとして捉えるのではなく そこに日々の中の純粋性を見い出している。しかし現実については その実体を不均衡なものとして捉えているが だからと言って拒否するのではなく 不均衡さからくる醜さを道化に転化する事で 可笑し味や謎めく存在として生かしている。

氏の美と官能性については 鑑賞者の直接的な欲望に答えるのではなく 間接的で微妙な あくまでも知的さが優先されている。この点は現代の欲望の満たし方の直接性と安易さへの批判と受け止める事もできる。また美という曖昧な価値観に対しても 通俗的な様相を与える事はなく 形の均衡が美なのではなく 内実と不均衡の関係にその答えを見い出している。
具象表現の可能性と限界の追求については 形と色彩 そして構成による厳密な画面を構築しながら さらに平面化やゆるみのある構成まで試みており これは具象表現が抽象表現に至る限界まで突き詰められた結果であるだろう。しかしこれらは独自であるが 氏の表現すべきものは別にあると解釈されるかもしれないし 自らの方向性を絞らなかった多才さが仇となったと言われてしまうかもしれない。しかしこれも氏の幅の在り方であり これを受け入れなければ 氏の全貌は明らかにならない。
そして氏の無形の様式の拠り所について述べれば 今という現在性に捕われる事ない時間認識を持っており これによって過去と言う累積された時間を自由に行き来し その拠り所とした。これは過去を継承すべきものとして復活させ この重厚さは一つの様式になっている。またこのような過去を引き継ぐ重圧的な時間認識は 新規さばかりに気を取られる現代の狭隘さと軽さの限界を指摘する事になっている。

以上の氏が構築した世界は356点余りの本制作と数々の素描で形作られているが それらの一つ一つは様々な様相を見せながら 大きく重い岩や小さく堅い石となって積み重なっており それぞれの内容がより深ければ深いほど その積み重なる山は高さを増し 氏がより遥か彼方を見通すほどに その頂きは遠のいてそびえ立つ。

第6章  6

バルテュスの芸術性と魅力 そして精神性

芸術性

「芸術とは 精神を高揚させ 感情を軽くし 思考を明確にするものである。」と言ったのはアンリ・マチスであった。これが芸術の成し得る事だが これをバルテュスの作品世界に当てはめれば「精神を高揚させ 感情を豊かにし 思考を深化させるもの」となるだろう。精神を高揚させるものとしては 他の芸術作品と同じく 氏の作品も見る者の眼を喜ばせつつ その精神を刺激し 高ぶらせる。感情についてはマチスは軽くするものと言っているが これは感情を豊かにするでは重さに通ずるとして避けたのであろう。しかし氏の場合は重さを含んだ豊かさであり 豊潤であり 熟成である。さらにマチスは思考を明確にするものとしたが 氏の場合は本質を追求しながら秘めると言う点で 見る者を深みへと誘うのであるから 深化と言える。
20世紀の絵画の歴史に名を残す巨匠達は 様々な様式の創造を果たしているが 様式を成立させた後は その範囲内で表現は繰り返されている。しかし氏は作風が繰り返される事を避けるように 様式を固定化しなかった。これは常に様式の創造を行なう事でもあり 制作者の負担は大きい。つまり様式の非固定化によって 自己模倣を避けたと言える。様式の創造は大いなる創造の樹を成す事に等しいが そこに成る実は同じであり 様式の非固定化によって出来る実はそれぞれに異なり 均一や量産化は無理で 同じ成果は繰り返される事はない。それゆえに氏の作品はどのようなものであろうと貴重なのである。 

魅力

そして氏の表現世界の魅力には 少女 性 同居の無関係 醜の道化 演劇性 憂鬱 無限と永遠性 日常の純粋さ 陽光と裸体の輝き 緊張と弛緩 そして秘められたものと謎 関係性による小宇宙 また構成 色彩 画肌などがある。これらは人の皮膚の下などに隠れる本質を 追求する事によって得たものを 明らかにするというよりも 秘める事によって聖域化されている。そしてそこから立ち昇る濃密な気配が放つ香りこそ 氏の作品世界の魅力でもあり これは常に熟成しているが 時に爛熟してもいる。この放香は一様ではなく 濃淡の違いも味わい深い。
また放香だけでなく 耳を傾ければ氏の絵画からは しめやかな囁き声が聞こえてくるが これは孤高で暗い寡黙な深淵から発せられている。そしてその声のする奥に眼をやれば ある光が仄めいているのが見えるが これは真善美の放つ微かなきらめきである。この真善美は表現の根底にあるべきもの または表現が本来目指すべきであり 優れた作品には必ず内包されているものである。この仄めく微かな光こそ 人を強く引き付け 深く魅了する力の基である。
そして氏の作品は表現者とそれを受け取る鑑賞者との関係において 個人と個人 または一対一の関係が求められる。これはまさに秘密の契約を取り交わすような関係であり それ以外ではあの放香としめやかな囁き声は遠のいて行くかのようである。この一対一の秘密めいた伝達の仕方こそ 個人の内奥に深く届く希有な表現の在り方であり これこそが氏の作品に根強い愛好者がいる理由の一つだろう。

第6章   7-8

精神性

氏の絵画作品には変化と固執が見られるが これらを通した中に変わらぬものがある。これは不変性であり作品の様式や画題を越えて感じる事が出来る氏の精神性である。これも不可視なものであるが この不可視な精神性の有り様を明らかにした所に 氏の最大の特徴があり 功績がある。このような本質と必然の高さと深さを充分に理解した精神性の存在こそ 希有である。
しかし氏の精神性には ある偏りと暗さが見られる。これは基本的な審美眼だけでは掴みきれないものを含んでいるだけでなく 執拗に繰り返されて描かれる同一の画題 同じ場にいながら無関係な関係性 描かれた人々の表情の暗さ (描き直された人物画や「カラスのいる大きな構成」などは別である)などである。この氏の作品の特徴でもあるものは 氏の単なる好みではなく辿った人生や民族的な特性 (氏はラテン系ではなくゲルマン系) とも言えるが 氏が見通す本質が有する暗さの反映である。物事の本質の多くは明るいとは言えない。シャシー時代の陽光の明るさや日常の純粋性を忘れてはならないが ここでも自らは陽光を浴びていない。やはり氏の本質は 開放よりも閉鎖にあり 自らをある特定の領域に閉じこめ ここで微妙なものは発酵させ そっと掬いあげる。これはまるで中世の錬金術師のような超論理的な手法が 用いられているように見えなくもない。しかしこの言い方は確かに氏に似合うが やはり創造の飛躍であり それは知性と知力 そして精神性によって支えられている。そしてこの偏りと暗さを持つ気高い精神性こそ 陰を知らない正統派の単純さでは掬いきれない 心情と神経の襞の微妙な明暗を表しうるのである。
つまり氏の大いなる精神性の奥底には大いなる良きもの 不可視な本質と真善美が秘められており これがいかなる偏りと暗さであろうと ある調和を得る力となっているのである。

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同じ金魚を描いてもこうも異なる。マチスの「金魚」は感情を軽くする快さがある。つまり暮らしの中の何気ない情景に日常の純粋性を表している。これはシャシー時代のバルテュスと同じである。しかしバルテュスの「赤い魚」は小さき生き物の可憐さや純粋性よりも 命の深遠なる神秘さえ伺わせている。この違いを表現者の精神性の違いではあるまいか。

最後に

これまでの氏の作品に対する印象は 幼さの残る娘達による淫靡を伴う官能を描いた画家と言った面が強調されていた。そして気を許せば たちまち落とし穴に落ち入りそうな油断のならなさによる緊張感などへの評価の高さはあったにしても。全体像はあくまでも曖昧であったのでないか。また陰の世界を描いたような作品では まことしやかな秘密めかしとも受け取られかねなかった。さらに絵画表現の変革の最中にあった20世紀絵画において 時代のあだ花的な存在として見られていた面もある。しかしこれらは氏の画業の全てから見て 果して的を得ていたのであろうか? それとも一部分にしか過ぎないのだろうか? やはり創作者はその全貌を通して評価すべきであり 作品ごとの善し悪しや 一つの基準のみで評価する事は狭量なはずだ。
氏は若くしては挑発的な魅力によって見る者を惑わしもしたが これはその正体を暴くためではなく 秘められたものの重要性を明かにするためである。また氏は過去とのつながりを断って 自らがつけた足跡と付いてくる影を忘れた気ままさを謳歌する人ではなく 時間の経過の中で沈澱するように秘められたものを 聖なるものとして掬い上げた。これらはある場所に集められ 一つの世界が創られた。この世界に氏は自ら囚われる。これは聖域の構築のためであり 守護するためである。全ての秘め事には隠された理由があるが その理由を知る者こそバルテュスである。そして氏の正体こそ秘められた者であり 秘められた守護者なのである。氏の精神の気高さと重々しくあろうとする態度は この重責を果たす者に相応しいはずだ。

「鏡猫 3」から最晩年に渡る作品を「無惨・・・」と言う人がいる。これは「モンテ・カルヴッェロの風景 2」や「マンドリンと若い娘 (期待)」なども含まれている。これらは確かに形態と構成の秩序を失っている。この理由は老いによる混乱かもしれないが これらの作品のほとんどは大画面であり 氏はそれを選んでいるのだ。老体にむち打ちながら制作を続ける姿は 自らの絵画世界との同化を果たそうとしているように 私には思える。まるで苦行僧のように。その後姿からは 人生の全てをかけた画業の質量を創り出すための労苦を思い起こさせ 自分の作品を愛好してくれる人達の期待や各時代の流行に迎合する事なく 自らの創作を貫き通してきた者の意志をにじませている。

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第6章  9-10

本書はもう少しで終る。これまでに様々な作品があったが その中で思い出される懐かしき作品がある。街はずれに立つ白い馬に乗った曲芸師 幼き王女の毅然とした立ち姿など。これらは氏の代表作ではないし 絵画の特徴を語るに良く使われる作品でもないので 表立つ事は少ない。しかしこのような作品に魅了される者も多いはずだ。また当然ながら 謎めく物語性に想いを託す楽しみや情感を含む陰影の深い味わいなどが持つ 人を魅了する力こそ氏の作品の魅力であり 決して色褪せる事はないだろう。何故なら氏の作品は愛好家にとってすでに聖域化されているからである。
氏は芸術家と呼ばれる事を拒んでいたが これはその言葉の大仰な意味合いを嫌ったからで 制作者が全て創造する者ではない事からすれば バルテュスは確かに具象絵画の画家であり 時代を遥かに越えた魅力ある絵画を創り出した。そしてその創造は高く聳える山を成したに等しいのである。ゆえにバルテュスは偉大な芸術家であり 個人的な精神性の高さと深さを示し得た希有な画家であったと言える。またこの巨大な山には 創作者しか知り得ない重要な内容も納められているはずだが これらも不可視なものであるのだろう。これらに本書は少しでも届きたいと願ったが 果たして達したかどうか 少なくとも幾つかは明らかになったはずである。その事に満足して筆を置く事にしよう。

2001年の 2月 17日 これまでも繰り返していた入院であったが この日バルテュスは入院先から自宅に戻りたがった。夕方の5時に屋敷に着き 夜の8時にアトリエに行きたいと言ってシーツに包まれて運ばれる。暫くして周りの人に席をはずしてほしいと言い 本人と節子夫人と娘の春美嬢のみがそこに残った。その時に 最後の言葉が発せられた。「コンティヌエ コンティヌエ・・・(続けて 続けて・・)」 それは弱々しくもはっきりした声で 広くがらんとしたアトリエに響いた。そしてその後 母屋に戻って息を引き取る。これは節子夫人の述懐している最後のバルテュスの様子である。
この最後の言葉の意味を私はこう解釈する。制作を通して真善美を知る頂きに立った氏は 創作の真の目的と実践の差を埋める事がいかに難しいか 思い知らされていたのではないだろうか。これは一種の絵画表現の限界を知る事になるかもしれない。しかしだからと言って止める事は出来ない執着がある。なぜならバルテュスは絵画を信じているからだ。これは信仰である。この信仰を成就させるには続けるしかないのだろう。
節子夫人は先のようにバルテュスの最後の様子を語ったが こうも付け加えている。「バルテュスは まるで夕日が沈むように 亡くなりました。」バルテュスの最後を語るに これ以上の表現はないであろう。

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第七章   1-2

第7章 バルテュスの言葉。

バルテュスの発言は晩年になってからものが多く残されている。これはローマのアカデミー・フランセーズの館長に就任した後に 画家として本格的に評価され 注目されたからであるが それ以前の発言が残されていないのはとても残念な事である。

*バルテュスは自ら何故 幼さの残る若い娘達を描くのかの質問に対して。
「彼女等の形が興味を引き それがまだ手つかずで より純粋だからです。」「彼女等は神聖で 厳かで 天使のような存在です。つまり美の象徴なのです。」
そしてそれらの官能性については「聖パウロは言っています。淫らさは見る者の目の中にある と。」

*「クールベもまたものの表象する事でなく ものと同一化する事を目標に絵画を描きました。」
 図。クールベ「鱒」

*「私は初源的な画家しか模写しなかった。」若い時に模写したピエロ・デルラ・フランチェスコなどに ついて。
図。ピエロ・デルラ・フランチェスコ「キリストの復活」

* 「セザンヌは自然の中に神的なものがある事を理解していました。自然の中に見つかる形態の木霊 目 と形態の間の律動 そしてこれらの対応。これが「私の目的はプッサンを手本にする事だ。」という 言葉で言いたかった事です。そして私もまたそれを探しています。全ての画家はそれを探していると 思います。ドラクロワも あの清の時代の画家 石濤にも同じ法則が見出せます。」
「中国の画家 石濤も素晴らしい絵画論を書き その中で普遍的な法則を述べています。」
 図。石濤「  」1642−1707 中国 清の時代初期の画家 禅僧。著作に「画語録」がある。  

*「一枚の絵の誕生を説明できない。画家自身にもそれは説明できない。絵画の言葉は自立した絵画独自の言葉であり 説明され 理解されるために他の言葉を必要としません。」

*「シュールリアリストの画家達を好んだ事は一度もありません。絵画のフロイト的解釈を好んだ事もありません。」 
「私はシュールリアリストだけでなく 何であろうとこの年代の前衛すべてを嫌っていました。」

*ジョルジュ・バタイユとジャコメッティとバルテュスの会話。 
バタイユ氏「君たちは目に見えるもの全てを破壊してしまう。」 
ジャコメッティ氏とバルテュス「我々はただ見えるものの下に存在するだけだ。そう見えていると思え る事物を把握するのさえ稀な事なのだから。」

*「ジャコメッティは 一つ一つの作品はそれ自体の空間 それ自体の重さ そしてそれ自体の沈黙さえ持つと主張しました。」

* F・フェリーニ氏との共通性について。 「二人とも日常の現実へ不可思議なものが介入する その半球の中で仕事をしている。」

*「バルテュスは現存するもっとも偉大な画家である。」と言われている事に対して。
「マチスとボナ−ルの会話を思い出します。
マチス「我々二人は我々の時代で最も偉大な画家ですよ。」
ボナ−ル(青ざめ そわそわして怒りながら)「今おっしゃった事は恐ろしい事ですよ。我々の時代で最も偉大な画家であるというのは恐ろしく悲しい事です。もしそうなら我々二人のどちらにとっても災難になるでしょう。」

*友人であったF・ベーコンの死去に関した報道で「彼は天才であった」と書かれていた事に対して。
「天才であるとはどういう意味でしょう? 彼は画家だった。本物の画家だった。それで充分ではありませんか?」

*芸術家と呼ばれる事に対して。
「私は芸術家という言葉は大嫌いです。漫画「タンタン」のアドック船長が使う最大級の侮辱語は「芸術家!」です。ピカソもこの言葉を毛嫌いしていました。「私は芸術家ではない 画家だ」と言ったものです。」
「私も画家であり より良く言えば職人です。つまり筆と絵具という絵画に特有な用具を使って仕事をする人間なのです。」
「 F・ベーコンは自らを芸術家と定義する事は虚栄の一形式だと言っています。私もその意見に両手を上げて賛成します。」
図。エルジュ「タンタンの冒険」

*「絵画に関心があるならドラクロワの「日記」は必読書でしょう。ドラクロワはそこで全てを語っている。例えば色の混ぜ方について あるいはものの本質を掴むために記憶だけで描く事の効用について。・・・」

*「時の流れの外にある存在を描きたい。」

*「プラトンの「永遠の哲理」に示されているように以前は東洋と西洋には親和性がありました。それは万物の存在の根源は神であるとされていたからです。」

*「中世の画家は神の声を伝える素朴な楽器であると考えていました。」

*「表現主義者 抽象表現主義者 ポップ・アーティストにはいかなる興味も持った事はありません。表現主義者は 私に言わせれば 絵画的価値であるもの全ての否定です。」

*「美の終焉は思考の終焉に等しい 美のあらゆる形態 いやむしろ美の概念そのものを破壊したのは20世紀の絵画です。」

*「私が描きたいのは反射する光にもまして もの自体が発する光です。」

*「「猫鏡 3」が仕上がる時 娘と鏡と猫の3つが融点に達するのです。」

第七章   3

*「そんな人工の照明では私の絵が台無しだ。」「もうすぐ その窓から良い光が入ってくる。」撮影のために画室に入った日本のテレビ局の照明に対して。

*「モーツアルトは好きです。モ−ツアルトの様に描きたい。」

*「聖アウグスティヌスの言葉に現代の美術にぴったりと適応する言葉があります。探究は発見よりも多くを語る。」

*「私についてまたは私の作品について 他人が言った事 そして言っている事に関わらず 私は宗教画家です。」「絵とは祈りなのです。」

* アントナン・アルトーはバルテュスの青年期の作品について「彼は現代の*ピエロ・デッラ・フランチェスコだ 。」と評価したが 晩年のバルテュスはこれに対して「それは奇妙な判断で 私には現代の ピエロ・デッラ・フランチェスコを想像できません。」と言っている。

* 亡くなる半年前に 家族三人での会話。
現在の絵画は技術を失っていると批判するバルテュスに対して 春美嬢「お父様のそのお話を聞いていると 今の時代に画家はお父様ひとりね。」
バルテュス「私もそう思う。今の私は完全にたった一人の最後の画家になってしまった。」
春美嬢「お父様は 今までしてきた事をどう思っているの?」
バルテュス「うーん その質問には答える事が出来ないと思う。」

*アントナン・アルトーAntonin Artaud 1896~1948 フランスの俳優 詩人 小説家 演劇家。バリ島の演 劇から発想した身体劇を提唱。主な作品 映画「裁かれるジャンヌ」(修道士ジャン・マシュー役) 1927 評論「ヴァン・ゴッホ」1947。詩集「神経の秤」1925。小説「神の裁きと決別するために」。 演劇「チェンチ一族」

あとがき 1-2

あとがき

以前から作品に描かれた場所を訪れてみたかった。それは作品と実景との違いを確認し その場所を選んだ理由を知りたかったからだ。これがようやく2007年の4月に機会を得る事が出来た。訪問先と訪問順は氏の生涯を辿るようにしたかったので 出発点は10代の頃に描いたパリのリュクサンブール公園とし パリでは他に画家として最初に持ったロアンのアトリエ そしてあのコメルス・サン・タンドレ小路を訪れた。その後はラルシャンとシャシー そしてローマのヴィラ・メジチ館とモンテ・カルヴッェロ 最後はスイスにあるゴッテロン渓谷とロシニエールにあるグラン・シャレのアトリエの順である。

リュクサンブール公園を描いたのは今から80年ほど昔になるが 現在と当時の違いはほとんどなく 樹木以外の場所はすぐに確認できた。そしてロアンのアトリエは 門に閉ざされた敷地内にある建物の一つで 中にロアンの中庭がある。そしてすぐ近くにコメルス・サン・タンドレ小路があるが 実際の小路はやはり狭く短い T 字路であった。この場所からあの壮大で沈鬱な世界を想像したとは思えず やはり創案が優先し 後からそれに見合う場所を当て嵌めたのだろうと思われた。次は車でパリ郊外にあるラルシャンに向かった。ラルシャンは小さな村だが 例の教会はかなり大きくゴシック様式の建物であり 戦時中に被害を被っいるが ほとんどは修復され 現在では半分を教会として使い 他は遺跡になっていた。建設後に悪魔憑きを収容する施設とされていた頃の異様さを感じ取る事もできなくないし 遠くから見た時の存在感も確かにある。しかし実際にはあのように地平線上に頭を覗かせる事はなく これも氏の創造であるが いわく付きの建物をあのように描いた発想の飛躍に思いを巡らせる事になった。そして作風の変わるシャシーは パリから見ればバルビゾン派の画家達が住んだ地方の方角にある。なだらかな丘陵が広がる放牧地帯の中腹に あの舘は建っていた。現在もここに住むティゾンさんによれば 当時の面影を残すものは 少なくなっているとの事だったが 門が2つある中庭 そして舘の周囲に広がる丘陵の実景を確かめる事が出来た。舘から見た中庭は描かれた作品との差は少ないが やはり背景の丘陵や樹木と共に 構成のためにかなり手が加えられている事がよく分かる。またあのゆるい曲線で描かれた丘陵は創作ではなく 実際にあのような不定形の境界線があり これをあの様に解釈して描いたのだと了解できた。しかしあの三角の畑に描かれた眼の形をした紡錘形を見つける事は出来なかった。やはり案内人が必要であったが ティゾンさんは我々の訪問を すでに遠い昔の事ですと断っていた。やむを得なかったが 誠に残念であった。 

次に訪れたのはローマのヴィラ・メジチ館で 館内の氏に関係する所を館員の方が案内してくれた。しかしここでも肝心なトルコ風の部屋を見る事は叶わなかった。これは予定外のフランスの大臣が宿泊していたからであったが 氏が行なった改修後の舘と中庭 そしてバルテュス壁などを見る事が出来た。また氏が館長を務めていた当時の館員の方から 貴重な話も聞く事が出来た。彼女の思い出を語る時の眼差しは とても真摯で穏やかであった。そして次はローマ郊外のモンテ・カルヴッェロの古城を訪れた。ここは初めて購入した持ち家だが 気候があわず別荘として使われていた。ここでは氏の長男であるスタニスラス氏が出迎えてくれる予定であった。だがいくら扉のノッカーを鳴らしても彼は出てこず 待つ間に中庭の奥から あの「モンテ・カルヴッェロの風景 1」に描かれた場所を見つけてしまった。この風景にあるものは作品とほとんど同じであるが やはり作品の表すものとは異なる。そしてここからでは他に描けるような所がない事も知った。その後すぐにスタニスラス氏は現れ すぐに出迎えなかった事を丁重に詫びた。彼は背の高い美男子で父親似であり 長く伸ばした白髪を後ろに束ねていた。案内された古城の各室には 厳選された古い家具が置かれており そのしつらえ方に氏の作品以外の別な面を見た訳だが その趣味の良さは納得できるだけのものがあった。また舘のほとんどの壁面はバルテュス壁に仕上げられて

おり これらの壁や舘の修復は スタニスラス氏も手伝ったがかなり苦労したそうである。そして驚いたのは浴室にヴィラ・メジチ館のトルコ風の部屋と同じタイルが貼られていた事で その鮮やかな模様と白地のタイルは 窓から差し込む陽光を受けて明るさを増し 落ち着いた内装の色彩に慣れていた私は思わず見とれてしまった。そして階上のアトリエにつかっていた部屋に向かう途中で スタニスラス氏の妹とその友人に出会い紹介された。妹とは春美さんの事であり 突然であったために驚いたが それは写真で見知っていた彼女とは異なる気軽なジーンズ姿であったためだ。しかしその姿は自然な気品が漂っていた。最後に階上の隅にある画室に案内されたが 整理されていて当時の面影はなかった。しかし窓から見える風景はあの場所であり これを毎日のように眺めていたのかと思うと あの風景画に新たな興味が湧いた。一通り案内が終った後 スタニスラス氏が節子夫人に電話をかけ 私と替わった。夫人は我々の訪問を出迎える事が出来ない事を詫びたが その丁重さに私は少し恐縮した。帰りのタクシーの中から外の風景を何気なく見ていると 小高い山の上には必ず古い街があり その頂上には似たような古城が建っている事に気付いた。この地方の一つの特徴なのだろう。

この後スイスにあるゴッテロン渓谷を歩き 描かれた場所を探したが 渓谷の道は長くここだという場所を限定する事は出来なかった。しかしやはり実景よりも作品の方が 壮大で威厳があるように描かれている事は確かめる事が出来た。それにしても絵になる風景は幾らでもある国なのに 何故ここを選んだのかと考えると氏の創作の秘密を覗いたような気がした。これは他の場所でも感じた事である。そして最後はロシニエールであるが 約束の訪問時間よりも早く着いたので 村を一回りしてから氏の御墓参りをした。しかし花屋が見つからず しかたないので行く道の野辺の花を摘んで行った。同行の岡本さんは自らの髪止めをはずし それで花をくるんでお墓に添えていた。この墓碑は村の小高い岡の麓にあり 後援者の方が用意した土地であるそうだ。石板に彫られた氏の名前の書体は美しく これを見ているとこの足下に氏が眠っていると思うと胸を突くものがあり 足の裏が痛くなるのを感じた。この痛みはある意味で 聖地に対する畏怖に似た気持ちから起こった事だろう。午後遅くにグラン・シャレを訪れ 待っていてくれたスタニスラス氏と再会した。彼はさっそく玄関の向えにあるアトリエの扉の鍵を開け 緑色の扉を開いた。アトリエの中はやや暗かったが広く 生前と同じ状態に保存されている事はすぐ分った。しかしすぐに足を入れる事は出来ず 眼をつむり一呼吸おいてから 音を立てないように一歩目の足を踏み入れた。U2のボノ氏は 入口で十字を切ってから入室したそうである。アトリエの正面にある大きな窓からは ロシニエール村の高い丘陵が青空と共に広がっていた。窓の下の制作中に作品を眺めるための椅子には 部屋着が一枚かかっていたが これはここを訪れた最後の時に暑いと言って脱いだものであり そのままにしてあるそうだ。椅子の後ろの壁にはジャコメッティの横顔の写真が架けられ 脇にある机の上には ダンヒルの煙草と灰皿 眼鏡 グリューネヴァルトの画集などが雑然と置かれていた。また窓に対して斜めに置かれたイーゼルには200号ほどの描きかけの作品が乗せられたままになっていた。この未完成の作品はそれほど描き込まれていなかったが 中央の若い娘の顔だけは重ね塗られており その眼を閉じた表情は穏やかで愛らしく見えた。この眠る娘の顔を見ていると 部屋の主人が居ない間に盗み見ているような後ろめたさを感じ 落ち着かぬ気持ちは呼吸を浅くさせた。陽が傾きアトリエ内が暗くなってから退出したが やはり氏が存命中に訪れるべきであったと後悔した。ここは単なる仕事場ではなく やはり聖域であった。 

翌日 グラン・シャレの1階に作られた画廊に案内され 年に何回か財団が主催している展覧会の会場を見学した。その後にグラン・シャレの中庭に招き入れられたが 植えられた花々に水が撒かれており 柳の葉を揺らす風が気持ちよく その後ろに建つシャレの偉容をゆっくりと眺める事が出来た。この時スタニスラス氏の背後の窓が一つだけ開いていたので「あれは?」と問うと「あそこが パパの部屋だよ。」と彼は指をさした。我々が気付くように 開けておいてくれたのだった。

あとがき 3-

そしてこの時スタニスラス氏は「お前はパパの巡礼者だ。」と言った。この意味はバルテュスの画家としての生涯を辿るような旅をして来た者への慰労の言葉であり これは私にとってはとても嬉しい理解の仕方であった。しかし同じように実際に足を運んで調べようとする者は皆 巡礼者だろう。バルテュスのカリスマを引き継ぐスタニスラス氏は このような形で私達の旅を収斂してしまうのだが 彼の語る話は何一つおろそかにできなかった。「ブランシャールの子供達」の机の下に描かれた黒い塊について 「モンテ・カルヴッェロの風景 1」に描かれている男女は自分が見せた古い版画からヒントを得た事 バルテュスの描く猫は見えないものを見る目撃者である事など。そして時々案内の途中で「この足のデッサンは 誰の足か?」とか 「この脚立に見覚えがないか?」と私に質問してくる。それに答えるとにっこりと綺麗な笑顔を見せる彼は 若い頃は音楽家だったそうである。今でも世界的に有名なロック・ミュージシャンと交流を持っているそうで 後で彼とジョン・レノン等が一緒に写っているスタジオでの写真を頂いた。

またバルテュス家の華である春美さんとも2度ほど御会いする事が出来たが 陽の暮れたグラン・シャレの居間に現れた彼女は 黒いイブニングドレス姿であった。その落ち着いた気高さはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた希代の名作「モナ・リサ」に良く似ていた。それは容貌だけでなく 清明でありながら暗さを持ち 知的で高尚でありながら気さく 彼女も多様な美を持つ貴人であり 二人ともまったく年を取らない。
またバルテュス家の要である節子夫人とは電話での挨拶に留まったが グラン・シャレの室内に飾られた夫人の作品では 私はバルテュス一家の人々を動物に例えて描いた作品に強く興味を持った。またその後にメールでお墓に添えたお花のお礼も頂いた。またスタニスラス氏は この後も作品の内容を確かめための問い合わせに何度も答えていただいたりした。バルテュスの御家族の方々はとても洗練されており 氏を理解しょうとする者に対して誠意を尽くす態度は とても真摯で丁重であった。皆様には とても感謝しております。また本書を書き上げるための示唆を与えてくれたヴィラ・メジチ館の司書の方と学芸員の方々 またロシニエールのホテルの女主人 そして氏の作品を知らなかったラルシャンのパン屋の娘さんなどなど 皆様へも感謝を捧げます。

さらにこの調査旅行の準備をし 通訳として同行してくれた写真家のジャン・フランソワ・ゲーリーさんと助手として同行してくれた岡本 恵美さんにも感謝をしております。なおゲーリーさんは本書のフランス語の翻訳もしていただき その労苦に敬意を持って感謝します。

 

著者 近藤 達雄
2008 3 13

表4

資料

資料編 作品の一覧と大きさの比較

資料  1−2

資料1

資料  3

資料2

資料   5-6

資料5

資料   7-8

資料9

資料  9−10

資料9

資料  11

資料11

資料  13

資料13

資料  15

資料15

資料  17

資料17

資料  21

資料21

資料  19

資料19

資料  23

資料23

資料  25

資料25

資料  27

資料  27−28-[更新済み]

資料  29

資料  29-30-[更新済み]

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